2016年12月09日

電子書籍版「野宿野郎」の再スタートをのぞむ

かとうちあきさんがツイッターに
今夜また、帰ったら洗面所にナメクジいた。どうかほかのひとたちに見つかってやっつけられず、長く住みついてくれますよーに。

とかきこんでいた。
女性がナメクジをおもわぬところでみかけたら、
演技でなくても「ギャー!」とさわぎそうなのに、
かとうさんは まったくそうではない。
アップされた写真をみると、
けしてきれいとはいえない洗面台のじゃぐちに
りっぱなナメクジがくっついている。
ナメクジへのいたわりもすばらしいけど、
よくこの洗面台を公開したものだと
かとうさんのふところのふかさに感心した。
すごいなー、かとうさん。
でも、洗面台はともかくとして、
もしかしたらカネゴンずきなかとうさんが、
カネゴンに似たナメクジにたいし、
ひいきめな感情をもっているから
ためらわずに公開されたのかもしれない。

かとうちあきさんは、
人生をより低迷させる旅コミ誌、「野宿野郎」の編集長だ。
「野宿野郎」は 2010年3月に7号がでたきり
もう6年半もあたらしい号がでていない。
そのあいだグループでの野宿をよびかけたり、
かとうさんが野宿と旅がらみの本をだしたりと、
まったくの休止状態ではないものの、
本筋の活動からはとおざかっている。
このごろでは、まえにつくられた「野宿野郎」を
増刷するのさえ めんどうになったようで、
在庫ぎれの号がではじめている。
いよいよ「野宿野郎」はさいごのときをむかえるのかと、
残念におもっていたところ、
ことしの10月から「野宿野郎」を
電子書籍化するうごきがでてきた。
ためしに1号を電子書籍化したところ、
たいしてうれなかったものの、
1冊だけより2冊をと、2号も電子書籍化された。
そのあとも順調に電子書籍化がすすみ、
12月2日に電子書籍化された第5号が発売されている。

きゅうに勤勉なうごきをみせたのもおもしろいけど、
ふるい「野宿野郎」を電子書籍化するだけでなく、
あたらしい「野宿野郎」を
電子書籍として つくってくれないだろうか。
まえの出版から6年半もあいだがあくと、
いまさら紙版の「野宿野郎」をつくるのは
かなり腰がおもいことだろう。
あっさり電子書籍にきりかえたら
またあたらしい気分でとりくめるのではないか。

かとうさんのアパートにすみついたナメクジの報告は、
ぜひ電子書籍版の「野宿野郎」でよみたい。

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2016年07月19日

野宿野郎から「社員のようなもの」の名刺がとどく

家にかえるとちいさな小包がとどいている。
せっけんか、オイルサーディン缶くらいのおおきさだ。
ともだちがくれた誕生日プレゼントかとおもった。
7月15日がわたしの誕生日なのだ
(ほぼ日のブイヨンくんとおなじ日)。

夕ごはんをたべてからなかみをあらためると、
野宿野郎からおくられてきた名刺だった。
ずいぶんまえに、「社員のようなもの」にあたえられるという
名刺をもうしこんでいた。
気がむいたらおくるので、
期待しないでおまちください、
みたいなことがかかれていたとおもう。
わたしもわすれていたし、
そもそも野宿野郎のかとうさんがわすれていたから
なんねんもほったらかしになっていたのだ。
それが、いまごろになって、
まるで誕生日をいわうかのようにとどいたのは
偶然としてはできすぎだ。
すごくうれしい。
野宿野郎・名刺.jpg
名刺には、銭湯主任としてわたしの名前がのっている。
もうしこむときにそえたローマ字のとおり、
「Zyun YOSIDA」となっている。
ほんとうは、「YOSIDA Zyun」とかいたのだけど、
名前と名字をひっくりかえされてしまった。
まあ、訓令式のローマ字はいじられなかったので
よしとする。

銭湯主任とは、文字どおり
お風呂をたいせつにする社員だからだ。
わたしは野宿野郎的な世界がだいすきだけど、
野宿に前後する あつかったりさむかったり、
からだがよごれていたりは あまりうれしくない。
野宿をするにしても、
あたたかな食事がふるまわれるとありがたいし、
なによりもお風呂にはいって、
きれいなからだを寝袋にもぐりこませたい。
そんな軟弱な人間には、
銭湯主任くらいしかつとまらないだろう。

そもそもこの名刺は、
「会社のようなもの」の野宿野郎に、
「社員のようなもの」としてかかわるひとにおくられる。
「無給365日 週休7日」の
ありがたい組織が野宿野郎である。

こうして名刺をいただいたからには、
なにかしらわたしも野宿野郎のちからになりたい。
野宿の山陰大会があれば、
なにはともあれかけつけて、
いごこちのいい温泉を紹介するつもりだ。
銭湯主任にふさわしい場面で
もっともらしく名刺交換をしたくなった。

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2015年10月10日

『野宿野郎』のサイトに「会社案内のようなもの」のページができた

わたしがすきな『野宿野郎』のサイトに
「会社案内のようなもの」のページができた。
http://weblog.nojukuyaro.net/2015/10/post_542.html
3年まえに紙でつくったものを、このたびウェブ版にしたという。
わたしは「名刺のようなもの」がほしかったので、
そのとき「社員のようなもの」に応募した経歴をもつ。

軟弱なわたしは 野宿といえどもお風呂にはいろうと、
「銭湯主任」の肩がきを希望した。
しまねの吉田くんが鷹の爪団の「戦闘主任」なので、
それにかけたつもりだ。
「履歴書のようなもの」をおくり、
しばらくまったけど返事がこなかった。
そのうちどうでもいいような気になって
そのままほっておく。
今回だされた「入社案内」をよくよむと、
野宿面接に来れない方は、自主野宿をして小論文や作品(内容・形式は自由)にまとめていただき、履歴書とともに会社のようなものに送付してください。

とあった。意外ときびしい面もあるようだ。
履歴書をおくるだけでは
「社員のようなもの」に ならせてもらえないとわかった。

今回の会社案内には、
「会社のようなもの野宿野郎」の名刺をつくる
「名刺ジェネレーター」がついている。
空欄の項目をうめていき、
ファイルをダウンロードすればいい
(まず書類審査にとおってのパスワードが必要)。
厚めの紙に印刷して切ればそのまま名刺として使えますが、
コピー機などコピー用紙にしか印刷できない場合は、
糊(スプレー糊が最適)で画用紙などに貼ってから切ればよいでしょう。

のりで画用紙にはるなんて、貧乏くささのセンスがひかる。

会社案内の目次は以下のようになっている。
・PHILOSOPHYのようなもの
・VISIONのようなもの
・沿革(ほぼ、会社のようなもの以前)
・野宿野郎の社史のようなもの
・入社案内のようなもの

「のようなもの」はとてもべんりなことばで、
なんにでもこれをくっつけると
どうでもよさが8割がたアップする。

「PHILOSOPHYのようなもの」にある社是は、
「極力、働かない。」だ。
言葉のとおり、すすんでだらだらとし、だらだらとするとすることを愛し、だらだらとするじぶんを、他人を、よしとする。
とりあえずもう、極力、働かない(楽しいこと以外では)。

「なにもしない己を愛する」ともある。
「野宿野郎」はミニコミ誌『野宿野郎』の発行が
おもな業務内容にもかかわらず、
ここなんねんもあたらしい号をつくらないのは、
まさしく社是にある「極力、働かない。」が
大切にされているからだ。
ついあせったり反省したりしやすいけれど、
社長のかとうちあきさんにまよいはみられず、
しっかり社是をまもっている。

「VISIONのようなもの」をみると、
とりあえず、なんにもしない。
したいひとはする。
どちらでもよい。

とある。
これもまたすごい。
どうしてもひとのなまけぶりを目にすると イラつきやすいのに、
「どちらでもよい」と達観できるのは
「だらだらとするじぶんを、他人を、よしとする」からだ。

基本方針のすばらしさはみとめるものの、
では「社員のようなもの」になったら
なにがどうなるのだ、とふと疑問がわいてくる。
メリットなど、つまらぬことばはつかうまい。
しかし、銭湯主任としてみとめられたとして、
なにかわたしの日常がかわるだろうか。
「会社案内のようなもの」をまえに、
野宿野郎とわたしのこれからを、しばらくかんがえる。

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2015年06月18日

「野宿野郎」の空港ターミナルでの野宿と、「ないからつくった」の精神

「野宿野郎」のサイトに
成田空港第3ターミナル野宿の記事がのった。
http://weblog.nojukuyaro.net/2015/06/3_8.html
なんのことかというと、野宿を愛するひとたちが
あたらしくできた成田空港第3ターミナルの施設内で
ひとばんすごしたときの報告だ。
まえには羽田空港での野宿体験をよんだことがある。
このとき、わたしは はじめ
飛行場の滑走路わきの草はらで 野宿をしたのかとかんちがいした。
あんなところで野宿するなんて、さすがに野宿野郎はすごいと
すっかり感心してしまったものだ。
映画『だれもしらない』で、飛行機がすきだった妹を、
羽田空港ちかくのはらっぱにうめた場面が
つよく記憶にのこっていたのだろう。
すこしかんがえれば、滑走路のちかくで野宿をさせてくれるわけがない。
そういうえたいのしれないグループの侵入に、
いちばん神経をとがらしているのが飛行場だろうし、
もしゆるされたとしても、ものすごくうるさいだろうから、
おちついてねむれそうにない。

今回の報告のおかしさは、
徹底的に野宿をするものの視点から、空港の施設が紹介されている点にある。
「野宿野郎」なのだから、あたりまえとはいえ、
ふつう空港についてなにかかくときは、
空港までの交通手段や 施設にはいっているお店の紹介になるとおもうけど、
野宿野郎はどうしたら快適にねむれるか、の一点にこだわっている。
夜遅くなると数少ないソファーは横になりたい人たちに押さえられてしまう。どうしてもソファーで寝たければちょっと早めに来て場所を取っておいたほうがいいだろう。
ソファーが取れなかったら、夜を明かす方法は、椅子に座ってテーブルに突っ伏して寝るか、椅子をいくつかくっつけて並べてそこに寝るか、床に寝るかぐらいになる。テーブルの上で寝るという猛者はこの日はいなかった。

まとめによると、
第3ターミナルは これまでに野宿した国内空港のなかで
「残念ながら一番だめな感じ」ということで、
時間があるなら第2ターミナルでの野宿をすすめている。
一般的な感覚ではピンとこないけど、
野宿のすきなひとにとって、大切な情報なのだろう。

わたしはこれまで空港で3回「野宿」したことがある。
1回目と2回目がタイのドンムアン空港で、
3回目もおなじくタイのスワンナプーム空港だ。
これは、わたしがタイの空港に特別な愛着をもっているわけではなく、
日本からの格安便が、ぜんぶ夜おそくバンコクにつくことによる。
夜しらない町をうごくよりも、空港ですごしたほうが安全だし お金もかからない。
しかし、ドンムアン空港は 深夜になるとひとけがなくなり、
ひとりですごすのはこころぼそかった。
床によこになったところでそうねむれるものではなく、
海外旅行の初心者という不安もあり、
空港内をうろついている時間がながかったようにおもう。
3回目のスワンナプーム空港は、
ほとんど空港用として寝袋とマットをもっていったので、
3回のなかではいちばんいごこちよくすごせた。
深夜になっても利用客がおおすぎず、すくなすぎもせず、
ほどよいひとけをかんじながらねむれる。
空港内には仮眠をとる施設もあるそうだけど、
ものすごくたかいそうだから、
あっさりチェックインカウンターのある階で ねてしまうのがおすすめだ。

野宿野郎による成田空港第3ターミナルでの野宿は、
編集長が つぎの日このターミナルをつかうことから企画されている。
編集長が飛行機にのるからといって、
なにもほかのひとまでついていかなくてもいいのに、
野宿愛好家たちの行動はどこかつかみにくいところがある。

ところでわたしは、ほんとうは 空港野宿についてかきたかったわけではなく、
べつの記事に感心したことを紹介したかった。
そこでは、自転車をこぐことでUSB機器を充電する、
なにやらむつかしそうな装置がつくられていた。
「ないからつくった」とある。
このことばは、編集長(かとうちあき氏)が、
創刊のときにもらした言葉でもあるそうだ。
「ないからあきらめる」のではなく、「ないからつくった」。
すばらしい。
マットがないからといってあきらめていては
さむくてねむれないわけだから、
コンビニなどでダンボールを手にいれなければならない。
「ないからつくった」は、野宿するものにとって、
きわめてあたりまえな発想なのだ。
編集長が第3ターミナルへいくからいっしょに野宿するのと、
「ないからつくった」は、ぜんぜんちがう精神だとおもうけど、
そんなちいさなことにこだわらず、とにかく野宿をしてしまうのもまたすばらしい。

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2014年09月22日

『バスに乗ってどこまでも』(かとうちあき)高速バス+野宿の かとうさんならではの旅

『バスに乗ってどこまでも』(かとうちあき・双葉社)

最近みかけないとおもったら、
かとうちあきさんの関心は 野宿からバス旅行にうつっていた、
というわけではなくて、
バスにのってとおくにでかけながら、ちゃんと野宿もこなしている。
月刊誌『増刊大衆』に連載された記事をまとめた本なのだそうで、
編集部の依頼をうけて高速バスをつかってのミニ旅行にでかけている。
バスにのるのはだれにでもできるけど、
バス+野宿でのケチケチした旅行はかとうさんにしかできない。
なにしろ1回目の仙台ゆきが1月におこなわれているのだ。
1月に野宿なんて、だれにでもできることではないし、
何回かのおでかけでは いきさきで雨がふってるのに、
たいしたことなさそうに しのいでいる。
なにげなくよんでいると かんたんそうだけど、
これまでにやしなってきたかとうさんの経験があちこちに顔をだしている。

かとうさんの野宿ものにひたりたくて、
『野宿野郎』をひっぱりだし お遍路さんの記事をよんだりしていた。
きょねんの夏に『あたらしい野宿(上)』がだされているけど、
もうひとつ期待にそぐわない内容だった。
不完全燃焼の状態で かとうさんの本をまっていたところに
『バスに乗ってどこまでも』が出版された。
高速バスと野宿のくみあわせは、かとうさんのもち味をいかすのに 絶好の舞台だ。

予算は1万円。1万円でバス代も食費も観光にかかるお金も、
ぜんぶやりくりするのだから、宿泊は当然 野宿ということになる。
それにしても、いつも1万円にかぎりなくちかいお金でまとめている。
1回目9,630円・2回目9,960円・3回目9,795円・4回目9,907円・・・。みごとだ。
そしてついに24回目の秋田ゆきで、ぴったし1万円をつかいきるのに成功する。
かとうさんがやると、出費をおさえるのが ケチというより
上級者の旅行はそういうものなのだ、という気がしてくる。
豪華なご当地グルメにありつけなくても、
ひるごはんでそこそこ名のしれた名物料理をたのしみ、
スーパーにならんでいたみきり品を手にいれてよろこんだり。
お金がなければ旅行できないなんて、ただのおもいこみにすぎず、
この本が紹介しているように、やりようによっては
1泊2日の旅行をたのしむことができる。
お金をかけておなじルートをまわったとしても、
かとうさんみたいなおもいでにのこる旅は なかなかできないだろう。
お金のあるなしではなく、旅行をあじわうスキルがあるかないかのちがいだ。

お金をつかわずにすませようとすると、たいへんなこともおおい。
鶴岡へでかけたときに、無料のかし自転車をつかおうと、
かとうさんはまえの日からあたりをつけていた。
「当日返却」がきまりなので、1日目はかりず、
2日目に自転車で鶴岡駅周辺をまわろうという計画だ。
その2日目の朝のはなし。

「3時間弱、休憩せずに歩いたのですが、
それは自転車が借りられてしまわないよう、
念のため早目に着いておこうと思ったから。
到着は9時40分頃となかなかよい時間でしたが、
観光案内所の前には、なぜ自転車のことを知っているのか、
中国人らしき観光客の大集団がいました。
彼らはおのおのの自転車の乗り心地を試して、
そして計ったかのようにぴったり全台の自転車を借りて、走り去ってしまった」

そのあとも運のわるさがつづく。

「夕食はスーパーで買ってきたカップラーメン。
広場に移動してお湯を沸かしていると、
途中でガスがなくなってしまいました。(中略)
駅のコンビニに行って、ポットからお湯を拝借しようとしたらお湯切れだったので、
そんなのいやだ・・・」

わかい女性が こんなトホホなおもいをするのはかわいそうだけど、
かとうさんはそんなときでも「自分がいたらないのだ」と
気もちをじょうずにきりかえる。
たしかに、そんなことでいちいちやさぐれていたら、
野宿旅行なんてやってられないだろう。
そしてかとうさんは、ほんとうに野宿がすきなのだ。
旅さきで旅行者どうしはなしをしても、
「宿が付いて、往復のチケット代よりも安いんだから」と
相手がどんなにやすくまわっているかを自慢しても、
かとうさんは「野宿すれば宿は必要ないのに」
とぜんぜんうらやましがったりしない。

かとうさんが野宿をするのは、ただお金をけちりたいからではない。
野宿のほうが旅館にとまるより自由だからで、
とはいうものの、かとうさんにとってのお金とはなんだろうと、すこし気になる。
かとうさんに「ほぼ日手帳」をみせたらどういうだろう、とふとおもった。
いい品とはみとめても、手帳に5000円はらったり しないのではないか。
あるものですませるのが かとうさん流なので、
なにかほかの工夫でほぼ日手帳の機能をおぎなおうとするだろう。
たとえお金に余裕があったとしても、なくてこまらないものはかわない。
そんなお金をかせぐくらいなら、はたらかずにすませようとする。
お金をつかうのがもったいないというよりも、
できるだけはたらかずに自由でいたいのが
かとうさんが大切にしている野宿の精神ではないか。

お金がなくてもたのしそうにすごすかとうさんをみていると、
わたしもリュックをせおって旅行にでかけたくなった。
きのうは、いつも自転車でいくスーパーへあるいてでかけ、
夕ごはんの材料と、10キロいりのお米をかい リュックにいれてみた。
旅行って、どんなかんじなのかをおもいだそうとしたのだ。
ほんの20分程度あるいただけだけど、わたしはもうそれでじゅうぶん
荷物をせおった気にひたれた。
10キロはおもすぎる。
身がるにうごくには、せいぜい8キロが限度だともおもった。
あるくのはすきだけど、おもい荷物をせおうのはたのしくない。
本番の旅行で快適にすごそうとすれば、荷物はますますおもくなる。
ほんとうに必要なものをしりぬいた
かとうさんのリュックのなかをみてみたい。

今回の旅行には、編集者のY氏が毎回つきそっていたようだ。
紙面ではあまりふれられていないけど、
Y氏の存在は、いかに黒子にてっしても、かとうさんの旅に
影響をあたえたのではないか。
ひとりの野宿と、みかけだけとはいえ男女ペアの野宿では
まわりのうけとめ方がおおきくちがってくる。
かとうさんの旅行スタイルに同行記者は必要ない。
酒井順子さんが旅エッセイをかくときに編集者がつきそうのと、
かとうさんの野宿にだれかが同行するのとはいっしょではない。
余計なお世話でしかなく、それがなければもっとおもしろい本になっていたとおもう。

posted by カルピス at 23:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | かとうちあき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする