2018年02月23日

「作家の読者道」に登場した原田ひ香さん

「web本の雑誌」の作家の読者道に、原田ひ香さんが登場した。
http://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi191_harada/index.html
いまちょうど原田さんの『三人屋』をよんでいるところで、
すきな作家だけに、これまでの「読者道」が気になる。

瀧井朝世さんによるインタビューをよみ、
これは、とおもうヶ所を つぎつぎとエバーノートにコピべする。
むかし京大型カードをつかいはじめたころは、
自分の気づきやアイデアではなく、
よんでいる本の大切なところをかきうつしていた。
もちろんすごくたいへんだし、そのあと
カードどうしをくみあわせようもなく、
ほとんど意味がなかったけど、
パソコンでよみながら、
エバーノートにコピべするのはすごくらくだ。
そのためにエバーノートはあるような気がしてくる。
できあがるノートを、どうつかうかは わからないけど。
私は『羊をめぐる冒険』と『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』のあたりが一番好きで繰り返し読みました。実は自分の作品に一番影響を受けているのは村上春樹さんだなって自分では思っているんですけれど、誰も言ってくれないんです(笑)。

その時に持っていった本が、保坂和志さんの『カンバセーション・ピース』でした。 久し振りに読む純文学でした。それまで(いそがしすぎて)村上春樹さんの新刊も時間がなくて読めないような状態だったんです。『カンバセーション・ピース』はずっと会話が続 いていて、ドラマになるような話じゃなかった。それで「もうドラマになるような話はもう読みたくないな」「私が読みたいし書きたいのはこういう話だよ」っ てすごく思って。

――ノンフィクションもたくさん読む、と前にうかがいましたが、好きな本はありますか。
原田:一番古い記憶は、本多勝一さんの『極限の民族』という本になりますね。

村上春樹さんの作品、しかもわたしとこのみがにており、
『羊をめぐる冒険』と『ハードボイルド・ワンダーランド』がすきで、
本多勝一さんの『極限の民族』をよくおもいだすという。
わたしとおなじような「読者道」(もちろん質はちがうけど)を
あゆんでこられているのをしり うれしくなる。
「私が読みたいし書きたいのはこういう話だよ」
という発見もすばらしい。

いまのいちにちのすごし方をたずねられると、
カフェですごす時間がながいようで、
毎日となれば それなりにお金がかかりそうだ。
原田さんの作品には、経済的にきちっとしたひとがよくでてくるので、
お金がなくてたいへん、という生活を、
よくしっているひとだとおみうけする。
いまどんな生活をしていようと、お金を節約して本をかった時代が
基本になっている気がする。
節約とか贅沢とかではなく、いまもっているお金の価値と、
じょうずにつきあっていけるひとなのだろう。
原田さんの本には、いくぶんかわった女性がでてくるけど、
原田さん自身は結婚されており、
主婦として配偶者の食事やお弁当を用意したりする。
そこらへんのギャップと、どうおりあいをつけているのか不思議だ。

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2018年02月22日

椎名誠さんの「(死への)憧れと怖さ」に共感する

すこしまえの朝日新聞で、
椎名誠さんのひととなりが連載されていた。
14回目の最終回では、老いについてかたっている。
体は昔から健康優良児で頑健、それだけに肉体の衰えはつらい。わびしいですね。階段を上がるときも「よいしょ」とか言っちゃう。

死は怖いか?正直いいますが憧れと怖さが半分ずつですね。面倒くさいことがある日の前夜は目が覚めなくてもいいと思いますしね。

わたしはまだ50代で、椎名さんとは17歳はなれているけど、
「目が覚めなくてもいい」気もちはよくわかる。
胃がいたかったり、ひどいふつかよいだったり、
なんだかんだと体調がすぐれないときなど、
いや、そんなたいそうな症状でなくても、
たべすぎてくるしい、肩のいたみがわずらわしいとき、
もうこのまま死んでもいいか、とおもうことがある。
歯周病や前立腺癌、脳梗塞に高血圧など、
歳をとると病気にかかるリスクがたかくなる。
それらにおびえながら生きるより、
はっきり「余命半年」といわれたら、
がっかりするだけでなく、まえむきにうけとめる気もちが
すこしまざるような気がする。
もちろんいつもそんな気分なわけではないけど、
ときどき、たしかになにもかもがめんどくさい。
きっと、こころがよわいのだろう。
はやく死にたいわけではないけど、
かといって ながいきをそれほどねがってはいない。

死ぬことがきまったら、まだうごけるうちに、
お金をかきあつめて、気ままに旅行するのが
わたしの「死ぬまでにやっておきたい10のこと」の
トップバッターにひかえている。
町内会の仕事や、母親の世話など、
いくつかのしがらみがあるけれど、
余命がはっきりしている病人となれば、
たいていの要求はかなえてもらえるだろう。

死がちかづいてくるときは、
からだぜんたいが しだいにおとろえるとしたら、
いたみやくるしみさえなければ、
おだやかなさいごにならないだろうか。
土地の名物料理をまえに、たべられなくてくやしい、
とかはあんがいなくて、
もうなにもごちそうはいりません、
という枯れた心境にたどりついているのでは。
やりたいことを たとえやりつくしていなくても、
それはそれで、いい人生だったとうけとめられる気がする。
◯◯しておけばよかった、とおもうだけのげんきが
死ぬまえは すでにないので、きっとおだやかにむこうへいける。

posted by カルピス at 21:52 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月13日

「調子にのれるときは 調子にのっておけばいい」三森さんの肯定がここちよい

火曜日から木曜日までのゆうがたパラダイス
(NHK-FM)をたのしみにきいている
(月曜は、さすがについていけなくなった)。
きょうの担当は、声優の三森すずこさん。
みもりん鬼にしかってもらうコーナーで、
「パチンコでたまたまかったり、
 女の子としたしくなれたりと、
 いいことばかりがつづき、調子にのっています。
 こんなふうに調子にのってると、
 もうじきいたい目にあいそうなので、
 みもりんにいましめの喝をいれてほしい」
とリスナーからメールがとどいた。

三森さんは、
「いーんじゃないですか。
 いいことがつづいたとき調子にのったって。
 でないと、いつ調子にのるんだっておもうし」
みたいな感想をのべている。
調子にのってもいい、という
三森さんの肯定がわたしを安心させる。

でも、わたしはこのリスナーとは反対に、
このごろ ろくでもないことばかりつづいている。
たとえばアップルから身におぼえのない領収書が
メールでおくられてきたり、
5000円札だとおもって1万円札をだしたら、
すんなり5000円としてうけとられたり、
職場の車にキズをつけてしまったり。
こんなときにがっくりこないで、
いつがっくりするんだ、というぐらいひどい。
あいかわらず左肩がいたくて たのしくはしれないし、
ピピといっしょにねると
たかい確率でパジャマにおしっこをつけられる。
胃の調子がわるく、コーヒーをのむと胃がいたくなる。
いまのうちにしっかりおちこんでおいたら、
もうじき復活のきざしをよびこめるだろうか。

わたしがいまよんでいる『永遠の1/2』(佐藤正午・集英社)は、
「失業したとたんにツキがまわってきた」
というかきだしではじまっている。
この主人公の場合、婚約者に理由もなくわかればなしをきりだされても
ぼくは、一年近く続いた女との関係をたったの二時間で精算できたことになる。

と解釈するぐらいだから、
まえむきというよりも、ちがった意味で計算だかい。
「しかし一年つづいたということは」ぼくは考え考え反論した。「少なくとも五十回は寝た勘定になる。それは判るな?」
「わかるさ。すくなくとも五十回のファックだろが」(中略)
「じゃあ訊くけど、五十回ファックした女とそのうえ結婚したいと思うか?」

こんな暴論に、ふかくうなずいたりするから
わたしのツキがにげてしまったのだろうか。

posted by カルピス at 21:44 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月11日

そこそこ本ずきの中年男性が、2月11日にどんな本をかったか

仕事からのかえりに本屋さんへいったら、
よみたい本がつぎつぎと目にはいった。
こんな日はめずらしいので、
なにをかったのか かいておきたくなった。

・『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子・新潮文庫)
・『オンブレ』(エルモア=レナード・新潮文庫)
・『三人屋』(原田ひ香・実業之日本社文庫)
・『本の雑誌 3月号』(本の雑誌社)
・『不死身の特攻兵』(鴻上尚史・講談社現代新書)
・『文藝春秋 三月特別号』

6冊で5000円弱だった。
だんだん逆上してきて、いくらでもかいたい本がでてくる。
今夜もっていたお金が5000円しかなかったのは、
よかったのか、わるかったのか。
本をながめながら ほしい本をさがすたのしさは、
本屋さん、つまり、紙の本でないと味わえない。

・『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子・新潮文庫)
しりあいがすすめてくれた本で、
まえからさがそうとして、検索にもかけたけど、
みつからなかったのに、きょうは本棚をながめていたら、
本のほうで わたしにアピールしていたかんじ。

『オンブレ』(エルモア=レナード・新潮文庫)
まえにエルモア=レナードの『キルショット』をよんだら、
まずまずおもしろかったので。
それに、なによりも村上春樹さんの訳だ。
村上さんがなんでレナードの本を訳す気になったのだろう。

・『三人屋』(原田ひ香・実業之日本社文庫)
原田ひ香さんのうまさには、いちもくおいている。
どの作品でも、あたらしいきりくちでかたる。
はずれがない作家だ。

・『本の雑誌 3月号』(本の雑誌社)
毎月かかさずかっている本(雑誌ではないそうだ)。
「本屋さんになろう!」の特集がおもしろそう。

・『不死身の特攻兵』(鴻上尚史・講談社現代新書)
特攻兵は、出撃すればかならず死ぬとおもっていたけど、
9回も特攻して いきているとはどういうことなのか。

・『文藝春秋 三月特別号』
芥川賞を受賞した二作が全文掲載されているというので。
『百年泥』は、けさの朝日新聞で、
斎藤美奈子さんが書評をかいていた。
『おらおらでひとりいぐも』も、よみたいとおもっていた。
二作ともよめて980円ならお得だし。
もっとも、芥川賞の受賞作をのせる特別号をかったのは
はじめてだ。

1冊もかわずに店をでる日だってあるのに、
ときにはきょうみたいな日もある。
文庫と新書が中心なのは、貧乏性のわたしらしい。
夜はまだたっぷりのこっているし、あすはやすみだ。
本の神さまにみちびかれたようで、
しあわせな2月11日として記憶にのこるだろう。
よみたい本がつぎつぎにみつかったのは、
きびしい冬がもうすぐおわり、
あたたかな春がくるきざしかもしれない。

posted by カルピス at 20:21 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月09日

わたしのなかの教養主義な傾向

週に1本は映画をみたいなとか、
月に3冊は本をよまなければとか、
できるだけインプットにつとめようとおもっている。
でも、かんがえてみれば、なんのためだっけ。

つきつめてみれば、ものすごく漠然とした状況設定だけど、
わたしのまえに魅力的なひとがあらわれたとき、
頭からっぽでは、あいてにしてもらえないから、
が動機のかなりの部分をしめている。
そのひとに値するだけの、
内容をともなった人間でありたい。
冗談ではなくて、わりと本気でそうおもいこんでいた。
何歳になっても可能性がゼロになるわけではないけど、
いまとなってはほとんどありえない状況だ。

だったら映画や本はもういいか、とはならないので、
けして魅力的な女性だけのためではなく、
まともな人間として、みたいな教養主義的な傾向が
わたしのなかにあるのかもしれない。
生きているかぎり、最低限こなさなければならない
義務みたいなものだ。
そうやって、どう生きてきたかが、
わたしという人間の総力であるわけで、
あたりまえのことだけど、
一日いちにち 手をぬかずに、おくりつづけるしかない。

「夜廻り猫」をよんでいたら、
歩道橋のうえでさみしそうな顔をしているわかい男に
遠藤さんがはなしかけている。
http://www.moae.jp/comic/yomawarineco/370
もし そこな
飲めない酒を飲んだ感じのおまいさん
泣いておるな? 心で

若者は、「寂しい 誰か欲しい」という。
親友か?友達か?と遠藤さんがたずねると、
そこまで高望みしてないよ
かかわれる人が欲しい
話しかけても良い相手
怖がらなくていい相手
一緒に笑うみたいな

と若者はこたえる。

それぐらいの「誰か」は
どこにでもいそうだけど、
遠藤さんは
「もっともだ そういう相手 ほしいよなあ」
と若者のこころによりそっている。
しっかりしろ、それぐらいの相手どこにでもいると、
はげましたり けしかけたりするのではなく、
よりそえるのが遠藤さんのすばらしさだ。
「じゃあ わたしが」
とならないところもいい。
遠藤さんは、これまでに どんな時間をすごしてきたのだろう。

posted by カルピス at 15:58 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする