2020年09月15日

長谷川義史さんのカップケーキづくりがトホホでよかった

朝日新聞土曜日版beに「作家の口福」というコラムが連載されている。
4回ごとに担当者がかわるリレー方式だ。
先週は、長谷川義史さんがカップケーキづくりをとりあげていた。
ものがない時代につくるカップケーキなので、
ないものをいろいろ工夫してしのがなければならない。
 生地作り。砂糖とバターがないのでマーガリンをコネコネしましてそこに牛乳と卵を加えます。 
 加えますとか今でこそ気軽に書いていますが今から半世紀前の小学二年生がお母ちゃんに内緒で卵一つこそっと割るんですよ勇気要りまっせ。(中略)
 生地を流し込むあの周りがギザギザになった銀紙のカップが悲しいかな昭和の我が家には無いんですね。
 仕方が無いのでアルミのべんと箱に流し込んでこれまた悲しいかな肝心要のオーブンが無いので当時流行ったロースターのいう魚焼き機で焼く。
 わーい!出来上がりいい匂い。焼きたてにスプーン入れたら・・・。
 あれ?中がグチャグチャやん焼けてない。嗚呼・・・・。「オーブン買える大人になるんや!」誓ったあの日。

これだけ材料や道具がそろわないと、
めざす料理はなかなかつくれないだろうけど、
そのトホホぶりがたのしい。
わかいころの料理なんて、それでじゅうぶんだ。

わたしがつくる料理も かなりいいかげんなしろもので、
材料がなければはぶくし、めんどくさい下準備が必要なら
レシピもテキトーにかえる。
なんねんかまえに、きゅうにビーフシチューをつくる気になった。
とはいえ、まともにつくると、ずいぶんめんどうだし、
材料にもお金がかかる。
おもいきって簡略化し、本来は牛の肩ロース500グラムのところ、
肉を豚のももきりおとしで代用したら、
トマト味のシチューとしかよべないものができあがった。

車を運転していたら、まえにみかけない型の車がとまっていた。
アルファベットをよむと、プリウスだ。
すごくふるいのか、すごくあたらしいのか、みなれない型で、
わたしはガンダムとジムをおもった。
連邦がつくったはじめてのモビルスーツがガンダムで、
すばらしい性能ではあるものの、
ややこしいデザインのため、量産にはむかない。
そこで、うんと簡素化し、量産型ガンダムとしてのジムがつくられた。
性能はおなじながら、デザインは没個性で、かなりさえない。
わたしのまえにとまっていた車は、
おなじプリウスでもパッとしないデザインで、
性能がどうあれ、のりたい気もちになる車ではなかった。
ガンダムはかっこいいけどジムはしょぼい。
ガンプラをかうとき、ガンダムやシャーザクではなく、
あえてジムをえらぶひとは、かなりかわっている。

ガンダムとジムのはなしを、ビーフシチューと、
わたしがつくったトマト味のシチューにつなげようとおもったけど、
どうにもうまくいかない。あきらめてここでなげだし、
とうとつにきょうの記事はこれでおしまいとなる。
無理やり教訓をあげるなら、
ビーフシチューもどきのトマト味のシチューは、
ガンダムにおけるジムの存在である、となる。

posted by カルピス at 22:02 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月08日

「一汁一菜で良し」というかんがえ方

きょうの朝日新聞に、「一汁一菜で良し」という記事がのっていた。
料理研究家の土井善晴さんが提案するかんがえ方なのだそうだ。
「一汁」は具がたくさんはいったみそ汁、というのはわかるけど、
「一菜」は つけものなのだという。
おかずは一品でいい、というのかとおもったら、
メインディッシュがあるのではなく、
つけものなのだから、「一汁」がよほど充実してないと
からだがもたないような気がする。
土井さんは、だれでも台所にたてるよう、
料理のしきいをおもいきってひくくしたいのだろう。

自分だけの食事を用意するのはたいして手間ではないけど、
人数がふえるほど、負担になってくる。
コロナの自粛で子どもたちが家にいて、
配偶者まで在宅勤務になれば、主婦はたいへんらしい。
もっとも、子どもがちいさくて、
保育園にいってる時期も、お母さんはめちゃくちゃいそがしい。
子どもをおこし、朝ごはんをたべさせ、おでかけの準備をして
保育園におくりとどける。
どうかんがえても、お父さんが家事にかかわらないと
お母さんの負担がおもすぎる。少子化がすすむわけだ。
男が料理をすればいいとおもうけど、
料理をしないひとは、ほんとうになにもしないようだ。
「一汁一菜で良し」とすることで
みそ汁ならつくれると、自信がつき、
つぎの段階へすすめるかもしれない。
いわば、スタートにたつための「一汁一菜」であり、
スタートとしては、それで良し、なのだろう。

ずいぶんまえに、「一汁一菜」で子そだてをしてきた
女性の記事をきりとったことがある。
このひとは、つけものではなく、
メインディッシュのほうの「一菜」だ。
おかずが一品だけでも、むすこはりっぱにそだったとはなしている。
この場合の「りっぱに」は、人格のことではなく、
ふつうの体格におおきくなった、という意味だ。
一品しかつくらないから、時間とお金があまりかからない。
料理をしなければ、というプレッシャーもすくなく、
いいことずくめのようにかいてあった気がする。
「一汁」とつけものだけでは、
ながくつづけたときに、ものたりなくなりそうだけど、
このひとのような「一汁一菜」だったら、
むすこさんがぶじにそだつくらい、じゅうぶんな食事なのだろう。
おかずを5品も6品もつくろうとするからたいへんなのであり、
日常の食事は一汁一菜でいいとわたしもおもう。

わたしの女子力を自慢するわけではないけど、
きょうは梅雨のはれまにめぐまれ、
洗濯物がかわいて ほんとうにうれしかった。
かわいた洗濯物のここちよさは、
しあわせなくらしの かなり上位にランクされる。
一汁一菜がつくれて洗濯物をほせたら、
それでもうじゅうぶんひとりでくらしていける。
ということは、だれかと同居できるスキルとは、
一汁一菜と洗濯物といえるかもしれない。

posted by カルピス at 21:07 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月29日

お弁当箱にはタッパー型の容器がぴったり

お弁当箱のふたがこわれた。
左右のとめ具でふたをするタイプのもので、
そのとめ具がわれてしまった。
まえにもおなじことがあり、そのときは
瞬間接着剤でとめ、なんとかつかってきたけど、
またおなじところがわれてしまった。
くっつけても、すぐにまたこわれそうだから、
ホームセンターであたらしいお弁当箱をさがす。

そもそも、いまつかっているお弁当箱には不満があった。
構造的にとめ具がこわれやすいことと、
汁もれをふせぐゴムパッキンが、
つかっているうちにどうしてもよごれてくる。
パッキンだけでなく、ふたの溝にもよごれがつく。
パッキンも溝も、すごくあらいにくい。
とめ具とゴムパッキンは、おおくのお弁当箱がとりいれている。
こわれやすく、あらいにくいなんて、いいところがないのに、
なんでどれもおなじつくりなのだろう。

ホームセンターの棚には、とめ具とパッキンという、
おなじようなタイプのお弁当箱しかなかった。
2段がさねのお弁当は、わたしのこのみではないし。
あきらめてかえろうとしたとき、
お弁当箱にこだわらなくてもいいのでは、とおもいついた。
ジップロックをお弁当箱に、という記事をおもいだしたのだ。
https://note.com/eatmorecakes/n/n3c28383f6738
わざわざ買うような、弁当箱としての弁当箱は不要なのではと心のどこかで思っていた、食べ物が安全に運べさえすればそれでいいという、その気持ちとジップロックのコンテナが合致したのだ。「これでいい」で完璧にしっくりくる。(古賀及子・こがちかこ)

そのときは、ジップロックって、どんなものかしらなかった。
ネットをみると、ごはんやおかずをいれるプラスチックの箱らしい。
たしかに、これならいろんなサイズがうってるし、
つくりがシンプルなだけにあつかいやすいだろう。
お弁当箱うり場ではなく、タッパーうり場をさがすと、
いいおおきさの箱がみつかった。
タッパーは商品名なので、タッパー型容器、というべきかもしれない
(レシートには「フードケース」としてあった)。
税こみで350円。
お弁当箱よりずっとやすいし、わたしがほしかったサイズだ。
これまでつかっていたお弁当箱より、すこしたかさがあるので、
容量は100mlふえてるのに、みた目はコンパクトだ。
パッキンはつかってないし、しきりもついてないけど、
汁のおおいおかずなんて、そんなにいれないので、
ふつうのふたでじゅうぶんだろう。
しきりも、じつはなくてもぜんぜんこまらない。
あらう手間がはぶけるので、このごろはつかわなくなっていた。

ためしてみると、タッパー型お弁当箱はわたしにぴったりだった。
容量は問題ないし、パッキンがないので あらいやすい。
とめ具がないので、こわれるところがなく、
もしこわれても、350円でかえる。
ちいさそうにみえて、まえよりおかずをつめこめる。
ながらく いいお弁当箱をさがしてきたのに、
こたえがこんなにちかくにあったとは。
こうなると、ふつうのお弁当箱が、なぜつかわれているのか、
かえって不思議になってきた。
こわれやすく、あらいにくく、サイズがえらびにくい。
パッキンが必要だとは、ぜんぜんおもわないけど。

posted by カルピス at 22:00 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月25日

「弁当を3年間作って」うまくなった安藤昌教さんと、うまくならないわたしとのちがい

デイリーポータルZに、安藤昌教さんの
「弁当を3年間作ってわかったこと」がのった。
https://dailyportalz.jp/kiji/my-three-year-history-of-bento
安藤さんのお子さんが中学生になり、
その学校は給食がなかったので、
どうしても お弁当をもたせる必要がでてきた。
それ以来、3年ちかくお弁当をつくっているという。
奥さんも安藤さんも料理をするので、
どちらがお弁当をつくってもよかったけど、
なんとなく安藤さんがなのりでたそうだ。

安藤さんがつくったお弁当の写真が何枚ものっている。
お子さんもたべる弁当なので、量・みばえ・栄養のバランスが
よくかんがえられていて、どれもすごくおいしそうだ。
安藤さんによると、半年まではなかなかたいへんだったけど、
それからはお弁当づくりのスキルがあがったのか、
まったく苦労せずにつくれるようになったという。

わたしも自分のお弁当を、なんねんもつくっているけど、
まいにちおなじようなおかずがならんでいる。
なにもかんがえずにつくると、なんねんたっても進歩はない。
たまごやきと、鶏モモのグリル、
それとスペースをうめるための野菜いため。
ぶあついチーズはかかさない。ご飯のうえに梅ぼしをすこしちらす。
参考までに、写真をのせようともおもったけど、
あまりにもみすぼらしいのでやめた。
もしこのお弁当を、むすこにまいにちもたせたら、
きっと苦情があがってくるだろう。
自分がたべる弁当だから、たのしみがなくても平気だ。
よりおいしく、とか、よりみばえよく、なんておもわない。
料理をするたのしみとか、お弁当をつくりあげた達成感はない。
あるていど満腹感があじわえ、昼ごはんとしてのカロリーを、
確実にとりこめたらそれでいいという弁当だ。

デイリーポータルZのべつの記事で、
編集担当の古賀及子さんが
わたしの作る弁当はいつも手抜きだ。

とことわったうえで、自分のお弁当づくりをあきらかにしている。
https://dailyportalz.jp/kiji/180424202693
・炊けたご飯を弁当箱につめて塩昆布をふる
・冷凍庫にあるなんらかのおかずをレンジで解凍して弁当箱につめる
・冷蔵庫にある昨晩ののこりを弁当箱につめる
・プチトマトを詰める
これが私の弁当作りの全貌である(大声)。
こんなにも明らかになって意味のない「全貌」がかつてあっただろうかという全貌だが、事実なので胸をはって大声で言った。

わたしのお弁当づくりも、こころがまえは古賀さんといっしょだ。
みばえのためにプチトマト、という発想はないので、
ぜんたいに黄色っぽい、地味なお弁当をまいにちもっていく。
手間をかけるつもりはないし、まいにちおなじメニューでもいい。
お弁当箱が、なにかでうまっていればだいたいOKだ。

安藤さんとわたしのお弁当は、なんでこんなにちがうのか。
ひとにたべさすかどうかが、ひとつのポイントだろう。
わたしも、もしむすこがたべるお弁当なら、
もうすこしなんとか工夫したとおもう。
そのつみかさねで、しだいにうでをあげ、
3年たてばそれなりのテクニックを身につけたのでは。
ただ、わたしはひと手間かけるのがきらいで、
そのうえ料理のレシピをまもれないから、
おのずと限界がすぐにおとずれ、
けっきょくはいまとたいしてちがわない
トホホ弁当においついていたと予想する。
お弁当なんて、それでじゅうぶんだとわたしはおもう。
タグ:お弁当

posted by カルピス at 20:38 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月03日

山本千織さんのつくる つめこみ弁当になぜかひかれる

「プロフェッショナル仕事の流儀」で
すてきなお弁当をつくる山本千織さんをとりあげていた。
山本さんのお弁当は、みためにうつくしく、かわいくて、
しかも男がたべてもじゅうぶんなボリュームがあるという。
たしかに、ぎっしりおかずがつめこまれ、
うつくしく、そしておいしそうだ。
いっけんすると、ふつうのお弁当にみえるけど、
おかずのくみあわせや味つけに気をくばり、
さめてもおいしくたべられるという。
スーパーやコンビニにならぶお弁当は、
おかずをいれる場所が くぼみでしきられているけど、
山本さんは、しきりのあるいれものをつかってなかった。
アルミカップもつかわない。
ネットをみると、「つめこみ弁当」というスタイルらしい。
市販のお弁当らしくない、ふつうのお弁当を、
お弁当屋さんがつくっているのが ふつうでないところだ。
しきりがないので、ぎっしりつめこまないと、間がもたない。
ぎっしりだから、ボリュームがあり、豪勢にみえる。
あとは色どりをかんがえれば、みためのうつくしさは確保できる。

山本さんのはなしをきいていても、
わかりやすいことばなのに、内容をつかめない。
春巻がすきで、新鮮なやさいは、
春巻にするのがいちばんおいしい、とか、
パン粉をつけて魚をあげるのがだいすき、とか、
ドキッとするようなはなしはでないけれど、
ひろくてふかい世界を山本さんはさぐっている。
かんたんなことばで真理をかたろうとするので、
わたしには禅問答のようにきこえる。
山本さんは、トルシエジャパンのアジアカップのころ、
サッカーがだいすきだったそうで(とくに名波選手と中村選手)、
お弁当にも、サッカーのフォーメーションをあてはめていたそうだ。
春巻のワントップ弁当、でも、いちばんだいじなのは、
バラバラな素材をおさえているボランチとしてのナス、なんて。
いっけんわかりやすそうなたとえだけど、
サッカーがすきなわたしにも、なんのことかよくわからない。

わたしも毎朝、自分のためにお弁当をつくる。
卵やきと野菜いため、それに肉もやく。
のこりもののおなずがあれば、もちろんそれもいれる。
自分がたべるものだから、気をつけるのは量だけで、
色どりなど、みためのうつくしさはまったくかんがえない。
ほぼ毎日、おなじような中身のお弁当をつくっている。
味つけやみばえはともかくとして、
ゴージャスなみためとなるよう、
つめこみ式で わたしもつくってみたくなった。
といっても、ごはんとおかずをしきる、
プラスチックの板をやめるだけだ。
しきりがなければ、おのずとぎっしりつめこむいれかたになる。

さめたときのたべやすさとか、水分をきる大切さとか、
お弁当づくりには、ほかの料理とはちがうルールがあるそうで、
山本さんはお弁当づくりにおもしろさをみつけている。
特別な素材にこだわるわけではなく、
スーパーにいけばなんでも解決できるとおもっているくらい、
身ぢかにある食品だけでおいしいお弁当をつくる。
番組をいちどみただけでは、山本さんのお弁当づくりの
どこがどう特別なのか わからなかった。
すごいお弁当におもえるのはなぜか、気になって
もういちどみるけど、それでもわからない。
わからないけど、気になる不思議なお弁当だ。
わたしにできるのは、しきりをやめて
つめこみ式のお弁当をつくることぐらいだ。
タグ:山本千織

posted by カルピス at 22:40 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする