2021年04月16日

去勢について いまさらながらかんがえる

オスネコのプリンに去勢手術をほどこしたら、
スプレー行為をまったくしなくなったと、
すこしまえの記事にかいた。
去勢手術の効果に、いまさらながらおどろいているわけだけど、
かんがえてみると、ペットだけでなく、
家畜(いやないい方だけど)にも去勢手術をする。
民族学者の梅棹忠夫さんによると、
去勢と乳しぼりという2つの技術により、
人類はあたらしい生活様式である遊牧を手にいれたという。
去勢をしないオスの動物は、おとなになると、
群をはなれて自分の居場所をさがしにでかける。
ひとつの群に何匹ものオスがいると、
どうしてもメスをめぐってあらそいがおき、
安定した集団にまとまらない。
遊牧をしなくても、牛や豚をかうときは、
種をのこすオス以外はぜんぶ去勢する。

とはいえ、人間が自分たちの都合のいいように
あつかうための技術が去勢なのであり、
ペットや家畜以外の動物は、もちろん去勢なんてしない。
おとなになった動物は、なわばりあらそいだったり、
メスをめぐってのケンカだったりを、せずにはおれない。
キズついたり、うえて死んだり、
野生に生きるオスはたいへんだ。
それでも、群からでずにはおれないのがオスの本能で、
それは、種がよりいきのびやすいための知恵なのだろう。

何年かまえにひらかれたサイト「村上さんのところ」で、
オス猫が脱走してかってこない、という相談がのった。
村上さんからの返答は、
その猫くんは去勢してあるのでしょうか? もししていなければ、しばらくは戻ってこないと思います。猫はそのシーズンになると、頭のヒューズがどこかに吹き飛んでしまいます。

だった。

あらゆる動物は、基本的に「そのシーズン」になると、
「頭のヒューズがどこかに吹き飛んで」
しまった状態でくらしている。
いくらそれまで人間となかよくやっていても、
「ヒューズがどこかに吹き飛んで」しまえば、
はなせばわかる かわいい仲間ではなくなる。
そうやって、なわばりあらそいだったり、
メスをめぐってのケンカだったりを、
せずにはおれないのが、去勢してない動物たちだ。
ヒューズがとんだ状態で生きるのは、きっとたいへんだろうけど、
かんがえてみれば、野生動物だけでなく、人間だって去勢をしない。
しないから、ヒューズがとんであらそいがたえないのだろうか。
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2021年04月01日

プリンの去勢手術から10日すぎ、スプレー行為がなりをひそめる

プリンが去勢手術をしてから10日たった。
どうやらスプレー行為はとまったようで、
あいかわらずおしりをたかくつきだし、
尻尾をピンとはるポーズをとるものの、
スプレーの発射はとまっている。
なんどもこのポーズからスプレーされたので、
おしりをあげると スプレーされそうでおっかないけど、
この10日間は、いちども被害にあってない。
去勢手術をすると、3日で男性ホルモンのほとんどがうしなわれる、
と動物病院の先生がいわれたとおり、
プリンの野生はみごとになりをひそめた。
スプレーした記憶はのこっているので、
手術をしてもスプレー行為がかならずとまるとは保障できない、
といわれたけど、プリンの場合、生後9ヶ月だったので
クセになるところまでは いってなかったのかもしれない。
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プリンは毎朝わたしのベッドにきてあそびの催促をする。
まえは、このときにわたしのパジャマをねらって
スプレーすることがおおかった。
そのときの印象がしみついているので、こわごわとプリンをだき、
いつスプレーされてもいいように、
おしりのちかくをタオルでおいかける。
プリンとしても、スプレーしたそうなようすをみせ、
いつでも実弾が発射されそうなものなのに、
いまのところなにごともなく、ベッドでいっしょにねてくれる。
このときにのどをおおきくならすのが、ねぼけた頭にここちよい。

ごはんをたべる量もふえたような気がする。
まえはごはんをまえにしても、気のないそぶりがおおかったけど、
いまは旺盛な食欲をみせ、お皿をからにする。
プリンは3.7キロしかなく、いつまでも子ネコの体型のままなので、
これからの成長に期待したい。
プリンはコップから水をのむのがすきで、
わたしが歯をみがいていると、すぐによってくる。
コップが必要だなんて、あんがい行儀のいいネコかもしれない。
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2021年03月22日

プリンの去勢手術

子ネコのプリンが去勢手術をすませる。
先月からスプレー行為がはじまり、はやく去勢手術をしたかったけど、
どの病院も予約まちで、いちばんはやくしてくれるところでも
1ヶ月またなければならなかった。
そのあいだ、なんども服やふとん、台所のテーブルにスプレーされ、
きょうがくるのを ほんとうに指おりかぞえてまった。
去勢手術をしたからといって、スプレーが
確実にとまる保証はないけど、ほかに有効な手はないし。

しりあいが、フェリウェイという薬をわけてくれた。
ネコのフェロモンだそうで、ネコがスプレーしたところに
フェリウェイをかけたり、ネコに直接かけたりしてつかう。
フェロモンのはたらきで、ネコがおちつきをとりもどすらしい。
プリンは、フェリウェイをかけられると、
パッととびさって、からだをしきりになめる。
目にみえておちつくわけではないけど、
スプレーの被害がそれほどではなかったのは、
フェリウェイのおかげかもしれない。

きょうは朝の9時にプリンを病院へつれてゆき、
夕方の6時にひきとりにでかける。
この病院は、いままでのところより説明がていねいで、
ひきとりにいくと、まず血液検査の結果をはなされた。
人間の健康診断とおなじように、
白血球・肝機能・血糖値などを、標準値とくらべながら説明される。
どの値も正常で、もうしぶんのない結果だといわれる。
レントゲンもうつされており、こちらも異常なかった。
血液検査もレントゲンも、こちらがたのんだわけではない。
信頼したくなる、ありがたい仕事のすすめ方だ。
わたしのことを「お父さん」とよんで
はなしをすすめられるのも、なんだかうれしかった。
そうか、おれはプリンのお父さんか、と おもわずエリをただす。

プリンは、生後9ヶ月になるのに、
体重が3.7キロしかなく、ちいさなからだなのが気になっていた。
先生に体重のことをたずねると、たしかに小柄だけど、
ちいさすぎるわけではないから、
気にしなくても大丈夫です、といわれる。
レントゲンには背骨に成長線がうつっていたので、
まだもうすこしはおおきくなるかもしれない、ともいわれる。
抜糸をしなくてもいい糸をつかったそうで、
手術がおわったら、もう病院にいかなくてもいい。
病院によっては、傷口がおさまるまで、
首のまわりにカラーをつけるよう いわれるけど、
そんなはめんどくさいなしはでない。
この病院は、うるさいことをぜんぜんいわないのですごくらくだ。
あすから5日間、朝・夕に化膿どめの薬をのませるだけでいい。
手術にかかった費用はぜんぶで2万4200円だった。

プリンは家にもどると、安心したようにちいさな声でないた。
しばらく自分のからだとお気にいりの場所をチェックし、
ストーブのまえでまるくなる。
いつもなら、夜中の3時か4時にわたしをおこしにきて
食事をねだる先輩ネコのココが、
ゆうべはわたしの足もとで朝までずっとねむっていた。
ネコたちは、プリンの手術について、なにかをかんじていたようだ。
無事に手術がおわり、プリンはげんきごはんをたべはじめ、
これでようやく気にかかっていた課題がかたづいた。
わたしのふとんは、プリンのスプレーにより
かなりのにおいがしみついてるけど、
プリンがげんきでいてくれるなら、すこしくらいは我慢しよう。
プリンがかえってきて、ココも安心したようすだ。
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2021年02月28日

朝日新聞beの「コロコロ毛玉日記」がなんとなくたのしみ

朝日新聞の土曜日版beに、しばらくまえから
「コロコロ毛玉日記」というマンガが連載されている。
中川いさみさんによる作で、ケダマという名のネコが主人公だけど、
ネコだけに、とくべつ役にたつ情報はなく、
作者がケダマとすごしてかんじたことを、ただえがいているだけだ。
それでマンガとしてなりたつのは、ケダマがネコだからで、
ケダマがなにをしても、それはそれと、おおめにみられる。
いちどなど、ケダマがひとコマも顔をださない回があった。
作者の娘さんがもんじゃ焼きを注文するはなしで、
「もんじゃ焼きはよくわからない」になんとなく納得する。
それでも連載がなりたってしまうのだから、
いかにもネコマンガ的ゆるさが、ネコずきの気をひくのだろう。

ケダマはもう子ネコではなく おとなのネコで
(あとでしらべたら、連載がはじまった時点で1歳半)、
顔つきもそうかわいらしくはない。
ケダマがひっくりかえってお腹をなでさせる、とか、
予知能力があるかのように、ひとのうごきをさきよみする、とか、
ネコあるあるのはなしが 淡々とえがかれている。
作者とケダマとの関係は、ネコかわいがりするわけではなく、
しずかにケダマのうごきを観察する、というつきあい方だ。
なんで そんなことをわざわざ連載マンガにするのかというと、
しつこいけど、ケダマがネコだから、ということと、
新型コロナウイルによる自粛生活が背景にありそうだ。
家にいる時間が まえよりもながくなり、
必然的にながい時間をネコといっしょにすごす。
どうしても、目にはいるのはケダマの日常であり、
役にたたないからこそ ケダマの存在にすくわれる。

それに、ケダマはとくにわるさをするわけではないようだ。
わたしの家のネコについてかくと、
もうすぐ3歳のココは行儀がわるく、食事の時間になると
テーブルのうえにあがっておかずをねらう。
スキあらば、ではなく、強引にうばおうとする。
生後8ヶ月のプリンは食がほそくて、
ネコごはんをすすめてもなかなかたべない。
テーブルのうえにあがっても、おとなしくすわっているだけ。
プリンはぜんぜん問題がないかというと、もちろんある。
プリンはまだ去勢手術をしてないせいか、
ときどきのスプレー行為になやまされている。
あらった食器がふせてあるカゴにむけて、
これまでに2どスプレーをした。わたしのパジャマにも3ど。
こまったような声をあげながら、おしりをつきだして
アッとおもったときは もうスプレーがはなたれている。

「コロコロケダマ」にわるさがえがかれないのは、
苦情をうったえても マンガにならないから、かもしれない。
ネコとのくらしは、こまったうごきもうけいれるしかない。
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2021年02月22日

ネコの日なのに谷山浩子さんの「ねこの森には帰れない」をきけなかった

地元のラジオ局の番組をきいていたら、
ネコの日なので、谷山浩子さんの
「ねこの森には帰れない」をおねがいします、
というリクエストがよみあげられた。
番組の担当者が、レコードでおとどけします、
準備がととのいしだいはじめます、ともったいつけ、
いよいよ「ねこの森には帰れない」をおかけします、
と曲がはじまったけど、
それは谷山浩子さんによる別の曲で、ネコの森ではなかった。
そのまま、まちがった曲がおわりまでながれる。
とうぜん あらためて
「ねこの森には帰れない」がかかるとおもっていたら、
おわびだけで、さらっとさきにすすまれてしまった。
アルバムの3曲めにはいっている
「ねこの森には帰れない」ではなく、
4曲めの「私の愛した人」をかけてしまいました、
もうしわけありません、ということだ。

けっきょくそのまま「ねこの森には帰れない」はかからなかった。
ラジオをきいていたわたしでも、かなりがっかりしたのだから、
リクエストをよせた方は しばらく呆然とされたのではないか。
いったいなにがおきたのか。これからどうなるのか。
たのしみにしていたリクエストが番組でよまれ、
さあいよいよ、とおもってたら、別の曲だった。
すぐに番組がまちがいに気づき、レコードをとりかえて、
ネコの森がはじまるだろう、とまっていたら、
そのまま なかったこととして番組がすすんでいく。
ひどい手ちがいで、あってはならないし、
まちがえたのなら、あらためて
「ねこの森には帰れない」をかけなおせばいいのに。
このラジオ番組は、やたらと演歌がかかり、
そうでなければわたしのにが手なさだまさしだったりと、
あまりいい感情をもっていなかったけど、
きょうの一件で、決定的に不信感をつのらせる。

ネコの日だというのに、プリンが2時に外へでていったまま、
夜の9時になってもかえらない。
例によって、いっしょにくらす母が、
洗濯物をとりいれたときのできごとだ。
90になる母は、ネコたちからみれば
なにをやるのかすべておみとおしの のろまな老人でしかなく、
いまでは ほぼ自由自在にではいりしている状態だ。
わたしは、プリンがそとにでるたびに、母につよくあたる。
老人に、すばやいうごきをもとめるのは、
老人虐待でしかないとわかっていても、
身内にたいしては つい感情がむきだしになる。
新聞記事に、年おいた親への暴力がときどきほうじられるけど、
プリンをめぐって 母へのいらだちが
エスカレートしているわたしにとって、親への虐待は、
とてもひとごとにはおもえない。
もうすぐ深刻で陰湿ないじめをはじめてしまいそうでこわい。

母に無理難題をおしつけるのは、
けっきょくわたしが母にあまえているからだ。
家族って、こんなふうに感情をあらわにしてもいいのだ、
とみょうにひらきなおって 他人にならぜったいにくちにしない
きついことばが 母にたいしては あふれてくる。
いまさらながら親との同居を後悔する。
べつべつにくらせば、わたしだってもうすこしやさしくできるし、
母の生活に不自由がでればヘルパーさんにきてもらえばいい。
わたしがかってにつれてかえったネコのことで、
ひどくいわれては、母としても理不尽だろう。
ネコがいると、いろんなことをまなべる。
親との同居に問題があるとおしえてくれたのはネコたちだ。
別居こそ、種としての人間がとるべき 自然なながれなのだ。

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