『そらをみてますないてます』(椎名誠・文春文庫)
すこしまえのブログでふれたように、
これは、青年期と40代の、2つのものがたりが交互にかたられる私小説だ。
だんだんとそのふたつが交差しはじめる。
椎名さんが「あとがき」で種あかしをしている。
「二重構成になっているこのなかの『ひとつの話』は
まあぼくの体験してきた19歳ぐらいから22歳ぐらいまでの
どうにもあぶなっかしい物語を時間の経過どおりに書きました。
それとは別にぼくが実際に行ってきた、
結果的には探検や冒険のようになってしまった世界各地への旅話を、
今度は時間軸を反対にして、その双方を分解し、
パッチワークのようにからみあわせて話をすすめるようにしました」
椎名さんがかかわった楼蘭探検やパタゴニアへの取材は
べつの本ですでになんどもよんできている。
しかし、私小説であるこの本のほうが、
ルポの単行本よりも、その旅のたいへんさがつたわってきた。
ルポものでは、気象条件などの現地の特殊な状況が説明してあっても、
人間関係などのドロドロした部分にはふれられていない。
小説のほうが、ルポよりもリアルなのはめずらしい体験だ。
これまでによんだ椎名さんの本のなかで、
ジャンルをこえていちばんよみごたえがあった。
椎名さんのファンとしては、いくつものルポや取材が、
そしてわかいころのアルバイトが、そういうふうにつながっていたのかと、
解説つきでよんでいるように腑におちる。
これは、「つながり」についての小説でもあった。
キーワードのひとつとして、「つながり」とはべつに
「人生のクライマックス」がでてくる。
「もし、自分のこれまでの人生でクライマックスと呼べるような『一瞬』
あるいは『時』があるとしたらそれは何時のことでした?
というような質問を本気でされて、
それに本気でこたえなければならない場合があるとしたら
おれはなんとこたえるだろう。
そういうことを真剣に考えたことがある。
わりあい早く『その時』が見つかった。
そうだ。たぶんあのときが人生のクライマックスだったのだろう」
こうかかれているのが13ページ目で、
そのクライマックスをずっと頭におきながらよんでいくことになる。
しかし、クライマックスばかりに意識をおいていると、
そこにむけたいろいろなつながりがみえなくなってしまう。
ものがたりのいちばんさいごは、
空港で むかえにきた奥さんに気づく場面だ。
「表情は影になっていてよくわからなかったが、
とにかく妻は一人でちゃんとそこに立っていた」
パタゴニアでの取材中、「おれ」はずっと奥さんの精神状態を心配していた。
無事に奥さんがあらわれて、読者としてはやれやれと安心するのだけど、
このむかえもまた ひとつのつながりをうんでいる。
「(妻の)むこう側に雪を頂いたチベットの山々や、
広漠としたタクラマカンの茶色い砂漠が見えるような気がした」
ちなみに、わたしのクライマックスはいつだっただろう。
『キッズ・リターン』みたいに「まだはじまってもいねーよ」
とはさすがにもういえない。
クライマックスというより、なだらかな丘、
くらいのときはたしかにあった。
丘ではだめ、ということになると、
わたしの人生にはクライマックスがなかったことになる。
それはべつに わるいことではないとおもう。
2014年05月24日
2014年05月21日
アルマイト製の四角いお弁当箱へのあこがれ あるいはお弁当小説としての『そらをみてますないてます』(椎名誠)
椎名誠の『そらをみてますないてます』(文春文庫)をよみかけている。
まだわかいころの青年期と、40代になり、
楼蘭探検や厳冬期のシベリアをおとずれるはなしが
交互でかたられる私小説だ。
わかいころの舞台は、オリンピック景気にわく東京で
飯場仕事で汗をながす場面がおおい。
そこに、アルマイト製の弁当箱がなんどもでてきて、いい味をだしている。
ぎっしりご飯がつめられたいわゆる「どか弁」で、
肉体労働でへとへとになったからだに
このアルマイト製の四角いお弁当箱が
どれだけありがたい存在だったかがつたわってくる。
まえにホームセンターへお弁当箱をかいにいったとき、
たくさん商品はありながら、なかなか気にいるものにであえなかった。
おおきさと機能の両方に 納得できるものがないのだ。
むかしながらの箱型のアルマイト弁当箱でいいや、とおもうのに、
それもまたない。
「どか弁」はもうすたれてしまったのかとネットをみると、
キャラクター商品みたいなチャラチャラした子ども用として
アルマイト製お弁当箱は生きのこっていた。
そして、「どか弁」型アルマイト製お弁当箱もまた、
レトロな味わいがみなおされつつあるようだ。
わたしがこのまえまでつかっていたお弁当箱は、
上下2段にわかれたプラスチック製のものだ。
配偶者が「もしよければ」とかってくれたので
とくによくはないけど、
「あまりよくない」とはいいにくい微妙な存在だった。
そのまえはプラスチック製の箱型で、
密閉できるようにゴムがはいっていたり、
パチッとフタがしまるような工夫がかえってアダとなり、
あらいにくかったりこわれやすかったりした。
お弁当箱は、アルマイト製にとどめをさす、とおもうようになった。
本屋さんをぶらついていたら
いろんなひとがたべているお弁当を紹介した写真集があり、
その表紙にうつっている四角いアルマイト製のお弁当箱がうつくしかった。
無骨なお弁当箱に、ぎっしりと定番のおかずがつめられている。
塩シャケ・タマゴヤキ・野菜の煮しめ・たくあん、それにもちろん梅ぼし。
人生のよろこびは、はらぺこでかかえるアルマイト製弁当箱なのではないか、
とおもわせるいい写真だ。
このごろは午後からでかける仕事となり、
お弁当をつくらない生活になった。
のこりものをガサゴソやるのもわるくないけど、
写真集にうつっていたような
定番おかずをつめこんだアルマイト製のお弁当箱にあこがれる。
トレーニングやジョギングではなく、
肉体労働によってつくりだされたはらぺこ状態で
アルマイト製のお弁当箱をかかえたい。
『そらをみてますないてます』は、本筋もおもしろいけど、
その脇にはいつもアルマイト製のお弁当箱があって、
お弁当箱へのおもいがかきたてられる「お弁当小説」でもある。
まだわかいころの青年期と、40代になり、
楼蘭探検や厳冬期のシベリアをおとずれるはなしが
交互でかたられる私小説だ。
わかいころの舞台は、オリンピック景気にわく東京で
飯場仕事で汗をながす場面がおおい。
そこに、アルマイト製の弁当箱がなんどもでてきて、いい味をだしている。
ぎっしりご飯がつめられたいわゆる「どか弁」で、
肉体労働でへとへとになったからだに
このアルマイト製の四角いお弁当箱が
どれだけありがたい存在だったかがつたわってくる。
まえにホームセンターへお弁当箱をかいにいったとき、
たくさん商品はありながら、なかなか気にいるものにであえなかった。
おおきさと機能の両方に 納得できるものがないのだ。
むかしながらの箱型のアルマイト弁当箱でいいや、とおもうのに、
それもまたない。
「どか弁」はもうすたれてしまったのかとネットをみると、
キャラクター商品みたいなチャラチャラした子ども用として
アルマイト製お弁当箱は生きのこっていた。
そして、「どか弁」型アルマイト製お弁当箱もまた、
レトロな味わいがみなおされつつあるようだ。
わたしがこのまえまでつかっていたお弁当箱は、
上下2段にわかれたプラスチック製のものだ。
配偶者が「もしよければ」とかってくれたので
とくによくはないけど、
「あまりよくない」とはいいにくい微妙な存在だった。
そのまえはプラスチック製の箱型で、
密閉できるようにゴムがはいっていたり、
パチッとフタがしまるような工夫がかえってアダとなり、
あらいにくかったりこわれやすかったりした。
お弁当箱は、アルマイト製にとどめをさす、とおもうようになった。
本屋さんをぶらついていたら
いろんなひとがたべているお弁当を紹介した写真集があり、
その表紙にうつっている四角いアルマイト製のお弁当箱がうつくしかった。
無骨なお弁当箱に、ぎっしりと定番のおかずがつめられている。
塩シャケ・タマゴヤキ・野菜の煮しめ・たくあん、それにもちろん梅ぼし。
人生のよろこびは、はらぺこでかかえるアルマイト製弁当箱なのではないか、
とおもわせるいい写真だ。
このごろは午後からでかける仕事となり、
お弁当をつくらない生活になった。
のこりものをガサゴソやるのもわるくないけど、
写真集にうつっていたような
定番おかずをつめこんだアルマイト製のお弁当箱にあこがれる。
トレーニングやジョギングではなく、
肉体労働によってつくりだされたはらぺこ状態で
アルマイト製のお弁当箱をかかえたい。
『そらをみてますないてます』は、本筋もおもしろいけど、
その脇にはいつもアルマイト製のお弁当箱があって、
お弁当箱へのおもいがかきたてられる「お弁当小説」でもある。
2013年12月05日
『飲んだビールが5万本』(本の雑誌社)これからどうすすんでいくのだろう
『飲んだビールが5万本』(本の雑誌社)
椎名誠さんがよびかけ人のひとりとしてつくった
あたらしい雑誌だ。
椎名さんによる「ソーカンのごあいさつ」をよんでみると、
「電車の中でみんな同じ格好をしたあのおかしな手鏡みたいなのを持って
どちらさんも並んで読書なんて、そんな気持ちワルイ世の中に住みたくない」
というおもいが、創刊するひとつの動機になっているようだ。
アンチ電子書籍の雑誌であり、いまのながれからみると、反動的ともいえる。
時代についていけない(いく気のない)中高年男性むけの雑誌であり、
これからさき、どんなところにおちついていくのかたのしみにしたい。
A5という、本みたいなサイズの雑誌で、
『本の雑誌』と『旅行人』の両方を、
あわせていっぺんに大増刊号にしたかんじだ。
ただ、いくらぶあついといっても、
雑誌として1400円はちょっとくるしい。
春夏号と秋冬号の年2回発刊ということなので、
すこしくらいたかくても、よみごたえのある紙面に、
という方針なのだろう。
今月号は酒の特集だ。
シーナファンならしっているはなしがおおく、
いまさらこんな記事をのせられてもなー、という気がする。
よっぱらいオヤジがむかしをなつかしんでいては
あまりまえむきなかんじがしない。
でも、つまらないかというとそうでもなく、
それなりによませるから、雑誌としてはそれでじゅうぶんともいえる。
わたしがおもしろかったのは、
和田誠さんの「酒と映画と」で、
『キネマ旬報』をよんでるみたいな気がしてきた。
この雑誌のなかで唯一、洗練をかんじさせる記事だ。
洗練をねらっている雑誌ではないので、
その路線の記事は、和田さんのものだけでいいのかもしれない。
「WEB本の雑誌」に、目黒考二さんへのインタビューがのっていた。
わたしは、シーナさんによる記事がおおくてもいいけど、
ほかの媒体で発表したようなものはよみたくない。
この雑誌でなければのせられないような記事をのぞむ。
酒にまつわるどーでもいいようなはなしを
一冊まるごとよんでいると、
あんがいこれこそがただしい人生かも、という気がしてきた。
ひとのしあわせについて、いろんなことがいわれているけれど、
けっきょくいちばんうえにくるのは、
酒をのんでよっぱらうことなのではないか。
あと100年ぐらいたってから、たぐるしい名の研究機関が、
ながいあいだたくさんのケースをしらべた結果、
人類のいちばんのしあわせは、
けっきょく「酒をのんでよっぱらうことでした」、
と発表したら、うれしいような、残念なような。
酒によっぱらうことは、すくなくともしあわせの質という面において、
これまで不当にひくくあつかわれてきたのではないか。
ひとのよろこびやしあわせは、
まじめくさって手にいれてもいいけれど、
そうでないしあわせもまたある。
だれがなんといおうと、酒をのんで「わっはっは」も、
それはそれでいい人生なのだ。
椎名誠さんがよびかけ人のひとりとしてつくった
あたらしい雑誌だ。
椎名さんによる「ソーカンのごあいさつ」をよんでみると、
「電車の中でみんな同じ格好をしたあのおかしな手鏡みたいなのを持って
どちらさんも並んで読書なんて、そんな気持ちワルイ世の中に住みたくない」
というおもいが、創刊するひとつの動機になっているようだ。
アンチ電子書籍の雑誌であり、いまのながれからみると、反動的ともいえる。
時代についていけない(いく気のない)中高年男性むけの雑誌であり、
これからさき、どんなところにおちついていくのかたのしみにしたい。
A5という、本みたいなサイズの雑誌で、
『本の雑誌』と『旅行人』の両方を、
あわせていっぺんに大増刊号にしたかんじだ。
ただ、いくらぶあついといっても、
雑誌として1400円はちょっとくるしい。
春夏号と秋冬号の年2回発刊ということなので、
すこしくらいたかくても、よみごたえのある紙面に、
という方針なのだろう。
今月号は酒の特集だ。
シーナファンならしっているはなしがおおく、
いまさらこんな記事をのせられてもなー、という気がする。
よっぱらいオヤジがむかしをなつかしんでいては
あまりまえむきなかんじがしない。
でも、つまらないかというとそうでもなく、
それなりによませるから、雑誌としてはそれでじゅうぶんともいえる。
わたしがおもしろかったのは、
和田誠さんの「酒と映画と」で、
『キネマ旬報』をよんでるみたいな気がしてきた。
この雑誌のなかで唯一、洗練をかんじさせる記事だ。
洗練をねらっている雑誌ではないので、
その路線の記事は、和田さんのものだけでいいのかもしれない。
「WEB本の雑誌」に、目黒考二さんへのインタビューがのっていた。
わたしは、シーナさんによる記事がおおくてもいいけど、
ほかの媒体で発表したようなものはよみたくない。
この雑誌でなければのせられないような記事をのぞむ。
酒にまつわるどーでもいいようなはなしを
一冊まるごとよんでいると、
あんがいこれこそがただしい人生かも、という気がしてきた。
ひとのしあわせについて、いろんなことがいわれているけれど、
けっきょくいちばんうえにくるのは、
酒をのんでよっぱらうことなのではないか。
あと100年ぐらいたってから、たぐるしい名の研究機関が、
ながいあいだたくさんのケースをしらべた結果、
人類のいちばんのしあわせは、
けっきょく「酒をのんでよっぱらうことでした」、
と発表したら、うれしいような、残念なような。
酒によっぱらうことは、すくなくともしあわせの質という面において、
これまで不当にひくくあつかわれてきたのではないか。
ひとのよろこびやしあわせは、
まじめくさって手にいれてもいいけれど、
そうでないしあわせもまたある。
だれがなんといおうと、酒をのんで「わっはっは」も、
それはそれでいい人生なのだ。
2013年11月17日
『風景は記憶の順にできていく』(椎名誠) 風景の変化は案外しぶとい
『風景は記憶の順にできていく』(椎名誠・集英社新書)
椎名誠さんが、人生において原点となっている
いくつかの町を再訪するという企画だ。
ながい時間をおいてふたたびたずねたとき、
「その風景がどのくらい変わっているか、
それを見ていたわが記憶や心の思いは
この間どう変化してきたか」。
うまれそだった町・仕事にかよった町・映画をつくった町など、
日本各地にちらばる12の町を椎名さんがたずねる。
自分のすむ町をみればわかるとおり、
日本の町のおおくは昭和から平成にかけておおきくすがたをかえている。
そのかわりかたにおどろく旅になるのかとおもってよんでいると、
じっさいは町や自然はあんがいかわらずにいるけれど、
すむひとの高齢化による変化のほうがおおきかった。
たとえば、『ガクの冒険』をとった四万十川を10年ぶりにおとずれると、
川はかわっていなくても、
高齢化によって、しっているひとがだれもいなくなっている。
「風景の変化は案外しぶといけれど、
それを眺め、モノを考える人間の命は、
まるでもう一年ごとの折り紙細工のようにはかなく頼りなく、
結局は、ただの偶然で生かされているのにすぎない」
かわっていくようでかわらない風景と、
かわらないようでかわっていくすむひと。
ひさしぶりにおとずれた椎名さんが
その変化をどうかんじたかという個人的な記録にすぎないのに、
いずれの再訪についても興味ぶかくよめた。
よむ側のわたしもそれだけ歳をとり、
変化についてのはかなさについて
わりきるようになっているのかもしれない。
歌舞伎町のように、すっかりかわった町もあるけれど、
ここなどは、かわるのが大前提みたいな町なので、
その変化は意外ではない。
かわったのはけっきょく自分と、
自分をとりまく環境の方なのだ。
1カ所だけわたしもしっている場所がある。
「武蔵野」の章でとりあげられている
一橋学園駅ちかくの「大勝軒」で、
別の本で椎名さんが紹介していたのよみ、いってみたくなった。
6つ玉の超おおもりラーメンがしられる店で、
椎名誠さんは「チョモランマラーメン」と
その勇姿をいいあらわしている。
椎名さんによると、かえ玉の数は5つだったり4つだったり
年代によってかわってくる。
わたしがそのおおもりラーメンに挑戦したのは20年以上まえで、
玉の数はわからないけれど、ものすごく迫力があった。
メンが器から山のかたちでもりあがり、
もうひとつスープのはいったおわんがあわせてはこばれてくる。
あまりにも量がおおいと、胃袋は「たべもの」としてうけとめないようで、
わたしはそのラーメンをみたとたん完全に食欲がきえてしまった。
こんな量がたべれるわけがない。
ラーメンを注文したときに「おおもりですね」と
確認されたうえであえてえらんだのだから、
のこすにしてもある程度はかたちをつくろうとたべはじめる。
でも、胃はおどろいたままで、おいしいとおもうだけの余裕がない。
けっきょく1/3もたべられず、すごくかっこわるかった。
ご主人に「おさわがせしました」とあやまって店をでる。
ここなんかは、いちどたずねただけの場所なので
記憶にはのこっているけど、たとえ再訪しても
たいした感情がわいてくることはないだろう。
椎名さんが本書にとりあげた12の町や島は、
ある期間、その場所を拠点として
あそびや仕事にちからをそそいでおり、
おとずれるときのおもいいれがそれぞれつよい。
おおくのひとが、おおかれすくなかれ
そうしたなつかしい場所をもっているはずで、
そろそろ人生をしめくくらなければならない年齢になると
だれもがこうした再訪にでかけたくなるのかもしれない。
椎名誠さんが、人生において原点となっている
いくつかの町を再訪するという企画だ。
ながい時間をおいてふたたびたずねたとき、
「その風景がどのくらい変わっているか、
それを見ていたわが記憶や心の思いは
この間どう変化してきたか」。
うまれそだった町・仕事にかよった町・映画をつくった町など、
日本各地にちらばる12の町を椎名さんがたずねる。
自分のすむ町をみればわかるとおり、
日本の町のおおくは昭和から平成にかけておおきくすがたをかえている。
そのかわりかたにおどろく旅になるのかとおもってよんでいると、
じっさいは町や自然はあんがいかわらずにいるけれど、
すむひとの高齢化による変化のほうがおおきかった。
たとえば、『ガクの冒険』をとった四万十川を10年ぶりにおとずれると、
川はかわっていなくても、
高齢化によって、しっているひとがだれもいなくなっている。
「風景の変化は案外しぶといけれど、
それを眺め、モノを考える人間の命は、
まるでもう一年ごとの折り紙細工のようにはかなく頼りなく、
結局は、ただの偶然で生かされているのにすぎない」
かわっていくようでかわらない風景と、
かわらないようでかわっていくすむひと。
ひさしぶりにおとずれた椎名さんが
その変化をどうかんじたかという個人的な記録にすぎないのに、
いずれの再訪についても興味ぶかくよめた。
よむ側のわたしもそれだけ歳をとり、
変化についてのはかなさについて
わりきるようになっているのかもしれない。
歌舞伎町のように、すっかりかわった町もあるけれど、
ここなどは、かわるのが大前提みたいな町なので、
その変化は意外ではない。
かわったのはけっきょく自分と、
自分をとりまく環境の方なのだ。
1カ所だけわたしもしっている場所がある。
「武蔵野」の章でとりあげられている
一橋学園駅ちかくの「大勝軒」で、
別の本で椎名さんが紹介していたのよみ、いってみたくなった。
6つ玉の超おおもりラーメンがしられる店で、
椎名誠さんは「チョモランマラーメン」と
その勇姿をいいあらわしている。
椎名さんによると、かえ玉の数は5つだったり4つだったり
年代によってかわってくる。
わたしがそのおおもりラーメンに挑戦したのは20年以上まえで、
玉の数はわからないけれど、ものすごく迫力があった。
メンが器から山のかたちでもりあがり、
もうひとつスープのはいったおわんがあわせてはこばれてくる。
あまりにも量がおおいと、胃袋は「たべもの」としてうけとめないようで、
わたしはそのラーメンをみたとたん完全に食欲がきえてしまった。
こんな量がたべれるわけがない。
ラーメンを注文したときに「おおもりですね」と
確認されたうえであえてえらんだのだから、
のこすにしてもある程度はかたちをつくろうとたべはじめる。
でも、胃はおどろいたままで、おいしいとおもうだけの余裕がない。
けっきょく1/3もたべられず、すごくかっこわるかった。
ご主人に「おさわがせしました」とあやまって店をでる。
ここなんかは、いちどたずねただけの場所なので
記憶にはのこっているけど、たとえ再訪しても
たいした感情がわいてくることはないだろう。
椎名さんが本書にとりあげた12の町や島は、
ある期間、その場所を拠点として
あそびや仕事にちからをそそいでおり、
おとずれるときのおもいいれがそれぞれつよい。
おおくのひとが、おおかれすくなかれ
そうしたなつかしい場所をもっているはずで、
そろそろ人生をしめくくらなければならない年齢になると
だれもがこうした再訪にでかけたくなるのかもしれない。
2013年09月24日
『にっぽん全国百年食堂』(椎名誠)民俗学的な価値のあるすぐれたルポ、かもしれない
『にっぽん全国百年食堂』(椎名誠・講談社)
「百年食堂」とは、百年もつづいている食堂、という意味で、
全国のそうした食堂を、毎回2軒ずつ紹介している企画だ。
ながくつづいた店のことなんか、
たいしておもしろくなさそうにおもえるのに、
そこはさすがに椎名さんのうまいところで、
おもわずひきこまれてさいごまでよんでしまう。
日本一の麺の店をきめる『すすれ!麺の甲子園』など、
食に関する椎名さんの本はたくさんあるなかで、
この本がいちばんおもしろかった。
百年食堂というテーマが、意外と新鮮なことによんでいるうちに気づく。
どの店がうまいかはそれぞれの主観でしかないが、
なぜながくつづいてきたかは
客観的な分析が可能になる。
いっけん平凡なはなしからおもしろさをひきだせる、
椎名さんのもち味がいかされた企画だ。
本文のなかで、なんどもくりかえし強調されているのは、
「味は関係ない。とにかくつづいてきたことを評価する」という視点だ。
おいしい店を紹介するのではなく、
その店がどれだけその土地に根づいているか。
そうはいっても、きょくたんにまずければ
ながくはつづかないだろうから、
つづいてきたというだけで、あるレベルにはたっしている(はず)。
その店が、どうはじまり、どういうメニューに人気があって、
これからどうしようとしているのかを椎名さんがききだしていく。
後継者問題や経営的なみとおしなど、
全国にちらばるふるくからの店の現状が記録されるので、
あとがきにもあるように、すぐれた民俗学の資料ともいえるだろう。
スタッフのひとり、おおぐいのヒロシ氏の存在があって
はじめてなりたつ企画でもあった。
あたりまえに4〜5品をたべてしまう氏の胃袋がなければ、
いちにちに2軒をたずね、
その店の人気メニューを全部ためすことなどなかなかできない。
ただたくさんたべるだけでなく、
「後継者がいない店はスイーツがない」という法則も発見したりする。
これは、あまいメニューがなければ女性客がよりつかず、
よって店ではたらくひとのやる気がでない、というもので、
たしかにいいところをついている、ような気もする。
ヒロシ氏のコメントは、グルメ番組のタレントレポーターでは
まずいえない域にたっしている。
たべることがほんとうにすきだからだ。
焼肉定食をかきこみながら
「これはね、強い火で手早く炒めているから味がおさえこまれているんです!
ごはんがすすむ味の急所を押さえていながら全体はさりげない。
ごはんはやっぱり喉ごしなんですよ。
つまり弁証法的にいうとどんぶり飯を食べるときのポイントを
控えめながらも大胆にとらえてはなさない。
腰がすわっているという感じですな」
といわれてもよくわからないが。
おおもりで有名な「大室屋」は、
ご飯がみえないくらいたくさん具のもられた
天丼やカツカレーがでてくる。
部活のおわった高校生がよろこんでくるかとおもうと、
このごろはそうでもないそうで、
ケータイにおこづかいをとられてしまい
こういうお店にお金をかけられないのだそうだ。
こういうところに現代の世相があらわれるのが
「いってみなければわからない」ルポものの
おもしろいところだ。
ソースカツ丼についての記事もおもしろかった。
関東には、カツ丼といえばソースカツ丼という地域がおおく、
東京は長野・群馬・福島・山梨という
これらの地域に包囲されている状況なのだそうだ。
はじめてソースカツ丼をたべた椎名氏は
「カツが違う。薄いのは火をよく通すためか。
外側のパン粉がパリパリして噛みごたえがあり、
しっとりしたごはんのソースが色っぽい。
ごはんとカツは離反するでもなく同化するでもなく、
どちらもきっぱりと自分の道を歩みながらも
互いにさりげなく手と手を差し伸べにぎりあい、
たゆまない調和と、底力のある共存的繁栄のなかを
ゆるゆると前進しているようだ」
と、いかにもシーナ・マコト的文章で
そのおどろきをあらわしている。
岩手にはあんかけカツ丼というのもある。
地元で「すっぽこ」とよぶあんをかけるもので、
この「すっぽこ」の語源はながさきの卓袱(いっぽく)にあるそうだ。
「長崎ー京都ー山形ー岩手、という伝播ルートが考えられる」
なんていわれると、すごくアカデミックなかおりがする。
稲作はどのルートをたどってひろまったのか、みたいに
食のひろまりもロマンがあったのだ。
本のおしまいにある「あとがきみたいな座談会」がまとめにもなっている。
・土地に根ざした味がある
・家庭の事情(相続とか病気など)がない
・長くやってても特別うまいというワケではない
この「三つのファクターが百年食堂を作る」(椎名)
というのが結論だ。
「どこも印象として淡々としてましたね」
「どっちかというと、辞めても何もすることもないから
食堂をやっていつの間にか百年経ってたっていう店が
ほとんどだったんじゃないかなあ」
「あんまり美味しいと儲かって儲かって・・・」
「支店とかを出して・・・」
「失敗する・・・」
「そうやって淘汰されていくんでしょうね」(中略)
「やっぱり欲が最大の敵なんでしょう」
含蓄のあるはなしだ。
結果としての百年であり、めざせ百年ではなかったということ。
また、「名物を売りにしていたところは少なかった」
というのもかんがえさせられる。
三つのファクターのうちのひとつ、
「土地に根ざした」というのは
その土地の名物という意味ではなく、
土地のひとがふつうにたべるものを、ということだ。
とくにうまい品をださなくても、欲がなく、
地元のひとがきてくれる店であることが、
ながくつづけられる要因だった。
残念ながら島根県の店はひとつも紹介されなかった。
きっとわたしのすむ町にも、淡々とお店をつづける
いっけん地味な百年食堂があるのだろう。
「おもてなし」とか「お客さま第一」なんて
もっともらしいことをいわないで、
きょうもきのうも、そしてあすも、
おなじことをなんとなくくりかえしたら
百年たっていた、という向上心のないはなしが
わたしはだいすきだ。
やめなければいつかは百年たつ。
あんがいそれは、本人がきめるというよりも、
地域がもとめた結果かもしれないし、
ただ運がよかっただけかもしれない。
これまであまり光のあたらなかった、
ただつづけてきたという店に着目したおもしろい企画だ。
それらのながくつづいている店で、常連客やシーナさんたちが
カツ丼やラーメンやカレーライスをわしわしかきこんでいると、
食べることは生きることなんだと素直におもえてくる。
いわゆるグルメでも、かといってB級グルメでもない、
ごくあたりまえに食堂でたべることのできる
カレーライスやカツ丼にこそ
日本の食文化の真相がつまっている、ような気がする。
「百年食堂」とは、百年もつづいている食堂、という意味で、
全国のそうした食堂を、毎回2軒ずつ紹介している企画だ。
ながくつづいた店のことなんか、
たいしておもしろくなさそうにおもえるのに、
そこはさすがに椎名さんのうまいところで、
おもわずひきこまれてさいごまでよんでしまう。
日本一の麺の店をきめる『すすれ!麺の甲子園』など、
食に関する椎名さんの本はたくさんあるなかで、
この本がいちばんおもしろかった。
百年食堂というテーマが、意外と新鮮なことによんでいるうちに気づく。
どの店がうまいかはそれぞれの主観でしかないが、
なぜながくつづいてきたかは
客観的な分析が可能になる。
いっけん平凡なはなしからおもしろさをひきだせる、
椎名さんのもち味がいかされた企画だ。
本文のなかで、なんどもくりかえし強調されているのは、
「味は関係ない。とにかくつづいてきたことを評価する」という視点だ。
おいしい店を紹介するのではなく、
その店がどれだけその土地に根づいているか。
そうはいっても、きょくたんにまずければ
ながくはつづかないだろうから、
つづいてきたというだけで、あるレベルにはたっしている(はず)。
その店が、どうはじまり、どういうメニューに人気があって、
これからどうしようとしているのかを椎名さんがききだしていく。
後継者問題や経営的なみとおしなど、
全国にちらばるふるくからの店の現状が記録されるので、
あとがきにもあるように、すぐれた民俗学の資料ともいえるだろう。
スタッフのひとり、おおぐいのヒロシ氏の存在があって
はじめてなりたつ企画でもあった。
あたりまえに4〜5品をたべてしまう氏の胃袋がなければ、
いちにちに2軒をたずね、
その店の人気メニューを全部ためすことなどなかなかできない。
ただたくさんたべるだけでなく、
「後継者がいない店はスイーツがない」という法則も発見したりする。
これは、あまいメニューがなければ女性客がよりつかず、
よって店ではたらくひとのやる気がでない、というもので、
たしかにいいところをついている、ような気もする。
ヒロシ氏のコメントは、グルメ番組のタレントレポーターでは
まずいえない域にたっしている。
たべることがほんとうにすきだからだ。
焼肉定食をかきこみながら
「これはね、強い火で手早く炒めているから味がおさえこまれているんです!
ごはんがすすむ味の急所を押さえていながら全体はさりげない。
ごはんはやっぱり喉ごしなんですよ。
つまり弁証法的にいうとどんぶり飯を食べるときのポイントを
控えめながらも大胆にとらえてはなさない。
腰がすわっているという感じですな」
といわれてもよくわからないが。
おおもりで有名な「大室屋」は、
ご飯がみえないくらいたくさん具のもられた
天丼やカツカレーがでてくる。
部活のおわった高校生がよろこんでくるかとおもうと、
このごろはそうでもないそうで、
ケータイにおこづかいをとられてしまい
こういうお店にお金をかけられないのだそうだ。
こういうところに現代の世相があらわれるのが
「いってみなければわからない」ルポものの
おもしろいところだ。
ソースカツ丼についての記事もおもしろかった。
関東には、カツ丼といえばソースカツ丼という地域がおおく、
東京は長野・群馬・福島・山梨という
これらの地域に包囲されている状況なのだそうだ。
はじめてソースカツ丼をたべた椎名氏は
「カツが違う。薄いのは火をよく通すためか。
外側のパン粉がパリパリして噛みごたえがあり、
しっとりしたごはんのソースが色っぽい。
ごはんとカツは離反するでもなく同化するでもなく、
どちらもきっぱりと自分の道を歩みながらも
互いにさりげなく手と手を差し伸べにぎりあい、
たゆまない調和と、底力のある共存的繁栄のなかを
ゆるゆると前進しているようだ」
と、いかにもシーナ・マコト的文章で
そのおどろきをあらわしている。
岩手にはあんかけカツ丼というのもある。
地元で「すっぽこ」とよぶあんをかけるもので、
この「すっぽこ」の語源はながさきの卓袱(いっぽく)にあるそうだ。
「長崎ー京都ー山形ー岩手、という伝播ルートが考えられる」
なんていわれると、すごくアカデミックなかおりがする。
稲作はどのルートをたどってひろまったのか、みたいに
食のひろまりもロマンがあったのだ。
本のおしまいにある「あとがきみたいな座談会」がまとめにもなっている。
・土地に根ざした味がある
・家庭の事情(相続とか病気など)がない
・長くやってても特別うまいというワケではない
この「三つのファクターが百年食堂を作る」(椎名)
というのが結論だ。
「どこも印象として淡々としてましたね」
「どっちかというと、辞めても何もすることもないから
食堂をやっていつの間にか百年経ってたっていう店が
ほとんどだったんじゃないかなあ」
「あんまり美味しいと儲かって儲かって・・・」
「支店とかを出して・・・」
「失敗する・・・」
「そうやって淘汰されていくんでしょうね」(中略)
「やっぱり欲が最大の敵なんでしょう」
含蓄のあるはなしだ。
結果としての百年であり、めざせ百年ではなかったということ。
また、「名物を売りにしていたところは少なかった」
というのもかんがえさせられる。
三つのファクターのうちのひとつ、
「土地に根ざした」というのは
その土地の名物という意味ではなく、
土地のひとがふつうにたべるものを、ということだ。
とくにうまい品をださなくても、欲がなく、
地元のひとがきてくれる店であることが、
ながくつづけられる要因だった。
残念ながら島根県の店はひとつも紹介されなかった。
きっとわたしのすむ町にも、淡々とお店をつづける
いっけん地味な百年食堂があるのだろう。
「おもてなし」とか「お客さま第一」なんて
もっともらしいことをいわないで、
きょうもきのうも、そしてあすも、
おなじことをなんとなくくりかえしたら
百年たっていた、という向上心のないはなしが
わたしはだいすきだ。
やめなければいつかは百年たつ。
あんがいそれは、本人がきめるというよりも、
地域がもとめた結果かもしれないし、
ただ運がよかっただけかもしれない。
これまであまり光のあたらなかった、
ただつづけてきたという店に着目したおもしろい企画だ。
それらのながくつづいている店で、常連客やシーナさんたちが
カツ丼やラーメンやカレーライスをわしわしかきこんでいると、
食べることは生きることなんだと素直におもえてくる。
いわゆるグルメでも、かといってB級グルメでもない、
ごくあたりまえに食堂でたべることのできる
カレーライスやカツ丼にこそ
日本の食文化の真相がつまっている、ような気がする。