2015年06月18日

「野宿野郎」の空港ターミナルでの野宿と、「ないからつくった」の精神

「野宿野郎」のサイトに
成田空港第3ターミナル野宿の記事がのった。
http://weblog.nojukuyaro.net/2015/06/3_8.html
なんのことかというと、野宿を愛するひとたちが
あたらしくできた成田空港第3ターミナルの施設内で
ひとばんすごしたときの報告だ。
まえには羽田空港での野宿体験をよんだことがある。
このとき、わたしは はじめ
飛行場の滑走路わきの草はらで 野宿をしたのかとかんちがいした。
あんなところで野宿するなんて、さすがに野宿野郎はすごいと
すっかり感心してしまったものだ。
映画『だれもしらない』で、飛行機がすきだった妹を、
羽田空港ちかくのはらっぱにうめた場面が
つよく記憶にのこっていたのだろう。
すこしかんがえれば、滑走路のちかくで野宿をさせてくれるわけがない。
そういうえたいのしれないグループの侵入に、
いちばん神経をとがらしているのが飛行場だろうし、
もしゆるされたとしても、ものすごくうるさいだろうから、
おちついてねむれそうにない。

今回の報告のおかしさは、
徹底的に野宿をするものの視点から、空港の施設が紹介されている点にある。
「野宿野郎」なのだから、あたりまえとはいえ、
ふつう空港についてなにかかくときは、
空港までの交通手段や 施設にはいっているお店の紹介になるとおもうけど、
野宿野郎はどうしたら快適にねむれるか、の一点にこだわっている。
夜遅くなると数少ないソファーは横になりたい人たちに押さえられてしまう。どうしてもソファーで寝たければちょっと早めに来て場所を取っておいたほうがいいだろう。
ソファーが取れなかったら、夜を明かす方法は、椅子に座ってテーブルに突っ伏して寝るか、椅子をいくつかくっつけて並べてそこに寝るか、床に寝るかぐらいになる。テーブルの上で寝るという猛者はこの日はいなかった。

まとめによると、
第3ターミナルは これまでに野宿した国内空港のなかで
「残念ながら一番だめな感じ」ということで、
時間があるなら第2ターミナルでの野宿をすすめている。
一般的な感覚ではピンとこないけど、
野宿のすきなひとにとって、大切な情報なのだろう。

わたしはこれまで空港で3回「野宿」したことがある。
1回目と2回目がタイのドンムアン空港で、
3回目もおなじくタイのスワンナプーム空港だ。
これは、わたしがタイの空港に特別な愛着をもっているわけではなく、
日本からの格安便が、ぜんぶ夜おそくバンコクにつくことによる。
夜しらない町をうごくよりも、空港ですごしたほうが安全だし お金もかからない。
しかし、ドンムアン空港は 深夜になるとひとけがなくなり、
ひとりですごすのはこころぼそかった。
床によこになったところでそうねむれるものではなく、
海外旅行の初心者という不安もあり、
空港内をうろついている時間がながかったようにおもう。
3回目のスワンナプーム空港は、
ほとんど空港用として寝袋とマットをもっていったので、
3回のなかではいちばんいごこちよくすごせた。
深夜になっても利用客がおおすぎず、すくなすぎもせず、
ほどよいひとけをかんじながらねむれる。
空港内には仮眠をとる施設もあるそうだけど、
ものすごくたかいそうだから、
あっさりチェックインカウンターのある階で ねてしまうのがおすすめだ。

野宿野郎による成田空港第3ターミナルでの野宿は、
編集長が つぎの日このターミナルをつかうことから企画されている。
編集長が飛行機にのるからといって、
なにもほかのひとまでついていかなくてもいいのに、
野宿愛好家たちの行動はどこかつかみにくいところがある。

ところでわたしは、ほんとうは 空港野宿についてかきたかったわけではなく、
べつの記事に感心したことを紹介したかった。
そこでは、自転車をこぐことでUSB機器を充電する、
なにやらむつかしそうな装置がつくられていた。
「ないからつくった」とある。
このことばは、編集長(かとうちあき氏)が、
創刊のときにもらした言葉でもあるそうだ。
「ないからあきらめる」のではなく、「ないからつくった」。
すばらしい。
マットがないからといってあきらめていては
さむくてねむれないわけだから、
コンビニなどでダンボールを手にいれなければならない。
「ないからつくった」は、野宿するものにとって、
きわめてあたりまえな発想なのだ。
編集長が第3ターミナルへいくからいっしょに野宿するのと、
「ないからつくった」は、ぜんぜんちがう精神だとおもうけど、
そんなちいさなことにこだわらず、とにかく野宿をしてしまうのもまたすばらしい。

posted by カルピス at 22:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | かとうちあき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月22日

『バスに乗ってどこまでも』(かとうちあき)高速バス+野宿の かとうさんならではの旅

『バスに乗ってどこまでも』(かとうちあき・双葉社)

最近みかけないとおもったら、
かとうちあきさんの関心は 野宿からバス旅行にうつっていた、
というわけではなくて、
バスにのってとおくにでかけながら、ちゃんと野宿もこなしている。
月刊誌『増刊大衆』に連載された記事をまとめた本なのだそうで、
編集部の依頼をうけて高速バスをつかってのミニ旅行にでかけている。
バスにのるのはだれにでもできるけど、
バス+野宿でのケチケチした旅行はかとうさんにしかできない。
なにしろ1回目の仙台ゆきが1月におこなわれているのだ。
1月に野宿なんて、だれにでもできることではないし、
何回かのおでかけでは いきさきで雨がふってるのに、
たいしたことなさそうに しのいでいる。
なにげなくよんでいると かんたんそうだけど、
これまでにやしなってきたかとうさんの経験があちこちに顔をだしている。

かとうさんの野宿ものにひたりたくて、
『野宿野郎』をひっぱりだし お遍路さんの記事をよんだりしていた。
きょねんの夏に『あたらしい野宿(上)』がだされているけど、
もうひとつ期待にそぐわない内容だった。
不完全燃焼の状態で かとうさんの本をまっていたところに
『バスに乗ってどこまでも』が出版された。
高速バスと野宿のくみあわせは、かとうさんのもち味をいかすのに 絶好の舞台だ。

予算は1万円。1万円でバス代も食費も観光にかかるお金も、
ぜんぶやりくりするのだから、宿泊は当然 野宿ということになる。
それにしても、いつも1万円にかぎりなくちかいお金でまとめている。
1回目9,630円・2回目9,960円・3回目9,795円・4回目9,907円・・・。みごとだ。
そしてついに24回目の秋田ゆきで、ぴったし1万円をつかいきるのに成功する。
かとうさんがやると、出費をおさえるのが ケチというより
上級者の旅行はそういうものなのだ、という気がしてくる。
豪華なご当地グルメにありつけなくても、
ひるごはんでそこそこ名のしれた名物料理をたのしみ、
スーパーにならんでいたみきり品を手にいれてよろこんだり。
お金がなければ旅行できないなんて、ただのおもいこみにすぎず、
この本が紹介しているように、やりようによっては
1泊2日の旅行をたのしむことができる。
お金をかけておなじルートをまわったとしても、
かとうさんみたいなおもいでにのこる旅は なかなかできないだろう。
お金のあるなしではなく、旅行をあじわうスキルがあるかないかのちがいだ。

お金をつかわずにすませようとすると、たいへんなこともおおい。
鶴岡へでかけたときに、無料のかし自転車をつかおうと、
かとうさんはまえの日からあたりをつけていた。
「当日返却」がきまりなので、1日目はかりず、
2日目に自転車で鶴岡駅周辺をまわろうという計画だ。
その2日目の朝のはなし。

「3時間弱、休憩せずに歩いたのですが、
それは自転車が借りられてしまわないよう、
念のため早目に着いておこうと思ったから。
到着は9時40分頃となかなかよい時間でしたが、
観光案内所の前には、なぜ自転車のことを知っているのか、
中国人らしき観光客の大集団がいました。
彼らはおのおのの自転車の乗り心地を試して、
そして計ったかのようにぴったり全台の自転車を借りて、走り去ってしまった」

そのあとも運のわるさがつづく。

「夕食はスーパーで買ってきたカップラーメン。
広場に移動してお湯を沸かしていると、
途中でガスがなくなってしまいました。(中略)
駅のコンビニに行って、ポットからお湯を拝借しようとしたらお湯切れだったので、
そんなのいやだ・・・」

わかい女性が こんなトホホなおもいをするのはかわいそうだけど、
かとうさんはそんなときでも「自分がいたらないのだ」と
気もちをじょうずにきりかえる。
たしかに、そんなことでいちいちやさぐれていたら、
野宿旅行なんてやってられないだろう。
そしてかとうさんは、ほんとうに野宿がすきなのだ。
旅さきで旅行者どうしはなしをしても、
「宿が付いて、往復のチケット代よりも安いんだから」と
相手がどんなにやすくまわっているかを自慢しても、
かとうさんは「野宿すれば宿は必要ないのに」
とぜんぜんうらやましがったりしない。

かとうさんが野宿をするのは、ただお金をけちりたいからではない。
野宿のほうが旅館にとまるより自由だからで、
とはいうものの、かとうさんにとってのお金とはなんだろうと、すこし気になる。
かとうさんに「ほぼ日手帳」をみせたらどういうだろう、とふとおもった。
いい品とはみとめても、手帳に5000円はらったり しないのではないか。
あるものですませるのが かとうさん流なので、
なにかほかの工夫でほぼ日手帳の機能をおぎなおうとするだろう。
たとえお金に余裕があったとしても、なくてこまらないものはかわない。
そんなお金をかせぐくらいなら、はたらかずにすませようとする。
お金をつかうのがもったいないというよりも、
できるだけはたらかずに自由でいたいのが
かとうさんが大切にしている野宿の精神ではないか。

お金がなくてもたのしそうにすごすかとうさんをみていると、
わたしもリュックをせおって旅行にでかけたくなった。
きのうは、いつも自転車でいくスーパーへあるいてでかけ、
夕ごはんの材料と、10キロいりのお米をかい リュックにいれてみた。
旅行って、どんなかんじなのかをおもいだそうとしたのだ。
ほんの20分程度あるいただけだけど、わたしはもうそれでじゅうぶん
荷物をせおった気にひたれた。
10キロはおもすぎる。
身がるにうごくには、せいぜい8キロが限度だともおもった。
あるくのはすきだけど、おもい荷物をせおうのはたのしくない。
本番の旅行で快適にすごそうとすれば、荷物はますますおもくなる。
ほんとうに必要なものをしりぬいた
かとうさんのリュックのなかをみてみたい。

今回の旅行には、編集者のY氏が毎回つきそっていたようだ。
紙面ではあまりふれられていないけど、
Y氏の存在は、いかに黒子にてっしても、かとうさんの旅に
影響をあたえたのではないか。
ひとりの野宿と、みかけだけとはいえ男女ペアの野宿では
まわりのうけとめ方がおおきくちがってくる。
かとうさんの旅行スタイルに同行記者は必要ない。
酒井順子さんが旅エッセイをかくときに編集者がつきそうのと、
かとうさんの野宿にだれかが同行するのとはいっしょではない。
余計なお世話でしかなく、それがなければもっとおもしろい本になっていたとおもう。

posted by カルピス at 23:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | かとうちあき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月01日

『あたらしい野宿(上)』(かとうちあき) 絵になじめないひとは要注意

『あたらしい野宿(上)』(かとうちあき・亜紀書房)

だいすきなかとうさんの本なのでまよわず注文する。
でもすこしやな予感があった。
表紙の絵になじめなかったから。
予感は、あたらずといえどもとおからずだった。
「コッコさん」の片山健さんみたいな作風だけど、
もちろんだいぶちがう。
挿絵として文章にそえられているというより、
絵の存在がおおきすぎて、本のなかみになかなかはいれない。
かとうさんは絵本がつくりたかったのだろうか。

この本は、くよくよしてばかりの「のじゅくくん」(小学4年生)が
野宿に目ざめていく、というかたちをとっている。
のじゅくくんに説明しながら

・野宿とはなにか
・野宿に必要なもの
・おばけがこわくてもだいじょうぶ
・野宿をする場所
・あつくてもなんとかなる

と、野宿についての基本的な知識をおさえる。

で、これがおもしろいかというと、
これまでのかとうさんの本にかかれていたことが、
くりかえされているだけで、かたすかしをくったかんじだ。
あたらしい野宿のたのしさをおしえてくれるわけではない。
なぜこの本ができあがったのか、
だれにむけてかかれたのか、
よくわからなかった。
もっと「かとうちあき」色を全面にだせばいいのに。
これだったら、旅コミ誌の『野宿野郎』のほうが、
まだかとうさんの存在をかんじることができる。

「寒いのもいやだよ」では、
ネコをつかまえて寝袋にいれて暖をとる、
という方法が紹介してある。
・食べ物でおびき寄せ
・首根っこをつかまえる
・寝袋の中に入れる(ネコがヤダヤダといってる絵あり)
のだという。
オチは「ひっかかれて痛い
ノミとダニで、かゆいかゆい」で、
でもじっさいにおとなしく寝袋にはいってくれるネコが
そういるとはおもえない。
おもしろくかこうとしてすべった印象がつよく、
なんだかしらけてしまった。
ほんとにこんなつまらないことを、かとうさんがかいたのか。

ただひとつよかった章は
「段ボール大研究」で、
箱と箱をつなげてなかにはいる方法が紹介されている。
わたしも、子どものころに段ボールと毛布で「家」をつくったとき、
たったこれだけ設備がどれだけあたたかいかにおどろいたことがある。
かんたんに段ボールハウスがつくれるようになれば、
かなりのさむさにも対応できるだろう。

(上)とあるからには、『あたらしい野宿』の
中巻や下巻があるということなのだろうか。
(上)でもう完結してるのだから冗談かもしれない。
続編がでたとしても、この程度の本だったら、
さすがに「まよわず注文」という気にはならない。
かとうさんファンながら、中身をチェックしたうえで、
「もしよければ」にしよう。
(上)の反省からおおきくばけて、
めちゃくちゃおもしろい続編ができればうれしいけど。

posted by カルピス at 09:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | かとうちあき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月01日

ついまじめに『野宿入門』をよんでしまう

きのうにつづき、『野宿野郎』のかとうさんについて。

このごろねるまえに『野宿入門』(かとうちあき・草思社)をよくめくる。
布団にもぐりこみ、ヌクヌクと野宿のはなしをよむなんて
悪趣味な態度だ。
気にいったところをなんどもよみかえし、
大切とおもえる箇所にはえんぴつで線もひいている。
まさかこの本がそんなよまれ方をするなんて、
著者のかとうさんはおもってもなかっただろう。

この本がわたしの気もちをとらえるのは、
かとうさんの自由なスタイルにひかれるからだ。
できるだけ快適に野宿しようと工夫するけど、
なければないでなんとかすませようという
精神のバランスがすばらしい。

さむかったり、あつかったり、
蚊になやまされたり、雨にぬれたり、
とまるところがなかなかみつからなくてこころぼそかったり、
かとうさんは、それでもなぜだか野宿がたのしくて、
ほかのひともきっとこころのそこでは
野宿をしたいにちがいないと、
なやめる羊たちに野宿の魅力をひろめようとする。

ひとりで、あるいは仲間と数人で野宿をたのしむというひとは
いくらでもいるだろう。
でも、かとうさんは、1人でもやるけど、
不特定多数のひとによびかかけて、
集団での野宿をやろうとする。
無意識のうちに野宿のエバンジェリストとなっているのが
かとうさんのスバラシイところだ。
そして、野宿によってひとは自由に気づき、
なんだかんだでほんとうにしあわせにしてしまう。

『野宿入門』のなかで、春さきの四国をあるいているときに、
さむさがきびしくてたいへんだったことがかいてある。
かとうさんは、たまたまであったお遍路さんが
野宿スキルのたかいことをみやぶり、
いっしょにバス停での夜をすごす。
そのひとは、ブルーシートをからだにまくことで、
ぺらぺらの寝袋でもあたたかくすごす術を身につけていたそうだ。
シュラフカバーをかえばいいのに、とわたしはおもった。
でも、かとうさんは、お金をかけないでさむさをしのぐ
そのお遍路さんに素直に感心し、
つぎの日から自分もおなじやり方をまねている。
なにもかもお金で解決していてはつまらない、という野宿観、
ひいてはかとうちあき的野宿道がそこにあらわれている。

などということを
だらだらかかれることは
かとうさんにとってどうでもいいことだろう。
そんなことやってないで、
さっさと野宿をすればいい、が正解だ。
ちかい将来かくじつにやってくるまずしい老後生活をみすえ、
野宿スキルをたかめておくことが
わたし個人の人生にとっても正解みたいだ。
寝袋だけでニッコリわらって生きることができれば、
こわいことはなにもない。

posted by カルピス at 10:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | かとうちあき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月31日

「会社のようなもの」の『野宿野郎』の「社員のようなもの」になって名刺をもらおうとする

人生をより低迷させる旅コミ誌『野宿野郎』が、10月30日に
「業務連絡のようなもの」をアップしている。
「社員のようなものさんへ、名刺のようなものを支給することにしました」
というもので、これにはちょっと説明がいる。

『野宿野郎』は野宿をすすめるミニコミ誌であって、
そのときどきに雑誌を編集するものの、
とくに編集部とか、会社組織があるわけではない。
そうしたゆるゆるの「組織」が
『本の雑誌』の特集で社史の取材をうけたことから
迷走がはじまっている。
会社ではないけど、いちおう『野宿野郎』を発行してきた歴史はあるので、
このさい「会社のようなもの」になろうと
編集長のかとうちあきさんがきめたのだ。

だからといって、なにかが根本的にかわるわけではなく、
本業の『野宿野郎』発行も、2010年の3月に7号をだしたきりになっている。
ならば会社は一体全体、なにをしているのか。
「野宿」です。あとは「だらだら」しています。
(「本の雑誌・2011年9月号)

とひらきなおりの状態だ。
しかし、この社史特集をきっかけに、
かとうさんは「のようなもの」という視点を獲得した。
「会社のようなもの」なので、
会社はないけど「新入社員のようなもの」を募集し
(「来た人はみなさん、その場で「新入社員のようなもの」になれます」とある)、
その「新入社員のようなもの」の研修野宿をひらいたり、
今回のように「社員のようなもの」のみなさんに
名刺のようなものを支給したりする。

わたしは自分で「のようなもの」のかたまりみたいな人間と自覚しており、
「会社のようなもの」で「仕事のようなもの」をしている
「社員のようなもの」といわれるとすごくしっくりくる。

冒頭にあげた、名刺のようなものを支給する業務連絡の本文は、
えー、みなさましっかりだらだらしていますか?
「極力、働かない。」を社是のようなものとする、
会社のようなもの『野宿野郎』は、
ますますの会社のようなもの化を目指して、
このたび、社員のようなものさんへ
名刺のようなものの支給をすることにしました

となっている。
わたしも「社員のようなもの」になって
名刺のようなものを支給してもらおうともうしこんだ。

「※名刺ができたら、野宿での手渡し、だめそうなら発送など、
ゆるゆると忘れたころにお届けされる予定です」

ということなので、名刺はきっととどくのだろうけど、
ずいぶんさきのことになりそうだ。
「社員のようなもの」というふわふわした存在はわたしにぴったりなので、
やめさせられない程度に「しっかりだらだら」して
ほんものの会社ではたらくほんものの社員になりたいひとに
うらやましがってもらおう。

posted by カルピス at 19:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | かとうちあき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする