2017年06月20日

かとうちあきさんの「お店のようなもの」

デイリーポータルZに、かとうちあきさんがやってる
「お店のようなもの」がちらっと とりあげられた。
http://portal.nifty.com/kiji/170618199934_1.htm
かとうさんは「お店のようなもの」の名で、
ときどきツイートされており、
いったいこの「お店のようなもの」とはなんのことだろうと、
気にしながら ほったらかしていた。

この、ほったらかすのは、
わたしがよくやる とりあえずの対応策だ。
わからないことがあると、
一生懸命にこたえをさがすのもいいけど、
あまりかんがえつづけると、生きるのがつらくなったりする。
頭のかたすみにそっとおいておき、
ときおりおもいだして、そのつど すこしかんがえる。
そんな適度な距離感が、生きるうえでのコツとして身についた。
たとえば、人生いかにいきるべきか、を
真剣にかんがえるのは大切だけど、
すぐにこたえがみつからないからといって
自分をさげすんだり、ヤケクソになってはならない。
なんねんもかけてこたえをさがすべき問題が
世のなかにはたくさんあり、
いったんわすれたほうが けっきょくは ながくかんがえられる。

記事により、「お店のようなもの」の概要はつかめた。
でも、わかったような気になっているだけかもしれない。
こたえさがしをあせらずに、
すこしずつ「お店のようなもの」の正体をつかみたい。
記事をよむかぎり、「お店のようなもの」は、
その名のとおり、「お店のようなもの」としかいえない空間だ。
窓ガラスに
「お店ようなものは
 お店のようなものです。
 時々あいてなにか売ったり、
 やったりしています。
 いまは石!!
 石を売ってるよ!!」

とかかれた紙がガムテープでとめられている。
営業日は火曜と水曜日ともかいてある。
ながねんの疑問がとけて安心した。
たしかにここは「お店のようなもの」で、
ほかによびようがない。
記事は、「お店のようなもの」の常連客である
タケさんに焦点をあてているけど、
わたしにとっては、お店の概要がわかりありがたかった。
なんて自由な空間だろう。

ひとの影響をうけやすいわたしは、
「お店のようなもの」を自分でもやってみたいとおもった。
いろんなものをごちゃごちゃと店においておけば、
おもしろがるひとが のぞいてくれるだろう。
かき氷くらいならサービスしてもいい。
駄菓子があれば、小学生がきてくれるだろうか。
人生になやむわかものが ひといきつける場所もあったほうがいい。
一生懸命にはやらないけど、よかったらつかってください、
みたいな ゆるい方針で店をひらき、
店主であるわたしがときどき顔をだす。
目的がはっきりした場所はかなわん、というのが
このごろのわたしの問題意識だ。

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2016年12月09日

電子書籍版「野宿野郎」の再スタートをのぞむ

かとうちあきさんがツイッターに
今夜また、帰ったら洗面所にナメクジいた。どうかほかのひとたちに見つかってやっつけられず、長く住みついてくれますよーに。

とかきこんでいた。
女性がナメクジをおもわぬところでみかけたら、
演技でなくても「ギャー!」とさわぎそうなのに、
かとうさんは まったくそうではない。
アップされた写真をみると、
けしてきれいとはいえない洗面台のじゃぐちに
りっぱなナメクジがくっついている。
ナメクジへのいたわりもすばらしいけど、
よくこの洗面台を公開したものだと
かとうさんのふところのふかさに感心した。
すごいなー、かとうさん。
でも、洗面台はともかくとして、
もしかしたらカネゴンずきなかとうさんが、
カネゴンに似たナメクジにたいし、
ひいきめな感情をもっているから
ためらわずに公開されたのかもしれない。

かとうちあきさんは、
人生をより低迷させる旅コミ誌、「野宿野郎」の編集長だ。
「野宿野郎」は 2010年3月に7号がでたきり
もう6年半もあたらしい号がでていない。
そのあいだグループでの野宿をよびかけたり、
かとうさんが野宿と旅がらみの本をだしたりと、
まったくの休止状態ではないものの、
本筋の活動からはとおざかっている。
このごろでは、まえにつくられた「野宿野郎」を
増刷するのさえ めんどうになったようで、
在庫ぎれの号がではじめている。
いよいよ「野宿野郎」はさいごのときをむかえるのかと、
残念におもっていたところ、
ことしの10月から「野宿野郎」を
電子書籍化するうごきがでてきた。
ためしに1号を電子書籍化したところ、
たいしてうれなかったものの、
1冊だけより2冊をと、2号も電子書籍化された。
そのあとも順調に電子書籍化がすすみ、
12月2日に電子書籍化された第5号が発売されている。

きゅうに勤勉なうごきをみせたのもおもしろいけど、
ふるい「野宿野郎」を電子書籍化するだけでなく、
あたらしい「野宿野郎」を
電子書籍として つくってくれないだろうか。
まえの出版から6年半もあいだがあくと、
いまさら紙版の「野宿野郎」をつくるのは
かなり腰がおもいことだろう。
あっさり電子書籍にきりかえたら
またあたらしい気分でとりくめるのではないか。

かとうさんのアパートにすみついたナメクジの報告は、
ぜひ電子書籍版の「野宿野郎」でよみたい。

posted by カルピス at 20:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | かとうちあき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月19日

野宿野郎から「社員のようなもの」の名刺がとどく

家にかえるとちいさな小包がとどいている。
せっけんか、オイルサーディン缶くらいのおおきさだ。
ともだちがくれた誕生日プレゼントかとおもった。
7月15日がわたしの誕生日なのだ
(ほぼ日のブイヨンくんとおなじ日)。

夕ごはんをたべてからなかみをあらためると、
野宿野郎からおくられてきた名刺だった。
ずいぶんまえに、「社員のようなもの」にあたえられるという
名刺をもうしこんでいた。
気がむいたらおくるので、
期待しないでおまちください、
みたいなことがかかれていたとおもう。
わたしもわすれていたし、
そもそも野宿野郎のかとうさんがわすれていたから
なんねんもほったらかしになっていたのだ。
それが、いまごろになって、
まるで誕生日をいわうかのようにとどいたのは
偶然としてはできすぎだ。
すごくうれしい。
野宿野郎・名刺.jpg
名刺には、銭湯主任としてわたしの名前がのっている。
もうしこむときにそえたローマ字のとおり、
「Zyun YOSIDA」となっている。
ほんとうは、「YOSIDA Zyun」とかいたのだけど、
名前と名字をひっくりかえされてしまった。
まあ、訓令式のローマ字はいじられなかったので
よしとする。

銭湯主任とは、文字どおり
お風呂をたいせつにする社員だからだ。
わたしは野宿野郎的な世界がだいすきだけど、
野宿に前後する あつかったりさむかったり、
からだがよごれていたりは あまりうれしくない。
野宿をするにしても、
あたたかな食事がふるまわれるとありがたいし、
なによりもお風呂にはいって、
きれいなからだを寝袋にもぐりこませたい。
そんな軟弱な人間には、
銭湯主任くらいしかつとまらないだろう。

そもそもこの名刺は、
「会社のようなもの」の野宿野郎に、
「社員のようなもの」としてかかわるひとにおくられる。
「無給365日 週休7日」の
ありがたい組織が野宿野郎である。

こうして名刺をいただいたからには、
なにかしらわたしも野宿野郎のちからになりたい。
野宿の山陰大会があれば、
なにはともあれかけつけて、
いごこちのいい温泉を紹介するつもりだ。
銭湯主任にふさわしい場面で
もっともらしく名刺交換をしたくなった。

posted by カルピス at 22:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | かとうちあき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月10日

『野宿野郎』のサイトに「会社案内のようなもの」のページができた

わたしがすきな『野宿野郎』のサイトに
「会社案内のようなもの」のページができた。
http://weblog.nojukuyaro.net/2015/10/post_542.html
3年まえに紙でつくったものを、このたびウェブ版にしたという。
わたしは「名刺のようなもの」がほしかったので、
そのとき「社員のようなもの」に応募した経歴をもつ。

軟弱なわたしは 野宿といえどもお風呂にはいろうと、
「銭湯主任」の肩がきを希望した。
しまねの吉田くんが鷹の爪団の「戦闘主任」なので、
それにかけたつもりだ。
「履歴書のようなもの」をおくり、
しばらくまったけど返事がこなかった。
そのうちどうでもいいような気になって
そのままほっておく。
今回だされた「入社案内」をよくよむと、
野宿面接に来れない方は、自主野宿をして小論文や作品(内容・形式は自由)にまとめていただき、履歴書とともに会社のようなものに送付してください。

とあった。意外ときびしい面もあるようだ。
履歴書をおくるだけでは
「社員のようなもの」に ならせてもらえないとわかった。

今回の会社案内には、
「会社のようなもの野宿野郎」の名刺をつくる
「名刺ジェネレーター」がついている。
空欄の項目をうめていき、
ファイルをダウンロードすればいい
(まず書類審査にとおってのパスワードが必要)。
厚めの紙に印刷して切ればそのまま名刺として使えますが、
コピー機などコピー用紙にしか印刷できない場合は、
糊(スプレー糊が最適)で画用紙などに貼ってから切ればよいでしょう。

のりで画用紙にはるなんて、貧乏くささのセンスがひかる。

会社案内の目次は以下のようになっている。
・PHILOSOPHYのようなもの
・VISIONのようなもの
・沿革(ほぼ、会社のようなもの以前)
・野宿野郎の社史のようなもの
・入社案内のようなもの

「のようなもの」はとてもべんりなことばで、
なんにでもこれをくっつけると
どうでもよさが8割がたアップする。

「PHILOSOPHYのようなもの」にある社是は、
「極力、働かない。」だ。
言葉のとおり、すすんでだらだらとし、だらだらとするとすることを愛し、だらだらとするじぶんを、他人を、よしとする。
とりあえずもう、極力、働かない(楽しいこと以外では)。

「なにもしない己を愛する」ともある。
「野宿野郎」はミニコミ誌『野宿野郎』の発行が
おもな業務内容にもかかわらず、
ここなんねんもあたらしい号をつくらないのは、
まさしく社是にある「極力、働かない。」が
大切にされているからだ。
ついあせったり反省したりしやすいけれど、
社長のかとうちあきさんにまよいはみられず、
しっかり社是をまもっている。

「VISIONのようなもの」をみると、
とりあえず、なんにもしない。
したいひとはする。
どちらでもよい。

とある。
これもまたすごい。
どうしてもひとのなまけぶりを目にすると イラつきやすいのに、
「どちらでもよい」と達観できるのは
「だらだらとするじぶんを、他人を、よしとする」からだ。

基本方針のすばらしさはみとめるものの、
では「社員のようなもの」になったら
なにがどうなるのだ、とふと疑問がわいてくる。
メリットなど、つまらぬことばはつかうまい。
しかし、銭湯主任としてみとめられたとして、
なにかわたしの日常がかわるだろうか。
「会社案内のようなもの」をまえに、
野宿野郎とわたしのこれからを、しばらくかんがえる。

posted by カルピス at 16:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | かとうちあき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月18日

「野宿野郎」の空港ターミナルでの野宿と、「ないからつくった」の精神

「野宿野郎」のサイトに
成田空港第3ターミナル野宿の記事がのった。
http://weblog.nojukuyaro.net/2015/06/3_8.html
なんのことかというと、野宿を愛するひとたちが
あたらしくできた成田空港第3ターミナルの施設内で
ひとばんすごしたときの報告だ。
まえには羽田空港での野宿体験をよんだことがある。
このとき、わたしは はじめ
飛行場の滑走路わきの草はらで 野宿をしたのかとかんちがいした。
あんなところで野宿するなんて、さすがに野宿野郎はすごいと
すっかり感心してしまったものだ。
映画『だれもしらない』で、飛行機がすきだった妹を、
羽田空港ちかくのはらっぱにうめた場面が
つよく記憶にのこっていたのだろう。
すこしかんがえれば、滑走路のちかくで野宿をさせてくれるわけがない。
そういうえたいのしれないグループの侵入に、
いちばん神経をとがらしているのが飛行場だろうし、
もしゆるされたとしても、ものすごくうるさいだろうから、
おちついてねむれそうにない。

今回の報告のおかしさは、
徹底的に野宿をするものの視点から、空港の施設が紹介されている点にある。
「野宿野郎」なのだから、あたりまえとはいえ、
ふつう空港についてなにかかくときは、
空港までの交通手段や 施設にはいっているお店の紹介になるとおもうけど、
野宿野郎はどうしたら快適にねむれるか、の一点にこだわっている。
夜遅くなると数少ないソファーは横になりたい人たちに押さえられてしまう。どうしてもソファーで寝たければちょっと早めに来て場所を取っておいたほうがいいだろう。
ソファーが取れなかったら、夜を明かす方法は、椅子に座ってテーブルに突っ伏して寝るか、椅子をいくつかくっつけて並べてそこに寝るか、床に寝るかぐらいになる。テーブルの上で寝るという猛者はこの日はいなかった。

まとめによると、
第3ターミナルは これまでに野宿した国内空港のなかで
「残念ながら一番だめな感じ」ということで、
時間があるなら第2ターミナルでの野宿をすすめている。
一般的な感覚ではピンとこないけど、
野宿のすきなひとにとって、大切な情報なのだろう。

わたしはこれまで空港で3回「野宿」したことがある。
1回目と2回目がタイのドンムアン空港で、
3回目もおなじくタイのスワンナプーム空港だ。
これは、わたしがタイの空港に特別な愛着をもっているわけではなく、
日本からの格安便が、ぜんぶ夜おそくバンコクにつくことによる。
夜しらない町をうごくよりも、空港ですごしたほうが安全だし お金もかからない。
しかし、ドンムアン空港は 深夜になるとひとけがなくなり、
ひとりですごすのはこころぼそかった。
床によこになったところでそうねむれるものではなく、
海外旅行の初心者という不安もあり、
空港内をうろついている時間がながかったようにおもう。
3回目のスワンナプーム空港は、
ほとんど空港用として寝袋とマットをもっていったので、
3回のなかではいちばんいごこちよくすごせた。
深夜になっても利用客がおおすぎず、すくなすぎもせず、
ほどよいひとけをかんじながらねむれる。
空港内には仮眠をとる施設もあるそうだけど、
ものすごくたかいそうだから、
あっさりチェックインカウンターのある階で ねてしまうのがおすすめだ。

野宿野郎による成田空港第3ターミナルでの野宿は、
編集長が つぎの日このターミナルをつかうことから企画されている。
編集長が飛行機にのるからといって、
なにもほかのひとまでついていかなくてもいいのに、
野宿愛好家たちの行動はどこかつかみにくいところがある。

ところでわたしは、ほんとうは 空港野宿についてかきたかったわけではなく、
べつの記事に感心したことを紹介したかった。
そこでは、自転車をこぐことでUSB機器を充電する、
なにやらむつかしそうな装置がつくられていた。
「ないからつくった」とある。
このことばは、編集長(かとうちあき氏)が、
創刊のときにもらした言葉でもあるそうだ。
「ないからあきらめる」のではなく、「ないからつくった」。
すばらしい。
マットがないからといってあきらめていては
さむくてねむれないわけだから、
コンビニなどでダンボールを手にいれなければならない。
「ないからつくった」は、野宿するものにとって、
きわめてあたりまえな発想なのだ。
編集長が第3ターミナルへいくからいっしょに野宿するのと、
「ないからつくった」は、ぜんぜんちがう精神だとおもうけど、
そんなちいさなことにこだわらず、とにかく野宿をしてしまうのもまたすばらしい。

posted by カルピス at 22:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | かとうちあき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする