2021年01月03日

『ホワイトタイガー』わけがわからないけど、すごく魅力的

『ホワイトタイガー ナチス極秘戦車・宿命の砲火』
(カレン=シャフナザーロフ:監督・2012・ロシア)

ロシア映画『ホワイトタイガー』をみる。
「タイガー」は、もちろんドイツのタイガーI型戦車のことで、
ソビエトのT-34にのる戦車兵が主人公(ナイジョノフ)だ。
「ホワイトタイガー」という幽霊のような戦車の存在が
ソビエトだけでなく、ドイツ兵のあいだでもささやかれている。
いったいホワイトタイガーとは なにものなのか。
ナイジョノフは、戦車とはなしができる、といい、
彼がのる戦車は「ホワイトタイガー」に撃破され、
大ヤケドをおいながらも奇跡の回復をみせ、前線にもどってきた。
彼自身が幽霊のような存在にみえる。
ナイジョノフの頭にあるのは、
ホワイトタイガーをしとめることだけだ。
もう戦争がおわった、と上官が彼につげても、
「あいつをやきはらうまでは」と、
彼のなかでは戦争がおわっていない。

まえにみた『フューリー』は、
実存するタイガー戦車をつかっての撮影で、
タイガーとシャーマンのたたかいをリアルに再現していた。
この『ホワイトタイガー』も、タイガーのうごきがほんものっぽい。
車体のうしろに2つついているドラム缶みたいなマフラーから、
タイガーのうごきにあわせてしろい煙があがる。
T-34は群をなしてタイガーにたたかいをいどみながらも、
まったくいいところなく、つぎつぎに撃破されてしまう。
あんなにたくさんのT-34がでてくる作品は はじめてだ。
T-34は、タイガーがどこにかくれているのかつかめない。
ひくい車体のタイガーが みるからに不気味で、
ねらいうちされるT-34の恐怖がつたわってくる。
タイガーの乗組員はいちどもえがかれず、
まるでタイガー自身が意思をもった生物のようにみえてくる。
そこらじゅう泥沼になっている村にタイガーがかくれ、
ナイジョノフのT-34がしつこくおいまわす。
あんな地形では、戦車でなければうごけない。
ようやくタイガーをみつけ、しとめようと砲撃すると、
泥で砲身がつまっており、ラッパみたいに破裂してしまった。

さいごにヒトラーがでてきて、だれかにむかってかたっている。
みんなユダヤ人がきらいで、ソ連がこわくて、
その2つの問題を解決しようとした、とはなす。
ヨーロッパじゅうがのぞんだことなのだ、という。
ホワイトタイガーとは、いったいなにを象徴していたのだろう。
こんな作品をよくロシアがつくったものだ。

なんとも不思議な作品で、いちどみてもよくわからず、
もういちどみたけど、ますますわからない。
これはだれかの解説がほしい、とおもっていたところ、
飯森盛良さんによる 納得のいく記事をネットでみつけた。
https://www.thecinema.jp/article/89
わけがわからないけど、やたらと魅力的な『ホワイトタイガー』。
作品理解をたすけてくれるので、ぜひそちらもごらんください。

posted by カルピス at 10:16 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月15日

なんどみても胸があつくなる『フラガール』

『フラガール』
(李相日:監督・2006年・日本)

昭和40年の福島県いわき市が舞台。
石炭はもはや斜陽産業で、常磐炭鉱もまた
大規模な人員解雇がさけられない状況だった。
いきのこりをかけてハワイアンセンターが計画され、
フラダンスショーでおどるダンサーが募集された。

おどりはまったくしろうとの女性たちが、
東京からきた「先生」にハワイアンダンスをならい、
しだいにプロとしての自覚に目ざめていく。
ベタなはなしなのだけど、だれもが一生懸命に生きており、
その真剣さについ胸をあつくする。
ハワイアンセンターをつくろうとする会社側も、
それに反対し、炭鉱をつづけろと
会社にいかりをぶつける炭鉱夫たちも、
フラガールになることで、
なんとかいまの生活をかえたい少女たちも、
だれもがみんなただしい。
ただしいから本気であいてにいかりをぶつけ、
自分たち以外の意見はうけいれられない。

そこに、すこしずつ風穴をあけていくのがフラガールたちだ。
親が鉱山の事故で亡くなったときでさえ、
宣伝キャラバンでのおどりをつづけるさゆり(しずちゃん)。
母親の反対にめげず、家をとびだしても
ダンスの練習にうちこむきみこ(蒼井優)。
フラガールの衣装をつけ、妹たちにみせてやるえり。
それに激怒して、えりをなぐりつける炭鉱夫の父親。
顔がはれあがったえりをみて、いかりから男湯にとびこみ、
えりの父親になぐりかかる「先生」(松雪泰子)。

わかっているのに号泣してしまうのは、
ストーブでヤシの木をまもろうとする場面だ。
いわき市のさむさで、ヤシの木がかれそうになったとき、
ハワイアンセンターの職員たちは、
もと仲間である炭鉱夫たちに頭をさげ、
ストーブをあつめてくれないかとたのむ。
うらぎりもの、とののしられながらも、
たくさんのストーブであたためたら
なんとかなるかもしれないと、必死にくらいつく。
それをきいていたきみこの母親は、
それまで娘がフラガールになるのを かたくなにこばんできたのに、
彼らの真剣さにおれ、ストーブあつめに協力する。
やがてストーブをのせた何台ものリヤカーが、
ハワイアンセンターにあつまる。
ひろい場内につぎつぎとストーブがつけられると、
そのあかりが まるでホタルみたいにうつくしい。

方言のあつかいもうまかった。
しろうとにハワイアンダンスをおしえるのが、
いかに無謀かと「先生」が正論をまくしたてる。
はじめはひらあやまりだった岸部一徳が、
さいごには逆ギレして流暢な福島弁を「先生」にぶつける。
その「先生」も、宣伝キャラバンにでるころには、
自然に福島弁がくちをつくようになっている。

圧巻は、初日をむかえたハワイアンセンターで、
フラガールたちがおどる場面だ。
協力してくれたすべてのひとたちへの感謝の気もちをこめ、
みんな、とびきりのほほえみをうかべている。
きてくれたお客さんをこころから歓迎し、
たのしんでもらいたい気もちにあふれている。
ハワイアンには ほほえみがかかせない。
ほほえみがもつちからを、これだけかんじるダンスはない。
ラストは蒼井優がひとりでハワイアンを披露する。
まったくのしろうとだった彼女が、ショー全体をひとりでひきうけ、
こころをからっぽにしておどるうちに、不思議な静寂がおとずれる。
フラガールになりたくても、とちゅうで町をはなれた えりのぶんまで、
そして反対しながらも、初日に顔をみせてくれた母親のために、
プロのダンサーとして きみこはおどる。
ほほえみをうかべての すごみのあるダンスに 自然となみだがこぼれる。

posted by カルピス at 22:19 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月06日

古谷敏さんがかたる ウルトラマンのかなしみ

朝日新聞に「語る 人生の贈りもの」という連載がある。
ひとりの著名人をとりあげて、おさないころから現在までを
「語」ってもらう企画で、いまは古谷敏さんが、
ウルトラマンシリーズをふりかえっている。
古谷さんの肩書は「スーツアクター」で、ウルトラQにでてくる
ケムール星人のスーツをきたのがことのはじまりだという。
そのあとウルトラマン役をえんじて人気をあつめる。
ウルトラマンの必殺技、スペシウム光線のポーズを、
当時の子どもたちはみんなまねしたものだ。
両腕を交差させればいいというものではなく、
ウルトラマンらしいかまえは、
かんたんそうで、なかなかできない。
まえかがみになり、すこし猫背で、
うでだけでなく、からだ全体のバランスがたいせつとなる。
古谷さんは1日300回くりかえして、
このポーズをからだにおぼえさせたという。

古谷さんのはなしでとくに胸をうつのは、
ジャミラとたたかったときのはなしだ。
(「ジャミラは、もとは人間の宇宙飛行士で、
水のない惑星に不時着し、かわりはてた姿になってしまった。
救助にこなかった人類に復讐するため宇宙からやってきた」
という説明あり)。
 ウルトラマンはジャミラが苦手とする水を手から放射して退治したのですが、あの撮影はつらかった。「彼は宇宙開発の犠牲者。孤独なんだ。どうして殺さないといけないのだ」と思うと、スーツの中で涙があふれてきたのです。(古谷)

シリーズで挙げられた「正義」は絶対ではなかった。ウルトラマンはいつも悩みつつ、闘っていました。しかも地球で闘える時間は3分間。その「弱み」がドラマに深みを持たせました。(聞き手)

かんがえてみたら、怪獣がただおおきいから、
おそろしいかっこうをしているから、
ウルトラマンにやっつけられるのでは、理不尽なはなしだ。
ジャミラは宇宙開発の犠牲者だから、
とくにかわいそう、だったかもしれないけど、
ほかの怪獣にしたって、人間にいじわるしようと
地上にでてきたわけではあるまいに。
子どもたちは、絶対的な正義をふりかざす
単純なヒーローとしてではなく、
なやみつつたたかうウルトラマンにこそ
ふかい共感をよせたのだろう。
 そんなウルトラマンも宇宙恐竜ゼットンに倒されます。結局ゾフィーとともに光の国に帰っていったのですが、放送が終わった後、多くの子どもたちが泣きながら窓を開けて夜空を見上げたそうです。「ウルトラマンをやってよかった」と心から思いました。(古谷)

posted by カルピス at 21:45 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月04日

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』
(ケネス=ロナーガン:監督・2016年・アメリカ)

(ネタバレあり)
えらく くらいはじまりで、
それでもみつづけたいなにかをかんじる映像だ。
ボストンでアパートの管理をしているリーは、
兄がなくなったしらせをうけ、
ふるさとの町、マンチェスター・バイ・ザ・シーにもどる。
葬儀のあと、兄の遺言をききにリーが弁護士をたずねると、
兄のむすこであるパトリックの後見人に、
自分がえらばれている、とつげられる。
おもいがけない遺言で、リーは冷静にうけとめられない。
リーは、ふるさとの町にすめない、おもい過去をかかえており、
パトリックをボストンへつれていこうとする。
パトリックは、この町をはなれるのをいやがり、
リーがこの町にのこるようもとめる。

ふるさとの町ですごす映像にまじり、
リーの過去が断片的にあかされる。
妻と、むすめ3人とのくらし。自分の不注意からおきた火事。
火事はむすめ3人のいのちをうばい、妻も彼のもとをさる。
この、おもすぎる過去のできごと以来、リーはこころをとざす。
かたいほほえみをうかべるのがせいぜいで、笑顔はない。

圧巻は、リーがわかれた妻に 町でぐうぜんであった場面。
ふたりはことばをさがしながら、ぎこちなく挨拶をかわす。
いっしょにいた友だちが気をきかせ、その場をはなれると、
元妻は、わかれてからこれまでのつらさをかたりだした。
自分がどれだけくるしんだかをつたえながらも、
彼をひどくなじってきたとわび、リーへの理解をしめす。

あのとき心がこわれたの
ずっとこわれたまま
あなたの心もこわている

元妻が、「いっしょにランチは?」とリーをさそうけど、
リーはとてもうけいれられない。
「無理だ。でもいまのですくわれた」

そのあとリーはパブで酒をのみ、ささいなことでケンカをはじめる。
自分をめちゃくちゃにせずにはおれないリーのかなしみ。

けっきょく、リーはボストンへもどることをきめ、
パトリックの後見人を友人におねがいする。
パトリックは、「ここにすめば?」という。

そういうな
のりこえられない
つらすぎる

この町にすむのは、リーにとってつらすぎる選択だ。
ボストンへもどったリーは、またアパート管理の仕事にもどる。
つらすぎる体験は、いくら時間をかけても のりこえられない。
それでもリーは生きていかなければならない。

posted by カルピス at 20:46 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月29日

再放送で天声人語氏のこころをうばった「未来少年コナン」

きょうの天声人語は、コロナ下でのドラマの再放送や、
映画の再上映をとりあげていた。
意外だったのは、「コナン」の名がでてきたことで、
天声人語氏は、
「『未来少年コナン』に、約40年ぶりに心をうばわれた。」
そうだ。
天声人語にコナンがのったからといって、
ありがたがるわけではないけど、
いつもこむずかしいことがかかれているコラムに、
コナンがとりあげられると、ぐっと親近感がわく。
昔ほどは主人公に自分を重ねられなかったが、むしろコナンの育ての親の「おじい」に感情移入している自分に気づく。悪役で、科学都市の政治指導者レプカの気持ちも少し考えてみた。政治を担う身としては、人々を飢えさせるわけにはいかない。そんな責任感が暴走した面もあるのか・・・

レプカは太陽エネルギーを手にいれようと、
ラナをむりやりつれさって、いうことをきかせようとする。
そしてギガントをとばし、ハイハーバーを自分の領土にしたい。
でも、そうやって世界を征服してみたところで、
いったいどれだけのものが手にはいるだろう。
ハイハーバーを支配下においても、
レプカがえるのは小麦とわずかな家畜ぐらいだ。
どうかんがえても、ラオ博士に協力して、
平和利用のために太陽エネルギーをつかったほうがいい。
でもまあ、レプカとしたら、10歳ぐらいの子どもたちに
すきかってにあばれられ、自分の計画はスムーズにすすまず、
原子炉はもえつきようとしているし、
かつての部下が自分をうらぎってコナンの側についたりと、
さっぱりいいところがない。
大人の意地として、なんとしてもギガントをとばし、
溜飲をさげたかったのかもしれない。

わたしが感情移入してみたのはジムシーだ。
自分がコナンになれないのは はっきりしてしまった。
かといって、ダイスほどいいかげんにはいきられない。
まわりがどんどん成長していくなかで、
はじめからおわりまで、ジムシーはずっとジムシーのままだった。
コナンだけだったら、まじめすぎるなはなしだったところを、
ジムシーがうまくいきをぬいてくれたので すくいとなっている。
テラというパートナーもできたし、いろいろなことがあっても、
さいごはけっきょくうまくいくという、いいお手本だ。

posted by カルピス at 22:17 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする