2020年05月25日

民族によってちがうコミュニケーションの距離

Web本の雑誌の「作家の読書道」をみていたら、
ずいぶんまえに椎名誠さんが登場していた(2003年5月)。
そのなかで、民族による距離のとりかたのちがいが話題になっている。
http://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi19.html

――この先、椎名さんが取り組んでみたいテーマはありますか?
の質問に、
椎名 : うーん、うまく言えないんですけど、「仕草の文化史」といったらいいのかなぁ。 例えば、歩き方ひとつとっても、日本人はポケットに手を入れて歩く人がいるんだけど、国によってはこれは異なりますよね。民族によって適正なコミュニケーション距離も違って、そうだなぁ、イラクなんかでは60cmくらいで、日本人は2m以上ないとダメなんですよ。 あちこち外国に行くと、それがスゴク気になってきて、そろそろまとめてみたいですね。 でも、またその関連でいろいろな本を読んでいかなくてはならないんだけど(笑)

椎名さんの記事をよむまえは、
ソーシャルディスタンスなんてめんどくさいなー、
とおもっていたけど、
日本は、もともとあいてとの距離をおく文化なのをわすれていた。
ときどき妙にちかくによってきてはなすひとがいて、
そうされると距離のちかさにいごこちがわるくなる。
コロナでソーシャルディスタンスがもとめられるまえから、
日本はソーシャルディスタンスの国だったのだ。

椎名さんがいうように、たしかにアラブのひとは、
たとえ男どうしでも、ぴったりくっつこうとする。
ハグがあたりまえのラテン系はもちろんからだがくっつくし、
ヨーロッパでは握手があいさつの基本だ。
日本とは、ぜんぜんコミュニケーションの距離がちがう。
日本に新型コロナウイルスが外国ほどひろがらないのは、
民族による風習のちがいが、
たまたま日本に有利だったからではないか。

コロナがおちついたら、いろんな事実があきらかになる。
ソーシャルディスタンスは1メートルでよかった、とか、
レジのビニールシートはぜんぜん意味がなかった、とか、
散歩やジョギングのときのマスクは必要なかった、とか。
スキンシップしなければ、だいたい大丈夫、かもしれない。
いまおこなわれている あれやこれやが
じつは意味がなかった、という種あかしを たのしみにしている。
民族によるコミュニケーション距離が鍵をにぎっているかもしれない。

posted by カルピス at 21:49 | Comment(0) | 椎名誠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月07日

『モヤシ』(椎名誠) 痛風をきりくちに、モヤシとモズクをめぐる おとっつぁん冒険小説

『モヤシ』(椎名誠・講談社文庫)

健康診断で、尿酸値がたかいと医者にいわれた「私」は、
尿酸値をあげる原因であるプリン体についてしらべる。
白子・あんきも・かつおぶし・アジやイワシの干物など、
すきなたべものは のきなみプリン体がおおく、
酒のなかではビールもよくないらしい。
プリン体をさけるため、「私」がモヤシに注目したことから
本書のタイトルが「モヤシ」となっている。

「私」からわかるように、
この本は私小説のかたちをとっている。
よくありがちな「痛風こわい」のはなしにおわらず、
モヤシをきりくちに、私小説にしてしまうのが
さすがに椎名さんのうまいところだ。
たべものについてのエッセイでもなく、
小説のなかにモヤシがすんなりおさまっている。
もともとモヤシがまえからすきだった「私」は
モヤシを春巻にいれ、さらに生春巻へとすすみ、
ついにはモヤシの栽培キットを手にいれて、
取材旅行につれていき、モヤシをそだてながら旅館をまわる。

後半のモズク編では、なかまのおとっつぁんたちと、
沖縄へ野球の合宿にでかける。
旅館にとまらず、テントをはっての自炊生活なので、
ほんとうに野球の「キャンプ」だ。
でも、せっかくやってきた久米島では、練習場をかりられず
(けっこういいかげんな合宿だ)、さらにはなれ島へむかう。
ひとが5人しかすまないその島にも、野球をするだけのひろさがなく、
さらに数百メートルはなれた無人島までいくことに。
島へむかう船をかりられなかったため、
おとっつぁんたちはイカダをつくりはじめる。
無人島にイカダとくれば、まるで冒険小説だ。
ひとが全員のるのはむりでも、荷物だけでもはこべるようにと、
浜にうちあげられている材木をくみあわせ、
最小限のイカダをつくるあたりがリアルだ。
ごっこあそびのだいすきなわたしをわくわくさせる。

「あとがき」がまたよませる。
椎名さんはその後『モヤシ』の続編として
『ナマコ』という小説をかいており、
シイナマコトという名前からか、
ナマコにはつい気あいがはいってしまうという。
モヤシにも、もっとがんばってもらいたいと、
モヤシをいれてのカレーうどんのレシピまでついている。
「モヤシ業界のさらなる発展のため」というから、
椎名さんのモヤシ愛はふかい。
尿酸値を心配していた椎名さんは、その後
痛風を発症することもなくいまにいたっている。
プリン体はどんなたべものにも おおかれすくなかれふくまれており、
プリン体に一喜一憂するよりも、
ストレスがなによりもよくないとわかってきたそうだ。
だから私はそれを都合のいいように解釈して、酒場に入ってもあまりそれらのことは気にしないで、いままでどおりなんでも好きなものを楽しく肴にしてビールを飲む、という生活にもどった。

わたしの同僚にも痛風になったものがいるし、
わたしだってほし魚・青魚がすきなので、痛風は他人ごとではない。
でもまあ、年をとればからだのあちこちにガタがくるように、
尿酸値や血圧、コレステロールは、おとっつぁん世代の
トレードマークみたいなものだ。
椎名さんのように、あまり気にしないで、
のんだりたべたりを たのしくつづけたい。

posted by カルピス at 20:23 | Comment(0) | 椎名誠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月09日

『おなかがすいたハラペコだ。』椎名誠さんがタマネギにむける愛

『おなかがすいたハラペコだ。』
(椎名誠・新日本出版社)

たべものにまつわるエッセイ。
前半は、タマネギへの愛がおおくをしめ、
後半は、日本ではやりつつある なんだかんだに、
イチャモンをつける。

糸井重里さんは、野菜とはすなわちキャベツのことでは、と
「今日のダーリン」で発見をかたっている。
椎名さんにとって、いちばんえらいのはタマネギとなる。
たしかに、キャベツがなければ いろいろとさみしいし、
タマネギの存在感も、野菜のなかでとびぬけている。

わかいころ、仲間たちと貧乏な共同生活をしていたころ、
椎名さんはタマネギにめざめる。
 炊きたてのごはんの上にカツオブシとタマネギを炒めて醤油で味つけしたのを惜しげもなく全部ドサっとのせて四人でわしわし食うと、もう何も文句ありません状態になった。

 タマネギはちょっと赤っぽい透明のアミの袋に入っている。(中略)寝るときはみんなそのタマネギを見上げることになる。タマネギのいっぱい入ったあの網袋はぼくたちのシャンデリアだった。

わかくて、ビンボーで、いいはなしだ。

本のなかで紹介されている
「タマネギ丸ごと十個焼き」をためしてみた。
 丸ハダカにしたタマちゃんの底を包丁で丸くくり抜く。上のほうは軽く十字に切っておく。そうしてフライパンに薄口醤油を薄くいれて十個いっぺんに煮る。(中略)蓋をして全体に熱が回るようにする。全体に熱が通ったところで上のほうにも薄口醤油をさっとたらし、蓋をしてダメおしにもうちょっと火を通してできあがり。
 これがうまいんだよおー。

ちょうどスーパーで、10個ほどのちいさなタマネギが
150円でうれていた。
ちいさいければ、火がとおりやすいだろう。
うすくち醤油はないので、ふつうの醤油をつかった。
それだけではなんだか心配なので、酒とブイヨンもいれる。
せっかくだから、手羽元とエリンギもくわえた。
フライパンではなく圧力鍋にたよる。
ここまでくると、もやは別料理だけど、
なにごともレシピどおりつくれないわたしなので、
これぐらいの変更はいつものことだ。
みじかい時間で、ボリュームのある料理ができあがった。
椎名さんは新タマネギをすすめていたけど、
いまはないのでふつうのタマネギをつかっので、
あんがいタマネギのかたさがたもたれている。
「これがうまいんだよおー」というほどにはしあがらなかったけど、
かんたんで、たしかに わるくない。
なによりも、包丁でタマネギを
こまかくきざまなくてもいいのが気にいった。

この夏おぼえた料理に、ピーマンの丸やきがある。
魚やき用のグリルに あらったピーマンをそのままならべる。
グリルの火力は強力で、すぐに火がとおる。
すこしこげめがついたピーマンに、メンツユをかければできあがりだ。
ピーマンのヘタと種をとるわずらわしさがなく、
ピーマンのおいしさを丸ごと味わえる。
なにごとも丸ごとつかうのは、素材をいかす、
理屈にあった調理法かもしれない。
魚やき用のグリルは あらうのがめんどくさいけど、
ピーマンをやいたからといって、油はでないので よごれない。

あとがきには、妻である一枝さんのつくる朝ごはんが
いまでは最強の食事、とある。
国内外で、いろんなものをたべてきた椎名さんの結論が、
家での朝ごはん、というのも、人生のしめくくりをかんじる。

posted by カルピス at 16:51 | Comment(0) | 椎名誠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月22日

だんだんと食欲がおちるのは、ただしい老化であり、死への準備かも

椎名誠さんのエッセイをよんでいたら、
食事をつくるのがめんどう、というはなしがあった。
奥さんが長旅にでているので、自分がたべる分は
自分でなんとかしないといけない。
ソーメンやうどんくらいはゆでるものの、
自分ひとりのためにまともな食事を用意するのは
ひどくめんどくさいようだ。
かいものも苦手なのだという。

椎名さんといえば、「探検隊」もので野外料理をしたり、
ゆでたてのスパゲティにマヨネーズとショーユをぶっかける
「スパゲティ・アラ・マヨ」みたいな
即席料理を得意にしているイメージがある。
でもじっさいは、そうしたおおざっぱな料理もするけど、
基本的には、ひとがつくってくれたものを
うまいうまいとたべるほう専門のひとみたいだ。
酒はこれまでとかわらずのむものの、
歳をとってからは食欲がおち、
固形物をとるはどうでもよくなっているらしい。

はじめは、わたしは料理が苦でなくてよかった、とおもったけど、
料理がどうこうよりも、食への関心の問題かもしれない。
たべることがどうでもよくなり、気がつくと
いちにち固形物をたべない日もあるなんて、
それはそれでわるい現象ではなく、
死にむけての準備であり、ただしい老化におもえてきた。
固形物をたべないので、体重はおちていく。
ベスト体重が72キロのところを、65キロになったそうだ。
がまんしてるわけではなく、しぜんと食欲がおち、
それにともないやせていくのは、
生物として、からだはただしく死へむかっているではないか。
だんだんと意欲もおとろえ、世のなかのことがどうでもよくなり、
なにがあっても「まあいいか」とおもえるようになったら
死はこわいものではなく、くるべきおむかえがきた、
くらいのかんじなのではないか。

べつに椎名さんが、死の準備をしている、
というつもりはないけど、だんだんと食欲がおちるのは、
いかにも自然に死をむかえるようで、わるくない。
椎名さんはいま74歳のはずで、わたしもそれくらいの年齢になれば、
いつのまにか たべることなどどうでもよくなり、
だんだんと、かれた境地にたっするのだろう。
ジタバタとアンチエイジングなんてするから、
からだが拒否反応をしめして病気になるのかも。
老化により、自然と食事の量がへってゆけば、
中性脂肪やコレステロールなんて関係なくなる。
死にむけたながれに身をまかせ、ゆったりすごせたら、
おだやかなさいごをすごせるのではないか。

posted by カルピス at 21:29 | Comment(0) | 椎名誠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月13日

わたしがえらぶ椎名誠のベスト10

webサイト「椎名誠 旅する文学館」に
椎名さんがかいてきた本について、
目黒さんがはなしをきくコンテンツがある。
1979年にだされた『さらば国分寺書店のオババ』にはじまって、
2016年7月の『ケレスの龍』まで、
椎名さんの膨大な著書を
目黒さんがもういちどよみかえしたのち、
椎名さん本人からはなしをききだしている。
そのまとめというか、番外編として、
「椎名誠のベスト10」を、まず目黒さんが、
そして次回は椎名さんがえらんでいく。
http://www.shiina-tabi-bungakukan.com/bungakukan/archives/11977

目黒さんは、たとえばSFは『アド・バード』、
青春記は『新橋烏森口青春編』に代表させたりと、
おなじようなジャンルの本がかさならないよう、
バランスに気をくばって10冊をえらんでいる。
とはいえ、たとえば『絵本たんけん隊』は、わたしもよんだけど、
それほどの本とはおもえないのに 目黒さんは絶賛している。
わたしのこのみとは かなりちがった10冊になっており、
どうせならと、わたしも便乗して
椎名さんのベスト10をえらんでみた。

1『わしらは怪しい探検隊』
2『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』
3『シベリア追跡』
4『本の雑誌血風録』
5『パタゴニア』
6『哀愁の町に霧が降るのだ』
7『さらば国分寺書店のオババ』
8『麦の道』
9『砂の海』楼蘭・タクラマカン砂漠探検記
10『風にころがる映画もあった』


1『わしらは怪しい探検隊』
 昭和軽薄体とよばれる椎名さんならではの文体が
 ページのあちこちを自由自在にとびまわる。
 子どものころ探検家にあこがれながら
 気がつけば つまらないおとなになってしまったわたしだけど、
 おとなになっても まだこうやってあそんでるひとがいる、
 文章はこんなに自由でもいいんだと、
 おどろきの椎名さん本とのであいだった。

2『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』
 初期の「本の雑誌」にのせられた記事があつめられている。
 権威的なものにむかって、つまらないものは
 はっきりつまらないとかく姿勢がすばらしい。
 わかいころの椎名さんのするどい観察力と、
 だめなものはだめといいきる ただしい批判精神がすきだ。

3『シベリア追跡』
 旧ソビエト時代に、マイナス57℃のシベリアをおとずれ
 町のようすやひとびとのくらしを紹介している。
 その時代の旧ソビエトを取材するのが
 どれだけたいへんだったか、
 マイナス57℃のさむさとは、など
 格闘技できたえ、あやしい探検隊であそんできた
 椎名さんならではの取材力がひかる。

5『パタゴニア』
 南米のさきっぽにあるパタゴニアをたずねる。
 日本にのこる奥さんが精神的に心配な症状をしめしており、
 でも椎名さんは日本ととおくはなれたチリにいて、
 かんたんには連絡がとれない。
 パタゴニアの自然におどろきながらも、
 奥さんを心配しながらのつらい時間をすごす。

6『哀愁の町に霧が降るのだ』
 わかいころは、これぐらいおろかで
 まずしくて テキトーくらいがちょうどいいのだと、
 ただしい青春のすごし方を再確認できる。
 
7『さらば国分寺書店のオババ』
 椎名誠の実質的なデビュー作として、
 この本をあげないわけにはいかないだろう。

8『麦の道』
 椎名誠の高校時代をえがいた自伝的な小説。
 以前わたしはブログにこの本をとりあげており、
 そこからかきだしてみると、
おもいっきりこの小説を簡略化すると、

 けんか
 柔道
 けんか
 けんか
 女子高生
 けんか
 柔道
 けんか
 けんか
 柔道
 女子高生
 けんか

というかんじで、
けんかのあいまに柔道部での練習や試合、
ときたまあこがれの女子高生についてかたられる。
けんかにあけくれていたという椎名誠が
じっさいに体験したことをかいているので、
けんかのシーンはなまなましい迫力がある。

9『砂の海』楼蘭・タクラマカン砂漠探検記
 楼蘭探検へ、ルポライター枠で参加した椎名さんの記録。
 むかしからあこがれてきた地域への探検であり、
 体力的なアドバンテージをいかして
 ジワジワと目的地へせまっていく。

10『風にころがる映画もあった』
 椎名さんの映画ずきが、
 いちばん素直に文章化されている。
 子どものころからカメラや映写機がすきで、
 その興味関心をひきずったまま
 おおきくなったのが椎名誠だ。
 やがて映画監督にもなる椎名誠の原点は、
 子どものころの映写機あそびにみいだせる。

次回に椎名さん本人がえらぶ「椎名誠のベスト10」は、
どんな10冊になるのだろう。

posted by カルピス at 22:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 椎名誠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする