2018年07月20日

木下藤吉郎的な発想による野菜販売

すこしまえのブログに、職場(介護事業所)の仕事として、
農家の野菜をあつめているとかいた。
7軒の農家をまわり、袋につめられた野菜を、
1袋85円でぜんぶかいとっている。
まだ野菜販売は はじまったばかりで、
農家の方も、どんな野菜を、どれだけの量いれたら、
お客さんに100円でかってもらえるかが まだよくわからない。
松やサカキをだす方もおられたけど、さっぱりうれなかった。
また、いまはじゃがいもとキュウリが
どこの家でもよくとれており、
膨大な数の袋がうれのこっている。
ぜんぶかいとります、をうりにしているので、
いまのところ、農家の方が用意してくれた野菜は
ぜんぶ85円でかいとっている。

うれるかどうかわからなくても、
とにかくぜんぶかいとるのは、
木下藤吉郎的な発想だとおもった。
秀吉が、まだ木下藤吉郎だったころ
(「仮面の忍者 赤影」のナレーションみたいだ)、
どこかの城をせめおとすとき、
作業にあたる足軽や農民たちに、まず酒や料理をふるまって
くつろぐことから とりくみをはじめている(うろおぼえ)。
がんばれ、がんばれと、やみくもに仕事をいそがせるのではなく、
まずリラックスしてもらい、ちからを温存し、
気もちもかるくなったところで
本来の仕事にとりかかってもらうのが、藤吉郎流だ。

こまかい条件をつきつけるのではなく、
野菜をぜんぶかいとります、といわれたら、
野菜をうりにだす農家の方たちは、やる気がでるだろう。
気もちよく野菜づくりにとりくんでもらったうえで、
すこしずつ事業所側の要望をつたえたら、
スムーズに野菜販売がすすむのではないか。

1袋に85円しはらうのは、しかも現金で毎回お金をわたすのは、
予想していたとはいえ、あんがいめんどくさい。
85円を1単位とすると、とうぜんながらこまかなおつりが必要となる。
85円の倍数で、比較的おだやかなのは、

85×1=85円
85×2=170円
85×3=255円
85×4=340円
85×5=425円
85×6=510円
85×7=595円
85×8=680円
85×9=765円
85×10=850円

6袋の510円ぐらいで、
あとはどんな数の袋を出荷されても、
しはらうには たくさんの小銭がいる。
農家の方が、家におられるときは おつりをおねがいできるけど、
野菜だけがおかれていて、だれもいないときに
595円なんてしはらいがあると
小銭をジャラジャラ用意しなければならない。
おつりを用意しようと銀行で両替しようとしたら、
コインからコインの両替はできず、
また、1000円札をいれても、50円玉への両替はうけつけなかった。
毎朝おつりの心配から わたしのいちにちははじまっており、
このキャッシュレスの時代に、
いったいなにをやっているのかと ちからがぬける。

それもこれも、木下藤吉郎的な世界戦略のためだ。
気もちよく野菜づくりにとりくんで、
農家の方に、やりがいのある毎日をすごしてもらいたい。
つづけていくうちに、木下藤吉郎が、
豊臣秀吉になっていくだろう。

posted by カルピス at 20:47 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月11日

介護事業所がとりくむ野菜市づくり

今週から、農家をまわって野菜をあつめる仕事がはじまった。
85円でしいれた野菜を、100円でうる。
すこしはもうけがでそうだけど、
農家の方がつけた値段をいい値で、
そして だされた野菜をぜんぶかいとるので、
もうけはほんのすこしか、ときにはマイナスの日もある。
農家といっても、むかしはともかく、いまはたのしみとして、
ほんのすこし野菜をつくっている、というひとたちだ。
なんでそんな活動をはじめたのかというと、
地域でくらすおとしよりたちに、
いきいきとくらしてほしいからだ。
以前は野菜や農産物の加工品をあつかう「なんとか市」に
つくった野菜をもっていっていたそうで、
それが、地域の高齢化とともに、
中心になってやるひとがいなくなり、
野菜をうる場所が いまはどこにもないという。
野菜をつくっているのは おとしよりがおおく、
自分で出荷するのはたいへんらしい。

わたしがつとめる事業所は、障害者介護を専門としたNPOで、
提供したサービスについて市町村に請求書をおくると、
確実にうりあげがでて、職員に給料をはらえる。
いちにちをじゅうじつしてすごすとか、
お弁当やクッキーをつくって工賃をえるとか、
入浴や身のまわりのお世話など、
障害をもったひとが必要とするサービスを、
最小限のお手つだいというかたちで提供する。

それはそれで、ちゃんとした仕事なわけだけど、
国や市町村がきめたサービスを、きっちり提供するだけでは、
生活のうるおいというものに、なかなか手がまわらない。
ひとは、あそんだり、たとえわけのわからないエネルギーだって、
発散させなければ、じゅうじつしてくらせない存在だ。
いっけん介護と関係のない活動でも、
もうけにならないお店にしても、
その場所があると、なんとなくじゅうじつした時間をすごせる、
という空間を、おおくのひとが必要としている。

4月からはじまったカフェも、そんな場所のひとつだ。
みじかいスパンでとらえると、
利用者がかかわらないカフェなんて、
事業所とすれば、ほとんどもうけにならない。
それでも とにかくお店をひらいて 実績をつくっておけば、
そこではたらけそうなひと、
いごこちよくすごせそうなひとに、
あとからでもつかってもらえる。
じっさい、カフェには地域の方が常連さんとなって
なにかにつけてあつまる場所となり、いつもにぎわっている。
そして、ほかの活動では なかなかおちつけなくても、
しずかなカフェでの仕事なら
自分の居場所としてすごせるひとがでてきた。
こうしたつみかさねによって、
地域が魅力ある場所になるのなら、カフェや野菜市は、
とてもNPOらしい とりくみといえる。

あつめた野菜は、このカフェにおかせてもらっている。
7軒の農家をまわると、30〜50袋の野菜があつまるので、
それを箱にいれて カフェのそとにおいておくだけだ。
1袋100円なので、適切な値がつけてあれば、あんがいうれていく。
まだはじまったばかりなので、野菜をだす方も、
うけとるわたしたちも、値段がよくわかっていない。
しばらくしたら、うごきがおちついてきて、
野菜をだすひとにも、かうひとにも、
たのしみな野菜市場になるのではないか。
カフェだけでは、ぜんぶの野菜をさばききれないだろうから、
クッキー工房のとなりにひらく
「となりのお店」にも野菜をおく予定だ。
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介護事業のソロバンをはじくだけでは、
カフェや野菜市をひらく発想は なかなかでてこない。
わたしたちの事業所は、活動をはじめてから15年がたち、
ようやく直接は介護と関係のない事業にも、
手をだす余力が でてきたのかもしれない。
カフェと野菜市は理事長による直営で、
ほかの事業所にはない自由な場所となりつつある。
介護だけにとらわれない、NPOらしい活動として気にいっている。

posted by カルピス at 22:10 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月18日

「お店のようなもの」のお店は、「となりのお店」にきまりました

かとうちあきさんがやっている
「お店のようなもの」みたいなお店をやろうとしている。
カチッと形がととのったお店ではないので、
ぼんやりしながらすこしずつ形がととのってきた。
ならべる品は、わたしたちがつくっているクッキーと、
しりあいからもらってきた雑貨、というかふるい食器と、
わたしの家にあるいらなくなった本。
お店のなまえは、クッキー工房のとなりにあるので
「となりのお店」にきまった。
「となりのトトロ」みたいだし、
「お店のようなもの」にすこし似ているし、
どんなお店なのかよくわからないところが気にいっている。
まえの記事にかいたとおり、
http://parupisupipi.seesaa.net/article/458610795.html?1524053603
お店のコンセプトとは、かとうちあきさんの
「お店のようなもの」をそのままいただく。

きのうは、わたしの職場が、あたらしくカフェをひらいた。
介護事業所なので、ふつうなら障害をもったひとたちが
はたらく場としてのカフェになるけれど、
こんどできたカフェは、職員だけがお客さんの対応をしている。
そんなので、どうやって採算がとれるのかわからないけど、
なかなか社会に居場所がないひとたちを視野にいれ、
気やすくあつまれるお店になれば、というねらいがあるという。
まったくソロバンを度外視してのカフェを
あたりまえのようにひらくところがすばらしい。

「となりのお店」も、障害をもったひとたちが、
ストレートに利用しなくても、
わけのわからないへんてこな場所として
クッキー工房のとなり近所に定着したらうれしい。
世のなかは、お金だけでまわっているわけではないと、
わたしが人生相談にのってもいいよ。
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きょうは、2どめのこころみとして、
駐車場のスペースに机をもちだして
クッキーをうってみた。
すこし雨がふりだしてきたので、
クッキーの袋がぬれないようにタオルをかける。
いつもはもうすこし活気のあるとおりなのに、
こういうときにかぎって ひとがとおらない。
ときどきの自転車と、あとは自動車だけだ。
20分ほどすわっていたけど、
声をかけられるタイミングでとおるひとはいなかった。
前回はそれでも3人に声をかけたので、それよりわるい。
なんだか自主制作映画のいち場面みたいだ。

posted by カルピス at 21:30 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月05日

かとうちあきさんの「お店のようなもの」をめざして

すこしまえの記事に、
かとうちあきさんがやっている
「お店のようなもの」みたいなお店がやりたいとかいた。
新年度がはじまり、職場の状況がなんだかととのってきて、
ほんとうに「お店のようなもの」みたいなお店を、
はじめられそうな気配となった。

ざっと状況を説明すると、
いまわたしはクッキー班に所属し、
まいにちしこしことクッキーをつくっている。
そのとなりの部屋を休憩室としてつかっており、
ここはクッキー班のメンバーが、
お昼ごはんをたべたり、休憩する場所という位置づけだ。
今年度から、クッキーや駄菓子をうるお店として、
この休憩室をつかったら、というはなしになった。
さいわい、クッキー工房と休憩室のうえは、
だれもつかわないままほったらかしにされており、
よかったらクッキー班でつかってください、と
大家さんのほうからはなしをいただいていた。
2部屋あるので、ひとつは
「お店のようなもの」みたいな店の倉庫として、
もうひとつは、メンバーが休憩する部屋としてピッタリだ。

先日は、部屋を整理していたら、
ふるい食器がでてきたのでいりませんか、と
しりあいから連絡があった。
江戸時代や明治のころの食器もあり
鑑定団にみてもらいたいようなしなものが
ハイエースではこびきれないほどでてきた。
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どの家にも、おおかれすくなかれ、
いらなくなった家具がありそうなので、
うりものにこまったりはしないだろう。
わたしたちがつくったクッキーや、
駄菓子をしいれてならべたら、
子どもたちがよろこぶお店になりそうだ。
お店のコンセプトは、かとうちあきさんの
「お店のようなもの」をそのままいただき、
お店のようだけどお店ではない、
できるかぎり いいかげんな場所としたい。
いつひらいているかよくわからないし、
かくれがみたいに、どこにあるかもわからない、
しるひとぞしる名店だ。

2日まえには、休憩室まえの駐車場にテーブルをだし、
体験をかねてクッキーをうってみた。
30分で3人しかひとがとおらない。
「クッキーはいかがですか?」と声をかけると、
どのひともいきなりのさそいにおどろいていた。
わるくないスタートだとおもった。

posted by カルピス at 21:37 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月04日

2国間協定にこぎつけるむつかしさ

これまでおなじ法人としてやってきたひとつの部門が
今年度から独立して別の法人となった。
とはいっても、事業所の名前はそのままひきついでいるし、
利用するひともいっしょなら、やっている内容もお弁当製造と、
これまでとほとんどかわらない。

その事業所はお弁当のほかにおにぎりの販売もちからをいれており、
クッキーをつくるわたしたちと、これまでは協力しあう関係にあった。
おなじテーブルに、クッキーとおにぎりをならべてうるわけだ。
どちらかの職員がつけないときは、
もう一方の事業所が無料で販売を手だすけする。
それが、別の法人になってしまったので、
わたしたちがクッキーをうりながら おにぎりもあつかうときは、
手数料をとるべきだろうか、という問題がでてきた。
手間賃として、1割か2割をひいて納品するのが筋なのか、
そんな水くさいことをいわず、これまでどおりに
手数料なしでやればいいじゃないか、という方針でのぞむか。

8掛けで納品し、手数料をさしひかれるのは
めんどくさいだけでなく、うりあげもすくなくなる。
もともと100円しかしないクッキーとおにぎりなので、
ひとつうって100円はいるのか、
8割の80円しかのこらないかでは、ずいぶんちがってくる。
たかだか100円のクッキー販売においても、
すんなりはなしはきまらず、ああだこうだと
いろんな意見がとびかった。
けっきょく、これまでどおり、手数料なしでのあつかいとなる。
おたがいさまなので、お金はとらず、販売を協力しあうわけだ。
ちいさな事業所の、たかだか100円の商品販売においてさえ、
まっすぐことはすすまないのにおどろいた。
これが、国と国のとりきめとなれば、
さらにものすごくややこしくなるにちがいない。

最近、アメリカのトランプ大統領が、
中国への貿易制裁を発表し、
中国はその報復措置として、アメリカの製品に
たかい関税をかけた。
トランプ大統領や習近平書記長みたいなかけひきは、
おたがいさま、まあいいじゃないか、
とかんがえるわたしと対極にある。
なにも100円のクッキーとおにぎり販売をどうするかの議論から
あらためてまなぶほどのことではないけど、
どちらがただしいかよりも、
ぜったいに自分はまちがっていないと ゴリおしする姿勢を
きゅうにこのましくおもうようになった。
気のよわいわたしには、とてもできない。

posted by カルピス at 21:23 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする