子ネコのプリンが生後8ヶ月になったので、
かかりつけの獣医さんに連絡して、去勢手術をおねがいする。
でも、おことわりされてしまった。
先生も高齢となり、手術がたいへんになったためのようだ。
いつもこの病院ですべての治療をおねがいしているので、
こんかいもとうぜんひきうけてもらえるとおもってたのに。
ネコをかっているしりあいに連絡して、
おすすめの獣医さんをおしえてもらう。
いまはどこの病院も去勢手術の予約がいっぱいで、
数ヶ月またないといけないかも、といわれる。
新型コロナウイルスの影響で、きょねんできなかった手術が
ことしにずれこみ、どこの病院も予約でいっぱいらしい。
動物病院はたくさんあっても、
評判のよくないところへはいきたくないし、
なかには血液検査をしてからでないと、
手術をひきうけないところもあるという。
費用もさまざまなので、あらかじめ承知しておきたい。
はじめに電話した病院は、7月までまたないと、といわれ、
べつの病院にあたると、そちらも6月までいっぱい、ということだ。
プリンはこのごろさかりのついたなき声をあげるようになり、
あきらかにおとなの仲間いりをしつつあるようすだ。
イライラしておちつかない。みていてもつらそうだ。
まえは外にでなくても 家のなかだけですごせていたのに、
このごろは必死に外へでようと わたしたちのスキをうかがっている。
ネコとくらすことは、彼らの野生とつきあうことでもある。
子ネコのかわいい時期をすぎると、すぐおとなになって、
野生の血をたぎらせるようになる。
赤ちゃんとしてせっし、ネコかわいがりをしてきたのに、
オスとして目ざめつつあるプリンにわたしはとまどう。
スプレー行動(おしっこを、あちこちでする)
をするようになるとたいへんなので、
できるだけはやく去勢手術をすませたいところだ。
家のちかくの動物病院をおしえてもらい、電話をいれる。
かかりつけの病院でことわられたことをはなすと、
予防接種をしてあるかを確認され、
いちどネコちゃんをみさせてもらったうえで、といわれた。
その日のうちに病院へつれていくと、
去勢手術についてくわしく説明されたうえで、
6月18日が手術の日ときまった。4ヶ月さきなので、
しばらくプリンのイライラにつきあわないといけない。
あっという間におとなになってしまったプリンをなでる。
からだはまだちいさく、体重は3.7キロしかないのに、
プリンの内面は もう一人前のオスにそだちつつある。
2021年02月20日
2021年02月04日
クモやカマキリを、おそろしい顔にかくのはまちがいだ
子どもむけのものがたり、たとえば「みなしごハッチ」に
クモやカマキリ、それにスズメバチなどがでてくると、
どうしてもおそろしい顔にえがかれがちだ。
ちからずくでよわいものをたべてしまういやらしいやつ。
とはいえ、クモやカマキリは、では、どうやって生きればいいのか。
ねばつく糸で網をはり、獲物をまちぶせたり、
ちからづよいカマで獲物をつかまえるのが彼らのやり方であり、
ほかにやりようがないから、そうやって生きている。
でもまあ、やさしそうな顔でクモやカマキリをかくと、
みるほうは これはなんの意味だろうと とまどうだろうから、
絵をかくほうもいろいろとむつかしいのかもしれない。
よわいものはやさしい顔に、つよいものは猛々しい顔に、と
かきわけるのがマンガやアニメの共通ルールなのだろう。
いろいろかんがえてみると、そもそも
動物を擬人化してかくことに無理があるのだ。
スズメバチはスズメバチの顔をしているのであり、
あえて彼らをやさしい表情にかくと、
なにかのメッセージになってしまう。
こわい顔にかいたとしても、それは人間の主観にすぎず、
スズメバチは すきでこわい顔をしているわけではないから失礼だ。
人間の解釈で表情をつけるのではなく、
ただありのままにかくしかない。
実写のように、リアルな描写でなければ 事実をそこねてしまう。
家のネコをかわいがり、かわいいねー、おりこーだねー、と
人間の赤ちゃんみたいな存在としてあつかってしまいがちだけど、
ネコにはネコの社会があり、家をいっぽでると
そこはネコのルールにのっとった世界だ。
わたしにとっては、かわいくてたまらない子ネコでも、
ネコの社会にでれば 1匹のネコとしてのうごきがもとめられる。
このまえ子ネコのプリンが外でケガをしたとき、
病院の先生は、つぎはもっとひどくやられるから、
外にはださないように、とクギをさした。
プリンをおそったノラネコにしてみたら、
自分のなわばりにはいりこんだよそもののネコは、
たとえまだ子どもであっても、ほっておくわけにいかないらしい。
なんぎな世界だけど、野生とはそういうものなのだろう。
おたがいネコだから、ケンカなんかしてないで、
なかよくやっていきましょう、とはいかないのだ。
わたしが家のネコにもとめるのは、やさしさとか かわいさだけど、
それはわたしのかってなねがいにすぎず、
ネコたちはネコとして生きようとしている。
クモやカマキリ、それにスズメバチなどがでてくると、
どうしてもおそろしい顔にえがかれがちだ。
ちからずくでよわいものをたべてしまういやらしいやつ。
とはいえ、クモやカマキリは、では、どうやって生きればいいのか。
ねばつく糸で網をはり、獲物をまちぶせたり、
ちからづよいカマで獲物をつかまえるのが彼らのやり方であり、
ほかにやりようがないから、そうやって生きている。
でもまあ、やさしそうな顔でクモやカマキリをかくと、
みるほうは これはなんの意味だろうと とまどうだろうから、
絵をかくほうもいろいろとむつかしいのかもしれない。
よわいものはやさしい顔に、つよいものは猛々しい顔に、と
かきわけるのがマンガやアニメの共通ルールなのだろう。
いろいろかんがえてみると、そもそも
動物を擬人化してかくことに無理があるのだ。
スズメバチはスズメバチの顔をしているのであり、
あえて彼らをやさしい表情にかくと、
なにかのメッセージになってしまう。
こわい顔にかいたとしても、それは人間の主観にすぎず、
スズメバチは すきでこわい顔をしているわけではないから失礼だ。
人間の解釈で表情をつけるのではなく、
ただありのままにかくしかない。
実写のように、リアルな描写でなければ 事実をそこねてしまう。
家のネコをかわいがり、かわいいねー、おりこーだねー、と
人間の赤ちゃんみたいな存在としてあつかってしまいがちだけど、
ネコにはネコの社会があり、家をいっぽでると
そこはネコのルールにのっとった世界だ。
わたしにとっては、かわいくてたまらない子ネコでも、
ネコの社会にでれば 1匹のネコとしてのうごきがもとめられる。
このまえ子ネコのプリンが外でケガをしたとき、
病院の先生は、つぎはもっとひどくやられるから、
外にはださないように、とクギをさした。
プリンをおそったノラネコにしてみたら、
自分のなわばりにはいりこんだよそもののネコは、
たとえまだ子どもであっても、ほっておくわけにいかないらしい。
なんぎな世界だけど、野生とはそういうものなのだろう。
おたがいネコだから、ケンカなんかしてないで、
なかよくやっていきましょう、とはいかないのだ。
わたしが家のネコにもとめるのは、やさしさとか かわいさだけど、
それはわたしのかってなねがいにすぎず、
ネコたちはネコとして生きようとしている。
2021年01月24日
子ネコのプリン(生後7ヶ月)のケガで あわててしまった
きょうの朝、ココとプリンがそろって外にでた。
いっしょにくらしているわたしの母が
洗濯物を外にほすときのできごとだ。
ネコたちは、母のうごきをみごとにみきっており、
どんな素ぶりのあとで、窓があくかをよんでいる。
母がいくら注意してもザルみたいなもので、
2匹そろっての脱走(おでかけ)が日常茶飯事になっている。
なんで外にだしたくないかというと、
ネコ同士のケンカや、車との事故、
その他もろもろのアクシデントを心配するからで、
そのおそれたことがとうとう現実となってしまった。
夕方わたしが家にもどると、2匹ともかえっていたけど、
生後7ヶ月で、まだからだのちいさなプリンが足にケガをしている。
ノラネコにかまれたのではないか。
家でできるのは消毒くらいだ。しみるのか、かなりいたがる。
キズ口をいじられたくないようで、
足をひきずってベッドにむかった。
食欲はなく、ごはん皿をちかづけてもたべない。
さいわい配偶者があすはやすみの日なので、
動物病院へつれていってもらうようおねがいした。
母には ついきつい口調で文句をいってしまった。
でも、90まえの老人に、
すばやいうごきをもとめるほうがどうかしている。
失敗をきつくとがめるなんて、老人虐待でしかない。
母からすれば、自分がつれてかえったネコではなく、
わたしひとりの判断で かってにプリンをもちかえった。
それなのに母はとてもやさしくネコたちにせっしている。
ほんとは、文句ではなく、感謝を口にしなければならないのに。
犬やネコをあたらしく家族としてむかえるときは、
家族全員の同意がぜったいに必要、といわれている。
ほんとうに、ひとりだけがいくらかわいがっても
動物にできることは たかがしれている。
かりに、わたしひとりがかわいがっても、
ほかの家族がネコたちにつらくあたれば
ネコはいやだろうし、わたしだって家族にいい感情をもたない。
ネコがいると、家族がいいかんじになりやすいけど、
そのためには、みんながネコをすきでないとうまくいかない。
まえにかっていたピピは、しょっちゅうケガをするので、
そのたびに病院へつれていったものだ。
でも、ピピは大人のネコだったので、自業自得ともいえた。
プリンはまだからだがちいさく、ベッドでじっとする姿は
よけいにいたいたしい。
それでもなでているうちに ゴロゴロとのどをならしてくれた。
あした病院へいくことをつたえ、
しっかりねたらよくなるから、とはなす。
いっしょにくらしているわたしの母が
洗濯物を外にほすときのできごとだ。
ネコたちは、母のうごきをみごとにみきっており、
どんな素ぶりのあとで、窓があくかをよんでいる。
母がいくら注意してもザルみたいなもので、
2匹そろっての脱走(おでかけ)が日常茶飯事になっている。
なんで外にだしたくないかというと、
ネコ同士のケンカや、車との事故、
その他もろもろのアクシデントを心配するからで、
そのおそれたことがとうとう現実となってしまった。
夕方わたしが家にもどると、2匹ともかえっていたけど、
生後7ヶ月で、まだからだのちいさなプリンが足にケガをしている。
ノラネコにかまれたのではないか。
家でできるのは消毒くらいだ。しみるのか、かなりいたがる。
キズ口をいじられたくないようで、
足をひきずってベッドにむかった。
食欲はなく、ごはん皿をちかづけてもたべない。
さいわい配偶者があすはやすみの日なので、
動物病院へつれていってもらうようおねがいした。
母には ついきつい口調で文句をいってしまった。
でも、90まえの老人に、
すばやいうごきをもとめるほうがどうかしている。
失敗をきつくとがめるなんて、老人虐待でしかない。
母からすれば、自分がつれてかえったネコではなく、
わたしひとりの判断で かってにプリンをもちかえった。
それなのに母はとてもやさしくネコたちにせっしている。
ほんとは、文句ではなく、感謝を口にしなければならないのに。
犬やネコをあたらしく家族としてむかえるときは、
家族全員の同意がぜったいに必要、といわれている。
ほんとうに、ひとりだけがいくらかわいがっても
動物にできることは たかがしれている。
かりに、わたしひとりがかわいがっても、
ほかの家族がネコたちにつらくあたれば
ネコはいやだろうし、わたしだって家族にいい感情をもたない。
ネコがいると、家族がいいかんじになりやすいけど、
そのためには、みんながネコをすきでないとうまくいかない。
まえにかっていたピピは、しょっちゅうケガをするので、
そのたびに病院へつれていったものだ。
でも、ピピは大人のネコだったので、自業自得ともいえた。
プリンはまだからだがちいさく、ベッドでじっとする姿は
よけいにいたいたしい。
それでもなでているうちに ゴロゴロとのどをならしてくれた。
あした病院へいくことをつたえ、
しっかりねたらよくなるから、とはなす。
2020年12月31日
ネコ目線の10大ニュース
大晦日といえば10大ニュースだ。
くしくも、デイリーポータルZでは、
「猫と犬と魚がえらんだ記事をよもう」がのった。
わたしも、ネコたちに焦点をしぼったベスト10をあげてみる。
・プリンが2匹目のネコとしてわがやにやってくる
生後6週間の子ネコ(推定)が、あたらしい家族となった。
わたしが仕事で野菜をあつめているとき、
建築の機械かとおもうほどおおきな声をあげていた。
おなかがすいて、さみしくて、半狂乱でないている。
さいわい人なつこい性格で、すんなりわたしの家におちついた。
仕事でプリンをつくりはじめていたこともあり、プリンと名づける。
・ココ(現在2歳半)がビニールのひもをのみこむ
たべてもはくし、便はでにくいし、
病院へいっても原因がわからず、どうなるかと心配した。
やがて、便にまじって30センチのひもがでてきた。
・ココが車の鍵をなくす(なくしかけた)
玄関の下駄箱においてあった わたしの車の鍵がみあたらない。
きっとココがあそんでどこかへもっていったのだ。
靴のなかとか、下駄箱のしたをさがすけどみあたらない。
しばらくスペアーキーでしのいでいたら、
なんと配偶者のカサのなかからみつかった。
配偶者が下駄箱にカサをひかっけていて、ココがそこに鍵をおとし、
配偶者がカサを自分の車にもってはいる。
まるで手品みたいな連携プレーで鍵がかくされ、
雨がふるまでの10日間、鍵がそこにあるのに気づかなかった。
・ココがニベアをかんで、たくさん穴をあける
いっけんかわりなさそうだけど、チューブをしぼると、
アシタカのうでからふきでるタタリガミみたいに
ニョロニョロとニベアでてきてめちゃくちゃつかいにくい。
ガムテープをはって応急処置をとる。
・ココが湯たんぽを気にいり、とてもおもたい
さむくなってからは、湯たんぽにたよる夜となる。
これまでは、湯たんぽを無視していたココなのに、
今シーズンは、絶妙なあたたかさに気づいたようで、
毎晩わたしのベッドにやってきて、湯たんぽの上にのっかる。
体重6キロのココにおされ、わたしは寝ぐるしさで目がさめる。
・プリンが蛍光灯のヒモをじょうずにつかまえる
台所の蛍光灯からヒモがでており、ゆれるヒモをあいてに
プリンがじょうずにあそぶ、という ただそれだけ。
右手を食器ケースにかける姿がとてもかわいい。
10大ニュース、とおもったけど、6つあげただけでネタがつきた。
来年もよろしく、とネコたちにつたえる。
くしくも、デイリーポータルZでは、
「猫と犬と魚がえらんだ記事をよもう」がのった。
デイリーポータルZが年間で公開する記事は約1000本。ぼうだいな記事からどれを読むかの選択はいつも人間がしている。そんなことでいいのか!? それは人間の驕りではないのか。今年最後のひくらいは猫と犬と魚が記事を選んだ記事を読もうじゃない。
わたしも、ネコたちに焦点をしぼったベスト10をあげてみる。
・プリンが2匹目のネコとしてわがやにやってくる
生後6週間の子ネコ(推定)が、あたらしい家族となった。
わたしが仕事で野菜をあつめているとき、
建築の機械かとおもうほどおおきな声をあげていた。
おなかがすいて、さみしくて、半狂乱でないている。
さいわい人なつこい性格で、すんなりわたしの家におちついた。
仕事でプリンをつくりはじめていたこともあり、プリンと名づける。
・ココ(現在2歳半)がビニールのひもをのみこむ
たべてもはくし、便はでにくいし、
病院へいっても原因がわからず、どうなるかと心配した。
やがて、便にまじって30センチのひもがでてきた。
・ココが車の鍵をなくす(なくしかけた)
玄関の下駄箱においてあった わたしの車の鍵がみあたらない。
きっとココがあそんでどこかへもっていったのだ。
靴のなかとか、下駄箱のしたをさがすけどみあたらない。
しばらくスペアーキーでしのいでいたら、
なんと配偶者のカサのなかからみつかった。
配偶者が下駄箱にカサをひかっけていて、ココがそこに鍵をおとし、
配偶者がカサを自分の車にもってはいる。
まるで手品みたいな連携プレーで鍵がかくされ、
雨がふるまでの10日間、鍵がそこにあるのに気づかなかった。
・ココがニベアをかんで、たくさん穴をあける
いっけんかわりなさそうだけど、チューブをしぼると、
アシタカのうでからふきでるタタリガミみたいに
ニョロニョロとニベアでてきてめちゃくちゃつかいにくい。
ガムテープをはって応急処置をとる。
・ココが湯たんぽを気にいり、とてもおもたい
さむくなってからは、湯たんぽにたよる夜となる。
これまでは、湯たんぽを無視していたココなのに、
今シーズンは、絶妙なあたたかさに気づいたようで、
毎晩わたしのベッドにやってきて、湯たんぽの上にのっかる。
体重6キロのココにおされ、わたしは寝ぐるしさで目がさめる。
・プリンが蛍光灯のヒモをじょうずにつかまえる
台所の蛍光灯からヒモがでており、ゆれるヒモをあいてに
プリンがじょうずにあそぶ、という ただそれだけ。
右手を食器ケースにかける姿がとてもかわいい。
10大ニュース、とおもったけど、6つあげただけでネタがつきた。
来年もよろしく、とネコたちにつたえる。
2020年12月03日
むつかしいネコ写真
きのう配偶者におくったフォトブックは、
内容のほとんどがネコの写真だ。
15年と、ながい期間にわたるのに、あまりいい写真がなくて
50枚程度しかえらべなかった。
おなじようなポーズがおおく、
もっとかわいい表情やうごきをしているのに、
シャッターチャンスをとらえきれない。
すごくかわいいしぐさをしていても、
カメラ(スマホ)をひっぱりだすとやめてしまったり。
まずしい過去の蓄積をみれば、ネコの写真をとるむつかしさがわかる。
そのてん、いまさらながら岩合光昭さんはすごい。
先週の朝日新聞beで、岩合さんが写真についてかたっていた。
もっとも、わたしがしってる岩合さんは、
「世界ネコ歩き」でネコにカメラをむけている姿だ。
岩合さんがじっさいにとったネコの写真は それほどみていない。
番組では、ネコにつきあって地面にねそべったり、
根気づよくネコのおでましをまちつづける姿がうつされている。
ネコは、岩合さんに気をゆるし、肩にのったり
カメラにちょっかいをだしたりしだす。
ということは、岩合さんはねているネコのそばにいすわり、
じっとおきるのをまちつづけている、ということで、
動物カメラマンとはいえ、たいへんな忍耐だ。
かわいいポーズにでくわしたからと、
あわててカメラをかまえるようでは
いい写真なんてとれるわけがない。
生後6ヶ月になったプリンが、
このごろ蛍光灯のひもにパンチしてあそぶようになった。
だんだんうまくあてるようになってきたし、
からだをささえる右手がまたかわいいし、
ずいぶんながい時間、足だけでたったりする。
「精いっぱい」生きているプリンと、
彼の「いのちの輝き」をみてください。
内容のほとんどがネコの写真だ。
15年と、ながい期間にわたるのに、あまりいい写真がなくて
50枚程度しかえらべなかった。
おなじようなポーズがおおく、
もっとかわいい表情やうごきをしているのに、
シャッターチャンスをとらえきれない。
すごくかわいいしぐさをしていても、
カメラ(スマホ)をひっぱりだすとやめてしまったり。
まずしい過去の蓄積をみれば、ネコの写真をとるむつかしさがわかる。
そのてん、いまさらながら岩合光昭さんはすごい。
先週の朝日新聞beで、岩合さんが写真についてかたっていた。
ネコのかわいらしさをあらかじめイメージした撮影はしません。ネコのかわいさは、それぞれのネコが持っている魅力からひきだされると思っています。自分が「かわいい」と ときめいて撮った写真なら、鑑賞してくださる方々も同じように感じていただけると思うんです。(中略)ネコはそれぞれの環境で精いっぱい生きています。彼らのいのちの輝きを、これからも撮り続けていきたいと思っています。
もっとも、わたしがしってる岩合さんは、
「世界ネコ歩き」でネコにカメラをむけている姿だ。
岩合さんがじっさいにとったネコの写真は それほどみていない。
番組では、ネコにつきあって地面にねそべったり、
根気づよくネコのおでましをまちつづける姿がうつされている。
ネコは、岩合さんに気をゆるし、肩にのったり
カメラにちょっかいをだしたりしだす。
ネコは一日の大半を寝ているので、起きた時が勝負。シャッターチャンスを失ってしまうと大変です。
ということは、岩合さんはねているネコのそばにいすわり、
じっとおきるのをまちつづけている、ということで、
動物カメラマンとはいえ、たいへんな忍耐だ。
かわいいポーズにでくわしたからと、
あわててカメラをかまえるようでは
いい写真なんてとれるわけがない。
生後6ヶ月になったプリンが、
このごろ蛍光灯のひもにパンチしてあそぶようになった。
だんだんうまくあてるようになってきたし、
からだをささえる右手がまたかわいいし、
ずいぶんながい時間、足だけでたったりする。
「精いっぱい」生きているプリンと、
彼の「いのちの輝き」をみてください。