2015年03月16日

県の説明会に参加する「日本には国枝慎吾がいるじゃないか」

「障がい福祉関係事業者等説明会」に参加する。
県の障がい福祉課(島根県は「障がい」という表記をえらんでいる)
がひらく会で、
国の施策が変更になったときなど、
県内の事業所をあつめてこうした説明会がひらかれる。
来年度は、3年ごとのふしめの年になるため
サービス報酬がかわるなど、おおきな変更がいくつもある。
事業所をあつめておきながら、まだきまってないという説明がよくなされる。
国の最終的な決定が、3月末にならないとわからないため、
県としても歯ぎれのわるい説明となるのはしかたのないところだ。
3年前もこうだった。
放課後等デイサービスがはじめてうごきだすときで、
4月からの事業が3月中旬になってもまだわからないことがあり、
事業所もたいへんだけど、県の担当者も苦労されていた。

来年度の障害福祉サービス予算案は1兆849億円で、
これは10年前の2倍以上の金額となっている。
障害者が2倍にふえたわけはないので、
なにかがこの10年ではっきりかわったのだ。
以前にはなかったサービスがいまはつかえるようになっているし、
家族だけで世話をするのがあたりまえだったのが、
いまは社会全体でみる意識になってきた。
それにしても10年で2倍はすごい。
いいことなんだろうけど、いいとばかりはいってられない数字だ。

会のおわりのほうで、「障害者差別解消法」についての説明があった。
「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」ということで、
2013年の6月に公布・一部施行されており、
2016年の4月1日に全体が施行される。
この法により、「合理的な配慮」がなされなければ法的に「差別」したとみなされる。
たとえば、視覚障害者がいるとわかっているのに
資料をよみあえげて説明しなかった、とか、
弱視の方に拡大コピーを用意しなかった、がこれにあたる。
わたしは介護業界ではたらきながら、こうした法律があることもしらなかった。

障害者スポーツのはなしになったとき、
日本の記者がテニスのフェデラー選手に
「なぜ日本のテニス界には世界的な選手がでてこないのか」と
たずねたはなしが紹介された。
フェデラー選手は、
「なにをいってるんだ、日本には国枝慎吾がいるじゃないか」
とこたえたという。
とてもいいはなしだけど、はずかしくもなる。
国枝慎吾選手は車いすテニスで圧倒的なつよさをみせつけているのに
わたしは名前すらしらなかった。
たとえば2020年の東京オリンピックはパラリンピックとセットなのに、
おおくのひとは健常者の大会ばかりに目をむける。
錦織圭選手も東京オリンピックも、わたしはたいして関心がないけれど、
国枝慎吾選手とパラリンピックへの理解のひくさは
ひとりのスポーツ愛好家としてはずかしいレベルだ。
「障害者差別解消法」でも、差別なんてしてないといいながら、
わたしの頭には差別的な価値観がすりこまれているかもしれない。
いつになくもりだくさんの説明会なのはよかったけれど、
自分の意識のひくさにがっかりした日でもあった。

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2014年07月12日

ピピが放課後等デイサービスの営業をはじめて丸2年

わたしの職場である「ピピ」が、営業をはじめて丸2年たった。
ピピは放課後等デイサービスを提供する介護事業所で、
県に事業申請がみとめられた2年まえの7月から営業をはじめている。
障害をもった子の放課後を支援するのがおもな業務内容で、
夏やすみなどの長期休暇には、朝から利用できる。

「障害をもった子」といっても、特別支援学校だけが対象ではなく、
普通学級にかよいながら、なんとなく
クラスや学童保育になじめない子どもたちも ピピで放課後をすごしている。
国の政策として運用されているサービスなので、
だれでもというわけにはいかないが、
福祉手帳をもっていなくても、つまり障害名がなくても、
療育が必要とみとめられれば利用できるので、
つかいやすいサービスといえる。

わたしたちがめざすのは、たのしい放課後だ。
具体的には、ピピでおやつをたべたりあそんだりしてすごすわけだけど、
おとなの都合やたてまえによる指導・訓練の場所ではないし、
もちろん学校の延長線上の機能をはたすわけでもない。
たのしいはずの放課後が、退屈で空白な時間にならないように、
「あーおもしろかった」と子どもたちが満足してすごせる場であること。
子どもたちは、自分が個人としてみとめられていることをかんじると、
安心して自分たちの世界をひろげていく。

とはいえ、営業をはじめた2年前の夏やすみは、
利用者がいちにちに1〜3人ほどで、
なかにはゼロの日もなんにちかある さびしいものだった。
これではもちろん採算がとれないわけで、
そのあとすこしずつ利用がふえていったものの、
けっきょく1年目の年度はひどい赤字におわり、
わずかな給料しかはらえなかった。
かざむきがかわってきたのは2年目からで、
障害特性に配慮した支援内容がすこしずつみとめられて
「ピピでないと」、という子どもたちが利用してくれるようになった。

3年目となる今年の夏やすみは、
どうしたら利用者数を 平均12人以下におさえられるかと 苦労している。
ピピの定員は1日あたり10名となっており、
規則によると3ヶ月の平均が12.5人をこえてはならない。
夏やすみがおわってからの平均人数もかんがえなければならず、
わたしにはむつかしすぎる算数なので、なげだしてしまった。
これ以上、利用をふやせない状況なのはたしかだ。

市内には、ピピとおなじサービスを提供している事業所が10ヶ所あり、
なかには第2、第3の事業所をひらいているところもある。
あたらしく事業をはじめようとしたときに
あまり設備投資がいらないし、わりと採算ベースにのせやすいことから、
たった3年のあいだに乱立ぎみの状態になってしまった。
先日よんだ『医療にたかるな』のように、必要ないひとまでサービスをつかっていると、
きわめてちかい将来に財源は破綻するだろう。
老人介護がたちゆかなくなったときに、3年前まではなかったサービスが
どこまで必要性をみとめられるかについて、あまり楽観的になれない。
いまは需要があるからといって、ピピの第2営業所をひらくのはためらわれる。

ピピの母体はNPO法人であり、民間の事業所としてかんがえたいのは、
福祉施策からはなれたサービスだ。
町づくりやひとづくりに、採算をもとめながらピピがかわること。
放課後等デイサービスとしての充実は必要だけど、
そればかりではさきゆきがあまりたのしくない。
「あーおもしろかった」を自分にももとめていきたい。

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2014年05月23日

放課後等デイサービスとしてのピピの3年め

ピピの総会がひらかれる。
放課後等デイサービスという事業をはじめてから3年めをむかえ、
今年度は2700万円の予算をくんでいる。
利用者が10人定員の事業所として最大の、いちにち12人にたっし、
いまの規模としてはもうこれ以上うけいれられないほど
ピピの利用を希望するひとがふえている。

最初から順調だったわけではない。
1年めは利用者がすくなくて、
まともな給料をはらえなかった。
半年たって、やっと月給が15万円だ。もちろんボーナスはない。
2年めをむかえるときから、状況がおおきくかわった。
年間の利用者が、平均で9.8人となり、
サービスうりあげがはじめの年の倍にふえたのだ。
利用がふえると職員配置を手あつくすることになり、
それによって加配加算がみとめられるので、さらにうりあげがのびた。

うけいれ状況をととのえると、
いちにちのサービスうりあげが、ひとりあたり約1万円なので、
10人が利用すれば、一ヶ月に200万円の収入となる。
夏やすみなどの長期休暇はべつとして、
平日は放課後だけの営業なので、
事業としてかんがえるとわりのいい仕事だ。
おなじ町に、いくつもの放課後等デイサービスができたのも、
ほとんど設備投資をしなくてもはじめられる事業、
というソロバンをはじいたところがおおかったからではないか。
いまでは市内に10ほどの放課後等デイサービスがととのえられた。
なかには2つめ、3つめの事業所をひらいているところもある。

放課後等デイサービスのおもしろさは、
「放課後」という位置づけの自由さにある。
学校の延長でもなく、塾でもない。
学童保育にちかいけど、もっと手あつい職員配置がとれる。
職員がすくなければ「みまもり」的なうけいれとなり、
テレビやDVDをみてすごす、なんていうことになりがちだけど、
10人の子どもたちに5〜6人の職員がいれば、
こまかなところにも目をくばれるようになる。
これは、なんでも職員が手つだうということではなく、
反対に、できるだけ職員はなにもしない。
なにもしないためには、職員の手あつい配置が必要なのだ。
子どもたちがひとりで、あるいは友だちといっしょにあそべるように
環境をととのえるのが、この仕事のおもしろさだ。

わたしの役割は、「ゆるさ」をどうたもつかだとおもっている。
まじめさも適度におさえながら、自由さをうしなわないこと。
保護者や同業者、そして行政との連携が必要なので、
まるっきりゆるゆるではやっていけないけれど、
できるだけ「なんでもあり」のゆるい場所でありたい。
子どもたちがおおきくなって学校を卒業し、
あとでピピをおもいだしたときに、
あそこがあってよかった、とおもってもらえたらうれしい。

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2014年05月07日

介護事業所における「武士の家計簿」

『武士の家計簿』(磯田道史・新潮新書)をよみだす。
江戸から明治にかけて、世襲制の時代でありながら、
計算ができるひとは、家がらがよくなくても
お城での仕事につくことができたそうだ。

「親は算術が得意でも、その子が得意とは限らない。
したがって、藩の行政機関は、どこもかしこも厳しい身分制と世襲制であったが、
ソロバンがかわわる職種だけは例外になっており、
御算用者は比較的身分にとらわれない人材登用がなされていた」

「実は『算術から身分制度がくずれる』という現象は、
18世紀における世界史的な流れであった。(中略)
フランスでもドイツでも、軍の将校といえば貴族出身と相場がきまっていたが、
砲兵将校や工兵、地図作成の幕僚に関しては、そうでなかったという。(中略)
余談であるが、ナポレオンが砲兵将校であったことは興味深い」

事業所におけるわたしの存在も、これとすこしにたところがある。
わたしは計算が特別にできるわけではないけれど、
まわりのひとがやりたがらないおかげで、
事務を中心とした仕事にありついている。
この場合、計算というよりも、もうすこしひろくとらえての実務力だ。

いまの時代、介護事業所といえどもある程度の実務力が必要、
と研修などでよくいわれる。
じっさいに、ある程度の実務力とは、どれだけのことをいうのだろう。

介護事業所でもとめられるのは、
適切な支援計画をたて、それを利用者・家族、そして職員全体で共有し、
実行していくちからだ。
よい支援計画をたてるためにはデーターをとり、
それをわかりやすいかたちでパソコンや紙におこしていく。

ということからかんがえると、
パソコンはつかえなければならない。
ポツリポツリうっていたのでは仕事にならないので、
当然タッチタイプ、といいたいところだけど、
そこまではもとめられないだろう。

行政や保護者にむけた文章をかくことがあるので、
文章力もあったほうがいい。
しかしこれは、形式だけをもとめられ、内容はどうでもいい部分なので、
ひな形をつかえばすむことがおおい。
それでもじゅうぶんやっていけるので、あまり気にすることはない。

パソコンについていえば、ワープロソフトやプレゼンテーションソフトは
そんなに重要ではない。
文章はエディターでじゅうぶんだし、プレゼンテーションもすぐにできる。
つかえたほうがいいのは表計算ソフトとデータベースソフトだ。
わたしの場合はエクセルとファイルメーカーになる。
わたしはたまたまファイルメーカーをいくらかあつかえたので、
どれだけ便利をしたことか。
データーをとるだけでなく、日誌や利用予定などの書類、
それに会計の帳簿など、
ファイルメーカーがなければわたしの事務仕事は
まえにすすまなかっただろう。
わたしにおける『武士の家計簿』は、
ファイルメーカーだったといえる。
データベースソフトは、その便利さにもかかわらず
敷居がたかいのか、つかえるひとがあまりいない。
わたしが事業所でもっともらしい顔をしていられるのは、
ソロバンのかわりとなる、ファイルメーカーのおかげだ。
といって、ものすごくじょうずにあやつれるわけではない。
その中途半端な能力が、介護事業所のもとめる実務力にピッタリなのかもしれない。

介護事業において、いちばん大切なのは、
あつい情熱と、適切な支援力である。
しかし、これだけではやっていけなくなっているのもたしかだ。
ある程度の実務力が必要なおかげで、
家柄がいいわけでもなく、学歴もひくい(大学中退)わたしが、
仕事につくことができた。
わたしはナポレオンのように壮大な夢をえがいているわけではない。
実務力のおかげで、なんとか糊口をしのげることに感謝している。

posted by カルピス at 13:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 児童デイサービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月23日

日々の活動記録をどうかんがえるか

毎日の活動のようすをどう記録し、保護者におしらせするか。
まえにはたらいていた事業所では、夕方の送迎のまえに、
いちにちのようすを「サービス提供記録」というA5の用紙にかき、
保護者にわたしていた。
カーボン紙をはさんでコピーをとり、事業所用に保存する。
こういう方法をとっている事業所はおおいとおもうし、
便利なやり方ではあるけれど、
記録をかくときに、職員の目が利用者からはなれてしまうことと、
せっかくとった記録が、あとでデーターとしていかせないという欠点がある。
いちど紙にかいた記録を、あらためてパソコンに入力するのは2ど手間だ。
かえるまえのいそがしいときに記録をかくのは、
とても大変なことなのに、そのデーターをあとからいかせられないのでは、
なんのための記録かわからない。

ということで、ピピではサービスがおわってからパソコンに記録を入力し、
それを1ヶ月分まとめて保護者にわたしていた。
いちにちごとに記録を印刷し、夕方の送迎にまにあわすのは大変なので、
1ヶ月まとめておわたしすることを、契約のときに了承してもらう。

でも、保護からは、1ヶ月分をまとめてわたされても、
よんでみたいとおもわない、といわれるようになった。
どんなおやつをたべ、トイレに何時にいった、というデーターではなく、
どんなようすですごしていたのかがしりたいわけで、
1ヶ月後にまとめてわたされても情報としての新鮮さがない。
ピピでつける記録をどうしたらいいのかが、あらたな課題となった。

こうした活動記録はきまったひな形があるわけではなく、
保育園でも老人のデイサービスでも
それぞれの事業所が、それぞれのやり方でつけている。
記録する時間をどう確保するかや、
その記録をどうサービスにむすびつけるかで、
どこも頭をいためておられるのではないか。
労力がかかるのに、データーとしていかせないのではもったいないし、
でも、ただの記録では保護者の方がもとめるものにはならない。

事業所は、支援計画にそってサービスを提供するけれど、
その計画と毎日の記録とを関連づけることも じつはむつかしい。
日々の蓄積により、3ヶ月で成果をあげることがあっても、
いちにちでみると目にみえる変化がそうあるものではない。

ピピの職員ではなしあい、
その日の活動のようすを写真でおくったら、という案がでる。
文章でようすをつたえるより、写真のほうがずっとよくわかる。
しかし、それはそれでしっかりした方法をかんがえておかないと、
写真をとりわすれたり、それをおくるときの手間もばかにならない。

事務量は、ほっておくといくらでもふえていくのだそうだ。
やればいいことはいくらでもあるし、
それらをどこまでもこまかく分析できる。
必要なデーターをきめ、どうあつめるのかは事業所の判断だ。
保護者からの要求と、事業所として
どれだけのエネルギーをかけられるかのおりあいは
どこでつけたらいいのか。

エバーノートやメモ、そしてこのサービス提供記録でも、
どういうふうに情報をあつめ、それをどう生かしていくかは
永遠のテーマともいえる。
データーをあつめるのには相応の労力が必要で、いざあつめても
うまくいかせなければ労力がむだになる。
支援の目標は支援計画にあるからといて、
そこにデーターの焦点をあてるだけでは
いまの記録とそうたいしてかわるものにならない。
せっかくつける記録なのだから、
ただ監査対策としてではなく、あとでやくにたつものにしたい。
いい方向に再スタートをきれるよう、
もうすこし検討をつづけることになった。

posted by カルピス at 22:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 児童デイサービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする