2019年03月16日

太田哲雄さんのつくるシンプルなトマトソースパスタ

きのうの朝日新聞に、
トマトソースのパスタがのっていた(「わたしの料理」)。
太田哲雄さんが、イタリアのミラノでつくっていた
とてもシンプルなパスタだ。

パスタといえばトマトソースが基本にきまっている。
いまさらトマトソースでもないでしょうー?
なんておもいがちだけど、
そこをあえてとりあげるところに
太田さんの実力がにじみでている。
日本料理でいえば、
「おにぎりのつくり方」にあたる(ほんとうか?)。
きっとこのパスタは、世界一おいしい。

・オリーブ油と潰したニンニクを火にかけ
・ニンニクをこがさないようにじっくりと温めます
・トマトと塩を加えてクツクツと煮込み、
・煮詰まってきたらニンニクを取り出します
・ゆでたパスタを加え、
・ソースと絡めたら出来上がり
・お皿に盛って、薄く切ったバターをそっとのせます

トウガラシをいれないつくり方だ。コショーもなし。
ポモドーロなどといわず、「トマトソース」と
きっぱり名のるところがいい。
わたしが料理すると、レシピをまもらないので、
ろくでもないできあがりになるけど、
これぐらいシンンプルだと、レシピどおり つくる気になる。
ていねいに工程をすすめるようすが、
なんだか宗教の儀式みたいだ。
「薄く切ったバターをそっとのせます」もいいかんじ。
バターは無塩バターとかいてある。
それぐらいは、普通のバターで まあいいか。
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posted by カルピス at 09:36 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月09日

ミルクティー、その後

すこしまえの記事に、ミルクティーのいれ方をかいた。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/463751125.html
こゆめのアッサムティー2/3に、牛乳を1/3、がよさそう、
という内容だ。
そのやり方をつづけてみて、すこし変更し、
またもとにもどしている。

カフェ・オ・レのように、ガブガブと大量にのむのがミルクティー、
みたいなことをかいたけど、これはまちがいだった。
いわゆるティーカップのおおきさがちょうどいい。
気分によっては、レモンティーにしてもいいけど、
なにもいれずにのむ、という手もある。
あたりまえというか、意外に、これはこれでおいしい。

さいごにいれる牛乳は、あたためるとにおいがでるので、
つめたいままいれる、というのが定説だ。
あつい紅茶がのみたいのに、牛乳をいれるとぬるくなるので、
なんとかあついミルクティーがのみたい。
すこしまえに冷蔵庫からだして、
室温にする手があるけど、
この手間はけっこうめんどくさい。
スリランカカレーのお店でミルクティーを注文したら、
粉ミルクをつかうのがスリランカ流だ、といわれた。
粉ミルクなら、あたたかいミルクをつかえるので、
できあがりのミルクティーがあついままのめる。

ただ、粉ミルクを熱湯でとこうとすると、
ダマになってしまうので、
すこしさめたお湯をいれなければならない。
すこしだけだけど、これもまためんどくさいし、
低脂肪の粉ミルクより、脂肪分をおとさない
ふつうの牛乳のほうがおいしいような気がする。
けっきょく、またもとにもどり、
牛乳をつかうようになった。

お茶っ葉は、リーフティーをつかえばいいのだろうけど、
アッサム茶をかうとたかいので、
アッサムブレンドとかかれたお茶でまにあわせる。
ティーポットも もってない。日本茶をいれる急須で代用する。
手間をかけるわりには、どうもティーパックの味と
たいしてかわらないような気がしてきた。
このごろは、25袋いり200円ほどの イオン商品におちついている。
カップの2/3にお湯をととどめれば、自然とこゆめのお茶がはいる。
できあがったカップのあいたスペースに牛乳をいれる。
ダージリンだけど、ティーパックだけど、
くわえるのはつめたい牛乳だけど、
わたしにはじゅうぶんおいしいミルクティーだ。

posted by カルピス at 16:57 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月01日

きりぼし大根と、イワシのほしものをつくる

おおきな大根をもらったけど、1本をなかなかたべきれないので、
きりぼし大根にしたらとおもいついた。
てきとうなながさにきって、うめぼしをつくるときのザルにならべる。
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はじめは、ザルにぎっしりならんでいた大根が、
「きりぼし大根」になっていくいくにつれ、すごくほそくなる。
ベランダにほして、1週間ほどするとできあがりだ。
量がへるのは残念だけど、それだけよくほされたのだろう。
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きりぼし大根というと、大根をきるのが
すごく手間だとおもっていたけど、
できあがるとほそくなるので、おおざっぱにきればいい。
ぜんぜんたいへんじゃなかった。
きったあとは、ならべてほすだけなので、すごく楽だ。
たべるときは、水よりはやいので、お湯でもどした。
スーパーでうっているきりぼし大根よりふとく、
おおめのごま油でいためるのがおすすめだ。
煮物というよりも いため煮で、
きりぼし大根の風味と ごま油がよくあう。

スーパーで、12匹のイワシが298円でうっていた。
きりぼし大根に味をしめ、イワシもほしてみる。
ネットをみると、こゆい塩水につけたあと、
アミにひろげてほす、とある。
このまえタイを旅行したとき、港をあるいていたら、
とれた魚をそのまま天日ぼししていた。
日本の冬とちがい、気温のたかいタイでは、
魚がくさりそうなのに、そんなやり方で大丈夫なのだろうか。
かなりいいかげんにやっても、ほし魚ができるのだろうと、
ほし魚へのハードルがひくくなった。
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イワシを適当なこゆさの塩水に30分つける。
ほし魚用のアミがないので、
魚をやく金網にのせてベランダでほした。
ひとばんほせば「一夜ぼし」ができるかとおもっていたら、
どうもまだ「ほし」がたりないようなので、
もうひとばん、そのままほしておいた。
たべてみると、もうすこし塩気があったほうがおいしいけど、
でも、スーパーでうっている メザシとおなじものができた。
大根にしても、メザシにしても、
ほすだけでかんたんにできるし、ほせば保存もきく。
勤勉に生活してる気分もあじわえるので、
きりぼし大根とほし魚はおすすめだ。

posted by カルピス at 22:51 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月14日

どうしたら料理がうまくなれるのか

すこしまえのデイリーポータルZにのった、
「2週間 自分の手料理だけで生活したら料理はうまくなるのか?→なった」
がおもしろかった。
https://dailyportalz.jp/kiji/2weeks-teryori
「料理を作る必要がないから上手くなれない」のであれば、「料理を作らなければならない状態」に自分を追い込めば料理が上手くなるずだ。

の仮説のもと、2週間と期間をかぎり
megayaさんは 手料理しかたべない。
自分で食事をつくるようになれば、
それを2週間もつづけたら、
あるていどは料理になれてくるだろう。
ただ、料理になれるのと、
料理がうまくなるのとはべつのことだ。
この記事のタイトルに、(うまく)「なった」とあるので、
megayaさんは目的をはたしたようだ。
でも、食事を2週間よういするだけで、
ほんとに料理がうまくなれるのだろうか。

megayaさんの記事にある写真をみると、
日をおうごとにまともな料理になっている。
ネットでつくり方をしらべるだけではなく、料理の本もかい、
計量カップと計量スプーンをそろえ、
レシピを忠実に再現するようになる。
ひとに料理をほめられる気もちのよさをしり、
だんだんおいしいものがつくれるようになると、
ますます料理がたのしくなっていく。
ダシのとり方をおぼえ、リンゴのコンポートに挑戦し、
さらにはそれをいかして
デザートにアップルパイまでつくるようになる。
この記事は、初心者から料理人へと、一直線にすすむ
すばらしい成功のものがたりだ。

わたしが夕ごはんをうけもつときは、
6品ほどを1時間であたりまえにつくる。
あるていど、料理になれているといえるレベルだろう。
自慢するわけではないけど、
料理をするのはすきだし、たのしいとさえおもう。
だって、自分がたべたいものを
すきなようにつくるだけだから。
ただ、それでたべる側の家族が満足しているかというと、
母はともかくとして、配偶者はかなり露骨に
おいしくなさそうな顔をかくさない。
きっと、ほんとうにおいしくないのだろう。
料理には、センスとともに、
愛情が必要であると、ちまたではいわれている。
わたしの料理は、どのように位置づけられるだろうか。

料理の経験だけは、かなりの数をこなしてきたけど、
自分でも、とくにおいしいとおもったことはない。
要因として、
・おなじ料理がみじかいローテーションでくりかえされる
 つまり、レパートリーがすくなく、
 でも、それでいいんだと、ひらきなおっている。
・おいしい料理をつくろうとする意欲にかける
 レシピどうりにつくらない。
 調味料の分量がいいかげんだし、
 たりない材料はべつのもので代用したりはぶいたり。
・ひとつの料理を大量につくりすぎ、視覚的にうつくしくない
 おでんなど、おおきすぎる鍋に具があふれていて、
 食欲をかきたてられるよりも うんざりしてしまう。

けっきょく、センスと愛情の両方がかけているのだろう。

posted by カルピス at 21:48 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月30日

安發伸太郎(あわ しんたろう)さんが 料理にむかう姿勢に圧倒された

パリの三つ星レストランで副料理長をつとめる
安發伸太郎(あわ しんたろう)さんが、
BS1スペシャルにとりあげられていた。
あわさんは、18歳でフランスへわたり、
ずっとフランス料理のうでをみがいてきた。
身ぢかにあるやすい材料をいかした料理が評判をよび、
つとめさき以外のレストランからも、
あたらしいメニューの相談をもちかけられ、
おいしくて、斬新なアイデア料理を提案している。
やすみの日には、市場や食材店をまわり、
あたらしい創作料理の研究に余念がない。
生活のすべてを料理にささげている。

背筋をのばし、スタスタと足ばやにあるく。
やわらかなものごしながら、
料理についての発言はあいまいさがなく、
ズバッと核心にふれる。
実力にうらづけされた、自信にみちた態度で、
なぜこうやってつくるのかを相手につたえていく。
あわさんの絶対的な力量をまえにすると、
フランス人のシェフたちは
素直にあわさんの技術をまなぼうとする。

あわさんが全精力を料理にかたむけているのをみると、
日ごろわたしがつくっているものは
いったいなんなのか、とおもえてきた。
ぜったいに「料理」ではなく、
せいぜい「料理のようなもの」だ。
食材にはこだわらないし(やすければ、だいたいOK)、
レシピはまもらないし、もりつけもめちゃくちゃ。
わたしがつくったものをたべて、
しあわせになってほしい、なんておもったこともない。

あわさんの日常をみていると、つねに料理のことをかんがえている。
よりたかいレベルにたっしようとする求道者のようにみえる。
有名になりたいとか、たくさん給料がほしい、というおもいはなく、
ただ料理がじょうずになりたい。
じょうずに料理することが、
あわさんにとっていちばん価値のあることだ。

いったいなにがあわさんをこれほどまでに
料理へとむかわせるのか。
その情熱は、どこからくるものなのか。
あわさんは、たまたまそれが料理だったわけで、
これだけのエネルギーをかたむければ、
たいていのジャンルでたかいレベルにたっするだろう。
ひとりのわかもののこころを、料理がうばった。
一流の登山家が、困難なルートにいどむように、
あわさんは料理の世界で、だれもおとずれたことのない、
たかみにたっしようとしている。
料理人ではあるけれど、その本質は冒険家といえる。

わたしは料理にたいして、ほとんど関心がない。
自分でつくってたべるのはすきでも、
よりおいしくとか、たべるひとのしあわせとか、
かんがえたりしない。
たとえばラーメンづくりに情熱をささげるひとや、
行列にならんで評判のラーメンをたべようとするひとを、
ひややかな目でみたりする。
でも、あわさんの情熱にたいしては、
マイナスの感情をすこしももたなかった。
まっすぐに料理にむかうあわさんは、
欲望にまみれた いやな汁をだしてない。
あわさんは、その努力と才能により、
どこまで可能性をひろげていくのだろうか。

posted by カルピス at 21:37 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする