2013年10月28日

エバーノートをプレミアムに

気になる新聞記事をきりとって、
台紙にはるところまではマメにやるのに、
そのさきのスキャンができずにずいぶんためこんでしまった。
スキャンがめんどくさいというのと、
きりぬきをぜんぶエバーノートにおくりこむと、
1ヶ月の上限である60MBにすぐたっしてしまうということから、
中途半端なつかい方になっていた。
最近やっとエバーノートをプレミアム登録にして、
上限を気にせずつかえるようになった。

スキャンのめんどくささは、スキャナーを机の下にしまわないで、
いつもパソコンにつなぐということで解決できた。
1.机にのせて
2.パソコンつなぐ
という、わずかな手間だけど、
それがあるとないとでは、わたしのうごきがまるでちがう。
スキャンにむかう心理的なバリアがなくなり、
あき時間にサッと手がうごくようになった。

上限を気にせずつかえる気らくさが、
プレミアムにしてみるとよくわかった。
あつかえるデーター量が17倍にもなり、
OCR機能により、テキストデータも検索してくれる。
年4000円なのだから、もっとはやくプレミアムにすればよかった。

もっとも、わたしは新聞のきりぬきや、
ほかにもPDF書類をおおくあつかうから
1月に60MBではすぐにたりなくなったけど、
webクリックやテキストでメモをとるぐらいだったら、
無料アカウントでもじゅうぶんなひとがおおいだろう。
朝日新聞は、web版もだしているので、
新聞をきりとるなんてことをせずに
デジタルデータをとりこめばいいようなものだけど、
とちゅうでサービスがかわり、
エバーノートであつかえなくなるとこまるので、
あいかわらず記事をきりとって、スキャンしている。
朝日新聞にweb版をエバーノートにとりこむことについてたずねたら、
「ずっと保障されるものではありません」と
いじわるないい方をされたので、信用しないことにしたのだ。

エバーノートをつかいはじめてから2年半ほどになり、
1700のノートがたまった。
わたしはいまだにタグをうまくいかせることができず、
分類もいいかげんなので、ノートブックをわけている意味があまりなく、
ただためこんだだけ、という状況だ。
それでもすべての情報がここにはいっている、
という安心感はありがたく、
あるフォルダーをひらいてみると、
おもいがけないファイルや、
みおぼえのないファイルがはいっていたりして、
自分がためこんだノートとは、とてもおもえない。

これまでのノートをみてみると、
資料としてとっておいたものよりも、
自分でメモしたデーターのほうをよくつかうことがわかる。
おなじノートとはいえ、資料とアイデアでは
つかい方がちがっていて当然なわけで、
資料をくみあわせながらアイデアをだす、という
つかい方をもっとふかめていきたい。
デジタルになりながら、わたしの頭にあるのは
いぜんとして京大カード的なつかい方だ。

posted by カルピス at 23:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月07日

「まちがって」いそうだけど、キンドルの読書術について、紙の本をもとめる

よみはじめた『グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた』
になじめなかったので、
まえからよもうとおもっていた
角田光代の『空中庭園』にとりかかることにする。
創作上のターニングポイントとなった作品と、
著者がかたっていたので気になっていた本だ。

で、『空中庭園』をとりだそうとすると、
なんまいかの付箋がすでにはってある。
ん?となって付箋のある箇所をよんでみると、
ぼんやりと記憶がよみがえってきた。
たしかにこれはすでによんでいる本だ。
そのとなりにも、タイトルにみおぼえがないのに、
やはり付箋がはってある本があり、
その『薄闇シルエット』をめくってみると、
おなじようにもうよみおえている本だった。
ねるまえに酒をのみながらよんでいたので、
そのときはたのしんでいても、
あまり記憶にのこらなかったらしい。
本の内容について、ブログにかいてないところをみると、
「よんだ」という手ごたえがあまりなかったのかもしれない。

とはいえ付箋をはるぐらいだから、
よんでいるときはそれなりに感心していたはずで、
それなのに記憶がすっかりぬけているとは、
いったいわたしの読書はなんなのだと
自分のことながらあきれてしまった。
いくらわたしの読書は消費的と
ひらきなおっているとはいえ、
つい2,3ヶ月まえによんだ本さえおぼえていないのは度がすぎる。

といいながら、きょうは4冊の本をアマゾンで注文した。

『常識を疑うことから始めよう』
『スウェーデン式アイデア・ブック』
『Amazon Kindle クリエイティブ読書術』
『ストレスフリーで効率アップ!
EVERNOTEを便利に使う48の技』

いずれも「シゴタノ!」に紹介されていたもので、
わたしが仕事術関係の本にもとめる情報は

・なんとかあたらしいアイデアをえたい、
・できるだけなめらかに情報をあつかいたい、

という2点についてのものがおおくなっている。
意欲だけは評価したいところだ。

それにしても、キンドルで本をよもうという人間が、
キンドルでの読書術について
紙の本をもとめるのはなんだか本末転倒のような気もする。
メールが普及しだしたころは、メールをおくっておいて、
「つきましたか?」と確認の電話をいれる
慎重なアナログ人間が多発したことをおもいだした。
紙の本をめくりつつキンドルの設定にとりかかる姿は
かなり「まちがって」いそうだ。
ほんとうは、そのまえにまともな記憶力を優先すべきみたいだけど、
そっちに目をむけるとかなしいことばかりになりそうなので、
『空中庭園』の件は「なかったこと」にする。

posted by カルピス at 22:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月07日

「かてない場所でたたかわない」よわみをつよみにかえるかんがえ方

「シゴタノ!」で大橋悦夫さんが
「戦う場所を間違えると
戦わずして負けることになる」
という文をよせている。

『小さな会社・儲けのルール』という本に、
ある女性が「偏差値40以下の中学生」をターゲットに
家庭教師をはじめた事例が紹介されているそうだ。
ほとんどの学習塾が「できる子」・
「有名な学校をめざす子」ばかりを相手にしているなかで、
「偏差値40以下の中学生」と対象をしぼりこみ
他社との競合をじょうずにさけている。

きょねんうけたwebサイトの研修でも
おなじかんがえ方で戦略をねっていった。
そうしたときに、ただ頭をひねっているだけで
かんたんにいいアイデアがわいてくるわけではない。
大切なこととして大橋さんがあげているのは
「自分のことが分かっている」ことだ。
自分の特徴をよくしり、
「弱みが強みに変わるための条件を見つけ」ることで
自分のつよみをいかせるすきまを
突破口とすることができる。

この女性は短大卒という学歴だったので、
「基礎から親切に教えてくれそう、
苦労しているから弱い人の気持ちが分かる」
というイメージにうったえることで
よわみだった学歴をつよみにかえている。

自分のつよみはなにか、ということは
だれもがあんがい気づきにくいけれど、
よわみはコンプレックスでもあるので
すぐにあげられる。
でも、それをまさかつよみにかえることができるとはおもわなかった。

「努力は大切ですが、『血のにじむような努力までしなくても
結果が出せる場所』を選ばないと、
血みどろになったうえに惨敗する、
という残念な結果になります」

「大した努力をしなくても勝てる場所で、努力をしなさい」

こういうかんがえ方がわたしはだいすきで、
そういわれると、なんだかそこらじゅうに
ビジネスチャンスがころがっているようにおもえてくる。
たとえば島根県は過疎の村・町がおおいという
よわみは財産でもあるわけだし、
あんまり仕事がすきではないというわたしは、
そんな人間にもできる生き方を発信すれば
それもある種の貴重な情報だ。
そういえば、このまえよんだ
『弱くても勝てます』の開成高校野球部は
まさに「よわみをつよみに」というかんがえ方で勝負していた。
「大した努力をしなくても勝てる場所」でわたしも努力したい。

posted by カルピス at 20:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月11日

シゴタノ!で「やらない」ことをきめることと、自然農法との類似

大橋 悦夫さんが「シゴタノ!」で
「今年『やらない』ことを決めるための12の問い」をかいておられる。
あたらしくなにかをはじめたくても、
そのための時間は、なにかをやめなくては確保できない。
時間はかぎられており、
おおくのひとがいまの段階でさえ、
すでにギリギリのスケジュールでうごいている。

それでは、どうやって「やらない」ことをきめるか。
おもしろかったのが、いちばんやってはいけないのが

「『何をやらないようにすればいいかなぁ〜?』と漠然と考え始める
です」

とある。
いかにもわたしがやりそうなことで、さきにクギをさされてしまった。
大橋さんが紹介している「12の問い」には

1.今年はどの構想・プロジェクト・活動をやらないことにしますか?
2.今年はどの指標をチェック対象外にしますか?
3.今年はどんな顧客を相手にしないことにしますか?
4.今年はどんな人とつきあわないことにしますか?
など12のリストがあり、
それぞれにたしかに「やめてもいいなー」とおもわせる
要素をふくんでいる。

「なにかをやめる」のはひきざんのかんがえ方だ。
このごろはひきざんよりもたしざん思考でと、
できていないことをマイナスにとらえるのではなく、
いいところをたしていくかんがえ方のほうに人気がある。
しかし、「やらない」ことをきめる場合は
ひきざんでないとうまくいなかい。
あれをやめてもいいんじゃないか、
これもやめれるのではないかと、
これまでやっていたことをどんどんけずっていく。

不耕起栽培でコメと麦をつくる
福岡正信さんの自然農法は、まさにこれだ。
たがやさなくてもコメがつくれるのではないか、
肥料や薬もいらないのではないか、
田うえをしなくても苗はそだつのではないかと、
稲作にくっついているいろんな仕事について、
ほんとうに必要かどうかをうたがい、
それらをできるかぎり「やらない」農法を確立した。
人間がすべてをコントロールできるというかんがえが
そもそもおこがましいのであり、
ほっておけばすべては自然がちゃんとそだててくれる、
という哲学が根本にある。
必要なものはなにもない。すべては無だ、という境地だ。
手をかければ自然はそれにこたえてくれる、というのではなく、
できるかぎにひとはなにもしない。
手間をおしむな、とよくいうけど、
それをもういちどひっくりかえして、
手間をおしむことをおそれるな、というのだから
わたしのようななまけものにはありがたい。

福岡さんの農法では、秋にイネの穂を田んぼにまくだけで、
あとは収穫までなにもしない。
田うえもないし、腰をかがめての草とりも、
農薬散布もなしだ。
それだけきくとすごく簡単そうだけど、
水の管理や、病気がでたときの判断など、
だれにでもできるやり方ではなかったため、
ひろく普及するまでにいたらなかった。

仕事術においても、達人がとる究極のやり方は
きっとできるかぎり「やらない」という方向の先にあるのだろう。
秋にパラパラっと発想の種をまいて、しかるべきときがきたら収穫する。
そのあいだの時間は思考をねかせ、熟成させるための期間となる。
手間をかければうまくいく、なんて
勤勉をありがたがる時代のひとつのクセにすぎないかもしれない。
手間をかけないほうがうまくいく、のほうが
地球全体をかんがえたときにも将来性がありそうだ。
なにもしないことを延々とかんがえることこそ
真に人間らしい行為のような気がして、わたしはすきだ。

posted by カルピス at 21:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月26日

「自然と行動に制限がかかる」場所でスイッチをいれる

「ノマドのためのタスク管理の技術」のなかで佐々木正美さんが

「『自然と行動に制限のかかる環境』は贅沢な環境」

とかいている。
どういうことかというと、
自分の書斎などは、なんでもできる環境なので
かえって特定の仕事にむかいにくい。
カフェにいくと原稿がかきやすいのは、
カフェでは自分のすきなことばかりをするわけにはいかず、
結果として原稿にむかいやすい環境となる、というものだ。

「自然と行動に制限がかかる」というのが大事で、
たとえば刑務所にはいれば行動に制限がかかるが、
不自然な制限はストレスとなる。
リラックスして仕事にむかえるというと、
いちばん手ごろなのがカフェ、ということになるのだろう。

ひとは、なんでもできるところではなにもできない、という
やっかいな傾向をもつ。
最近は、カフェでさえ「なんでもできる空間」になってきているので、
たとえばパソコンをネットにつながない、とかいう
自分なりの制限をかけて環境をととのえる必要がある。

佐々木さんは「ロボットのスイッチが入る」といういい方もしている。
自分の意思をはなれ、まるでロボットが仕事をしてくれるようなとらえ方で、
そうやって自分を機械にしてしまったほうが
自動的にスイッチをいれるためには好都合なのだろう。
Aという仕事のスイッチをいれるにはスタバへ、
Bの仕事にはマクドと、仕事によっていれるスイッチがちがうので、
むかう場所もちがってくる。
いろんなスイッチがはいってしまう場所よりも
たとえば執筆ロボットのスイッチだけがはいるためには
スタバへ、というつかい方だ。

作家のなかには、仕事場として自宅ではない場所を
執筆にあてるひとがいるのも、
執筆ロボットのスイッチがはいりやすくするためであるし、
いわゆる「カンヅメ」は「自然と行動に制限のかかる環境」を
さらに強制的に実現させたものだ
(宿泊先にともだちをよんであそぶような猛者もいたそうだけど)。

わたしの生活は「ノマド」的ではないため、
自分の部屋か職場の机だけで仕事にむかうことになる。
そこでスイッチをいれざるをえないので、
場所によって効率をたかめるわけにはいかない。
「行動に自然と制限のかかる環境」がほしいのは、
ちょっとかたい本をよむときだ。
すこしまえに新聞で萱野稔人さんがとりあげられていたので、
図書館で萱野さんの本を3冊かりてきた。
でも、家でこの本にむかうと、
ついもっとかるい本に手をのばしてしまう。
何時から何時まで、と時間をきめてマクドにでもこもれば、
なんとかかたい本むけのスイッチがはいるのではないか。
さいわいわたしはまだスマホをもっておらず、
本だけに集中するしかないので。

トレーニングジムも、ごくあたりまえに
「行動に自然と制限のかかる環境」となっている。
ジムにいけばトレーニングをするしかないので、
だれでもそこにいけばからだをうごかせる。
いちばんのハードルは「そこにいく」ということだろう。
つかれていてもお腹がすいていても、
とにかくいけばスイッチがはいって、トレーニングができる。
いかなければ、できない。

発達障害のひとには部屋にいろいろな機能をもたせないことが
常識となっている。
ひとつの場所で仕事をして、食事もして、休憩もそこ、となると、
いったいこの部屋はなにをするところなのかがわかりにくく、
混乱をまねきやすい。
機能をしぼることを物理的構造化とよび、
この場所は勉強をするところ、というふうに、
場所と活動を1対1でマッチングさせる。
これも「行動に自然と制限のかかる環境」に
なんだか関係がありそうだ。

自由は不自由、ということもよくいわれる。
ある程度の制約がないと、ひとはうごきにくい。
このややこしい性質は、いったいいつ獲得されたのだろう。
200万年前のわたしたちの祖先は、
「自然と行動に制限のかかる環境」なんてもとめなくても、
あるものでなんとかするしかなかったはずだ。
けっきょくややこしくなったのは
物質にめぐまれるようになってからのことで、
ものさえまわりになければ
よけいなことに気がちることもない。
断捨離がもてはやされるのも
こうした意味では理解できる。
仕事におうじてスイッチをいれるためには
場所をきりかえるのがいちばんてっとりばやい。
わたしのすむ町にもようやくスタバができるそうで、
かたい本にとりくむときの場所として利用してみたい。

posted by カルピス at 06:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする