2020年06月27日

『梅棹忠夫の「日本人の宗教」』

『梅棹忠夫の「日本人の宗教」』
(梅棹忠夫:著・中牧弘充:編著・淡交社)

『梅棹忠夫の「日本人の宗教」』がとどく。
「梅棹忠夫生誕100年記念出版」なのだそうだ。
梅棹さんがなくなって10年がたつのに、
いまもなおポツリポツリと、
梅棹さんの本をよめるのはありがたい。

内容は、
第1章 幻の著書『日本人の宗教』を追跡する(中牧弘充)
第2章 宗教の比較文明論(梅棹忠夫)
第3章 民俗学者の発想「宗教について」(梅棹と中牧との対談)
となっている。

第1章の「幻の著書『日本人の宗教』」というのは、
「幻の著書」とは、もともと梅棹さんが淡交社から
『日本人の宗教』として依頼された本だったからだ。
これは『世界の宗教』(全12巻)の最終巻に位置づけられていた。
梅棹さんはさまざまな理由からこの本をかきあげらなかったものの、
準備としてかかれた「こざね」が、梅棹資料室にのこされていた。
そのこざねをもとに、梅棹さんがかきたかったであろう内容を、
中牧弘充さんが「追跡し、推理」してまとめ、本書となった。
淡交社の方々は、まさか企画の50年後に、
このような形で もとのタイトルどおりの本が
発行できるとはおもわなかっただろう。
おそろしく気のながい仕事をやりとげられた。

それにしても、「こざね」がのこされていてよかった。
完全にならべおえたこざねでなくても、こざねさえあれば、
あるていど梅棹さんがかきたかった内容を推察できる。
こざねは、執筆内容を整理するだけでなく、
本人にかわり、原稿のラフスケッチも しめしてもくれる。

「まえがき」のさいごには、
本書の姉妹編ともいうべき
『梅棹忠夫の「人類の未来」』が紹介されている。
この本は、1970年ごろに、
河出書房が企画した『世界の歴史』(全25巻)の
最終巻に予定されていたものの、
『日本人の宗教』とおなじように、実現する日はこなかった。
のちに小長谷有紀さんが「こざね」を資料としてまとめたものが、
『梅棹忠夫の「人類の未来」』として発行された。

どちらもの本も、シリーズの最終巻として期待されていたのに、
梅棹さん本人の著作とならなかったのがくやまれる。
ただ、梅棹さんが亡くなってからも、
こうして1冊の本としてよめるのだから、
中牧弘充さんほか、たずさわった方々、また淡交社に感謝したい。
ひさしぶりに手にした梅棹さんの本がたのしみだ。

posted by カルピス at 15:47 | Comment(0) | 梅棹忠夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月04日

『知的生産の技術とセンス』梅棹忠夫さんの業績を適切に評価し、発展させる

『知的生産の技術とセンス』
(堀正岳・まつもとあつし・マイナビ新書)

べつの本をさがしていたら、本棚で本書をみかけた。
よんだおぼえがない。
「はじめに」には、梅棹忠夫さんの
『知的生産の技術』のアップデートをこころみた、とある。
すこしよんでみると、すごくおもしろい。
こんないい本をみつけてラッキーだった、とおもったら、
本文には、いくつも線がひいてある。
おわりの章まで線やらかきこみがあり、
どうやらわたしはすでにこの本をよんでいるようだ。
ブログをしらべてみると、2014年のことだ。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/406237128.html
もういちどよんでみると、記憶にないだけあり、
まるで はじめての読書のようにこころにひびいてくる。
たのしみつつも、がっかりしながらの再読となった。

こんかいよんでみて、アウトプットしつづける意味がこころにひびく。
無名の個人がいくらかの記事をかいたところで、
なにもおこらないようにおもえる。
 しかしここで、とることができる戦略があります。注目を受けなくても、反応がなくても、コンスタントにアウトプットをし続ける。アウトプットのログ(記録)を蓄積し続けるという方法です。

ジョナサンというミュージシャンの活動を例にあげ、
アウトプットをやめずに蓄積することで、
1 しだいに彼のアウトプットが彼の個性を開拓していったこと。そして
2 アウトプットに個性が増えるにしたがってそれを求めている人々が彼を発見した、という2点です。

わたしはまいにちブログに記事をかいており、
「個性を開拓していった」という実感はないけれど、
客観的にみれば、まいにちひとつの記事をかきつづける技術を、
いつのまにか身につけられた、とはいえるだろう。

本書は、梅棹さんの業績にいまいちど光をあて、
けして過去のひとではないとしらしめてくれている。
梅棹さんファンとして、こんなにすばらしい本はないのに、
それをよんだことさえすっかりわすれていたなんて。
はじめにこの本をよんだときの興奮が、
ブログをかきつづけるちからとなった、とおもいたい。

本書が指摘するように、梅棹さんが
『知的生産の技術』で世におくりだしたメッセージは、
世界をかえる影響をあたえている。
私たちは自分たちの知的好奇心や驚きや感動を人に伝えることで、世界がほんの少しでも良い方向に変わるのだと信じようではありませんか。

壮大な事業に参加していることを、こころのささえとしたい。

posted by カルピス at 16:53 | Comment(0) | 梅棹忠夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月09日

「若者はキバをむきだせ」とはなしていた梅棹忠夫さん

梅棹忠夫さんについてのおもいでを
石毛直道さんが「梅棹さんの酒」としてかいていた
(『考える人』No37)。

毎週金曜日にひらかれる「梅棹サロン」には、
登山や探検、人類学をこころざすわかものがあつまり、
かっぱつな議論をたたかわせていたという。
梅棹邸に出入りするようになった初期に聞いたことばで忘れられないのは、「若者はキバをむきだせ」ということであった。平和で安定した現代の社会生活では、イノシシがキバをむきだして猪突猛進するような行動は必要なく、キバをふりまわされたら迷惑でもある。しかし、キバを失ったイノシシはブタになる。おまえたちはブタになるなと、学生たちに扇動したのである。

このはなしは、梅棹さんの著書『わたしの生きがい論』にも
「キバと幸福」として登場する。
ただし、こちらでかたられているのは、
いまの時代、ブタでいいではないか、というかんがえ方だ。
これまでの時代は、地位や名誉を手にいれようと、
キバをむきだしてがんばってきた。
そして、ゆたかな生活をおくれるようになったいま、
もうキバは必要ない。
せまい社会でキバをふりまわされると、まわりが迷惑する。
キバをすてたイノシシは、ブタになってしまうけど、
設備のととのった豚小屋で、じゅうぶんなたべものをえながら、
ぬくぬくとくらすのも、わるくない人生ではないか。

「梅棹サロン」にやってくるわかものたちには、
「キバをむきだせ」といいながら、
本のなかでは、キバをすてブタになればいい、とかく。
梅棹さんはごく自然にこのふたつをつかいわけていたのだろう。

ブタでいい、といわれると、
なんだかばかにされたような気になるかもしれないけど、
わかいころに『わたしの生きがい論』をよんだわたしは、
すんなりこのかんがえをうけいれた。
「キバと幸福」につづく章では、
がんばれば 問題が解決されるとおもうのはあまい、
というはなしもでてきて、生きがいとはなにかを
よくある生きがい論とは、まったくちがう方向からろんじている。

ブタになったわかものたちは、
もしかしたら、もういちどキバをつけ
再武装してたちあがるかもしれないと、
「キバと幸福」にはかかれている。
このときにはえてくるキバは、
攻撃の武器としてのキバではなく、精神のキバだ。
世俗的な要求をみたすためではなく、
なんだかよくわからないけど、
無償の奉仕みたいな献身的な行為に、
猪突猛進するひとがでてくるのでは、と
梅棹さんは期待している。

石毛さんのエッセイは、タイトルどおり、
梅棹さんと酒のかかわりについて ふれたものだ。
お酒のすきな梅棹さんなのに、
そのスタートは意外とおそく、40代だという。
はじめはビールと日本酒からはいり、
アフリカでの調査でウイスキーの味をおぼえ、
ヨーロッパ「探検」でワインにめざめている。
よく、休肝日をもうけましょう、なんていうけど、
内臓ははたらくようにつくられているので、
休肝日は必要ない、というはなしをどこからかきいて
梅棹さんは 酒をきらしたりはしなかった。
神さまみたいな存在である梅棹さんをみならい、
わたしもまた、安心してまいにち酒をのんでいる。

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2018年01月14日

なんどよんでもあきない『東南アジア紀行』(梅棹忠夫)

このまえのタイ旅行では、
梅棹忠夫さんたちの学術調査隊が
1957から58年にかけておとずれたコースを
ほんのすこしだけかすめている。
ひさしぶりに『東南アジア紀行』(中公文庫)をひっぱりだしてみた。

タイの最高峰、ドーイ=インタノンをのぼろうと、
調査隊はチェンマイから西へむかう。
とちゅうでおとずれたメー=ホーイの村では、
学校の先生のおうちにひとばんとめてもらう。
「村」といっても、20戸ばかりの農家がちらばる ごくちいさな農村だ。
多少とも近代化され、知識もあるいなかの人には、しばしば鼻もちならぬキザな人物がいるものである。しかし、ここの先生には、みじんもそういうところがなかった。かれは、われわれに対しても、村の人に対しても、礼儀ただしく、ひかえ目で、しかもあいそがよかった。せまってくる近代の波に足をすくわれることなく、タイの農村の伝統の上にしっかりと足をふまえて立って、しかも着実に村の進歩のための一つの中心になっている。

「せまってくる近代の波に足をすくわれることなく」
のことばえらびがうつくしい。

チェンマイの営林局が梅棹さんたちの調査隊に同行させたサイヤン氏について、
メー・ホーイから上の荷物の輸送のために、ウマを集めなければならぬ。この地方の事情としては、それはなかなかむつかしいことだった。その問題が、サイヤンが腕を発揮する最初の機会になった。かれは、小川、葉山とともに先行して、その交渉に当ったのだが、その判断の正しさと、処置の的確さとで、たちまたわたしたちのあいだで信用を得てしまった。
 かれは、有能というだけではない。人間としてのかれの誠実が、なによりもわれわれをひきつけるのである。しかも、かれはユーモアを解する。

「人間としてのかれの誠実が、なによりもわれわれをひきつけるのである」
なんと的をいた人物観察だろう。

30年まえに、はじめてこの本をよんだとき、
手に汗にぎる探検でないためか、わたしにはたいくつな記述がおおく、
おもしろそうな項目をもとめて いいかげんにページをめくった。
しかし、すこしおとなになってから ふたたび手にとってみると、
よめばよむほど、味がでてくる本なのがわかった。
よむたびに、あたらしい場面にひかれる。
なんで、これまでみすごしていたのだろう。
東南アジアの歴史をわかりやすく紹介しつつ、
梅棹さんが旅行で目にした事実から、仮説をたてる。
この調査隊がタイをまわったのは、
60年もむかしのはなしなのに、ちっともふるびていない。
梅棹さんほど ふかい教養と行動力をかねそなえていなければ、
これだけの探検記はなかなかかけないのだろう。

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2017年04月26日

どこまでもつづく乾燥地帯の大平原に 胸をあつくする

『梅棹忠夫著作集 第4巻』におさめられている
「トルキスタンの旅」をよんでいたら、
『モゴール族探検記』にあたる部分をおえたあと、
カーブルへかえるまでの旅行がしるされていた。
土地はしだいに平坦になり、中央アジアの大平原の様相を呈してくる。まったいらな地平線があらわれてくる。(中略)わたしは、十数年ぶりに、びょうびょうたるアジア大陸の地平線をたのしむ。あの地平線は、そのままモンゴリアまでつらなっている。あのラクダのふみあとがそのまま北京までつづいている。(梅棹忠夫著作集 第4巻P268)

梅棹さんは、アジア大陸の内部につらなるこの大平原をみて、
『文明の生態史観』の着想をえている。
東北アジアから、西南アジアのアラビアまで、ユーラシア大陸を斜めに横断して走る大乾燥地帯がある。それは、際限もなくひろがる砂漠と草原の世界であり、それをつらぬいて点々と連なるオアシスの世界である。その大乾燥地帯の一角にとりつけば、あとは一しゃ千里である。三蔵法師もマルコ・ポーロも、みんなこの大乾燥地帯を利用して旅行したのであった。(『モゴール族探検記』P8)

わたしはまえにモロッコを旅行したとき、
この大乾燥地帯のはしっこをみたようにおもった。
マラケシュからアトラス山脈をこえると
それまで緑のおおかった植生にかわり、乾燥した土地があらわれる。
アトラス山脈にそって車が東へはしると、
右手には延々と大平原がひろがっている。
『文明の生態史観』をよんでいたわたしは、
この大平原がずっと東のはて、モンゴルまでつづいているのだと、
ひそかに興奮したものだ。
目のまえにあらわれた大平原をみて、
梅棹さんのいう「一しゃ千里」の意味がよくわかった。
機動力のある騎馬隊がこの一角にとりつけば、
なにもさえぎるものがないので、かんたんに距離をかせぐだろう。
乾燥地帯は悪魔の巣だ。(中略)昔から、何べんでも、ものすごく無茶苦茶な連中が、この乾燥した地帯の中からでてきて、文明の世界を嵐のようにふきぬけていった。そのあと、文明はしばしばいやすことのむつかしい打撃をうける。『文明の生態史観』(中公文庫P102)

夜ねむむるまえ、
お酒をすすりながらの読書にぴったりなのが探検記だ。
よいがまわるにつれ、こまかな描写には頭がついていかないので、
たいていは、いちどよんだ本をひっぱりだす。
このごろわたしがよくひらくのは、
冒頭にもかいた『梅棹忠夫著作集 第4巻』で、
この巻は「中洋の国ぐに」として『モゴール族探検記』など、
「中洋」を舞台にしたはなしがおさめられている。
わたしがすきな「カイバル峠からカルカッタまで」もこの巻にあり、
よいにまかせて適当にページをひらく。
梅棹さんは、このときの旅行で、
タイプライターをたたきながら、まどのそとにひろがる
風景を記録している。
みじかくきられたリズム感のある文章に、
まるで自分もいっしょに旅行している気がしてくる。
たとえば出発のようす。
 4時30分。用意はできた。江商バンガローの人たちは、懐中電灯をもって、門まで見おくってくれる。わたしは、みんなにさようならをいう。わたしたちは、車にのりこむ。シュルマン博士は、エンジンをかけ、ハンドブレーキをはずす。わたしは、ながいあいだ行動をともにしてきた友人、山崎さんに、最後のごきげんようをいう。そして、出発する。(梅棹忠夫著作集 第4巻P282)

梅棹さんのここちよい文体にひたり、
つい寝酒がすぎてしまいがちだ。

posted by カルピス at 21:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 梅棹忠夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする