2017年08月13日

ながい積んどくのはてに やっと手にした村上春樹訳の『ロング・グッドバイ』

『ロング・グッドバイ』(レイモンド=チャンドラー・早川文庫)

清水俊二氏の訳による『長いお別れ』は、
大学生のころにいちどよんだことがある。
なにがかいてあったか、内容をすっかりわすれたけど、
ミステリーにおける「必読書」として手にとった。
村上春樹が訳したこの新版は、本文だけで594ページと、
『長いお別れ』よりもおよそ100ページながい。
ストーリーとしてはさほど複雑ではないけど、
なにしろいろんなことがおこるし、
登場人物のおおくがおしゃべりなので、
あるていどのながさがなければ、
こまかな設定のすみずみまでえがけない。
よみだしてすぐに、本のぶあつさをたのもしくかんじ、
600ページをよみおえたときには、
小説の世界にどっぷりとひたれた充実感を味わえる。

『村上春樹翻訳(ほとんど)全仕事』によると、
村上さんはチャンドラーの文体をモデルにしながら、
「一段一段、階段をのぼっていくような感じ」で
自分の世界にふみこんでいったという。
チャンドラーの文体は撲の原点でもある。そういう小説を自分の手で翻訳できるのは、実に小説家(翻訳家)冥利につきるというか。
村上さんにとってレイモンド=チャンドラーは、
そしてとりわけ『ロング・グッドバイ』は、
特別な意味をもつ小説として 位置づけられている。

おかしかったのは、にくからずおもっていた女性と
いよいよベッドへ、という場面。
「君にはどれくらい財産がある?」
「全部で、どれくらいかしら。たぶん800万ドル前後ね」
「君とベッドに行くことにした」
「金のためなら何でもやる」と彼女は言った。
「シャンパンは自腹を切ったぜ」
「シャンパンくらい何よ」と彼女は言った。

こんなときに
「君にはどれくらい財産がある?」
なんてたずねる男がいるだろうか。
「たぶん800万ドル前後ね」
と即答する女性も息がよくあっていて、いいかんじだ。
この場面でのマーロウは、シャンパンにからめた軽口がさえている。
酒がやたらとでてくる小説でり、
ついわたしもつきあってしまい、
のみすぎる日がなんどかあった。
それもまた、この小説をよむときの
大切な一部分かもしれない。

本書をよんでいると、村上さんの存在をしばしばかんじた。
こんなことをいわれたら、村上さんとしては不本意だろうけど、
まるで村上さんがかいた本みたいだ。
文庫版が発売されてからすぐにかっていたものの、
ずっと本棚にならべるだけになっていた本書を、
なぜきゅうによんでみる気になったのだろう。
チャンドラーによばれて、というよりも、
村上さんにおいでおいでをされたような気がする。

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2017年03月26日

『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』(村上春樹)

『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』(村上春樹・中央公論新社)

本屋さんへ『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』をかいにいく。
もう発売されているはずなのにみあたらない。
『騎士団長殺し』はいまでも山づみになっているし、
新刊コーナーには、ほかの作家の話題作が
目をひく配置でおかれているのに、この本はみつからない。
島根には、まだものがとどいてないのだろうか。
店内のパソコンで「村上春樹」を検索すると、
38ページのまんなかくらいにちゃんとあった。
本の情報をプリントアウトして しめしてある棚番号にいくと、
翻訳本がならんでいる棚に ひっそりと数冊おかれていた。
予想していたのより、はるかにささやかなあつかいで、
パソコンのたすけをかりなければ、
なかなかみつけられなかっただろう。
村上さんの新刊というと、一大イベントになるかとおもっていたのに、
小説でない本は、ずいぶん地味なあつかいとなる。

構成は、半分くらいが これまでに出版された
翻訳本をふりかえったもので、
のこりの半分は柴田元幸さんとの対談、
「翻訳について語るときに僕たちの語ること」
になっている。
文春新書からだされている『翻訳夜話』のつづきみたいな本だ。

村上さんが手がけた70冊にものぼる翻訳のうち、
わたしがよんだのは20冊ほどだった。
手もとにあるのによんでない本がいくつかあるし、
そもそもわたしはフィッツジェラルドとカーヴァーの
よい読者ではない。
印象にのこっているのは アーヴィングの『熊を放つ』と、
C.D.B.ブライアンの『偉大なるデスリフ』で、
最近の本ではマーセル=セローの『極北』が力作だった。
本文には目をとおさず、訳者あとがきだけをよむときもある。
村上さんのかく解説や訳者あとがきは とてもおもしろいので。

村上さんと柴田さんがはじめてチームをくんだのは
『熊を放つ』のときで、それ以降、
村上さんのよき相棒として柴田さんの存在はおおきい。
村上さんは 翻訳にかぎらず、文章についてなにか指摘されると、
なおすのにためらいがないという。
文章というのは基本的に、直せばなおすほどよくなってくるものなんです。悪くなることはほとんどありません。

自分の文章について ひとになにかいわれると、
まず反発をかんじるわたしとは 人間のできがちがう。
村上さんでさえ ひとの指摘をうけいれるのだからと、
それをよんでから すこしは謙虚にふるまえるようになった。

村上さんは翻訳によって自分が形づくられてきたという。
翻訳というのは一語一語を手で拾い上げていく「究極の精読」なのだ。そういう地道で丁寧な手作業が、そのように費やされた時間が、人に影響を及ぼさずにいられるわけはない。

翻訳についてはなす村上さんは とてもあけっぴろげだ。
翻訳についてかかれた村上さんの本は どれもおもしろい。

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2017年03月10日

かんちがいしていた村上春樹さんの「全仕事」

村上春樹さんの『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』が、
3月17日に発売されるという。
(ほとんど)全部の訳本がおさめられ、
それがわずか1620円で手にはいるとは、じつにありがたい。
とおもっていたら、
どうも(ほとんど)すべての訳本がよめる本ではなく、
村上さんがこれまでに翻訳してきた本をふりかえる、
という趣旨らしい。
柴田元幸さんとの対談もおさめられているそうだ。
かんがえてみれば、村上さんが翻訳してきた
100冊くらいの(正確な数はしらない)本が、
1冊におさまるわけがない。

翻訳してきた本をふりかえる企画は、
これはこれで、おもしろそうだけど、
村上さんが訳してきた(ほとんど)全仕事を、
ほんとうに1冊にまとめられないだろうか。
そして、その本と もう一冊、こちらは
村上さんの(ほとんど)すべての小説がおさめられた本がほしい。
紙の本では ふつうの全集になってしまい おもしろくない。
ここはどうしても電子書籍のでばんだ。
すこしぐらいたかくても、そうした「全仕事」があれば
わたしはおおよろこびでかうけどな。
無人島へもっていく本「問題」も、これでいっぺんに解決される。
さらによくばると、エッセイと旅行記も、
それぞれ「(ほとんど)全仕事」があればうれしい。
無名のかき手の作品を世にだすだけでなく、
こうした「全仕事」も電子書籍にむいた本づくりだとおもうけど。

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2016年10月15日

「ハーモニカがスティービー・ワンダーより下手だから?」もいいとおもうけど

けさの天声人語(朝日新聞のコラム)に、
村上春樹さんの『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』
からの引用がのっていた。
ボブ=ディラン氏について
「まるで小さな子が窓に立って雨ふりをじっと見つめているような声なんです」

とわかい女性がはなす。

状況をもうすこしくわしく説明すると、
「私」がレンタカー店で
カリーナ1800GT・ツインカムターボをかりたとき、
車のデッキにボブ=ディランのカセットテープをいれ、
『ウォッチング・ザ・リヴァー・フロー』をききながら
パネルのスイッチを確認していた。
車をかりる手つづきで
「私」に対応してくれたレンタカー店の女性が
「何かお困りのことがございますか」とはなしかけてくる。
それをきっかけにふたりがおしゃべりをするなかで、
「これボブ・ディランでしょ?」
「そう」と私は言った。ボブ・ディランは『ポジティヴ・フォース・ストリート』を唄っていた。二十年経っても良い唄というのは良い唄なのだ。
「ボブ・ディランってすこし聴くとすぐにわかるんです」と彼女は言った。

そのあとで、天声人語氏がとりあげた
「まるで小さな子が窓に立って・・・」と
レンタカー店の女性がいうのだけど、
そのまえに「私」は
「ハーモニカがスティービー・ワンダーより下手だから?」と
冗談をいっている。
ここの部分を引用せず、「まるで小さな子が窓に立って・・・」
にしたところがいかにも朝日新聞であり、天声人語氏だ。

『世界の終わり・・』がかかれた当時すでに、
「でも君みたいに若い女の子がボブ・ディランを聴くなんて珍しいね」
という存在だったボブ=ディラン氏が、
今回のノーベル賞で注目をあつめている。
小説がかかれた1985年から30年すぎたいま、
村上春樹さんとボブ=ディラン氏が
いっしょに話題となる日がくるとは。

小説のおわりに、もういちどボブ=ディラン氏の名前がでてくる。
「ボブ・ディランって何?」とたずねられたときに、
「雨の日にー」と私は言いかけたが説明するのが面倒になってやめた。「かすれた声の歌手だよ」

『世界の終わりとハードボイルド・・・』は
村上さんの作品のなかで、わたしがいちばんすきな小説だ。

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2016年10月10日

村上春樹作品の文庫化と電子書籍化

本屋さんにでかけたら、目だつところに
ずらっと村上春樹さんの本がならんでいた。
「今年こそノーベル賞を・・・」という企画だ。
本をうる側からすれば、話題がほしいのだろうけど、
毎年のように こうやってさわぐのは あまりすきではない。
村上さんがノーベル賞をとったら、
村上春樹コーナーができて おおさわぎされるだろうから、
文庫になったばかりの『職業としての小説家』を
いまのうちにかっておこうと手にとる。
なんだかよんだことがありそうだ。
単行本になるまえに、雑誌で連載されたときによんだのかもしれない。
あるいは図書館でかりたのかも。
本屋さんでかうのはやめ、家にもどって本棚をみると、
ちゃんと単行本をもっていた。
まだもってないとおもいこんでいたのだから、
かなりテキトーなよみ方だったみたいだ。

このまえの「クールジャパン」では、
日本の本をとりあげていた。
文庫本がちいさくてクール、と
評価するひとがいるいっぽうで、
ぶあつい本のほうがよんだ気がする、というひともいた。
村上さんの『1Q84』も、
アメリカでは1冊のぶあつい本としてうられているそうだ。
日本では単行本で3冊、文庫では6冊にわかれる。
スタジオにきていた外国人ゲストには、
村上さんファンが何人もいた。
なかには日本語でよんでいるひともおり、
村上さんが世界でひろくよまれているのを実感する。

『職業としての小説家』のほかにも、
このごろたてつづけに村上さんの本が文庫になった。
『恋しくて』『女のいない男たち』、
『色彩をもたない多崎つくると、・・・』も
きょねんの12月と、わりにはやい文庫化だ。
『女のいない男たち』は、文庫とともに
電子書籍にもなっている。
『パン屋再襲撃』『TVピープル』『レキシントンの幽霊』もまた
電子書籍になったという。

ちょっとべつなはなしになるけど、
単行本が電子書籍になるよりも、
文庫本からの電子書籍化のほうがやすい。
とうぜんみたいだけど、かんがえてみるとなんだかへんだ。
はじめからもっとやすい電子書籍にしてくれたらいいのに。

わたしはちかい将来にでかける外国旅行にそなえ、
村上さんの本を自炊業者にだして
キンドルでよもうとたくらんでいる。
村上さんの本は、短編も長編も くりかえしよめるので、
キンドルに村上春樹著作集がはいっていれば
どんなにながいバカンスでも安心だ。
でも、これだけ村上さんの本が電子書籍からえらべるのなら、
自炊業者にだす手間や、
PDF化された活字のよみにくさをかんがえると、
はじめからキンドル版をかったほうがいいような気がしてきた。
はやい文庫化や電子書籍化は、
おそらく できるだけやすい値段で 読者によんでもらいたいという
村上さんのかんがえからだろう
(『村上さんのところ』にそんな回答がのっていた)。
自炊業者にたよったり、キンドルアンリミテッドに期待するよりも、
文庫からの電子書籍化をまつほうが 現実的かもしれない。

posted by カルピス at 21:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 村上春樹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする