2017年07月25日

ブルートゥースイヤホンの自由におどろく

わたしの誕生日は7月15日だ。
そんなのどうでもいいというひとは、
糸井重里さんちのブイヨンくんとおなじ日だといえば
すこしはおぼえやすいだろうか。
いまさら誕生日をいわう年でもないので、
ほかの日とおなじように淡々とすごしたけど、
自分にプレゼントするのは わるくないかも、
とあとからおもいついた。
アマゾンでブルートゥースのイヤホンをさがす。
SoundPEATS(サウンドピーツ)Q12という
2400円ほどの商品を注文した。

まえからワイヤレスイヤホンがほしかったけど、
線がないだけのイヤホンが ほんとうに必要かというと、
ムダなかいものでしかないような気がしてくる。
これまでになんどかおなじ筋道で
ほしくなる、でも我慢する、をくりかえしてきた。
でもまあ、これはプレゼントなのだからと、
必要かどうかより、あそびの要素を大切にしたいとおもった。
もうのこりの人生はそうながくないのだから、
我慢するより はじめての体験をあじわったほうがいい。

ひとむかしまえのおもいでになるけど、
ノートパソコンをはじめて無線LANにつないだとき、
あんまり快適なのに すっかりおどろいてしまった。
線をいくつもつけたノートパソコンなんて、
ノート型であるメリットをほとんどいかしていない。
ノートパソコンをかかえて部屋を移動しても
ずっとネットにつながっているのは
ものすごく自由で身がるな世界だった。
線につながれたパソコンと、ワイヤレスのパソコンは、
まったく別ものだとつよくかんじだ。

ワイヤレスイヤホンは、あのときのおどろきを
ふたたびわたしにもたらすかも、という予感があった。
線があるかないかは、みかけよりずっとおおきな変化で、
なにかを決定的にかえるのでは。

わたしとしてはめずらしく、
この予想はぴったりあたった。
ブルートゥースのイヤホンをつけると、
ものすごく自由で身がるだ。
なんでいままでつかわなかったのだろう。

イヤホンをつけてあるいているひとを、
あたりまえながら 町でよくみかける。
そのほとんどがコードつきのイヤホンだ。
おおくのひとは、わたしとおなじように、
たかだか線があるかないかのちがいだからと、
ワイヤレスイヤホンにきりかえるのを
あとまわしにしているのではないか。
線につながれていない世界をいちど味わえば、
もうあとにはもどれないだろう。
無線LANと有線ランのちがいとおなじだ。

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2017年07月22日

『SONGS』〜中島みゆきトリビュート〜 どんなときでも中島みゆきにすくわれる

録画してあった『SONGS』〜中島みゆきトリビュート〜をみる。
島津亜矢・大竹しのぶ・クミコの3人が、中島みゆきの曲をうった。
あるひとたちにとって、中島みゆきは特別な存在なのだ。
わたしもまた、中島みゆきにはお世話になっている。
なにかのはずみで寝酒をのみすぎるとよく、
ゴソゴソとiPodからアルバム「大吟醸」をさがし、
「狼になりたい」「ファイト!」などをきくのがお約束だ。
よっぱらって、グテグテになった頭で
「おれはたたかっているか」と自問する。

番組のなかで、大竹しのぶさんは「ファイト!」をうたった。
画面には歌詞ものせられている。
いろんな解釈ができる歌詞で、
いつもはぼんやりきいているだけだけど、
こうやって歌詞を目にすると、いまさらながら
ちからづよい曲なのに気づいた。
勝つか負けるかそれはわからない
それでもとにかく闘いの
出場通知を抱きしめて
あいつは海になりました

「勝つか負けるかそれはわからない」がすきだ。
それでもとにかくたたかいの場にあがるしかない。

はじめてこの曲をきいたのは、
仕事が一段落し、事務所にかえろうかと
車のエンジンをかけたときだった。
ささやくようなうたい方から、
さいごにはおおきな声で「ファイト!」をくりかえす。
おしまいまできいてから、中島みゆきの
「ファイト!」なのだとしった。
それ以來、「ファイト!」はいつもわたしのとなりにいる。

中島みゆきの曲の ほとんどがそうであるように、
「ファイト!」もまた、おおくのひとにとって特別な存在だろう。
なんだかんだいいながら、わたしがきくのは
けっきょく「RCサクセション」と中島みゆきばかりだ。
彼らの曲だけで、すべての用がたりてしまう。
いろんな気もちになったとき、いずれかの曲がわたしをなぐさめ
リラックスさせ、ちからづけてくれる。

大竹しのぶさんによる「ファイト!」もまたすばらしかった。
彼女がこの曲に、どれだけすくわれてきたのかをおもった。

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2017年07月20日

RCによせる ひとりよがりのファン心理

仕事の移動ちゅうに、車のラジオから
「歌謡スクランブル」(NHK-FM)がながれてきた。
「きらめきのメロディー」と名づけられた特集で、
吉田拓郎の「サマーピープル」、
ユーミンの「避暑地の出来事」などが
つぎつぎに紹介される。
そして、いちばんさいごにながれたのは、
RCサクセションの「雨あがりの夜空に」だった。
ラジオでこの曲をきくのははじめてで、
おもわずとおまわりして、曲をおしまいまできく。
ラジオでRCがながれる機会は めったにない。
これまでに「トランジスタ・ラジオ」をいちどきいたきりだ。

「きらめきのメロディー」とは、
どんなジャンルをさしているのかよくわからない。
1時間にながれた14曲は、いったいどんな共通点をもつのだろう。
ぜんぶの曲を集中してきいたわけではないけど、
「雨あがりの夜空に」だけが特別で、
あとの曲はふつうの歌謡曲ということがわかった。
ファンならではの ひとりよがりな感想ではないとおもう。
ぼんやりきいていてもRCとほかのミュージシャンは
あきらかになにかがちがう。
いつもRCの曲だけをきくので、こんなあたりまえなことに
これまで気づかなかった。
いまさらながらの新発見だ。
それだけ「雨あがりの夜空に」は
決定的にほかの曲とはべつの世界をつくっていた。

不思議なのは、ほかのひとが
なぜこの事実に気づかないのかということで、
RCの曲をいちどきけば、
だれでも「新発見」しそうなものなのに。
わかっているひとは、もちろんたくさんいる。
だからこそ、14曲のいちばんさいごに
あたりまえながら「雨あがりの夜空に」がえらばれたのだ。
「雨あがりの夜空に」だけが
「きらめいてるメロディー」とはおもわないけれど、
14曲のなかで別格であるのはまちがいなかった。
14曲にまじりながら、どうしても そこだけをちがう時間にしてしまう。
しつこく くりかえすけど、
「雨あがりの夜空に」1曲だけが突出しており、
のこる13曲は、ごくふつうの歌謡曲にすぎなかった。

ながねんRCのファンであるわたしでさえ、
「いまさらながらの新発見」として、
RCの位置づけに気づくのだから、
RCをききなれないひとにとって、
彼らの曲はあまりにも異質すぎ、
理解には いっていの時間が必要なのかもしれない。
RCのすごさに気づく瞬間を、たのしみにしてほしい。

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2017年05月29日

にわかでミーハーなわたしの興味

ショパンやベートーベン、メンデルスゾーンなど
クラシックの大御所たちは、
わたしのあたまのなかで、
「むかし活躍した有名な作曲家」として
ひとかたまりに処理されていた。
いろんな名前をきいたことがあるけど、
だれがどんな曲をつくり、それがどんなメロディーなのか、
なんどきいてもおぼえられない。
そんなわたしが、まがりなりにも
「ベートーベンの7番」とか、
「チャイコフスキーのバイオリン協奏曲」
なんていえるようになったのは、
まちがいなく『のだめカンタービレ』のおかげであり、
「のだめ」が出発点だ。

「のだめ」のCDをかり、気にいった曲をきいて満足していたら、
ラジオ番組「クラシックカフェ」で
「ベートーベンの7番」がかかったとき、
「ほんもの」は ずいぶんながいのにおどろいた。
かんがえてみれば、「のだめ」のドラマや映画で
曲ぜんぶをながすとおもうほうがどうかしている。
クラシックの森にたどりついたとおもってよろこんでいたら、
ぜんぜんそこまでいっていなかった。
まだとおくから森をみて
「おおきいなー、ひろいなー」と感心している段階みたいだ。

「のだめ」をみてすぐCDをかりたのは、
わたしのミーハー精神のあらわれであり、
よくいえば好奇心にとんでいるのかもしれない
(「ミーハー」って、ひょっとして死語?)。
ジャズだって、『スウィングガールズ』をみたとき
にわかジャズファンになり、何枚かCDをかりたぐらいだ。
ふるくは『フラッシュダンス』に影響をうけた。
ダンサーをめざす主人公のアレックス(ジェニファー=ビールス)が
ドロップハンドルの自転車にのっているのをみて、
それまでフラットタイプだった自分の自転車を、
自転車店にいってドロップハンドルにかえてもらっている。
夢をあきらめないのを みならえばいいのに、
わたしがまねしたのは ハンドルの変更だけだ。

いまわたしが「にわか」をかましているのはブルースで、
『ブルース・ブラザーズ』のCDにはいっている
「スウィート・ホーム・シカゴ」と「監獄ロック」を
寝酒をのみながら毎晩きくようになった。
『ブルース・ブラザーズ2000』に出演している
B.B.キングのCDも、きいてみたら なんとなくいいかんじだ。
『ブルース・ブラザーズ』をとっかかりにして
こんどこそ ブルースのふかい森をさまよえたらうれしい。

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2017年05月03日

ガルポプに、ついていけたいけど、ついていけないわたし

ヒャダインさんの「ガルポプ!」や
津野米咲さんの「ゆうがたパラダイス」をきいていると、
ゲストとのおしゃべりはすごくたのしいのに、
そこで紹介される曲のどこがいいのかわからない。
最近のお気にいりといわれる曲をスタジオでききながら、
「いいですね〜」といいあう場面でも、
わたしにはまるでピンとこない。
いまはやりの曲だけでなく、あの曲をなんどもきいてそだった、
みたいなむかしの曲名をもちだされても、
わたしはほとんどカヤのそとだ。
それだけオヤジ度がたかいということなんだろうけど、
残念だし、なんだかさみしい。
ヒャダインさんや津野米咲さんのような、
最前線をゆくひとの感性にふれ、
なんとかついていこうときめたのに、
きめたからといって ついていけるものではなかった。
音楽を理解するちからにとぼしいのは、
感性の問題だけに、だめなときは、
どこにもひっかかりがみつからない。

もちろん、このみにはちがいがあってあたりまえなのだけど、
たとえば本についてなら、すぐれているかどうかが、自分でわかる。
書評家の記事を参考にすることはあっても、
よんでみておもしろかったかどうかは 自分で判断できるし、
ある程度たしかな目をもっているとおもう。
本屋さんへいって、かう本にまよったり、
図書館でよみたい本をきめられないなんて
わたしにはかんがえられない。
でも、いまはやりの歌謡曲やアニソンは、
わたしがよさをしろうとしても、なんのことやらさっぱりわからない。

美術もにたようなものだ。
わたしはこれまで有名な美術館、
たとえばルーブルやオルセーをたずねたことがあるけど、
たくさん名作とよばれる作品がならんでいるのに、
ほとんどなんの感動もおぼえなかった。
こういうのは、どこがどういいのか、
こまかく説明されて納得するものではない。
理屈ではなく、感性の問題なので、
ピンとこなければそれでおわりだ。

ミュージシャンのはなしをきいていると、
順番として、わかいころに熱中した体験がまずあり、
そこをスタートとして、
あとは 自分のこのみがうつりかわる過程を観察していく。
わたしには、20歳をすぎてからききだした
RCサクセッションしか 核となる音楽体験がなく、
いまあたらしい曲をきいても、基準になるポイントがない。
わかいころにどっぷりつかった体験が、
どれだけ大切な財産なのかを いまさらながらおもいしらされている。

posted by カルピス at 21:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする