デイリーポータルZに、興座ひかるさんの
「キーボードを禁止し『手書き』で暮らす1日」
がのった。
https://dailyportalz.jp/kiji/handwriting_without_typing_keyboard
手がきでのやりとりはたのしい、という内容だけど、
わたしはものすごく字がへたくそなので、
キーボードを禁止されるとすごくこまる。
いちにちのおわりに、利用者さんのようすを保護者につたえる
「活動のようす」を毎日かいている。
どんな仕事をされて、どんなようすだったかをかけばいいのだから、
けしてむつかしい仕事ではないはずなのに、
わたしはかくたびに内容につまり、へたくそな文章しかかけない。
字をまちがえて、ぐじゃぐじゃっと黒くぬりつぶしたり、
あんまりひどい内容のときは、そのさきをつづけるのをあきらめ、
はじめからやりなおすこともすくなくない。
漢字もかけないから、しょっちゅう電子辞書のお世話になる。
漢字をできるだけつかわないですごしたいわたしだけど、
かけてあたりまえの単語となると(「緊張」「積極的」など)、
ひらがなでとおすのは勇気がいる。
辞書をひいて漢字をたしかめるくらいなら、
ひらがなですませばいいとひとにはいうくせに、
自分があまりにも字をしらないのは
社会人としてはずかしいので かくしたいのだ。
文章をかきなれないから、ろくでもない内容になるのならわかるけど、
まいにちブログにむかい、ある程度の文章をかいていながら、
手がきになると、ボロボロの内容になってしまう。
わたしはずいぶんキーボードにたすけられている。
興座さんみたいに手がきでのやりとりをたのしむには、
そこそこの字がかけて、最低限の漢字をしっていることが前提となる。
わたしはそこまでのレベルにないため、
自分のこだわりで漢字をつかわないことを、
よむひとにしってもうらうには、
キーボードで入力するのがてっとりばやい。
文章の内容で勝負しようとしても、デジタルでないと
かきなおしができないし、最低限の漢字がでてこない。
手がきの文字をありがたがる風潮が、
いいかげんなくなればいいのに。
2020年08月06日
2020年05月13日
「ゴキブリに悪化」ときこえた「5期ぶりに悪化」
ラジオをきいていたら
「ゴキブリに悪化」といっていた。
え、ゴキブリ?
「五期ぶりに悪化」だった。
経済のはなしなのに、完全に「ゴキブリ」ときこえる。
まちがってつたわらないためには、
どういいかえたらいいだろうか。
経済における一期が3ヶ月なら、
「一年3ヶ月ぶりに悪化」としたら
「ゴキブリ」にはならない。
これでは経済のニュースらしくないけど、
ゴキブリにきこえるよりいいとおもうけど。
「ゴキブリに悪化」ときこえるのは、
日本語の問題点なのではなく、
いいかえによって、いくらでもふせげる現象だ。
「クールジャパン」(NHK)で文字をとりあげていた。
スタジオにあつまった外国人ゲストは、
日本語の文字がだいすきなようで、
とくにカタカナは人気がたかかった。
日本語のなかに、漢字・ひらかな・カタカナと、
3種類の文字があるのをどうおもうか
鴻上さんがたずねると、みんな肯定的にとらえている。
漢字には、ふかい意味がこめられていてクールなのだという。
中国人のゲストでさえ、日本の漢字はうつくしいといっていた。
中国語の漢字は、漢字を簡略化しているので、
日本の漢字のほうに魅力をかんじるそうだ。
わたしは漢字をできるだけつかいたくない人間なので、
日本語ならではのうつくしさ、みたいにいわれると おもしろくない。
外国人からみると、漢字はかっこいい模様かもしれないけど、
身につけるのがどれだけたいへんかという体験も はなしてほしかった。
ひらかなとカタカナで100ちかくの文字、さらにそのうえに、
最低でも2000ちかくの漢字をおぼえなければ 本や新聞がよめない。
漢字には、音よみと訓よみがあり、
ひとつの漢字がなんとおりにもよめてしまうのは、
勉強する側にとって さぞかしたいへんだったのでは。
日本語の、クールでない面についても意見をききたかった。
もっとも、番組のテーマは「文字」だったので、
文字の魅力に注目するのは自然なながれだろう。
またべつの機会に日本語の問題点をとりあげてもらいたい。
「ゴキブリに悪化」といっていた。
え、ゴキブリ?
「五期ぶりに悪化」だった。
経済のはなしなのに、完全に「ゴキブリ」ときこえる。
まちがってつたわらないためには、
どういいかえたらいいだろうか。
経済における一期が3ヶ月なら、
「一年3ヶ月ぶりに悪化」としたら
「ゴキブリ」にはならない。
これでは経済のニュースらしくないけど、
ゴキブリにきこえるよりいいとおもうけど。
「ゴキブリに悪化」ときこえるのは、
日本語の問題点なのではなく、
いいかえによって、いくらでもふせげる現象だ。
「クールジャパン」(NHK)で文字をとりあげていた。
スタジオにあつまった外国人ゲストは、
日本語の文字がだいすきなようで、
とくにカタカナは人気がたかかった。
日本語のなかに、漢字・ひらかな・カタカナと、
3種類の文字があるのをどうおもうか
鴻上さんがたずねると、みんな肯定的にとらえている。
漢字には、ふかい意味がこめられていてクールなのだという。
中国人のゲストでさえ、日本の漢字はうつくしいといっていた。
中国語の漢字は、漢字を簡略化しているので、
日本の漢字のほうに魅力をかんじるそうだ。
わたしは漢字をできるだけつかいたくない人間なので、
日本語ならではのうつくしさ、みたいにいわれると おもしろくない。
外国人からみると、漢字はかっこいい模様かもしれないけど、
身につけるのがどれだけたいへんかという体験も はなしてほしかった。
ひらかなとカタカナで100ちかくの文字、さらにそのうえに、
最低でも2000ちかくの漢字をおぼえなければ 本や新聞がよめない。
漢字には、音よみと訓よみがあり、
ひとつの漢字がなんとおりにもよめてしまうのは、
勉強する側にとって さぞかしたいへんだったのでは。
日本語の、クールでない面についても意見をききたかった。
もっとも、番組のテーマは「文字」だったので、
文字の魅力に注目するのは自然なながれだろう。
またべつの機会に日本語の問題点をとりあげてもらいたい。
2019年11月16日
ことばの話題を3つ「やさしい日本語」「ひらがなでもわからない歩行者」「英語の濫用」
きょうの朝日新聞に、ことばがらみの話題がいくつかのっていた。
・英語じゃなくて やさしい日本語
・「ほこうしゃ」ひらがなでも分からない
・英語の濫用(1927年の投稿)
「英語じゃなくて やさしい日本語」は、
社内公用語として、英語ではなく
「やさしい日本語」にするうごきを紹介している。
メルカリのオフィスでは、日本人4人とドイツ人1人による
エンジニアのチームがあつまって、
日本人社員むけの「やさしい日本語」講座がひらかれていた。
ではつたわりにくいけど、
とすればわかりやすい。
「一つの文を短く、はっきり最後まで言う。
あいまいな表現や敬語は使わない。
擬態語や擬音語もわかりにくい」
今年7月には「やさしい英語」の講座もはじまったそうで、
「ネイティブも言い回しを工夫して歩み寄れたら、
コミュニケーションしやすくなる」
2つめの
「『ほこうしゃ』ひらがなでも分からない」は、
「街のB級言葉図鑑」という連載にのっていた。
町をあるいていて、ちょっと気になったことばづかいを
毎週とりあげて紹介する欄だ。
かいているのは国語辞典編纂者の飯野浩明さん。
建設現場の看板に
「はいっちゃだめ」とおおきくかいてあったそうで、
「立入禁止」よりも、子どもに理解しやすい表現、
と評価している。
その横には「じてんしゃ 自転車」「ほこうしゃ 歩行者」とあり、
それぞれX印がついており、
「じてんしゃ」は漢字のよめない子どもにもわかるけど、
「ほこうしゃ」は、たとえひらがなでも、わからない。
というのが飯野さんの提案だ。
こうした「やさしい日本語」をつかうと
子どもだけでなく、英語がつかえない外国人にもわかりく、
災害時にも おおくのひとに理解されやすい、
と「やさしい日本語」のとりくみを紹介している。
「歩行者」ということばは、
日本語能力試験のN1(最もハイレベル)にもでてこないそうで、
そういえば、日常会話のなかで「歩行者」なんてつかわない。
「歩行者」とよぶのは、テレビのニュースぐらいかもしれない。
飯野さんは、「表現を変えた方がよさそうですね」としているけど、
どんないいかたをしたら つうじやすいだろう。
「あるくひと」よりも「ひと」のほうがすっきりするかもしれない。
3つめの
「英語の濫用」は、過去の投稿を紹介する
「あの日 あの時」の欄にのっていた。
1927年の投稿というから、92年まえによせられた意見だ。
100%賛成だ。
・英語じゃなくて やさしい日本語
・「ほこうしゃ」ひらがなでも分からない
・英語の濫用(1927年の投稿)
「英語じゃなくて やさしい日本語」は、
社内公用語として、英語ではなく
「やさしい日本語」にするうごきを紹介している。
メルカリのオフィスでは、日本人4人とドイツ人1人による
エンジニアのチームがあつまって、
日本人社員むけの「やさしい日本語」講座がひらかれていた。
以前お知らせさせていただいたXの件なんですけど、締め切りはまだだったと思うんですが、お手数おかかしてしまいますが、今週中までとさせていただけたら助かるなーと思っています
ではつたわりにくいけど、
お願いがあります。Xの件ですが、締め切りの日を変えたいです。◯月◯日までと言いましたが、新しいい締め切りの日は◯月◯日です。予定が変わってすみません。でもちょっと急ぎたいです
とすればわかりやすい。
「一つの文を短く、はっきり最後まで言う。
あいまいな表現や敬語は使わない。
擬態語や擬音語もわかりにくい」
今年7月には「やさしい英語」の講座もはじまったそうで、
「ネイティブも言い回しを工夫して歩み寄れたら、
コミュニケーションしやすくなる」
メルカリでは英語を社内公用語にする予定はない。「目的は社内コミュニケーションの質を上げることであり、言語の習得ではない」(LETマネージャーのマーク・アンダーソンさん)。全員が意見を言いやすい環境をつくるために、英語だけ、日本語だけでの会議は推奨していないという。
2つめの
「『ほこうしゃ』ひらがなでも分からない」は、
「街のB級言葉図鑑」という連載にのっていた。
町をあるいていて、ちょっと気になったことばづかいを
毎週とりあげて紹介する欄だ。
かいているのは国語辞典編纂者の飯野浩明さん。
建設現場の看板に
「はいっちゃだめ」とおおきくかいてあったそうで、
「立入禁止」よりも、子どもに理解しやすい表現、
と評価している。
その横には「じてんしゃ 自転車」「ほこうしゃ 歩行者」とあり、
それぞれX印がついており、
「じてんしゃ」は漢字のよめない子どもにもわかるけど、
「ほこうしゃ」は、たとえひらがなでも、わからない。
「はいっちゃだめ ひとも じてんしゃも」としてはどうかな
というのが飯野さんの提案だ。
こうした「やさしい日本語」をつかうと
子どもだけでなく、英語がつかえない外国人にもわかりく、
災害時にも おおくのひとに理解されやすい、
と「やさしい日本語」のとりくみを紹介している。
「歩行者」ということばは、
日本語能力試験のN1(最もハイレベル)にもでてこないそうで、
そういえば、日常会話のなかで「歩行者」なんてつかわない。
「歩行者」とよぶのは、テレビのニュースぐらいかもしれない。
飯野さんは、「表現を変えた方がよさそうですね」としているけど、
どんないいかたをしたら つうじやすいだろう。
「あるくひと」よりも「ひと」のほうがすっきりするかもしれない。
3つめの
「英語の濫用」は、過去の投稿を紹介する
「あの日 あの時」の欄にのっていた。
1927年の投稿というから、92年まえによせられた意見だ。
英語の学校でも何でもない一般人の講堂に、W・Cと書いた掲示をかける人の心持(こころもち)がわからない。先日赤十字病院の講堂に行って見ると、やはりさういう掲示板があった。赤十字と英語との関係如何。あの建物にはこのふ号のわからぬ人は来まいといふ自信でもあるのか。(中略)西洋風建築だから英語といふのならやはりまちがつて居る。W・Cを書かせた人々の説明をこふ。
100%賛成だ。
2019年07月29日
「ローマ字 何のため?」漢字かなまじりをすてられなかった日本
きょうの朝日新聞に、「ローマ字 何のため?」という記事がのった。
ローマ字が、日本にはいってきた歴史的な経緯や、
ヘボン式と訓令式のローマ字があると説明している。
ローマ字運動についてもふれており、そのなかに、
と梅棹さんの名前があがっている。
漢字かなまじりの日本語はタイプライターにのらなかったけど、
ワープロとパソコンの出現により、
日本語が機械であつかえるようになったと、
一般的にはうけとめられている。
しかし梅棹さんは、新聞の記事にもあるとおり、
情報をあつかうときの能率を問題にかんがえていた。
ワープロにより、日本語が機械であつかえるようになったというけど、
問題をさきおくりしただけ、というのが梅棹さんのとらえ方だ。
というみかたをしている。
ワープロがつかわれるようになって40年がすぎ、
パソコンで日本語をかくのも
いまではだれもがあたりまえの環境としている。
しかし、梅棹さんが問題視していた効率性については、
これから日本のおくれがあきらかになるのではないか。
NHKの「クールジャパン」をみていたら、
スタジオにきていたシステムエンジニアの男性(ロシア人)が、
日本は情報化におくれており、
あと10年で ほかの国と そうとう差がつくのでは、とはなしていた。
情報の最前線にたつひとたちは、
漢字かなまじり文をすてずにきた日本文明を
どうとらえているのだろう。
けさの記事にはなしをもどすと、
デーブ=スペクターさんが「文字を選べるぜいたく」として、
コメントをよせている。
よく耳にするとらえ方であり、おおくの賛成をあつめそうだ。
スペクターさんがいみじくも「ぜいたく」といっているように、
4つの表記をまじえるのは、優雅で繊細な文化かもしれない。
しかし、そのぜいたくに こだわっているうちに、
情報化の競争からおいてきぼりされてもいいのか、
というのが梅棹さんの問題意識だ。
あと10年で、日本と諸外国は、どれだけの差がついているだろうか。
ローマ字が、日本にはいってきた歴史的な経緯や、
ヘボン式と訓令式のローマ字があると説明している。
ローマ字運動についてもふれており、そのなかに、
民族学者の梅棹忠夫は漢字より伝達能率が高いとして「日本語のローマ字化」が持論だった。
と梅棹さんの名前があがっている。
漢字かなまじりの日本語はタイプライターにのらなかったけど、
ワープロとパソコンの出現により、
日本語が機械であつかえるようになったと、
一般的にはうけとめられている。
しかし梅棹さんは、新聞の記事にもあるとおり、
情報をあつかうときの能率を問題にかんがえていた。
ワープロにより、日本語が機械であつかえるようになったというけど、
問題をさきおくりしただけ、というのが梅棹さんのとらえ方だ。
ヨーロッパやアメリカにおけるローマ字がきの諸言語にくらべると、効率性において比較にならないほどおとっている。(中略)いままでのところは、この漢字かなまじりという不合理きわまるシステムでなんとかつじつまをあわせてきたが、21世紀の文明をかんがえると、これで情報の質と量において競争に勝つのはむつかしいであろう。(「情報時代と日本語のローマ字化」1995.1.4 朝日新聞に掲載)
というみかたをしている。
ワープロがつかわれるようになって40年がすぎ、
パソコンで日本語をかくのも
いまではだれもがあたりまえの環境としている。
しかし、梅棹さんが問題視していた効率性については、
これから日本のおくれがあきらかになるのではないか。
NHKの「クールジャパン」をみていたら、
スタジオにきていたシステムエンジニアの男性(ロシア人)が、
日本は情報化におくれており、
あと10年で ほかの国と そうとう差がつくのでは、とはなしていた。
情報の最前線にたつひとたちは、
漢字かなまじり文をすてずにきた日本文明を
どうとらえているのだろう。
けさの記事にはなしをもどすと、
デーブ=スペクターさんが「文字を選べるぜいたく」として、
コメントをよせている。
日本の文字がローマ字だけにならなくてよかったですよ。だって、味気ないでしょう。日本では漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字と四つもあって、選べる。
よく耳にするとらえ方であり、おおくの賛成をあつめそうだ。
スペクターさんがいみじくも「ぜいたく」といっているように、
4つの表記をまじえるのは、優雅で繊細な文化かもしれない。
しかし、そのぜいたくに こだわっているうちに、
情報化の競争からおいてきぼりされてもいいのか、
というのが梅棹さんの問題意識だ。
あと10年で、日本と諸外国は、どれだけの差がついているだろうか。
タグ:梅棹忠夫
2019年05月30日
「ひらがな・カタカナ・ニュース」と新美 南吉さんの「でんでんむしの かなしみ」
ネットでなにかを検索したとき、
「ひらがな・カタカナ・ニュース」にであった。
「ネコ の せいで テニスの しあいが ストップ」
という記事だ。
https://www.trt.net.tr/japanese/supotu/2018/05/21/hiraganakatakananiyusu-nekono-seide-tenisuno-siaiga-sutotupu-975875
浅野涼子という方が、日本語学習者と、
日本語教育をしているひとにむけ、
教材として提供しているニュースらしい。
タイトルどおり、記事はひらがなとカタカナだけでかかれている。
これまで、このようなニュースの存在を わたしはしらなかった。
わたしは、あまり漢字をしらないひとにでもよんでもらえるように、
できるだけ漢字をつかわないで文章をかこうとしている。
「ひらがな・カタカナ・ニュース」は、
どれくらいのひとによまれているだろう。
漢字をつかわない記事は、
日本語学習者に どううけとめられているのか。
ところで、上の記事は、
文章のかたまりが「名刺+助詞」となっている。
わかちがきをするとき、どこで 文章をきるのかは
あんがいやっかいな問題だ。
「テニス の」とするか、「テニスの」とするか、
統一性をもたせるのはかんたんではない。
ネコの記事は、名詞と助詞をつづけているけど、
1年後にかかれたべつの記事では、助詞をわけている。
どういう基準でかきわけているのか わたしにはわからない。
わたしのしりあいが、わたしの文章はよみにくいといって、
たてがきでかかれた ひらがなだけの文章をおくってきた。
新美 南吉さんのかかれた
「でんでんむしの かなしみ」という詩で、
ひらがなだけなのに、たしかによみやすい。
よこがきと、たてがきのちがいかもしれないと、
おなじ詩をよこがきにしたら、かわらずよみやすかったので、
新美 南吉さんのことばえらびがすぐれているのだろう。
浅野涼子さんのかかれたネコの記事とくらべると、
新美 南吉さんの文章のほうがよみやすい。
浅野さんの記事は、日本語学習者にむけてかかれた
いわゆる「やさしい日本語」のせいかもしれないけど、
新美 南吉さんの詩だって、
かんたんなことばをえらんでかかれている。
漢字をつかわなくても、これだけよみやすくかける ひとつの例だ。
「ひらがな・カタカナ・ニュース」にであった。
「ネコ の せいで テニスの しあいが ストップ」
という記事だ。
https://www.trt.net.tr/japanese/supotu/2018/05/21/hiraganakatakananiyusu-nekono-seide-tenisuno-siaiga-sutotupu-975875
浅野涼子という方が、日本語学習者と、
日本語教育をしているひとにむけ、
教材として提供しているニュースらしい。
5がつ11にちから はつか(20日)まで、 イタリアの ローマで テニスの イタリアこくさい(Internazionali d'Italia)が ありましたが、 そこで とても おもしろい じけんが ありました。
タイトルどおり、記事はひらがなとカタカナだけでかかれている。
これまで、このようなニュースの存在を わたしはしらなかった。
わたしは、あまり漢字をしらないひとにでもよんでもらえるように、
できるだけ漢字をつかわないで文章をかこうとしている。
「ひらがな・カタカナ・ニュース」は、
どれくらいのひとによまれているだろう。
漢字をつかわない記事は、
日本語学習者に どううけとめられているのか。
ところで、上の記事は、
文章のかたまりが「名刺+助詞」となっている。
わかちがきをするとき、どこで 文章をきるのかは
あんがいやっかいな問題だ。
「テニス の」とするか、「テニスの」とするか、
統一性をもたせるのはかんたんではない。
ネコの記事は、名詞と助詞をつづけているけど、
1年後にかかれたべつの記事では、助詞をわけている。
ぜんごうオープンテニス(オーストラリア・オープンテニス) の じょしシングルス の けっしょう が 1がつ 26にち に オーストラリア の メルボルン で ありました。
どういう基準でかきわけているのか わたしにはわからない。
わたしのしりあいが、わたしの文章はよみにくいといって、
たてがきでかかれた ひらがなだけの文章をおくってきた。
新美 南吉さんのかかれた
「でんでんむしの かなしみ」という詩で、
ひらがなだけなのに、たしかによみやすい。
よこがきと、たてがきのちがいかもしれないと、
おなじ詩をよこがきにしたら、かわらずよみやすかったので、
新美 南吉さんのことばえらびがすぐれているのだろう。
いっぴきの でんでんむしが ありました。
ある ひ その でんでんむしは たいへんな ことに きが つきました。
「わたしは いままで うっかりして いたけれど、わたしの せなかの からの なかには かなしみが いっぱい つまって いるでは ないか」
新美 南吉「でんでんむしの かなしみ」より
浅野涼子さんのかかれたネコの記事とくらべると、
新美 南吉さんの文章のほうがよみやすい。
浅野さんの記事は、日本語学習者にむけてかかれた
いわゆる「やさしい日本語」のせいかもしれないけど、
新美 南吉さんの詩だって、
かんたんなことばをえらんでかかれている。
漢字をつかわなくても、これだけよみやすくかける ひとつの例だ。