2018年07月16日

『作家がガンになって試みたこと』がおもしろそう(まだよんでないけど)

新聞の広告欄に、高橋三千綱さんの
『作家がガンになって試みたこと』(岩波書店)がのっていた。
「今度は胃ガンが見つかりました。ほうっておくと大変なことになります」。医者のそんなことばを振り切り手術を拒否すると、作家の医療漂流が始まった。

とあり、おもしろそうだ。
アマゾンのレビューをみると、
高橋さんは、糖尿病や肝硬変をわずらい、
2013年には胃ガンを宣告されるが手術を拒否している。
食道ガンを内視鏡手術したあと禁酒していたが、
2016年に4年半の禁酒をやめてみると 血糖値が109にさがり、
γ-GTPもアンモニアも正常値。
CAE(腫瘍マーカ)も正常値になっていた。
「過度の禁酒が高度のストレスを招き
肝硬変(と糖尿病)の改善を拒ん」でいたのでは(レビューより)
という推測がおもしろい。

わたしはこの本をよんでおらず、
レビューと「商品の説明」だけの情報で
なんちゃってな「感想」をかくと、
医者がいったことを、そのままうのみにせず、
高橋さんのように、ほっておくのもひとつの方針だとおもう。
病院では、つい医者のいいなりになってしまいがちで、
自分のからだなのに、医者と自分で、
どちらが主導権をもっているのかわからなくなってしまう。
自分のからだにおきたことについて、すべてをうけいれ、
これまで生きてきたように、
これからも生きていこうという判断をわたしもとれたら。
どうせひとは死ぬのであり、人生の主体はあくまでも自分でありたい。
それができるのは、高橋さんのようにつよい精神力が必要だけど、
そうでないひとにも、自分で治療をえらべるために、
この本は背中をおしてくれそうだ。

禁酒が過度のストレスで、病気の改善をこばんでいた、
という理屈もすばらしい。
医者や病院は、とかくなにかを我慢させたがるけど、
そうした我慢もまたストレスとなり、病気にわるい影響をおよぼす。
もしかしたら屁理屈なのかもしれないけど、
自分のからだなのだから、すきなように酒をのめばいい。
死にたくないからといって、なんでも医者にすがりつき、
医療費をいくらでもつかうひとよりも、
高橋さんのように「ほったらかし療法」をえらぶひとのほうが
しあわせなさいごをむかえられるのではないか。

posted by カルピス at 15:31 | Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月27日

津村記久子さんの「顔は腸ぐらい他人」がよくわかる

朝日新聞のコラム「となりの乗客」に、
津村記久子さんが「顔は腸ぐらい他人」をよせていた。
きゅうにお腹がいたくなり、
なんとかトイレにかけこんだ 津村さんの体験がかたられている。
自分のからだといえども、おなかの調子は
自分のおもいどおりにならない。
そして津村さんは、しりあいとはなしているうちに、
自分のからだでさえ、意のままにあやつれないパーツが
大部分なのに気づく。
おなかのことは我ながらよくわからない、という話になった。(中略)「うちのおなかがすみません」という感じだ。なんだかまるで同僚の失敗を詫びているようで他人みたいだ。(中略)自分である、と大手を振って言える体のパーツはどこかと話し合って、結局、手足ぐらいしかない、という情けない結論に辿り着いた。

こうしたはなしは、わかいひとにはピンとこないかもしれない。
わたしは50代にはいったころから、
いかに自分のからだがあてにならないかを
おもいしるようになった。
朝いってきますと家をでて、
夕方ぶじに家にかえってこれるのは、
じつにありがたいことだという謙虚な気もちがないと、
歳をとってからのからだとつきあえない。
とちゅうできゅうにめまいがおきるかもしれないし、
津村さんのようにおなかがキュルキュルいいだすのは
けしてめずらしい状況ではない。
自分の体調に、盤石の信頼をもてたのは、いまやむかしだ。
こうしてみると、「自分」とおもっているわたしのからだは、
はたしてどれだけ自分なのか、たしかにわからなくなってくる。

津村さんは老化のはなしをしたいわけではないだろうけど、
わたしが「顔は腸ぐらい他人」から連想したのは、
老化による脳とパーツとの分離だ。
たとえば、おしっこへいく回数は、
わかいころよりずいぶんふえている。
そのうち尿もりをおそれて尿パッドをあてがったり、
さらにはオシメをはいて
おでかけするように なるのだろうか。
トイレにかけこむぐらい、まだまだ序の口だったりして。

老化がこんなにめんどくさいなんてしらなかった。
情報はいくらでもあったのだろうけど、
自分にとって切実でなければ 目をむけずにすごしてしまう。
ふつうにおでかけするのさえ、まさか心配しながらになるとは。
自分の意のままにはうごいてくれないからだに、
イライラするのではなく、
まるで他人のような自分のパーツを、おもしろがってすごすしかない。
尿パッドにするおしっこは、あんがい快感かも。

posted by カルピス at 22:58 | Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月12日

慢性痛は脳のかんちがい、というのがおもしろい

腰痛など、3ヶ月以上つづく慢性的ないたみは
脳がつくっている、とテレビの健康番組でやっていた。
脳があやまった情報をおくっているからいたいのだという。
いってみれば、気のせいなのだ。
あるくのさえたいへんな腰痛も、
かんちがいかもしれない、というのがおもしろい。
わたしはひだり肩にいたみをかかえている。
はじめはねているときの姿勢がわるいのかとおもっていたけど、
もう1年以上つづているから、ほかに原因があるようだ。
じっさいにいたいのだから、「気のせい」とはおもえないけど、
いたみはからだがじっさいにかんじているのではなく、
脳がつくりだしている、といわれると
それもありかな、という気がしてきた。

『1・2の三四郎』(小林まこと)というマンガに、
「自分のからだじゃない作戦」というのがでてくる。
プロレスラーをめざす三四郎は、
試合をするといたみがつきものだけど、
流血をともなうすごい状態でも、
「自分のからだじゃない」とおもえば
いたみはやりすごせる、という作戦だ。
ひとは、どうしても自分のこととなると
慎重になったり、だいじにしすぎたりするので、
「自分のからだじゃない」とつきはなしてかんがえるのは
ひとつの方法だとおもう。

わたしのいたみは、ひだり側の首から肩にかけて
なんとなく調子がわるい。
じっとしているといたみはなく、
50肩とちがって、肩はよくまわるし、
クロールだっておよげるくらいだから、
生活していて不自由はかんじない。
ときどき「いたい」のが、ただ不愉快なだけだ。
肩甲骨のうえあたりをおすと、すごく気もちがいい。
「ツボ」をさがして そのまま首までさわっていると、
どこをおさえても気もちがいい。
気もちがいいからといって、もんでみてもなおらない。

このまえタイへ旅行したときには、
10日以上つづけてタイ式マッサージにかよったけど、
気もちがいいだけで、根本的にはなおらなかった。
いたいところを、集中してほぐそうとすると、
からだが反発して、もみがえしのような症状になった。
まさしく慢性痛なわけだから、番組がいうように、
脳がかんちがいして、まつがった命令をだしているのかもしれない。
番組では、ちいさな目標を設定し、
いたみとまえむきにとりくむと、効果があるといっていた。
とはいえ、わたしの場合、
なにかができないほどのいたみではないので
目標はきめられない。
「自分のからだじゃない」をつぶやいて、
なかったことにするほうが、現実的な対応におもえる。

1年以上いたみとつきっているので、朝おきたときに、
きょうはどこがどれだけいたいかをたしかめる。
かなりいたい日もあるし、ほとんどかんじないときもある。
だんだんいたみの存在になれ、
いたみがあるのがあたりまえになってきた。
できればこれ以上、ながくつきあいたくはないけど、
いたみがなくなると、あんがいものたりなかったりして。
いたみがあるのがふつうのわたし、と
脳がかんちがいしてなければいいけど。
どんなかたちでいたみがおわりをむかえるのか、
脳の路線変更をたのしみにしている。

posted by カルピス at 10:05 | Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月25日

気分はもう老人

鷹の爪卓上カレンダーの4月にかかれた自虐ギャグは、
高齢化率、日本一、
日本の将来がいま見れます

となっている。
もちろん島根についての応援メッセージだ。
わたしのまわりの状況は、
日本をさきどりしているらしい。
もっとも、いまや島根だけでなく、
日本じゅうで高齢化問題が切実になっている。
日本の将来というよりも、もはや現実におこりつつある変化だ。

団塊の世代が老人となりつつあるせいか、
新聞をひらくと、血圧やコレステロール値を
おどかす広告が目にはいる。
老人の健康は、いまやビジネスチャンスだ。
たいていのひとが、なんらかの不具合をかかえているので、
健康を話題にされると ひとごとではいられない。

いまわたしは56歳で、
けっこう生きてきたつもりなのに、
客観的にいえば、まだ中年でしかない。
実情は、からだじゅうにガタがきて、
肩がいたかったり、目はしょぼしょぼで、
ヨレヨレな状態でなんとか生きている。
しょっちゅうわすれものをするし、
会話のなかでひとの名前がすんなりでてこない。
いつ脳梗塞をおこすか、認知症があきらかになりはしないかと、
日常の健康だけでなく、突然の発病におびえている。

はじめてむかえる老いが、
こんなにやっかいだとはおもわなかった。
いつまでも労働力とみなさないで、
はやいとこ、老人わくにいれてほしい。
名実ともに老人になってしまいたい。
中年のうちから、気分はもう老人になっている。

平均寿命が50歳のころ、ひとはあんがいしあわせだったのでは。
50歳で死ぬのがあたりまえの社会だったら、
老後のお金や健康を心配する必要はない。
自分におとずれる老いを、あたりまえのこととしてうけいれて、
しずかに死んでいけたのでは。
自分でおもうようにならないからだをかかえ、
病院や老人ホームでただ生きているよりも、
自分の意思できめられるうちに一生をおえたい。

posted by カルピス at 22:14 | Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月23日

カゼがすっきりなおらず弱気になる

カゼをひいてから、もう2週間ちかくたつのに、
なかなかすっきりなおらない。
すぐよくなるだろうと、夜おそくまでグズグズしてたら、
朝おきると、いつもノドのかゆさとセキになやまされる。
わたしはバファリンがとてもよくきくので、
朝・夕と食後にのむと、関節のいたみがひき、スッと楽になる。
それをいいことに、カゼをあまくみて夜ふかしをつづけていたら
いよいよくるしくなってきた。
わたしのからだは、ほんとうはかなり
ひどい状況にいたっているのではないか。
ただのカゼなどではなく、たとえば肝臓や腎臓が
ちゃんとはたらかなくなっているから、
からだのあちこちがいよいよ悲鳴をあげはじめたのだ。
すこしまえにみた『真夜中のカウボーイ』をおもいだす。
ダスティン=ホフマンがえんじる男性が
バスでフロリダにいこうとしていたとき、
だんだん自分のからだがコントロールできなくなり、
ついにはフロリダにつくまえに死んでしまう。
あの男性くらい、わたしのからだはヤバイ状態なのでは。
心配なら病院へいけばいいけど、
もし最終通告をつきつけられたら、わたしにはたえられそうにない。

もしかしたら、ただの花粉症の症状に、
おおさわぎをしているだけかもしれない。
ノドがかゆく、セキがとまらないのは、
花粉症といわれれば、納得できる症状だ。

あるいは、そのいずれでもなく、
ほんとうは、からだはなんともないのに、
脳がブレーキをかけているのかもしれない。
だから、ときどきからだをうごかしてみると、
ちゃんといつものようにはしれたり およげたりする。

この2週間は、やすみの日にもほとんどトレーニングをせず、
家にこもるときがおおかった。
天気がわるかったのもある。
3月としてはさむすぎたし、雨がおおすぎた2週間だ。
きょうは方針をかえ、いつもかよっているジムで、
45分ほどウエイトトレーニングをしたあと、
ランニングマシンで5キロはしった。逆療法だ。
ウエイトトレーニングでは、まえよりもあげる回数がへったし、
はしるのも、スピートをおとさないと5キロつづけられなかった。
でも、とにかくいつものメニューができたし、
ここちよいつかれとともに
からだと頭がリセットされたかんじをあじわう。
逆療法がどうでるか、あすの目ざめに期待したい。

posted by カルピス at 18:07 | Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする