子ネコを家につれてかえってから1週間がたった。
みつけたときは、自分でかうつもりはなく、
すぐしりあいに電話して、
子ネコをかってくれない?とおねがいした。
そのひとの家でもネコをかっていたけど、
2年まえに急な発作でなくしている。
とくに夫のほうがつよいペットロスになり、
もうネコはいい、という気もちなのだという。
それでもいちおう 夫にはなしをもちかけてくれたけど、
やっぱりいい、ということだった。
ほかにも保護ネコの譲渡会という手があるけど、
家に子ネコをつれてかえり、しばらくいっしょにいると、
わたしのほうが、いまさらひとの手にわたせなくなっていた。
先住ネコであるココもかわいがってくれ、
まるで母ネコのようにお世話をしてくれる。
子ネコがうごくところに自分もついていって、
つねに自分の目がとどくよう気をくばっている。
子ネコはココのお腹に頭をつっこんでおっぱいをさがしている。
オスネコのココは、いやがらずにやさしくなめている。
3日たってから、しりあいが
「やっぱりつれてかえろうかな」
といってきた。
お孫さんがあそびにきたときネコのはなしをしたら
「ネコちゃんにさわりたい」
といわれたのがこころをうごかしたらしい。
でも、わたしがココと子ネコの動画をみせると、
こんなに子ネコをかわいがっているのにはなしてしまったら、
ココちゃんがかわいそう、といって
子ネコをつれてかえるのはあきらめてくれた。
もちろん、わたしがかさねておねがいしたら、
かってくれただろうけど、
そのときには、わたしの気もちのほうが
もう子ネコとわかれられなくなっていた。
3日まえは、こちらからネコをひきとって、
とおねがいしているのに、
3日たつと、立場が反対になって、
むこうがおねがいするのをわたしがことわる形となった。
ひとの気もちはややこしいものだ。
子ネコはげんきいっぱいにあそびまわるものの、
食がほそく、あまり真剣にごはんをたべない。
げんきだから、まあいいか、とおもい、
せっかくの連休に、病院へつれていかなかった。
体重は900グラムから1050グラムと、
1週間で150グラムしかふえていない。
あいかわらずやせっぽちで、手足がすごくながくみえる。
あまりたべないのは、性格のひとつとしてうけとめ、
ながい目で成長につきそっていこう。
子ネコをかうと、そのもうれつなあそびっぷりに、
あいてをする側がつかれはてるのだけど、
いまはココが世話をぜんぶひきうけてくれており、
わたしはただごはんとトイレのめんどうをみるだけだ。
こんなに楽をして、親子みたいにふれあう
子ネコとココを目にできるのは、すごくラッキーにちがいない。
2020年07月28日
2020年07月26日
理由なんて、ない(わからない)
・なぜトラネコのひたいには(M)の文字がうかびあがっているのか
・サッカーはなぜみるひとのこころをはげしくとらえるのか
・ビールはなぜうまいか
・なぜ川崎フロンターレは6連勝してるのか
わかるわけない。理由なんてわからない。
フロンターレの6連勝は、それらしい理由があげられそうだけど、
それにしても仮説にすぎない。
世の中には、理由なんてわからないことがたくさんある。
もともとは、あたらしく家にきた子ネコのひたいに、
まえからいるココとおなじ(M)の文字を みとめたことにはじまる。
おなじトラネコだからあたりまえだ。
でも、なんでトラネコといえば (M)なのだろう。
そういえば、岩合さんのネコあるき(外国編)にも、
(M)がはいったネコが登場した。
トラネコは世界中にいて、世界じゅうのトラネコは
ひたいに(M)の文字をいれてるって、すごく不思議だ。
遺伝学からみれば、ちゃんと理由があるのだろうけど、
そこまでふかくさぐるつもりはない。
サッカーの魅力については、
きゅうにサッカーずきになったわたしにたいし、
ふるくからの友人が、なぜそんなにのぼせるほどの魅力が
サッカーにはあるのか、とわたしにきいてきた。
しばらくかんがえてみたけど、
そんなこと、わたしにわかるわけがない。
野球のおもしろさや、バスケットのおもしろさだって、
理論整然と説明するのはむつかしいだろう。
説明されても、それにだれもが納得できるわけでもないし。
ビールのうまさだって、理由はさまざまだろうから、
それをぜんぶあげられても、自分の気もちとは はなれてしまう。
新書うりばをあるくと、
「なぜ〜なのか」というタイトルをいくつもみかける。
みんな、「なぜ」をしりたがり、
おおくのひとがその疑問にこたえようとしている。
ひとの会話だって、疑問文がおおく、
そのなかでも「なぜ」がいちばん話題にされているのでは。
理由をほんとうにしりたいからというよりも、
とりあえず「なぜ」をわたしたちは口にしたいのかもしれない。
自分で「なぜ」といいだしておいて、
平気で「わかるわけがない」とひらきなおる。
めちゃくちゃな論理だけど、
こんなことを自由にかけるから ブログはたのしい。
・サッカーはなぜみるひとのこころをはげしくとらえるのか
・ビールはなぜうまいか
・なぜ川崎フロンターレは6連勝してるのか
わかるわけない。理由なんてわからない。
フロンターレの6連勝は、それらしい理由があげられそうだけど、
それにしても仮説にすぎない。
世の中には、理由なんてわからないことがたくさんある。
もともとは、あたらしく家にきた子ネコのひたいに、
まえからいるココとおなじ(M)の文字を みとめたことにはじまる。
おなじトラネコだからあたりまえだ。
でも、なんでトラネコといえば (M)なのだろう。
そういえば、岩合さんのネコあるき(外国編)にも、
(M)がはいったネコが登場した。
トラネコは世界中にいて、世界じゅうのトラネコは
ひたいに(M)の文字をいれてるって、すごく不思議だ。
遺伝学からみれば、ちゃんと理由があるのだろうけど、
そこまでふかくさぐるつもりはない。
サッカーの魅力については、
きゅうにサッカーずきになったわたしにたいし、
ふるくからの友人が、なぜそんなにのぼせるほどの魅力が
サッカーにはあるのか、とわたしにきいてきた。
しばらくかんがえてみたけど、
そんなこと、わたしにわかるわけがない。
野球のおもしろさや、バスケットのおもしろさだって、
理論整然と説明するのはむつかしいだろう。
説明されても、それにだれもが納得できるわけでもないし。
ビールのうまさだって、理由はさまざまだろうから、
それをぜんぶあげられても、自分の気もちとは はなれてしまう。
新書うりばをあるくと、
「なぜ〜なのか」というタイトルをいくつもみかける。
みんな、「なぜ」をしりたがり、
おおくのひとがその疑問にこたえようとしている。
ひとの会話だって、疑問文がおおく、
そのなかでも「なぜ」がいちばん話題にされているのでは。
理由をほんとうにしりたいからというよりも、
とりあえず「なぜ」をわたしたちは口にしたいのかもしれない。
自分で「なぜ」といいだしておいて、
平気で「わかるわけがない」とひらきなおる。
めちゃくちゃな論理だけど、
こんなことを自由にかけるから ブログはたのしい。
2020年07月23日
きのうつれてかえった子ネコが すごくかわいい
目がさめたとき、子ネコがおなかのうえにいた。
きのう家につれてかえった子ネコが、
あっという間に家じゅうをうごきまわるようになり、
夜はわたしのベッドにきたようだ。
ゲージにいれていたら、下のすきまからでてしまい、
まあいいかと、そのまま子ネコの自由にさせた。
さみしがりやで、くつろぐときは、
ひとにだかれたがる。そして、おおきくのどをならす。
子ネコらしく、いろんなものに興味をしめし、
すでに家じゅうの探検をおえている。
障子をやぶり、ゴミ箱をひっくりかえし、
かなり手のかかる子ネコのようで、それだけにかわいい。
網戸のそとをうかがっているので、
そのうち家からでて あそぶようになるだろう。
ココがいちねんで活動範囲をひろげてきたのを、
この子ネコはいちにちでクリアーしてしまった。
心配していた先住民であるココは、
新顔の子ネコをうけいれてくれ、
母ネコみたいにやさしくつきそっている。
ココのしっぽにじゃれついたり、
おにごっこにさそったり、子ネコにとってもココは
いい保護者にうつっているようだ。
きのうはすぐに里親をみつけようとおもっていたのに、
1日いっしょにいただけで、かわいさに気もちがゆれる。
きのうお世話になったしりあいによると、
茶トラは人気があるので、譲渡会でもよくひきとられるらしい。
わたしが身のまわりで里親になってくれるひとをさがさなくても、
かってくれるひとはみつかりそうだ。
問題はわたしの気もちとなった。
子ネコは耳におおきなかさぶたをつくっていて、
からだにもいくつかキズがある。
いろいろたいへんな目にあってきたようで、
それでもひとなつっこさをうしなわずに、
わたしとであうまで いきのびてくれた。
そして、たった1日でわたしをグニャグニャにした。
これぐらいあまえてくれるネコはそうおおくない。
あたりネコといえる別格のかわいさだ。
はげしくあそび、ごはんをたべるとふかくねむる。
完全に気をゆるしており、なにをされてもおきない。
子ネコのかわいさをまえに、いまさらわかれられなくなる。
きのう家につれてかえった子ネコが、
あっという間に家じゅうをうごきまわるようになり、
夜はわたしのベッドにきたようだ。
ゲージにいれていたら、下のすきまからでてしまい、
まあいいかと、そのまま子ネコの自由にさせた。
さみしがりやで、くつろぐときは、
ひとにだかれたがる。そして、おおきくのどをならす。
子ネコらしく、いろんなものに興味をしめし、
すでに家じゅうの探検をおえている。
障子をやぶり、ゴミ箱をひっくりかえし、
かなり手のかかる子ネコのようで、それだけにかわいい。
網戸のそとをうかがっているので、
そのうち家からでて あそぶようになるだろう。
ココがいちねんで活動範囲をひろげてきたのを、
この子ネコはいちにちでクリアーしてしまった。
心配していた先住民であるココは、
新顔の子ネコをうけいれてくれ、
母ネコみたいにやさしくつきそっている。
ココのしっぽにじゃれついたり、
おにごっこにさそったり、子ネコにとってもココは
いい保護者にうつっているようだ。
きのうはすぐに里親をみつけようとおもっていたのに、
1日いっしょにいただけで、かわいさに気もちがゆれる。
きのうお世話になったしりあいによると、
茶トラは人気があるので、譲渡会でもよくひきとられるらしい。
わたしが身のまわりで里親になってくれるひとをさがさなくても、
かってくれるひとはみつかりそうだ。
問題はわたしの気もちとなった。
子ネコは耳におおきなかさぶたをつくっていて、
からだにもいくつかキズがある。
いろいろたいへんな目にあってきたようで、
それでもひとなつっこさをうしなわずに、
わたしとであうまで いきのびてくれた。
そして、たった1日でわたしをグニャグニャにした。
これぐらいあまえてくれるネコはそうおおくない。
あたりネコといえる別格のかわいさだ。
はげしくあそび、ごはんをたべるとふかくねむる。
完全に気をゆるしており、なにをされてもおきない。
子ネコのかわいさをまえに、いまさらわかれられなくなる。
2020年07月22日
子ネコをひろう
子ネコをひろう。
野菜あつめの仕事で農家をまわっているとき、
建設現場の機械みたいな音がきこえた。
もしかしたら、ネコ?とあたりをみまわす。
ネコだった。
おなかをすかせたのか、子ネコが必死に大声をあげている。
でも、ひとがこわいようで、わたしがちかくによると、
給湯器のなかにかくれてしまう。
わたしがはなれると、すぐにまたでてきて大声をあげる。
ごはんでさそおうと、ちかくのコンビニでネコの缶詰をかった。
もとの家にもどってみると、おじさんが給湯器をのぞきこんでいる。
子ネコをさがしているようなので、あいさつをして、
「ネコの声がしますね」とはなしかけた。
毎年すてられるネコにこまっているそうで、
子ネコはもちろんこの家のネコではなく、すてられたネコだった。
ごはんをあげたらでてくるかもしれませんね、と
わたしが給湯器のちかくで缶詰をあけると子ネコがでてきた。
アワアワいいながらおおあわてでたべはじめる。
おじさんは、袋にいれてすててくる、といい、
じっさいに袋をもってきていたので、
世話をしてくれそうなひとのこころあたりがあるから、
おねがいしてみます、と子ネコを車にのせた。
というのが、子ネコとのであいだ。
わたしはまだ仕事ちゅうだったので、
近所にすんでいる ネコがすきなしりあいに、
夕方まであずかってもらうようおねがいする。
そのひとは、保健所の保護ネコにボランティアでかかわっている。
なんとかかいぬしをさがそう、でも
みつかるまでは、わたしがあつからないといけないだろう。
夕方子ネコをむかえにいき、ゲージにいれられていたネコを、
そのまま家につれてかえる。
わたしの家には、2年まえからかっているココがいる。
ひろったネコは、ココをつれてかえったときと、
ほぼおなじおおきさだった(900グラム)。
生まれてから6週間というところではないか。
ココが子ネコをうけいれてくれるか、いちばん心配していたけど、
はじめこそ警戒していたものの、じきに子ネコの存在になれ、
気にしながらも、リラックスしたようすをみせる。
子ネコが大声をだしつづけるので、ゲージからだし、
台所を自由にあるかせる。
あちこちをしらべ、ココにもちょっかいをだし、
ごはんをたべ、水をのみ、配偶者のヒザのうえでねむった。
いろんなできごとが いちにちのうちにおこり、
さすがに子ネコはくたびれたようすだ。
みつけたときは、給湯器にかくれていたけど、
すこしなれればひとなつっこい性格のようで、
とにかくひとのちかくにいたがる。
いまはわたしのひざのうえにまるくなり、
のどをゴロゴロいわせてねむっている。
59歳というわたしの年齢をかんがえると、
ネコとのくらしは「あと ひとねこ」だとおもっていた。
いまいるココがさいごのネコ、という意味だけど、
きょうのように、緊急事態だ、いのちにかかわると、
からだじゅうでうったえる子ネコの声をきけば、
家につれてかえらないわけにいかない。
里親がうまくみつかるだろうか。
野菜あつめの仕事で農家をまわっているとき、
建設現場の機械みたいな音がきこえた。
もしかしたら、ネコ?とあたりをみまわす。
ネコだった。
おなかをすかせたのか、子ネコが必死に大声をあげている。
でも、ひとがこわいようで、わたしがちかくによると、
給湯器のなかにかくれてしまう。
わたしがはなれると、すぐにまたでてきて大声をあげる。
ごはんでさそおうと、ちかくのコンビニでネコの缶詰をかった。
もとの家にもどってみると、おじさんが給湯器をのぞきこんでいる。
子ネコをさがしているようなので、あいさつをして、
「ネコの声がしますね」とはなしかけた。
毎年すてられるネコにこまっているそうで、
子ネコはもちろんこの家のネコではなく、すてられたネコだった。
ごはんをあげたらでてくるかもしれませんね、と
わたしが給湯器のちかくで缶詰をあけると子ネコがでてきた。
アワアワいいながらおおあわてでたべはじめる。
おじさんは、袋にいれてすててくる、といい、
じっさいに袋をもってきていたので、
世話をしてくれそうなひとのこころあたりがあるから、
おねがいしてみます、と子ネコを車にのせた。
というのが、子ネコとのであいだ。
わたしはまだ仕事ちゅうだったので、
近所にすんでいる ネコがすきなしりあいに、
夕方まであずかってもらうようおねがいする。
そのひとは、保健所の保護ネコにボランティアでかかわっている。
なんとかかいぬしをさがそう、でも
みつかるまでは、わたしがあつからないといけないだろう。
夕方子ネコをむかえにいき、ゲージにいれられていたネコを、
そのまま家につれてかえる。
わたしの家には、2年まえからかっているココがいる。
ひろったネコは、ココをつれてかえったときと、
ほぼおなじおおきさだった(900グラム)。
生まれてから6週間というところではないか。
ココが子ネコをうけいれてくれるか、いちばん心配していたけど、
はじめこそ警戒していたものの、じきに子ネコの存在になれ、
気にしながらも、リラックスしたようすをみせる。
子ネコが大声をだしつづけるので、ゲージからだし、
台所を自由にあるかせる。
あちこちをしらべ、ココにもちょっかいをだし、
ごはんをたべ、水をのみ、配偶者のヒザのうえでねむった。
いろんなできごとが いちにちのうちにおこり、
さすがに子ネコはくたびれたようすだ。
みつけたときは、給湯器にかくれていたけど、
すこしなれればひとなつっこい性格のようで、
とにかくひとのちかくにいたがる。
いまはわたしのひざのうえにまるくなり、
のどをゴロゴロいわせてねむっている。
59歳というわたしの年齢をかんがえると、
ネコとのくらしは「あと ひとねこ」だとおもっていた。
いまいるココがさいごのネコ、という意味だけど、
きょうのように、緊急事態だ、いのちにかかわると、
からだじゅうでうったえる子ネコの声をきけば、
家につれてかえらないわけにいかない。
里親がうまくみつかるだろうか。
2020年06月01日
ネコが亡くなり、かなしんでいたおばあさん
いつもいくスーパーでかいものをしていたら、
おばあさんが店員さんにはなしかけていた。
かっていたネコが3日まえに死んでしまい
かなしくてたまらない。
ごはんもたべられない。
ネコは、きゅうにごはんをたべなくなり、
タクシーをたのんで病院につれていったけど、 たすからなかった。
1万7000円もかかったのに、たすからなかった。
もっとはやくつれていけばよかった。
かなしくて、つらくて、さみしそうだ。
わたしはかいものをおえ、レジでお金をはらってから、
おばあさんのところにもどって、はなしかけた。
すこしでもネコのことをはなせば
気がらくになるかとおもって。
しらないひとにはなしかけられて、
おばあさんはとまどったようで、
「どちらさんでしたかいね?」とたずねられた。
とおりすがりのものです、
さっきネコのはなしをきいていました。
おれもネコをかっていて、たいへんさがよくわかります。
残念でしたね。何歳でしたか、ときくと、
まだ3歳だったそうだ。
わかれるのがつらくて、まだいっしょにいる、といわれた。
家にうめるところがありますか、ときくと、
ペットの葬儀にたのむと2万円もかかるので、
市の環境なんとかにもっていくつもりだ、 といわれた。
あそこは、完全にゴミとしてあつかいます。
おれもいったことがあるけど、ネコにかわいそうでした、
とはなす。
そうはいっても、おばあさんはうめるところがないようで
どうしようか こまっておられた。
わたしはなにもしてあげられない。
それじゃあ、とわかれた。
スーパーのいりぐちでうっている、
お花をかってわたせばよかったと、
わかれたあとで気づいた。
おばあさんが店員さんにはなしかけていた。
かっていたネコが3日まえに死んでしまい
かなしくてたまらない。
ごはんもたべられない。
ネコは、きゅうにごはんをたべなくなり、
タクシーをたのんで病院につれていったけど、 たすからなかった。
1万7000円もかかったのに、たすからなかった。
もっとはやくつれていけばよかった。
かなしくて、つらくて、さみしそうだ。
わたしはかいものをおえ、レジでお金をはらってから、
おばあさんのところにもどって、はなしかけた。
すこしでもネコのことをはなせば
気がらくになるかとおもって。
しらないひとにはなしかけられて、
おばあさんはとまどったようで、
「どちらさんでしたかいね?」とたずねられた。
とおりすがりのものです、
さっきネコのはなしをきいていました。
おれもネコをかっていて、たいへんさがよくわかります。
残念でしたね。何歳でしたか、ときくと、
まだ3歳だったそうだ。
わかれるのがつらくて、まだいっしょにいる、といわれた。
家にうめるところがありますか、ときくと、
ペットの葬儀にたのむと2万円もかかるので、
市の環境なんとかにもっていくつもりだ、 といわれた。
あそこは、完全にゴミとしてあつかいます。
おれもいったことがあるけど、ネコにかわいそうでした、
とはなす。
そうはいっても、おばあさんはうめるところがないようで
どうしようか こまっておられた。
わたしはなにもしてあげられない。
それじゃあ、とわかれた。
スーパーのいりぐちでうっている、
お花をかってわたせばよかったと、
わかれたあとで気づいた。