2017年03月26日

『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』(村上春樹)

『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』(村上春樹・中央公論新社)

本屋さんへ『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』をかいにいく。
もう発売されているはずなのにみあたらない。
『騎士団長殺し』はいまでも山づみになっているし、
新刊コーナーには、ほかの作家の話題作が
目をひく配置でおかれているのに、この本はみつからない。
島根には、まだものがとどいてないのだろうか。
店内のパソコンで「村上春樹」を検索すると、
38ページのまんなかくらいにちゃんとあった。
本の情報をプリントアウトして しめしてある棚番号にいくと、
翻訳本がならんでいる棚に ひっそりと数冊おかれていた。
予想していたのより、はるかにささやかなあつかいで、
パソコンのたすけをかりなければ、
なかなかみつけられなかっただろう。
村上さんの新刊というと、一大イベントになるかとおもっていたのに、
小説でない本は、ずいぶん地味なあつかいとなる。

構成は、半分くらいが これまでに出版された
翻訳本をふりかえったもので、
のこりの半分は柴田元幸さんとの対談、
「翻訳について語るときに僕たちの語ること」
になっている。
文春新書からだされている『翻訳夜話』のつづきみたいな本だ。

村上さんが手がけた70冊にものぼる翻訳のうち、
わたしがよんだのは20冊ほどだった。
手もとにあるのによんでない本がいくつかあるし、
そもそもわたしはフィッツジェラルドとカーヴァーの
よい読者ではない。
印象にのこっているのは アーヴィングの『熊を放つ』と、
C.D.B.ブライアンの『偉大なるデスリフ』で、
最近の本ではマーセル=セローの『極北』が力作だった。
本文には目をとおさず、訳者あとがきだけをよむときもある。
村上さんのかく解説や訳者あとがきは とてもおもしろいので。

村上さんと柴田さんがはじめてチームをくんだのは
『熊を放つ』のときで、それ以降、
村上さんのよき相棒として柴田さんの存在はおおきい。
村上さんは 翻訳にかぎらず、文章についてなにか指摘されると、
なおすのにためらいがないという。
文章というのは基本的に、直せばなおすほどよくなってくるものなんです。悪くなることはほとんどありません。

自分の文章について ひとになにかいわれると、
まず反発をかんじるわたしとは 人間のできがちがう。
村上さんでさえ ひとの指摘をうけいれるのだからと、
それをよんでから すこしは謙虚にふるまえるようになった。

村上さんは翻訳によって自分が形づくられてきたという。
翻訳というのは一語一語を手で拾い上げていく「究極の精読」なのだ。そういう地道で丁寧な手作業が、そのように費やされた時間が、人に影響を及ぼさずにいられるわけはない。

翻訳についてはなす村上さんは とてもあけっぴろげだ。
翻訳についてかかれた村上さんの本は どれもおもしろい。

posted by カルピス at 21:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 村上春樹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月10日

かんちがいしていた村上春樹さんの「全仕事」

村上春樹さんの『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』が、
3月17日に発売されるという。
(ほとんど)全部の訳本がおさめられ、
それがわずか1620円で手にはいるとは、じつにありがたい。
とおもっていたら、
どうも(ほとんど)すべての訳本がよめる本ではなく、
村上さんがこれまでに翻訳してきた本をふりかえる、
という趣旨らしい。
柴田元幸さんとの対談もおさめられているそうだ。
かんがえてみれば、村上さんが翻訳してきた
100冊くらいの(正確な数はしらない)本が、
1冊におさまるわけがない。

翻訳してきた本をふりかえる企画は、
これはこれで、おもしろそうだけど、
村上さんが訳してきた(ほとんど)全仕事を、
ほんとうに1冊にまとめられないだろうか。
そして、その本と もう一冊、こちらは
村上さんの(ほとんど)すべての小説がおさめられた本がほしい。
紙の本では ふつうの全集になってしまい おもしろくない。
ここはどうしても電子書籍のでばんだ。
すこしぐらいたかくても、そうした「全仕事」があれば
わたしはおおよろこびでかうけどな。
無人島へもっていく本「問題」も、これでいっぺんに解決される。
さらによくばると、エッセイと旅行記も、
それぞれ「(ほとんど)全仕事」があればうれしい。
無名のかき手の作品を世にだすだけでなく、
こうした「全仕事」も電子書籍にむいた本づくりだとおもうけど。

posted by カルピス at 22:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 村上春樹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月15日

「ハーモニカがスティービー・ワンダーより下手だから?」もいいとおもうけど

けさの天声人語(朝日新聞のコラム)に、
村上春樹さんの『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』
からの引用がのっていた。
ボブ=ディラン氏について
「まるで小さな子が窓に立って雨ふりをじっと見つめているような声なんです」

とわかい女性がはなす。

状況をもうすこしくわしく説明すると、
「私」がレンタカー店で
カリーナ1800GT・ツインカムターボをかりたとき、
車のデッキにボブ=ディランのカセットテープをいれ、
『ウォッチング・ザ・リヴァー・フロー』をききながら
パネルのスイッチを確認していた。
車をかりる手つづきで
「私」に対応してくれたレンタカー店の女性が
「何かお困りのことがございますか」とはなしかけてくる。
それをきっかけにふたりがおしゃべりをするなかで、
「これボブ・ディランでしょ?」
「そう」と私は言った。ボブ・ディランは『ポジティヴ・フォース・ストリート』を唄っていた。二十年経っても良い唄というのは良い唄なのだ。
「ボブ・ディランってすこし聴くとすぐにわかるんです」と彼女は言った。

そのあとで、天声人語氏がとりあげた
「まるで小さな子が窓に立って・・・」と
レンタカー店の女性がいうのだけど、
そのまえに「私」は
「ハーモニカがスティービー・ワンダーより下手だから?」と
冗談をいっている。
ここの部分を引用せず、「まるで小さな子が窓に立って・・・」
にしたところがいかにも朝日新聞であり、天声人語氏だ。

『世界の終わり・・』がかかれた当時すでに、
「でも君みたいに若い女の子がボブ・ディランを聴くなんて珍しいね」
という存在だったボブ=ディラン氏が、
今回のノーベル賞で注目をあつめている。
小説がかかれた1985年から30年すぎたいま、
村上春樹さんとボブ=ディラン氏が
いっしょに話題となる日がくるとは。

小説のおわりに、もういちどボブ=ディラン氏の名前がでてくる。
「ボブ・ディランって何?」とたずねられたときに、
「雨の日にー」と私は言いかけたが説明するのが面倒になってやめた。「かすれた声の歌手だよ」

『世界の終わりとハードボイルド・・・』は
村上さんの作品のなかで、わたしがいちばんすきな小説だ。

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2016年10月10日

村上春樹作品の文庫化と電子書籍化

本屋さんにでかけたら、目だつところに
ずらっと村上春樹さんの本がならんでいた。
「今年こそノーベル賞を・・・」という企画だ。
本をうる側からすれば、話題がほしいのだろうけど、
毎年のように こうやってさわぐのは あまりすきではない。
村上さんがノーベル賞をとったら、
村上春樹コーナーができて おおさわぎされるだろうから、
文庫になったばかりの『職業としての小説家』を
いまのうちにかっておこうと手にとる。
なんだかよんだことがありそうだ。
単行本になるまえに、雑誌で連載されたときによんだのかもしれない。
あるいは図書館でかりたのかも。
本屋さんでかうのはやめ、家にもどって本棚をみると、
ちゃんと単行本をもっていた。
まだもってないとおもいこんでいたのだから、
かなりテキトーなよみ方だったみたいだ。

このまえの「クールジャパン」では、
日本の本をとりあげていた。
文庫本がちいさくてクール、と
評価するひとがいるいっぽうで、
ぶあつい本のほうがよんだ気がする、というひともいた。
村上さんの『1Q84』も、
アメリカでは1冊のぶあつい本としてうられているそうだ。
日本では単行本で3冊、文庫では6冊にわかれる。
スタジオにきていた外国人ゲストには、
村上さんファンが何人もいた。
なかには日本語でよんでいるひともおり、
村上さんが世界でひろくよまれているのを実感する。

『職業としての小説家』のほかにも、
このごろたてつづけに村上さんの本が文庫になった。
『恋しくて』『女のいない男たち』、
『色彩をもたない多崎つくると、・・・』も
きょねんの12月と、わりにはやい文庫化だ。
『女のいない男たち』は、文庫とともに
電子書籍にもなっている。
『パン屋再襲撃』『TVピープル』『レキシントンの幽霊』もまた
電子書籍になったという。

ちょっとべつなはなしになるけど、
単行本が電子書籍になるよりも、
文庫本からの電子書籍化のほうがやすい。
とうぜんみたいだけど、かんがえてみるとなんだかへんだ。
はじめからもっとやすい電子書籍にしてくれたらいいのに。

わたしはちかい将来にでかける外国旅行にそなえ、
村上さんの本を自炊業者にだして
キンドルでよもうとたくらんでいる。
村上さんの本は、短編も長編も くりかえしよめるので、
キンドルに村上春樹著作集がはいっていれば
どんなにながいバカンスでも安心だ。
でも、これだけ村上さんの本が電子書籍からえらべるのなら、
自炊業者にだす手間や、
PDF化された活字のよみにくさをかんがえると、
はじめからキンドル版をかったほうがいいような気がしてきた。
はやい文庫化や電子書籍化は、
おそらく できるだけやすい値段で 読者によんでもらいたいという
村上さんのかんがえからだろう
(『村上さんのところ』にそんな回答がのっていた)。
自炊業者にたよったり、キンドルアンリミテッドに期待するよりも、
文庫からの電子書籍化をまつほうが 現実的かもしれない。

posted by カルピス at 21:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 村上春樹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月23日

冷蔵庫とマツダファミリアの匿名性

『本の雑誌 2月号』に、
青山南さんが「変身の半世紀」という記事をよせている。
 カフカの『変身』のグレゴール・ザムザは、20世紀のニッポンの翻訳ではおおむね、「毒虫」に変わったとされてきた。(中略)
 しかし、あらためて考えてみると、グレゴールはどうして自分を「毒虫」、すなわち「毒を持った虫」として認識できるのか?(中略)
 だから、「毒虫」という訳語は、冷静に考えてみれば、踏みこみすぎの、勇み足の選択だったのだと言って、きっとかまわない。

お、するどい指摘だ。
そういえば、目がさめたときに、
なんで自分が「毒虫」になったと ザムザは認識できたのだろう。

このはなしをよんでおもいだしたのが、
『海辺のカフカ』にでてきた冷蔵庫だ。
こまかいところはふたしかな記憶ながら、
メーカー名がかいてないけど東芝製、と描写されていた。
そうしたら、メーカー名がついてないのに
なぜ「僕」はそれが東芝製だとわかったのですか?と
たずねた読者がいた(メールによる質問集『少年カフカ』)。
村上さんは、メーカー名がなければわかるわけありませんね、と
あっさりまちがいをみとめ、増刷するときに訂正されている。
冷蔵庫がそれだけ没個性な製品だと、
それまではおもってもみなかった。
たしかに、テレビや洗濯機にしても、
みただけでメーカー名がわかるほど独特なデザインは
あまりおおくないかもしれない。
アップルのパソコンならまだしも、
冷蔵庫はそれほど個性をうりものにしていない。

そうかとおもえば、『カフカ』にでてくるマツダのファミリアは
駐車場に停まっている白のファミリアは、たしかに目立たなかった。それは匿名性という分野におけるひとつの達成であるようにさえ思えた。一度目をそらしたら、どんなかたちをしていたかほとんど思い出せなかった。

なんてかかれている。
冷蔵庫とちがい、たいていの車は
みただけでその車種がわかる。
そのなかでカフカにかかれているファミリの地味さはきわめて異例だ。
「匿名性という分野におけるひとつの達成」は
さすがに冗談だろうけど、このファミリアはきっと
めだたない、めだちたくないをコンセプトに
デザインされた車なのだろう。
自己主張がつよくない車の魅力というのも
わかるような気がする。

冷蔵庫はメーカー名がかかれてはじめて
その製品名がわかる。
マツダファミリアはマツダファミリアでありながら
匿名性をうりものにしている。
『変身』にはなしをもどすと、
ザムザは目をさましたときに 自分が毒虫だとわかった。
これはもう、ただわかったとしか、いいようがないのではないか。
そんなことをいえば、
わたしななぜ自分がほかのだれでもなく、自分自身だと、
なんの疑問もなくうけいれているのだろう。
なぜ自分が「毒虫」なのかは、
毒をもっているという本質をたしかめなくても 本人にはわかる。
東芝冷蔵庫もマツダファミリアも、
つけられている名前によって 本質を認識されるように。

自分でかいておきながら、まったく めちゃくちゃなこじつけだ。
自己認識とこじつけに、なにか関係があるだろうか。

posted by カルピス at 22:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 村上春樹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする