2015年07月01日

「以前に勝ったから、あしたも勝てないわけがない」という発想に感心する

あすのWカップ準決勝で、女子日本代表が対戦するイングランドは、
自信をのぞかせているそうだ。
(イングランドは)4年前の前回大会で日本に土をつけた。
その当時から主力のJ・スコットは「以前に勝ったから、あしたも勝てないわけがない」と話した。(スポニチ)

「以前に勝ったから、あしたも勝てないわけがない」
は、なかなか日本人にはいえないことばだ。
「まえにはかてたけど、つぎもそううまくいくとはかぎらない。
 油断しないよう、気もちをひきしめてのぞむ」
みたいなかんがえ方をするひとが、日本にはおおいのではないか。
調子にのってると、いまにいたい目にあうので、
発言だけでも うかれたところはみせないようにするのが 日本的な発想だ。
自信満々で試合にのぞみ、おもわぬところで足をすくわれた体験を
イングランドの選手がもたないはずはない。
かんがえ方のちがいで、
自信満々と、期待はずれの結果とのあいだに、
因果関係をみとめないのかもしれない。
このまえうまくいったので、こんどもきっとうまくいく、
とストレートにおもえたら、人生はどんなに楽ちんだろう。

もちろん、そうやって自分にいいきかせている面もある。
気もちでまけてたら試合にならないので、
あえてつよ気の姿勢を全面にだす。
ボクシングでは、試合まえのインタビューで
「ボコボコにしてやる」みたいに
めちゃくちゃつよ気の発言をすることがおおい。
からだをはった勝負のまえに、気もちでまけないよう、
こうやってまえむきの姿勢をたもつ。

日本の佐々木監督も、「負ける気がしない」とつよ気の発言をしているし、
選手たちからもいきおいにのったコメントがおおくきかれている。
「かてる」というのと「まける気がしない」はビミョーにちがうとはいえ、
こんなに自信を口にするのはあまり記憶にない。
イングランド戦まえの日本が妙につよ気なので、
わたしとしてはヒヤヒヤしていたけど、
かんがえてみたら なさけないはなしだ。
結果がどうなろうと、試合まえのインタビューとは関係ないのだから、
かんじている手ごたえを、遠慮せず口にだせばいい。
そうした点において、今回のなでしこは、日本的でないチームにそだっている。

もう一方の準決勝の試合、
ドイツ対アメリカをみる。
選手の体格・スピード・つよいあたり。
あまりいいたとえではないけど、
まるで男子の試合みたいな迫力だ。
日本はどっちともやりたくないなー、とまずおもい、
しばらくしてから、どっちとやってもたのしみ、とかんがえなおす。
異次元のようにつよいチームと、日本がどんな試合をするのか みてみたい。
日本は、ほんとうにこんな相手とたたかって、
これまでにかってきたのか。
あらためて日本女子代表のすごさをおもいしる。

解説の小島伸幸さんが、ドイツのゴールキーパー、アンゲラー選手について
(ドイツにはノイアーという名ゴールキーパーがいるけれど)
「どちらかというとオリバー=カーンを彷彿とさせます、
 風貌といいね」
なんて そんなこといってもいいのか?みたいな発言をされていた。
でも、たしかにカーンみたいにほえてるし、それぐらいの気迫があった。

後半にアメリカが2点目をきめると、
ドイツはアイデアのない平凡なチームになってしまった。
精度のないミドルシュートをくりかえし、
味方のいないゴールまえにクロスをいれるだけだ。
気もちがきれてしまうと、あのつよいドイツがこんなにもメタメタとなる。
手のつけられないほどつよかったアメリカを、
ぜひきょうのドイツみたいにしてほしいと、
日本対アメリカの決勝戦がたのしみとなった。
そのまえに、まずあすのイングランド戦だ。
日本らしい謙譲の美徳はすてさり、
自信にみちたプレーをのぞみたい。

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2015年06月29日

女子サッカーにイングランド代表があるのはなんでだ?

きのうのブログにかいたように、
女子Wカップの準決勝で、日本はイングランド代表と対戦する。
しかし、なぜイギリス代表ではなく、イングランド代表なのか。
わたしはすこし、すっきりしないものをかんじる。

男子の代表なら、はなしはわかる。
世界サッカー協会ができるまえから
イギリスには4つの協会(イングランド・ウェールズ・スコットランド・北アイルランド)がすでにあったので、
それらをひとつにしろとは、要求できなかった。
歴史的ななりたちから、
グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国(イギリス)は、
Wカップ予選に、4つの協会からそれぞれ1チームずつ参加する。
いわゆるサッカーの母国として、特別なあつかいをされても、
まあそういうこともあるかなと、納得できる。

しかし、女子Wカップがはじまったのは1991年だ。
ほかの国とおなじように、ひとつの国からひとつのチームをだすのが筋というものだろう。
男子とおなじように、女子までも4つの協会をみとめろという主張には、
いちど得た権利は手ばなさない、大国のゴリおしをかんじる。
いっぽうで、ひとつの協会が、男子と女子の両方をとりあつかうわけだから、
統一された協会がなければ、女子も男子とおなじように、
4つの協会がそれぞれ代表をだしてくるのは、しかたのないようにもおもえる。
国がひとつなのに協会は4つというのが、
そもそも無理なはなしなのであり、
それをみとめてしまった歴史的負の産物が
女子イングランド代表なのだろう。
オリンピックでは、イギリス代表としてチームが編成されているけれど、
なかみは完全な統一チームというわけではないようだ。
いちど協会ができあがってしまうと、
そのあとべつの協会といっしょには、なかなかなれない。

すこしまえの番組で、
もと日本代表の監督であるオシム氏が、
ボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー協会を
ひとつにまとめるのにつくされたのをしった。
ボスニアでは、ボスニア人・クロアチア人・セルビア人のそれぞれが サッカー協会をもっていたため、
FIFAはこれを問題視し、オシム氏が正常化委員会の座長として
まとめ役をひきうけられた。
わかれていた代表を、ひとつにまとまるのは、
FIFAとしてはただしいかもしれないけれど、
オシム氏はさぞたいへんだっただろう。
はたからみていると、
ボスニアにそうやって代表をまとめるよう要求するのであれば、
イギリスにももとめたらいいようにおもう。
ボスニアに3つの協会があるのが問題なのはわかる。
ほかの国もおなじことをやりだしたら、FIFAはぐちゃぐちゃになる。
ひとつの民族がひとつのサッカー協会をもてば、
世界はものすごい数のサッカー協会であふれるだろう。
Wカップ予選はたいへんなことになる。
おなじように、イギリスの4代表というのも、
むちゃなはなしなのだ。
もしイギリスがただしいのなら、ボスニアの3協会もただしい。
いまの規則では、ボスニアが3つの協会をもちたければ、
それぞれの民族が独立した国をもつしかない。

中国は、あのひろい国と膨大な人口をかかえながら、
Wカップ予選にひとつのチームしかおくりだせない。
中国がつつましい国だからではなく、
それがルールだからだ。
もし中国が、たくさんの代表をおくりたければ、
中国内の各省に独立をみとめればいい。
それぞれの国がサッカー協会を組織できる。
しかし、そうなると、とうぜん中国はいまとちがう国になるわけで、
そうなってまで中国がWカップにたくさんの代表をおくりたいかどうか微妙だ。
ひとつの国がひとつの代表というのは、
なかなかうまいところをついている。
中国としたら、旧中国の国がWカップに出場したからといって、
あまりよろこぶ気にはなれないだろう。
こうしてみると、イギリスの4代表というのが、
いかにおいしいはなしなのかわかる。

posted by カルピス at 21:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 女子サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月28日

女子Wカップ 準々決勝 日本対オーストラリア 1-0で快心の勝利

この大会、はじめてはやおきして
朝5時からのライブ放送をみる。
いつもとちがったことをすると、
いつもとちがった結果になるような気もして、
すこしまよう。
このへん、ぜんぜん統計学的でない。
縁起をかつぐのもひとつのデーター戦なのだ。
といいながら、けっきょくさいごまで応援した。

試合がはじまると、日本はよくせめたてる。
さいごのところでパスがずれるけど、
ゲームをコントロールしているのは日本だ。
連動してのプレッシャーがきいているので、
セカンドボールも日本にころがってくる。
いいときの日本のサッカーだ。
あつさを警戒してか、相手はおもったほどつよくでてこない。

しかし、なんどか決定的なチャンスがおとずれるのにきめきれない。
こういうときにきめておかないと、
あとでくるしむのがサッカーのお約束だ。
それでも日本はあわてずに試合をすすめていく。
さきに足がとまったのはオーストラリアの選手たちだった。
スピードをほこるデバンナが、きゅうにうごけなくなる。

宇津木のつよさとうまさがめだつ。
オーストラリアの選手にたいして、
ちからでまけてないし、技でかっている。
なんの苦もなく相手のプレッシャーをやりすごし、
ボールをうばわれないで攻撃につなげていく。
大儀見へのマークがきびしくて、彼女が自由にさせてもらえないぶん、
宇津木のうごきになんどもすくわれる。

決勝点は、宮間のコーナーキックからうまれた。
日本の8本に対し、オーストラリアはコーナーキックをえていない。
それだけ日本はうまくまもったのだろう。
宮間は正確なキックをあげつづける。
まちうける選手たちは、「電車ゴッコ」で4人がいったんたてにならび、
宮間のキックとともにバラけていく。
決勝点のときは、岩清水が2回シュートをつづけてもはいらない。
ゴールまえがゴチャゴチャ状態になり、
まただめだったかとおもったときに岩渕がきめてくれた。
このとき時計は後半の42分。
のこりの時間を日本はおちついてやりすごし、1-0で試合をおえる。
おわってみれば、日本はほとんどあぶない場面がなかった。
チームの連携も、運動量も日本がまさっていた。

4年まえのドイツ戦でも、岩渕は大野にかわり とちゅうからはいっている。
このときは、自信のないプレーがめだち、あまりちからにならなかった。
自分でしかけられず、ボールをもってもすぐに見方にわたしてしまう。
アリバイ工作的なプレーがおおく、
あれでは相手もこわくなかっただろう。
この大会での岩渕は、ほんとうの意味でジョーカーとなっている。
オランダ戦でも、スピードとキレのあるプレーを披露し、
相手をいやがらせていた。
まえの大会でにがい経験をつんだことが、
こうして4年後にいきてきた。

オランダ戦でポカをやった海堀が
きょうはあぶなげないプレーをみせた。
ああいうミスをやってしまうと、相手はつけこんでくるし、
自分も自信をうしないやすい。
つづけて海堀を起用した佐々木監督の判断はただしい。
べつの選手をつかったら、海堀はなかなかたちなおれなかっただろう。

チームの状態がよく、
選手たちも手ごたをかんじているようだ。
つぎの試合は7月2日におこなわれるイングランドとの準決勝。
午前8時開始なので、仕事にならないひとがおおいのではないか。
現地に熱烈な応援がとどくよう、
コンディションをととのえて テレビのまえにすわりたい。

posted by カルピス at 17:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 女子サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月25日

女子Wカップ 日本代表の、いいところが目だったオランダ戦

女子Wカップ、決勝トーナメント1回戦、日本対オランダ。
日本はグループリーグでの試合とちがい、
パスがよくつながるし、シュートまでもっていける。
得点は2-1だったものの、安心してみていられた。

有吉が1点目をきめると、選手たちはほんとうにうれしそうな表情をみせてよろこびあっていた。
それだけ先取点がほしかったのだろうし、
チームワークのよさもみてとれる。
ネット上にあげられたある記事には
「有吉 川澄先輩と日体大の固い絆!おそろいヘアゴムも着用」
というのがあった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150625-00000085-spnannex-socc
タイトルそのままの内容で、
「ピッチ上でも同じアイテムをまとい、心はつながっていた」
のだそうだ。
すこしまえの記事には、
ケガで日本へかえった安藤選手へのおもいをこめた「シロクマ」が
ベンチにすわっているのが紹介されていた。
でも、そんな次元をこえたチームワークが、
このチームのもちあじだとわたしはおもう。

このチームは、仲間のために汗をかける選手がおおい。
オランダ戦では、大儀見のポストプレーがひかっていた。
自分でもシュートをはなつし、
べつの選手をいかせる場面では効果的なパスをだせる。
2点目につながる宮間へのヒールパスは、
この大会の大儀見を象徴していた。
ボールをキープし、機が熟したら 仲間にわたす。
得点の場面だけでなく、守備への貢献もたかい。
あぶない場面では、いつも大儀見が相手をつぶしにいき、自由にさせていなかった。
こんなプレーのつみかさねが 仲間から信頼をえるのだろう。
みていてたのもしい絶対的なエースだ。

2点目の得点シーンは、大儀見のヒールパスを宮間がマイナスにおりかえし、
岩渕はスルーして、阪口がゴールすみにボールをコントロールしてきめている。
すばらしい。
こんなにうつくしい連携からの得点はあまり記憶にない。
4人の役者がそれぞれ完璧に役を演じた。
さいごにシュートをきめた阪口は、岩渕に「スルー!」と指示をだしている。
自分のほうがいい体勢でけれるとおもったから、と阪口のコメントがのっていた。
自分がきめる自信がある、というよりも、
客観的に自分のほうが有利な場所にいる、という冷静な判断だ。
シュートをはずしたらどうしよう、というためらいはない。
自分がきめたいからではなく、
そのほうが確率がたかいからスルーを指示する。
もしシュートをはずしても、
阪口はわるぶれることなく 淡々とプレーをつづけただろう。
選手全員が、チームのためにプレーしている。

宮間もいつもながらすごい。
今回は、水分補給のときにみせた
さりげない「プレー」にしびれてしまった。
相手のコーナーキックをまつみじかい時間に、
宮間はまず仲間に水のボトルを手わたし、
その選手がのみおわると、もうひとりにわたし、
やっと3番めに自分がのんでいた。
こんなキャプテンがいたら、いうことをきかないわけにいかない。
意識のたかさがプレーに、そしてピッチ上のふるまいにあらわれている。

オランダは18歳のフォワード、ミーデマの評判がたかかったものの、
日本の守備陣は、けっきょくこわいプレーをさせなかった。
この日だけでなく、これまでの4試合がぜんぶ1点差で、
とくに終了間際に相手の猛攻をうけながら
なんとかしのいでいる。
アディショナルタイムにゴールキーパーの海堀が、
胸トラップからの「オウンゴール」をきめてしまったけど、
これはまあ、教訓としてつぎの試合にいかせればいい。

4年前のWカップ、対ドイツ戦をおもいだす。
この試合、日本代表はつぶされても つぶされても相手にまとわりつき、はしりつづける。
攻撃がうまくいかなくても、なんども愚直にくりかえす。
「なでしこ」といわれる献身的なプレースタイルは、
この試合によって だれもがみとめるものになったのではないか。
きれいにパスをまわすだけでなく、泥くさいまもりもふくめての「なでしこ」だ。
そうして、みているものを、おもわずファンにしてしまう。
オランダ戦は、そんな彼女たちのよさが、いたるところでピッチにあらわれた。

posted by カルピス at 13:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 女子サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月27日

わりとあっさりあきらめるサッカー的な価値観

女子サッカーアジア杯の決勝で日本がオーストラリアを1-0でやぶり、
初優勝をきめた。4大会連続ベスト4どまりだったこともあり、
「どうしてもほしいタイトル」と選手たちはくちにしていた。
アジア杯は、国際サッカー連盟(FIFA)が国際試合日と位置づけておらず、
ヨーロッパのチームに所属する6人の選手が限定的な参加にとどまっている
(大儀見選手は予選リーグのみ参加)。
主力選手がいなくても、優勝をきめたのだからたいしたものだ。

今回は、FIFAの規定によりヨーロッパの選手をよべなかったけど、
なかなかベストメンバーがそろわない、
そろわないものは、それはそれでしかたがない、といううけとめ方が
サッカーのひとつの特徴とはいえないだろうか。

サッカーでは、ケガや体調不良により、
だいじな試合であったもつねにベストメンバーがそろうとはかぎらない。
天皇杯の予選など、外国人選手や監督は帰省していることさえある。
競技としのサッカーをしたことのないわたしには、
ここらへんの感覚がいまひとつ理解できない。

もちろん、サッカーが非常にはげしいスポーツであり、
中途半端な体調では試合にのぞめないことはわかっている。
しかし、それを考慮したうえでも、なお
サッカーの選手・監督たちは、わりとあっさり「しかたがない」
とあきらめられるようにおもう。
それは、サッカー的といえる価値観ではないだろうか。

ひとつの仮説として、
サッカーは都合のつくものがあつまって
試合を成立させていたおおむかしの記憶を
いまものこしているのではないか。
村対抗の群衆フットボールでは、
ベストメンバーがどうのこうのうのよりも、
都合のつくものがあつまって、
それでなんとかやりくりして実現させる「あそび」だった。
用事があったり、ケガをしていたらしかたがない、
あつまったものでなんとかやりくりする。
1年にいちどのおまつりなのだから、
かちまけ だけにこだわるのではなく、
おまつりとしてのフットボールをもりあげようとする社交の精神だ。
「なにがなんでも」ではなく、都合のつくものでやりくりしようとする価値観を
サッカーはいまもうけついでいるのではないか。

アジア杯での優勝がきまると、解説者や新聞・ネットの論調は
ベテラン選手と若手との融合がうまくすすんだと評価するものだった。
わたしにはあいかわらずW杯経験者だよりのチームにおもえたけれど、
とにかく海外のチームに所属する6人をかきながら、
優勝という結果をだせたのはすばらしい。
大会で試合をかさねるうちに、なんとかかたちをととのえた代表チームは
サッカーらしい精神をみごとに体現したといえる。
いまいる選手たちでアジア杯にのぞむ、
あつまれない選手のことをどうこういってもしかたがない、
これが自分たちの実力なのだ、というサッカーらしいわりきりだ。
こういうのも、歴史と経験をかさねなければ身につかない
サッカーのつよさなのかもしれない。

posted by カルピス at 22:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 女子サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする