「五輪が盗むスポーツ」がのった。
女子サッカーの岩渕真奈選手のカナダ戦やチリ戦でのプレーは、これまでとは別次元でチームのために無私となっていて、私はとても胸をうたれた。でもその姿は、強権的独裁的に五輪を開催してよかったのだという正当化に利用されてしまうのだ。そして、観客やファンと選手が分断される。
「正当化に利用されてしまう」が問題の本質だ。
選手に五輪の運営批判は期待できない。
選手たちは、自分の競技でがんばるしかなく、
がんばればがんばるだけ、その気もちを利用されてしまう。
きょうはサッカー男子U-24、日本対メキシコによる
3位決定戦がおこなわれた。
どちらのチームにとっても、中2日の6連戦。
選手たちはさすがにつかれており、
日本は前半そうそうにPKを献上し、その後も
前半22分にフリーキックをきめられる。
連戦のつかれにより、集中がきれてしまったのではないか。
後半13分には、コーナーキックから3点目をきめられている。
いずれもフリーキックによる失点で、
三苫が1点をかえしたものの、1−3の結果におわり、
銅メダルにはいたらなかった。
日本は、メキシコの倍以上のシュート(22本)をはなちながらも、
決定機にきめきれなかった。
試合後に久保が号泣したのは、決勝トーナメントにはいってから、
1点もとれなかった ふがいなさがあるようにおもう。
おしいチャンスはいくつもあった。
3点をリードされ、せめるしかない日本は、
リスクをかくごのうえで まえがかりになってゴールをねらう。
しかし、試合終了間際にいくつも決定機をつくりながらも、
得点は三苫の1ゴールだけにおわる。
あのシュートがきまっていたら、と、
何本ものタラレバシュートがもしきまっていたら・・・。
この試合でも、審判の笛はメキシコ有利にふかれ、
とくにPKをあたえた場面では、
VARのチェックさえおこなわれなかった。
日本選手たちのプレーは、みるもののこころにせまった。
ただ、だからといって、新型コロナウイルスがひろがるなか、
オリンピックをひらいた 関係機関のあやまりが きえるわけではない。
さいごにもういちど星野智幸さんの記事から引用する。
あくまでも競技の中で意思表示するしかない選手たちに、五輪という舞台作りを根本から批判することは難しいだろう。結局は排除されるだけだから。
でも、私が願うのは、現役中に難しいのであれば、せめて引退してから、スポーツファンにこんな苦しい思いをさせる五輪のあり方を変えるよう、努めてほしいということ。多大な犠牲と不公正の上で成り立っている五輪に参加した選手たちには、それを変える責任があると思う。