2023年03月23日

小学5年生の「なぜ、かんじでかかないといけないのですか?」がすばらしい

朝日新聞の投稿欄「若い世代 学校から」に、
小学5年生の投稿が5つのっていた。
そのなかで「かんじでかく りゆうは?」がすばらしかった。
さいきん、しゅくだいのプリントで、かんじでかくところをひらがなでかいて、33こペケをもらいました。なぜ、かんじでかかないといけないのですか?

と問題をつきつけている。

33個のペケをもらった、というのだから、
うっかりもらったペケではなく、
確信犯として彼はひらがなをかいたにちがいない。
きっとこれまでにも先生や学校とのあいだで
漢字をめぐるいろいろなやりとりがあったのだろう。
わたしは漢字をできるだけすくなく、という主義だけど、
彼はもっとラジカルにひらがな主義をつらぬいている。

同音異義語の問題については、
「ぶんのつながりなどでわかるのではないでしょうか」
は、まったくそのとおりだ。
漢字かなまじりでないとただしい表記ではない、
ときめたのがまちがいであり、
ひらがなやローマ字で文章をかいても、
りっぱな日本語としてみとめればいいのに。

この欄は、おなじ学校からの投稿をのせている。
学校の授業などでテーマを決めて取り組まれたもの、生徒や児童の皆さんが自由に書かれたもの、どちらでも構いません。今後も学校単位の投稿をお待ちしています。

5つの投稿は、ぜんぶおなじ学校の5年生によるものだ。
だから、学校としては、彼のかんがえを、
あたまから否定しているのではないのだろう。
それだったら、学校を代表する投稿として
彼の原稿がえらばれなかったろうから。
学習指導要領というものがあり、
学年ごとにおぼえなければならない漢字がきめられているそうだから、
テストのとき生徒が漢字をつかわないと 学校はこまるのだろう。
そんななかで、この投稿をかいた少年は、
「なぜ、かんじでかかないといけないのですか?」
とまっこうからたたかいをいどんでいる。
そのガッツにわたしはしびれた。

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2021年06月29日

ののちゃんがまよっていた おくりがな問題の解決法

すこしまえの「ののちゃん」で
漢字のおくりがな問題をとりあげていた。
ののちゃんが、おくりがなのつかい方にまよい、
お母さんにたずねている場面がある。
おかしいなぁ
なんで同じ送り仮名に
毎回迷うんだろ。
おかーさーん、
「短かい」だっけ
「短い」だっけ。
「終わる」だっけ
「終る」だっけー。
「上がる」だっけ
「上る」だっけ。

文字でかいた漢字とそのおくりがなを
お母さんにたずねるのならわかるけど、
ただ声にだしていうだけでは、
お母さんに なにがどうちがうのか、わかるわけがない。
それだけおくりがな問題は、
ややこしいだけで、どうでもいいこと、
という意味なのだろう。

「短かい」と「短い」は、どちらがただしいか、なんて、
だれにとってもわかりにくい。
ひとつの方法として、活用があるものは
すべておくりがなをそえる、という手がある。
ののちゃんがまよっていた漢字でいうと、
「短い」「終る」「上る」がただしい。
と、おもっていたところ、
ウィキペディアをみると、
なにやらややこしい原則がかいてあった。
こんなのおぼえられないし、まちがっていたとしても、
じっさいにはつうじてしまうのだから、
おくりがな なんて、どうつかってもいいではないかと、
さじをなげ、ひらきなおってしまいがちだ。
おくりがなにまよう、ののちゃんはただしい。

おくりがな問題の、てっとりばやい解決法は、
おくりがなをつかわない、だ。
おくりがなが必要な漢字は、
ぜんぶひらがなでかけばいい。
「みじかい」「おわる」「あがる」
とかけば、不毛な問題に まよわなくてすむ。

posted by カルピス at 21:24 | Comment(0) | 表記法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月16日

「やさしい日本語」は、だれにとってもやさしい言葉

けさの朝日新聞に、「やさしい日本語」について
言語学者の庵功雄(いおりいさお)さんへ
インタビューした記事がのっていた。
「(やさしい日本語は)『日本語が乱れる』
と違和感を抱く人もいるようです」、
というといかけには、
「『やさしい日本語』は、外国人との会話のための道具です。日本人としては、場面に応じて使い分ければいいので、これだけで日本語が変わることはないでしょう。公共の場の英語表記と同じようなもので、日本語ネイティブがめくじらを立てる必要はないと、私は思います」

「少子化と人口減少に悩む日本にとって、日本人と同等の給料を稼いで税金を払い、家族で暮らす外国人を増やすことは極めて重要です。子どもたちにはさらに大切で、遅くとも高校卒業時に同年代の日本人と同じ日本語レベルに達していないと付加価値の高い職業にはつけない。不必要な難しさをそぎ落とした『やさしい日本語』をステップにして一定レベルに追いつけば、あとは自力で知識を得ることができます」

「やさしい日本語」と、ただしい日本語の、
ふたつが 断絶して存在するのではなく、
まず「やさしい日本語」をつかえるようになれば、
そのあとは自力で知識や語彙をふやしていける。
「例えば中国語は方言が多く、地域で言葉が違うことを前提としているので、発音や文法の間違いに寛大です。(中略)英語はすでにネイティブだけのものではありません。中国語も英語もいわば『寛容な言語』であり、そんな国際語に日本語も近づくべきだと私は思います」

これとおなじことを、梅棹忠夫さんもいっていた。
日本語をはなすひとが世界じゅうでふえれば、
みだれた日本語や、文法的にまちがった日本語を、
目や耳にする機会がふえていくだろう。
これからの日本人は、そうした「おぞましい日本語」に
たえるだけの寛容さが必要となる。
「『やさしい』には、『易しい』と『優しい』の両方の意味が込められています。実際のコミュニケーションでは、どうしたら相手に伝わるだろう、と思う気持ちが最初にあるはずです。耳が遠い高齢者や語彙が少ない子どもに対して、わたしたちは言葉を調整して話しています。それが、まさに『やさしい日本語』です。外国人に対してだけではなく、ハンディを持った多くの日本人にとっても、やさしい言葉なのです」

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2021年06月12日

「まん延・改ざん・ねつ造・・・交ぜ書きはおかしい?」むつかしい漢字よりも「まぜがき」のほうがまし

「まん延・改ざん・ねつ造・・・交ぜ書きはおかしい?」
という記事が6月3日の朝日新聞にのった。
哲学・倫理学者の古田徹也・東大准教授に聞きました、とある。

まぜ書きは、かたほうが常用漢字でないため新聞にはつかえず、
しかたなくかたほうだけ漢字、という奇妙な形になっている。
わたしは できるだけ漢字をつかわないで
日本語をかきたいとおもっており、
「まぜ書き」は苦肉の策としてみとめるものの、
できればほかのことばにおきかえたほうがいいとおもう。
おきかえられないから、いまも「まぜ書き」がのこっている、
というかんがえ方もあるそうで、
漢字をつかおうとすると、こうした問題が
どうしてもでてくるため、できるだけ漢字をつかわない、
という原則をまもりたい。できればひらがなで、
それに抵抗があるなら「まぜ書き」のほうがまだまし、
というのがわたしの方針だ。
ところで、「交ぜ書き」というかき方は、
この記事でいう「まぜがき」ではなく、
おくりがなをふってあるだけだけど、
こっちのほうがよほどどわたしは気になる。
「交ぜ」って、すごくうつくしくない。「まぜ」のほうがいい。

古田氏は、漢字をつかう実用的な利点として
よみやすさをあげている。
「ちゅうちょなく実行する」と「躊躇なく実行する」をパッと見比べた時、どちらがより読みやすいか。漢字は平仮名に比べて「固まり」として目に入ってくるため、見た瞬間、言葉の意味がつかみやすいでしょう。

とはいえ、「躊躇」をなにもみなずに漢字でかけるひとは、
あまりいないのでは。
「ためらわずに」といいかえればいいようにおもう。
「見た瞬間、言葉の意味がつかみやすい」は
たしかに漢字の特性だけど、そのアドバンテージだけでなく、
まなびにくいという不利益についてもかんがえると、
できるだけ むつかしい漢字は
つかわないほうがいいと わたしはおもう。
 また、たとえば「蔓延」の「蔓」は、草かんむりの時からも分かるように、草やツルがのび広がることを意味しています。平仮名にすると、こうした漢字の機能がなくなり、元の意味をたどれなくなる。1千年単位の歴史をもつ漢字の意味成り立ちのトレーサビリティー(元をたどれること)が失われることになります。

もとの意味をたどれることに、どれだけの価値をおくかで
ここらへんはかわってくるだろう。
「蔓」にかぎらず、漢字のおおくは
たどろうとすれば元の意味をしることができるのだろうけど、
それが必要かどうかはこのみの問題になってしまう。
もとの意味をたとえたどれなくても、
かけもしない「蔓」という字を わたしはつかいたくない。

まったくはなしがそれるけど、ここまでかいていて、
デイリーポータルZの地主さんの記事をみていたら
(「今が旬! 多摩川沿いで鮎の和菓子を食べる」)、
多摩川をまえにした写真に、「たま川」という看板があった。
https://dailyportalz.jp/kiji/ayu-sweets-by-the-tama-river
常用漢字でも、あえて「まぜ書き」にしている。
さらによみすすめると、狛江にあるお菓子屋さんの名前が
「志むら」とあった。自分からわざわざ「まぜ書き」にしている。
こうなると、常用漢字ではないから「まぜ書き」では、
説明がつかなくなる。
あんがいおおくのひとが「まぜ書き」に抵抗がないのでは。
わたしは、おくりがなが必要なときは漢字をつかわず、
原則的にひらがなでとおしている。
地主さんの記事でいうと、「沿い」は「ぞい」で、
「食べる」は「たべる」だ。
でも、おおくのひとは、おくりがなをつけて漢字をつかっている。
「食べる」だって「まぜ書き」みたいなものではないか。
「まん延・改ざん・ねつ造」という「まぜ書き」に
そんなにめくじらをたてなくても、とわたしはおもう。

posted by カルピス at 18:18 | Comment(0) | 表記法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月03日

漢字をつかわないでメッセージをかいた 長崎ヴィファーレンのヴィヴィくん

きのうの朝日新聞に、「セブンルール」として
7つの個人的な約束事を紹介していた。
あるひとは、文字のすべてにふりがなをふっているそうだ。
そのひとの周囲に、
小学校に行けなかった人や字が読めないひとがいるから

だという。
わたしもできるだけ漢字をつかわない方針なので、
このひとの「ルール」をすてきだとおもう。
もっとも、ふりがなをふっても、意味を理解するのが
むつかしい文章はあるので、ふりがなだけでなく、
文ぜんたいに気をくばる必要がある。

Jリーグタイムをみていたら、ヴィファーレン長崎の
マスコットキャラクター、ヴィヴィくんがでていた。
Jリーグ全体のマスコットで、1位の人気なのだという。
そのヴィヴィくんが、紙にかいたメッセージをよみあげた。
ヴィファーレン長崎を紹介する数枚におよぶメッセージは、
漢字をひとつもつかわずにかかれていた。
画面でもよみやすいし、内容もよくつたわってくる。
子どものマスコットだからひらがな、ではなく、
だれにでもつたわりやすい表記として、
漢字をつかわなかったとしたらすばらしい。

わたしの「セブンルール」はなんだろう、とおもって
リストをつくろうとしたけど、7つもうかばない。
まえに障害者介護の研修にでたとき、
懇親会の席で、自分のフェチについて、
それぞれ手みぢかにはなしてください、といわれた。
革財布のにおいをかぐこと、というひとや、
まえをはしる自動車のナンバープレートをみると、
おもわず合計してしまう、というひとがいた。
あんがいへんなこだわりを、だれもがもっているようだ。
わたしは女性の肩甲骨を愛でること、とはなした。
水泳をやってきたこともあり、
女性スイマーの背中をみる機会がおおく、
男性にはないそのうつくしさにわたしはよわい。
会場からは、おおむねあたたかなわらい声をとれたけど、
ひいてしまったひともいるかもしれない。

posted by カルピス at 15:24 | Comment(0) | 表記法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする