2017年04月13日

余計なものを過剰にくわえる 松本圭司氏の料理法にしびれる

デイリーポータルZに松本圭司氏の
「シャトルシェフで肉を煮れば人類は救われる」がのった。
http://portal.nifty.com/kiji/170411199303_1.htm
シャトルシェフは、保温調理器の一種らしい。
煮こむ時間はみじかくても、そのあとながい時間 保温することで、
材料がトロトロにやわらかく、おいしくなるそうだ。
わたしがすきな(やすいので)豚バラ軟骨と鶏肉の手羽を材料に、
煮こみ料理がつくられている。

松本氏は、「揚げ物に油をかけると、すっげーウマい」の記事で、
ポテトチップスにオリーブオイルをかけたり、
テンプラに豚バラ肉からとった油をかけたりと、
常識にさからう過剰な摂取で わたしが注目している食の冒険家だ。
http://portal.nifty.com/kiji/170314199029_1.htm
テキトーさと大胆さ(おなじことか)により、
食材のいきおいを最大限にひきだす手法は、
他の料理人の追随をゆるさない。
たとえば豚バラ軟骨の料理では、
煮込むとアクが出ますがもったいないので取りません。アクだって豚の一部です。

とたのもしい。
われわれは、料理人であるまえに
地球人としての良識をわきまえるべきで、
あたりまえに 材料をまるごと とりいれる姿勢に 好感がもてる。
鶏肉の手羽をつかったカレーでは、
・表面を焼きます。うま味を閉じめるとかそういう効果は特にありませんが茶色はおいしそうなので茶色くします。そういう儀式です。
・カレールウは使っても使わなくてもいいのですが、カレー粉を買うより安いので経済的理由でルウを使います。
・「カレールウの味は完成しているので隠し味は要らない」なんてつまんない事を言う人がいます。が、どんどん余計なものを入れていきます。むしろ隠さず余計なものだけでカレーを作る。するとハレになります。
・『ごちそう』とはつまり普段とは違う味の事ですから、ふだんと違う味付けにすればそれすなわちごちそうです。レシピなんかに従っていたらごちそうなんて出来ません。魔改造していきましょう。

と、筋のとおったコンセプトにしびれる。
トマト・おろしショウ・、おろしニンニクをくわえ、
カレールウをいれたのちも、
「余計なもの」をつぎつぎに つけたしていく。
添付のカレー粉・S&Bのカレー粉・ヨーグルト、
梅ジュースをつけたあとの梅。
一般的にはシンプルが善とされ、
「余計なもの」をくわえるのはダサいと 評判がわるいけど、
松本氏は一般常識にとらわれず、
「余計なもの」を過剰にくわえる手法で
料理のあたらしい大陸を発見した。

わたしは、なにかをくわえるより、
いまあるものから すこしずつひいていく過程に
価値をみいだしている。
肥料をやったり、土をたがやしたりと、
よさそうな方法はなんでもとりいれ、世話をやきたがる米つくりより、
自然農法のように、肥料はいらないのではないか、
草もとらなくてもいいのではないか、
というかんがえ方のほうがただしいとおもっていた。
しかし松本氏は、わたしと逆な方向に、ひとつの真理をみつけている。
くりかえして強調したい。
「隠し味は要らない」なんてつまんない事を言う人がいます。が、どんどん余計なものを入れていきます。

しごく名言である。
これこそが松本流処世術の真髄であり、
おそらく料理はそのうちの ごく一部にすぎない。
まちがったほうがおもしろい、
うまくいかなくても心配ない、など、
わたしの琴線にふれる大雑把な美意識に、
松本氏の「余計なものを過剰にくわえる」をあらたに くわえたい。

posted by カルピス at 21:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月19日

人生は、「うまくいかないから面白い」のかも

デイリーポータルZが新人賞をつのるにあたり、
ライターの仕事をイメージしてもらえたらと、
「記事を書く人生とは」について、
専属ライターにインタビューしている。
そのなかのひとつ、編集部の石川さんと、
ライターの小堺さんとのやりとりがおもしろかった。
http://portal.nifty.com/kiji/170314199030_2.htm
石川:僕も、ライターとか編集とかやりだしてから、
   失敗したりうまくいかないのも面白いなーと思って。
   それがヘボコンにつながりました
小堺:それって素敵ですよね
   うまくいかなくてもいい、って
石川:なんかうまくいかなくてもがっかりしなくてもいいなと思って。
   面白く書けるぞっていう
小堺:うまくいきすぎると、逆に焦ることありますよね
石川:あ、そうそう。ちゃんとできると書くことないんですよね
小堺:そう、うまくいかないから面白い
   人生と一緒ですね

こうなると、ふつううまくいくようにめざすのが、
かえって不思議におもえてくる。
うまくいくのは なぜいいことなのか。
うまくいくと、なにかいいことがあるのか。

もちろん、はじめからうまくいかないのをめざすのではない。
ある目標にむけて、自分なりに全力をつくすのだけど、
その結果が かりにうまくいかなくても 大丈夫なのだ。
うまくいかなくても どうってことないとおもえたら
なにごとも、あまりためらわないで 第一歩をふみだせる。

人生の目的とはなにか。
自分がやりたいことを実行するのが、
人生の目的(のひとつ)だとわたしはおもう。
うまくいけば、にっこりわらって死ねるのでは。
うまくいかなくてもいいけど。

posted by カルピス at 20:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月11日

わたしのすきなももちゃんシリーズ・コロッケ編

「柴犬がコロッケに似ているので『柴コロッケ』を作ってみた」
(デイリーポータルZ・ヨシダプロ氏)

わたしのだいすきなももちゃんシリーズ。
今回は、柴犬のももちゃんがコロッケにみえてしかたないので、
それではと、ももちゃんに似せたコロッケをつくるはなしだ。
http://portal.nifty.com/kiji/170310199005_1.htm
これまでにヨシダプロ氏は、ももちゃんが
食パンやしょーゆをかけた大根おろしにみえてしかたないからと、
ももちゃんそっくりの食パンや、
しょーゆかけ大根おろしをつくってきた。
また、たべもの以外でも、
「犬をはやぶさにする」「犬を羽生くんにする」など、
ももちゃんからは 数々の名作がうまれている。
ももちゃんをなにかにしたてあげるのは、
ヨシダプロ氏のライフワークと位置づけられる。

しかし、いかにコロッケとももちゃんの色がにているからといって、
コロッケでももちゃんがつくれるだろうか。
わたしもときどきふつうのコロッケをつくるけど、
小判型のコロッケでさえ、きれいな形と色に
しあげられた ためしがない。
くずれやすいし、あぶらをすいすぎると、おいしくない。
コロッケは、おかずの地位として あまり評価されていないのに、
いざつくってみると、かなりめんどうな料理だ。

ヨシダプロ氏は、いくつもの秘策を用意し、
結果として ももちゃんとしかおもえないコロッケを完成させた。
しかし、ヨシダプロ氏がコロッケの味をたしかめてみると、
ただじゃがいもとひき肉の味しかしない。
コロッケづくりに集中したせいで、
うっかりコロッケのタネに塩・コショウするのをわすていたのだ。
しかし、その失敗がさいわいにはたらき、
ももちゃんがたべても大丈夫な(犬に塩分はよくないので)
ももちゃんのためにつくったとしかおもえないコロッケとなった。
伏線がはってわったわけでもないのに、
なんとなかせるはなしだろう。
ヨシダプロ氏が台所でコロッケをつくるあいだ、
ずっと「くれくれくれ」と つきまとっていたももちゃんが、
自分の顔をしたコロッケとむきあう場面は圧巻ですらある。
コロッケはぶじももちゃんの胃袋におさまり、
満足そうなももちゃんの写真が記事のさいごをかざっている。

写真といえば、この記事には何枚もの写真がアップされており、
コロッケができあがる様子だけでなく、
ヨシダプロ氏の自宅が読者に公開された形になっている。
ももちゃんが、あたりまえのように(あたりまえなのだろう)
台所や居間ですごす写真は、
あたたかなふたりの関係を、そのまま みるものにつたえる。
柴犬を家のなかでかうのはあまりきかない。
家族のいちいんとして、コタツのまわりですごすももちゃんは、
ときどき自分に似たごちそうをたべられるボーナスをぬきにしても、
ご近所でも評判な しあわせな犬にちがいない。

posted by カルピス at 20:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月25日

ないものをみようとする デイリーポータルZの記事をたかく評価する

このなんにちかのデイリーポータルZは、
べつの次元にはいりこんだように、
ちからのこもった作品がおおかった。

デイリーポータルZのおもしろさは、
ありえないもののくみあわせであったり、
ふつうだとみおとしてしまいがちな物件に
ひかりをあてるところにある。
あるいは、常識的にとらえると ばかばかしくてやらない
実験めいた作品もよくみかける。
それらのおもしろさは たかく評価するとして、
さいきんは、べつの段階へと
急ハンドルをきる作品が目につくようになった。

・「牛焼肉定食で学ぶチームマネジメント」(江ノ島茂道)
http://portal.nifty.com/kiji/170221198857_1.htm
・「ゴリラを見逃すな!」(大北栄人)
http://portal.nifty.com/kiji/170221198855_1.htm
・「田んぼをスタバと見なす」(ヨシダプロ)
http://portal.nifty.com/kiji/170223198873_1.htm

それぞれ、さっとよんでいては
なにがいいたいのか まるでみえない。
世の古典となっている問題作、
たとえば『資本論』や『種の起源』があらわれたときは、
きっとこんなかんじで 世間の理解をえるのに
しばらく時間がかかったのではないか。

うえにあげた3つの記事について、
かんたんに説明すると、
・「牛焼肉定食で学ぶチームマネジメント」は
牛焼肉定食についているそれぞれの品、
肉やごはん、それにタレなどを 会社のメンバーにみたて、
おたがいが ちからを最大限に発揮できる環境をかんがえていく、
とかいても、おそらく なんのことかわからないだろう。
記事をよんでも よくわからないのだから、
かんたんに説明など、できっこないのだ。
しかし この記事には、これからおおばけしそうな
あやしいかおりがたちこめている。

・「田んぼをスタバと見なす」は、
犬の散歩でとおりがかった田んぼをスタバにみたて、
ちからずくで田んぼにひそむスタバ的な要素をあぶりだしていく。
といっても、もともと共通の要素などなく、むちゃな設定なのだけど、
それをいかにもっともらしく「見な」していくかに
ヨシダプロ氏の力量が発揮される怪作だ。

・「ゴリラを見逃すな!」は、
4人がボールまわしをしている場面で、
何回パスがまわされたかを、観察者がかぞえるテストだ。
そこに仮装した(たとえばパイロットになった)
ゴリラがあらわれたとき、
ひとはどれだけゴリラの存在をみとめられるか、と
人間の錯覚に焦点をあてようとしている。
ゴリラがパイロットのかっこうをしたり、
そのゴリラがフライトにおくれそうになり
絶望してドラミングする意味がよくわからない。
わからないけど、なにかとんでもないところへ
わたしをつれていってくれそうな予感がある。

これら3つの記事は、ふだんわたしたちの目にはいらない。
想像力をゆたかにはたらかせているのでもない。
特殊な目と、ねじまがった思考回路により
ありえない方向にくみたてられた論理がベースにあり、
ていねいに解説されないと、なんのことかまったくわからない。
いわば、そこにないものをみようとする、
あたらしいこころみであり、
その革新的な内容におおきな拍手をおくりたい。

posted by カルピス at 14:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月16日

斎藤光博さんの「薬剤師に論破されたい」

デイリーポータルZにのった斎藤光博さんの
「薬剤師に論破されたい」がおもしろかった。
http://portal.nifty.com/kiji/170114198558_1.htm
なんの記事かというと、
ふつうなら失礼できけないような質問を専門職にぶつけ、
豊富な知識と経験によって論破してもらう、というものだ。
すっきり論破されるのは、あんがい気もちのいい体験かもしれない。

薬剤師の池田さんをまねき、
斎藤さんがまえからかかえていた疑問をぶつけている。
挑発したいというよりも、
すでに常識となっていて、いまさらたずねにくい質問を
この機会にぜんぶ口にしてしまおう、というかんじだ。

「薬局ってなんで病院と別なの?」は、
わたしもまえからかんじていた疑問だ。
たずねても失礼ではないかもしれないけど、
ストレートにきいたら なんだかバカにされそうだ。
池田さんは、医薬分業のかんがえ方を、斎藤さんにきちんと説明する。
ドクター、看護師、薬剤師、ケアマネジャーさん、いろんな人が対等に話し合って患者様中心の医療にしていこうっていうのが、今一番の流れになっています。医薬分業はその一環です。

そんなふうに説明されると 「はい、わかりました」というしかない。

つぎに斎藤さんがたずねたのは、
「薬局ってめちゃ儲かっていますよね?」
今やたらと薬局多くないですか? この間うちのすぐ近所に調剤薬局ができたんですが、そんな使わないし、別に要らないです。それよりコンビニを建ててほしい。うちの近くにコンビニがないんです。

と、無理難題をふっかける。
そんなことをいわれたって、池田さんもこまるけど、
薬局の経営はあんがいたいへんで、
つぶれる薬局だっていくらでもあるそうだ。

つぎに、
「そもそも薬を使うなんて発想がおかしい!」と
斎藤さんが 極論であり、正論でもある私見をのべる。
池田さんに論破されるかとおもったら、
「それは本当にそうです」とすんなり肯定された。
決めるのは本人なので、そういう考え方もアリです。人生をかけて「薬を飲まない」って方針を貫く方は実際いるんですよ。それはその人の人生だから「貫いたんだな……」って思いますね。

このごろセルフネグレクトということばをときどき耳にする。
薬を否定するかんがえ方と どうちがうかというと、
信念で医者にかからないのか、
やけっぱちで自分をそこなうのかの差ではないだろうか。
とはいえ、はっきり線がひけないややこしい問題だ。

斎藤さんは、論破されて腹がたったのではなく、
ここちよく かんじたのだから、
質問におちついてこたえた 池田さんをたたえたい。
病院関係者のだれもが 池田さんみたいに
率直な意見をきかせてくれるなら、
もんもんと疑問をかかえたりしないだろう。
説明のうまさは、薬剤師という 池田さんの仕事と、
なにか関係あるのだろうか。
病院の先生になにかたずねても、
池田さんのようには すっきり論破してはくれない。
医者と患者の関係そのままに、
ちからずくで、あたまごなしに きめかかるひとがおおい。
専門バカではなく、専門性をいかしながら、
あいての気もちをかんがえたうえで論破しようとする
池田さんの誠実な説明がここちよかった。

posted by カルピス at 22:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする