2022年02月09日

「濃厚接触者」というくくりでは対応できない

わたしの職場である介護事業所の利用者が、
コロナウィルス陰性の判定をうける。
わたしもはじめ濃厚接触者といわれたが、
保健所の判断では 濃厚接触にあたらない、
ということになり、自宅での待機はまぬがれた。
それでも関係する職員は全員PCR検査をうけ、
あすの結果がでるまで事業所は閉所となる。
おやすみは、先週につづき2どめであり、
計4日間のやすみは サービスうりあげとしてもいたい。

これまでの新型コロナウイルスより
はるかに感染力のつよいオミクロン株は、
島根県でも新規感染者数が高どまりしている。
まいにち100人ちかくの感染が発表され、
そうなると、濃厚接触者もとうぜんその数倍の数でてくる。
濃厚接触者とかかわったからといって、検査や自宅待機していては、
そのたびに事業所での活動をとりやめなければならない。
もう、濃厚接触者、というとらえ方、くくりでは、
コロナウィルス感染に、対応できない状況になっている。
インフルエンザでは、濃厚接触という概念がなく、
感染者だけが自宅待機の対象だ。
オミクロン株も、陽性反応がでた場合だけに対応をかぎり、
たとえ濃厚接触者であっても、それまでとおなじようにすごせるよう
社会的なとりあつかいをかえたほうがいい。

posted by カルピス at 20:29 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月08日

圧迫骨折で母が入院する

同居している90歳の母が、圧迫骨折で入院した。
まえから骨粗しょう症といわれ、月にいちど、
カルシウムの注射をしていたのに、骨折はふせげなかった。
からだにあわせたコルセットをつくってもらい、
ずっとそれをつけたまますごす。
さいわい3週間もしないうちに退院できたけど、
圧迫骨折をおこすまえはできていたこと、
洗濯や食器あらいはいまのところわたしがかわりにやっている。
こんなふうに、このさきだんだんと
できなくなることがふえていくのだろう。

わたしは死ぬまでなんでも自分でできるつもりでいるけど、
ふつうにかんがえて、そんなことはありえない。
どこかの段階で、がっくりちからをおとすか、
母のように じわじわとひとのたすけが必要になるのだろう。
ひとりぐらしのひとは、ヘルパーさんのお世話になればいい、
とかるくかんがえていたけど、ひとの手をかりても
いまとおなじ生活がたもてるわけではなさそうだ。
歳をとれば、ものごとのとらえかたを現実にあわせ修正し、
できることをありがたがってくらせるようになるだろうか。
そうとおくない将来、母は本格的に介護が必要となり、
食事や排泄もひとりではできなくなるだろう。
わたしの生活も、それにともなってかわらざるをえない。
親の介護とむきあう生活から、目をそらせなくなった。

posted by カルピス at 21:25 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月28日

グループホームの棟上にあわせて もちまき

来年度からはじめるグループホーム事業にむけて、
あたらしいたてものがすこしずつ姿をあらわしている。
きょうは棟上の日で、おいわいに おもちがまかれた。
おもちは、ぜんぶ自分たちで準備したものだ。
3日まえに、きねとうすで にぎやかにおもちつきをする。
つきたてのおもちはすぐにまるめられ、
半分のおもちのなかには お金もいれられている。
TyvIkqIClQ9IG8lOgDBiPioZZXUeAbRykatAMSElDKEuvfaClLd-ehAe9gTfWvooMHYv84EwtjSe9SUlw4WVPnar6J7YeCsDRoKRUtXRUxhI9nDF0iMa25fAcSuzqBI9R8sJEYNJ4d-Gr56Lt-aLsY6D0IxP2bRkOhB1ryqIIaheuc9yZr6hmA63bx_TbTDtO7dH.jpg
きゅうなよびかけだったにもかかわらず、
きょうは80人ものかたが、建築現場にきてくださった。
みなさんの気もちが、おめでとうでいっぱいなのがみてとれる。
もちなげの時間がちかづくと、えらばれた6名が
建設ちゅうのグループホームの2階にのぼる。
したでまちかまえるひとたちは、
ビニール袋を手に しずかな闘志をちらつかせている。
おもちとおかしの袋が、かけごえとともになげられと、
そのたびにおおきな歓声がわきおこる。
おもちやおかしは、いくらでもお店でかえるのに、
なぜかもちまきは、ひとの血をさわがす。
グループホームができあがっていくようすをみると、
あたしくはじまる生活をおもい、これからの夢がふくらんでいく。
あつまったみなさんは、とてもうれしそうな表情だった。
きょうはお天気にもめぐまれ、おおくの関係者が
おいわいしてくれる すてきなイベントとなった。

posted by カルピス at 21:09 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月18日

仮装してのボジョレー=ヌーボー配達

わたしの職場では、まいとし職員が仮装して
11月の第3木曜日、つまりボジョレーの解禁日に、
その年のボジョレー=ヌーボーをくばる。
わたしたちの事業所をご利用いただきありがとうございます、
という意味の純粋なプレゼントだけど、いまだにときどき
「いくらはらえばいいですか?」ときかれたりする。
くばる側の職員は、どんな仮装にするのか
まいとしなやまなければならず、なかなかたいへんな企画だ。
気らくに、まえむきにこの行事をとらえ、
たのしむ職員もいるけど、わたしにはかなりのプレッシャーだった。
いいアイデアをおもいつかないので、
ことしはできれば配達のペアからはずしてほしい、
と担当者にたのむと、あっさり了解された。
仮装して出発する職員をおくりだし、
るすばん(利用者と電話の応対)として事業所にのこる。
15105009851544.jpg
ことしは、2組のペアで寅さんがかぶっていた。
寅さんをめぐるなにか話題があったのだろうか。
芸能関係にうといわたしには、
いったいなんの仮装なのかわからないペアもある。
職員たちはいまやまいとしの仮装になれ、淡々と準備をすすめ、
淡々と利用者さんのおうちをたずねたようにみえる。
るすばんにまわったわたしは、とくに手もちぶたさでもなく、
第三者として仮装の企画をながめられたのは、いい体験だった。
なぜ仮装するのか、なぜボジョレーなのか、と
いくらかんがえてもこたえにはたどりつかない。
そんなもんだ、と世のなかをまるごとうけいれるのが
この行事とうまくつきあっていくコツなのがわかった。

posted by カルピス at 21:40 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月01日

「ぬか」のひとたちが大切にする「そのうち精神」

せんじつの記事にかいた介護事業所の「ぬか」では、
「なんでそんなんプロジェクト」のほかにも
たのしそうなとりくみをされている。
そのひとつが「そのうち精神」で、
一般的には あまりいい意味にとらえられていない「そのうち」だけど、
ほんとうは、とてもすぐれたことばだと 代表の中野さんはいわれる。

ふつう「そのうち」ということばは、
わかれるときにつかう なにげないあいさつにすぎない。
たとえば「そのうちごはんでも」とうのは、
ほとんど実行されることのない 害のないセリフだ。
いわれたほうが、その気になってまっていても、
おそらくずっとおさそいはかからない。
「そのうち」は、いいっぱなしですむ約束であり、
実行の義務がともなわない、便利なことばだ。

「ぬか」のひとたちは、そんな「そのうち」に
肯定的な意味をみいだしている。
いますぐにではなくても「そのうち」ほんとうにやろう、と
あまり信用されていない「そのうち」に、まえむきな意味をもたせた。
すぐにではなくても、「そのうち」やればいい。
わるいのは「そのうち」ということばではなく、
いいっぱなしにしてしまう、つかう側の人間だ。
気ながにかまえていれば、「そのうち」いい風がふいてくれるから、
それまで頭のすみにおいといて、あせらずにまつ。

せんじつよんだ小川さやかさんの『「その日暮らし」の人類学』にも、
状況がととのうまで わすれたかのように気ながにかまえる
タンザニアの露天商たちがでてくる。
商売をはじめるからとお金をせびので、いくらかわたしたけど、
いつまでたってもうごきだすようすがない。
けっきょく くちさきだけだったのか、と
小川さんが残念におもっていたら、
わすれたころに、あたらしくお店をはじめた。
小川さんの友人であるタンザニア人の露天商には、
お金をだましとるつもりはなかった。
ただ、ときがじゅくすのをまつ感覚が 日本人とちがうので、
日本人からすると、お金をせびるだけで、
けっきょくはたらかない、というみかたになってしまいがちだ。

口さきだけで「そのうち」というのではなく、
案としてずっとあたためておけば、
「そのうち」実行にうつすときがくる。
たいせつなのは、わすれないで、「そのうち」をまつことで、
まちさえすれば、「そのうち」いい風がふきはじめる。

posted by カルピス at 22:00 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする