2018年07月10日

前Qこと前田久さんによる「しんちゃん」作品の歴史的ながれがおもしろかった

三森すずこさんが担当するゆうがたパラダイスは、
今週もおもしろかった。
でも、今回とりあげるのは三森さんではなく、
番組のコーナー、「三森アニソン研究所P!」で
いつもあつくアニメおよびアニソンをかたってくれる
前Qこと前田久さんについて。
きょうの前Qさんは、「クレヨンしんちゃん」をとりあげていた。
二十歳をすぎてからのわたしは、
ほとんどテレビアニメをみることがなく、
ましてや最近のアニメにはまったくついていけないけれど、
前Qさんがときどきわたしにもわかるアニメをとりあげてくれると
(初代ガンダムや、今回の「しんちゃん」みたいに)、
前Qさんがどれだけ体系的にアニメをとらえているかをしらされる。
歴代のアニメ番組が、時間軸にそってぜんぶ頭にはいっていて、
そのうえに番組の特徴が、スタッフや声優とからめ
いつでもとりだせる形で すべてひきだしに整理されている。
やたらとながい最近のアニソンのタイトルを、
すらすらと何曲も紹介する前Qさんに、いつも感心しているけど、
きょうの「しんちゃん」についての話題は、わたしにもよくわかった。

テレビアニメとしての「しんちゃん」が人気をたかめていった背景、
そしてテレビ版だけでなく、劇場版もたかい評価をえていること。
劇場版の「しんちゃん」といえば
『嵐をよぶモーレツ!大人帝国の逆襲』が有名で、
わたしもなにかのプレビューにひかれ、DVDでみたことがある。
前Qさんによると、さいきんの劇場版「しんちゃん」もまた、
質のたかい作品がつくられているそうで、
おとなになって「しんちゃん」ばなれしたひとが、
ふたたび「しんちゃん」にもどるチャンスだと、
前Qさんは力説している。
作品のタイトルはわすれたけど、
ひろしさんと記憶も姿・かたちもまったくおなじロボットが
野原家にあらわれて・・・、といかにもおもしろそうだ。
「しんちゃん」のテーマでもある家族愛と
どうからまっていくか、など、
前Qさんがあつくかたりながら、はなしはよくポイントがおさえられ、
きているわたしもつい みたくなった。

ちなみに、三森さんは「しんちゃん」を
家でみてはいけない派に属していたという。
母親のことを「みさえ」と、よびすてにするのは
いかがなものかと 親がきんじていたらしい。
それはそれでただしい判断で、
三森さんがきっちりそだてられた子ども時代のようすを
うかがいしれるのもおもしろい。

しんのすけの声をあてていた声優さんが
矢島さんから小林さんにかわり話題になった。
三森さんも前Qさんも、ぜんぜん違和感なかったと、
肯定的にうけとめている。
アニメ界のうごきを ふたりがちゃんとおいかけているのに感心し、
まえむきな発言だったのもうれしかった。
番組がはじまって25年になる「しんちゃん」は、
いまや「サザエさん」のように国民的アニメとして、
おおくのひとの記憶にのこっていると前Qさんはいう。
「しんちゃん」がはじまったときに、
まさかこの番組が、ここまでうけいれられるとはおもわなかった。
むすこといっしょに何本かみた劇場版の「しんちゃん」を
なつかしくおもいだす。
わたしにとっても、しあわせなおもいでをつくってくれた
ありがたい作品であり、そんなむすこもいまでは二十歳になった。
むすこもまた、自分の子どもといっしょに
映画館へ「しんちゃん」をみにいくのだろう。

posted by カルピス at 21:55 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月15日

『希望のかなた』

『希望のかなた』
(アキ=カウリスマキ:監督・2017年・フィンランド)

シリアからやってきた難民のカーリドをめぐるものがたり。
(以下、ネタバレあり)
石炭をはこぶ船にもぐりこみ、
カーリドはヘルシンキ(フィンランド)の港におりたつ。
シャワーをあび、石炭まみれになった身なりをととのえてから、
警察へいって難民の申請をする。
フィンランドは、難民をうけいれる制度はととのっているものの、
具体的な手だすけはなかなかうけられない。
難民の収容センターにおくられたカーリドは、
自分がどういうあつかいになるか、
フィンランド政府の決定をまつしかない。
みとおしのもてない状況のまま ききとり調査がつづき、
やがて、強制送還の決定がいいわたされる。
カーリドがにげだしてきたアレッポは、
いまもまだ戦闘状態がつづき、安心してくらせる場所ではない。
しかし、それほど危険ではないというのが政府の見解だ。
つぎの日の朝、難民担当の係官がカーリドをむかえにくる・・・。

ヘルシンキには、難民に親切なひとも、
おいだそうとするひとたちもいた。
フィンランドへの密航を、かくまってくれた船員。
ネオナチ風の3人組にからまれたとき、
カーリドをたすけてくれたひとたち。
身なりはまずしそうだけど、こころはやさしくてあつい。
難民センターでは、イラクからやってきた男性、
マズダックとなかよくなり、
カーリドの妹のゆくえについて相談にのってもらう。
さきのみえない生活にいらついていたカーリドは、
マズダックを酒をにさそう。
いかつい顔のバーテンが
「はじめの1杯はサービスだ」といって、ビールをおごってくれた。
カーリドがはたらきはじめたレストランには、
3人組の「ダメな」従業員がいて、
はじめはカーリドにたいしてつれなかったけど、
人間としての彼のつよさをしるにつれて 態度がかわってくる。
社会の底辺でくらす、うだつのあがらない3人は、
レストランにまよいこんだ犬もかくまってしまう。
ボスがすててくるようにめいじても、
自分たちとおなじような境遇の犬をとてもすてられない。
カーリドの妹がべつの国の難民センターにいるとしらされると、
レストランのボスがちからをかして、
ヘルシンキまでトラックに妹をかくし、
カーリドとの再会を手だすけする。
ドライバーは、「いい荷物をはこばせてもらった」と、
金をうけとらない。
おおくのひとが、みかけはきびしそうな顔つきなのに、
こころの奥にやさしさをひめている。

これからあたらしい生活がはじまるというとき、
ずっとつきまとっていた男におそわれ、
カーリドはナイフで腹をさされる。
レストランのボスが、カーリドのねぐらにやってくると、
血のしずくをのこしてカーリドはきえていた。
映画のラストシーンは、木にもたれるように、
カーリドがよこたわっている。
死んでしまったのかとおもっていたら、
タバコをおいしそうにすいだした。
これまでにみせなかったおだやかな表情で
カーリドは海をみつめている。
これからさき、レストランにもどるつもりはないらしい。
すでに死を覚悟したのだろうか。

映画をみてから家にもどるとちゅう、
あまりにも平和そうな町のようすにおどろいた。
さっきまでみていた映画は、
日本とは、まるでちがう世界のはなしにおもえる。
でも、ほんとうは、カーリドがかかえるくるしみは、
わたしもけして無関係ではないはずだ。
現実社会では、難民を生みだすあらそいが各地でおき、
いまもたくさんのひとが、さきのみえない生活をおくっている。
根本的な解決策をかんがえると、とほうにくれるけど、
作品のなかで、まずしいひとたちが
たすけあって生きていくさまは、
わたしにも希望をあたえてくれた。

posted by カルピス at 21:47 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月30日

「刑事ジョン・ブック 目撃者」納屋でのダンスが印象にのこる

「刑事ジョン・ブック 目撃者」
(ピーター=ウィアー:監督・1985年・アメリカ)

(以下ネタバレあり)
アーミッシュの少年が殺人現場を目撃する。
刑事のジョン=ブック(ハリソン=フォード)が
少年の記憶を手がかりに、捜査にのりだす。
やがて少年が犯人としめした写真は現職の警官だった。

上司に報告したジョン=ブックは、
その直後に犯人にまちぶせされ、銃撃をうける。
あろうことか、ジョンブックが報告した上司もまた
犯行にかかわっていた。

警察をたよれなくなったジョン=ブックは、
銃撃によりケガをしながらも、
少年とその母親(ケリー=マクギリス)を彼らの村におくりとどける。
彼らはアーミッシュで、ふるくからのくらしをまもってくらしていた。

わたしがはじめてこの作品をみたとき、
映画の筋よりも、アーミッシュのくらしを
はじめてしっておどろいた。
黒い服をきて、自動車や電話をつかわず、
暴力を否定して、銃ももたない。
家をたてるときも、村にすむアーミッシュが全員あつまって、
共同で仕事をすすめる。

もうひとつ印象にのこっているのは、
映画史にのこるであろうチャーミングな場面だ。
ジョン=ブックがこわれた車をなおそうと、
ランプのあかりをたよりに部品をいじっている。
いっしょにいるのは、犯罪を目撃した少年の母親で、
彼女の看病のおかげでジョン=ブックは命をとりとめた。
車のエンジンはかからないものの、ラジオがとつぜんきこえはじめる。
サム=クックの「ワンダフル・ワールド」だった。
「この曲は最高だ!」と、ジョン=ブックは、女性をダンスにさそう。
うすぐらい納屋のなか、コールマンのランプにてらされながら、
たのしそうにおどるふたり。
しょぼいポンコツ車が、かぼそくテールランプをひからせ、
納屋のわらにつつまれて、気もちよさそうにうずくまっている。
おとぎばなしをみているみたいだ。
この車は、ジョン=ブックが村をたちさるときにも
ヨタヨタとはしっていい味をだしている。
アーミッシュの村にぴったりの車だった。

犯罪にかかわわったわるい警官たちは、
ジョン=ブックとアーミッシュたちの手によって
さいごにやっつけられて めでたしめでたし。
まったく、権力を乱用できる汚職警官ほど
たちのわるい悪役はいない。
とりとめのないおもいでばなしになったけど、
こまかなストーリーよりも、アーミッシュの存在が、
作品全体の雰囲気を決定的にした。
ハリソン=フォードがわかく、
ケリー=マクギリスがうつくしい。
アーミッシュのくらしとともに、
サム=クックの「ワンダフル・ワールド」をときどきおもいだす。

posted by カルピス at 09:28 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月07日

演出家の高畑勲さんが亡くなった

演出家の高畑勲さんが亡くなった。
高畑さんといえば、「アルプスの少女ハイジ」の
とろけるチーズが有名だ。
40年まえの日本では、ナチュラルチーズがまだ一般的でなく、
お店でかったプロセスチーズをいくらあぶっても、
おじいさんがつくってくれた おいしそうなパンとチーズにならない。
どこまでもアジアである日本と、おしゃれなヨーロッパとの、
根本的なちがいを意識させられる事件だった。
わたしがいちばんすきなのは、
ハイジがフランクフルトからかえってきて、
おじいさんと感動の再会をはたす場面だ。
家のまえにたつおじいさんにむかい、
ハイジは坂のしたからかけあがり、
何メートルもの大ジャンプをきめて胸にとびこむ。

高畑さんといえば、すぐれた演出とともに、
製作日数をいくらでものばしてしまうことでしられている。
もちろん、作品の質をたかめるのは大切なこととはいえ、
公開日をまもるのもまた、製作者にもとめられる基本的な条件だ。
それなのに高畑さんは、はじめて演出を担当した
「太陽の王子ホルスの大冒険」からすでに、
製作が3年以上と、予定をおおはばにこえている。
「かぐや姫の物語」にいたっては、最終的に、
8年もの歳月と、50億円の制作費がついやされた。
ジブリが「かぐや姫の物語」以降、
長編作品をつくらなくなったのは、もしかしたら、
「かぐや姫の物語」でお金をつかいはたしたせいではないか。
作品のためなら会社をつぶしてしまう
恐怖の人間が高畑勲さんなのだ。
「ホルス」の製作にあたる高畑さんに、
映画公開の期限をまもるようもとめた東映動画の経営陣は、
なにかと悪者あつかいされるけど、
会社として当然の要求だったにすぎない。
平気で予算と期日を無視してしまう、高畑さんのほうが
よっぽどとんでもないひとだった。
それでも、作品がすぐれていたら、かかりすぎた制作費と製作日数を、
必要なリスクとして第三者はとらえたがる。
わたしだったら、高畑さんに演出はたのまない。
予定どおりの公開は、ぜったい間にあわないのがわかっているから。

有名な「ハイジ」「火垂るの墓」のほかにも、
「となりの山田くん」「平成狸合戦ぽんぽこ」では、
高畑さんでなければ表現できなかった世界をみせてくれた。
恐怖の製作者であることをかんがえないようにすれば、
高畑さんはまちがいなく第一級の演出者である。

posted by カルピス at 21:07 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月25日

『HANA-BI』たけし、かっこいー! につきる作品

『HANA-BI』(北野たけし:監督・1998年・日本)

大杉蓮さんがなくなった。
録画してあった『HANA-BI』をみる。
たけしがかっこいい。
独特の表情・姿勢・あるき方、
たたずまいのすべてが絵になる。
ちょっとくずしたスーツのきこなし、ちいさなサングラス。
口のはしっこを うえにもちあげるわらい方。
なにをやってもさまになる。
これだけ存在感のある俳優は そういない。
たけし主演でなければ なりたたない作品だ。

説明がなく、ストーリーがわかりにくいのに、
映画がはじまると、つよいちからでひきこまれる。
警察署で尋問する場面をみて、
やっとこのひとたちは刑事だったのかと理解した。
ヤクザと警察って、服装や話し方をふくめ、
けっこうにたような性格のひとがおおいのでは。
銃にふなれな日本社会において、
たけしみたいにためらいなく銃をぶっぱなしたり
ハシやら石やらを即興の武器になぐりつけたら、
先制攻撃になれてない相手はたいへんだ。

全編にちりばめられた暴力シーンが残酷なのに、
全体として、とてもしずかな印象をのこす。
へんないいかただけど、こころがきよめられた気がする。
わたしがかかえている問題なんて
とるにたらないことばかりだ。

たけしと岸本加世子のしずかな関係がよかった。
たけしはひたすら妻にやさしい。
妻は、ほとんどしゃべらないけど、
夫がそばにいてくれることに感謝している。
わたしも、死ぬまえは、こんな関係を
配偶者ときずきたいとおもった。
彼女はめったに口をきかないので、
しずけさについては いまでも準備オッケーだ。
愛する妻とふたりで、さいごの時間をひっそりとすごす。
最高だ。

posted by カルピス at 20:24 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする