2017年07月10日

『PK』(ラージクマール=ヒラーニ:監督・アーミル=カーン:主演)

『PK』(ラージクマール=ヒラーニ:監督・2014年・インド)

『きっと、うまくいく』のアーミル=カーンが主役をえんじる。
評判がいいし、アーミル=カーンなので、
おもしろくないわけがないと期待してかりた。
153分とながい作品で、なかなかはなしがうごきださない。
前半は、ものがたりの伏線をかためる作業がしつこいほどつづき、
それぞれの配置がきまった まんなかへんから
いっきょにものがたりがすすんでいく。
この作品をえがくには、153分が必要だったと
全部みおわったときに納得できる。
『カラマーゾフの兄弟』をえがくには、
あのとほうもないながさが必要なのとおなじだ(ほんとか!)

以下ネタバレあり。
地球を調査するためにやってきた宇宙船から、
宇宙人がひとりインドの砂漠におりたつ。
宇宙船と交信するリモコンを、冒頭でいきなりうばわれてしまい、
彼(PK)は、ことばも風習もわからないインドに、
なすすべもないままほうりだされる。
神さまならたすけてくれるというので、
いろんな神さまにすがり、リモコンがもどるようにおねがいする。
しかし、どの神さまも、PKのねがいをきいてくれない。
なぜ神さまがたすけてくれないのか、
PKはいろいろかんがえるうちに、宗教の本質にせまっていく。

宗教批判にうけとれる場面があり、
よくこの作品がインドでつくられたものだと感心する。
いくつもの宗教が混在し、現実の問題として
きびしい対立関係にあるインドだからこそ、
うけいれられたのかもしれない。
インドで宗教をあつかうというと、
いろいろタブーがおおそうだけど、
宗教が身ぢかな存在なだけ、
あるていどは自由に発言できるのだろうか。
なぜ神にすがってもききいれてもらえないのかは、
おおくのひとたちがもつ共通の疑問だ。

シリアスな問題を、わらいにつつんで
映画にとりいれるのに成功している。
まさか、オープニングに登場した男性が、
ラストの鍵をにぎるとは、まったく予想していなかった。
PKをえんじるアーミル=カーンの、
存在そのものがみごとに宇宙人っぽい。
耳がでかくて、目をかっとひらき、
カトちゃんダンスみたいなはしりかたをする。
宇宙人がいるとしたら、PKみたいな外見ではないだろうか。
みおわったときのさわやかさがすばらしい。
PKもまた、『アホは神の望み』でいう
「神はバカ正直なひとにほほ笑む」典型的なアホっぽいひとだ。
でも、神はPKがバカ正直だからほほえんだのではない。
地球より はるかにひろい宇宙をしっているPKは、
地球人のいう神よりも、本質的な「神」を理解している。

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2017年07月02日

『マイ・インターン』デ=ニーロのあらたな魅力

『マイ・インターン』
(ナンシー=マイヤーズ:監督・2015年・アメリカ)

70歳のベン(デ=ニーロ)は、妻をなくしてから3年がたち、
おだやかな日々のくらしに感謝しながらも、
仕事に熱中していたころをなつかしくおもいかえす。
退職してから いろんなところへ旅行にいったし、
外国語の勉強にとりくんだりもした。
自由な時間はたっぷりあるけれど、
いいかげん、そんな悠々自適の生活にもあきてきた。
いまは なにかその日にするべき用事を 毎日さがしている。
あたらしく生きがいとなる なにかがほしいと、
ファッション通信サイトの会社がよびかけた
シニア=インターン制度に応募する。
女性のボス(アン=ハサウェイ)のもとにつかえる
みならいとして配属がきまり、
あたらしい職場でのあたらしい生活がはじまった。

うまくいきすぎている、という批判もあるようだけど、
ハサウェイとデ=ニーロの魅力がいっぱいで、
すてきな作品にしあがっている。
とくにデ=ニーロは、70歳の老人をえんじながら、
おだやかな笑顔であたらしい魅力をみせる。
こんな役ができるひとだとは、おもわなかった。
これまでに、いろんなタイプの役をこなしてきた
デ=ニーロならではの、ボーナス作品といっていい。
ハサウェイもすてきだ。
やり手の社長だけど、会社をおおきくしたのちも
仕事への熱意をたもちつづけ、まわりへの配慮もおこたらない。
『プラダを着た悪魔』で上司をつとめた
メリル=ストリープとはまったくちがうタイプで、
よわさもみせるし 自信のなさもときどきのぞかせる。
人間味にあふれた彼女だから、ベンのもちあじを評価できた。

この作品は、セリフとして生き方をかたってはいないけれど、
けっきょくひとは礼儀ただしさが大切であるし、
誠実に生きなければ、なにも蓄積されないとおしえてくれる。
デ=ニーロの作品から 誠実さをまなぶとは へんなかんじだ。
70歳になったとき、わたしはベンのように
ゆたかな表情でひとをはげませられるだろうか。
自分の人生を肯定できるからこそ、
ベンは自信をもって 自分の価値観をまわりにかたりかける。

ほかのスタッフから相談をうけたとき、
「エリのついた服をきていったほうがいい」とか
「ハンカチはひとにかすためにある」など、
ゆたかな経験にうらづけされた具体的なアドバイスをベンはおくる。
そんなひとことを、まわりはもとめている。
誠実に生きてきたベンだから、
自信をもってアドバイスをおくれるし、
まわりもそれをききいれようとする。
ネットにかんする知識はすくなくても、
男として大人の会話ができるし、
相手へのおもいやりもかかさない。
ベンのおだやかな笑顔をみているうちに、
わたしもまたあたたかな気もちで生きたくなった。
すなおにみれば、とてもいい気分にしてくれる作品であり、
そうおもえないというひとがいたら、
『プラダを着た悪魔』のほうがあっているかもしれない。

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2017年06月25日

『イージー・ライダー』1969年にアメリカ社会がかかえていた闇

『イージー・ライダー』
(デニス=ホッパー:監督・1969年・アメリカ)

ピーター=フォンダがとにかくかっこいい。
すらっと背がたかく、ときどきニコッとちいさくわらい、
フロントフォークがものすごくながいバイクがよくにあう。
あんなバイクにのって、仲間とふたり、ふらっと旅にでたら
どんなにたのしいだろう。
のどかな田舎道や、あらあらしい荒野を、
予定にしばられずに気ままにはしる。
夜はもちろん野宿だ。
わかいころみたら、いちころで影響をうけたのではないか。

旅のとちゅうでおとずれたヒッピーたちのコミューンが
とうじのアメリカのうごきをつたえている。
町をはなれ、自然のなかで自由にくらしていく。
くるものをこばまず、食事もふるまってくれた。
スカスカのやきいもみたいなのをたべていたけど、
あれはなんだったのだろう。
パンの失敗作か、あのコミューンの名物料理なのか。

ジャック=ニコルソンもよかった。
あのころからニコルソンはすでにニコルソンだったのだ。
弁護士として、ちゃんとはたらいていたら
体制側のメンバーとしてうけいれられたのに、
よそもののふたりぐみにくわわったために、
州の境で住民たちからリンチをうける。
自由の国だとおもっていたアメリカなのに、
じっさいは髪がながいだけでもゆるされなかった。

わかいころみたら、影響をうけただろう、とかいたけど、
じつはわかいころ わたしはこの作品をみている。
本多勝一さんが、アメリカ南部の差別について、
黒人でなくても よそものは異端者としてあつかわれると
なにかの本にかいていた。
白人であるピーター=フォンダとデニス=ホッパーが
なぜあんなふうにころされなければならなかったかは、
ふつうにあの作品をみていただけではわかりにくい。
とうじのアメリカ南部の社会は、たとえ白人であっても
異端者はころされても当然というあつかいをうける。
『イージー・ライダー』は、
差別と偏見を極端にえがいたのではなく、
当時のアメリカがかかえていた、現実そのものだった。

野宿だって、モーテルにことわられるから
野宿をせざるをえなかったのだし、
町ではいったカフェでは 客たちからひややかな視線をあび、
お店のひとは注文さえきこうとしない。
自由の国だとおもっていたアメリカが、
こんなに差別と偏見にみちた社会だったとは。
映画のなかでニコルソンが、
自由をおそれるから 自由にいきるものをおそれる、
と分析している。
自分たちとちがうものをうけいれない。
あたりまえのようにリンチにかけ 銃をはなつ。
ピーター=フォンダがかっこいい、
ジャック=ニコルソンがいい味だしていた、
なんて うかれてみられたのは さいしょだけだ。
ものがたりがすすむにつれ、現実のひどさに呆然となる。

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2017年05月01日

『トゥルー・ロマンス』本筋以外でみどころがいっぱい

『トゥルー・ロマンス』
(トニー=スコット:監督・1993年・アメリカ)

わかい男がバーで女性をくどいている場面からはじまる。
カンフー映画はどう?とさそわれ、
「わたしがカンフー映画へ?」と
女性はあきれているのに、
「しかも3本だてだぜ」と
得意そうに もっとはずしていくのがおかしい。
いかにもタランティーノらしい作品だけど、
監督ではなく、脚本としての参加だ。

なかでもすきな場面は、
デニス=ホッパーとクリストファー=ウォーケンのやりとりだ。
うばわれた麻薬をとりもどそうと、めぼしをつけた家に
イタリア系マフィアの相談役としてウォーケンがおとずれる。
麻薬をもってにげたむすこについてきかれても
父親(デニス=ホッパー)は「しらない」とつっぱねるけど、
ウォーケンはネチネチとプレッシャーをかける。
こわそうな連中にかこまれ、ビビってあたりまえの場面で、
デニス=ホッパーは歴史の本からえた知識をはなしだした。
シシリア人はおおむかし ムーア人におかされまくった過去があり、
シシリア人にはニガーとおなじ血がながれていると挑発する。
ウォーケンは、「おもしろい男だ」と愛想のいい笑顔をふりまき、
デニス=ホッパーのほほを両手でやさしくつつみ、
チャーミングにキスをする。
デニス=ホッパーは、おまえは黒ナスだと、
さらにおいうちをかけ、にっこりほほえむ。
ゆたかなジェスチャーをまじえながら、
おいしそうになんどもタバコをふかくすいこむ。
ギリギリの神経戦がすごくスリリングだ。
主役のわかいふたりを、このベテランふたりが、
かんぜんにくってしまった印象をもつ。
この場面みたさの『トゥルー・ロマンス』でさえある。

ブラッド=ピットがほんの端役ででてくるのもおかしい。
いつもラリってソファーにねそべるジャンキー役で、
部屋をおとずれるマフィアやら警察やらに、
しってることをぜんぶ親切におしえてあげる。
だれからもお荷物あつかいされる 人畜無害のブラッド=ピットは、
『トゥルー・ロマンス』ならではのみどころだ。

サミュエル=L=ジャクソンの名前も字幕にでてくるので、
どの場面かと注意してみていたら、
さいしょのほうであっけなくころされる麻薬の売人役だった。
メインストーリーよりも、脇に関心をむけてしまいがちな、
すてきなB級作品にしあがっている。

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2017年04月23日

メイキング=オブ『ブルース・ブラザーズ』

録画でみた『ブルース・ブラザーズ』は劇場版であり、
いくつかのシーンがカットされていた。
DVDにはオリジナルフィルムのほうがおさめられているので、
手もとにおいておきたくなり、アマゾンに注文する。
いくらいい作品でも、DVDをかう気になるなんて、
わたしにしてはきわめてめずらしい(3作目)。
それほどこの作品はわたしの琴線にふれた。

DVDには48分のメイキング=オブ『ブルース・ブラザーズ』
がついていたので さっそくみてみる。
DVD作品によくある2次的な情報であり
(メニューに「ボーナス資料」とかいてある)、
関係者へのインタビューからなっている。
ジョン=ベルーシはすでになくなっているので、
ダン=エイクロイドと監督のジョン=ランディスを中心に、
出演したミュージシャンや作品のスタッフが
当時をふりかえっている。

自分たちが関係した作品は、だれにとっても特別なものだろう。
どんな作品にもそれなりの苦労はあるだろうし、
自分たちがどんなおもいをその作品にぶつけたのかをかたりたい。
でも作品は、あくまでもその本編によって評価されるべき、
というのがわたしの基本的なかんがえだけど、
すきな作品となると、またはなしがちがってくる。
どんな情報でもしりたい。
もっとも、たいていのはなしは
ウィキペディアですでに紹介されている。

インタビューをうけているミュージシャンの
スティーブ=クロッパーとドナルド=ダック=ダンは、
清志郎が以前いっしょにうたっていたひとだ。
ブルースとメンフィス、それに清志郎がつながっていたのがうれしい。

ランディス監督は、1980年だからつくれた作品であり、
いまでは金がかかりすぎると、くりかえし強調していた。
映画のなかでいい曲をつかえば、
当時とはくらべものにならないほど たかくつく。
シカゴ市内であんなカーチェイスの撮影は、
とても市が協力してくれない。
実力のあるミュージシャンの参加にくわえ、
いくつかの偶然と幸運のおかげで
『ブルース・ブラザーズ』はできあがった。

それにしても、税務署のビルにつっこむラストはみごたえがある。
川からは警備艇、空からはヘリコプター、
地上では騎馬隊に特殊部隊、さらに装甲車と戦車までが
ふたりをマジでおいまわす。
あれだけ世間をさわがしたら、
18年の懲役をいいわたされても文句はいえない。

レイ=チャールズの楽器店で、
エルウッドがトースターに目をとめるのがすごくおかしい。
「ん?なんでこんなところにトースターが?」
と、気になったエルウッドは
白いパンを上着の内ポケットからとりだし、
そっとのっけてみる。
この場面には伏線があって、エルウッドは自分のアパートで
ハンガーみたいな形の針金にパンをのせてやいている。
エルウッドにとって白パンは、
そうやってやくのがあたりまえなのに、
楽器店には ほんもののトースターがあったので、
ついためさずにはおれなかった。
本筋からはなれて 脇のものに関心をむけがちな
エルウッドのかるさとこだわりがうかがえるし、
この作品の雰囲気をあらわしていて、わたしのすきな場面だ。

posted by カルピス at 22:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする