清水俊二氏の訳による『長いお別れ』は、
大学生のころにいちどよんだことがある。
なにがかいてあったか、内容をすっかりわすれたけど、
ミステリーにおける「必読書」として手にとった。
村上春樹が訳したこの新版は、本文だけで594ページと、
『長いお別れ』よりもおよそ100ページながい。
ストーリーとしてはさほど複雑ではないけど、
なにしろいろんなことがおこるし、
登場人物のおおくがおしゃべりなので、
あるていどのながさがなければ、
こまかな設定のすみずみまでえがけない。
よみだしてすぐに、本のぶあつさをたのもしくかんじ、
600ページをよみおえたときには、
小説の世界にどっぷりとひたれた充実感を味わえる。
『村上春樹翻訳(ほとんど)全仕事』によると、
村上さんはチャンドラーの文体をモデルにしながら、
「一段一段、階段をのぼっていくような感じ」で
自分の世界にふみこんでいったという。
チャンドラーの文体は撲の原点でもある。そういう小説を自分の手で翻訳できるのは、実に小説家(翻訳家)冥利につきるというか。村上さんにとってレイモンド=チャンドラーは、
そしてとりわけ『ロング・グッドバイ』は、
特別な意味をもつ小説として 位置づけられている。
おかしかったのは、にくからずおもっていた女性と
いよいよベッドへ、という場面。
「君にはどれくらい財産がある?」
「全部で、どれくらいかしら。たぶん800万ドル前後ね」
「君とベッドに行くことにした」
「金のためなら何でもやる」と彼女は言った。
「シャンパンは自腹を切ったぜ」
「シャンパンくらい何よ」と彼女は言った。
こんなときに
「君にはどれくらい財産がある?」
なんてたずねる男がいるだろうか。
「たぶん800万ドル前後ね」
と即答する女性も息がよくあっていて、いいかんじだ。
この場面でのマーロウは、シャンパンにからめた軽口がさえている。
酒がやたらとでてくる小説でり、
ついわたしもつきあってしまい、
のみすぎる日がなんどかあった。
それもまた、この小説をよむときの
大切な一部分かもしれない。
本書をよんでいると、村上さんの存在をしばしばかんじた。
こんなことをいわれたら、村上さんとしては不本意だろうけど、
まるで村上さんがかいた本みたいだ。
文庫版が発売されてからすぐにかっていたものの、
ずっと本棚にならべるだけになっていた本書を、
なぜきゅうによんでみる気になったのだろう。
チャンドラーによばれて、というよりも、
村上さんにおいでおいでをされたような気がする。