2013年04月08日

『哀愁の町に霧が降るのだ』店がやすみならカツ丼をつくる手がある

椎名誠の『哀愁の町に霧が降るのだ』のなかに、
やすくておいしいカツ丼の店「とんちゃん」がでてくる。
中年の夫婦がやっている店で、
当時としてもやすい90円(おおもりで110円)で
実力も味ももうしぶんのない
ただしいカツ丼をたべさせてくれる店だ。

あるとき、カツ丼のおおもりをたのしみに開店の11時まで我慢し、
腹をすかしてフラフラになりながら
4人の仲間で店にかけこむと、
予想してなかったことに閉店の日だった。
こういうときのショックはよくわかる。
頭もからだもカツ丼だけをうけいれる状態になっていて、
いかにおいしいカレーやハンバーグでも代役をはたさない。
別の店でカツ丼をたべるという案もだめだ。
「とんちゃん」でなければ
だれも納得できないまでおいつめられている。

逆上し、いらつきはじめた3人にたいし、
仲間のひとりが自分たちでかつ丼をつくるという
アイデアをおもいつく。
カツさえあれば、カツ丼をつくるのは
そんなにむつかしいことではない。
ほかの3人もその提案のただしさをすぐに理解し、
自分たちでのカツ丼つくりに作戦を変更したのだ。

こういうのを「ピンチはチャンス」というのだろうか。
たのしみにしていた店がやってないときに、
もうだめだ、とやけくそになるのではなく、
他の店での別メニューで気をまぎらすのでもなく、
自分たちでつくるという手があると、
まったく発想をかえたときに道がひらけてくる。

でもじつは、そうはいっても、
たとえばビールが最高においしい条件をつくっておいて、
ビールがなかった、ということになると、
いくら「ピンチはチャンス」といっても
解決はむつかしそうだ。
ピールのかわりがつとまるのはビールしかない。
こういう絶体絶命のピンチに、
サンデル教授だったらどういう解決策を用意するのだろう。

この『哀愁の町に霧が降るのだ』という本は、
克美荘という、ふるくてくらいアパートでの
共同生活をえがいた作品で、
わかく、貧乏で、無名だった
椎名誠とその仲間たちの
どこにもいき場がないトホホな生活が
めちゃくちゃなよりみちをしながら
延々とかかれている。
これから自分たちがなにものになるのか
だれもわかっていない。
でも、どこにもたどりつけないようでいて、
本のおわりではそれなりにみんな次の段階にすすむわけで、
こういうバカバカしくて無駄にみえる時間をすごせることが
わかものの特権だったのだと、おじさんになったわたしはおもう。

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2012年11月09日

『アド・バード』はじめてよむ椎名誠のSF

椎名誠の本は何十冊もをよんでいるのに、
SFはこれがはじめてだ。
いつかはよもうとおもいながら、SFはなんとなく敷居がたかい。
web上の「椎名誠旅する文学館」でこの作品がとりあげられたのをきっかけに、
ようやく本棚からとりだした。

集英社から発売されたのは1990年でも、
オリジナルのアイデアは1972年に
目黒さんの個人誌に発表されているので、
椎名さんは20年ちかくこの作品をあたためていたことになる。

第1章を書き上げたところで椎名さんはいきづまってしまい、
どうしたらいいのか目黒考二さんに相談したのだそうだ。
目黒さんは
「そんなの簡単だよ、これまでのことを全部忘れて、
全然関係ない話を書けばいいんだよ」
というすごいアドバイスをしている。
結果的に内容はうまくつながり、
この作品の構造をふかめることになった。

よんでいると、『地球の長い午後』
・『ブレードランナー』・『風の谷のナウシカ』がおもいうかんだ。
椎名さんは『地球の長い午後』のファンであることが
目黒さんがかいた解説でも紹介されている。
かわった名前の虫や動物がぞろぞろでてきておぞましいうごきをすると、
はじめてよむ椎名誠のSFなのに、
おなじみのシーナワールドにはいった気がしてくる。
そのおかげか、SFになれないわたしでも、
違和感なくよみつづけることができた。
これだけの社会を、リアリティのある世界としてつくりあげた
椎名誠の筆力がすばらしい。

作品の世界がどうつくられたかがしだいにあかされてくると、
複雑にいりくんだ未来社会が、きゅうにスポッとつきぬけて、
はれやかでかわいた世界におもえてきた。
広告が極端に発達したそうぞうしい未来社会は、
かなりちかい形で現代社会に再現されているといえる。

SF3部作といわれるあとの『武装島田倉庫』と『水域』もよんでみたくなった。

posted by カルピス at 10:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 椎名誠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月06日

山・川におけるシーナ・マコトの誕生『ハーケンと夏みかん』

『ハーケンと夏みかん』(椎名誠・集英社文庫)

web「椎名誠 旅する文学館」でとりあげられていたので
ひさしぶりによみかえす。
「山と渓谷」に連載されていたもので、
そのせいかBE−PAL路線よりも山や川あそびについて
本質的なよろこびについてふれてある。
連載とはいえ内容に一貫性はなく、
仲間たちと雪山にでかけながら、
酒をのみすぎて次の朝おきれない「雪山ドタバタ天幕団」や、
焚火についてのおもいでをまとめた「極私的焚火論」など、
椎名誠の出発点をしることができるたのしい本だ。

「旅する文学館」のなかで目黒考二がはなしているように、
三島悟の解説がすばらしい。
当時「山と渓谷社」にいた三島悟がいろいろな企画をもちかけて、
山に弱点のあった椎名誠を(結果的に)そだてたことがわかる。
三島悟の解説を引用すると、
元祖あやしい探検隊は、漫然と焚き火を囲み、ただひたすら飲みまくるという、評価基準の 定まらぬ旅に終始していたが、このとき初めて遊びにカヌーという道具を持ち込んだのである。猿が道具を使うことで人類の初期発展段階を遂げたように、あやしい探検隊がこの旅において自己止揚をかちとり、第二次あやしい探検隊=いやはや隊へと変貌するのである。

と、この連載をつうじて椎名誠のうごきがどうかわったかを
正確におさえている。

わたしがすきなのは、椎名誠の暴力的な迫力で、
こんなに男くさいひとはそういないし、
椎名誠の人気もここらへんに関係しているとおもう。

これについても解説で紹介してあり、
たまたま同行した釣り師で調理師の林サンが、当たり屋に車をぶつけられてインネンを吹っかけられた(中略)。
先行していた椎名・沢野隊が戻ってきて「ドーシタ、ドーシタ」と車から下りてきた。不穏な空気を察知した当たり屋はあわてて逃亡。「かくかくしかじか」と事情を説明したところMr.シーナは表情にわかにかき曇り
「ザケンナッ、これからすぐに追いかけて袋だたきにしようぜい」と

この「ドーシタ、ドーシタ」がいかにもシーナ・マコトだ。
あぶないおっさん的な暴力性が
「まじめにあそぶ」東ケト会の、そして
「あやしい探検隊」「いやはや隊」へとつづく男くさい団結をささえている。
椎名誠がいちばんシーナ・マコトだった頃の魅力がこの本の背景にあり、
いろんなはなしがごちゃまぜになっていながらおもしろくよめる。

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2011年12月06日

『麦の道』(椎名誠・集英社文庫)

椎名誠の高校時代をえがいた自伝的な小説だ。
シーナ少年であろう津田尚介は、
あたらしくはじまる高校生活に
まったく期待していなかった。
学校にたいしても、いやな教師たちにたいしても、
すべてにおいて「まあいいやどうだって・・・」とさめていて、
すべてをあきらめきった態度をとる。
おちこぼれの救済校にしかはいれなかったという劣等感が
そうしたすてばちな気もちにさせていたのかもしれない。

とはいえ、柔道部にはいり、
はげしい練習にあけくれるうちに
尚介のなかでしだいになにかがかわりはじめる。
けんかにまきこまれたり、自分からもしかけたり、
電車でみかける女子高生に好意をよせたりという
高校時代ならではのできごともおこる。
ただ、尚介にとってのいちばんの関心は、
まちがいなくけんかにおかれている。

おもいっきりこの小説を簡略化すると、

けんか
柔道
けんか
けんか
女子高生
けんか
柔道
けんか
けんか
柔道
女子高生
けんか

というかんじで、
けんかのあいまに柔道部での練習や試合、
ときたまあこがれの女子高生についてかたられる。
けんかにあけくれていたという椎名誠が
じっさいに体験したことをかいているので、
けんかのシーンはなまなましい迫力がある。

「『平野、おまえに用があるんだ』
 尚介は言った。平野を殴るつもりでやってきたのだが、
平野の子分たちの前でそのことを言うのは
かなりの勇気と度胸がいった。
けれど平野ぐらいの相手を殴るのは、
千田たちとのいくつかの喧嘩のことを思えば
なんでもないことだ、と尚介は
そこへやってくる間ずっと考えていた。
(中略)
『こっちだよ平野』
と、尚介は言った。
相手の名前を何度か無意味に呼んで
相手をどんどん憤らせていくと
あとがやりよくなるぜ、
とチョウジが言っていたのを冷静に思い出していた」

この場面はなにに注意しなければならないか、とか
なにかおこったらまず自分はなにをするべきか、
ということを、尚介はいつも頭においている。

もうすこしで尚介の学校の番長と
決着をつけそうになるが、
なんとなくしりきれとんぼに
ものがたりはおわってしまう。
現実的には、たしかに高校生活とは
そんなものかもしれない。
なにかが劇的にかたがつくわけではなく、
なんとなくあいまいにおわることがおおい。
ただ、小説としてはもうすこしさきまで
はなしをつづけてほしかった。
これからというところでおわってしまい、
肩すかしされたかんじだ。

椎名誠の小説はこういうことがよくある。
このまえよんだ『ぱいかじ南海作戦』もそうだった。
あらかじめきめられていた連載期間であり、
ペース配分をあやまった、
ということもあるかもしれないが、
それよりも椎名誠の資質である
あきっぽさがそうさせているようにおもう。
かきたいことはあらかたかいたので、もうこれでいい、
というかんじなのだ。

以前は椎名誠の本というと、
エッセイや旅ものばかりよんでいた。
いまは、そうしたいろいろなものにむけている
膨大なエネルギーを、
もうすこし小説にそそいでもらえたらとおもう。
それは椎名誠のスタイルではないかもしれないが、
そんなことをねがいたくなるほど、
この『麦の道』はおもしろい本だった。

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2011年10月14日

『ぱいかじ南海作戦』意外にこまかいシーナワールド 意外にこまかいシーナワールド

『ぱいかじ南海作戦』(椎名誠・新潮文庫)をよむ。
会社の倒産(そして失業)と離婚がいちどにやってきた
36歳の「おれ」が主人公。
なんとなく西表島をめざし、
ついた浜辺で海浜生活をはじめる。
楽園のような生活、とおもったのもつかの間、
まえからそこにすみついていたグループにだまされ、
全財産と荷物をとられてしまった。
しかし「おれ」はくじけずにその浜にのこり、
まったくなにもないところからの
本格的なサバイバル生活がはじまる。

おもしろかった。
椎名誠の本はだいすきでこれまでにずいぶんよんでいる。
でも、そのほとんどがエッセイと旅行記であり、
ほんとうの意味での小説はこれがはじめてだった。

西表島でじっさいに
そういう生活をしているひとたちのはなしをきいたそうだし、
そもそも「わしらはあやしい探検隊」の
延長みたいなはなしなので、
気らくにかけたと椎名さんが
「椎名誠 旅する文学館」でかたっている。
ほとんどお金をつかわないで
衣食住をなんとかしたり、
たまにのむビールや泡盛が
とんでもないごちそうだったり、
いのししがワナにかかったりで、
なんだかほんとにたのしそうだ。

おもしろくなったところで
ものがたりはあっけなくおわってしまう。
もうすこしそのさきがよみたかったのに、
短編小説みたいに
あとは読者の想像力にまかされたかんじだ。

茂木健一郎さんの解説がよかった。
シーナワールドについて、
これだけ適切にまとめられたものはあまりない。
茂木さんはそうとうなシーナフリークみたいだ。

椎名さんはけっこうこまかい
(「女々しい」と『かつおぶしの時代なのだ』の解説で
佐野洋子さんが椎名誠の本質をするどくついている)。
「おれ」の心理描写には
椎名さんのこまかさがうまくいかされていて、
そしてはなしのおわりかたは
椎名さんのおおざっぱさがでている、
いかにも椎名さんらしい一冊といえる。

posted by カルピス at 23:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 椎名誠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする