2016年03月10日

とめてもはねてもどちらも正解

3月1日の朝日新聞で、
文化審議会が常用漢字についてしめした
「とめてもはねても」どちらも正解という
指針が紹介されていた。

「保」は「ホ」なのか「木」なのか。
「女」の「ノ」は「一」からすこしでているのかどうか。
「吉」のうえの部分は「土」なのか「士」なのか。
「天」の「二」の部分は、上がみじかいのかどうか。

それらをぜんぶ「あやまりではない」とみとめてくれた。
とめる・はねるの わずかなちがいについて、
伝統を理由に きびしい基準をもうけるのは
いまの時代になじまない。
筆をつかってかいていた時代には、
とめたり・はねたりに意味があったかもしれないけど、
パソコンなどの画面にあらわれる文字や、
印刷された文字について、
いつまでも こまかな点にこだわるほうがどうかしている。
でも、「どうかしている」なんて おおっぴらにいえば
「とても大切」だとおもっているひとたちに さしさわりがあるので、
「どちらでもいい」というあいまいなままにしたのが
わたしはすばらしいとおもう。

「とめ・はね・はらいはどうでもいいといっているのではない」と、
とめ・はねを大切にしているひとたちの顔をたてながら、
実質的には「どうでもいい」といっている。
「どちらも正解」がだいじだ。
いっぺんに「どうでもいい」とするのではなく、
「どちらも正解」としておけば、
つかううちにおちついてくる。
なしくずし的に「なんでもあり」になればおもしろい。

これからますます手で漢字をかく場面は
すくなくなるだろう。
しばりがはずれたのだから、
どんどんあいまいで いいかげんな「はね」や「とめ」になり、
くっついたり はなれたり へんなおおきさになってゆく。
活字になんとなくようすがにていれば、
それでOKなのだから、外国人のかく漢字みたいに
日本人からみると とんでもない字でも 文句はいえない。
「どちらも正解」は、画期的な指針になりそうだ。

posted by カルピス at 22:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 表記法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月12日

なにが「in」だ

「〜 in ◯◯」というイベント名が なんとかならないものか。
たとえば「つなひき日本選手権大会 in 島根」。
日本語のなかに英語をまぜる神経がわからない。
「The 漫才」の The はジョークだけど、
「in 島根」には あそびごころがない。本気だ。
こんなばかげたいい方は、
すぐにすたれるだろうとおもっていたのに、
もうずいぶんながいことつかわれている。
すっかりイベント名として定着したのかもしれない。

「デイリーポータルZ」にのった江ノ島さんの記事、
「指についたポテトチップスでどれがうまいのか選手権in実家」は、
http://portal.nifty.com/kiji/151110195016_1.htm
うまいタイトルなので感心した。
これくらい害のないつかい方だと「in」もわるくないとおもう。
江ノ島さんは、「in」のはずかしさを理解しているのだろう。
「in」にふさわしいのは、ごくちいさなあつまりだ。

ラジオをきいていると、曲を紹介するときに
このごろよく「楽曲」ということばを耳にする。
なんだ「楽曲」って。
なんか気どってないか?
「曲」ではなんでいけないんだろう。

「〜すぎる」も気になる。
「うつくしすぎる◯◯」とか。
自分はつかうまいといましめる。

posted by カルピス at 14:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 表記法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月03日

意味がわからない『éclat』をなぜつかうのか

新聞に女性雑誌『éclat』の広告がのっていた。
「é」はアクサン=テギュで
いかにもフランス語っぽいかんじだ。
しかし、『éclat』をどうよめばいいのか、
『éclat』とかいてあるだけではわからない。

わからないから、タイトルのわきに[エクラ]と日本語でよみがかいてある。
それなら最初から『éclat』なんて気どらずに『エクラ』でいいのに。
でも、『エクラ』したところで、けっきょく意味はわからない。
漱石にでてくる高等遊民ならわかるかもしれないが、
現代人のおおくはわからない(とおもう)。
辞書でしらべると、「輝き;(色の)鮮やかさ」の意味なのだそうだ。
わからないのに『éclat』と雑誌名につけたくなる心理はなにか。

『éclat』の意味はわからないけど、
では『STORY』なら大丈夫かというと、やっぱりわからない。
『Domani』だってよめても意味はわからない。
イメージが大切なのであり、
ことばの意味にたいしておもきをおいていないからだろう。
それにしても『éclat』はそうとうなものだ。
そこまで日本人はフランスにいかれているのか。

ところがそうではなかった。
女性誌のタイトルをかきだしてみると、
小学館が『Domani』『Oggi』『Precious』など、
集英社はさきにあげた『éclat』に『Marisol』・・・。ものすごいかずだ。
リストをながめるだけで、
わたしは自分のしていることのおろかしさをさとる。
世間では膨大な数の女性誌が出版されており、
そのほとんどが外国語のタイトルで、
たいていは意味がわからない。
いまさら『éclat』におどろいているわたしが世間しらずだったのだ。
アクサン=テギュまでもちだして
外国語、とくにフランス語であることをひけらかしているのは
『éclat』ぐらいかもしれないが、
基本的に女性誌のタイトルは魑魅魍魎の世界だ。

では男性誌のタイトルはというと、
しらべるとこれもまたほとんどが外国語で、
よめないし、意味もわからない。
わたしが『éclat』のアクサン=テギュにおどろいてみせたのは、
たんなるやつあたりにすぎないようで、
世間にあるタイトルは、男女をとわず 意味不明の記号にあふれていた。
タイトルに意味をもとめるなんて きわめつけのヤボみたいだ。
わたしは はっきりと自分の敗北をさとる。
日本人は外国語コンプレックスなどものともせず、
自由に外国語のタイトルをつかいこんでいる。
つかいたいことばを雑誌名にえらんで どこがわるいのか。

こうなってくると、
こんどはわたしが『éclat』をやっていないか心配になってきた。
意味をわかっていないくせに、イメージだけでものをいってないか。
ひとがつかうことばだけきびしくチェックしておいて、
自分はテキトーにながしていたら すごくかっこわるい。

NHK-BSのニュース番組をみていたら、
司会者のまえに板(しゃれた名前があるのだろうけど、でも板)がおいてあり、
「Global Debate Wisdam
グローバル ディベート ウィズダム」
とかかれていた。
英語でタイトルをつけ、そのしたにふりがなをうつ。
ぜんぜんグローバルな態度ではない。
よめないのならつかわなければいいのに、とこりずに批判する。
これは正統なやつあたりだとおもうけど、どうなのだろう。
女性誌のタイトルとおなじ現象のような、そうでないような。

posted by カルピス at 11:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 表記法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月28日

たまごをめぐる表記法

すこしまえの朝日新聞で、「たまご」をどうかくかが紹介されていた。

NHK放送文化研究所の調査によると、
「生卵」「玉子焼き」と、漢字でつかいわけるひとが55%もいて、
わかい世代ほどその傾向がつよいということだ。
生物学的な意味でつかうときは「卵」で、
食材の場合は「玉子」、というつかいわけであり、
わりと一般的におこなわれているようだ。

日本語の奥ぶかさとして、
こういうつかいわけをたのしむぶんにはいいけれど、
どっちがただしいか、なんていいだすとややこしくなる。
はなし言葉ではこのふたつをつかいわけられないし、
「卵」や「玉子」を外国語に訳せば、
そのニュアンスはこぼれおちる。
こぼれても、たいしたことない、とわたしはおもっている。
わかい世代ほど「卵」と「玉子」をつかいわけているのは、
これから複雑な表記をこのむひとがふえるようで、
わたしにとってあまりたのしい状況ではない。

つかうひとの自由にまかせるしかない、とわたしはおもう。
けっきょく漢字があるばかりに
こうした問題が生まれてくるのだ。
漢字のつかい方にきまりがないのだから、
「卵」「玉子」のどっちがただしいかをいいだしても正解はきめられない。
テレビ局や新聞社は、それぞれの会社が自分たちマニュアルをもっているそうで、
たいへんだろうし、ご苦労さまだとおもう。
「たまご」にきめたら それですむはなしだけど、
なかなかそういうわけにはいかないのだろう。

漢字をつかわない表記法をとれば、
どんな場合も「たまご」ですむのだからなにも問題はない。
「卵」あるいは「玉子」をつかいわけたいひとはどうぞご自由に。
そして、つかうのは自由だけど、つかわない自由もみとめてほしい。

ネットをみるうちに、
「クルミノ コーボー」(しばざき・あきのり氏)のサイトにであった。
なかでも「ことばと文字についてのおぼえがき」がおもしろい。

あることばを漢字でかくのかひらがなでかくのか、
はたまたカタカナでかくのかアルファベットでかくのか……といった表記は、
みなさんがまさに感じているように、
ひとりひとりの“感覚”にまかされています。
こうした“感覚”は、“りくつ”(論理)であるルールとは、根本的にあいいれません
http://homepage1.nifty.com/akshiba/kotoba_mozi/hyookinotooitu01.html

おそらく、とおい将来であっても、日本語の表記から漢字をなくすことはできないでしょう
(それでもわたしは、漢字をなくすべきだとかんがえています。
このことは強調しておきましょう)。
だとしたら、“漢字をなくせない”現実のなかで、
日本語の表記を、さらには表記の統一を、具体的にどうしていけばいいの か……
http://homepage1.nifty.com/akshiba/kotoba_mozi/hyookinotooitu02.html

こうした問題意識をもつ方がおられるのは
たいへんこころづよい。
しばざき氏の上品で堂々とした文章に共感する。

posted by カルピス at 12:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 表記法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月08日

ヘボン式ローマ字への疑問

まちで目にするローマ字のおおくはヘボン式でかかれている。

とかいても、たいていのひとはヘボン式と訓令式とのちがいに関心がなく、
おなじようなものと とらえているようにおもえる。
ローマ字は、おおきくわけて訓令式とヘボン式があり、
訓令式は学校でならうもので、
ヘボン式は日本語の発音を英語風にかいたものだ。
訓令式は母音と子音のくみあわせが規則的でおぼえやすい。
たとえば訓令式は「た・ち・つ・て・と」を
「ta ti tu te to」とかき、
ヘボン式では
「ta chi tsu te to」とあわらす。
そのほうが英語をはなすひとにとったら
発音しやすいというだけで、
それ以外のことばをつかうひとにメリットはない。

日本語をかくには訓令式のほうがずっとわかりやすいとおもうのに、
「ち」を「chi」、「つ」を「 tsu」とかくひとがおおいのはなぜだろうか。
ひとつには、 ローマ字が日本語であると認識されていないからだとおもう。
アルファベットをつかって日本語をかくのがローマ字であり、
ローマ字と英語にはなんの関係もない。
それにもかかわらず、英語風につづるほうが
よりほんものらしく、かっこいいという意識をかんじる。

パソコンのキーボードに入力するときのようすをみていると、
入力は訓令式でやっているのに、
それ以外の場面ではヘボン式、というひとがおおいようだ。
なぜそうするのかをきいても、
はっきりした理由はないのでこたえられない。
なんとなく「ち」は「chi」、 「つ」は「 tsu」と
つづるものだとおもいこんでいるのであり、
ヘボン式がただしいから、という意識からではない。
ばくぜんとヘボン式が正式とおもいこんでいるのだ。

地名や道路標識、またパスポートにかく名前には
国のきまりがあって、変則的なローマ字がもちいられている。
それ以外のところでは、ヘボン式・訓令式の どちらでもいいはずなのに、
じっさいにはヘボン式がおおくつかわれており、
そしてその理由がとくにない、というのが
わたしにはすごくおかしなことにおもえる。
それだけ英語をありがたがっており、
英語にちかづけたつづりにあこがれているのだろうか。
ほとんどのひとは、ヘボン式が英語にちかいつづりなので、
なんとなく正式なローマ字とおもいこんでいるだけなのだ。

くりかえすと、ローマ字はアルファベットをつかってあらわす日本語なのであり、
英語とは関係がない。
パソコンに入力するときは訓令式でやっているのだから、
ほかの場面、たとえば名前をかくときでも、
そのまま訓令式をつかえばいいのに。

英語をはなせないひとがおおいのに、チラシやコピーには英語の表示をよくみかける。
英語のほうがかっこいいという、その意識がローマ字にもおよんでいて、
ローマ字のつづりもできるだけ英語風にしたいのだろうか。
英語をありがたがるその気もちがわたしにはわからない。
なぜスタッフを「STAFF」、やすうりを「SALE」とするのか。
「よしだ」はなぜ「Yoshida」のほうが「Yosida」よりもかっこいいとおもうのか。

べつに野球の「ストライク」を「いいたま」にいいかえろ、
といっているわけではない。
ローマ字は日本語なのだから、英語風につづる必要がないこと、
母音と子音との規則的なくみあわせである訓令式のほうが
日本人にはつかいやすいといっているだけだ。
ヘボン式をありがたがる気もちには、
英語をおもんじる心理がかくされている。
わたしには、なぜ英語を高級とおもうのかがわからない。

posted by カルピス at 21:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 表記法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする