2017年05月01日

『トゥルー・ロマンス』本筋以外でみどころがいっぱい

『トゥルー・ロマンス』
(トニー=スコット:監督・1993年・アメリカ)

わかい男がバーで女性をくどいている場面からはじまる。
カンフー映画はどう?とさそわれ、
「わたしがカンフー映画へ?」と
女性はあきれているのに、
「しかも3本だてだぜ」と
得意そうに もっとはずしていくのがおかしい。
いかにもタランティーノらしい作品だけど、
監督ではなく、脚本としての参加だ。

なかでもすきな場面は、
デニス=ホッパーとクリストファー=ウォーケンのやりとりだ。
うばわれた麻薬をとりもどそうと、めぼしをつけた家に
イタリア系マフィアの相談役としてウォーケンがおとずれる。
麻薬をもってにげたむすこについてきかれても
父親(デニス=ホッパー)は「しらない」とつっぱねるけど、
ウォーケンはネチネチとプレッシャーをかける。
こわそうな連中にかこまれ、ビビってあたりまえの場面で、
デニス=ホッパーは歴史の本からえた知識をはなしだした。
シシリア人はおおむかし ムーア人におかされまくった過去があり、
シシリア人にはニガーとおなじ血がながれていると挑発する。
ウォーケンは、「おもしろい男だ」と愛想のいい笑顔をふりまき、
デニス=ホッパーのほほを両手でやさしくつつみ、
チャーミングにキスをする。
デニス=ホッパーは、おまえは黒ナスだと、
さらにおいうちをかけ、にっこりほほえむ。
ゆたかなジェスチャーをまじえながら、
おいしそうになんどもタバコをふかくすいこむ。
ギリギリの神経戦がすごくスリリングだ。
主役のわかいふたりを、このベテランふたりが、
かんぜんにくってしまった印象をもつ。
この場面みたさの『トゥルー・ロマンス』でさえある。

ブラッド=ピットがほんの端役ででてくるのもおかしい。
いつもラリってソファーにねそべるジャンキー役で、
部屋をおとずれるマフィアやら警察やらに、
しってることをぜんぶ親切におしえてあげる。
だれからもお荷物あつかいされる 人畜無害のブラッド=ピットは、
『トゥルー・ロマンス』ならではのみどころだ。

サミュエル=L=ジャクソンの名前も字幕にでてくるので、
どの場面かと注意してみていたら、
さいしょのほうであっけなくころされる麻薬の売人役だった。
メインストーリーよりも、脇に関心をむけてしまいがちな、
すてきなB級作品にしあがっている。

posted by カルピス at 22:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月23日

メイキング=オブ『ブルース・ブラザーズ』

録画でみた『ブルース・ブラザーズ』は劇場版であり、
いくつかのシーンがカットされていた。
DVDにはオリジナルフィルムのほうがおさめられているので、
手もとにおいておきたくなり、アマゾンに注文する。
いくらいい作品でも、DVDをかう気になるなんて、
わたしにしてはきわめてめずらしい(3作目)。
それほどこの作品はわたしの琴線にふれた。

DVDには48分のメイキング=オブ『ブルース・ブラザーズ』
がついていたので さっそくみてみる。
DVD作品によくある2次的な情報であり
(メニューに「ボーナス資料」とかいてある)、
関係者へのインタビューからなっている。
ジョン=ベルーシはすでになくなっているので、
ダン=エイクロイドと監督のジョン=ランディスを中心に、
出演したミュージシャンや作品のスタッフが
当時をふりかえっている。

自分たちが関係した作品は、だれにとっても特別なものだろう。
どんな作品にもそれなりの苦労はあるだろうし、
自分たちがどんなおもいをその作品にぶつけたのかをかたりたい。
でも作品は、あくまでもその本編によって評価されるべき、
というのがわたしの基本的なかんがえだけど、
すきな作品となると、またはなしがちがってくる。
どんな情報でもしりたい。
もっとも、たいていのはなしは
ウィキペディアですでに紹介されている。

インタビューをうけているミュージシャンの
スティーブ=クロッパーとドナルド=ダック=ダンは、
清志郎が以前いっしょにうたっていたひとだ。
ブルースとメンフィス、それに清志郎がつながっていたのがうれしい。

ランディス監督は、1980年だからつくれた作品であり、
いまでは金がかかりすぎると、くりかえし強調していた。
映画のなかでいい曲をつかえば、
当時とはくらべものにならないほど たかくつく。
シカゴ市内であんなカーチェイスの撮影は、
とても市が協力してくれない。
実力のあるミュージシャンの参加にくわえ、
いくつかの偶然と幸運のおかげで
『ブルース・ブラザーズ』はできあがった。

それにしても、税務署のビルにつっこむラストはみごたえがある。
川からは警備艇、空からはヘリコプター、
地上では騎馬隊に特殊部隊、さらに装甲車と戦車までが
ふたりをマジでおいまわす。
あれだけ世間をさわがしたら、
18年の懲役をいいわたされても文句はいえない。

レイ=チャールズの楽器店で、
エルウッドがトースターに目をとめるのがすごくおかしい。
「ん?なんでこんなところにトースターが?」
と、気になったエルウッドは
白いパンを上着の内ポケットからとりだし、
そっとのっけてみる。
この場面には伏線があって、エルウッドは自分のアパートで
ハンガーみたいな形の針金にパンをのせてやいている。
エルウッドにとって白パンは、
そうやってやくのがあたりまえなのに、
楽器店には ほんもののトースターがあったので、
ついためさずにはおれなかった。
本筋からはなれて 脇のものに関心をむけがちな
エルウッドのかるさとこだわりがうかがえるし、
この作品の雰囲気をあらわしていて、わたしのすきな場面だ。

posted by カルピス at 22:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月18日

『ブルース・ブラザーズ 2000』教訓にみちた壮大な失敗作

『ブルース・ブラザーズ 2000』
(ジョン=ランディス:監督・1998年・アメリカ)

『ブルース・ブラザーズ』の続編として
1998年に公開されている。
前作がすばらしければ、そのつづきをみたくなるのがファンの心理だ。
お手がるなヒットをみこんで おおくの続編がつくられる。
『ゴッドファーザー』や『エイリアン』など、
パート2にも、すぐれた作品はおおく、
ファンとしては ますます手をだしたくなる。
ただ、ずっこけてしまう作品もまたおおく、
『ロッキー』や『ジョーズ』のように、
がっかりさせられる続編は、ひとつのジャンルとなっている。

残念ながら、『ブルース・ブラザーズ 2000』は
さえない続編の典型だった。
すこしものたりないのではなく、徹頭徹尾、さえない。
おなじ監督がつくっているのに、
前作のよさを ひきついでいないのは、
どんな問題があったのだろう。
作品をけなすよりも、あまりのひどさに
かえってかんがえさせられる。
かなりたかいレベルの失敗作であり、
ここまでくるとまなぶ点がおおい。
以下、ネタバレあり。

「あれから18年」とオープニングでしめされ、
刑期をおえたエルウッドが、
刑務所からでてくる場面からはじまる。
18年分の脂肪により、デブとまではいえないものの、
エルウッドは全体に肉がつき、うごきがおもい。
18年たっているのに、18年まえを ふたたびめざしたのが
この作品のそもそもの失敗だった。
18年まえとおなじように、バンドを再結成しようと
エルウッドはむかしの仲間をたずねる。
18年まえとおなじような車をもとめ、
18年まえとおなじようにうたっておどろうとする。
でも、だめだった。
18年もたっているからだ。
前作のストーリーをなぞるだけなので、
かんじるのは なつかしさよりも、 腐敗臭だ。

わたしもまた、わかいころとおなじやり方をくりかえしがちだ。
体型を維持したいのはあたりまえとしても、
むかしとおなじように からだがうごいて当然とおもいこむ。
旅行にでかけても、わかいときの旅行とおなじスタイルをもちこみ、
なんとなく しっくりこないのに気づく。
からだや 家族構成など、状況は以前とことなっており、
おなじやり方をくりかしても、おなじ満足にはつながらない。

かつてうまくいった体験を、もういちどくりかえそうとする。
そのほうが 楽だからだろう。
むかしといっしょ、よりも、
なにかこれまでとはちがうやり方をとりいれるほうが、
とりくみ全体に健全な空気をもたらす。
うまくいかせようとするよりも、
あたらしい体験こそをもとめたほうがいい。

それにしても、ひとをあやめたわけではないのに、
18年は刑期としてかなりながい。
30歳のときに 懲役をスタートさせたら、18年後は48歳。
ふつうだったら はたらきざかりの期間を、
エルウッドはずっと刑務所ですごしており、
48歳になってシャバにでられても、
浦島太郎状態で、なかなか社会に適応できそうにない。
エルウッドが なんの違和感もかんじずに、
すぐにバンドを再結成しようとするのは
映画のなかでしか ありえない。
そんなエルウッドに、まわりのひとたちまで
かきまわされてしまった。
歳をとるにつれ、ふけこむのはしかたないとしても、
おろかに歳をかさね、わかいころの記憶にしがみつかないよう、
この作品の警告に耳をかたむけたい。

posted by カルピス at 21:32 | Comment(3) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月16日

いまさらながら『シザーハンズ』

『シザーハンズ』(ティム=バートン:監督・1990年・アメリカ)

ずっとまえから気になっていた作品だ。
1990年に公開されているので、
27年ほったらかしているあいだに「古典」となってしまった。
こむずかしい解釈をもとめられるとおもいこみ
なんとなく 敬遠してきた。
おどろおどろしいのはオープニングまでで、
あとは霧がはれるように あかるい映像となる。
これはまあ、ティム=バートン監督の常套手段ともいえるのだけど、
その演出にすっかりだまされていた。

これはコメディだ。
深刻にみるひとがいてもいいけど、
一貫したドタバタというみかたをわたしはとりたい。
レタスを手のハサミでみじんぎりにしたり、
バカボンのパパみたいに植木をかりこんだり。
警察が「手をうえにあげろ」とエドワードをおいつめる。
エドワードがいわれたとおりに手をうえにあげると、
とうぜんながらややこしいハサミの手がうきぼりになる。
「ナイフをたててるぞ!」がおかしかった。
この警官は、のちにエドワードがかかえる
ややこしい状況に理解をしめし、
ふかい部分でエドワードのとまどいを理解する。
以下、ネタバレあり。

ある博士が「人間」をつくったとき、
手の部分だけがをつくりのこして死んでしまい、
あとには手がハサミのまま エドワードひとりがとりのこされた。
手がハサミの人間って、どんな姿なのだろう。
『シザーハンズ』がそのこたえだ。
ティム=バートン監督は、
いかにも もっともらしいハサミ人間として
エドワードに黒のジャケットをきせ、
表情があるような ないような、
うごきもどことなくぎくしゃくしていて、
でも あるいているとちゅうで
庭木にちょっかいをだしたりする好奇心はある。
ハサミはひとつではなく、なにやら複雑にこんがらがっている。
エドワードは、自分のややこしい手を、
けしてなげいたりはしなかった。
自分のからだをうけいれながら、あたらしい世界にもなじもうとする。
ハサミひとつのシンプルな手にしなかったのが、
エドワードのありえなさをきわだたたせ、
この作品を成功にみちびいた。

手がややこしい形なだけで、作品の内容そのものは、
ものすごくシンプルにつくられている。
お城みたいな家でひとりぐらしをしている青年
(しかも手がハサミなのに)を、
化粧品セールスの女性が かんたんに家につれてかえるはずがないし、
つれてかえった青年を、女性のご近所さんが
あんなに関心をよせるはずがない。
すべてがおとぎ話なのだ。
そこにどれだけのリアリティをもたせられるか。
ティム=バートン監督がつくる世界に、
わたしはここちよく身をゆだねた。

キム(ウィノナライダー)のボーイフレンドであるジムは、
あんなにバカな男でなければならなかったのか。
キムだって、ただかわいいだけの女の子にすぎず、
ウィノナライダーではすこしかわいそうだった。
エドワードがキムに恋するわけないような気がするけど、
恋にぜったいはないので 恋しちゃったわけだ。

posted by カルピス at 17:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月14日

『ブルース・ブラザーズ』ふたたび

BSプレミアムで放映された『ブルース・ブラザーズ』を録画する。
すこしまえのブログにかいたとおり、
http://parupisupipi.seesaa.net/article/445197530.html?1492171735
わたしはこの作品がだいすきなのだけど、
短縮版のようで、レンタルDVDと訳がすこしちがう。
カットされている部分もあり、いまひとつはいりこめない。
ひとりでごはんをたべるときに、すこしずつみていた。

夜おそく、ピピがごはんをせがんで わたしのベッドにきた。
台所へいって、ピピのカンヅメをあける。
ピピがたべるのをまつあいだ、中途半端な時間ができたので、
『ブルース・ブラザーズ』を再生する。
ちょうどホテルでのコンサートがはじまるところで、
ここまでくれば 訳がどうこうはなく、
ごきげんにのっけてくれる。
ピピにみちびかれるかたちで、
2どめの『ブルース・ブラザーズ』をたのしめた。

この作品は、全編にブルースのかおりがただよっている。
ブルースとはなにかが、この作品をみればわかる。
主役の2人だけでなく、2人にくどかれて
バンドにくわわる仲間も、警察も、ネオナチも、
だれもがブルースの精神で生きている。

コンサートをぬけだし、警察の包囲網をやぶって
シカゴの税務署へむかう場面では、
エルウッドがポンコツのダッジにのりこむと、
以下のことばをつぶやく。
シカゴまで170キロ。
ガソリンは満タン。
タバコは半箱。
闇夜にサングラス。

ブルースだ。

パトカーが何十台もへしゃげていく
めちゃくちゃなカーチェイス。
ブルース=ブラザーズたちの、
ふとくてみじかい(おそらく)人生に一票をいれたくなった。
ブルースに生きようとすると、人生80年はながすぎる。

映画のラストにごきげんになったわたしは、
ズブロッカで祝杯をあげる。
ピピがおこしにこなかったら、はやめにやすんでいた夜なのに、
余計な酒のおかげで あしたはきっとふつかよいだ。
それもまたブルースなのでしかたない。

posted by カルピス at 21:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする