2017年06月11日

ゴッドハンドかとおもったピピのオシッコ

2ヶ月ほどまえから首と肩がいたい。
ピピがいつもわたしのとなりでねることから、
へんな姿勢がつづいてしまい 寝ちがえたのだろう。
肩はよくまわるし、うでもうえまであがるので、
50肩ではないはずだ。
生活するのにそう不都合はないけど、
首をうごかすとジンジンいたむのはたのしくない。
ほっておいてもなおらないので、2週間まえに
これまでなんどかお世話になったことのある 整体院へいった。
わたしはもともと首がよわく、
数年にいちど、そのおみせでととのえてもらっている。
でも、こんかいはききめがなく、
おなじいたみがそのあともつづく。

2日まえは、これもときどきお世話になっている
マッサージのお店をたずねる。
状況を説明し、もんでもらうけど、だめだった。
こういうお店は、こっている場所をちょくせつさわるのではなく、
全身にちらばる いっけん関係ないツボをおさえていく。
肩がいたくても、首がまわらなくても、
マッサージのやり方はいつもとおなじだ。
どこをさわられても気もちいいけど、
こりをほぐされていく快感はあじわえないし、
いちどのマッサージでは解決されなかった。

きのうはピピがしきふとんのうえでオシッコをする。
厳重にしいたつもりのトイレシートをかいくぐり、
シーツのしたにもしいていたトイレシートもかいくぐり、
しきぶとんがぐっしょりぬれている。
してはいけないところでオシッコするときは、
なぜかトイレでするときよりも はるかに量がおおい。
がっくりくる。

シーツをあらい、ふとんをほし、
ピピにお説教してからひるねにつく。
目がさめると、なんだか首と肩がらくになった気がする。
しきぶとんなしの、うすいクッションが、
いい姿勢をとれせてくれ、首がほぐれたようだ。
いつまでもつづくわたしのいたみをさっし、
計算づくでピピはオシッコをしたのだろうか。
まったくおもってもみなかった角度からの
間接的なゴッドハンドだ。
不思議なめぐりあわせをアレンジしたピピに感謝する。

とおもったら、じきにいたみがもどってきた。
ゴッドハンドかとおもったピピのオシッコは、
めんどくさくてトイレにいくのを たださぼっただけだったのか。
でも、まだわからないと、親バカなわたしはおもう。
しばらくしたら、絶大な効果がじわじわでてくるかも。

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2017年05月30日

災害時にペットをどうまもるか

きのうの朝日新聞に、災害時のペットと避難について
環境省のガイドラインがのっていた。
これまでは
「同行避難」を基本として、飼い主にペットを入れるケージなどの準備を促し、自治体には避難所や仮設住宅で可能な限りペットを受け入れるよう求めた。

しかし、きょねんおきた熊本地震では、
避難所にはいったペットへの苦情がでたことから、
環境省がこれまでの指針をあらためている。
自治体に対し、避難所でペットを保護する場合はほかの被災者と分けるよう求める。また、避難所で保護できない場合に備え、飼い主や自治体などには預け先を確保しておくよう促す方針。

だれもが避難できる場所を
「避難所」というのかとおもっていたけど、
ペットはあまり歓迎されないみたいだ。
「人間第一主義」が避難所の基本であると、
今回のみなおしであきらかになった。
ということは、赤ちゃんや老人・障害者、そしておそらく外国人も
避難所で肩身のせまいおもいをするのではないか。

ほぼ日がつくったアプリ「ドコノコ」は、
自分の家にいるネコや犬を登録するときに、
避難所の場所をペットの住所として指定する。
https://www.dokonoko.jp/
ただ、あくまでも「指定」するだけで、
そこにいけばかならずペットをうけいれてもらえる
という意味ではない。
災害時にペットをどうあつかうかは、
さけてとおれない問題として、
ようやく自治体の意識にのぼったところだ。

ドコノコの機能として、
迷子になったイヌやネコを登録すれば
ドコノコからさがしだせる。
みんながヨソノコもドコノコも、
ウチノコとおなじように気にしたら、
迷子のペットが道をあるいていたときに、
「みかけないコがいます」とドコノコにしらせ、
かいぬしまでつながるかもしれない。

きょうは職場のクッキー工房で避難訓練があった。
冗談みたいな避難訓練とはいえ、
職員が意識のどこかに 避難する場面をおもいえがくのは
いい体験になるだろう。
職場での避難訓練に、ペットはもちろんふくまれない。
けっきょくペットの避難については、
それぞれが、自分の問題として 対応するしかない。
もし災害にあったとしたら、もちろん状況にもよるけど、
おそらくわたしは ピピといっしょに家にとどまる。
覚悟をきめたような 動物のいきかたは、
わたしにいろいろな道を おしえてくれるのではないか。

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2017年05月26日

ドコノコをはじめていちねん

ほぼ日がつくったアプリ「ドコノコ」に
https://www.dokonoko.jp/
ピピの写真をのせるようになってから 一年たつ。
「ドコノコ」は、うちのコもよそのコも、どのコも気にかけて
すべての動物がしあわせに、というイマジンみたいなアプリで、
写真をアップすると、ピピを気にしてくれるひとたちから
「いいね!」がすぐにおくられてくる。

3年前にピピが口内炎になったときは、
いっしょにすごせるのは、もうながくないと覚悟したのに、
それからもピピはしぶとく生きつづけた。
一年まえにアップした写真をみると、
いまよりも毛づやがよく、あんがいげんきそうだ。
一年後のいま、ずいぶんやせたし、
毛の色がトラネコみたいに茶色になっている。
トイレシートのうえでおしっこをし、そのままねてしまうので、
毛におしっこがしみついてしまった。
タオルでふいたり、シャンプーすればいいけど、
ほったらかしたままがおおいので、
いまでは あらっても茶色のままだ。

ときどきごはんをたべなくなり、
いよいよおわかれかと、しんみりした気分でいると、
「な〜んちゃって」といってるかのように、
ピピはふたたびげんきをとりもどしてきた。
むこうの世界へ、しばらくいくつもりはなさそうなので、
ながいきしてね、のメッセージをこめ、
ピピがすきなモンプチを72個×2箱注文した。
ピピ2.jpg
このごろは、わたしがねる時間になると
ピピもベッドにきて わたしのうえによじのぼってくる。
ピピの寝場所を気にしながらの睡眠となり、
きゅうくつな姿勢のせいか、首と肩がいたくなった。
1ヶ月たってもなおらないので、きょうは整体の治療院へいっている。
ピピとしては、いちにちのほとんどをねてすごしているだけでも、
いっしょにくらすわたしたちにとって、存在感はかわらない。
ピピの終活につきそっているつもりだったけど、
もうしばらくは、お世話をさせてもらえそうだ。
わたしのからだにしがみつき、ノドをならしてくれるピピ。
どのネコも、ピピのようにあまえてくれるわけではない。
ピピとすごせて わたしは幸運だった。

ほぼ日のトップページに、まえはブイヨンの写真がのっていたけど、
いまは「ドコノコカメら」として、
ひがわりでネコや犬の写真がのるようになった。
被写体として、ネコはしばしば味のある表情をみせる。
どのネコもすごくかわいい。
世界じゅうのネコたちが しあわせでありますように。

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2017年05月19日

「困っている人と動物がいたら、学校や仕事に遅れてもいいから助けなさい」といったベッキーのおとうさん

けさの朝日新聞に、ベッキーさんが父親についてかたる
「おやじのせなか」がのった。
イギリス人であるお父さんは、
困っている人と動物がいたら、学校や仕事に遅れてもいいから助けなさい

とベッキーさんにおしえてくれたそうだ。
こういう具体的なことばは、
行動規範として 子どもの胸にふかくきざみこまれるだろう。
ただ「たすけなさい」よりも、
「学校や仕事に遅れてもいいから」がつくと、
とっさの判断をたすけてくれる。

こまっているひとは、どんな事情があるかわからないので
(かかわらないほうがいい場合もある)、
わたしはあまりたすけたくないけど、
こまっている動物は、100%こまっているのだから
たすけたほうがいい。たすけなければならない。
子どもだと、どうしたらいいかまようだろうから、
お父さんが まえもってちゃんとおしえてくれていたら
ためらわなくてもすむ。
おおくの子どもたちは、自分としてはたすけたくても、
親が反対するから こまっている動物を 家につれてかえれない。
ベッキーさんの家のように、親が「助けなさい」
といってくれるところはすくないだろう。

わたしも、基本的にはこまっているネコがいたらたすけるほうだけど、
ときどきためらうし、自分のつごうしだいでは、
ネコでさえほっておくこともある。
むすこが小学生のときに、公園でみかけたネコを
家でかっていいかどうかきいてきた。
もう子ネコではなく、そんなにこまってそうでなかったから、
わたしは一家のあるじとして、もっともらしい顔をしながら
「だめ!」といってしまったダメおやじだ。

ネコならたすけやすくても、もしタヌキがこまっていたら
わたしはなにをするだろう。
何年かまえに、獣医さんで順番をまっていたら、
看護婦さんが タヌキをはこびこんできた。
通勤のとちゅうで、そのタヌキがたおれていたのだそうだ。
先生は、こまったなー、といいながらも なんだかうれしそうで、
この病院のスタッフは、ほんとうに動物がすきなんだなー、と
みていたわたしは ますますその病院を信頼するようになった。

やさしいひとになりなさい、とか、
ひとに親切にしなさい、よりも、
「困っている動物がいたら助けなさい」
のほうが よい教育となる。
親だって、いったからには 自分でも実践しなければ
子どもへのしめしがつかない。
わたしも こんなセリフのいえる、かっこいい父親でありたかった。

posted by カルピス at 21:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月17日

新人職員の「だれよりもネコずき宣言」に感心する

4月から おなじ事業所ではたらいている20代の男性が、
ネコをかいたいという。
ネコアレルギーだけど、ネコをかいたいという。
新人職員なので、わたしは彼のことをほとんどなにもしらない。
ネコアレルギーなのに、かっても大丈夫ですか、ときくと、
子どものころは、家でネコと犬をかっていたのだそうだ。
おとなになってから、ネコアレルギーの症状がでたらしい。

あろうことか、
「ぼくは、ネコをかってないけど、
 ネコをかっているひとより
 ネコずきの自信があります」なんていう。
子どものころの体験から、そんなふうにおもってるのだろうけど、
ほかのひとがどれだけネコをかわいがっているか わからないのに、
自分のほうがもっとネコがずき、ときめつけるのはへんなはなしだ。
まったく根拠のない自信であり、反論するのもバカバカしいけど、
こういうのは、わかいころしかいえないかもしれない。

彼の発言にわたしがひっかかったのは、
じつは わたしも、自分こそだれよりもネコずきとおもっている
おろかものだからだ。
むすこがまだ保育園にかよっていたころ、
家のネコたちが自分のほうにこないと むすこは不満そうだった。
配偶者はすぐに、そんなことないでしょ、
だっこさせてくれるし、となぐさめたけど、
むすこが「父ちゃんのほうばっかりにいく」というと、
「あ、父ちゃんとくらべてか、それは無理ムリ」と
きゅうにむすこをなぐさめる配偶者のトーンがさがった。
配偶者は、けしてわたしをほめようとしたのではなく、
むしろ あきらめ、もしくはさみしさにちかいつぶやきだった。
これまでに配偶者がくちにした どんなことばよりも
わたしにたいする評価が率直にあらわれており、
いわれたわたしは しみじみといい気分になった。

もういちど
「ネコをかってないけど、
 ネコをかっているひとよりネコずき」
とおもいこんでいる新人職員にはなしをもどす。

わたしはサッカーをしたことがないけど、
サッカーをするひとよりじょうずな自信があります、
なんていうと、ぜんぜん通用しないけど、
どれだけすきかは、目にみえないので、どうとでもいえる。
もし彼が女性にたいして、「だれよりもあなたがすき」と
正面きって堂々といえば、かなり説得力がありそうだ。
このひとぐらい かんたんに「すき」という場合、
たいていはただのおもいこみなわけで、
いわれた女性はじきにがっかりしそうだけど。

それでも、いわれたひとからすると、 わるい気はしないだろう。
根拠のない自信は、最強のくどき文句をうみだしかねない。
わたしにはとてもいえないセリフだ。
本気でいっているのだから、
いわれたほうもいきおいにのまれてしまう。
年をとり、いろいろわかってくると、
こんなふうにストレートな表現はできないけど、
わかいころは これぐらいのかんちがいが必要かもしれないと
だれよりもネコずき宣言に感心してしまった。

posted by カルピス at 21:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする