2019年05月22日

ローマ字でも、姓・名の順で名前をかくのはあたりまえ

けさの朝日新聞に、
「ローマ字も『姓・名』順」の記事がのった。
日本人の名前をローマ字で書く際は姓・名の順が望ましい。日本語を所管する文化庁が近く、官公庁や都道府県、大学や報道機関などにそう呼びかける。

世のなかには理解にくるしむ習慣がいくつもある。
学校給食で主食がごはんのときでも
牛乳がかならずついてくるとか、
安全じゃないのがわかっていながら
原子力発電をつづけるとか。
外国語で名前をかくときに、姓と名をひっくりかえすのも、
まえからなじめなかった。
よくいわれるように、中国人が英語をはなすときは
英語むけにひっくりかえさないというし、
アメリカ人が中国人をよぶときにも、
中国人のよびかたをそのままつかう。
なにがかなしくて、日本人だけが外国語でなのるときに、
ひっくりかえして名・姓にしなければならないのか。

ヘボン式のローマ字をつかうのもへんだ。
ローマ字表記は、アルファベットをつかって日本語をかくのだから、
アメリカ人にとっての発音しやすさを、
日本人にとっての便利さよりも 優先させるほうがどうかしている。
日本人がかきやすいのは日本式ローマ字のほうで、
たとえば「た行」をヘボン式でかくと
ta chi tsu te to
日本式では
ta ti tu te to
となり、どちらがかきやすいかはあきらかだ。
おおくのひとが、パソコンでローマ字入力をするときには
日本式をつかっているのではないか。
ローマ字で日本語をかくときに、
なんでわざわざヘボン式をえらぶのか 不思議でならない。

外国語で名前をなのるとき、
姓・名の順なのはあたりまえであり、
そうでなかったこれまでがおかしいのだ。
つぎの段階では、ヘボン式ローマ字を
日本式へと みなおすうごきに期待したい。
東京オリンピックにやってくるのは
英語を母語とするひとばかりではない。
ひとつのことばの発音だけを優先させるのは
それ以外のことばをつかうひとにとって不親切となる。

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2019年05月13日

外国名から「ヴ」がきえた

外国名から「ヴ」がきえた、と
せんじつの新聞にのっていた。
外務省がつかう国名の基準がかわったためだという。
西アフリカの島国「カーボヴェルデ」は「カーボベルデ」に、中南米の島国「セントクリストファー・ネーヴィス」は「〜ネービス」になります。

 現代では、日本語を母語とする人は「ヴァ・ヴィ・ヴ・ヴェ・ヴォ」と「バ・ビ・ブ・ベ・ボ」とを区別して発音する場合はほとんどありません。例えば「ベートーベン」を「ベートーヴェン」と表記しても、通常は「ヴェ」の発音を1拍目の「べ」とことさらに区別しないはずです。

シンプルな表記をこのむわたしにとって、
とてもいいしらせなのだけど、
国名から「ヴ」がきえたからといって、
まだ安心できない。
文章のなかには、たくさんの「ヴ」がつかわれている。
たとえば、バイオリンではなく「ヴァイオリン」。
「ヴ」をつかいたがるひとは、
文章をかくときに、漢字をたくさんつかって、
かっこつけたいタイプのひとではないか。
日本語にヴァ行はないのだから、
文字としても意味不明だし、
はなす場合に「ヴァ・ヴィ・ヴ・ヴェ・ヴォ」を
つかいわけられないし、
きくときにも、ききわけられない。
これまで「ヴァ・ヴィ・ヴ・ヴェ・ヴォ」をつかってたのが
不思議なくらいだ。
たとえ「ベートーベン」の「ベン」を、
したくちびるをかみながら「ヴェン」と発音されても、
きくほうに、そのちがいをききわける耳がない。

「ヴァ・ヴィ・ヴ・ヴェ・ヴォ」をつかいたいのは、
そのほうがよりもっともらしい、
という意識があるからではないか。
バイオリンよりヴァイオリンとしたほうが、
ありがたくて格調たかくきこえるというかんちがい。
わたしたちがつかっているのは外国語ではなく、
日本語ということをわすれている。

「ヴ」をなくしたいきおいにのって、
「F」をつかった「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」も
なくせないだろうか。
でも、こっちは「ヴァ・ヴィ・ヴ・ヴェ・ヴォ」よりも
しぶとくいきつづけるかもしれない。
「ファイト」とか、「カフェ」とか、
日本語になじんでることばがおおいから。
個人的には、「カフェ」よりも「カヘ」といわれたほうが、
色気があるような気がするけど。
とくに女性が「カヘ」とやさしくささやくと、
なんだか京ことばをきいてるみたいで いいかんじだ。

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2019年04月10日

どうかいてもだいたいオッケーな「令」という字

あたらしい元号となった「令和」。
「令」という字をあらためてよくみると、
そういえば、いままでどうやって
「令」をかいていたのかわからなくなってきた。
活字と手がきでは、ずいぶんちがう形なのに、
手がきでは、たとえば、ラとマをあわせたような
大胆なくずし方でもまかりとおっている。
わたしもこれまでテキトーに、なんとなく、
それっぽい形をかいて ごまかしてきた。
そして、それがまちがいでなかったことを 新聞の記事でしる。

先日の朝日新聞に、「手書き文字の字形の例」として、
いくつかの「令」があげてあった。
手がきによる、いくとおりの「ゆれ」を
どれもみとめる、という内容だ。

手書き文字と印刷文字の表し方には、習慣の違いがあり、一方だけが正しいのではない
字の細分に違いがあっても、その漢字の骨組みが同じであれば、誤っているとはみなされない
(文化審議会国語分科会が2016年にまとめた指針より)

いずれの「令」も「正しい」のだそうだ。
やねの下は、かなりいいかげんにかきなぐっても、
「令」とよんでもらえるらしい。

以前このブログの記事に
「とめてもはねてもどちらも正解」
をかいた。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/434791874.html
ただしいかき順や、とめ・はねを大事にするひとがいる。
そうやってこだわりたいひとは、どうぞご自由に。
現実的には、だいたいそれらしい形をしていたら、
それでかまいません、という方針が 文化審議会からしめされた。
「保」は「ホ」なのか「木」なのか。
「女」の「ノ」は「一」からすこしでているのかどうか。
「吉」のうえの部分は「土」なのか「士」なのか。
「天」の「二」の部分は、上がみじかいのかどうか。
それらをぜんぶ「あやまりではない」とみとめてくれた。

こうやって、漢字からどんどん骨がぬかれ、
いいかげんになっていくのがわたしはたのしい。
もともと元号をつかいたくないわたしは、
「令」が ひたすらいいかげんにかかれ、
もとの形から おもいっきりはなれていくよう のぞんでいる。

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2019年01月24日

「ワープロ誕生40年」の記事におもうこと

けさの朝日新聞に、「ワープロ誕生40年」という記事がのった。
副題は、「漢字制限論捨てさせた発明」となっている。
明治時代には、漢字をつかっているから、
日本はおくれているんだ、という説をとなえるひとたちがいて、
英語やフランス語を公用語に、
という うごきさえあったと紹介されている。
また、外国語をもちこむのではなく、漢字をすくなくつかおう、
というかんがえ方もあったと、
漢字制限の歴史がざっとまとめられている。
以前あった当用漢字とは、
将来的には漢字をつかわない方向にすすめるけど、
きゅうに廃止するのではなく、
「当面はこれぐらいの制限でやっていこう」
という意味だったそうだ。

そうしたながれをかえたのが技術革新だったと、
この記事をかいた山脇岳志氏は ワープロの登場にふれている。
日本人は、繊細な日本語を使い、世界を相対化しながら、美的感覚や独自の文化を磨いてきた。ものづくりにもその感覚は生かされてきただろう。
 40年前の武骨なワープロを眺めながら、多くの漢字が生き残ってよかった、とつくづく思った。

と山脇氏はむすんでいる。
見解の相違としかいいようがない。
なぜ「多くの漢字が生き残ってよかった」
という結論になるのか、なんどよんでもわからない。
日本語だけが繊細な言語なのか。
ほかのことばをつかうひとたちは、
繊細なことばをつかっていないのか。

わたしは、漢字制限について、
梅棹忠夫さんのかんがえ方につよい影響をうけ、
できるだけ漢字をつかわずに 日本語をかこうとしている。
漢字にたよらなくても、文章はかける。
日本語を勉強するとは、ほとんどそのまま
漢字をおぼえることであり、
日本語を勉強する外国人にたかいハードルとなっている。
そして、なによりも日本語をまなびはじめる小学生は、
漢字練習におおくの時間をうばわれ、文章のかき方について、
ごくかんたんにしかおそわらない。
これらの問題点を、梅棹さんはくりかえし指摘している。

漢字は、遺産かもしれないけど、負債でもある。
漢字をたくさんのこしたことにより、
日本語をあやつるようになるには
そうとうな時間をかけて、漢字をおぼえる必要がある。
漢字は、日本の文化かもしれないけど、
漢字だけが日本の文化ではない。
ワープロやパソコンによって、
だれもがかんたんにむつかしい漢字をつかえるようになり、
かえって問題はさきおくりされた、というとらえ方もある。
漢字をつかわなければ、
繊細な表現ができないというかんがえ方に、
わたしにはいつも反発をかんじてしまう。

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2018年09月15日

すきなひらがなランキング

朝日新聞の土曜日版beに、
「好きなひらがな」ランキングがのっていた。
1位は「あ」で、以下「ゆ」「み」「な」とつづく。最下位は「に」。

デイリーポータルZでも
100人にきく「推しひらがな総選挙」が実施されている。
http://portal.nifty.com/kiji/170929200803_1.htm
結果はbeのアンケートとあまりかさなってない。
ちなみに、おなじデイリーポータルZの記事で
「外国人に『推しひらがな』を聞く」では、
http://portal.nifty.com/kiji/170925200754_1.htm
「ゆ」が1位で、2位が「ふ」だった。

beの記事には、アンケートによせられた回答に、
市町村合併などで増えたひらがなの新地名に対しての異論が噴出した。

とある。
すきなひらがなをたずねられているのに、
ひらがなに文句をいったり、漢字のよさを主張するなんて、
なにをかんがえているんだ。
漢字ずきのひとは、これだからめんどくさい。

わたしの文章は、漢字がすくないので、
自然とひらがながおおくなる。
ひらがながすき、というよりも、
なるべく漢字をつかいたくない方針にすぎず、
とくにすきなひらがなはない。
いちばんすきなひらがなは?
なんてかんがえたこともなかった。

わたしが漢字をつかいたくないのは、梅棹忠夫さんの影響だ。
梅棹さんは、論文でも漢字のすくない文章をかく。
有名な『文明の生態史観』は、
トインビーという人がやってきた。歴史家として、たいへんえらい人だということだ。その著書は、いくつか翻訳がでているので、わたしも、そのうちの二つをよんだ。

というかきだしではじまっている。
梅棹さんのおかげで、漢字がすくなくても
それはそれで、ちゃんとした日本語なのだと
自信をもってひらがなのおおい文章がかける。

梅棹さんがひらがながきのタイプライターをつかっていたとき、
フォントにも気をくばっていた。
一般によくつかわている明朝体は、ひらがなにあわないとかんがえ、
もっとまるまったフォントを発注している。
ひらがなにあわせたフォントでかかれた日本語は、
ほんとうにうつくしい。

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