2017年05月26日

ドコノコをはじめていちねん

ほぼ日がつくったアプリ「ドコノコ」に
https://www.dokonoko.jp/
ピピの写真をのせるようになってから 一年たつ。
「ドコノコ」は、うちのコもよそのコも、どのコも気にかけて
すべての動物がしあわせに、というイマジンみたいなアプリで、
写真をアップすると、ピピを気にしてくれるひとたちから
「いいね!」がすぐにおくられてくる。

3年前にピピが口内炎になったときは、
いっしょにすごせるのは、もうながくないと覚悟したのに、
それからもピピはしぶとく生きつづけた。
一年まえにアップした写真をみると、
いまよりも毛づやがよく、あんがいげんきそうだ。
一年後のいま、ずいぶんやせたし、
毛の色がトラネコみたいに茶色になっている。
トイレシートのうえでおしっこをし、そのままねてしまうので、
毛におしっこがしみついてしまった。
タオルでふいたり、シャンプーすればいいけど、
ほったらかしたままがおおいので、
いまでは あらっても茶色のままだ。

ときどきごはんをたべなくなり、
いよいよおわかれかと、しんみりした気分でいると、
「な〜んちゃって」といってるかのように、
ピピはふたたびげんきをとりもどしてきた。
むこうの世界へ、しばらくいくつもりはなさそうなので、
ながいきしてね、のメッセージをこめ、
ピピがすきなモンプチを72個×2箱注文した。
ピピ2.jpg
このごろは、わたしがねる時間になると
ピピもベッドにきて わたしのうえによじのぼってくる。
ピピの寝場所を気にしながらの睡眠となり、
きゅうくつな姿勢のせいか、首と肩がいたくなった。
1ヶ月たってもなおらないので、きょうは整体の治療院へいっている。
ピピとしては、いちにちのほとんどをねてすごしているだけでも、
いっしょにくらすわたしたちにとって、存在感はかわらない。
ピピの終活につきそっているつもりだったけど、
もうしばらくは、お世話をさせてもらえそうだ。
わたしのからだにしがみつき、ノドをならしてくれるピピ。
どのネコも、ピピのようにあまえてくれるわけではない。
ピピとすごせて わたしは幸運だった。

ほぼ日のトップページに、まえはブイヨンの写真がのっていたけど、
いまは「ドコノコカメら」として、
ひがわりでネコや犬の写真がのるようになった。
被写体として、ネコはしばしば味のある表情をみせる。
どのネコもすごくかわいい。
世界じゅうのネコたちが しあわせでありますように。

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2017年05月19日

「困っている人と動物がいたら、学校や仕事に遅れてもいいから助けなさい」といったベッキーのおとうさん

けさの朝日新聞に、ベッキーさんが父親についてかたる
「おやじのせなか」がのった。
イギリス人であるお父さんは、
困っている人と動物がいたら、学校や仕事に遅れてもいいから助けなさい

とベッキーさんにおしえてくれたそうだ。
こういう具体的なことばは、
行動規範として 子どもの胸にふかくきざみこまれるだろう。
ただ「たすけなさい」よりも、
「学校や仕事に遅れてもいいから」がつくと、
とっさの判断をたすけてくれる。

こまっているひとは、どんな事情があるかわからないので
(かかわらないほうがいい場合もある)、
わたしはあまりたすけたくないけど、
こまっている動物は、100%こまっているのだから
たすけたほうがいい。たすけなければならない。
子どもだと、どうしたらいいかまようだろうから、
お父さんが まえもってちゃんとおしえてくれていたら
ためらわなくてもすむ。
おおくの子どもたちは、自分としてはたすけたくても、
親が反対するから こまっている動物を 家につれてかえれない。
ベッキーさんの家のように、親が「助けなさい」
といってくれるところはすくないだろう。

わたしも、基本的にはこまっているネコがいたらたすけるほうだけど、
ときどきためらうし、自分のつごうしだいでは、
ネコでさえほっておくこともある。
むすこが小学生のときに、公園でみかけたネコを
家でかっていいかどうかきいてきた。
もう子ネコではなく、そんなにこまってそうでなかったから、
わたしは一家のあるじとして、もっともらしい顔をしながら
「だめ!」といってしまったダメおやじだ。

ネコならたすけやすくても、もしタヌキがこまっていたら
わたしはなにをするだろう。
何年かまえに、獣医さんで順番をまっていたら、
看護婦さんが タヌキをはこびこんできた。
通勤のとちゅうで、そのタヌキがたおれていたのだそうだ。
先生は、こまったなー、といいながらも なんだかうれしそうで、
この病院のスタッフは、ほんとうに動物がすきなんだなー、と
みていたわたしは ますますその病院を信頼するようになった。

やさしいひとになりなさい、とか、
ひとに親切にしなさい、よりも、
「困っている動物がいたら助けなさい」
のほうが よい教育となる。
親だって、いったからには 自分でも実践しなければ
子どもへのしめしがつかない。
わたしも こんなセリフのいえる、かっこいい父親でありたかった。

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2017年05月17日

新人職員の「だれよりもネコずき宣言」に感心する

4月から おなじ事業所ではたらいている20代の男性が、
ネコをかいたいという。
ネコアレルギーだけど、ネコをかいたいという。
新人職員なので、わたしは彼のことをほとんどなにもしらない。
ネコアレルギーなのに、かっても大丈夫ですか、ときくと、
子どものころは、家でネコと犬をかっていたのだそうだ。
おとなになってから、ネコアレルギーの症状がでたらしい。

あろうことか、
「ぼくは、ネコをかってないけど、
 ネコをかっているひとより
 ネコずきの自信があります」なんていう。
子どものころの体験から、そんなふうにおもってるのだろうけど、
ほかのひとがどれだけネコをかわいがっているか わからないのに、
自分のほうがもっとネコがずき、ときめつけるのはへんなはなしだ。
まったく根拠のない自信であり、反論するのもバカバカしいけど、
こういうのは、わかいころしかいえないかもしれない。

彼の発言にわたしがひっかかったのは、
じつは わたしも、自分こそだれよりもネコずきとおもっている
おろかものだからだ。
むすこがまだ保育園にかよっていたころ、
家のネコたちが自分のほうにこないと むすこは不満そうだった。
配偶者はすぐに、そんなことないでしょ、
だっこさせてくれるし、となぐさめたけど、
むすこが「父ちゃんのほうばっかりにいく」というと、
「あ、父ちゃんとくらべてか、それは無理ムリ」と
きゅうにむすこをなぐさめる配偶者のトーンがさがった。
配偶者は、けしてわたしをほめようとしたのではなく、
むしろ あきらめ、もしくはさみしさにちかいつぶやきだった。
これまでに配偶者がくちにした どんなことばよりも
わたしにたいする評価が率直にあらわれており、
いわれたわたしは しみじみといい気分になった。

もういちど
「ネコをかってないけど、
 ネコをかっているひとよりネコずき」
とおもいこんでいる新人職員にはなしをもどす。

わたしはサッカーをしたことがないけど、
サッカーをするひとよりじょうずな自信があります、
なんていうと、ぜんぜん通用しないけど、
どれだけすきかは、目にみえないので、どうとでもいえる。
もし彼が女性にたいして、「だれよりもあなたがすき」と
正面きって堂々といえば、かなり説得力がありそうだ。
このひとぐらい かんたんに「すき」という場合、
たいていはただのおもいこみなわけで、
いわれた女性はじきにがっかりしそうだけど。

それでも、いわれたひとからすると、 わるい気はしないだろう。
根拠のない自信は、最強のくどき文句をうみだしかねない。
わたしにはとてもいえないセリフだ。
本気でいっているのだから、
いわれたほうもいきおいにのまれてしまう。
年をとり、いろいろわかってくると、
こんなふうにストレートな表現はできないけど、
わかいころは これぐらいのかんちがいが必要かもしれないと
だれよりもネコずき宣言に感心してしまった。

posted by カルピス at 21:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月31日

まよいネコのチラシ

しりあいのハーブショップをたずねたら、
いりぐち ちかくに「まよいネコ」のチラシがおいてあった。
6歳のアメリカンショートヘアで、かわいい写真とともに、
ひとなつっこい、など、ネコの特徴がかきこんである。
「いなくなった日」におどろいた。
3月30日、つまりきのうだ。
きのういなくなったネコをさがすチラシが、
つぎの日すぐに用意され、 あちこちにまかれているのはすごい。
おもわずわらってしまったけど、
いなくなったつぎの日につくられたチラシから、
ものすごく心配されているのがつたわってくる。
ふだんは家のなかでかっているネコで、
なにかのひょうしにそとへでてしまったらしい。
車におどろいたりすると、ネコはダッシュでかけだすので、
家がどこだったか すぐにわからなくなる。
心配されるのはとうぜんだ。
チラシのほかにはSNSにもかきこんだり、
保健所にも連絡をいれられたそうだ。

わたしもいっしょにくらしているネコがいなくなり、
チラシをくばったことがある。
このときは、1週間まったけど もどってこないので、
できることならなんでしようと チラシをつくった。
図書館には、ネコをさがすための本がちゃんとあり、
そのなかにチラシのつくり方ものっていた。
その本によると、いなくなった日をかきいれると、
日数がたったときに、チラシをみたひとが もうだめだろうと、
はじめからきめつけてしまうのでよくない、とかかれていた。
でも、さがすほうの気もちとしては、
日づけの情報もいれて、できるだけリアルなチラシにしたくなる。

わたしのネコは、チラシをみてくれたのか、
2週間ほどしてからかえってきた。
そのあいだ、わたしはかなりうろたえて、
こんなにかなしいおもいをしている人間は
わたししかいないと、2どほど ひどくないたのをおぼえている。
涙をだすと、すごくすがすがしい気もちになるのを
このときはじめてしった。

家族旅行にでるので、配偶者の実家にネコをあづけたたら、
すぐにいなくなってしまったこともある。
このときは、田舎ではよくつかわれている有線で
ネコがいなくなった「ニュース」をながしてもらった。
「目撃者」がすぐに連絡をくださり、
その情報を手がかりにさがしたら、すぐにみつかった。

きょうのチラシにのったアメリカンショートヘアの子が、
ぶじにかいぬしのもとへもどってくるようねがっている。
すべてのネコがしあわせでありますように。

posted by カルピス at 21:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月12日

さむくなるとピピは

ピピがどれだけごはんをたべたかについて、表に記録している。
はじめはどれだけたべたかだけでなく、
トイレにいったかどうか、水をのんだかなども、
時間といっしょにかきこんでいた。
口内炎をわずらい、満足にごはんをたべられなくなったピピは、
いちにちに1.5缶のモンプチをたべないと 死んでしまうので、
なんとしても必要な量をたべるように、
いちにちの食事を記録しておきたかった。
1.5缶をしたまわる日がつづいたりしたら たいへんだ。

しかし、そんなにながくない寿命とおもっていたピピは、
おもっていたよりもずっとしぶとく生きつづけてくれる。
口内炎になってからもう3年ちかくたつのに、
ほぼねるだけの生活になってはいるものの、
ノルマである1.5缶以上をたべてくれるので、
もうしばらくは いっしょにくらせそうだ。
そうなると、食事記録は だんだんいいかげんになり、
このごろは 気のむいたときだけメモをする。
たべる量のうつりかわりをエクセルにうちこんで、
グラフにしていたのは いつのころまでだったろう。
まえはモンプチをお皿にあけると、
どんなにさむい夜でも、ピピがたべおわるまでついていたのに、
いまはひとりですぐにベッドへもどる。

あたたかくなったとおもったら、
先週は、また冬のさむさがもどってきた。
さむくなると、ピピは わたしに からだをぴったりくっつけてねむる。
くっつけるだけならいいけど、
その姿勢のままおしっこをするので、
わたしは2時間おきにパジャマの異変で目をさます。
わたしのパジャマがぬれなくなったときが、
すなわち春のおとずれとなる。

このまえ「ほぼ日」の「ドコノコカメら」に、
あまえじょうずなネコの写真がのった。
ひとの胸にピタッとくっついて、
安心しきったように目をつむっている。
でも、こんなことをいうと親バカまるだしだけど、
ピピはもっとすごいぞ。
ベッドによじのぼり、わたしの目をみながらせまってくる。
ハナをすりよせたり、わたしのハナをなめたり。
そうか。ピピはあまえじょうずだったんだ。
だかれるのをいやがるネコもいるので、
ピピみたいに自分から胸におさまってくれるのは
ネコとくらす しあわせそのものだ。
写真.jpg

posted by カルピス at 20:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする