2021年07月06日

冗談みたいにつよい風のなかをはしると、イベントに参加したみたいな爽快感

つよい風のなか、宍道湖岸をレース仲間とはしる。
コースをかえようと、つれが提案するほどすごい風だ。
でも、このコースは風がデフォルトみたいなもので、
風がふくたびに いちいちコースをかえていたら
いつもべつのコースになってしまう。
これまでの経験から、すこしぐらい風がふいていたって、
はしってみればなんとかなるとわかっている。
それに、町のなかをはしった場合、
つよい風がふいていると、なにかがとんできて、
頭にあたったりしたら、大ケガするかもしれない。
宍道湖岸なら、自分のからだが風と勝負するだけだ。
なにかがとんでくる心配はすくない。

けっきょくいつものコースをはしる。
結果的にはたのしいランになったけど、
これまでに1位か2位くらいのつよい風だった。
むかい風のときは、なかなかすすめないし、
おい風のときは、ヨットになったみたいに、
からだじゅうが風をうけて 自然とかけあしになる。
はしりおわると、筋トレのあとみたいなつかれがやってきた。
ゆっくり足をうごかしている場合ではないので、
しぜんとからだじゅうの筋肉をつかったようだ。
あるレベル以上の負荷をからだにかけると、
いつもとはちがう爽快感がおとずれる。
なにかのイベントをやりおえたときみたいだ。
ふたりともハイ状態で、なんだかやたらとたのしかった。

練習がマンネリ化したときは、きょうみたいな、
冗談としかおもえない過酷な状況にあえて身をおくと、
新鮮な気分でトレーニングにとりくめるのに気づいた。
いつもだと、ゆっくりだらだらが基本だとうそぶいて、
自分のからだにあまえているけど、
そんなことをしていたらまえにすすめないので、
どうしても自然にがんばってしまう。
つよい風が適度な刺激となって 非日常をあじわえた。

低気圧が停滞しているために、これからの数日は、
雨と風がつづくと天気予報がいっていた。
雨と風にためらっていたら、練習がはかどらない。
冬の雨とちがい、ぬれたってからだがひえたりはしないので、
よほどのことがなければ、覚悟をきめてはしろうとおもっている。
はりれば、それなりに満足感があじわえる。
はしって後悔したことはない。

posted by カルピス at 21:12 | Comment(1) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月25日

競泳用水着をかいかえる

スポーツ用品の店「デポ」で水着をかう。
わたしは中学生のころから水泳部に所属し、
もうレースにでることはないけど、
いまでも週にいちどはプールにかよっている。
きわめてゆっくりしかおよげないとはいえ、
それでも水着をえらぶときは、競泳用しか選択肢にない。
問題はデザインで、お店でうっているのは、
ひざうえまであるようなタイプがおおい。
わたしの美意識では、できるだけみじかい形がのぞましいけど、
サイズ・デザイン、そして値段が条件にあうものはすくない。

わたしがえらんだのは、スピードのMサイズで、税こみ3200円。
30%割引でもこの値段だから、水着はたかい。
割引がなければ、4620円もする。
たかいから、数年にいちどしかかいかえない。
「丈夫で長持ち」とあり、塩素につよいとタグにかいてある。
そのとおりに、丈夫でながもちしてくれないとこまる。
わたしがあたらしい水着をかうのは4年にいちどくらいだ。
お金もちが車をかいかえるのと、わたしの水着とは、
おなじような意識と頻度かもしれない。
わかいころは、練習用と大会用で水着をわけ、
シーズンに数枚のパンツをかっていたのに。
ちなみに、プール用の帽子だって数年にいちどのかいものだ。
やぶれても、つくろって、半年ほどつかっていた。
やぶれた帽子をぬってまでつかうスイマーは、
いまの時代、そういないのではないか。
あたらしい水着をはくと、気分がかわるせいか、
いつもよりはやくおよげた。よくのびる生地がつかってあり、
これまではいていた水着より、からだがひきしまったようにかんじる。

ジョギング用の短パンもさがしたけど、いいものがない。
やたらにながいものしかなく、値段も5000円くらいする。
わたしがほしいのは、女子高生が体育ではいてるような
いわゆるショートパンツなのに、お店にあるのは
ハーフパンツくらいのながさのものばかりだ。
家にかえってから、1500円くらいのものをネットで注文する。
トレーニング用品をかうのは、ファッションの問題ではなく、
医療と健康づくりという意味あいがつよくなってきた。

posted by カルピス at 21:23 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月06日

赤川次郎氏の投稿「五輪中止 それしか道はない」に賛成する

ネットや新聞をみると、東京五輪について、
正面から中止をもとめる記事はすくない。
煮えきらない態度でぶつぶつ陰口をたたく、
はっきりしない「批判」がほとんどではないか。
そんななかで、小説家の赤川次郎さんが朝日新聞の投稿欄に
「五輪中止 それしか道はない」
というタイトルで記事をよせている。
今、私たちが求めているのは、そんな(これまであたりまえだった)「日常」が戻った世界であるはずだ。
 しかし今、日本はそれに逆行する「とんでもない国」になろうとしている。新型コロナの感染拡大が続く緊急事態宣言下で五輪パラリンピックを開催?他の国のことなら「何てひどい国だ!」と呆れるだろう。(中略)一日も早く、五輪中止を決断するしか道はない。(中略)経済は取り戻せても、人の命は取り戻せないのだ。
 医療も報道も、それぞれ良識と良心にかけて、五輪開催に反対の声を上げるときである。

内容は、あたりまえのことが
あたりまえにかいてあるにすぎない。
それなのに、ほかにこうした意思表示をするひとが
あまりいないのはなぜなのか。
赤川氏のように影響力のあるひとが、
正面から五輪反対をうちだした勇気に
あつい拍手をおくりたい。

きのうは、サッカーU-24の対ガーナ戦がおこなわれ、
6−0で日本代表が快勝している。
出場した選手は、自分をアピールしようと
全力でプレーし、それぞれにいいところをみせている。
実況では、五輪開催についてはふれられないし、
そのあとの「Jリーグタイム」(NHK-BS)でも、
ガーナ戦のダイジェストは紹介されるものの、
選手選考がたのしみです、どまりで、
五輪がおこなわれるかどうかの話題はいっさいでない。

社説で大会中止をもとめた朝日新聞でも、
スポーツ欄は五輪代表をきめる大会の結果や、
五輪をめざす選手をとりあげたりしている。
会社として反対という姿勢が、紙面にあらわれていない。
赤川さんが投稿でよびかけた
医療も報道も、それぞれ良識と良心にかけて、五輪開催に反対の声を上げるときである。

におおくの機関・ひとが反応することをねがっている。

posted by カルピス at 21:44 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月02日

かさねて東京五輪に反対する

きょうの朝日新聞は、「論理学者・高橋昌一郎さんに聞く」として
『「論理』見失った先のコロナ禍五輪」という記事を
文化面にのせている。
政府が論理を見失っていく兆候は、コロナ禍以前からあった。国会の答弁では、「ご飯論法」などと呼ばれているような、意図的に論点をずらす奇妙な習慣が生まれた。質問に正面から答えず、とにかく時間を稼ぐ。誰も責任を取ることなく、謝りもしない。国会の質疑応答全体が、もはやコントのようにさえ見える。

政府と、五輪をすすめたい勢力は、
うやむやのまま のらりくらりと時間をかせぎ、
緊急事態宣言も、国民のため、というより
五輪をひらきやすいように期間をさだめ、
具体的な説明なしに開催へむけておしきろうとしている。
きのうは、オーストラリアの選手団(ソフトボール)が
来日して合宿にはいったというニュースがながれた。
こうやって、なしくずし的に既成事実をかさね、
政府はリスクに目をつぶり、ひたすら開催をめざす。

わたしはこれまでなんどか五輪反対の立場で記事をかいてきた。
わたしの意見など、アブクのようなものだけど、高橋氏がいう
何かが「論理的でない」と思ったら、ネットで記事にコメントするなり、自分で文章を書くなり、とにかく発信するべきだ。能動的に発信しようとするとき、ひとは極めて論理的になりうる。

に背中をおされ、きょうもまた五輪反対の意思表示をしたい。
いまの状況で五輪をひらくのはリスクがたかく、
大会後に感染が急拡大する危険性を否定できない。
そんななかで、なぜ五輪をひらかなければならないのか、
わたしはどうしても納得できない。

きょうは、政府に説明をもとめたという尾長氏の発言が
ネット(毎日新聞)にのっていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/177fad574a19ec1d2e5e174c884c8e272507ba9f?tokyo2020
政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は2日の衆院厚生労働委員会に出席し、東京オリンピック開催について、「今の状況で普通は(開催は)ないが、やるということなら、開催規模をできるだけ小さくし、管理体制をできるだけ強化するのが主催する人の義務だ」と主張。その上で、「こういう状況の中でいったい何のためにやるのか目的が明らかになっていない」と述べ、開催する場合は感染予防に向けた政府による丁寧な説明が必要だとの認識を示した。  尾身氏は「感染リスクを最小化することはオーガナイザー(開催者)の責任。人々の協力を得られるかが非常に重要な観点だ」と指摘。その上で「なぜやるのかが明確になって初めて市民はそれならこの特別な状況を乗り越えよう、協力しようという気になる。国がはっきりとしたビジョンと理由を述べることが重要だ」と五輪開催に向け、菅義偉首相による説明を求めた。

しごくもっともな意見なのに、菅首相は理解できる説明なしで、
どうしても五輪をひらきたいようだ。
なんだかんだと時間かせぎをしているうちに、
政府のねらいどおり、開催まであと1か月半となった。
こんなやり方がまかりとおる国なんて、なさけない。

posted by カルピス at 21:12 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月12日

「東京五輪に反対しないアスリート」(西部謙司)に共感する

サッカーライターの西部謙司さんが、
「東京五輪に反対しないアスリート」というタイトルで、
日本のトップアスリートたちが
オリンピック開催に反対しない不思議をとりあげている。
https://www.sponichi.co.jp/soccer/yomimono/column/nishibe/
プレミアリーグではキックオフ前に人種差別に抗議して片膝をつくポーズを全選手がとっている。CLでも行われていて、人種差別という社会問題に対してアスリートたちは明確な意思表示をしているのだ。

西部さんが指摘するように、日本のアスリートたちは、
自分の意見をはっきり口にしない。
こんかいだけでなく、自分のかんがえをのべることへの
ためらいや遠慮がある。
ずいぶんまえに、モスクワオリンピックを
日本政府がボイコットするときめたとき、
選手たちは、賛成とか反対ではなく、
残念だという気もちをあらわすのが精一杯だった。
柔道の山下選手が、なみだをながしながら、
くやしがっていた記者会見をおぼえている。
それをみて、山下選手に共感するよりも、
自分たちを被害者のようにいう
トップアスリートをなさけなくかんじた。
スポーツと政治をいっしょにしないでほしい、
という うったえをよくきくけど、
スポーツと政治がいっしょでないわけがない。
スポーツがおこなわれる状況には、
その国のありかたが そのままあらわれている。
もちろん政治もおおきな影響をおよぼすにきまっている。

東京五輪にむけた政府の態度でいやなのは、
だいじなことをはっきり説明せず、
うやむやに、のらりくらりと、開催にむけて
時間をかせいでいく ぬめぬめしたやり方だ。
こういう状況になったらやります、という説明はなく、
とにかく感染拡大をふせぎます、みたいな
あたりまえのことをくりかえすだけ。
ふつうにかんがえれば、オリンピックなど
できる状況ではないのに、あいまいなことばでごまかしながら、
中止にするとはぜったいにいわない。
いまの状態で五輪をとめるには、
底がぬけたレベルまで感染がひろがることだけど、
そんな状態をのぞむなんて もちろんまちがっている。
ウンコなげ競争の勝者は、ウンコをなげないこと、と
村上春樹さんがだれかのことばを紹介していた。
政府の茶番につきあわされるのが むなしくなってくる。

posted by カルピス at 21:36 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする