せんじつの「クールジャパン」は、2.5次元がテーマだった。
http://www6.nhk.or.jp/cooljapan/program/detail.html?pid=190203
内容は、3本だてだ。
・2.5次元ミュージカル
・聖地巡礼
・eスポーツ
「2.5次元ミュージカル」とは、2次元である
マンガ・アニメ・ゲームを舞台化したものだという。
番組では、バレーボールのマンガ「ハイキュー」を、
ミュージカルにした舞台が紹介されていた。
わかい男性たちが(わたしにはアイドルグループにしかみえない)、
原作を忠実に再現しての演出により、
バレーボールのうごきをくりひろげている。
お客さんのおおくはわかい女性だという。
司会の鴻上さんは、本業が舞台演出ということもあり、
「2.5次元ミュージカル」をおもしろがっていた。
ここから演劇の舞台にはいってもいいし、
原作のマンガへといくのもありだ。
日本がうみだしたオリジナルなうごきだと、評価されている。
でも、わたしには、おもしろさがまったく理解できなかった。
もうひとつの話題である「eスポーツ」も、はじめてきく名前だった。
複数のプレイヤーによる、コンピューターゲームだとしっても
ゲームをしないわたしには、関心がない。
ゲームのなかには すぐれた作品があるとおもいつつ、
おもしろさに共感するだけの体験がない。
そんなわたしも、「聖地巡礼」だけは、かろうじてついていける。
「ガールズ&パンツァー」をみたことがあり、
第二次世界大戦にでてきた戦車がすきなわたしは、
有名な戦車だけでなく、IV号戦車などの地味な戦車が、
げんきにうごきまわるのに、生理的な快感をおぼえた。
「ガルパン」の舞台となった大洗町には、
たくさんの聖地巡礼者がおとずれ、
100人をこえるひとが移住までしているという。
熱心なファンのおおくはいい歳をしたおじさんで、
そこまでして「聖地」にのめりこめるものかと感心する。
「あのアニメがすきなら、もう友だちだ」
というファンならではの共通意識がここちいいという。
わたしは、「ガルパン」がおもしろいといっても、
劇場版をみたていどで、テレビ版までをぜんぶおさえるほどの
つよい愛着はかんじなかった。
とても「聖地」をおとずれる気はないし、
ましてや移住なんて冗談としかおもえない。
リアルとバーチャルを、いっしょにしてたのしいのだろうか。
「クールジャパン」はわたしがすきな番組で、
しらなかった日本のクールをおしえてくれる。
そのなかで、こんかいの「2.5次元」は、
わたしがしらなかった世間のうごきだった。
とくに「2.5次元ミュージカル」と「eスポーツ」は、
その存在をしったのちも、
わたしにはべつの世界としか かんじられない。
年配のひとたちが、ネット社会にたいして
よるべのなさをさみしくおもうように、
わたしひとりが しらないあいだに
とりのこされていたような気がして あぜんとなる。
世界がこれからむかうさきは、
わたしにとって あまり居心地がよくなさそうだ。
世間についていけない 残念なおじさんのひとりなんだと、
自分がおかれている状況のきびしさを、ひしひしとかんじた。
2019年02月08日
2015年10月21日
劇団ハタチ族の「ハングリー・アングリー」に期待する
劇団ハタチ族を応援しようと、月に1回は
となり町のチェリヴァホールへでかけている。
今月は、ハタチ族のサイトでファンがすすめていた
『鈴虫だいすき、興梠さん』の公演をえらぶ。
ハタチ族の代表である西藤さんが、ひとりでうけもつ日だ。
ひとり芝居のせいか、チケット代は500円だった。
きのうの朝日新聞に、ハタチ族を紹介する記事がのったので、
お客さんがおおいかとおもったけど、いつもとかわらない12人。
全員がお得意さんのようで、
西藤さんのうごきにこまかく反応し、よくわらっていた。
カメラをかまえているひとがいる。
このひとは、たしかまえにもいっしょになった。
月にいちどのわたしと顔をあわせるということは、
かなり熱心なファンなのだろう。
西藤さんがえんじるのは、興梠さんという老人だ。
鈴虫がすきな興梠さんは、これまでないたことがない。
それだけこころがつよいというよりも、
いつなけばいいのかわからないからだ。
興梠さんは、そもそもなき方もわからないまま
老人になってしまった。
そう。これは鳴くと泣くをかけたはなしだ。
でもまあ、いってみればただそれだけで、
とくにクライマックスはない。
もしかしたら、行間に意味がこめられているのかもしれないが、
わたしはみていてすこしつらかった。
いまおもえば、はじめてみた「ハタチ族」である『劇団入門』が、
いちばん演劇らしい題目だった。
いまの劇団ハタチ族は、まだひきだしがおおくない。
西藤さんがひとりでうけもつ日をいれないと、
365日連続公演を、つづけるだけの体力がない。
そのいたらなさをうけいれながら、
ハタチ族がちからをつけてほしいと応援している。
イスにすわって舞台をみていると、
うしろのほうからテレビの音がきこえてくる。
鈴虫の音色をきこうか、というくらい
しずかさがほしい場面なのに、
きこえてくるのがおわらい番組のざわつきなので、
かなりトホホな気分になる。
ロビーとおなじ階にある軽食店から
音がもれてくるようだ。
しずかな場面をえんじている西藤さんに失礼だし、
客としてもたのしくはない。
こんながっかりの環境で、ハタチ族はスタートしたのだ。
『100円の恋』で、ボクシングジムにはられていた
「ハングリー・アングリー」のパネルをおもいだす。
劇団ハタチ族にも、ハングリーとアングリーがあるはずだ。
ひとり芝居でのりきろうとした夜、
雑音に演技をじゃまされた残念な体験を
わすれてほしくない。
となり町のチェリヴァホールへでかけている。
今月は、ハタチ族のサイトでファンがすすめていた
『鈴虫だいすき、興梠さん』の公演をえらぶ。
ハタチ族の代表である西藤さんが、ひとりでうけもつ日だ。
ひとり芝居のせいか、チケット代は500円だった。
きのうの朝日新聞に、ハタチ族を紹介する記事がのったので、
お客さんがおおいかとおもったけど、いつもとかわらない12人。
全員がお得意さんのようで、
西藤さんのうごきにこまかく反応し、よくわらっていた。
カメラをかまえているひとがいる。
このひとは、たしかまえにもいっしょになった。
月にいちどのわたしと顔をあわせるということは、
かなり熱心なファンなのだろう。
西藤さんがえんじるのは、興梠さんという老人だ。
鈴虫がすきな興梠さんは、これまでないたことがない。
それだけこころがつよいというよりも、
いつなけばいいのかわからないからだ。
興梠さんは、そもそもなき方もわからないまま
老人になってしまった。
そう。これは鳴くと泣くをかけたはなしだ。
でもまあ、いってみればただそれだけで、
とくにクライマックスはない。
もしかしたら、行間に意味がこめられているのかもしれないが、
わたしはみていてすこしつらかった。
いまおもえば、はじめてみた「ハタチ族」である『劇団入門』が、
いちばん演劇らしい題目だった。
いまの劇団ハタチ族は、まだひきだしがおおくない。
西藤さんがひとりでうけもつ日をいれないと、
365日連続公演を、つづけるだけの体力がない。
そのいたらなさをうけいれながら、
ハタチ族がちからをつけてほしいと応援している。
イスにすわって舞台をみていると、
うしろのほうからテレビの音がきこえてくる。
鈴虫の音色をきこうか、というくらい
しずかさがほしい場面なのに、
きこえてくるのがおわらい番組のざわつきなので、
かなりトホホな気分になる。
ロビーとおなじ階にある軽食店から
音がもれてくるようだ。
しずかな場面をえんじている西藤さんに失礼だし、
客としてもたのしくはない。
こんながっかりの環境で、ハタチ族はスタートしたのだ。
『100円の恋』で、ボクシングジムにはられていた
「ハングリー・アングリー」のパネルをおもいだす。
劇団ハタチ族にも、ハングリーとアングリーがあるはずだ。
ひとり芝居でのりきろうとした夜、
雑音に演技をじゃまされた残念な体験を
わすれてほしくない。
2015年09月29日
「劇団ハタチ族」365日連続公演のさきにあるもの
きのうは劇団ハタチ族の公演にでかける。
365日連続公演を応援するために、
月にいちどのペースで木次のチェリバホールへむかっている。
東京でいえば武道館みたいなホール、というのは嘘で、
定員500名のホールの、そのまたロビーが会場だ。
月曜日は恒例の「マンデーワンマンショー」。
西藤さんひとりが舞台をうけもつ日だ。
もしお客さんがわたしひとりだったらたいへんなので、
まえにつとめていた職場の同僚をさそい、つきあってもらう。
さいわい、お客さんはわれわれをふくめ6人(も)いた。
幕があがると(イメージです)
月曜日のワンマンショーついて西藤さんが説明する。
365日公演をつづけるのはたいへんなので、
団員をやすませるためにも
月曜日は西藤さんひとりでつとめるときめたそうだ。
もちろんいまではそのコンセプトもぐちゃぐちゃになり、
いきあたりばったりで日々の公演をなんとかやりくりしている。
あえて整理すると、この日のワンマンショーは3部構成だった。
・10月の公演予定
・あきふみさんへのインタビュー
・フラワーカンパニーズへのおもい
ひとつづつみていく。
10月の「劇刊ハタチ族」を手にした西藤さんが、
10月1日におこなう平日のひるま公演があぶないという。
この日の夜は、どうしても西藤さんがうごけず、
ほかの団員もスケジュール調整がつかなかったので、
平日の午後3時から、チェリバホールのロビーでひらくそうだ。
ひるま公演は、夜だときにくいひとのためにも
まえからやってみたかった。
とはいえ、ひるにひらいたからといって、
夜こらないひとがきてくれるとはかぎらない。
でも、お客さんがゼロになり、
365日公演がとぎれてもいいと
西藤さんはこのごろおもうようになったという。
つづけたからといって、それが成功とはかぎらないから。
365日公演がつづければ それでいいんだろうかという、
連続公演をはじめたときには
おもいもしなかった疑問だ。
たしかに365日つづけたからといって
ひとつの達成ではあるものの、
なにかがあきらかにかわるわけではない。
でも、それをいったらおしまいなわけで、
いまさらそんなことをいいだされてもこまる。
大晦日というゴールがみえてきたいま、
なにをもって成功とするかについて
西藤はこの時期ならではのなやみをかかえている。
あきふみさんへのインタビューは・・・、
ま、いいか。
あきふみさんが舞台からおりると、
西藤さんに お客さんのひとりからプレゼントがわたされた。
西藤が影響をうけまくっている フラワーカンパニーズのTシャツだ。
フラカンは 今年12月に
結成26年目ではじめての武道館ライブをひらくという。
西藤さんがあつくかたりはじめる。
ふかずとばずの時代がながかったのに、
26年間いちども休止せず、メンバーもおなじ4人のまま、
デビューのときとおなじスタイルをたもつフラカンが
どれだけすごいひとたちか。
そのTシャツには、
フラワーカンパニーズのグレートマエカワさんにより
西藤さんへのメッセージがかかれている。
西藤さんにはなによりのプレゼントだろう。
きょうのお客さんは、なげ銭なんかどうでもいいので、
かえってからぜひ「フラカン」を検索して、
彼らの音楽をきいてほしいと西藤さんがいう。
ワンマンショーのしめくくりにはいったとき、
いつかまた もういちど365日公演をやる、と西藤さんがいいだす。
おなじことをくりかえしてもしかたないので、
形をかえ、グレードアップしてとりくみたいという。
そうかもしれない。
365日公演は、365日でおわらせていいものではないだろう。
まいにち演劇がみられる町として 演劇が根づかないと
なんのための365日だったか。
このいちねんがおわったときこそ つぎのスタートだ。
365日連続公演まであと94日。
それがゴールではないにせよ、
とりあえずのくぎりまで94日。
そのさきの劇団ハタチ族がたのしみだ。
365日連続公演を応援するために、
月にいちどのペースで木次のチェリバホールへむかっている。
東京でいえば武道館みたいなホール、というのは嘘で、
定員500名のホールの、そのまたロビーが会場だ。
月曜日は恒例の「マンデーワンマンショー」。
西藤さんひとりが舞台をうけもつ日だ。
もしお客さんがわたしひとりだったらたいへんなので、
まえにつとめていた職場の同僚をさそい、つきあってもらう。
さいわい、お客さんはわれわれをふくめ6人(も)いた。
幕があがると(イメージです)
月曜日のワンマンショーついて西藤さんが説明する。
365日公演をつづけるのはたいへんなので、
団員をやすませるためにも
月曜日は西藤さんひとりでつとめるときめたそうだ。
もちろんいまではそのコンセプトもぐちゃぐちゃになり、
いきあたりばったりで日々の公演をなんとかやりくりしている。
あえて整理すると、この日のワンマンショーは3部構成だった。
・10月の公演予定
・あきふみさんへのインタビュー
・フラワーカンパニーズへのおもい
ひとつづつみていく。
10月の「劇刊ハタチ族」を手にした西藤さんが、
10月1日におこなう平日のひるま公演があぶないという。
この日の夜は、どうしても西藤さんがうごけず、
ほかの団員もスケジュール調整がつかなかったので、
平日の午後3時から、チェリバホールのロビーでひらくそうだ。
ひるま公演は、夜だときにくいひとのためにも
まえからやってみたかった。
とはいえ、ひるにひらいたからといって、
夜こらないひとがきてくれるとはかぎらない。
でも、お客さんがゼロになり、
365日公演がとぎれてもいいと
西藤さんはこのごろおもうようになったという。
つづけたからといって、それが成功とはかぎらないから。
365日公演がつづければ それでいいんだろうかという、
連続公演をはじめたときには
おもいもしなかった疑問だ。
たしかに365日つづけたからといって
ひとつの達成ではあるものの、
なにかがあきらかにかわるわけではない。
でも、それをいったらおしまいなわけで、
いまさらそんなことをいいだされてもこまる。
大晦日というゴールがみえてきたいま、
なにをもって成功とするかについて
西藤はこの時期ならではのなやみをかかえている。
あきふみさんへのインタビューは・・・、
ま、いいか。
あきふみさんが舞台からおりると、
西藤さんに お客さんのひとりからプレゼントがわたされた。
西藤が影響をうけまくっている フラワーカンパニーズのTシャツだ。
フラカンは 今年12月に
結成26年目ではじめての武道館ライブをひらくという。
西藤さんがあつくかたりはじめる。
ふかずとばずの時代がながかったのに、
26年間いちども休止せず、メンバーもおなじ4人のまま、
デビューのときとおなじスタイルをたもつフラカンが
どれだけすごいひとたちか。
そのTシャツには、
フラワーカンパニーズのグレートマエカワさんにより
西藤さんへのメッセージがかかれている。
西藤さんにはなによりのプレゼントだろう。
きょうのお客さんは、なげ銭なんかどうでもいいので、
かえってからぜひ「フラカン」を検索して、
彼らの音楽をきいてほしいと西藤さんがいう。
ワンマンショーのしめくくりにはいったとき、
いつかまた もういちど365日公演をやる、と西藤さんがいいだす。
おなじことをくりかえしてもしかたないので、
形をかえ、グレードアップしてとりくみたいという。
そうかもしれない。
365日公演は、365日でおわらせていいものではないだろう。
まいにち演劇がみられる町として 演劇が根づかないと
なんのための365日だったか。
このいちねんがおわったときこそ つぎのスタートだ。
365日連続公演まであと94日。
それがゴールではないにせよ、
とりあえずのくぎりまで94日。
そのさきの劇団ハタチ族がたのしみだ。
2015年08月26日
『命を弄ぶ男ふたり』劇団ハタチ族には台風でもお客があつまる
劇団ハタチ族の公演『命を弄ぶ男ふたり』をみにいく。
月にいちどでかけることで、応援になればという気もちと、
きのうは台風が直撃するおそれがあり、
お客さんがゼロになるのを心配したためだ。
夜なのに、台風のため 異様にあかるい空をながめながら
チェリバホールへいそぐ。
わたしとおなじように、
365日連続公演がとだえるのを心配する
ファン心理がはたらいたようで、
いつもとおなじくらいの11名という客数だった。
まえの列にすわっている男性ふたりは
「劇団ハタチ族は雲南市にもっと応援されたいんです。」
というTシャツをきている。
熱心なファンなのだろう、さかんに写真をとっておられた。
「もっと応援されたいんです。」というのだから、
いまの状態に満足していないわけで、
でもこうやって台風の日にかけつけてくれるファンがいるのだから、
そこそこ雲南市に根づいているともおもわれる。
劇の内容は、鉄道自殺をこころみようとする男性ふたりのやりとりだ。
ときどき汽笛とともに夜汽車がとおりすぎていく。
そのあいまに、
なぜ死をのぞむのか、とか、
あなたはわたしの気もちがぜんぜんわかってない、
といったやりとりがまじる。
はじめは、自分をさきに死なせてくれ、
と死にたがっていたのに、
だんだん会話がもつれていって、
あなたがさきにとびこめばいい、
わたしはそれをみとどけるから、みたいに
ゆずりあい、相手をけしかけたりと、
すこしずつ状況がずれていく。
ポツリポツリ汽車がやってくる間あいと、
汽笛の音が効果的だった。
ロシアの小説を、漱石の時代の日本人が演じたら
こんな劇になるのでは、なんておもった。
劇のあと、出演した西藤さんと井上さんが
おわりの挨拶として ふたたび舞台にあらわれる。
いつもなら劇についてはなすところを、
きのうは台風を心配して
「きょうはもうすぐかえりましょう」と
西藤さんがいう。
アンケートなんかいいので、
写真撮影だけ協力してもらい、
あとはすぐかえりましょうとせきたてる。
ほんとに台風のためなのか、
劇についてはなしたくないのかはわからない。
わらえる内容の劇ではないけれど、
みているうちに、それなりにひきこまれていく。
こうやってあたらしい劇にいどみながら、
団員が総合的なちからをつけていくのだなー、
とおもいながらみた。
気合のはいった井上さんの表情と、
台風にもかかわらずひとがあつまるハタチ族として、
印象にのこる夜だった。
月にいちどでかけることで、応援になればという気もちと、
きのうは台風が直撃するおそれがあり、
お客さんがゼロになるのを心配したためだ。
夜なのに、台風のため 異様にあかるい空をながめながら
チェリバホールへいそぐ。
わたしとおなじように、
365日連続公演がとだえるのを心配する
ファン心理がはたらいたようで、
いつもとおなじくらいの11名という客数だった。
まえの列にすわっている男性ふたりは
「劇団ハタチ族は雲南市にもっと応援されたいんです。」
というTシャツをきている。
熱心なファンなのだろう、さかんに写真をとっておられた。
「もっと応援されたいんです。」というのだから、
いまの状態に満足していないわけで、
でもこうやって台風の日にかけつけてくれるファンがいるのだから、
そこそこ雲南市に根づいているともおもわれる。
劇の内容は、鉄道自殺をこころみようとする男性ふたりのやりとりだ。
ときどき汽笛とともに夜汽車がとおりすぎていく。
そのあいまに、
なぜ死をのぞむのか、とか、
あなたはわたしの気もちがぜんぜんわかってない、
といったやりとりがまじる。
はじめは、自分をさきに死なせてくれ、
と死にたがっていたのに、
だんだん会話がもつれていって、
あなたがさきにとびこめばいい、
わたしはそれをみとどけるから、みたいに
ゆずりあい、相手をけしかけたりと、
すこしずつ状況がずれていく。
ポツリポツリ汽車がやってくる間あいと、
汽笛の音が効果的だった。
ロシアの小説を、漱石の時代の日本人が演じたら
こんな劇になるのでは、なんておもった。
劇のあと、出演した西藤さんと井上さんが
おわりの挨拶として ふたたび舞台にあらわれる。
いつもなら劇についてはなすところを、
きのうは台風を心配して
「きょうはもうすぐかえりましょう」と
西藤さんがいう。
アンケートなんかいいので、
写真撮影だけ協力してもらい、
あとはすぐかえりましょうとせきたてる。
ほんとに台風のためなのか、
劇についてはなしたくないのかはわからない。
わらえる内容の劇ではないけれど、
みているうちに、それなりにひきこまれていく。
こうやってあたらしい劇にいどみながら、
団員が総合的なちからをつけていくのだなー、
とおもいながらみた。
気合のはいった井上さんの表情と、
台風にもかかわらずひとがあつまるハタチ族として、
印象にのこる夜だった。
2015年07月10日
劇団ハタチ族の『釣りとチャイと愛人と』
今月も劇団ハタチ族をみにいく。
題目は『釣りとチャイと愛人と』。
わかりにくいけどハタチ族らしい劇という評判をきき、
ぜひいまのうちにみておきたかった。
夜8時すこしまえに会場につくと、
西藤さんがもうつり糸をたれている(さおをもってつりをしているふり)。
8時になると音楽がはじまり、共演の松島さんがはいってきた。
つりをしている西藤に、松島さんがひとりごとのようにはなしかける。
このオープニングは、『演劇入門』でおなじみだ。
はじめは、なんでこんな女の相手をしなくちゃならないんだ、みたいに
めんどくさそうだった西藤が、つれない返事をしてるうちに、
あいかわらずはなしがかみあわないものの、
ふたりのやりとりにリズムがでてくる。
意味は、よくわからない。
松島さんは「あのひと」の愛人だったみたいで、
その「あのひと」はもう死んでしまったみたいで、
西藤さんは「あのひと」のしりあいだったみたいで、
松島さんはじつはユウレイみたいで、
ふたりの関係がよくわからないのうえに、
冬なのにあついとか、
太陽がうごかないとか、
なんでこんな世界になっちゃったんですかねー、と
世紀末のはなしみたいな気もしてくるし。
ときどき松島さんが女のヒステリー全開となり、
家の修羅場をおもいだし、びくっとからだをかたくした。
はなしがあっちこっちいくので、
なんだかシナリオなんてどうでもよくて、
けっきょくは役者さんが舞台をつくっていくのだ、とおもえてくる。
どんなシナリオでも、それなりの役者さんなら
観客をひきつけて「世界」をつくってしまうだろう。
でも、「冬にやった(『釣りとチャイと愛人と』とは)別もの」と
反省会で西藤さんがはなしている。
シナリオをいじって劇に変化をつけたのだから、
やはりシナリオあっての舞台ということになる。
きっとこの劇は これからも変化しつづけながら、
いつか「釣り」と「チャイ」と「愛人」の3つが
絶妙にからまるときをむかえるのだろう。
こうやって演劇にうちこんでる劇団がみぢかにあることを ありがたくおもう。
劇がおわり、さいごのあいさつをしてるときに、
つぎの日から(7月10・11日)出演する
ぜんじろうさんが舞台にあがってきた。
ぜんじろうさんは吉本所属の芸人で、
なにをはなしてもわらいをさそう。
リズム、間のとりかた、表情などで、
舞台の雰囲気を自由にあやつっている。
ネタがどうこうだけでなく、これはたしかに芸といえる話術だ。
ぜんじろうさんによると、
ハタチ族がやっている365日連続公演はとても貴重らしく、
世界的にみてもブロードウェイか吉本のなんば花月くらいじゃないか、
と評価していた。
ハタチ族はたった9人でやってるのだから、
吉本の規模とぜんぜんちがいます、と西藤さんが強調する。
世界的にみてもありえない企画に、
こうやってたちあえるしあわせをおもう。
題目は『釣りとチャイと愛人と』。
わかりにくいけどハタチ族らしい劇という評判をきき、
ぜひいまのうちにみておきたかった。
夜8時すこしまえに会場につくと、
西藤さんがもうつり糸をたれている(さおをもってつりをしているふり)。
8時になると音楽がはじまり、共演の松島さんがはいってきた。
つりをしている西藤に、松島さんがひとりごとのようにはなしかける。
このオープニングは、『演劇入門』でおなじみだ。
はじめは、なんでこんな女の相手をしなくちゃならないんだ、みたいに
めんどくさそうだった西藤が、つれない返事をしてるうちに、
あいかわらずはなしがかみあわないものの、
ふたりのやりとりにリズムがでてくる。
意味は、よくわからない。
松島さんは「あのひと」の愛人だったみたいで、
その「あのひと」はもう死んでしまったみたいで、
西藤さんは「あのひと」のしりあいだったみたいで、
松島さんはじつはユウレイみたいで、
ふたりの関係がよくわからないのうえに、
冬なのにあついとか、
太陽がうごかないとか、
なんでこんな世界になっちゃったんですかねー、と
世紀末のはなしみたいな気もしてくるし。
ときどき松島さんが女のヒステリー全開となり、
家の修羅場をおもいだし、びくっとからだをかたくした。
はなしがあっちこっちいくので、
なんだかシナリオなんてどうでもよくて、
けっきょくは役者さんが舞台をつくっていくのだ、とおもえてくる。
どんなシナリオでも、それなりの役者さんなら
観客をひきつけて「世界」をつくってしまうだろう。
でも、「冬にやった(『釣りとチャイと愛人と』とは)別もの」と
反省会で西藤さんがはなしている。
シナリオをいじって劇に変化をつけたのだから、
やはりシナリオあっての舞台ということになる。
きっとこの劇は これからも変化しつづけながら、
いつか「釣り」と「チャイ」と「愛人」の3つが
絶妙にからまるときをむかえるのだろう。
こうやって演劇にうちこんでる劇団がみぢかにあることを ありがたくおもう。
劇がおわり、さいごのあいさつをしてるときに、
つぎの日から(7月10・11日)出演する
ぜんじろうさんが舞台にあがってきた。
ぜんじろうさんは吉本所属の芸人で、
なにをはなしてもわらいをさそう。
リズム、間のとりかた、表情などで、
舞台の雰囲気を自由にあやつっている。
ネタがどうこうだけでなく、これはたしかに芸といえる話術だ。
ぜんじろうさんによると、
ハタチ族がやっている365日連続公演はとても貴重らしく、
世界的にみてもブロードウェイか吉本のなんば花月くらいじゃないか、
と評価していた。
ハタチ族はたった9人でやってるのだから、
吉本の規模とぜんぜんちがいます、と西藤さんが強調する。
世界的にみてもありえない企画に、
こうやってたちあえるしあわせをおもう。