2025年01月09日

『愛おしい骨』キャロル=オコンネル

『愛おしい骨』
キャロル=オコンネル・務台夏子:訳
創元推理文庫

いやー、キャロル=オコンネル、いつもながらすごい。
ストーリーが複雑にいりくみ、さいごのさいごまで
どこにつれていかれるのかわからない。
よみおえてしばらくは、至福の時間をすごせたよろこびにひたった。
ミステリーのおもしろさを堪能させてくれる一冊だ。
務台夏子氏の訳もすばらしく、よくこなれた日本語にたすけられ、
オコンネル作品の奥ぶかさを ぞんぶんに堪能できた。

作品についていろいろかきだしてみたものの、
わたしには、この作品をかたるちからはないようだ。
川出正樹氏がみごとな解説をよせられているので、
その引用をもってこの作品の紹介としたい。
 
自信をもって断言しよう。およそ〈物語〉が好きな人であるならば、この本を読まないという選択肢はない。ミステリに興味がないとか、翻訳小説が苦手だとか、そんな些細なことは関係ない。この小説の懐は、とてもとても深いのだ。

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2024年12月28日

『ミステリーしか読みません』だったこの一年

すこしまえに『ミステリーしか読みません』
(イアン=ファーガソン)という本をよんだ。
とてもよくできたミステリーだったけど、
かきたいのはその内容ではなく、
ことしのわたしの読書傾向をよくあらわしているから
ひきあいにだしたくなった。

ことしよんだ本は52冊で、そのうち30冊がミステリーだ。
そしてその全部が海外ミステリーとなった。
北欧やイギリスの、重厚なミステリーをよむと、
日本の小説ではものたりなくなってくる。
心理描写がよわく、よみごたえがない。
新聞の書評にのっていた何冊かの日本の小説をよんだけど、
書評がすすめるほどには、おもしろくかかれていなかった。

とはいえ、海外ものならどれもいいわけではもちろんない。
レイフ=GW=ペーションベッグストレーム警部シリーズは、
数冊まではおもしろくよめたものの、
だんだんと 警部のとんでもなさがハナについてきた。
ジル=ペイトン=ウォルシュのイモージェン=クワイシリーズも、
はじめの2冊にくれべ、3冊目の『貧乏カレッジの困った遺産』は
だいぶおちるので、もうこれからは手をださない(かもしれない)。
いまいちばんすきなシリーズはエリー=グリフィスの
ハービンダー=カー刑事ものとなる。
アマゾンのレビューをみると賛否がわかれており
(否のほうがおおい)、このシリーズのおもしろさは、
かなりのミステリーずきでないと理解されないだろう。
いわば、「読者をえらぶ」ミステリーであり、
いたるところにちりばれまれた わたしむきのわらいに
なんどもほくそえむ読書となる。
つぎの作品がたのしみでならない。

ことしの10冊をえらんでみると、
・『窓辺の愛書家』エリー=グリフィス・創元推理文庫
・『成瀬は信じた道をいく』宮島未奈・新潮社
・『カラハリが呼んでいる』マーク=オーエンズ・ディーリア=オーエンズ・ハヤカワノンフィクション文庫
・『ザリガニの鳴くところ』ディーリア=オーエンズ・ハヤカワ文庫
・『償いの雪が降る』アレン=エスケンス・創元推理文庫
・『黄昏に眠る秋』ヨハン=テオリン・ハヤカワ文庫
・『クリスマスに少女は還る』キャロルオコンネル・創元推理文庫
・『悪魔が唾棄する街』アラン=パークス・ハヤカワ文庫
・『つまらない住宅地のすべての家』津村記久子・双葉文庫
・『誘拐犯』シャルロッテ=リンク・創元推理文庫

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2024年11月16日

本屋さんがない町はさみしい

すんでいる町から本屋さんがなくなり、
さみしくなった、みたいな記事を、
新聞やネットでときどき目にする。
そりゃ残念だろーなー、とおもってよんできたけど、
わたしにも、そんな事態がいよいよふりかかってきた。
新装開店のため、4ヶ月だけの休業なので、
正確には本屋さんがなくなったわけではないとはいえ、
毎週のように足をはこんでいた店へいけなくなるのは、
ずいぶんさみしい生活となる。
本をかわないまでも、本棚をながめながら店をぶらつくのは、
わたしにとって大切な時間だった。
新刊(文庫だけど)のミステリーをさがしたり、
毎月中旬に、『本の雑誌』をかいもとめたり、
それといっしょに『熱風』をただでもらったり。
それらの機能がばっさりときりはなされてしまった。
ネットで注文すればいいので、本が手にはいらないわけではないけど、
それはそれ、これはこれ、だ。
リアル本屋さんの存在が、どれだけ生活をうるおしてくれていたかを、
いまさらながらおもいしらされている。

このお店が20年まえにできたときは、
ほかの本屋さんにくらべゆったりとしたレイアウトが新鮮だった。
検索用の末端が何台もおかれていて、
ずいぶんゴージャスにかんじたのをおぼえている。
それから20数年がたち、本屋さんが新装工事にはいるまえには、
雑貨をあつかうスペースがだんだんふえていた。
本屋さんなら、そんなものをならべるより、
もっと本棚を充実させてくれたらいいのに、とおもっていた。
こんどお店がはじまるときは、どんな姿をみせてくれるだろうか。



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2024年08月04日

『カラハリが呼んでいる』人間は、どしがたい

『カラハリが呼んでいる』
マーク=オーエンズ&ディーリア=オーエンズ
小野さやか・伊藤紀子:訳
ハヤカワ・ノンフィクション文庫

野生動物の研究家であるオーエンズ夫妻は、
まだ人間と接触したことのない動物をもとめ、
ボツワナ共和国のカラハリ砂漠にたどりついた。
これまでに人間をみたことがない動物たちは、
ひとをおそれる遺伝子をもっていない。
動物たちのくらしをすぐちかくで観察できるし、
たとえライオンでも、ひとをおそってくることはない。
オーエンズ夫妻は、不用意に干渉しないよう
注意ぶかく観察をつづけ、
これまでしられなかったライオンやハイエナの生態を
いくつもあきらかにしていく。
この本は、1974年から7年をかけておこなわれた
彼らの観察の記録である。

この記事のタイトルを「人間は、どしがたい」としたのは、
ひとがいかにすくいがたい存在かを、おもいしらされるからだ。
オーエンズ夫妻と、とくにしたしい関係にあった
オスライオンのボーンズを、
アメリカ人のハンターがうちころしてしまう場面がある。
まえの日に、夫妻からボーンズの生態をきき、
目になみだをうかべて感激していたハンターは、
あろうことかそのボーンズをうちころしてしまった。
ひとをおそれないボーンズしとめるのは、
どんなにたやすいことだったろう。
ボーンズ、そしてオーエンズ夫妻の無念をおもうと、
人間はどしがたい、としかいいようがない。

また、カラハリ砂漠の自然保護区では
何万頭ものヌーの大移動が観察されている。
水をもとめ、ながい旅をつづけるヌーは
もうすこしで水場にたどりつく、というところで、
針金をはられた柵にぶちあたる。
人間が家畜として世話をしている動物に、
野生動物の病気がうつらないよう隔離する柵だ。
この柵が、たしかに有効という事実はないのに、
柵のためにおおくのヌーがちからつき、たおれていく。
柵の犠牲になったヌーの死期はごくゆっくりとやってくる。まだ前足で砂をかく力の残っている、横たわった彼らからカラスやハゲワシは容赦なく目をくりぬいていき、屍肉食者たちはまた、耳や尾や睾丸などを髪切っていく。こうして2、3000頭のヌーが柵ぞいで死んでいった。

まったく、人間はどしがたい。
この地球から、人間などいなくなったほうがいいと、
どれだけおもったことか。
この本の、とくに後半は、どしがたい人間の記録ともいえ、
わたしは胸がふさがれるおもいでよみすすすめた。

ながい時間をかけ、カラハリ砂漠の過酷な自然に適応してきた
動物たちの生態は、おどろくことばかりだ。
カラハリ砂漠は砂漠なので、もともと雨はすくないが、
ときには何年も雨がふらないときもある。
そんな環境でも、一滴の水ものまないで
動物たちは生きぬくちからを身につけてきた。
必死に生き、子どもをそだてるライオンや
カッショクハイエナは、どこまでもけなげだ。
ふかい愛情と、正確な記録でこの本をかきあげた
オーエンズ夫妻にふかく感謝したい。

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2024年07月21日

『百年の孤独』(ガブリエル=ガルシア=マルケス)

『百年の孤独』ガブリエル=ガルシア=マルケス
鼓直(つづみただし):訳・新潮文庫

有名な本なので、タイトルは20代のころからしっていた。
じっさいによんだひとの感想をきいたことはなく、
南米の作家はなんとなく距離をかんじてしまい、
手にとることのないまま40年がすぎた。
ただ、『カラマーゾフの兄弟』とおなじように、
必読書として、いつかよみたいとおもっていた。
その本がやっと文庫になるという。
この機会に、ノルマをこなしておこうか。
本屋さんにいくと、平台に数冊がそっとおいてあった。
それほど宣伝にちからをいれているふうではない。
どんなうれゆきなのか、気になるところだ。

南米にあるマコンドというちいさな村を舞台に、
ブエンディア家の100年がえがかれている。
660ページと、すこしながいとはいえ、
ミステリーではあたりまえのボリュームなのに、
なかなか読書がはかどらない。
二週間ほどかけてようやくよみおえた。
けしておもしろくないわけではなけど、
なにしろ、おなじような名前がなんどもでてくるのだ。
登場人物のエネルギーと性欲がものすごく、
かんたんにちかしい家系のひととねてしまい、
できた子どもにアルカディオとかアウレリャノとか、
にたような名前をつけていく。
家系図がついているけど、名前がおなじだったり、
よくにてたりして、だれがだれなのかすぐわからなくなる。
なんど家系図をふりかえり、たしかめたことだろう。

たしかにわたしは『百年の孤独』をよみおえた。
ただ、どれだけこの本の魅力にひたれたかは
はなはだこころもとない。
南米特有の情念のすごさに圧倒された読書だった。

posted by カルピス at 16:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする