2022年08月06日

コーヒー豆を焙煎する

職場に小型の焙煎機がはいり、
自家焙煎のコーヒー豆をあつかうようになった。
まえは、おおきな機械しかなくて、
ちいさな喫茶店や、個人には手がでなかったけど、
いまでは20万円ほどでりっぱな焙煎機がかえる。
その影響なのだろう、このごろは町でよく
自家焙煎の喫茶店をみかけるようになった。
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職場で参考にしているのが
『ホーム・コーヒー・ロースティング
(お家ではじめる自家焙煎珈琲)』
(嶋中労・旦部幸博/集英社インターナショナル)という本で、
日本における焙煎の歴史がくわしくかかれている。
この本によると、焙煎は、
なにも立派な機械がなければできないわけではなく、
フライパンや金網のザルでもおいしい豆にしあげられるようだ。
少量をあつかう場合には、機械のかわり、というよりも、
むしろフライパンやザルのほうが焙煎の王道かも、
ととらえることもできそうだ。
1キロ2000円ほどの豆(エチオピア産)をネットでえらび、
じっさいに家で焙煎してみる。
送料や振込手数料などで、200グラム800円ほどの単価になる。
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あつでの鍋をつかい、火かげんはつよ火と中火のまんなかくらい。
しゃもじでかきまぜながらいっていると、
20分ほどで豆がはじける音がしてくる。これを1ハゼというらしく、
そのあといりつづけるうちに、2どめのはぜる音がしだす。
これが2ハゼで、いつまでもはじける音がつづくので、
ついそのままいっていたら、豆がまっ黒になってしまった。
あきらかにいりすぎで、のめないほどではないけど、
かなりの「ふかいり」になってしまった。
でもまあ、そうした失敗をしても、
自分で豆をいるのはたしかにたのしい。
これでコツがわかったので、つぎからはまともな焙煎ができるだろう。
これまでは抽出こそコーヒーの肝だとおもっていたけど、
『ホーム・コーヒー・ロースティング 』によると、
コーヒーのおいしさは、ほとんど焙煎できまるそうだ。

posted by カルピス at 21:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月04日

平坂さんの「釣った魚はフラットな気持ちで食べたい」に共感する

めずらしいいきものをつかまえるのが専門みたいな
平坂さんへのインタビューがデイリーポータルZにのった。
タイトルは「釣った魚はフラットな気持ちで食べたい」。
https://dailyportalz.jp/kiji/hirasaka-outtakes-03
よく「自分で釣った魚はおいしい」っていうじゃないですか?
そういうバイアスがかかるのが嫌なんですよ。
それ言い出すと素材の味というか、その生物そのものの味が公平にジャッジできなくなってしまう。それはもったいない。
だから持ち帰って。ひと息ついて、フラットな状態で食べたい。
っていうのがあるので、なるべくキッチン付きの宿で、なるべくつまらない精神状態で食べる。

平坂さんがいいたいことと、すこしちがうかもしれないけど、
「外でたべるごはんはおいしい」や
「おおぜいでたべるごはんはおいしい」も
「バイアスがかか」っているようにおもう。
おおくのひとが、外でたべたり、おおぜいでたべたりして、
いつもよりも おいしかった経験があるのかもしれないけど、
おいしいにきまっている、みたいに
きめつけられるのは すきではない。
さらにいえば、魚の新鮮さに価値をおくのも、程度問題ではないか。
テレビをみていると、とりたての魚をありがたがって
あまいだの、コリコリしているだのいっているけど、
魚が新鮮なのと、新鮮でうまいというのは、またべつのはなしだ。
とりたての魚より、つってから なんにちかたったほうがうまみがでる、
という説もあるようだから、とりたて・つりたての魚はおいしい、
というのは、 おもいこみにすぎないかもしれない。

空腹は最高のコック、みたいなはなしがある。
どんなに食材に気をくばり、料理法を工夫しても、
おなかがすいていなければ、おいしくたべられないというものだ。
でも、お腹がすいていさえすれば、なんでもおいしい、
というのも、いいすぎだとおもう。
教訓めいていて、いかにも親や大人がよろこびそうだ。
おいしくないものは、いくらお腹がへっていても
おいしくないとわたしはおもう。

アウトドアブームで、キャンプにでかけても、
いろいろこった料理をするひともいるようだ。
ヒロシさんみたいに、キャンプ場へいくとちゅうのスーパーで、
土地の食材をかう、くらいならいいけど、
おおげさな料理道具をもちこむのは、わたしの趣味にあわない。
外でおいしいものをたべよう、というのが そもそも気にいらない。
もっと質素で、ビンボーな食事をめざしたいものだ。
火をおこし、あたたかい料理をたべられたら、
それだけでもうごちそうだ。食後にコーヒーがつけばいうことない。
けっきょくわたしがやりたいのは、
西部劇にでてくるキャンプかもしれない。
ブリキの皿によそった豆料理をまずそうにたべ、
おわったら砂でさっとこすってよごれをおとす、
というのがあこがれの食事風景だ。

posted by カルピス at 21:07 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月28日

現代の男性より、よほど生活力があった海軍の軍人

朝日新聞に連載中の小説
『また会う日まで』(池澤夏樹)をたのしみにしている。
日本海軍の軍人である秋吉利雄が主人公で、
ちかぢか再婚するすることになった。
きょうのはなしでは、相手の女性が、
「式の前に一度お宅に伺ってお義母さまに教えていただきたいことがあるのですが」
といいだす。
自分は料理ができないので、ということだ。

「ではまずわたしが教えてあげよう」
と秋吉はこたえた。
海軍軍人は一通りのことは自分でする。あなたのように和裁はできないが洋裁ならば洋子の服くらいは縫える。料理は日曜日の晩にしばしば担当する」
「なんと心強いこと」
「縫い物で言えば、艦の勤務では釦付けなどに兵を呼ぶことはしない。自分でするのが常識。編み物が上手で、航海中に妻のセーターを編み上げてそれを土産に帰港する者もいたな」

中佐ぐらいのえらい階級だと、
なんでもおつきの兵士にやらせそうだけど、
この小説にかいてあることが事実なら、
当時の海軍には、「自分でするのが常識」
という文化があったのだ。
小説の舞台は太平洋戦争がはじまるすこしまえだ。
この時代、秋吉のように裁縫や料理をやる男性ばかりとはおもえない。
ただ、時代がどうあれ、自立した成人として生きようとしたら、
おのずとなんでも自分でやる人間にならざるをえない。
2021年でも、料理をするひとはするし、しないひとは徹底的にしない。
コンビニやスーパーで、なんでもかえるのから、
自分でやる必要はない、というかんがえ方もある。
「日曜の夕方、わたしが台所に立ってまず何をするか?」
「なんですか?材料の吟味とか?」
「いや、包丁を研ぐのだよ。虚心坦懐に、気持ちがいいものだ」

わたしの包丁が、あまりにもきれなかったから、だめもとで
配偶者の砥石をつかい それっぽくといでみた。
ただしいやり方はしらないので、
20回ほどなんとなく包丁を前後にうごかす。
たったそれだけで、包丁が劇的にきれるようになったのでおどろいた。
包丁をとぐなんて、すごくむつかしい仕事かとおもっていたのに、
じっさいは、おどろくほどかんたんだ。
よのなかのことも、すべからず、こうであるといいのに。
というわけで、秋吉氏ほど「虚心坦懐」にとりくまなくても、
包丁をとぐのはたいした仕事ではない。
それに、料理のまえはいつも包丁をとごうとしたら、
いっぺんに料理のハードルがたかくなってしまう。
秋元氏の再婚相手が、やっぱり料理はやめた、
なんていいださないといいけど。

posted by カルピス at 22:14 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月23日

酒をやめることにした

酒をやめることにした。
きのうオールフリー ライムショットをのんだのがきっかけだ。
お酒をとるか、禁酒をするかのゼロイチではなく、
ノンアルコール飲料をとりいれての 第3の道に気づいた。
酒を我慢してしょんぼりするのではなく、
ノンアルコール飲料をたのしみながら、
カジュアルに酒をのまないはかっこよくないか。
いまのトレンドは、きっと禁酒だ。
アルコールでよっぱらうことに意味はなく、
習慣から、惰性でのんでいるだけだ。
もしかしたら、毎晩よっぱらう必要はないのかも、
という、あたらしい可能性が目のまえにひろがっている。

とはいえ、冷蔵庫に金麦が1本はいっていたので、
あつかったきょうのごほうびとして、
夕ごはんをつくりながら金麦をのんだ。
禁酒の覚悟があまい、という批判はあたらない。
のみかけの赤ワインは、ちゃんと料理用に寄付した。
冷凍庫にジンが2センチほどはいったボトルがある。
これものみきらないと邪魔だから、今夜かたづけてしまおう。
サントリーの「のんある気分」を1本かってきたので、
ジンをいれてのめばおいしそうだ。

禁煙するといいながら、「これをすってからね」と
いつまでもふんぎりがつかないひとがいるけど、
わたしの禁酒はそれとはちがう。
ほんとうに禁酒をたのしみにしているけど、
すでにある酒がじゃまなので、あるていどキリをつけてから
本格的にとりくもうとおもう。
それに、酒に支配されない生活が目的なので、
さそわれればきっとのみにいくだろう。
家ではのまずに、つきあいではのむのは
成熟したおとなみたいでかっこいい。

よっぱらうのがよくないわけだから、
低アルコールや微アルコール飲料はどうしようか。
ワインを半本のむことにくらべたら、
0.5%のアルコールなんて、たいして問題ではないので、
ここはおおめにみてもいいのではないか。
あすからの禁酒生活がたのしみになってきた。

posted by カルピス at 21:34 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月22日

「オールフリー ライムショット」お酒っぽいものをのんで、よわないのはすごく楽

デイリーポータルZでとりあげていた
サントリーの「オールフリー ライムショット」をのんでみる。
https://dailyportalz.jp/kiji/osumeshi13_01
グラスにそそぐと、みかけはビールだけど、
のんでみると、ビールとはべつの のみものだ。
ビールのかわりとしてはものたりないけど、
まずいわけではなく、こういうのみものだとおもえば
これもありか、と納得できる。
カロリー、糖質ともゼロで、もちろんアルコールは0%。
プリン体もゼロだ。

ビールのかわりとしてのむノンアルコール飲料は、
なんだかいじけた印象がありすきではなかった。
でも、ライムショットは、ビールに にせようとしていない。
記事をみると、編集部の橋田さんは、
ライムショットを毎晩2本ずつのむことで禁酒に成功している。
それまでは、ストロングゼロを2本ずつのみ、
つぎの朝はぼんやりしてしまうので、
なんとかお酒をやめようとおもっていたそうだ。
わたしも、お酒をのむとなにもできなくなるほうで、
本をよんでいても、あまり頭にはいらない。
毎晩ワインを半本と、もう1杯なにか
(焼酎だったりウィスキーだったり)のむのが習慣になっており、
二日よいとまではいかなくても、橋田さんとおなじように、
つぎの日の午前はぼんやりした頭をかかえている。
お酒をのんでおしゃべりがはずむような上品なのみ方ではなく、
わたしの場合、完全に寝酒だ。
ただ習慣になっているからのんでいるだけ。

お酒はよっぱらうのがたのしいからのむのであり、
酒に にせた よわないのみものの意味がわからなかった。
ライムショットはアルコール0%なので、もちろんよわない。
ビールっぽいものをのんで、よわないのは あたらしい体験だ。
ビールを我慢しているつもりはなく、
べつの のみものをのんでいるのだからストレスはない。
よわないのが、こんなに楽だとはしらなかった。
酒とはなにか、なんのためにのむのかが、わからなくなってくる。
ビールをのむことと、よっぱらうことが、必然ではない時代。
お酒っぽいものをのんで、よわないのがすごく不思議だ。

記事のなかで林さんが、
普通のオールフリーのほうを一時期飲んでたんですけど、あれ焼酎入れるとめちゃくちゃ美味くて。オールフリーは酒入れちゃうから。これなら入れなくてすみそう。

と、すごいのみ方を紹介している。
ノンアルコール飲料に、焼酎をいれるなんて、
林さんはいったいなにをかんがえているのだろう。
このライムショットも、ウォッカやジンをいれると
りっぱなカクテルになるかもしれない。
けっきょくストロングゼロをのむのと かわらなくなったりして。

posted by カルピス at 21:15 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする