2017年09月24日

『ラオスにいったい何があるというんですか?』(村上春樹)

『ラオスにいったい何があるというんですか?』
(村上春樹・文藝春秋)

村上さんが20年のあいだにかいた、いくつかの紀行文をまとめたもの。
この本が出版されたのは2年前だけど、タイトルにひっかかってしまい
これまでほったらかしてきた。
「ラオスにいったい何があるというんですか」って、
ラオスにすごく失礼ないいかたではないか。
でも、よんでみると、
べつにラオスをひくくみているわけではなかった。
これからラオスのルアンプラバンにむかおうとするとき、
のりつぎをしたハノイで、
ベトナムのひとが村上さんにいったことばだ。
なんでもベトナムにあるのだから、
わざわざラオスになんていかなくてもいいのに。
でも、それが旅行というものなのでは。

20年もの期間にわたるのだから、いきさきはあちこちだ。
ボストンやアイルランド、それに日本の熊本もふくめ、
村上さんがたずねた10ヶ所の旅行記がまとめられている。
なかには『遠い太鼓』にでてきたミコノス島とスペッツェス島、
それにトスカーナ地方のように、再訪の記録もあり、
それはそれでなつかしい。
ありきたりないいかただけど、
とりあげられている町にいきたくなるは村上さんのうまさだろう。
なかでも、フィンランドのはなしがいちばんおもしろかった。

ヘルシンキで村上さんは、
カウリスマキ監督の兄弟が経営するバー
「カフェ・モスクワ」をたずねている。
基本的経営方針が「冷たいサービスと、暖かいビール」というから
かなりかわっている。
暗くけばい もろ60年代風の内装から、ジュークボックスの表に貼られた偏執的な選曲リストから、すべてが見事なまでにカウリスマキ趣味で成り立っている。

店にはいり、椅子にすわっても、従業員がだれも注文をききにこない。
店には、カップルの客が一組だけ。
この二人はフィンランド人の三十代初めくらいの男と、エストニア人の二十歳過ぎのちょっと色っぽい女の子のカップルで、かなりダウン・トゥ・アースな、みっちり下心に満ちた、濃い雰囲気を漂わせていた。このへんの客層もいかにもカウリスマキっぽい。本当に「内装の一部」といっても違和感のないようなお二人だった。

村上さんの比喩に いつも関心するけど、
この「内装の一部」もきまっている。
いくらまっても従業員がこないので、
村上さんはけっきょく「暖かいビール」すらのめなかったそうだ。

ボストンでの
そして言うまでもないことだけれど、あなたがボストンに来るなら、新鮮な魚介料理を食べに行くことは、チェックリストのかなり上段に置かれるべき項目になる。

もいい。
翻訳っぽい文章にすることで、
いかにも外国のガイドブックをみている気がしてくる。

そして、タイトルになっている
ラオスのルアンプラバンにはなにがあったのか。
率直にいって、あまり魅力のある記事とはいえなかった
(ホテルできいた民族音楽についてかたるときだけさえている)。
村上さんとアジアは、あまり相性がよくないのかもしれない。

posted by カルピス at 22:11 | Comment(0) | 村上春樹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月06日

『みみずくは黄昏に飛びたつ』(村上春樹・川上未映子)

『みみずくは黄昏に飛びたつ』(村上春樹/川上未映子・新潮社)

村上作品の熱心なファンである川上未映子さんが、
4回にわたるロングインタビューで村上さんにたずねる。
帯には、「ただのインタビューではあらない」のコピーがあり、
『騎士団長殺し』を中心に、小説家であり、
村上作品のファンである川上未映子さんでなければ
たずねられないような、創作にまつわるはなしがおおい。
引用しだしたらきりがないので、
ここでは かんじたことをすこしだけ。

インタビューの1回目は、文芸誌『MONKEY』に掲載されており、
それが そのまま本書の第1章となっている。
わたしは『MONKEY』により、すでに第1章をよんでいたわけだけど、
かかれている内容を ほとんどわすれていた。
『みみずくは〜』をよみながら、
大切そうなフレーズに えんぴつで線をひく。
あとから『MONKEY』をひっぱりだして、
まったくおなじ ふたつのインタビューをくらべてみると、
さすがといいうか、ほぼおなじようなところに線がひいてあった。
はじめてよむ本として あらたに感心するなんて、
いくら線をひいたって、これではなにもしないのといっしょだ。

ひらきなおってべつのいいかたをすると、このインタビューには、
なんどよんでも感心したくなるおもしろさがつまっている。
「優れたパーカッショニストは、一番大事な音を叩かない」
なんて、もういちどよんでも線をひきそうだ。
村上さんが小説をかくときの、具体的なうごきと気もちのもち方を、
これほどこまかくききだしたインタビューはない。
そして、村上さんの 小説にたいする勤勉さと自信が、
川上さんの質問によりうかびあがる。
これまでわたしは 川上未映子さんの作品をよんだことがないけど、
どんな小説をかくひとなのか、しりたくなった。

posted by カルピス at 22:37 | Comment(0) | 村上春樹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月24日

『騎士団長殺し』雑感

『騎士団長殺し』(村上春樹・新潮社)をよみおえる。
たいへん興味ぶかい小説であるのはまちがいないとして、
いくつか気になるところがあったので、
よみおえた印象を、ざっとかいておきたい。
ネタバレというか、この本をよんでないひとには、
なんのことかわからない「印象」だけど、
いちどめによんだときにかんじたわたしの率直な感想だ。

・免色さんにたのまれた肖像画は、いくらしはらわれたのだろう。
 依頼したときに500万円、じっさいにふりこまれたのは、
 ボーナスとしてうわのせした600万円というのはどうだろう。
・年上のガールフレンドが、
 免色さんのことをやたらとしりたがるので、
 ゴシップずきな俗物におもえてきた。
 「私」は彼女に、免色さん情報を
 そんなにくわしくかたらなくてもいいのに。
・雑木林にある祠に重機でいれたのは水曜日だけど、
 この日の夕方は絵画教室の仕事があるはずなのに、
 なんの説明もない。
・免色さんが「私」のむかえによこしたインフィニティの運転手は
 「顔色ひとつ変えずに」まがりくねった道を運転したとあるけど、
 「顔色ひとつ変えずに」は、おもしろみのない いいまわしだ。
・秋川まりえの表情について
 「食べかけの皿を途中で持って行かれた猫のような顔つきだった」
 がうまい。
・伊豆の療養所から「私」がぬけだしてからの何章が、
 かなりたいくつだった。
・「私」がのるカローラは、ほこりがつもるほど
 ほったらかしになってる、となんども「埃」がでてくるけど、
 車をただあらわないだけなら そんなにほこりはつもらない。
・イデアとしての「騎士団長」は、
 高橋留美子さんのマンガにでてくる
 カラス天狗をおもいえがくとピッタリだ。
・髪がまっしろ、とかいてあるのに、
 免色さんを俳優の渡辺謙さんにおきかえてしまう。
 はなしかたやしぐさが、いかにも渡辺謙さんだ。
・おわりのほうがかなりしりつぼみにおもえる。
 それまでは、ずいぶんこまかくさまざまな描写があるのに、
 いったん「事件」がかいけつすると、
 バタバタバタっとかたづいてしまった。
・「私」の子が保育園にはいったけど、
 小田原は待機児童問題はないのだろうか。
・「私」は、たずねてくる客を、
 しばしばカーテンのすきまから観察している。
 あまりいい趣味ではないのでは。
・「自分のとった行動が適切なものだったかどうか、
 いまとなっては確信が持てなかった」(第2部P454)
 村上さんの小説に、よくでてくるフレーズだけど、
 確信がもてないことがよくあるのは、
 あたりまえにおもえるけど。
・免色邸にしのびこんだ秋川まりえが、
 「侵入を防ぐための、手に入るすべての防犯手段が用いられている」
 とおもった場面があるけど、
 12歳の女の子になぜそんなことがわかるのか。
・秋川まりえのおばさんの胸について
 「オリーブの種を思わせる叔母さんのそれとは比べようもない」
 とあるのは、種ではなく実ではないのか。
・夕食に、そんなに時間がかかるだろうか?
ブリの粕漬け
漬け物
キュウリとわかめの酢の物
大根と油揚げの味噌汁
米飯
「その簡素なひとりぼっちの夕食を食べ終えかけた頃に」
 秋川まりえがやってくる。(第二部P47)
 「私」はまりえを家にいれ、「最後まで食べちゃっていいかな?」
 とことわってから 「食べ終えかけ」ていた夕食にふたたびむかう。
 わたしの疑問は、わずかなおかずの夕食なのに、
 しかも「食べ終えかけて」いたにもかかわらず、
 再開してからさらに
 「ブリの粕漬けを食べ、味噌汁を飲み、米飯を食べ」るのは
 ずいぶん時間がかかるじゃないか、
 というイチャモンみたいなものだ。
 よほど一品がおおもりなのか、
 ひとくち100回以上よくかんでいるのか。
 まるで夕食のスタートから
 まりえがみまもっているみたいな描写は
 おおげさではないだろうか。
・氷をいれないのが一般的なシングルモルトを、
 オンザロックでのむのはなぜか。(第二部P137)

ついこまかなところが気になったけど、
すばらしい作品であり、たのしい時間をすごせた。

posted by カルピス at 21:05 | Comment(0) | 村上春樹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月13日

ながい積んどくのはてに やっと手にした村上春樹訳の『ロング・グッドバイ』

『ロング・グッドバイ』(レイモンド=チャンドラー・早川文庫)

清水俊二氏の訳による『長いお別れ』は、
大学生のころにいちどよんだことがある。
なにがかいてあったか、内容をすっかりわすれたけど、
ミステリーにおける「必読書」として手にとった。
村上春樹が訳したこの新版は、本文だけで594ページと、
『長いお別れ』よりもおよそ100ページながい。
ストーリーとしてはさほど複雑ではないけど、
なにしろいろんなことがおこるし、
登場人物のおおくがおしゃべりなので、
あるていどのながさがなければ、
こまかな設定のすみずみまでえがけない。
よみだしてすぐに、本のぶあつさをたのもしくかんじ、
600ページをよみおえたときには、
小説の世界にどっぷりとひたれた充実感を味わえる。

『村上春樹翻訳(ほとんど)全仕事』によると、
村上さんはチャンドラーの文体をモデルにしながら、
「一段一段、階段をのぼっていくような感じ」で
自分の世界にふみこんでいったという。
チャンドラーの文体は撲の原点でもある。そういう小説を自分の手で翻訳できるのは、実に小説家(翻訳家)冥利につきるというか。
村上さんにとってレイモンド=チャンドラーは、
そしてとりわけ『ロング・グッドバイ』は、
特別な意味をもつ小説として 位置づけられている。

おかしかったのは、にくからずおもっていた女性と
いよいよベッドへ、という場面。
「君にはどれくらい財産がある?」
「全部で、どれくらいかしら。たぶん800万ドル前後ね」
「君とベッドに行くことにした」
「金のためなら何でもやる」と彼女は言った。
「シャンパンは自腹を切ったぜ」
「シャンパンくらい何よ」と彼女は言った。

こんなときに
「君にはどれくらい財産がある?」
なんてたずねる男がいるだろうか。
「たぶん800万ドル前後ね」
と即答する女性も息がよくあっていて、いいかんじだ。
この場面でのマーロウは、シャンパンにからめた軽口がさえている。
酒がやたらとでてくる小説でり、
ついわたしもつきあってしまい、
のみすぎる日がなんどかあった。
それもまた、この小説をよむときの
大切な一部分かもしれない。

本書をよんでいると、村上さんの存在をしばしばかんじた。
こんなことをいわれたら、村上さんとしては不本意だろうけど、
まるで村上さんがかいた本みたいだ。
文庫版が発売されてからすぐにかっていたものの、
ずっと本棚にならべるだけになっていた本書を、
なぜきゅうによんでみる気になったのだろう。
チャンドラーによばれて、というよりも、
村上さんにおいでおいでをされたような気がする。

posted by カルピス at 10:23 | Comment(0) | 村上春樹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月26日

『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』(村上春樹)

『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』(村上春樹・中央公論新社)

本屋さんへ『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』をかいにいく。
もう発売されているはずなのにみあたらない。
『騎士団長殺し』はいまでも山づみになっているし、
新刊コーナーには、ほかの作家の話題作が
目をひく配置でおかれているのに、この本はみつからない。
島根には、まだものがとどいてないのだろうか。
店内のパソコンで「村上春樹」を検索すると、
38ページのまんなかくらいにちゃんとあった。
本の情報をプリントアウトして しめしてある棚番号にいくと、
翻訳本がならんでいる棚に ひっそりと数冊おかれていた。
予想していたのより、はるかにささやかなあつかいで、
パソコンのたすけをかりなければ、
なかなかみつけられなかっただろう。
村上さんの新刊というと、一大イベントになるかとおもっていたのに、
小説でない本は、ずいぶん地味なあつかいとなる。

構成は、半分くらいが これまでに出版された
翻訳本をふりかえったもので、
のこりの半分は柴田元幸さんとの対談、
「翻訳について語るときに僕たちの語ること」
になっている。
文春新書からだされている『翻訳夜話』のつづきみたいな本だ。

村上さんが手がけた70冊にものぼる翻訳のうち、
わたしがよんだのは20冊ほどだった。
手もとにあるのによんでない本がいくつかあるし、
そもそもわたしはフィッツジェラルドとカーヴァーの
よい読者ではない。
印象にのこっているのは アーヴィングの『熊を放つ』と、
C.D.B.ブライアンの『偉大なるデスリフ』で、
最近の本ではマーセル=セローの『極北』が力作だった。
本文には目をとおさず、訳者あとがきだけをよむときもある。
村上さんのかく解説や訳者あとがきは とてもおもしろいので。

村上さんと柴田さんがはじめてチームをくんだのは
『熊を放つ』のときで、それ以降、
村上さんのよき相棒として柴田さんの存在はおおきい。
村上さんは 翻訳にかぎらず、文章についてなにか指摘されると、
なおすのにためらいがないという。
文章というのは基本的に、直せばなおすほどよくなってくるものなんです。悪くなることはほとんどありません。

自分の文章について ひとになにかいわれると、
まず反発をかんじるわたしとは 人間のできがちがう。
村上さんでさえ ひとの指摘をうけいれるのだからと、
それをよんでから すこしは謙虚にふるまえるようになった。

村上さんは翻訳によって自分が形づくられてきたという。
翻訳というのは一語一語を手で拾い上げていく「究極の精読」なのだ。そういう地道で丁寧な手作業が、そのように費やされた時間が、人に影響を及ぼさずにいられるわけはない。

翻訳についてはなす村上さんは とてもあけっぴろげだ。
翻訳についてかかれた村上さんの本は どれもおもしろい。

posted by カルピス at 21:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 村上春樹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする