2019年04月05日

保存のしやすさが エバーノートのつよみ

すこしまえの記事で、佐々木正悟さんが
エバーノートの特徴についてふれている。
https://cyblog.jp/36304
佐々木さんはエバーノートの
「『単なるメモ』がどうもうまく使えない」
という弱点をみとめつつ、
「けっきょくEvernoteにあった」といえる
保存のしやすさがエバーノートのつよみだという。

(Evernoteは)ある種のメモがインボックスの滞留しがちになるのです。これを記事では「着想メモ」と呼んでいます。
着想メモこそ大事だ!という人は知的生産界に多くいるでしょうし、それはそうでしょう。
一方で、着想メモって何なの?という人もけっこういるはずで、そういう人はEvernoteを地道に使うとよいと思うのですが、そういう人はそもそもこの種のことに興味がなかったりもします。

「着想メモって何なの?という人もけっこういるはず」
「そういう人はそもそもこの種のことに興味がなかったりもします」
がなんどよんでもおかしい。

といって、ひとをわらえるほど、
わたしが着想メモを効果的にいかしているわけではない。
メモは、着想をいかしたいからつけているので、
おもいついたとき、できるだけこまめにのこしている。
でも、そのメモをどうつかっているかというと、
ときどきブログのネタにするぐらいで、
おおきなアイデアへそだてるわけではない。
それでいて、いつまでも「着想メモこそ大事だ!」
とはおもっているのだから、学習しないというか、こりない。
いいかげん、Scrapboxをいかしていけばいいのに、
あいかわらず、エバーノートにためこんだままだ。
そして、ときどき検索にかけ、
うもれた記事をうかびあがらせる。
やってることは「着想メモって何なの?」
のひととおなじだけど、
「この種のことに興味がな」いわけではない。
メモをふくめ、なんでもためこむのが、
エバーノートのただしい いかし方だとひらきなおる。

posted by カルピス at 21:05 | Comment(0) | 仕事術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月23日

『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』(倉下忠憲・星海社新書)

『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』
(倉下忠憲・星海社新書)
https://www.amazon.co.jp/dp/4065151562/
タスク管理なら、わたしには関係ないかな、と
スルーしてたけど、
すこしまえのブログに倉下さんが
「『今日はこれをするぞ!』は結構ダメパターン」
とかかれていて、これが まさしくわたしのことだった。
https://rashita.net/blog/?p=27026

・今日って、いつですか
・これって、なんですか
・「ぞ!」の決意がけっこうやっかい

いわれてみれば もっともな指摘で、
それなら本書はわたしに関係あるかも、という気になった。
仕事に「やること地獄」はかんじないけど、
部屋のかたづけや、本のよみ方などに
タスク管理がいかせるかも。
本書がわたしの背中をおしてくれたらありがたい。

「やること地獄〜」をよみはじめると、
とてもよみやすい文章なのに すぐに気づく。
章だてが親切で、内容もきれいに整理されている。
リズムがここちよく、スラスラとさきへすすみたくなる。
過不足のないことばえらびに、
シンプルでありながらオリジナルな文章。
たくさんの本をだされている倉下さんに
こんないい方は失礼だけど、完成度のたかさが印象にのこる。
本書は、全編にこまやかな配慮がいきとどいており、
安心して倉下さんの「神の手」に身をまかせる。

この本は、できないことを前提にしてかかれている。
人間は、不完全・不合理な存在で、間違いをおかすことはさけられない

そんなわたしたちが、どうタスク管理にとりくんでいくか。

タスク管理について、ひととおり説明したあとで、
 
ここまでくれば準備は万端。(中略)あとは実践あるのみなので、何か好きなノウハウを選んで実行してみてください、と言いたいところなのですが、そう言って終わらせることはできません。なぜなら、その「実践」が難しいからです。

倉下さんは、フツーのひとが
どれだけ腰がおもいのかを、よくわかっている。
フツーのひとがおちいりやすいワナにたいして、
ちゃんと処方箋が用意されている。

できない自分はダメなやつ、ではなく、
できるほうが不思議なわけで、
そんななか、うまくいった例があれば、
なぜうまくいったのか、
どうしたら再現できるのかをかんがえる
「ブライト・スポット」の手法が示唆にとむ。
たいした決心もなしに、
わたしはなぜブログをつづけられているのか。
コーヒーを、あっさりやめられたのはなぜか。
ひとは、あんがい決心なんてものとは
関係ないところでうごいているのかもしれない。

第8章は
「よくある失敗とそこからのリカバリー」にあてられている。
たとえば
・毎回の作業を「キリの良いところ」ではなく、
 「キリの悪いところ」で終わらせてしまう
・「第2章を執筆する」ではなく
 「第2章の執筆を1時間進める」に項目を書き換える
など、いかにも効果がありそうな「頓服」だ。

本書の実践として、いちばん簡単そうな
「5分ダッシュ方」をためしてみる。
タイマーで5分はかり、5分だけにかぎって
部屋のかたづけをする。
たった5分なので、心理的なハードルはひくいし、
いったんからだをうごかすと、
5分でもかなりのかたづけがすすむ。
まだ2日しか「ダッシュ」していないのに、
おどろくほど部屋がきれいになった。
つぎの日のかたづけが、たのしみになってきた。

第9章の「人生の舵を取るタスク管理」は
本書のまとめとなっている。
「自分のやること」を決めるためには、「何が自分のやることなのか」を決めなければなりません。それはつまり、「自分の役割」を定めるということです。そしてそれは、必然的に「自分とは何か」を決定づける要素にもなります。

ほんとに、「やること」って、いったいなんだろう。
「やること」がわかれば 自分もわかる。
 しかし、「別に前に進まなくてもいいんだ」という選択肢はいつでもキープしておきたいところです。なにせ「前」だと思っていたものが、まったく前ではなかった、ということがありうるのです。

「不完全・不合理」なわたしは、
そういってもらえると、すごく気がらくになる。

posted by カルピス at 10:27 | Comment(1) | 仕事術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月17日

『Scrapbox 情報整理術』(倉下忠憲)

『Scrapbox 情報整理術』(倉下忠憲・C&R研究所)

税べつ2130円と、なかなかの値段だけど、
これまでとはちがう情報整理をおしえてくれそうだ。
なんとかものにしたい。
倉下さんの本により、わたしはエバーノートをつかうようになった。
Scrapboxでも、わたしの手だすけをしてくれますように。

いちど、さらっとよんでみる。
おもしろそうだ。
でも、おもしろそうなのは わかっている。
おもしろそうだから(すこしたかくても)かったわけで、
このまま「おもしろそうだ」ではすまない。
こういう本は、じっさいに、
つかってみなければわからないものだ。
これまでにかいてきたブログの記事が、
関連づけられたら ずいぶん便利そうなので、
まずブログをコピペして、ページをつくっていく。
ブラケットとハッシュタグでどんどんリンクをはる。

とりあえず、30の記事を「ページ」にしてみた。
それなりに関連づけられ、おもしろさがすこしわかる。
でも、ブログの整理もわるくないけど、
scrapBoxは、文章をかきながら、アイデアを得るのが
本来のつかい方であり、
ブログにリンクをはるだけでは、
生理的な快感まではたどりつかない。
Scrapboxならではのだいご味も、まだかんじない。
それに、たった30の記事をscrapBoxにもってくるだけで
30分以上かかり、めんどくさくなってきた。
シコシコとブログの整理をつづけるエネルギーを、
このままではたもてない気がする。
ジャンルをしぼって記事をひっこしするのが 現実的かもしれない。

Scrapboxを紹介するサイトに、なにもかくことがなければ、
日記でもいいよ、みたいなことがかいてあった。
ためしに日記のブロジェクトもつくり、きょうの日記をつける。
これまで日記は、データーベースソフトの
ファイルメーカープロをつかってきた。
ただ、OSをHight Sierraにあげたら うごかなくなったので、
日記だけはOS10.8.6のiMacをつかってかいている。
あたらしくファイルメーカープロをかうと、4万円ちかくかかるので、
こまったなーとおもっていた。
日記にリンクをはるおもしろさだけでなく、
ファイルメーカーにたよらない日記帳として
Scrapboxをつかえたらうれしい。

この記事も、Scrapboxでかいてみた。
じっさいに手をうごかしてみると、ぼんやりながら
Scrapboxの特徴がみえてくる。
エバーノートも、はじめは「なんとなく」というよりも
「なんちゃって」なつかい方だった。
そのうち自分なりのつきあい方がつかめてくるだろう。
本書をかった元をとるためにも(しつこい!)、
なんとかしがみつきながら、これからもつかいつづけたい。

posted by カルピス at 21:32 | Comment(0) | 仕事術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月31日

映画館ではA6サイズのメモ帳がおすすめです

アイデアがうかんだら すぐにメモするように、といわれるけど、
たとえばはしったりおよいだりしているときには これができない。
なにかひとつのテーマをかかえ、それを煮つめながらはしるときはいいけど、
ふいに頭にうかんできたときのアイデアをどうするか。

それが、うまくしたもので、
そういうときのアイデアは あんがい頭のなかにのこるようだ。
はしりながらなにかアイデアがうかんだとき、
ちょっとそれをいじくりまわしていたら 記憶に固定される。
たとえ1時間後でも、メモ帳にむかえばすぐにかきこめる。
はしるのは、認知症の予防にもいいそうだから、
記憶はジョギングとの相性がいいのかもしれない。

と、はしったあと安心してメモにむかったら、
なにをかこうとしたのかわすれていたという
ウソみたいな体験をこのまえした。
「ダメじゃん、おれ」、とおもわず自分でつっこむ。
さいわいすこしかんがえたらおもいだせたけど、
「わすれたらこまる」という緊張感がなければ、
いくらジョギングといえども記憶からこぼれてしまう。
このときは、関連のない3つのことが はしりながら頭にうかんでいた。
2つまではなんとかなっても、3つ目は わたしの脳に負担がおおきすぎるみたいだ。

意外とこまるのが映画館で、
いいセリフやなにか気づいたことをメモしようとしても、
まっくらな場内ではむつかしい。
メモ帳としてつかっているロディア(12番)は、
ちいさすぎて くらいところでは役にたたなかった。
A4のノートだと、こんどはおおきすぎてあつかいにくいし、
ガサゴソへんなうごきをして、まわりの迷惑にもなりやすい。
また、紙面がひろいからといってたくさんかくと、
まえにどこまでかいたかわからなくなって、うわがきしたりする。
京大型のB6でもまだおおきい。
けっきょくわたしにはA6サイズがちょうどいいとわかった。
おおきなリングでとめてあるメモ帳がみつかり、便利につかっている。
かきこむごとに どんどんページをめくれれば、1件1項目の原則がまもれる。

もうひとつやっかいなのはお風呂にはいっているときだ。
わたしはたいてい本をもちこんで半身浴をしてるので、
なにかおもいついたときは、
その本の裏や表にある白紙のところをつかうようになった。
いぜんはなんとか線はひけても、
本に関係ないことなんて とてもかけなかったのに、
このごろはそういった抵抗がなくなった。
古本屋さんにうれなくなるけど、
お風呂にいるあいだモンモンとするよりもましだと おもうようにしている。

まえに『サザエさん』をみていたとき、本をまたいだカツオを サザエさんがしかっていた
(そういうサザエさんは、波平さんをまたいでカツオのもとにつめよっていた、というのがオチ)。
いまのわかいひとは、本をまたいだらいけないなんて感覚がわかるだろうか。
きたないかきこみをしながら、ときどき『サザエさん』のはなしをおもいだす。

posted by カルピス at 10:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月31日

アナログ時代の成果をこえられないクラウド時代の知的生産

「シゴタノ!」の佐々木正悟さんが
エバーノートによる日記にふれるなかで、
梅棹忠夫さんの「京大式カード」がでてくる。
http://cyblog.jp/modules/weblogs/15169

「梅棹さんがEvernoteのことを知ったら
『なんてぜいたくな!』と思うことでしょう。
しかし『京大式カード』でたいへんな苦労をしつつ
『記憶検索システム』によって作り上げられたほどの成果を、
私がEvernoteから得られているとはとうてい思えません。
個人的にはいやな話なのですが、
苦労を経ないで得たシステムにふれていると、
ありがたみを十分実感する以前の段階までしか、
なかなか行き着けないようなのです」

これは、まさしくわたしが仕事術関係の記事をよむときに
かんじていることだ。
タスク管理など、さまざまな工夫をこらしながら、
いったいそのひとは全体としてどんな成果をあげているのか。
梅棹さんや川喜田さんみたいに、
壮大な仕事をまとめるのが仕事術の役割であり、
どんな仕事をしたのかこそが大切なはずだ。

自分のいたらなさのはなしでもある。
ネットとつねにつながり、クラウドツールをつかえる環境にあるわたしが、
ではその機能をどれだけ知的生産にいかせているか。
便利さにひたるだけで、
アナログ時代とたいしてちがわないことをしているにすぎない。

梅棹さんは、個人の知的生産をたかめる技術を、
川喜田さんはグループの衆知をあつめる方法をおしえてくれた。
それらはだれでもつかえる技術ではあるけれど、
それらをつかってどんな成果をあげるのかは
それぞれの利用者にかかっている。
ある段階までは、それでいける。
そして、天才たちはそのさきへ
技術とはちがうはしごをつかってのぼっていくのだ。
仕事の成果をきめるさいごの一歩は、
けっきょくのところひじょうに感覚的なもので、
アナログやデジタルということは本質と関係がない。

せっかく梅棹さんが大衆レベルまでおりてきて、
わたしたちにしめしてくれた知的生産の技術を、
ネット時代になったからといって画期的にたかめられないのは、
さいごの一線をこえるのが、技術ではなく感覚の問題だからだ。
ただ、これでは凡人は天才になれないという、
身もフタもないはなしになってしまう。
一般大衆による知的生産の技術に梅棹さんは期待したのであり、
だれもがさいごの一線をこえる必要はない。
個人としては画期的な変化がなくても、
全体としての知的生産の蓄積は、
いぜんとはくらべものにならないレベルにたっしているはずだ。
一人ひとの知的生産についても、
どんな成果をあげたいのかについて目的をはっきりさせれば、
クラウド時代の恩恵をいかせるのではないか。

佐々木さんのいわれる
「苦労を経ないで得たシステムにふれていると、
ありがたみを十分実感する以前の段階までしか、
なかなか行き着けない」
は、ほんとうにそのとおりだとおもう。
便利さをもとめるだけでは成果がでない。
なにができるか、ではなく、なにをしたいか、
そして、なにをしたかがとわれる。

posted by カルピス at 10:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする