2018年11月28日

釜あげそばはマルチタスクか

しりあいから手うちそばをもらった。
釜あげにしてたべたらうまかった。
ただそれだけのはなしだけど、
わたしはメンとしてのそばだけでなく、
ダシのきいたあついそば湯も、おいしいとおもった。
そして、パラリとふりかけたきざみネギも、
おいしさをましてくれたような気がする。
そばをたべるときに、釜あげにするのも、
ネギや七味をふりかけるのも、
きわめてあたりまえの作法といえ、
これは、ほんとうの意味で
そばをたのしんだといえるのか、ふと気になってきた。

「シゴタノ!」の佐々木正悟さんは、
コーヒーをのむときでさえ、
ふたつの行為を同時にしない、というのをしり、
つよく印象にのこっている。
https://cyblog.jp/29073
時間によほど追われていると自分で判断するのでない限り、マルチタスクは極端なまでに避けています。べつにできないわけではありませんが、マルチタスクに よる時間の節約というのは、思うほど効果がなく、しばしば時間がかえってムダになり、しかも経験が薄められてしまうと思うからです。

シングルタスクと料理は、共存できる概念か否か、
という点が、そばをたべたときにかんじた問題の所存だ。
フォーミュラー1の車みたいに、
ギリギリまでチューニングされたそばとはどんな姿なのか。
これ以上けずっては、そばとはいえないところまで
要素をそぎおとした究極のそばとは?
料理におけるシングルタスクは、
意外とややこしい問題をかかえているのではないか。

一流の料理店には、求道者みたいに、
その道をきわめようとする料理人の存在がかかせない。
有名なフレンチレストランでなくても、
日本では、おいしいラーメンづくりに
命をかけている「職人」がすくなからずいるという。
彼らがめざそうとしているのは、
もしかしたら、シングルタスクとしての料理、
あるいはラーメンではないだろうか。
おいしければいいというものではなく、
真のラーメンとして、あるべき姿をおいもとめ、
情報を整理し、理想の味を実現しようと、
一流の料理人は夢をおいもとめる。

雑な人間であるわたしは、
あたたかくて、ダシのうまみがいかされ、
適度に薬味がそえてある、釜あげそばのほうが、
わりごそば(出雲地方でだされる3段がさねのもりそば)
よりもおいしいとかんじる。
釜あげがマルチタスクで、わりごがシングルタスク的、
というのは、簡単にとらえすぎているかもしれないけど、
そばがすきなひとや、そば職人たちは、
釜あげよりもわりごをうえにおきたくなる心理が
すこしわかった気がする。
職人たちによる究極のそばづくりは、
シングルタスクとしての機能をおいもとめているのではないか。

posted by カルピス at 22:36 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月29日

あたりまえにおいしい紅茶がのみたい

コーヒーをのむと胃がいたくなりやすいので、
このごろは紅茶にきりかえている。
スーパーでかったやすい紅茶の葉を
ポットにいれて3分ほどむらす。
ミルクティーにすることがおおく、
ときどきレモンをしぼる。
おなじようにいれているつもりでも、
おいしくはいるときと、そうでないときの差がおおきい。
なんども紅茶をいれていながら、
いまだに適切な葉の量がわからない。
沸騰直後のお湯、というセオリーも、
めんどくさいので、沸騰したまましばらくおいたり、
やかんにはいっていたふるい水を、
そのままわかしたりと けっこういいかげんだ。

家でいれる紅茶になかなか満足できないけど、
外でのむ紅茶はもっとひどい。
沸騰したお湯を紅茶にそそぐのは、
いまさらいうまでもない常識だとおもっているのに、
コンビニやKFCでは、お湯のはいった紙コップをもってきて、
お客がティーバッグをいれるところがある。
とうぜんお湯は熱湯ではなく、おいしい紅茶がはいるとはおもえない。
ミルクティーを希望すると、コーヒーにつかう
いわゆる「コーヒーフレッシュ」をだされる。
ミルクティーは牛乳のほうがおいしいのではないか。
コンビニだけでなく、喫茶店で紅茶を注文しても、
おいしいとおもった ためしがない。
日本人は、お茶をこのむひとがおおいのに、
紅茶についてはなぜこんな状況がいつまでもつづいているのだろう。

むかし柏原芳恵が「紅茶のおいしい喫茶店・・・」とうたっていた。
わざわざ「紅茶のおいしい」と注文をつけたくなるほど、
一般的な喫茶店がだす紅茶のレベルはひくいのではないか。
「コーヒーのおいしい喫茶店」と、もしだれかがうたったら、
なにかよほどの意味をこめた歌詞にきこえる。
コーヒーがおいしいのは、喫茶店としてあたりまえだからだ。
それでは、とびきりおいしい紅茶をいれる喫茶店に、
ひとがあつまるかというと、そうはならない。
おおくのひとは、喫茶店で紅茶なんてのまないし、
紅茶を注文するひとは、どうせたいした味ではないだろうと、
はじめからあきらめているから。

わたしがすむ町にも、本格的な紅茶をだす店があった。
そこは紅茶専門店であり、コーヒーはいれてくれない。
2〜3回その店にはいったけど、常連にはならなかった。
お客がすくないにもかかわらず、
何年もつづけられていたけど、しばらくまえに閉店となった。
きっとおいしい紅茶だったのだろうけど、
わたしが喫茶店にもとめるのは、専門店らしい風格ではなく、
気がるにはいれて ゆっくりくつろげる雰囲気だ。
そしてふつうにおいしいコーヒーと紅茶。
特別なお店をさがさなくても、
あたりまえにおいしい紅茶がのめる日はくるだろうか。
タグ:紅茶

posted by カルピス at 21:55 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月11日

梅ぼしをつける

1キロ580円の梅を4キロかってきて、梅ぼし用につけた。
きょねんは梅をかうのがおそくなり、
1キロ1280円もする南高梅しか スーパーの棚になくてこまった。
そんなりっぱな梅である必要はないのに、
梅がなければつけられないので、しぶしぶ3キロかった。
その教訓から、ことしははやめに梅を確保する。
15年くらいまえから梅ぼしをつけるようになった。
梅ぼしをしこんでいる自分、というのがわたしはすきで、
いかにも勤勉に、ていねいに、
手をぬかないで生きているような気がしてくる。

梅をひとばん水につけ、朝になったらザルにあけておく。
梅酒づくりじゃないので、ヘタをとったり、
つまようじで穴をあけたりはしない。
おおきめの容器に梅をいれながら、塩をくわえる。
塩は、梅のおもさの20%にすると、カビがはえにくい。
さいごにおもしをのせ、ほこりがこないように
ビニール袋をかぶせて部屋のすみにおいておく。
おもしは梅の倍のおもさにすると、
はやく水がでてきてカビがきにくくなる。

一週間たったら梅をザルにあけ、いちにち日にあてる。
梅からでた水でシソの葉をあらい、
梅をしまうときにいっしょに容器にいれる。
そのまま一ヶ月おき、さいごに3日間 梅をほしたらできあがり。
魚柄仁之助さんの『元気食実践マニュアル』(文春文庫PLUS)
にのっているやり方だ。
以下の3点さえおさえておけば、まず失敗しない。

・容器をあらってからよく消毒する
・塩は梅のおもさの20%
・おもしは梅の2倍くらいあったほうが
 はやく水があがってカビがきにくい。

わたしは料理をつくるとき、レシピをまもれずに、
いいかげんなできあがりにしてしまう。
めんどくさい下準備は省略したり、
材料もあるものだけですませるので、
味とみかけがずいぶんちがう(たぶん)ものしかできない。
ただ、梅ぼしだけは、塩分とおもしくらいしか、
おさえるところがないので、わたしでもまちがえずにつくれる。

もうひとつ、めんどくさそうにみえるけど、
やってみたらかんたんなのが、ミソづくりだ。
大豆と塩とコウジをまぜればできあがり。
そのわりあいによって、あまくちだったり、
しょっぱかったりするけど、ひどい失敗作にはならず、
どうつくっても、それなりにおいしいミソができあがる。

今夜しこんだ梅は、5週間たてばたべられる。
梅ぼしは、もちろんスーパーでかえるけど、
へんにあまかったり、いろんなかくし味がはいっていたりで、
塩につけただけのふつうの梅ぼしは意外とみつからない。
自分でつけた梅ぼしがわたしはいちばんすきなので、
めんどくさがりながらも、なんとかつづけている。

posted by カルピス at 22:20 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月07日

えんどう豆あんパンを紹介する料理番組で、自由を手にいれる

仕事でクッキーをうりにでかけたら、
その部屋においてあるテレビで
「ひるまえクッキング」という料理番組をやっていた。
クッキーをテーブルにならべおえてから、
しばらくテレビの画面をながめていた。
つくっているのは、えんどう豆をつかったアンパンだ。
えんどう豆であんこをつくるわけで、
色あざやかなアンは、たしかにみばえがいい。

1 ロールパンにバターをたっぷりぬる
2 そこに、えんどう豆でつくったアンを
  これもまたたっぷりのせる。
3 パンを両手でおしつぶし
4 フライがえしをつかって、片面ずつフライパンでやきつける

つくっているのは、きっと有名な料理の先生で、
アシスタントの女性がさかんにヨイショしている。
でも、手でロールパンをおしつぶすところとか、
フライパンでやき目をいれるところなど、
全編をつうじて、かなり残念なみた目だ。
手をくわえていくにつれ、ますますヘンテコな方向へと料理がむかう。
できあがったアンパンをくちにいれると、
アシスタントの女性は、ゆたかなかおりを
とってつけたようにほめていたけど、
とてもこころからの声にはきこえない。
料理の先生がつくっても、
こんな不思議なしあがりのときもあるのかと、
わたしはふかく感心した。
あざやかな包丁さばきをみせつけて、とても素人はマネできないと
あきらめさせるのではなく、
これぐらいなら、自分でつくったほうがうまくいきそう、と
おもわせてくれる番組は あまりない。
どうでもいい料理を、みごとな手つきで
コジャレたおやつにしあげるのではなく、
いかにもむりやりにバターをぬり、
アンもまたギュウギュウづめにおしこむ。
まるで、厚化粧の女性が、
得意そうに料理をする 外国の番組みたいだ。
それを、初老の板前さん風の先生がやるのだから、
そのおおきなギャップを わたしはわるくないとおもった。

わたしは、自炊料理をいくらかはつくるけど、
とてもひとにたべてもらえるようなできばえにはならない。
レシピどおりにつくらないので、いいかげんな味つけだし、
うつくしくもりつけられないのが、
ながねんのコンプレックスとなっている。
でも、えんどう豆のアンパンづくりをみると、
肩のちからがぬけてきた。
有名な料理の先生でさえ、あんなしあがりにしか
もっていけないのなら、わたしがきれいにもりつけられなくても、
はずかしくおもう必要はない。

番組のおわりでは、えんどう豆アンパンのアレンジとして、
サバをはさんだたべ方も紹介されていた。
こちらもまた さらに傷口をひろげる 残念なできばえで、
ぜったいにやってみようとはおもわない。
戦前の日本人が西洋料理をまねたら、
おそらくこんなふうにヘンテコで、
料理オンチのできだったのではないだろうか。
偶然みかけた不思議な料理番組は、
まともな料理にからみとられていたわたしを、
自由で、どうでもいいよのスタート地点にまで もどしてくれた。

posted by カルピス at 21:53 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月22日

レトルトカレーが ルーでつくるカレーより よくうれるらしい

けさの朝日新聞によると、レトルトカレーのうりあげが、
ルーでつくるカレーをうわまわったという。
(民間調査会社インテージは)単身世帯が増えたことでルーを使って複数人分のカレーを作る機会が減っていいることが要因とみている。

カレーといえばおおきな鍋にたくさんつくって、
2,3日たべるものだったし、意外なものをかくし味につかうとか、
2種類のルーをまぜると、コクのあるカレーにしあがるなど、
いろんな技がつかれていたのに、
それがレトルトカレーでは、ひねりをくわえようがない。
たしかにわりやすでかんたん、それにおいしいとくれば、
わざわざルーでつくるよりも、
レトルトカレーにしたくなるかもしれない。
人間って、徹底的に楽をしたくなるいきものみたいだ。

なんにちかまえには、メンツユのうりあげが
へっているという記事があった。
 そうめんなど夏の定番メニューに欠かせない万能調味料の濃縮つゆの売れ行きがふるわない。共働きの増加などで料理に手をかけない世帯が増え、つゆでさえ使うのが面倒という傾向があるという。

「つゆでさえ使うのが面倒」というのがすごい。
わたしだって和風だしやメンツユをつかうし、
クックパッドにすがって、
すぐにつくれる料理をおしえてもらったりする。
これらはむかしなかった道具であり、
ふるい世代にいわせたら、わたしは楽をしすぎかもしれない。
手ぬきなのか、ちゃんとした料理なのか、
料理の基準をどこにおくかは、意外とむつかしい。
ギョーザを例にとると、冷凍ギョーザをあたためるだけ、
というひともいるだろうし、
皮はお店でかうけど、アンは自分でつくる、というひと、
ぜんぶ自分でつくるひと、など
どれもがギョーザを料理したといれるだろうか。
そして、平均的な食事もまた はっきりとはきめにくい。
孤食・個食など、家族でくらしていてさえ
世帯により、いろんなたべ方がフツーになっている。
どれがただしいかは、いまさらきめられない。

ずいぶんまえに、いまのわかいひとは、
ミカンの皮をむくのがめんどくさいのでたべない、
というのをきいておどろいたことがある。
ミカンだけでなく、くだもの全般がめんどくささから不人気だという。
めんどくさいにはかてないと、
すこしまえの記事にかいたけど、ほんとうに
めんどくさいくらい、おそろしい影響力をおよぼすものはない。
レトルトカレーがよくうれるのも、
メンツユがうれなくなったのも、
めんどくさいからだ。
めんどくさくないようにつくられたメンツユさえ
もはやめんどくさいというのだから、
楽をもとめる人間の欲望にはキリがない。
本をよむには、手間と忍耐力が必要なので、
メンツユさえうれない時代に
本なんかがうれるわけがないとおもう。
つぎはなにがうれ、なにがうれなくなるか、
わたしにはさっぱり見当がつかない。

posted by カルピス at 21:16 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする