2016年12月01日

「クラシックカヘ」と、ただしく発音するアナウンサーがすてきだ

ラジオをきいていたら、「クラシックカヘ」と、
番組名を紹介していた。
カフェでなく「カヘ」。
さすがのNHKだから、日本語にない音を口にするわけにいかず、
おそらくアナウンサーに「F」の発音をきんじているのだと
すごく感心してしまった。
下くちびるをかんで「V」を発音するのもきっとご法度だ。
うつくしそうな女性が、やさしい声で「クラシックカヘ」というのは
色っぽくてなかなか風情がある。
坊っちゃんの時代にタイムスリップしたような。

梅棹さんがなにかの本で、
日本人はフェスティバルがうまくいえず、
つい「ヘステバル」になってしまう、とかいていた。
日本語にないいくつもの音が、
外来語としてはいってきたために、
それをむかしからの日本語でやりくりすると
「ヘステバル」になる。
NHKのアナウンサーはフェスティバルでなく
ちゃんと「ヘステバル」と発音しているだろうか。

学校の授業で英語をならうときに、
いかにも英語っぽい発音をこころみるのは
かなり抵抗をかんじるものだ。
クラス全員をまえに、ひとりだけで朗読すると、
知識としては「f」や「th」が
「フ」や「ス」でないことをしっていても、
はずかしさから どうしても「コーヒー」や「サンキュウ」と
やってしまいがちだ。
これらの発音は、英語としてきくと
問題があるかもしれないけど、
日本語としては「カヘ」がただしいのだと、
ラジオのアナウンサーが気づかせてくれた。

すこしまえの「今日のダーリン」(ほぼ日)に、
「アボカド刑事」が紹介されていた。
社会の「アボガド」という表記を見つけては、
厳重に注意するという「おしごと」

なのだという。
「アボカド」がただしいのに、あいかわらず「アボガド」というひとが
あとをたたないために、そんな「おしごと」がもとめられるのだろう。
それにならって「カへポリス」というのはどうか。
「カフェ」なんてすかした発音をしたり、紙にかいたりしたひとに
注意をよびかけるボランティア警察だ。
英語を否定しているのではなく、
ただしい日本語をまもろうとするうごきなわけで、
「ストライク」を「いいたまいっぽん」なんて
いいかえるのとは わけがちがう。
わたしたちがはなしているのは日本語なのだから、
英語っぽく発音するのはおかしなはなしで、
「カヘ」でじゅうぶんだし、「カヘ」がただしい。

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2016年08月11日

「錦織」問題

朝日新聞の島根版で、
錦織問題がとりあげられた。
テニスの錦織圭選手は松江市出身なので、
地方版によく名前があがる。
リオデジャネイオリンピックに出場している
女子ホッケーの錦織えみ選手もおなじ名字だ。

問題は、「錦織」をどうよむのがただしいかで、
島根県におおい「錦織」姓は、
ニシコリ・ニシコオリ・ニシキオリ・ニシゴオリ・ニシゴリと、
いくとおりのよみ方ができるそうだ。
テニスの錦織選手は「ニシコリ」で、
ホッケーの錦織選手は「ニシコオリ」とよむ。

わたしも中学校のときの同級生に
錦織さんがいて、彼女はニシコリさんだったけど、
ときどきわけがわからなくなった。
にしきをおるから ニシキオリがただしそうなのに、
彼女はニシコリさんなのだ。
ニシコリさんだけど、ニシコオリとよばれても
自分の名前と認識してくれたようにおもう。
いちいちわたしは「ニシコリ」です、と
訂正するのがめんどくさかったのではないか。

漢字をできるだけつかわない主義のわたしにとって、
錦織問題は、漢字の問題点を指摘する かっこうの話題だ。
日本語における漢字問題のおおくは、

・いろいろなよみ方ができる
・おくりがながきめられない、

という点にある。
たとえば「おくる」は、
「送る」なのか「送くる」なのか、
どっちがただしいのかわからない。
「送る」がただしい、といったって、
じっさいに「送る」と「送くる」の両方がつかわれていて、
どちらでもいいのが現状だ。

錦織問題は、よみ方がさまざまという点において、
漢字のとりあつかいが、
いかにややこしいかをしめしている。
はじめからひらがなやカタカナ、
あるいはローマ字でかいていたら、
まちがいようがないのに、
漢字をつかうと、いちいち
自分の名字はどうよむのがただしいかを
説明しなければならないなんて
かんがえてみると すごく不思議なはなしだ。
漢字をつかうかぎり、錦織問題はなくならない。
おおくの錦織さんは、まちがってよばれたとしても、
よむほうがまちがっているわけではないのだから、
がんばって訂正しつづけるしかない。

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2016年03月10日

とめてもはねてもどちらも正解

3月1日の朝日新聞で、
文化審議会が常用漢字についてしめした
「とめてもはねても」どちらも正解という
指針が紹介されていた。

「保」は「ホ」なのか「木」なのか。
「女」の「ノ」は「一」からすこしでているのかどうか。
「吉」のうえの部分は「土」なのか「士」なのか。
「天」の「二」の部分は、上がみじかいのかどうか。

それらをぜんぶ「あやまりではない」とみとめてくれた。
とめる・はねるの わずかなちがいについて、
伝統を理由に きびしい基準をもうけるのは
いまの時代になじまない。
筆をつかってかいていた時代には、
とめたり・はねたりに意味があったかもしれないけど、
パソコンなどの画面にあらわれる文字や、
印刷された文字について、
いつまでも こまかな点にこだわるほうがどうかしている。
でも、「どうかしている」なんて おおっぴらにいえば
「とても大切」だとおもっているひとたちに さしさわりがあるので、
「どちらでもいい」というあいまいなままにしたのが
わたしはすばらしいとおもう。

「とめ・はね・はらいはどうでもいいといっているのではない」と、
とめ・はねを大切にしているひとたちの顔をたてながら、
実質的には「どうでもいい」といっている。
「どちらも正解」がだいじだ。
いっぺんに「どうでもいい」とするのではなく、
「どちらも正解」としておけば、
つかううちにおちついてくる。
なしくずし的に「なんでもあり」になればおもしろい。

これからますます手で漢字をかく場面は
すくなくなるだろう。
しばりがはずれたのだから、
どんどんあいまいで いいかげんな「はね」や「とめ」になり、
くっついたり はなれたり へんなおおきさになってゆく。
活字になんとなくようすがにていれば、
それでOKなのだから、外国人のかく漢字みたいに
日本人からみると とんでもない字でも 文句はいえない。
「どちらも正解」は、画期的な指針になりそうだ。

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2015年11月12日

なにが「in」だ

「〜 in ◯◯」というイベント名が なんとかならないものか。
たとえば「つなひき日本選手権大会 in 島根」。
日本語のなかに英語をまぜる神経がわからない。
「The 漫才」の The はジョークだけど、
「in 島根」には あそびごころがない。本気だ。
こんなばかげたいい方は、
すぐにすたれるだろうとおもっていたのに、
もうずいぶんながいことつかわれている。
すっかりイベント名として定着したのかもしれない。

「デイリーポータルZ」にのった江ノ島さんの記事、
「指についたポテトチップスでどれがうまいのか選手権in実家」は、
http://portal.nifty.com/kiji/151110195016_1.htm
うまいタイトルなので感心した。
これくらい害のないつかい方だと「in」もわるくないとおもう。
江ノ島さんは、「in」のはずかしさを理解しているのだろう。
「in」にふさわしいのは、ごくちいさなあつまりだ。

ラジオをきいていると、曲を紹介するときに
このごろよく「楽曲」ということばを耳にする。
なんだ「楽曲」って。
なんか気どってないか?
「曲」ではなんでいけないんだろう。

「〜すぎる」も気になる。
「うつくしすぎる◯◯」とか。
自分はつかうまいといましめる。

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2015年06月03日

意味がわからない『éclat』をなぜつかうのか

新聞に女性雑誌『éclat』の広告がのっていた。
「é」はアクサン=テギュで
いかにもフランス語っぽいかんじだ。
しかし、『éclat』をどうよめばいいのか、
『éclat』とかいてあるだけではわからない。

わからないから、タイトルのわきに[エクラ]と日本語でよみがかいてある。
それなら最初から『éclat』なんて気どらずに『エクラ』でいいのに。
でも、『エクラ』したところで、けっきょく意味はわからない。
漱石にでてくる高等遊民ならわかるかもしれないが、
現代人のおおくはわからない(とおもう)。
辞書でしらべると、「輝き;(色の)鮮やかさ」の意味なのだそうだ。
わからないのに『éclat』と雑誌名につけたくなる心理はなにか。

『éclat』の意味はわからないけど、
では『STORY』なら大丈夫かというと、やっぱりわからない。
『Domani』だってよめても意味はわからない。
イメージが大切なのであり、
ことばの意味にたいしておもきをおいていないからだろう。
それにしても『éclat』はそうとうなものだ。
そこまで日本人はフランスにいかれているのか。

ところがそうではなかった。
女性誌のタイトルをかきだしてみると、
小学館が『Domani』『Oggi』『Precious』など、
集英社はさきにあげた『éclat』に『Marisol』・・・。ものすごいかずだ。
リストをながめるだけで、
わたしは自分のしていることのおろかしさをさとる。
世間では膨大な数の女性誌が出版されており、
そのほとんどが外国語のタイトルで、
たいていは意味がわからない。
いまさら『éclat』におどろいているわたしが世間しらずだったのだ。
アクサン=テギュまでもちだして
外国語、とくにフランス語であることをひけらかしているのは
『éclat』ぐらいかもしれないが、
基本的に女性誌のタイトルは魑魅魍魎の世界だ。

では男性誌のタイトルはというと、
しらべるとこれもまたほとんどが外国語で、
よめないし、意味もわからない。
わたしが『éclat』のアクサン=テギュにおどろいてみせたのは、
たんなるやつあたりにすぎないようで、
世間にあるタイトルは、男女をとわず 意味不明の記号にあふれていた。
タイトルに意味をもとめるなんて きわめつけのヤボみたいだ。
わたしは はっきりと自分の敗北をさとる。
日本人は外国語コンプレックスなどものともせず、
自由に外国語のタイトルをつかいこんでいる。
つかいたいことばを雑誌名にえらんで どこがわるいのか。

こうなってくると、
こんどはわたしが『éclat』をやっていないか心配になってきた。
意味をわかっていないくせに、イメージだけでものをいってないか。
ひとがつかうことばだけきびしくチェックしておいて、
自分はテキトーにながしていたら すごくかっこわるい。

NHK-BSのニュース番組をみていたら、
司会者のまえに板(しゃれた名前があるのだろうけど、でも板)がおいてあり、
「Global Debate Wisdam
グローバル ディベート ウィズダム」
とかかれていた。
英語でタイトルをつけ、そのしたにふりがなをうつ。
ぜんぜんグローバルな態度ではない。
よめないのならつかわなければいいのに、とこりずに批判する。
これは正統なやつあたりだとおもうけど、どうなのだろう。
女性誌のタイトルとおなじ現象のような、そうでないような。

posted by カルピス at 11:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 表記法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする