2018年03月27日

糸井重里さんちのブイヨンが亡くなった

糸井重里さんちのブイヨンが、3月21日に亡くなった。
ほぼ日の「今日のダーリン」では、
ここ数日、ブイヨンへのおもいを糸井さんがつづっている。
いま糸井さんがむきあっているかなしみ・さみしさ・つらさを、
家の動物をうしなったとき、おおくのひとが体験してきた。
糸井さんが「今日のダーリン」にかいている気もちのゆれは、
ペットレスにくるしむひとに、
ひとつのモデルをしめしているのではないか。
のりきるマニュアルなんて、あるわけないけど、
糸井さんがブイヨンをおもってかいた「今日のダーリン」は
かなしみにうなだれる 家族の胸にとどくだろう。

糸井さんが「今日のダーリン」にかいた内容は、
ブイヨンが亡くなってからの日にちがたつにつれ、
すこしずつかわってきている。
もちろん、かなしさになれたわけではないけど、
はじめはブイヨンについてだけだったのが、
だんだんまわりのひとたちへの感謝や、
何日か、ブイヨンがいない日をすごして
ますますつのってくるかなしみを、
糸井さんはとても正直にすくいあげている。

いまわたしも、16歳になるピピ(ネコ)といっしょにくらしており、
4年まえに口内炎をわずらったときに、
のこりわずかな命でしかないと覚悟した。
さいわい、そのあとも細々とごはんをたべつづけ、
やせほそりながら4年も生きている。
もうじゅうぶんに看病と介護をした気になったので、
たとえ食欲がなくなっても、病院へはつれていかず、
家でしずかに最後をみとろうとおもっている。
その程度の愛でしかないのか、
といわれたら そのとおりというしかない。
病院で数日だけ寿命がのびるとしても、
さいごは家でのんびりすごさせてやりたい。

糸井さんは、医師と納得のいくまで相談をして、
ブイヨンがなおる可能性がすこしでもあれば、
あらゆる治療をほどこしている。
それでも容態はいいほうにむかわず、
糸井さんはすこしずつ覚悟をきめたようだ。
だれにでもできる治療ではない。
さいごまで「いいこだった」ブイヨンの
冥福をいのりたい。
わたしもピピにいつも「かわいいね」とはなしかけている。
ピピはかわいいね。すてきなネコだね。
いっしょにいてくれるだけで、どれだけありがたいか。

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2018年03月08日

横尾忠則さんの「すべては未完である」がもたらす自由

「今日のダーリン」(ほぼ日)にのった
横尾忠則さんの「すべては未完である」は、
ものすごくふかいかんがえなのではないか。
横尾忠則さんの大きなテーマは、
「すべては未完である」ということです。
なにからなにまで、森羅万象の一切が未完である、と。
「達成感」とか「完成」とか「目的」とかを、
 頭から排除しちゃってる‥‥のだと高らかに語ります。
これ、言うのは簡単ですけど、
ほんとうにそう思えるかと言えば、なかなかむつかしい。
でも、その感覚を我がものにすることができたら、
もしかしたら「達成」とは無縁の「万能」と「自由」を
得られるんじゃないかと思うんですよね。

これは、横尾忠則さんとの対談でききだしたはなしを、
凡人にもわかるように、糸井さんが説明してくれたものだ。
よんだだけでも、こころがおだやかにみたされた気がする。
これはもう、思想といっていい。

一般的に、いまの世のなかでは、
達成感をとてもいいことのようにとらえているけど、
それを排除するかんがえがあったのだ。
老子の思想は、勇気を否定しているそうで、
ききかじったわたしは、おかげでずいぶん楽になった。
おなじように、達成感の排除はこころを自由にしてくれる。
弱いことを強くしたり、悪いところを直したりするのも、
なにかやりたいことがあってやるのなら、いいですよね。
でも、ただ「完成」に近づくために直すくらいなら、
それは無理だから(どうせ「未完」なのだから)、
しなくてもいいということでしょうね。
それをやめただけで、どれくらい自由になれることか。

ひらきなおりみたいだけど、なげやりではない。
バカボンのパパのいう、
「これでいいのだ」というかんがえ方につながっている。

ほぼ日にのった糸井さんと横尾さんの対談、
「ヨコオライフ」をよむと、
http://www.1101.com/yokoolife/index.html
もう、あきれるぐらい どうでもよさそうなことを
延々とふたりがはなしている。
たとえば、カレーライスのたべ方。
まず、あついごはんに できたてのあついカレーをかけてたべ、
夜になるとカレーとごはんがひえているので、
つめたいごはんにつめたいカレーをかけ、
ほかにもつめたいごはんにあついカレーという手もあり、
これがあんがいおいしくて、みたいなはなしを横尾さんがつぶやき、
ふむふむと糸井さんがきいて、かんじたことを横尾さんにかえす。
こんなやりとりから、糸井さんはどうやって
「すべては未完である」とまとめられたのだろう。

わたしは横尾さんについてまったくしらない。
糸井さんがこんなふうに ときあかしてくれなかったら、
わたしには横尾さんがなにをいっているのか
さっぱり理解できなかっただろう。
糸井重里というよいきき手のおかげで、
わたしは独創性にすぐれた 達人たちのかんがえにふれられる。

posted by カルピス at 22:10 | Comment(0) | ほぼ日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月30日

「ドコノコのべんりなぬの」がとどく

ほぼ日から「ドコノコのべんりなぬの」がおくられてきた。
6月15日までに「ドコノコ」をダウンロードしたので、
はやめのご利用ありがとうございます、
みたいなプレゼントらしい。
いくつものネコとイヌの絵がかかれた
50センチ四方のきいろい布で、
「べんりなぬの」といわれても
とりあえずは お弁当をくるむ ふろしきしかおもいつかない。
どんなおおきさのお弁当箱でもつつめるので、
べんりといえば、たしかにべんりかも。
ドコノコべんりなぬの.jpg
ドコノコは、うちのコも、そとのコも、
どこのコも気にとめて、いっしょにくらそう、
というコンセプトのもとに
ほぼ日が提供しているアプリだ。
https://www.dokonoko.jp/static/guide/
わたしはピピを登録しているし、
チラシをとりよせて(無料)、しりあいに紹介した。

ピピの写真をときどきアップするものの、
「よそのコ」のみかたがいまひとつわからない。
自宅から2キロのご近所さんはすぐにみられる。
こまるのは、とおくにすむしりあいが
「うちのコ」を登録したときで、
どれどれと写真をみてみたいのに、
地図からはさがせないし、検索もできない。
しらないコもかわいいけど、
まずはしってるコのようすがみたい。

ドコノコのトップページは、
「ひろば」といって、投稿されたすべての写真が
投稿された順にならんでいる。
でも、ものすごい数の写真なので、
そこからしりあいのコをさがすのは まずむりだ。

それにしても みんなかわいい。
とくにネコたち。
写真をみていると おもわず声がもれてしまう。
わかいネコがほとんどで、ピピみたいなとしよりは
ほとんどみかけない。
ドコノコがアプリとして成熟し、
たくさんのネコとイヌが登録されるにつれ、
だんだんとつかいがってのいい機能がふえていくのだろう。
そのうち「お達者クラブ」みたいなのもできるかも。
まずは、いいスタートがきれてよかった。

posted by カルピス at 22:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | ほぼ日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月07日

「ドコノコ」のチラシがとどく

すこしでも「ドコノコ」を応援したいとおもい
https://www.dokonoko.jp/
チラシをもうしこんだ。
50枚と100枚のうちからえらべる。
無料だ。
https://www.1101.com/dokonokochirashi/index.html

チラシでは、
いずれは、だんだん世界中の犬や猫が、
「お知り合い」になっていくはずです。

と、「ドコノコ」がみとおす世界地図を説明している。
「ドコノコ」は、壮大な社会運動なのだ。
10年後の「ドコノコ」は、
世界をかえているかもしれない。

「ドコノコ」に6枚目の写真をアップしたときは、
「あたらしい仲間」としてピピが紹介された。
きょうとった写真は、
トップページともいうべき「ひろば」にのった。
となりでねているピピを、
たくさんの動物ずきなひとに みてもらえる
うれしさといったらない。

どの子よりもピピの毛はボサボサで、
いわゆるネコ的なかわいさを ほとんどアピールしてない。
口内炎でくちのなかが炎症をおこしており、
ピピが「手うめー」をくりかえすうちに
くちのなかのよごれが手にうつり、
もとは白かった手のひらが、茶色にそまっている。
そんなピピの写真にも、すぐにいくつもの
「いいね!」(のようなもの)の反応があるのが
「ドコノコ」のありがたいところだ。
ピピがたくさんのひとたちに応援してもらっている気がして、
ネコずきたちによる あつい連帯がうれしい。

このまえのブログに、島根の女性にくらべると
鳥取の女性は・・・みたいなことをかいて はげしく後悔した。
どういいわけしても、確実にだれかを不愉快にするので、
ぜったいにそんなはなしをしてはいけない。
でありながら、またおなじあやまちをおかしそうだけど、
「ドコノコ」の写真をみてると
イヌよりもネコのかわいさ・おもしろさに軍配があがる。

ネコは天才的な被写体であり、
どうカメラでうつしても 絵になってしまう。
こんなことを「ドコノコ」の感想として
いうべきではないとおもいつつ、
ネコのかわいさは どうしようもないレベルにたっしている。
わたしにこのようなおろかなラブレターをかかせるのも、
ネコの魅力にとらわれてしまったからだろう
(もちろんわたしはイヌもだいすきです。ほんとうです)。

posted by カルピス at 22:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | ほぼ日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月29日

ほぼ日が提案する「2月29日はさぼる日」

2月29日。
ほぼ日は4年にいちどのこの日を「さぼる日」と位置づけ、
会社をあげて「さぼる」のだという。
http://www.1101.com/20160229/index.html
さぼれ、さぼれ、今日は気持ちよくさぼってみたまえ。
映画館に行け。脂っこいものを食え。人に迷惑をかけろ。
約束を破れ。変な服を着ろ。大事なものを捨ててしまえ。
帳尻合わせのような2月29日を、
いつもと違う何かでいっぱいにしよう。

なんてすてきな提案だろう。
糸井さんが、うえにあげた理念をかかげたのは2008年で、
3回目となる今回は、
すこしずつまわりにひろがっている手ごたえがあるそうだ。
さぼるのを 反対するひとなんか いないとおもうけど、
「会社をあげて」となると さしさわりがでてくるのかもしれない。
バレンタインやハロウィンみたいに、
自由な解釈をくわえながら
日本じゅうにひろまればうれしい。

・なまける
・ぐーたらする
・さぼる

これら3つは、にているようで、
ビミョーになにかがすこしずつちがう。
これらの本質を理解するには、3つのうちのどれでもいいから
とにかく実践してみるといい。
あたまでいじくりまわすだけではだめで、
ある程度かずをこなす必要がある。
糸井さんは、あそびとして「さぼる」を提案しながら、
おおくのひとが じっさいに「さぼる」機会を得た意味はおおきい。

さぼるのがじょうずなひとは 年をとるにつれて
ますますさぼるのがじょうずになり、
そうでないひとは、いつまでもうまくさぼれない。
この格差をすくなくするには、
無理をしてでもさぼる体験がどうしても必要となる。
社会全体がいっせいに「さぼる」のに
抵抗があるひともいるかもしれない。
そんなひとこそ、日常的なさぼりがもとめられている。

「4年にいちど」では すこしものたりない。
とはいえ、毎月ではありがたみがないので、
春・夏・秋・冬の季節にあわせて
いちねんに4回くらいがちょうどいいとおもう。
それくらい頻繁に「さぼる」を体験すれば、
さぼり方が自然と身についてゆき
日本独特といわれる仕事のスタイルが
すこしはかわっていくだろう。

わたしもこの日をたのしみにしてたけど、
なぜかいちにちずれてかぞえており、
きょうが2月28日だとかんちがいしていた。
あしたが本番だとおもっていたら、
あしたはもう3月1日だ。
4年にいちどしかない わたしの2月29日は、
しらない間に どこかへまぎれてしまった。
いつもあたりまえにさぼりすぎていると、
さぼる日をとりにがしたりするので油断ならない。

posted by カルピス at 22:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | ほぼ日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする