2021年08月08日

高野秀行さんの「コロナ感染の歩き方 その2」は、用意する荷物のリストつき

高野秀行さんの「コロナ感染の歩き方 その2」は
宿泊療養から退所まで。
「必須持ち物リスト付き」なので、やくにたちそうだ。
https://note.com/henkyochannel/n/n2d8dd7490387
宿泊さきになにをもっていけばいいか、
こればっかりは、体験したひとでないとわからない。
シーツやタオルをかえてくれないのはしらなかった。
たくさんのタオルときがえをもっていきたい。

わたしがいちばん気になるのはネット環境だけど、
高野さんはアパホテルにとまったので、
無線LANがおそらくつかえたのだろう。
ネット環境がととのっていなければ、ポケットルータを用意したい。
食事のとりかたも、病気をはやくなおすために大切となる。
元気がでてきたら、嗜好品もほしくなるだろう。
高野さんはコップがあったほうがいいとすすめている。
ほかにも、食器やプラスチック製のナイフも便利だったそうだ。
提供されるお弁当は、とくにわるくはないものの、
食欲をそそるメニューともいえないので、
チーズやうめぼし、納豆なども自分で用意したら、
ゆたかな食生活をおくれそうだ。
高野さんは、退院まえにドリップ式のコーヒーを
さしいれしてもらっている。
ただ、さしいれはいろいろ規則がうるさいようで、
それよりも、自分でもちこんだほうがかんたんだ。
ホテルにはいるまえに、荷物をチェックされるわけではないので、
薬やコーヒーだけでなく、お酒だってもっていけば
たいくつな夜をしのげそうだ。
 ちなみに、ホテルに入るとき持ち物のチェックは何もない。差し入れには強い制約があるので、入所時に自分が必要だと思うものを極力持っていった方がいい。

病状が深刻で、とてもお酒どころではないかもしれないし、
あんがいげんきにすごせ、たいくつなので
すこしお酒を、というひともいるだろう。
お酒がほしい、というのは、げんきになった証拠ともいえる。

インフルエンザにかかったとき、
わたしはポカリスエットとアイスクリームがほしくなる。
ねこんでいるあいだ、お酒はとてものめないので、
お酒がほしいかどうかは、体調をよくあらわしている。
あれやこれやで、ものすごい荷物になりそうだけど、
気力をかきあつめて ほしいものをカバンにつめこみたい。
時間があっても、テレビや映画はみる気になれない。
わたしは梅棹忠夫さんの探検記がよみたくなるので、
もし入所することになればリストにくわえたい。

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2020年10月22日

『幻のアフリカ納豆を追え!』(高野秀行)納豆をめぐる探検記

『幻のアフリカ納豆を追え!そして現れた〈サピエンス納豆〉』
(高野秀行・新潮社)

納豆というと、日本独自のたべものとおもっているひとがおおいけど、
そうではなくて、東南アジアでもひろくたべられていることが
前作の『謎のアジア納豆』で紹介されている。
今回の高野さんは、さらにアフリカと韓国へ足をのばす。
アフリカと納豆なんていうと、とおくはなれた関係におもえるけど、
高野さんは西アフリカの3カ国
(セネガル・ブルキナファソ・ナイジェリア)をおとずれ、
ふるくから、そしていまもまた
納豆をたべている事実をあきらかにする。

納豆とはなにか。納豆菌により発酵した食品が納豆であり、
材料は大豆とはかぎらない。
西アフリカでは、バルキアという木にできる実をつかい
日本とおなじような納豆がつくられているし、
アフリカを象徴する木として有名なバオバブの実も材料になる。
そしてたべ方も、西アフリカは日本よりも多様性がある。
納豆をご飯にかけてたべるのが日本のやり方だけど、
もともとはダシとしてつかわれた、というのが高野さんの仮設であり、
アフリカでは納豆を料理のなかにいれ、
コクをだすうまみとしてつかわれている。
西アフリカでも大豆からつくった納豆がでまわっているけど、
バルキアによる納豆のほうがおいしい、と地元のひとはおもっており、
大豆はやすく手にはいるから、という代用品のあつかいだという。
日本人が自分たちのオリジナル食品とおもっている納豆は、
西アフリカでもっと多様なつくり方・つかわれ方がひろまっている。

高野さんは、その土地のやり方で材料の豆を発酵させ、
そうしてできた納豆をつかい、料理をつくってもらう。
本書には、高野さんがブルキナファソでたべた
「鯉と納豆の焼き浸し」の写真がのっている。
おなじテーブルに、ビールとパンもおかれていて、
納豆料理が充実した食事となっているのがわかる。
わたしもためしに鳥のモモ肉とトマトをにこんだ料理に、
納豆(もちろん日本のもの)を1パックいれてみた。
納豆の量がすくなかったのか、納豆の味はほとんどしない。
なにもしらずにたべた配偶者は、
納豆がはいっているとはおもわなかった。
納豆は、肉よりも魚との相性がいいそうで、
料理にふかみをうみだすソースとしてつかわれている。
白ごはんにぐるぐるまぜた納豆をのせるだけでなく、
日本でも むかしは 納豆といえば納豆汁だったそうだ。
いまでもタマゴやきや天ぷらにつかうのだから、
ご飯にだけでなく、もっと自由に納豆をつかいたくなった。

高野さんは、辺境作家としてのつよみをぞんぶんにいかせる、
あたらしい分野にであえてたのしそうだ。
前作からはじまった納豆をめぐる世界が、
まさかこんなひろがりをもっていたとはおもわなかった。

posted by カルピス at 21:17 | Comment(0) | 高野秀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月20日

納豆に糸ひきをもとめるのは、たんなるおもいこみ

ラジオをきいていたら、納豆をテーマにはなしていた。
納豆に、タレとからしをかけてから かきまぜるのはゆるせない、
という つよい意見がよせられていた。
番組側も予想していたこだわりらしく、
やっぱりでましたね、という反応だった。
タレをかけてまぜると、 糸をひきにくくなるらしく、
糸ひきが納豆の命とかんがえているひとは、
それがたまらなくいや、ということらしい。
ちいさなことにこだわるのは、
個人的なあそびとしてたのしいかもしれないけど、
まわりのひとにも 自分のこのみをもとめたりすると
いっきにめんどくさくなる。

高野秀行さんの『謎のアジア納豆』をよむと、
納豆が日本独特の食品ではなく、世界各地でたべられており、
日本は むしろおくれている地域としてとらえられている。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/439220603.html
糸ひきにこだわるのは日本人ぐらいだそうで、
たんなるおもいこみにすぎない。
むかしの日本人は、納豆をごはんにまぜるより、
おおくの場合、汁にいれてたべていた、というから、
ねばりこそが納豆のよさ、なんて、ますますどうでもよさそうだ。
どうでもいい、とかんがえるわたしより、
糸ひきにこだわるひとのほうが
食をたのしんでいるのかもしれないけど、
そうしたどうでもいいことであそぶのが
このごろつくずくめんどくさくなってきた。
こだわりなく、なんでもおいしくいただきたい。

けさの朝日新聞で、東畑開人さんの『居るのはつらいよ』が
大佛次郎賞にえらばれたとほうじられている。
わたしがこの本をしったのは、東畑さんと高野さんの対談を、
「週刊読書人」で目にしたことがきっかけだ。
高野さんがすすめるのなら、とよんでみると、
ほんとにおもしろかった。
辺境作家の高野さんは、だれもいかないところへいき、
だれもしないことをかくのが仕事であり、
読書においても、ひとがあまりよまない本にまで
目をくばり、紹介してくれる。
このみの本にであうには、こんなふうに、
自分のすきな作家のおすすめが とても参考になる。

posted by カルピス at 21:35 | Comment(0) | 高野秀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月20日

高野秀行さんに背中をおされ、SF古典がよみたくなった

『本の雑誌』11月号から、高野秀行さんの連載がはじまっている。
タイトルは、「SF音痴が行くSF古典宇宙の旅」。
SFはにがて、とおもいこみ、
これまでさけてきた高野さんが
『三体』をきっかけとして、SFへの意識がかわった。
 どうやら私は今までSFに対して何かネガティブな固定観念に縛られていたらしい。「難解」「過度に科学哲学的」「ひとりよがり」「メカ好きのオタクやマニアの読み物」というような。

高野さんは、SFがすごくおもしろい世界だと気づき、
「今こそ最後の秘境、SF古典宇宙の旅へ漕ぎだそう!」
とSFの古典をよみすすめていく。
1回目の11月号では『星を継ぐもの』(ホーガン)、
2回目の12月号では『夏への扉』(ハインライン)と
『幼年期の終わり』(クラーク)がとりあげられている。

わたしもSFがにがてで、古典といわれる上記の作品を
ひとつもよんでいない。
なんとなくSFを敬遠してきた高野さんの気もちがよくわかる。
よめばそれなりにたのしめる本がおおいけど、
よみだすまでのしきいが やたらとたかい。
理科や物理がさっぱり理解できなかったトラウマかもしれない。
例外は、フレドリック=ブラウンのSFで、
ブラウンは、ミステリーとSFの両方をかく作家だったため、
ブラウンのかいた本をすべておさえたかったわたしは、
ミステリーだけでなく、SFの本にも手をだした。
SFにもいろんなジャンルがありそうで、
ハードなSFだとわたしにはついていけなくても、
ブラウンのSFは わかりやすく、わたしでもたのしめた。

こんかいの企画で、高野さんがタイトルをあげて紹介するSFは、
どれもきいたことがあり、評判をしりながらよんでこなかった。
いつかはよもうと、古本屋さんでみかけたときにかい、
本棚にならべている本もある。
よみたい気もちがありつつ、なんとなく敬遠してしまう
わたしのようなSF初心者には、
高野さんの連載のように、背中をおしてくれるひとことが必要だ。
(『夏への扉』を)読んでみた感想は、「これ、ビートルズじゃん!」。ビートルズはロックだが、いまやロックが全然好きでない人もふつうに聴いて楽しんでいる。世の中にはこういうジャンルを超越したアーティストや作品が存在する。『夏への扉』がまさに典型で、SFに全く興味がなくてもこれは面白いはずだ。恋愛、冒険、時間旅行、痛快な逆転劇、そして猫。そう、本書は猫好きにもたぶんこたえられないだろう。

すごくおもしろそう。わたしの背中をしっかりおしてくれた。
こんな作品をほっておく手はない(ほっておいたのだけど)。

老後には、すきな本の再読をたのしみにしている。
しかし、あたらしい本がどんどんでるし、
よんでないおもしろそうな本もたくさんある。
わたしの本棚だけでも、手にとられるのをまつ
まだよんでいない本がごっそりならんでいる。
いま把握している本だけでも、
わたしは老後を退屈せずにすごせそうだし、
そのうえに、こうしてSFのふかい森へ、
あたらしくふみだすたのしみができた。
「老後」は、定年退職によってスタートとする
まったくあたらしいくらしではなく、50をこえたあたりから、
すこしずつ老後にからだをならしたほうがいいとかんがえている。
SF古典にも、いまのうちから手をつけておこう。
まずは『星を継ぐもの』と『夏への扉』にとりついてみたい。

posted by カルピス at 21:53 | Comment(0) | 高野秀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月20日

『辺境メシ』(高野秀行)ネコ用ちゅ〜るさえも体験ずみ

『辺境メシ』(高野秀行・文藝春秋)

辺境作家の高野さんが、これまでに体験した
めずらしいたべものを紹介している。
高野さんファンのわたしは、高野さんの本をほとんどよんでいる。
それでもしらないはなしがおおく、
もともとたべものへの関心がつよいので、たのしくよめた。
アフリカ・南アジアなど、地域ごとに章だてされており、
日本の章では7項目がもうけられている。
おもしろかったのは、ネコ用おやつの「ちゅ〜る」について。
ちゅ〜るはネコに絶大な人気があるおやつで、
しらないネコでも ちゅ〜るをあげると かならずたべてくれる。
そのときの反応は、すこしたべてみて「ん?」となり、
すぐに「はっ!」となって、夢中でたべだす。
あまりにもネコをとりこにしてしまうので、
なにかおかしな成分がふくまれているようにおもってしまうけど、
材料に問題はないようだ。マタタビがはいっているわけではない。

そのちゅ〜るを、高野さんががとりあげたのは、さすがといえる。
ネコだけのたべものにとどめず、
ちゃんと味をたしかめているからすごい。
もっともこのときは、料理研究家の
枝元なほみさんとの対談がきっかけだ。
枝元さんの手により ちゅ〜るはこじゃれた料理になっている。
クラッカーに蕪のスライスを載せ「まぐろ」のちゅ〜るをかけ、ピンク胡椒とイタリアンパセリを散らした見事な一品。パーで頼んだら千円ぐらしそう。(中略)シーチキンをとろとろにしてさらにうま味を加えたような、調味料なのか食べ物なのかよくわからない不思議な食感と味。世界のどこの国でも経験したことがない。

なんだかすごくおいしそう。
「これは人間用にしても受けるのではないか」と、
高野さんはネコと人間が、ちゅ〜るをあらそう日を予言している。

ちゅ〜るのほかでは、タイの東北地方でたべた
「虫パスタ」がおもしろかった。
タイの東北地方は昆虫食の本場として有名で、
このとき高野さんは「虫イタリアン」のお店をたずねている。
高野さんが「何品かたべてみたい」というと、
「まず虫を買ってきて」と店の若者が市場へつれていってくれた。
虫をつかった いくつかの料理をたべたあと、
さいごにでてきたのが「虫パスタ」だ。
食べてみると、トマトソースの深い味わいに感心する。よく熟れたトマトを使って、隠し味にタイの調味料のナンプラーを加えているという。まさに土地の食材と味つけをふんだんに応用した創作イタリアンの好例!なのだが、これも虫が多すぎ。だんだん、げっそりしてくる。
 そして、いったんげっそりしてしまうと、後は食べるのがとても苦痛になってきた。ゲンゴロウがゴキブリに酷似していることもあって、残飯のパスタの上に虫がたかっているようにしか見えなくなるからだ!
「残飯を食べている虫を食べている俺」というイメージが脳内をぐるぐる回ってとまらない。

お皿もられたパスタのうえを たくさんのゴキブリがはいまわり、
そのゴキブリ(によくにたゲンゴロウ)もろとも
残飯のパスタをたべようというのだから、
心理的につよい抵抗があるだろう。
「残飯を食べている虫を食べている俺」は、かなりトホホな場面だ。
昆虫食にわたしは偏見がないけど、ゴキブリだけはたべたくない。

posted by カルピス at 22:25 | Comment(0) | 高野秀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする