2021年07月04日

平坂さんの「釣った魚はフラットな気持ちで食べたい」に共感する

めずらしいいきものをつかまえるのが専門みたいな
平坂さんへのインタビューがデイリーポータルZにのった。
タイトルは「釣った魚はフラットな気持ちで食べたい」。
https://dailyportalz.jp/kiji/hirasaka-outtakes-03
よく「自分で釣った魚はおいしい」っていうじゃないですか?
そういうバイアスがかかるのが嫌なんですよ。
それ言い出すと素材の味というか、その生物そのものの味が公平にジャッジできなくなってしまう。それはもったいない。
だから持ち帰って。ひと息ついて、フラットな状態で食べたい。
っていうのがあるので、なるべくキッチン付きの宿で、なるべくつまらない精神状態で食べる。

平坂さんがいいたいことと、すこしちがうかもしれないけど、
「外でたべるごはんはおいしい」や
「おおぜいでたべるごはんはおいしい」も
「バイアスがかか」っているようにおもう。
おおくのひとが、外でたべたり、おおぜいでたべたりして、
いつもよりも おいしかった経験があるのかもしれないけど、
おいしいにきまっている、みたいに
きめつけられるのは すきではない。
さらにいえば、魚の新鮮さに価値をおくのも、程度問題ではないか。
テレビをみていると、とりたての魚をありがたがって
あまいだの、コリコリしているだのいっているけど、
魚が新鮮なのと、新鮮でうまいというのは、またべつのはなしだ。
とりたての魚より、つってから なんにちかたったほうがうまみがでる、
という説もあるようだから、とりたて・つりたての魚はおいしい、
というのは、 おもいこみにすぎないかもしれない。

空腹は最高のコック、みたいなはなしがある。
どんなに食材に気をくばり、料理法を工夫しても、
おなかがすいていなければ、おいしくたべられないというものだ。
でも、お腹がすいていさえすれば、なんでもおいしい、
というのも、いいすぎだとおもう。
教訓めいていて、いかにも親や大人がよろこびそうだ。
おいしくないものは、いくらお腹がへっていても
おいしくないとわたしはおもう。

アウトドアブームで、キャンプにでかけても、
いろいろこった料理をするひともいるようだ。
ヒロシさんみたいに、キャンプ場へいくとちゅうのスーパーで、
土地の食材をかう、くらいならいいけど、
おおげさな料理道具をもちこむのは、わたしの趣味にあわない。
外でおいしいものをたべよう、というのが そもそも気にいらない。
もっと質素で、ビンボーな食事をめざしたいものだ。
火をおこし、あたたかい料理をたべられたら、
それだけでもうごちそうだ。食後にコーヒーがつけばいうことない。
けっきょくわたしがやりたいのは、
西部劇にでてくるキャンプかもしれない。
ブリキの皿によそった豆料理をまずそうにたべ、
おわったら砂でさっとこすってよごれをおとす、
というのがあこがれの食事風景だ。

posted by カルピス at 21:07 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月28日

現代の男性より、よほど生活力があった海軍の軍人

朝日新聞に連載中の小説
『また会う日まで』(池澤夏樹)をたのしみにしている。
日本海軍の軍人である秋吉利雄が主人公で、
ちかぢか再婚するすることになった。
きょうのはなしでは、相手の女性が、
「式の前に一度お宅に伺ってお義母さまに教えていただきたいことがあるのですが」
といいだす。
自分は料理ができないので、ということだ。

「ではまずわたしが教えてあげよう」
と秋吉はこたえた。
海軍軍人は一通りのことは自分でする。あなたのように和裁はできないが洋裁ならば洋子の服くらいは縫える。料理は日曜日の晩にしばしば担当する」
「なんと心強いこと」
「縫い物で言えば、艦の勤務では釦付けなどに兵を呼ぶことはしない。自分でするのが常識。編み物が上手で、航海中に妻のセーターを編み上げてそれを土産に帰港する者もいたな」

中佐ぐらいのえらい階級だと、
なんでもおつきの兵士にやらせそうだけど、
この小説にかいてあることが事実なら、
当時の海軍には、「自分でするのが常識」
という文化があったのだ。
小説の舞台は太平洋戦争がはじまるすこしまえだ。
この時代、秋吉のように裁縫や料理をやる男性ばかりとはおもえない。
ただ、時代がどうあれ、自立した成人として生きようとしたら、
おのずとなんでも自分でやる人間にならざるをえない。
2021年でも、料理をするひとはするし、しないひとは徹底的にしない。
コンビニやスーパーで、なんでもかえるのから、
自分でやる必要はない、というかんがえ方もある。
「日曜の夕方、わたしが台所に立ってまず何をするか?」
「なんですか?材料の吟味とか?」
「いや、包丁を研ぐのだよ。虚心坦懐に、気持ちがいいものだ」

わたしの包丁が、あまりにもきれなかったから、だめもとで
配偶者の砥石をつかい それっぽくといでみた。
ただしいやり方はしらないので、
20回ほどなんとなく包丁を前後にうごかす。
たったそれだけで、包丁が劇的にきれるようになったのでおどろいた。
包丁をとぐなんて、すごくむつかしい仕事かとおもっていたのに、
じっさいは、おどろくほどかんたんだ。
よのなかのことも、すべからず、こうであるといいのに。
というわけで、秋吉氏ほど「虚心坦懐」にとりくまなくても、
包丁をとぐのはたいした仕事ではない。
それに、料理のまえはいつも包丁をとごうとしたら、
いっぺんに料理のハードルがたかくなってしまう。
秋元氏の再婚相手が、やっぱり料理はやめた、
なんていいださないといいけど。

posted by カルピス at 22:14 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月23日

酒をやめることにした

酒をやめることにした。
きのうオールフリー ライムショットをのんだのがきっかけだ。
お酒をとるか、禁酒をするかのゼロイチではなく、
ノンアルコール飲料をとりいれての 第3の道に気づいた。
酒を我慢してしょんぼりするのではなく、
ノンアルコール飲料をたのしみながら、
カジュアルに酒をのまないはかっこよくないか。
いまのトレンドは、きっと禁酒だ。
アルコールでよっぱらうことに意味はなく、
習慣から、惰性でのんでいるだけだ。
もしかしたら、毎晩よっぱらう必要はないのかも、
という、あたらしい可能性が目のまえにひろがっている。

とはいえ、冷蔵庫に金麦が1本はいっていたので、
あつかったきょうのごほうびとして、
夕ごはんをつくりながら金麦をのんだ。
禁酒の覚悟があまい、という批判はあたらない。
のみかけの赤ワインは、ちゃんと料理用に寄付した。
冷凍庫にジンが2センチほどはいったボトルがある。
これものみきらないと邪魔だから、今夜かたづけてしまおう。
サントリーの「のんある気分」を1本かってきたので、
ジンをいれてのめばおいしそうだ。

禁煙するといいながら、「これをすってからね」と
いつまでもふんぎりがつかないひとがいるけど、
わたしの禁酒はそれとはちがう。
ほんとうに禁酒をたのしみにしているけど、
すでにある酒がじゃまなので、あるていどキリをつけてから
本格的にとりくもうとおもう。
それに、酒に支配されない生活が目的なので、
さそわれればきっとのみにいくだろう。
家ではのまずに、つきあいではのむのは
成熟したおとなみたいでかっこいい。

よっぱらうのがよくないわけだから、
低アルコールや微アルコール飲料はどうしようか。
ワインを半本のむことにくらべたら、
0.5%のアルコールなんて、たいして問題ではないので、
ここはおおめにみてもいいのではないか。
あすからの禁酒生活がたのしみになってきた。

posted by カルピス at 21:34 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月22日

「オールフリー ライムショット」お酒っぽいものをのんで、よわないのはすごく楽

デイリーポータルZでとりあげていた
サントリーの「オールフリー ライムショット」をのんでみる。
https://dailyportalz.jp/kiji/osumeshi13_01
グラスにそそぐと、みかけはビールだけど、
のんでみると、ビールとはべつの のみものだ。
ビールのかわりとしてはものたりないけど、
まずいわけではなく、こういうのみものだとおもえば
これもありか、と納得できる。
カロリー、糖質ともゼロで、もちろんアルコールは0%。
プリン体もゼロだ。

ビールのかわりとしてのむノンアルコール飲料は、
なんだかいじけた印象がありすきではなかった。
でも、ライムショットは、ビールに にせようとしていない。
記事をみると、編集部の橋田さんは、
ライムショットを毎晩2本ずつのむことで禁酒に成功している。
それまでは、ストロングゼロを2本ずつのみ、
つぎの朝はぼんやりしてしまうので、
なんとかお酒をやめようとおもっていたそうだ。
わたしも、お酒をのむとなにもできなくなるほうで、
本をよんでいても、あまり頭にはいらない。
毎晩ワインを半本と、もう1杯なにか
(焼酎だったりウィスキーだったり)のむのが習慣になっており、
二日よいとまではいかなくても、橋田さんとおなじように、
つぎの日の午前はぼんやりした頭をかかえている。
お酒をのんでおしゃべりがはずむような上品なのみ方ではなく、
わたしの場合、完全に寝酒だ。
ただ習慣になっているからのんでいるだけ。

お酒はよっぱらうのがたのしいからのむのであり、
酒に にせた よわないのみものの意味がわからなかった。
ライムショットはアルコール0%なので、もちろんよわない。
ビールっぽいものをのんで、よわないのは あたらしい体験だ。
ビールを我慢しているつもりはなく、
べつの のみものをのんでいるのだからストレスはない。
よわないのが、こんなに楽だとはしらなかった。
酒とはなにか、なんのためにのむのかが、わからなくなってくる。
ビールをのむことと、よっぱらうことが、必然ではない時代。
お酒っぽいものをのんで、よわないのがすごく不思議だ。

記事のなかで林さんが、
普通のオールフリーのほうを一時期飲んでたんですけど、あれ焼酎入れるとめちゃくちゃ美味くて。オールフリーは酒入れちゃうから。これなら入れなくてすみそう。

と、すごいのみ方を紹介している。
ノンアルコール飲料に、焼酎をいれるなんて、
林さんはいったいなにをかんがえているのだろう。
このライムショットも、ウォッカやジンをいれると
りっぱなカクテルになるかもしれない。
けっきょくストロングゼロをのむのと かわらなくなったりして。

posted by カルピス at 21:15 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月27日

やってみなければわからない どうでもいいことをやってみる

すこしまえのデイリーポータルZに、パリッコさんの
「『寿司チャーハン』と『チャーハン寿司』」という記事がのった。
https://dailyportalz.jp/kiji/sushi-chahan
寿司のシャリとネタをつかってチャーハンをつくるのと、
チャーハンをシャリにして寿司をにぎる、というこころみだ。
それぞれをたべてみた感想は、
普段とは一味違う海鮮チャーハンという感じで、本気で美味しいです。

チャーハンが余ったからってわざわざ作る必要はないように思います。

ということだ。
「やってみなければわからないことをやってみたところ、やってみなくてもいいことがわかった」

とパリッコさんはまとめている。

わたしもなにか
「やってみなければわからないこと」をやってみよう。
料理をつくるとき、レシピにはよく 塩コショウーで味をととのえる、
なんてかかれているけど、塩はともかく、
コショーって本当に必要なのか。
いつもテキトーにコショーをふりかけるけど、
気やすめ、あるいはおまじないみたいなもので、
じつはたいして意味がないのでは。
鳥のモモ肉に、塩だけをふりかけてやいてためしてみる。
あきらかに気のぬけた味で、おいしくなかった。
あたりまえの結果だけど、
「やってみなければわからない」ことはたしかだ。
そして、「やってみなくてもいい」こともわかった。

いつものむ芋焼酎は黒霧島だけど、たまにはほかの種類を、と
まえによくのんでいた黒伊佐錦をひさしぶりにかってみた。
のみくらべたら、ちがいがわかるだろうか。
黒霧島のほうが、しっかり芋焼酎らしいかおりがして、
あきらかに黒伊佐錦よりおいしいとおもった。
まえによんだ新聞の記事に、焼酎づくりのさかんな鹿児島県の酒造が、
いちばんうれている芋焼酎は宮崎県の黒霧島なのをくやしがっている、
みたいなことがかかれていた。
黒霧島がこれだけはっきりおいしいと、
ほかの芋焼酎はおいかけるのがたいへんだろう。
まえにわたしがスーパーで黒霧島をかったとき、
レジのおじさんが「やっぽこれのもんですね」とはなしかけてきた。
いろいろワインがでまわっていようとも、
けっきょくブルゴーニュとボルドーにとどめをさす、みたいな
黒霧島にたいする絶対的な信頼感がうかがえる。

どちらがおいしいかなんて、ひとそれぞれのこのみでしかないので、
ためしてみても、だからどうなんだ、というはなしでしかなかった。

posted by カルピス at 16:37 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする