先日のメキシコ戦のように、相手が変化したとき、
日本代表は対応できない、と指摘している。
さいきんはじまったことではなく、
W杯でまけた試合のおおくが、相手の変化で
ひっくりかえされたものだという。
森保一監督もそれを承知しているようで、就任以来「対応力」と言い続けているが、2019年アジアカップ決勝ではカタールの変則ビルドアップに戸惑い、前半に2失点して流れを持っていかれている。そしてメキシコ戦でも、変化に対応できず敗れたわけだ。
森保監督はどうやら、「対応力」は選手が身に着けるものだと考えているようだ。(中略)
決められた任務を遂行するのは得意だけれども、それで物事が上手くいかない時に変更ができない。おそらく根本的には、サッカーでは解決できない気もする。(中略)
社会環境の違いがメンタルの違いに結びついていると仮定すると、これはもうサッカーの手には負えないと思う。選手に「対応力」を期待するのは無理筋ではないかと。
だとすれば、「対応力」を発揮すべきなのは監督やスタッフのはずである。
想定外を減らすべく、あらかじめ「引き出し」を用意すること。それでも想定外が出たら、選手に任せずベンチが対策を指示すること。正解かどうか分からなくても、それを決めなくてはいけないのは、むしろベンチだ。選手が解決してくれてもいいが、日本代表の場合、あまりそれは期待しないほうがいい。
「社会環境の違いがメンタルの違いに結びついていると仮定すると、
これはもうサッカーの手には負えない」
ピッチにたつ選手たちに、変化への対応は期待できないとあきらめ、
それをやるのはベンチの仕事、といってしまうのだからかなり過激だ。
西部さん流の、わりきったかんがえ方がわたしはすきだけど、
高校生レベルではなく、日本代表でさえそうだというのは、
残念なはなしでもある。
ふつうだと、選手が自分たちで対応するには、
どんなとりくみが必要か、という問題意識にたち、
そのためのトレーニングを工夫しようとする。
自己主張しない日本人の特性を改善しようと、
選手たちがかんがえるサッカーにとりくんでいるのが
元日本代表監督の岡田さんで、
ひとつのトレーニング体系として「岡田メソッド」をまとめ、
FC今治での指導にいかしている。
オシムさんだって、選手たちがかんがえてプレーできるよう、
いろいろとトレーニングを工夫していたわけで、
それをはなからあきらめ、ベンチに対応をもとめるのだから
身もフタもないところが西部さんらしい。
もっとも、西部さんにしても、
すべてがベンチの仕事、といっているわけではなく、
あらかじめ「引き出し」を用意したうえで、
それでも想定外となったときの対応をベンチがするべき、
というかんがえ方だ。
でも、ほんとうに日本人には無理なのだろうか。
すぐれた指導者たちによる、
自分たちで相手の変化に対応するための
さまざまなこころみに期待したい。
主体的におこなわれなければ、サッカーといいたくないから。