宿のちかくでお粥をたべ、お茶をのんで朝ごはんにする。
宿にもどり、日課である筋トレをはじめると、
スタッフのおじさんが、ネコに不思議なポーズをとらせた。
動画をとり、しりあいのおじさん3にみせると、
催眠術みたいだ、といっていた。
配偶者にもラインで動画をおくると、おなじ感想をおくってきた。
この日は、夜に電車にのる以外、とくにすることがない。
おじさん3とおしゃべりし、10時すぎにマッサージ店へ。
ひるねして、べつのゲストハウスでマンゴージュースをのんだりして
なんとか時間をつぶしてから6時半に宿をでて
路線バスでバンスーン駅へむかう。
汽車のなかで食事がとれないとこまるので、
駅の屋台でカオパットをたべると、50バーツもしたのに、
これがかなりおいしくなかった。
列車は予定時刻の夜8時半に出発する。
あらかじめ寝台席がしつらえてあり、
予約してあった下段の席によこたわる。
エアコンがききすぎてさむいくらいだ。
すこし本をよみ、10時半にシーツにもぐりこむ。
2023年01月15日
4年ぶりの海外旅行でタイをおとずれる
4年ぶりの海外旅行を計画する。
いきさきは、土地勘のあるタイにした。
ピーチエアラインを予約したので、
関空につくと第2ターミナルへ移動する。
第2ターミナルは、ピーチやエアアジアなど、
格安航空会社があつめられているターミナルのようで、
なかにはいっているお店がほとんどなく、時間をつぶせない。
第1ターミナルのはなやかさとはまったくの別世界だ。
いそいで第2ターミナルへ移動する必要はまったくなく、
第1ターミナルでゆっくりすればよかった。
ただ、飛行機はほぼ定刻どおりの8時にとんでくれたし、
予定どおりの時間(深夜0時10分)にバンコクについたので
ピーチエアにはわるい感情はもたない。
深夜0時10分に予定どおりスワンナプームにつく。
この時間では、市内への移動手段がタクシーしかないので、
へたにうごくよりも、と、空港でひとばんすごした。
朝6時まえにおきだし、空港1階にある路線バスのりばにむかう。
6時の始発バスでカオサンにむかう。60バーツ。
カオサンにいけば宿にはこまらないだろう、とあてにしていたのに、
たてつづけに「満室だ」とことわられる。
コロナ以降、白人のツーリストがもどってきているのに、
ゲストハウスのおおくがつぶれたままなのが影響しているみたい。
旅行会社・マッサージ店など、シャッターをとじたままの店がおおい。
宿がみつからないのでこまっていると、
道をそうじしていた別のゲストハウスのおじさんが
こっちにこい、とわたしをさそってくれた。
100バーツだけど、部屋がめちゃくちゃせまい。
しかたがないとはいえ、これではつらいなー、と
エアコンの部屋はないかとたずねる。
エアコンはないけど、ちょっとひろい部屋ならある、
というのでそちらにする。おおきなファンがまわっているけど、
それでもじゅうぶんせまい。
こっちは140パーツだ(1バーツ4円なので、560円ほど)。
最低レベルのゲストハウスといえるだろう。
呆然としていると、宿にとまっているらしい
日本人のおじさんに声をかけられた。
そのあとすぐ、またべつのおじさんがあらわれてはなしをする。
どちらもわたしとおなじくらいの年齢(60前後)で
日本をでてもうながいこと旅行されている。
じつはもうひとりおじさんがいて、そのひともまた
ながい旅にひたっている。
区別するために、そのひとがおじさん3で、
わたしがおじさん4、さきに紹介したひとが、
それぞれおじさん1と2をわりふる。
おじさん1が、シーク教徒がおこなっている
朝ごはんのたきだしにさそってくれた。
宿から30あるいたところにある教会で、
チャパティとごはん、それに4種類のカレー(いずれも肉なし)と、
ミルクティーというのが食事のメニューで、
すきな量を自分でお皿にもりつける。
ひろい部屋に50センチはばのしきものがおかれ、
そこにすわってカレーをたべ、ミルクティーをのむ。
異教徒のわたしたちが、こういうことをしてもいいのか、とも
おもったけど、なにごとも経験とおもいたべさせてもらう。
また、このおじさん1にノーンカーイゆきを計画しているとはなすと、
バンコク中央駅(ファランポーン)よりも、
バンスーン駅のほうがいきやすい、とおしえてくれた。
宿のちかくから路線バスにのれば、8バーツでいけるという。
ファランポーンへむかうと、どうしても渋滞にまきこまれるそうだ。
これからのうごきをたしかなものにしたかったので、
朝ごはんのあと、宿にはもどらずバンスーン駅をめざす。
おじさんのいったとおりで、30分もかからず駅についた。
あすの夜に出発するノーンカーイゆきの寝台列車のチケットを
1000バーツほどで手にいれる。2等寝台だけど、
エアコンつきの下段の席なので、こんなにたかい。
宿にもどり、しりあったべつのおじさん2にはなすと、
飛行機にのったほうがいいくらいだ、とおどろいていた。
めちゃくちゃたかいチケットみたい。
でもまあ、無事にチケットを手にいれて気がらくになった。
シャワーをあびてから、宿の近所にあるタイマッサージのお店へ。
まえは200バーツだったのが250バーツに値あがりしている。
じょうずなマッサージだったので、チップに20バーツをわたす。
タイマッサージは、わたしの旅行目的のひとつでもあるので。
そのあと昼ごはんとしてマンゴーとぶっかけごはんをたべる。
きゅうに食生活がかわったのがからだにこたえたのか、
その日の夕方からゲリがはじまる。
夜になってもおさまらないので、夕ごはんはスイカだけにした。
夜は9時に部屋へもどる。1時間ごとに目をさましながら、
それでもつかれていたせいか、6時半までねむれた。
いきさきは、土地勘のあるタイにした。
ピーチエアラインを予約したので、
関空につくと第2ターミナルへ移動する。
第2ターミナルは、ピーチやエアアジアなど、
格安航空会社があつめられているターミナルのようで、
なかにはいっているお店がほとんどなく、時間をつぶせない。
第1ターミナルのはなやかさとはまったくの別世界だ。
いそいで第2ターミナルへ移動する必要はまったくなく、
第1ターミナルでゆっくりすればよかった。
ただ、飛行機はほぼ定刻どおりの8時にとんでくれたし、
予定どおりの時間(深夜0時10分)にバンコクについたので
ピーチエアにはわるい感情はもたない。
深夜0時10分に予定どおりスワンナプームにつく。
この時間では、市内への移動手段がタクシーしかないので、
へたにうごくよりも、と、空港でひとばんすごした。
朝6時まえにおきだし、空港1階にある路線バスのりばにむかう。
6時の始発バスでカオサンにむかう。60バーツ。
カオサンにいけば宿にはこまらないだろう、とあてにしていたのに、
たてつづけに「満室だ」とことわられる。
コロナ以降、白人のツーリストがもどってきているのに、
ゲストハウスのおおくがつぶれたままなのが影響しているみたい。
旅行会社・マッサージ店など、シャッターをとじたままの店がおおい。
宿がみつからないのでこまっていると、
道をそうじしていた別のゲストハウスのおじさんが
こっちにこい、とわたしをさそってくれた。
100バーツだけど、部屋がめちゃくちゃせまい。
しかたがないとはいえ、これではつらいなー、と
エアコンの部屋はないかとたずねる。
エアコンはないけど、ちょっとひろい部屋ならある、
というのでそちらにする。おおきなファンがまわっているけど、
それでもじゅうぶんせまい。
こっちは140パーツだ(1バーツ4円なので、560円ほど)。
最低レベルのゲストハウスといえるだろう。
呆然としていると、宿にとまっているらしい
日本人のおじさんに声をかけられた。
そのあとすぐ、またべつのおじさんがあらわれてはなしをする。
どちらもわたしとおなじくらいの年齢(60前後)で
日本をでてもうながいこと旅行されている。
じつはもうひとりおじさんがいて、そのひともまた
ながい旅にひたっている。
区別するために、そのひとがおじさん3で、
わたしがおじさん4、さきに紹介したひとが、
それぞれおじさん1と2をわりふる。
おじさん1が、シーク教徒がおこなっている
朝ごはんのたきだしにさそってくれた。
宿から30あるいたところにある教会で、
チャパティとごはん、それに4種類のカレー(いずれも肉なし)と、
ミルクティーというのが食事のメニューで、
すきな量を自分でお皿にもりつける。
ひろい部屋に50センチはばのしきものがおかれ、
そこにすわってカレーをたべ、ミルクティーをのむ。
異教徒のわたしたちが、こういうことをしてもいいのか、とも
おもったけど、なにごとも経験とおもいたべさせてもらう。
また、このおじさん1にノーンカーイゆきを計画しているとはなすと、
バンコク中央駅(ファランポーン)よりも、
バンスーン駅のほうがいきやすい、とおしえてくれた。
宿のちかくから路線バスにのれば、8バーツでいけるという。
ファランポーンへむかうと、どうしても渋滞にまきこまれるそうだ。
これからのうごきをたしかなものにしたかったので、
朝ごはんのあと、宿にはもどらずバンスーン駅をめざす。
おじさんのいったとおりで、30分もかからず駅についた。
あすの夜に出発するノーンカーイゆきの寝台列車のチケットを
1000バーツほどで手にいれる。2等寝台だけど、
エアコンつきの下段の席なので、こんなにたかい。
宿にもどり、しりあったべつのおじさん2にはなすと、
飛行機にのったほうがいいくらいだ、とおどろいていた。
めちゃくちゃたかいチケットみたい。
でもまあ、無事にチケットを手にいれて気がらくになった。
シャワーをあびてから、宿の近所にあるタイマッサージのお店へ。
まえは200バーツだったのが250バーツに値あがりしている。
じょうずなマッサージだったので、チップに20バーツをわたす。
タイマッサージは、わたしの旅行目的のひとつでもあるので。
そのあと昼ごはんとしてマンゴーとぶっかけごはんをたべる。
きゅうに食生活がかわったのがからだにこたえたのか、
その日の夕方からゲリがはじまる。
夜になってもおさまらないので、夕ごはんはスイカだけにした。
夜は9時に部屋へもどる。1時間ごとに目をさましながら、
それでもつかれていたせいか、6時半までねむれた。
2022年01月12日
温泉津温泉の旅館にとまる
温泉津温泉の旅館にきている。
温泉津とかいて「ゆのつ」とよむ。
「We Love 山陰」という企画で、
山陰にすむひとが山陰の旅館にとまると
5000円の補助をうけられる。
島根にすむものが、おなじ島根県を旅行して
たのしいか、というと微妙なところだけど、
旅館にとまる、というのは、あたりまえのようでいて、
じっさいにはなかなか体験できない。
中学や高校のとき、水泳の大会でとまったのが
旅館をつかったさいごではないか。
だとしたら、おとなになってはじめての旅館にとまる旅行だ。
きょうお世話になった旅館は、ネットでさがした。
レビューをみると、建物はふるいけど、よかった、
という内容のものがおおい。
かなりふるい旅館を予想して温泉津の温泉街をたずねると、
おもっていたよりずっときれいな建物だった。
とおされた8畳の部屋も、「ザ・旅館」というかんじで、
すっかりうれしくなる。
すこし外を散歩してからお風呂にはいる。そして夕ごはん。
はじめにもってこられた料理をみたとき、
これはたりなにのでは、と心配したけど、
そのあと4品とおしる、さいごにデザートまでもってこられ、
完全に満腹となる。旅館での夜は、ホテルとはちがったよさがある。
温泉津とかいて「ゆのつ」とよむ。
「We Love 山陰」という企画で、
山陰にすむひとが山陰の旅館にとまると
5000円の補助をうけられる。
島根にすむものが、おなじ島根県を旅行して
たのしいか、というと微妙なところだけど、
旅館にとまる、というのは、あたりまえのようでいて、
じっさいにはなかなか体験できない。
中学や高校のとき、水泳の大会でとまったのが
旅館をつかったさいごではないか。
だとしたら、おとなになってはじめての旅館にとまる旅行だ。
きょうお世話になった旅館は、ネットでさがした。
レビューをみると、建物はふるいけど、よかった、
という内容のものがおおい。
かなりふるい旅館を予想して温泉津の温泉街をたずねると、
おもっていたよりずっときれいな建物だった。
とおされた8畳の部屋も、「ザ・旅館」というかんじで、
すっかりうれしくなる。
すこし外を散歩してからお風呂にはいる。そして夕ごはん。
はじめにもってこられた料理をみたとき、
これはたりなにのでは、と心配したけど、
そのあと4品とおしる、さいごにデザートまでもってこられ、
完全に満腹となる。旅館での夜は、ホテルとはちがったよさがある。
2021年10月18日
「チャリダー」での自転車キャンピング
チャリダー(NHK-BS)で、自転車でのキャンプをとりあげていた。
30年ちかくまえに、一條裕子さんの『自転車キャンピング』をよみ、
自転車での旅行をこころざしたわたしなので、
ロードレースやヒルクライムとはべつの興味をかきたてられた。
番組では、カメラマンの渡部さんと、おわらい芸人のはなさんが
100キロのコースを、キャンプ場で1泊しながらはしる。
まず、自転車でのキャンプになれているガイドから、
装備や荷物のつみ方をおそわり、それぞれ軽量化をめざしながら
自転車にバックをつみこんでいく。
渡部さんのテントは、いわゆるツェルトで、250グラムしかない。
居住性はわるそうだけど、渡部さんは
「ぼくの家だ」といって満足そうだ。
軽量化するといっても、ふたりの自転車は、
かなりの量の荷物をのせている。
いぜんのわたしだったら、「キャンプごっこ」のほうに意識がむかい、
キャンプらしい装備にこだわっただろうけど、
歳をとったせいか、いまはできるだけかるい荷物ではしりたい。
いくらかるくても、テントなんかもっていかないで、
雨と風をしのげて 野宿できる場所をさがす
(そこらへんは、「野宿野郎」の編集長、
かとうちあきさんの影響がおおきい)。
食事をつくるのにマキでかまどをつくるのはめんどくさいので、
ガソリンストーブのほうがいい。
汗をかいてはしったあとは、
まずお風呂にはいってさっぱりしたいところだ。
渡部さんとはなさんの自転車キャンピングは、
いまのわたしなら、まずやらないようなスタイルだけど、
おふたりともすごくたのしそうだった。
渡部さんは、いちにち外にいたことをよろこんでいる。
はなさんも、アシストつき自転車とはいえ、
きゅうな坂道をのぼりきった自分に感動していた。
自転車でのキャンプを、なにもしらないふたりだから、
よけいにたのしい体験となったのだろう。
ソフィスティケートされたわたしには、味わえないよろこびであり、
おふたりの率直なよろこび方がいいかんじだった。
あそんだ、という充実感が大切なのだろう。
30年ちかくまえに、一條裕子さんの『自転車キャンピング』をよみ、
自転車での旅行をこころざしたわたしなので、
ロードレースやヒルクライムとはべつの興味をかきたてられた。
番組では、カメラマンの渡部さんと、おわらい芸人のはなさんが
100キロのコースを、キャンプ場で1泊しながらはしる。
まず、自転車でのキャンプになれているガイドから、
装備や荷物のつみ方をおそわり、それぞれ軽量化をめざしながら
自転車にバックをつみこんでいく。
渡部さんのテントは、いわゆるツェルトで、250グラムしかない。
居住性はわるそうだけど、渡部さんは
「ぼくの家だ」といって満足そうだ。
軽量化するといっても、ふたりの自転車は、
かなりの量の荷物をのせている。
いぜんのわたしだったら、「キャンプごっこ」のほうに意識がむかい、
キャンプらしい装備にこだわっただろうけど、
歳をとったせいか、いまはできるだけかるい荷物ではしりたい。
いくらかるくても、テントなんかもっていかないで、
雨と風をしのげて 野宿できる場所をさがす
(そこらへんは、「野宿野郎」の編集長、
かとうちあきさんの影響がおおきい)。
食事をつくるのにマキでかまどをつくるのはめんどくさいので、
ガソリンストーブのほうがいい。
汗をかいてはしったあとは、
まずお風呂にはいってさっぱりしたいところだ。
渡部さんとはなさんの自転車キャンピングは、
いまのわたしなら、まずやらないようなスタイルだけど、
おふたりともすごくたのしそうだった。
渡部さんは、いちにち外にいたことをよろこんでいる。
はなさんも、アシストつき自転車とはいえ、
きゅうな坂道をのぼりきった自分に感動していた。
自転車でのキャンプを、なにもしらないふたりだから、
よけいにたのしい体験となったのだろう。
ソフィスティケートされたわたしには、味わえないよろこびであり、
おふたりの率直なよろこび方がいいかんじだった。
あそんだ、という充実感が大切なのだろう。
2021年08月31日
寝袋はあたたかくなければ、という本質論がすき
ネパールのポカラにあるゲストハウス
「スルジェハウス」にとまっていたときのこと。
わたしはアウトドア用品にうとく、寝袋なしで旅行していた。
おなじ部屋にいたひと(スルジェにとまるのは、ほとんどが日本人)が
べつの町へ移動する朝、ベッドにひろげてあった寝袋を、
てきとうなやり方で袋につめこんでいる。
袋といっても、靴をいれる程度のおおきさしかない。
そんな袋に、おおきな寝袋がはいるわけないじゃん、
とおもってみていたら、あれよあれよという間に
袋のなかへと おさまってしまった。
あとでしりあいに そのときのことをはなすと、
羽毛でできた寝袋だったのだろう、とおしえてくれた。
高級なダウンは、おどろくほどコンパクトにまとまるそうだ。
あまりにもちいさな袋におさまってしまったので、
わたしは手品をみたときのように、ただおどろいてしまった。
部屋にいたなんにんかの旅行者で 寝袋が話題となり、
あるひとが、べつにいやみではなく、自分の体験として、
「でも寝袋はあったかくないと意味がないよね」
と、さらっといった。
どんなにかるくてコンパクトでも、あったかくない寝袋は、
寝袋としての用をはたさない、という意味だ。
もちろん夏用の寝袋もあり、季節により、
いろいろなつかい方があるのだろうけど、
夏の寝袋は、べつに寝袋である必要はなく、
寝袋カバーやシーツでも用がたりる。
寝袋が、ほんとうになくてはならないのは、
さむくてねむれない冬や秋だけだ。
わたしはそれほどシビアな旅をした経験がなかったけど、
「寝袋はあったかくないと意味がない」
のひとことは、機能を重視したとらえ方として
わたしの胸にふかくささった。
こういう本質論がわたしはすきで、
たとえば服はいくらかっこよくても、
あたたかくなければ意味がないし、
カバンは量がはいらなければつかえないとおもう。
たべものだって、おいしさよりも、
腹もちでえらんでいるところがある。
自動車は、ちいさくて、物があるていどつめたらじゅうぶんで、
おおきな排気量や、外国産の車に興味はない。
わたしの価値観、というかものごとの優先順位は、
いつだって機能重視だ。
こんなわたしだから、ファッションには当然うとい。
自分のことだけならまだしも、髪がながい女のひとをみると、
あらったり、かわかしたりがめんどくさいだろうに、と
よけいな感想がどうしてもわいてくる。
デザイン重視のちいさなカバンは、
もしかしたらたかいブランドものかもしれないけど、
量がはいらないのにおつかれさま、とおもう。
機能的でないものにたいし、ひどくつめたい目をむけがちだ。
お金よりも、ものに価値をおくのは、
おさないころによんだ『ロビンソン漂流記』の影響だろう。
いくらお金をたくさんもっていても、
灯油の一斗缶や、コメ一俵がもつ 説得力のまえでは影がかすむ。
お金ではさむさや空腹はいやせないけど(貨幣経済に背をむける男)
お米さえあれば、とりあえずお腹いっぱいたべられる。
世間はキャッシュレスへとかわりつつあるけど、
ほんとうに大切なのは、お金ではなく ものなのだとしんじている。
「スルジェハウス」にとまっていたときのこと。
わたしはアウトドア用品にうとく、寝袋なしで旅行していた。
おなじ部屋にいたひと(スルジェにとまるのは、ほとんどが日本人)が
べつの町へ移動する朝、ベッドにひろげてあった寝袋を、
てきとうなやり方で袋につめこんでいる。
袋といっても、靴をいれる程度のおおきさしかない。
そんな袋に、おおきな寝袋がはいるわけないじゃん、
とおもってみていたら、あれよあれよという間に
袋のなかへと おさまってしまった。
あとでしりあいに そのときのことをはなすと、
羽毛でできた寝袋だったのだろう、とおしえてくれた。
高級なダウンは、おどろくほどコンパクトにまとまるそうだ。
あまりにもちいさな袋におさまってしまったので、
わたしは手品をみたときのように、ただおどろいてしまった。
部屋にいたなんにんかの旅行者で 寝袋が話題となり、
あるひとが、べつにいやみではなく、自分の体験として、
「でも寝袋はあったかくないと意味がないよね」
と、さらっといった。
どんなにかるくてコンパクトでも、あったかくない寝袋は、
寝袋としての用をはたさない、という意味だ。
もちろん夏用の寝袋もあり、季節により、
いろいろなつかい方があるのだろうけど、
夏の寝袋は、べつに寝袋である必要はなく、
寝袋カバーやシーツでも用がたりる。
寝袋が、ほんとうになくてはならないのは、
さむくてねむれない冬や秋だけだ。
わたしはそれほどシビアな旅をした経験がなかったけど、
「寝袋はあったかくないと意味がない」
のひとことは、機能を重視したとらえ方として
わたしの胸にふかくささった。
こういう本質論がわたしはすきで、
たとえば服はいくらかっこよくても、
あたたかくなければ意味がないし、
カバンは量がはいらなければつかえないとおもう。
たべものだって、おいしさよりも、
腹もちでえらんでいるところがある。
自動車は、ちいさくて、物があるていどつめたらじゅうぶんで、
おおきな排気量や、外国産の車に興味はない。
わたしの価値観、というかものごとの優先順位は、
いつだって機能重視だ。
こんなわたしだから、ファッションには当然うとい。
自分のことだけならまだしも、髪がながい女のひとをみると、
あらったり、かわかしたりがめんどくさいだろうに、と
よけいな感想がどうしてもわいてくる。
デザイン重視のちいさなカバンは、
もしかしたらたかいブランドものかもしれないけど、
量がはいらないのにおつかれさま、とおもう。
機能的でないものにたいし、ひどくつめたい目をむけがちだ。
お金よりも、ものに価値をおくのは、
おさないころによんだ『ロビンソン漂流記』の影響だろう。
いくらお金をたくさんもっていても、
灯油の一斗缶や、コメ一俵がもつ 説得力のまえでは影がかすむ。
お金ではさむさや空腹はいやせないけど(貨幣経済に背をむける男)
お米さえあれば、とりあえずお腹いっぱいたべられる。
世間はキャッシュレスへとかわりつつあるけど、
ほんとうに大切なのは、お金ではなく ものなのだとしんじている。