2020年10月15日

バットマン『ダークナイト』3部作をみる

バットマンの『ダークナイト』をみて、よくわからないなりに感心し、
クリストファー=ノーランが監督したほかの2つ、
『バットマン ビギンズ』と
『ダークナイト・ライジング』をつづけてみる。
ざっと説明すると、『バットマン・ビギンズ』は、
バットマンが誕生するまでのものがたりで、
『ダークナイト・ライジング』は
『ダークナイト』のその後がえがかれている。
『バットマン ビギンズ』をみると、
こういうふうにバットマンが生まれたのかと理解をたすけてくれた。
制作されたのが2006年とすこしまえのせいか、
スーツやマントがあんがいちゃちで、しょぼいところに好感がもてる。
ブルース=ウェインもそれなりにわかく、
げんきいっぱいにうごきまわるバットマンにリアリティがあった。

ジョーカーがあばれまくる『ダークナイト』のその後をえがいた
『ダークナイト・ライジング』には、ちょっとついていきにくい。
『ダークナイト』から8年後、という設定だから、
もうわかくはないブルース=ウェインのはずなのに、
足のマヒを克服したり、幽閉されていた外国の牢屋から
超人的なちからで脱出したりと、自由自在にちからをふるまう。
キャットウーマンのアン=ハサウェイは、
すばらしいプロポーションを披露してくれるけど、
バットマンがもっているバイク(バットポッド)にのると
お尻をつきださなければならず、くるしそうだ。
そもそも、ストーリーがわたしには複雑すぎた。
3作品をたてつずけにみたせいで、頭のなかがごちゃごちゃになり、
だれがどんな役がらなのかを整理しきれなかった。
これをかくためにウィキペディアをひらき、
ストーリーをよんでもまだモヤモヤは はれない。
バットマンはベインを追い詰めるもベインの人質となっていたミランダに脇腹を刺され窮地に陥る。彼女の正体は、ラーズ・アル・グールの遺児タリア・アル・グールで、影の同盟の現首謀者であった。(ウィキペディアより)

ミランダの存在をわすれていたころに、
そんなことをきゅうにいわれても、こまる。
けっきょくわたしにとっての「バットマン」は、
なんだかんだといろいろなことがおこるけど、
さいごは不死身のバットマンがたすけてくれるので大丈夫、
という おおざっぱな理解にとどまりそうだ。

posted by カルピス at 21:58 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月27日

『ダークナイト』ジョーカー的な悪をゆるしたくない

『ダークナイト』
(クリストファー=ノーラン:監督・2008年・アメリカ)

『ダークナイト』をみる。
いわゆるバッドマンもので、なんていうと、
わたしがバッドマンにくわしそうだけど、
『ダークナイト』は、はじめてみるバッドマン作品だ
(『ジョーカー』をのぞく)。
バッドマン、ジョーカー、それにゴッサムシティはよく耳にする。
でも、耳にするだけで、なんのことかはわかってない。
せんじつ『ジョーカー』をみた。
興味をひかれながらも、よくわからない。
『ダークナイト』をさきにみてから『ジョーカー』にすればよかった。

『ダークナイト』をみていて不思議におもったのは、
アメリカ人は「バッドマン」における正義と悪をしりながら、
なんでドナルド=トランプ氏みたいなひとを
大統領にえらんでしまうのだろう。
『ダークナイト』でのジョーカーを、
現実にやっているのがトランプ大統領ではないのか。
アメリカじゅう、世界じゅうが、ゴッサムシティになってしまうぞ。

2隻のフェリーが避難したひとたちをのせ、岸をはなれた。
いっぽうには一般人が、もういっぽうには囚人たちがのっている。
どちらの船にも爆弾がしかけられており、
乗組員に起爆装置がわたされている。
さきに相手の船をしずめたほうがいきのびられるぞ、と
ジョーカーがそそのかす。
一般人がのった船では、もう一隻にのっているのは囚人なのだから、
こちらがさきにスイッチをおそう、という意見が主流となる。
囚人たちがのったフェリーは、乗組員が起爆装置をまもっている。
爆発が予告された時間になっても、
どちらのフェリーも爆発はしなかった。
両方のフェリーにのっているひとたち(囚人も)は、
自分たちだけが生きのびようとはしなかった。
人間のよわさにつけこもうとするジョーカーがやぶれた場面だ。

もうひとつ不思議だったのは、検事のハービー=デントが、
たとえ恋人がころされたにせよ、いかりにわれをわすれ、
凶悪な復習犯になってしまうところ。
ジョーカーが彼のこころをじょうずにあやつった、
というみかたもできるけど、
それにしても、マフィアを撲滅するためにつくしてきたデントが、
恋人をまもれなかったと市警のゴードンに罪をなすりつけ、
彼の家族をころそうとするのはひどい。
バッドマンは、デントの罪をぜんぶかぶり、
警察と市民からおわれる立場になる。

ひとのこころのよわい部分につけこむジョーカーのいやらしさが、
はじめからおわりまでわたしの感情をゆすりつづけた。
こうなったら、ほかのバッドマン作品もみるしかないな。

posted by カルピス at 22:03 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月24日

映画『イエスタデイ』ビートルズの曲がない世界は、こんなにも退屈

『イエスタデイ』(ダニー=ボイル:監督・2019年・イギリス)

ネタバレあり。

ジャックはうれないシンガーソングライターで、
ちいさな会場でうたいながら、ヒットをねらってきた。
でも、いつまでたっても彼のうたは評価されない。
自分の才能のなさに みきりをつけたジャックは、
もう歌手をやめると友だちや家族に宣言する。
そんなときに、世界じゅうが12秒のあいだ停電し、
ジャックはバスとの事故にまきこまれる。
世界がふたたびあかりをとりもどすと、
ジョンのまわりで いくつかの存在がすっぽりぬけていた。
コカ=コーラ、ハリー=ポッター、シガレットのない世界。
そしてビートルズも。
ひとびとの記憶からきえた、というよりも、
ビートルズのいないパラレルワールドにジョンは はいりこんだ。

ジョンがビートルズの曲をうたうと、
それまではしょぼいシンガソングライターだったのに、
すぐにきくもののこころをとらえる。
ビートルズの曲なのだから、人気がでてあたりまえで、
ジョンはあっという間に世界的な歌手になっていく。

ある日、黄色の潜水艦のおもちゃにメッセージをたくし、
ふたりの男女がジャックにあいたいとたずねてきた。
このふたりは、ジャックとおなじように、
ビートルズがいた世界をしっていた。
ふたりは、ジャックを告発するためにたずねてきたのではない。
ビートルズの存在をとりもどしてくれたと感謝しにきたのだ。
ビートルズがいない世界、彼らの曲をきけない世界は、
どんなに退屈かをえがいたのがこの作品だ。
ビートルズの曲なしで わたしたちの生活はなりたつだろうか。
もちろん、ごはんをたべて、仕事をして、家にかえってねるぶんには、
ビートルズの曲はさほど必要ない。
でも、さみしいとき、うれしいとき、かなしいとき、
なにかにつけ、あたりまえにきこえてくるのがビートルズの曲だ。
「Let It Be」・「In My Life」・「Help!」。
わたしはさほど熱心なファンではないけれど、
それでもビートルズの曲がない世界は退屈、というのはよくわかる。

うまかったのが、エド=シーラン。
ジャックの歌をいちばんはやく評価して、世界へとつなげた。
ジャックのつきびととなるロッキーも いい味をだしている。
調子がよくて、いいかげんで、スケベそうな下品な目つき。
でも、悪質な腹ぐろさはなく、
はなしがややこしくなるのを おもしろがっているだけだ。
主人公のジャックも、いかにもさえないわかものぶりがリアルだ。
あのままうたいつづけても、ヒット曲はうまれそうにないのがわかる。
ビートルズの曲をうたって人気がでても、
ファッションや髪型はもとのままだ。
ラストでは、自分がうたってきたのは
ビートルズというグループの曲であることをステージであかし、
すべての権利をなげだして、愛するエリーへ告白する。
ビートルズがいない世界では、有名にならなかった
ジョン=レノンがころされず生きている。
愛するもののために生きるよう、
ジョン=レノンはジャックにアドバイスしてくれた。
そのおしえにそって、ジャックはエリーとの
ささやかで平凡な人生をえらんだ。
あたたかなものに こころがみたされていく作品だ。

posted by カルピス at 22:29 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月20日

とにかくかっこいい『キングスマン』

『キングスマン』
(マシュー=ヴォーン:監督・2014年・イギリス)

しりあいがおしえてくれた作品。
「スパイ映画?」ときくと、
「んー、でもとにかくかっこいい」という。
たしかに、スパイ映画とはいえないけど、
「とにかくかっこいい」のはたしかだ。

キングスマンとは、どこの国にもぞくさない諜報機関であり、
紳士の国、イギリスはロンドンに本拠地がある。
「キングスマン」は、なんにんかいるようで、
そのだれもがスーツをきめている。紳士なのだ。
冒頭で、「マナーが人間をつくる」というセリフがでてきた。
階級で人間の質がきまるのではないとキングスマンはいう。
他人より優れていることは気高さではない。真の気高さとは以前の自分自身よりも優れていることだ。

紳士であることがキングスマンだ。
紳士だからかっこいいのだ。

悪の秘密結社、といっても、
鷹の爪団よりもはるかに規模がおおきな組織
(トップのバレンタイン役はサミュエル=L=ジャクソン)が、
世界征服をたくらんでおり、その計画を阻止しようとするのが
キングスマンの使命だ。
下品な悪役をやらせると、サミュエル=L=ジャクソンはうまい。

父親が元キングスマンだったエグジーは、
キングスマンになるための候補生にえらばれ
6人のメンバーといっしょに訓練をつむ。
ものがたりは、訓練のようすと並行して、
キングスマンとバレンタインたちのたたかいがえがかれる。

バレンタインの組織は、世界じゅうに無料のSIMカードをくばる。
そのスマホをつかうひとは、バレンタインから合図をおくられると、
まわりの人間をころそうと、凶暴化してしまう 。
また、えらばれたエリートたちの首にチップをうめこみ、
おもいどおりにあやつれる状態にしている。
バレンタインは、人口がふえすぎたのが
いろいろな問題の根源にあるとかんがえており、
ひとの数をへらすのが彼の計画の最終目的だ。

人間を凶暴化させるという手段に問題があるとしても、
ひとの数がふえすぎた、といのはわたしもまったく同感で、
おおすぎる人口をなんとかしなければ、
あらゆる問題の解決はむつかしいのではないか。
水も食料も燃料も、70億人、
そしてこれからさらにふえつづける人口を、
まかなうだけの量はない。
世界をすくうには、ふえすぎた人口を
なんとかしなければ、というのはほんとうだ。

キングスマンたちのはたらきで、
なんとかバレンタインたちの計画はふせがれた。
といっても、チップを首すじにうめこまれたひとたちは、
チップが爆発する信号をおくられて、
つぎつぎと頭がふっとんでいく。
本来なら残虐なシーンとなるわけだけど、
ポップな音楽をバックにながし、まるでうちあげ花火大会だ。
めでたしめでたしの、はなやかなおまつりとなる。

エンディングがはじまり、あーおもしろかった、と、
いったん席をはなれたら、まだつづきをやっていた。
オープニングにちかいシーンで、キングスマンのひとりが
かっこよくチンピラをたたきのめす場面があり、
それがさいごにまた再現されていた。
えんじるのは、もちろんキングスマンとなったエグジーで、
セリフまでいっしょだ。「一日中たってるつもりか?」。
マシュー監督はチャーミングに映画をつくるコツをしっている。
わたしのこのみにピッタリで、さいごまでたのしませてくれた。
改良したこうもり傘を武器にたたかうとか、
靴には毒をぬったナイフがかくされており、
ライターは手榴弾とか、スパイグッズが満載でわらえる。
ここらへんはジョニー=イングリッシュとかわりがない。
007とジョニー=イングリッシュとキングスマンと。
3者を頂点とした正三角形が、イギリスでかたちづくられた。

posted by カルピス at 22:22 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月03日

映画『リンカーン』はだれもがすごく大声ではなす

映画『リンカーン』をみていたら、
あの時代のひとたちが、すごく大声なのにおどろいた。
リンカーンだけは、ボソボソとしゃべっているけど、
ここぞというときには、よくとおる声をだしている。
政治家たちによる 党内でのはなしあいや、
上院だか下院だかの議会では、とりわけ大声だ。
マイクはまだ発明されていないので、
大声をださなければ、だれもきいてくれないのだから、
だれもが大声になる。
声のおおきなひとが、はなしの内容よりも、
その迫力において まわりを圧倒する。
その発言にたいし、反対意見をのべるひとは、
なにか気のきいたセリフでいいかえすのだけど、
そのひとにしたって すごくおおきな声だ。
おおきな声をだせないわたしなんかは、
とても生きのこれない。
はなしあう場面がおおい作品であり、
内容はいまひとつあたまにはいらないけど、
登場人物の大声だけは印象にのこる。

新型コロナウイルスの感染をおさえようと、
再開したJリーグでは、大声をあげての応援がみとめられていない。
いいプレーにたいしては、拍手がおくられており、
これはこれで、ひとつの応援スタイルとしてなれてきた。
サポーターの声援がないため、選手どうしの声や、
チームスタッフからの指示まできこえるのだから、
テレビをみている側としては、いまのほうがいいくらいだ。
プレーする選手たちは、サポーターのあつい声援がほしいだろうけど、
観戦のしかたについては、「新しい生活様式」もわるくないとおもう。

スタジアムにおける大声がなぜいけないのかというと、
飛沫感染の可能性がたかまるからという。
大声ではなすひとのちかくにいると、
たしかにツバがとんでくることもあるので、
大声がよくないのは はっきりしている。
ざっくりいってしまうと、新型コロナウイルスがひろがったのは、
いずれも大声ではなす国と、極論することもできる。
日本人とくらべ外国には、大声でおしゃべりするひとがおおい。
ながい時間 おしゃべりに熱中すれば、感染がひろがるのもわかる。

大声がいいかわるいかなんて、かんたにはきめられないけど、
新型コロナウイルスにより、大声がさけられるようになったのは
大声が苦手なわたしにとって、ありがたいながれだ。

posted by カルピス at 22:35 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする