2018年11月05日

「お店のようなもの」が閉店のようなものになるらしい

かとうちあきさんが、
(「お店のようなもの」が)隣の床屋さん閉店のため、11月いっぱいで閉店のようなものが決定しました。それまでいろいろ #イベント やっていきたいので、みなさま、なんかやったり、遊びにいらしてくださいー。

とツイートしていた。
img46.jpg
ダンボールとガムテープでテキトーにかざられ、
いつやってるのかわかならいような「お店のようなもの」が、
こんなにあっけなく閉店になるとは。
床屋さんと「お店のようなもの」は、
2つがくっついて1つのたてものになっているらしい。
床屋さんがやめるときは、「お店のようなもの」もやめる条件で、
たてものをかりていたそうなので、
なりゆきから、閉店はさけられなかった。

わたしたちがいまクッキー工房のとなりにひらいている
「となりのお店」は、かとうさんの
「お店のようなもの」のパクリであり、
雑貨をとりあつかう内容はともかく、
テキトーな運営というやわらかなコンセプトにひかれ、
「お店のようなもの」を参考に基本方針をうちだしている。
きちんとしているのは、かなわん。
なんかもっと楽に生きてもいいのでは。

できるだけ野菜を店さきにだすけど、
いつもあるとはかぎらない。
野菜があっても店員はいないので、
「となりにいます。声をかけてください」
と、ダンボールにかいた看板を窓にひっかけてある。
クッキーもおいているので、
野菜のついでにかってくれるひとがでてきた。
なにをしているところなのか、
まえから、気になっていたのだそうだ。
「となりのお店」のまえは、歯医者さんで、
歯医者さんにかよっているひとが、
クッキーをたべるのは、あまりよくないかもしれないけど、
その矛盾した関係もまた、お店のコンセプトにあっている気がする。

「お店のようなもの」の店内には、
いろんなはり紙がはってあって、
そのひとつ「野宿党マニヘスト」には
・よく眠ります
・だらだらします
・どこでも寝ます
とある。
こんな党があれば、わたしはぜったい投票するけどな。
img13.jpg
とにかく、「お店のようなもの」の精神を
できるだけひきついで、
「となりのお店」をだらだらとつづけられたらとおもっています。

posted by カルピス at 21:42 | Comment(0) | かとうちあき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月25日

かとうちあきさんの野宿こそ、究極にクール

「クールジャパン」で日本のアウトドアをとりあげていた。
ここでいうアウトドアとは、レジャーとしてのキャンプをさしている。
ほかのジャンルがそうであるように、
日本のアウトドア用品もまた、わらえるほど いたりつくせりだ。
キャンプにもっていく、おりたたみ式のイスとテーブル、
野点セット、虫がよりつかない服、
かんたんにくみたてられるテント、などなど。
キャンプずきの女子による、ガールズキャンプでは、
女子限定のキャンプサイトや、
手ぶらでいってもキャンプをたのしめるレンタル用品が、
こまかなところまで いきとどいていると紹介する。
キャンプずきの女子は、アウトドアむけの服をきるのではなく、
ワンピースやスカートでキャンプにでかけている。
おもい荷物は、宅配便でおくってしまい、
荷物にわずらわされることなくキャンプをたのしんでいる。
テントでねたり、食事をするほかに、
キャンプサイトをどうかざりつけるかが、
彼女たちの関心ごとだ。

外国人ゲストの大半は、それで本人たちがたのしいのなら、
なにも問題はない、とおとなの感想をのべていた。
ただ、自分がそんなキャンプをやりたいかというと
はなしはまたべつで、
なにもない自然のなかですごしてこそのキャンプだと、
ほとんどの外国人ゲストはかんじていた。
オーストラリア人のクレイグさんは、
毎週のようにキャンプをたのしむ 筋金いりのアウトドア派で、
番組では、そんなクレイグさんが
奥多摩ですごした自由な時間を紹介していた。
クレイグさんは、目的地をきめず、
おもいついたままにうごきまわり、
気にいった場所にハンモックをつるして寝場所とし、
食事はたき火台をつかってチキンカツをあげていた。

番組のいちばんさいごに、司会の鴻上さんが、
その日いちばんの「クール」をえらぶコーナーがあり、
鴻上さんはクレイグさんのキャンプをえらんでいた。
超ゴーカなキャンプ場や、
家での生活をそのままアウトドアにもちこむのではなく、
ひとりしずかに自然のなかですごすクレイグさんは、
アウトドアの達人にみえた。
番組ではクレイグさんにたいし、雨がふったらとか、
虫や動物はどうするのかと質問していた。
クレイグさんは、雨がふりそうなときはカバーを用意するらしい。
虫や動物は、そんな環境をたのしむためにキャンプをするのだから
まったく問題ないという。

クレイグさんのアウトドアはたしかにかっこよかったけど、
かとうちあきさんの野宿もまた、
究極のクールなアウトドアだとおもった。
目的は「野宿」そのもので、
荷物だって寝袋とマットだけと、ほとんど手ぶらだ。
自分がたべる分の食糧をもっていくだけで、
炭火をおこしたり、たき火もしない。
テントのなかを、どうかざりつけるかも、もちろんなし。
なにかおきたらどうしよう、と万全の準備でのぞむのではなく、
もってきた最小限の荷物で、なんとかやりすごすのが
かとうちあきさんのスタイルだ。

ただ、「クールジャパン」でかとうさんの野宿をとりあげても
なかなか理解されないようにおもう。
たしかに「クール」だけど、それだけでおわりそうだ。
マットと寝袋だけで完結するかとうさんの野宿は、
あまりにもシンプル、そして自由すぎて、つかみどころがない。
ラジカルなキャンプの一種、という位置づけが
番組としてはせいいっぱいなのではないか。
やってることはすごく地味なのに、
その精神はあくまでもひろく ふかい。
ほんとうは、かとうさんの野宿こそが、
きわめて日本らしいアウトドアなのだと、
番組をみていて よくわかった。
そして、世界へとつうじる可能性もまたひめている。
いたりつくせりのキャンプ用品や、ガールズキャンプよりも、
本質的にクールなのが かとうさんの野宿だ。

posted by カルピス at 21:21 | Comment(0) | かとうちあき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月24日

かとうちあきさんについてのつづき

かとうちあきさんは、寝袋ひとつでなんとかしてしまう。
マットがなければダンボールをしくし、
夏の夜に蚊になやまされても、
「もう刺すなら刺せ!」と達観した自分をたのしむ。
お金がとぼしくても、あるお金でなんとかするし、
すごくさむい夜は、ブルーシートを
寝袋カバーのかわりにしてしのぐ。
終電をのがしても、
宿にとまるのはもったいないから野宿をするし、
そうした「しょうがないから」の野宿でなくても、
ただたのしいから野宿をする。
自由だ。

なにかへの執着やこだわりは、自由からとおざかる。
これさえあったら大丈夫、という道具は、
ちがうみかたをすると、
それがなければどうにもならない状態をうむ。
巡礼の旅の準備として、わたしはいま
どんな靴をはくかをかんがえている。
あるきやすく、雨にもぬれない靴なら完璧だけど、
それにたよりきっていたとき、
なくしたり、とられたりしたら、
かなり気もちがへこむだろう。
はじめからそこそこの靴で手をうっておけば、
それがなくなっても、心理的な影響はすくない。
雨がふっても、あしもとがぬれないのは
とても大切なアドバンテージだけど、
完璧をもとめないで、
多少ぬれてもへっちゃらな気もちをそだてていったほうが、
いろんなアクシデントにも対応できる。
へたにこだわりをもつと、
それにたよった心理状態をうみやすい。

ビールがものすごくおいしい状況は、
ビールがなければとんでもない地獄となる。
ビールがなければスイカでもいいよ、とは
なかなかおもえない。
かとうさんは、ま、いいかと、
きっといえるひとだ。

かとうさんは、この寝袋でないと、とか、
この道具がぜったい必要、とはいわない。
自由なのだ。

posted by カルピス at 19:15 | Comment(0) | かとうちあき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月23日

朝日新聞の「リレーおぴにおん」に かとうちあきさんがとりあげられた

朝日新聞がときどきのせているコラム「リレーおぴにおん」に、
かとうちあきさんがとりあげられた。
タイトルは「予想外を楽しむ心持ち」。
さほどおおくはない文章に、
かとうさんが野宿をはじめたきっかけや、
なぜ野宿をするのかが、わかりやすくまとめられている。
きき手がじょうずにかとうさんの魅力をひきだしており、
すこしおおげさにいえば、珠玉の名文集だ。

8年まえ。
わたしは、かとうさんがはじめてだした
『野宿入門』をよみ、すっかり感心してしまった。
自由について、こんなにわかりやすくかいた本はない。
根がまじめなわたしは、『野宿入門』をよみながら、
あちこちにえんぴつで線をひいた。
どちらかというと、かるい文章なので、
一般的にはそんなよみ方をする本ではないのだろうけど、
わたしには、かとうさんがふかせている自由の風が、
とてもここちよかった。

けさの記事も、かとうさんのこころのもち方が、
とてもよくまとめられている
(寝袋にくるまったかとうさんの写真が 野宿の精にみえる)。

・はじめての野宿は高校1年生の春
・寝袋ひとつ担いで旅する行為の自由さに憧れていた
・(当時は)女子高生ブームの時代で、大人に好きに消費されるだけの
 「女子高生」に抗するようなことをしてみたかったのだと思います。
・高校3年生の夏休みに、53日かけて日本縦断。所持金は約7万円。
 前に進むには、行く先々で見知らぬ人と
 コミュニケーションをしないといけません。
・到着したときにはすごい達成感がありました。
 でも、達成感が目的になると
 「より遠く」「より早く」となっていくだけなので、
 旅の途中を楽しみたいな、と思いました。
・大学では野宿仲間もできました。ただ「学生のうち」
 「就職したらできないよ」と言われるのがイヤで、
 「ずっと楽しい旅をしながら生きていけないかなあ」
 と考えていました。
・受験勉強とか就職活動という、それを乗り越えれば
 若者を人間的に一回り成長させる、
 というような「節目感」が苦手で、
 4年生では半年、野宿の旅をしながら、将来を考えました。
・結局、就職せずに大学でバイトしていた介護の仕事をそのまま続け、
 野宿への愛をミニコミ誌の編集にも注ぎました。
・(野宿では)予想外のことはたくさん起きます。
 すべて楽しむ心持ちでないとやっていけず、
 生きていく上で何でも面白がれるようになりました。
・野宿という旅を通じて、ダメな自分を意識し、
 他人のダメさも受け入れて、愛せるようになった気もしています。
ダメな自分を意識し、他人のダメさも受け入れて、愛せるようになった気もしています。

がすばらしい。
これができないから、みんな生きるのがつらいのだ。
わかくしてこのこころもちにたどりつたかとうさんは、達人である。

posted by カルピス at 21:59 | Comment(0) | かとうちあき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月14日

かとうちあきさんが野宿をはじめたころをかたっている

『野宿野郎』編集長のかとうちあきさんへのインタビューが
ツイッターにながれていた。
https://series.yahoo.co.jp/feature/expedition/3/
野宿したいと思い始めたのは中学生からです。その頃、思春期というか、わりと暗い感じだったので「このままではいけない」みたいな思いがあって。「スタン ド・バイ・ミー」(1986年公開)とか、「イージー・ライダー」(1969年公開)とか。そういう野宿映画を見て「おっ、何だこれは。青春っぽいぞ」と 思ったのが始まりです。

「野宿映画」というジャンルわけがおもしろい。
そこをつっこまれると、
えっ? でもなんか、みんなでたき火を囲みながら寝るじゃないですか。そこで主人公たちがいい話をするみたいな。あれは、外で寝る(野宿する)ことによって、きっと成り立っている映画なんですよ。

たしかに、両方の映画とも、たき火の場面が印象にのこる。
仲間といっしょにすごす みしらぬ土地での夜は、
きっと少年たちの記憶に宝物としてきざまれるだろう。
泊まる所を決めちゃうと、そこまで行かないといけないですからね。それってとっても不自由なことですもんね。

ふつうのひとには旅館やホテルがあたりまえだけど、
かとうさんにとっては快適ではなく不自由なんだ。
(高校3年生のときにやった本州縦断について)
誰でもできます! 私もやって思ったのは、「誰でも時間さえあればできるんだ」ってことで、逆にそれが面白かったなぁ。海を渡るのは自力ではできないけど、日本国内の地続きの場所だったら歩いていけば絶対着くみたいな。その感覚がわかったのが面白かったです。

そのときに長いこと野宿をして、なんかどこかで野宿が生活になった瞬間みたいなのが、すごく面白かったんですよね。

「歩いていけば絶対着く」
「野宿が生活になった瞬間」
すばらしい達観だ。
きのうのブログにバックパッカーの旅をとりあげたけど、
5番めにジャンルわけされるバックパッカーとして
かとうさんの野宿は位置づけられるのでは。
野宿をつづけることで、旅と生活のさかいをなくし、
旅にでなくても、旅びとの自由を獲得している。

posted by カルピス at 21:55 | Comment(0) | かとうちあき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする