2021年04月17日

ヒロシさんの「迷宮グルメ」で北マケドニアのやこしい事情をしる

ヒロシさんの「迷宮グルメ異郷の駅前食堂」をみていたら、
北マケドニア縦断特集の回だった。マケドニアという国が、
旧ユーゴスラビアにあることはしっていたけど、
北マケドニアというのははじめてきいた。
スーダンから南スーダンが独立したように、
マケドニアの北部地方が独立をはたしたのだろうか。
ネットをみると、マケドニアから独立したわけではなく、
ただ名前がかわっただけだ。2019年のことだという。
https://britannicalearnjp.com/2019/08/23/macedonia/
サイトにある説明には、旧ユーゴスラビアならではの
こみいった事情がわかりやすくかいてあり、
よみものとして とてもきょうみぶかい。
北マケドニアはあっても南マケドニアはないようだ。

ヒロシさんが町をぶらつき、
注文するコーヒーや料理はどれもやすくておいしそうだ。
ギリシャ料理に にているようにみえた。
薪ストーブをうっているお店があり、
北マケドニアはまずしいから薪ストーブをつかうんだ、と
お店のひとがはなしていた。
国がまずしいことを、自虐的にうけいれているようすに、
自虐ギャグでわらうしかない島根県民として好感をもった。

「音楽遊覧飛行」(NHK-FM)のエキゾチッククルーズでは、
サラーム海上さんが世界各地の音楽を紹介してくれる。
エンディングにかかる曲がいちばんいいという、かわった番組だ。
あまりにもマイナーな曲がかかるので、
リクエストしてくるひとはめったになく、
よくこの番組がつづいているものだとすこし心配している。
このまえは、めずらしく3通のリクエストがよせられていて、
海上さんがよろこんでいた。

番組では、曲の紹介だけでなく、国の歴史もざっとふれられる。
このまえは、ハンガリーの首都ブダペストについてはなしてくれた。
ブダペストは、ケルト人がすむ町としてはじまり、
13世紀には、アジアからきた騎馬遊牧民族の
マジャール人によって略奪をうけ、
15世紀にハンガリー帝王国として再建されたものの、
16世紀にはオスマン帝国に侵略され、18世紀からは
オーストリア=ハンガリー帝国に支配されている。
もともとは、ドナウ川をはさんだ2つの町、
ブダとペストにわかれていたのが、合併され、
ウィーンにつづく第2の首都になったそうだ。
なんども列強からの侵略をうけた歴史がいたましい。
北マケドニアとブダペストとは、なにも関係ないけど、
複雑な歴史からむりやりこじつけてみた。
ドナウ川といえばスメタナの「モルダウ」で、と
かこうとしたら、「モルダウ」にでてくるのは
チェコをながれるべつの川だった。

posted by カルピス at 17:48 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月05日

「ヒロシの迷宮グルメ」日本編がはじまった

「ヒロシの迷宮グルメ」が、ついに日本編へとうつる。
新型コロナウイルスの影響により、外国での取材ができなくなり、
とりためてあった収録が底をついていた。
再放送や編集したスペシャル版でしのいできたけど、
いよいよながせる内容がなくなってきたのだろう。
とうとうこの日がきたか、と感慨にふけっていたら、
青森五所川原とトルコをくみあわせての放送だった。
そして、次回は台湾縦断スペシャルというから、
まだかんぜんに舞台を日本へうつしたわけではなさそうだ。

ヒロシさんが日本の町にでかけたら、どんなことがおこるのか。
外国語ができないヒロシさんが、
異国の町をうろつくからおもしろいのであり、
日本語があたりまえにつうじる日本の町で、
番組のもち味をいかせるのだろうか。
それに、知名度のたかいヒロシさんが町をあるいたら、
人だかりができて、自然な収録にならないのでは。
番組は、どんな方針で日本編にとりくむのだろう。

番組のスタイルは、海外編とまったくいっしょだった。
オープニングの音楽や、グーグルによる地図、
そして、ヒロシの事務所から何キロ、という表示。
五所川原の駅についてから構内をぶらつき、
駅周辺をあるくのも、海外編とおなじだ。
とおりをあるくひとがすくなく、
「キャー!ヒロシだ!」とはならない。
なんらかのかたちでスタッフが規制しているのだろうか。
ヒロシさんがお店をのぞき、商品についてあれこれ質問する。
日本語がすんなりつうじるけど、
つうじない海外編とおなじような雰囲気だ。
ここは日本、という違和感がない。
いっしょに番組をみていた配偶者は、
外国のほうがおもしろい、といっていたけど、
わたしはそれなりにたのしめた。
ただ、こうした日本の町をたずねる企画は、
ほかにもプラタモリだったり、鶴瓶のなんとかだったりと、
にたような番組がいくつもある。
ヒロシさんの町あるきとして、はっきり差別化をはからないと、
みるものの関心をひかないだろう。

番組の後半は、トルコのセルチュク駅にヒロシさんがおりる。
例によって町をぶらつき、お店にはいり、
つうじない会話でかいものをする。
ヒロシさんはへんにうんちくをたれず、
おもったことをそのままことばにだす。
この日、ヒロシさんがえらんだ食堂は、
パンに肉をはさんだトルコ式サンドイッチのお店だった。
牛や豚の小腸を、鉄の棒にまきつけて火であぶる。
注文におうじてそれをきりとり、
もういちど火をとおしてからパンにのせていた。
いかにもおいしそうだ。
五所川での海鮮丼がいかに豪華だっとはいえ、
みたことのない外国のたべものにはかてない。
海鮮丼をたべに五所川原へいきたとはおもわないけど。
肉のサンドイッチをたべにトルコへはいってみたい。
新型コロナウイルスは、まだ感染がおさまっていないものの、
活発にうごきだしている国もある。
「迷宮グルメ」が、外国へもどる日はちかいのではないか。

posted by カルピス at 21:15 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月02日

妄想旅行

新型コロナウイルスがおちつかないため、
このごろはなんでもリモートや妄想で
「いったつもり」「やったつもり」がはやっている。
海外旅行も状況はきびしく、タイくらいなら、
すぐにいけるかとおもっていたのに、
どうもそれほどかんたんではなさそうだ。
しばらく海外旅行にはいけそうもないので、
おもいきって、ながめの旅行を妄想してみたい。

わたしがちかい将来にいこうとしているのは、
サンチャゴ=デ=コンポステーラへの巡礼の旅だ。
フランスのル=ピュイからのコースをえらぶと、
フランスを900キロ、スペインを900キロあるいて
目的地のコンポステーラにたどりつく(らしい)。
いちにちに20キロあるいても、3ヶ月かかる。

あるくのにてきしているのは4月から6月だろう。
妄想旅行なので、うんとよくばって計画してみよう。
せっかくフランスへいくのだから、
そのまえにモロッコとチュニジアへいかない手はない。
フランスのまえに、2カ国を1ヶ月でまわるとして、
3月に旅行をスタートさせる。
3月のモロッコなら、もうそんなにさむくはないはずだ。

予算はいちにち3000円でいけるのではないか。
4ヶ月は120日なので、36万円が最小限準備するお金となる。
ギリギリではたのしめないので、余裕をもたせ、
50万円あれば こころぼそいおもいをせずにまわれるだろう。
このうえに、飛行機代と保険代で、さらに20万円が必要だ。
リュックは30リットルのおおきさにとどめよう。
寝袋とMacBook Air、それにキンドルはかかせない。
10キロはとても背おえないので、
その意味からも30リットルがわたしにはてきしている。
巡礼宿でのワインがいまからたのしみだ。

せっかくだから、かえりはタイでからだをやすめたい。
7月のタイは雨期にはいっているけど、
巡礼のごほうびとして、「やすむ」イメージがたいせつだ。
もちろん目的はタイマッサージで、
北部のすずしい町に滞在し、マッサージざんまいの日々をすごす。
何年かまえにいった、ラオスのシーパンドンもよかったけど、
そこまでよくばると、いくら「妄想」とはいえ
リアリティがとぼしくなる。
タイからさきは、またつぎの旅行としよう。
問題は、2匹のネコたちだ。
家5ヶ月もるすにするのはなかなかむつかしい。
妄想力をたかめ、不可能をクリアーしていきたい。

posted by カルピス at 21:59 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月05日

トランジットで一泊したモスクワの記憶

デイリーポータルZに地主恵亮さんの
「ソ連時代のガイドブックでロシアに行く」がのった。
再放送の記事で、公開されたのは2016年だ。
https://dailyportalz.jp/kiji/160317195945

記事とはぜんぜん関係ないけど、
わたしは飛行機の のりつぎ時間の関係で、
ひとばんだけモスクワにとまったことがある。
デリーからアテネにむかうアエロフロートは、
モスクワでいちにちをすごしてから、
つぎの日にアテネへとむかう便だった。
1987年の5月、いまから33年まえのはなしだ。

ソ連が崩壊したのが1991年だから、
もうそろそろ30年になるわけで、
わかいひとのなかには、ソ連という国があったことを
しらないひともおおいのではないか。
わたしは、いまでも「ソ連」と、よく口にしてしまう。
あたまのなかではロシアだって、けっきょくは
ソ連みたいなものだろうと、おおざっぱにとらえている。

ひとばんとまった、といっても、それはソ連のことだから、
自由行動はみとめられていない。
空港でやたらとまたされたあげく、
10人ほどの旅行者がバスにのせられて
空港ちかくのホテルにはいった。
2人部屋で、わたしはこれからドイツではたらくという
タイ人のわかものとおなじ部屋だった。
ホテルからかってにでられないけど、
モスクワの市内観光をするバスがホテルにむかえにきた。
わたしは体調がよくなかったため、部屋にのこったので、
ソ連のことは、空港とホテル以外、まったくしらない。
5月だというのに、ひえびえとした空気をおぼえている。
もっている服をぜんぶきてもさむかった。

ソ連といえばトイレだ。男性用トイレの便器が、
ものすごくたかいところにとりつけてあり、
身長180センチのわたしでも、つかいずらい。
トイレにそなえつけてある紙は、
トイレットペーパーではなく、長方形の茶色い紙だった。
おしりをふきたくないぐらい、ゴワゴワでかたい紙だ。
食事はぜんぶホテルの食堂でとった。
朝ごはんと昼ごはんは、ハムやソーセージなどのつめたい食事で、
夕ごはんは料理されたものだった。
味については、なにもおぼえていない。

空港とホテルしかしらないのに、
なんにちも滞在した国とおなじように、
ソ連について、いくつかの断片が記憶にひっかかっている。
予定していた旅行ではなく、なにもしなかった一泊二日なのに、
いまとなっては いいおもいでとなったトランジットだ。

posted by カルピス at 22:05 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月13日

ラジオマンジャックの生放送再開と、サンチャゴ巡礼

「ラジオマンジャック」(NHK-FM)は、先週から
「スタジオからの生放送」になっている。
まだレギュラー全員はあつまれず、
赤坂さん・時東さん・門司さん、3人による放送として再開された。
3人はそれぞれ距離をおき、マスクをつけ、
スタジオのドアもあけはなっているそうだ。
内容は、生放送と、名作選の両方をまじえている。
番組におくられてくるメールからは、
こういう無駄な番組があるすばらしさ、みたいなニュアンスで、
ひさしぶりの生放送をよろこぶ声がきこえてくる。
いつもの時間に、いつもの番組を、みんなもとめている。
それが日常の象徴だから。
あんまりもちあげられると赤坂さんはてれくさいようで、
「あっ!いたの」ぐらいのあつかいでちょうどいい、
なんていってる。気もちはよくわかる。
あまりひなたに位置づけられ、いいこになってしまったら
おもしろみがなくなる番組だろう。
きょうは「除菌モード全開」でとどけてくれるという。
誤字脱字番組なので、こまかいことはほっといて、ともいわれた。
「ラデツキー行進曲」にあわせた赤坂さんの歌がおかしかった。
生放送は、やっぱ、いいなー、とおもったら、以前の企画だった。
けっきょくどっちでもよかったりして。

新型コロナウイルス対策がととのってくると、
状況にあわせたマニュアルができて、コロナがあるのを前提とした、
コロナとつきあいながらの生活があたりまえになってくる。
感染が完全にはおさまらなくても、ラジオマンジャックのように、
スタッフの人数を制限し、スタジオでの収録がつづけられる。
せんじつの記事でかいたように、
わたしがいくプールも「新しい利用方法」をとりいれて、
利用できるようになった。
更衣室はリスクがたかいということで、
ジムを利用するひとは、更衣室、そしてシャワーがつかえない。
プールを利用するには、会議室が更衣室になり、
いちどに7人まで、という制限がかかっている。
施設にはいるにはマスクをつけなければならないし、
はいるとき・でるときは、消毒がもとめられている。
映画では、県民会館が、500席あるホールの定員を100人にして、
おためしの上映会をこころみだした。
ホールや映画館は、こんな形でつかうようになるのだろう。
わたしがにがてなマスクとソーシャルディスタンスは、
あと何年か つきあわないといけないのかも。

NHKーBSでサンチャゴ=デ=コンポステーラの巡礼をとりあげていた。
わたしも、いつかあるいてみたい、とおもっている巡礼コースだ。
番組によると、宗教への関心はひくくなっているのに、
ながい距離をあるく「旅」として、だんだん人気がでているという。
コロナの影響で、いまは巡礼旅はできないだろう。
65歳に実行しようとおもっていたので、
そのときまでには、自由に国境をいききし、
旅行ができるようになっているだろう。
わたしにとっては6年さき ぐらいがちょうどいい。

番組としてとりあげるから当然とはいえ、
巡礼をしているひとは、それぞれなやみをかかえている。
まじめに仕事をしすぎて、つかれはてたひとや、
ちいさいころからゆっくりものごとをすすめられず、
ついセカセカとうごいてしまうひと。
もっと楽に生きられたらいいのに、とおもった。
巡礼路をあるいていると、まわりにたすけられて、
やさしい気もちになれた、みたいなことをみんないう。
わたしは、もし1600キロをあるきとおしても、
きっとなにもかわらないとおもう。
ひとにやさしくなんて、なれそうにない。
それでもサンチャゴへの道をあるくときめている。

posted by カルピス at 20:23 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする