2017年10月16日

バスの運転手さんがつぶやく ひとりごとみたいなブログ

市内をはしるバスの、いちばんまえの席にすわったら、
運転手さんが 安全確認やら状況の説明をブツブツつぶやいている。
「信号まちで停車しています」
「バスからおりてすぐは、
 うしろからくる車にお気をつけください」
「ゆっくりでいいですので、バスがとまってから
 席をはなれてください」
など。
はじめはマイクでお客さんに説明しているのに、
マイクのスイッチがいれられてないのだとおもった。
でも、運転手さんのコメントをきいているうちに、
ひとりであれやこれやとつぶやきながら、
自分で運転のリズムをつくっているのだとわかってきた。
左折するときなど、
「横断者を確認しながら左折します」
「おいこしてくる車はいません」
と、指さし確認をしながら、
ものすごくこまかに安全な運転をこころがけているし、
お客さんがおりるときには、
じっさいにそのひとにはなしかけて、
お礼や注意をつたえている。
ウィンカーをつけずにまえをゆく車がまがったら、
「ウィンカーをだしてまがってほしかったです。あぶないです」
なんて感想や苦情をくちにする。
終点の車庫にはいろうと右折のウィンカーをだしても、
対向車がなかなかいれてくれないときは、
「みんないじわるですね」。
まえの車がとまり、パッシングで合図してくれたら、
「あ、ありがとうございます。感謝感激雨あられ」
なんていっていた。
ただこまかく安全確認をするだけでなく、
すごく人間味をかんじるつぶやきだ。
こんなふうにおしゃべりしながら運転していたら、
客観的かつ丁寧にはしれるだろう。
お客さんへの対応も マニュアルどおりの安全確認にくわえ、
必要なアドバイスを、ひとりひとりにはなしかけている。
ひとりでブツブツつぶやくのは、気もちわるい、
あるいは不気味、というひとも なかにはいるかもしれないけど、
これぐらいの自由は 運転手さんにみとめられてもいいとおもう。

おなじ日に バス停でバスをまっていたら、
60代とおもえる男性がわたしにはなしかけてきた。
「おさないころ火事にあいましてね」
なんのはなしかと耳をかたむけると、
そのままずっと自分のおいたちをはなしつづけられた。
しっかりした口調だし、身なりもととのったひとなので、
なにかわたしに関係のあるはなしかとおもっていたけど、
どうもそうではなく、
自分の身の上ばなしをこまかくかたっておられるようだ。
わたしにつれがいること、雨がふっていることなど、
状況をしっかり把握されており、
それらに配慮しながらも、ずっとはなしがつづく。
この方の場合は、バスの運転手さんとちがい、
ひとりごとではなく、わたしへのかたりかけなのだけど、
印象としては、いろいろはなすことで、
自分の気もちをおちつかせている。
極端にいいきってしまえば、ひとりごとといっしょだ。
いま、こんなふうなつぶやきが はやっているのだろうか。

かわったひとがいるものだとおもったけど、
このブログをにしたって、かんがえてみると、
わたしのひとりごとみたいなものだ。
だれかを説得したいわけではなく、
習慣だから、たのしいから、にすぎない。
ひとりでいつまでもブツブツつぶやくのは気もちわるい、
なんていわずに つきあってもらえたらうれしい。

posted by カルピス at 21:43 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月22日

ブログ更新は、つなわたりな日々でも あんがい大丈夫

このまえたまたまブログを午後はやくにアップしたら、
そのあとの時間をとてもリラックスしてすごせた。
夜をまるまるあそびにつかってもよくなった 中学生の気分だ。
ブログをアップするのが、そんなにもプレッシャーだったとは。
でも、仕事からかえり、夕ごはんをすませたあと、
ブログにむかう時間がすきなのもたしかだ。
すきだけど、たいへんでもある、なんて
なんだか かっこよさそう。

ブログをなんとか毎日かいているけど、
ストックなんてぜんぜんたくわえておらず、
つなわたりの日々というか、
余裕のない更新が日常となっている。
よくつづいているともいえるし、
かってにはじめて かってにくるしんでるだけでもある。
とくにテーマをきめたブログではなく、
本やらサッカーやら、なんでもありの 日記みたいなものなので、
いろいろなところからネタをひろえる。
さらに、どうでもいいことをテキトーに、が基本方針で、
したがってよんでくれるひとは 残念なほどすくなく、
あまり気をつかわずにかけるのもおおきい。
わたしのブログをひとことであらわすなら、
「のらりくらり」がいちばんピッタリくる。

糸井重里さんが「今日のダーリン」で、
「書くのが嫌い」だし、「不得意でもある」、とかいていた。
あれほどよませる文章をさらっとかきながら、
嫌いだし苦手とは、しんじがたいけど、
本人がかんじていることなので、そうですかというしかない。
糸井さんにそんなことをいわれると、
のらりくらりつづけているわたしのブログなんて、
ひとりよがりでスカスカの作文におもえてくる。
まあ、ひととくらべるのがそもそもまちがっている。
28連勝中の藤井四段の わかさとつよさを
わたしがうらやんでもしょうがない。

大橋悦夫さんが「シゴタノ!」に
Evernoteを特定のキーワードで検索すると高い確率でブログに書きたいと思えるトピックがヒットする。

http://cyblog.jp/modules/weblogs/28234
と、ネタさがしにつかえそうな、ひとつの方法を紹介されている。
たとえば、「旅行」をわたしのエバーノートで検索すると、
「旅行」と関係ないノートまで ぞろぞろとひっかかり、
おぼえのない文面をよみかえすだけでもおもしろい。
いよいよネタにこまったときは、エバーノートをあてにしよう。

このごろ睡眠がひとつのキーワードとなっている。
睡眠不足がどれだけリスクをまねくかについて
いろんなことがわかってきている。
ガンや認知症にもかかわっているそうで、
睡眠時間をけずってまでブログを更新するのは、
それなりのリスクを覚悟したほうがいい。
どうでもいいことをテキトーに、なんて
かっこつけている場合じゃないかもしれない。

posted by カルピス at 21:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月16日

とにかく空白の日がない(だけの)ブログ

倉下忠憲さんがブログにかかれていた
「目標が機能不全を起こす」にはげしく共感する。
あまりにもカッチリした目標をたてると、
すこしずれただけで 目標をなげだしたくなる、というはなしだ。
(「4/5の悪評な目標」http://rashita.net/blog/?p=22048
ラフな記事を一切認めない目標を立ててしまうと、忙しくなったらまず間違いなく何も書けなくなってしまう。そして、その時点で目標が機能不全を起こすのだ。

そういってもらうと、わたしはすごく気が楽になる。
こんな記事をかいてなんになる、
とおもう日が わたしはよくあるけど、
そのたびになげだしていたら、とても毎日の更新なんてできない。
はじめは3割くらい まともな記事があれば
りっぱな打率だと いいわけし、
そのあとはイチロー選手でさえ1割代のこともある、と
自分をなぐさめるようになった。
ブログでいうと、糸井重里さんがほぼ日にかいている
「今日のダーリン」だって、ときにははずれの記事がある。
そんな日は、がっかりするよりも、
糸井さんでさえ こうなのだと、うれしくなったりする。
毎日更新というおおきな目標のまえでは、
「できればすぐれた記事を」の優先順位は、すこしさがる。
内容だけでなく、つづけた事実が大切なのだと
うんとひらきなおる日もある。

わたしが中学生のとき、家でとりくむ勉強について
夏やすみまえに計画をたてさせられた。
計画をたてる段階では、毎日1時間の勉強なんて
かんたんに実行できそうな気がするのに、
いざ夏やすみがはじまると、ぜんぜんうまくいかないのは
おおくのひとが体験ずみだろう。

わたしの担任は、家での勉強につかう1冊のノートを用意して、
すべての教科をそのノートにかくやり方をおしえてくれた。
とにかく空白のページをつくらない、
というのが、このとりくみのキモだ。
勉強をしなかった日を 白紙としてのこすと、
がっかりきて そのさきをつづける気をうしなってしまう。
なにもやる気がおきないときは、
ただ教科書を丸うつしするだけでいいから、
白いページを文字でうめ、実績につなげていく。
ためしにわたしもそうやってノートをつかってみた。
しばらくつづけると、文字でうまったページがふえ、
いかにも勤勉に自習したような気がしてくる。
時間がないときや、めんどくさいときは、教科書をそのままうつし、
とにかく毎日なにかを「やった」実績とする。
夏やすみがおわるころには、
文字がびっしりならんだノートができあがり、
かなりの達成感をあじわえた。
内容はともかくとして、毎日つづけられたのは自信にもなった。

中学生の自習用ノートみたいなブログかもしれないけど、
10年の目標まで、なげださずに このままつづけたい。

posted by カルピス at 21:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月29日

まだつかってないけど、Scrapboxにかんじる可能性

先週は、ブログにいつもの倍のアクセス数があった。
いぜんかいた記事へのアクセスが集中したためで、
3日するといつもの数におちついいている。
ながくブログをつづけていると、ときどきこんなうごきがある。
ほんの瞬間的な変化だとわかっているので、
アクセス数にのぼせたりはしない。
すぐにまた、あいかわらず地味なブログにあともどりだ。

まえにかいた記事には、かいたことさえおぼえていないものもある。
管理者であるわたしでさえそうなのだから、
ブログにおとずれてくれたひとにすると、
さいきんかかれた記事だけがすべてだろう。
カテゴリーわけが徹底してないので、
たとえば「日記」としてくくられた記事は
ふるくなるほど うもれたままになる。

このごろScrapboxについての記事をよく目にする。
まだつかってないのでよくわからないけど、
ブログの記事をうもれさせないための工夫が
なにかできるような気がする。
そうおもったのは、倉下忠憲さんの記事をよんでからだ。
もし、R-styleをScrapboxで書いていたら、4700もの記事がリンクやタグによってつながり、読者をコンテンツの迷宮へと誘ってくれるに違 いない。一度入り込んだらなかなか抜け出ることがかなわない、千夜千冊のようなウェブサイトになっていたはずである。少なくとも、それくらいのボリューム だけはこのブログにはあるのだ。そして、それぞれの記事は独立しているというよりもむしろ文脈を共有している。リンクが発生する余地は多分にある。
http://rashita.net/blog/?p=19974

エバーノートは便利だけど、ただのおき場所になりがちで、
ノート同士をむすびつける機能はあまり期待できない。
Scrapboxがリンクをはりめぐらしてくれたら、
自分でかいたブログに もっと陽の目をあてられるし、
ほかのひとのScrapboxをよんだときも、
こまかな関連づけがなされて おもしろそうだ。
倉下さんがR-styleにかいた記事は、4700にものぼるので、
いまからScrapboxにいかすのはたいへんかもしれないけど、
わたしの場合はまだ2000ほどなのだから、
なんとかなるような気がする。
とにかく、まだつかってもいないのだから、なにもわからない。
漠然とだけど、はじめてエバーノートをしったときのような可能性を、
Scrapboxにかんじている。

posted by カルピス at 16:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月24日

祝 ブログ2000記事

ブログ更新1000回目をおいわいしたのが
ついこのまえみたいなのに、もう2000回目がきた。
まことにめでたい。
めでたいけど、なにがかわるわけでもない。
10年連続更新をめざしてかくようになり、
おりかえし点はすぎたものの、
10年目はゴールでないと、なんとなくわかってきた。
テープをくぐったあとも、しこしこかきつづける気がする。
ブログをかきかじめたころは、
死期をさとりつつあるときに ブログをよみかえして、
「そういえば、そんなこともあった」と
なつかしむのだろうとおもっていた。
でも、そのころには きっとすべてをわすれてしまい、
「つまらんことをかくやつがいる」などと、
ポツリとつぶやきそうだ。

2000回目にきたとはいえ、
PVと訪問者数はみごとにかわらない。
自業自得とはこのブログのことで、
記事のタイトルはテキトーだし、SNSにもながしてない。
そもそもブログ名からしてめちゃくちゃなので、
SEO対策からみると 自分からずっこけている自爆ブログだ。
わるいことばかりではないと、つよがりもする。
よまれる数がすくないので、いやなコメントだってこないし、
だれにも遠慮せずにかける。
これもまあひとつのスタイルだと 達観の域にたっした。

これだけよまれないと、
反対に、わたしのブログとは逆のやり方をすれば、
すくなくともこれほどひどいPVにはならないので、
反面教師として参考になるはずだ。
ブログ名と記事のタイトルにキーワードをちりばめ、
内容も、いまふうな話題をとりあげたらいい。
まちがっても、個人的な日記のようなことをかかない。
とつぜん自分の家のネコをとりあげても、
よむひとにとっては「しらんがな」でしかないので要注意だ。
漢字がすくないかき方がよくすすめられているけど、
あまりすくないと かえってよみにくかもしれない。
これはまあ、主義主張からの表記法なので、
こだわりのないひとは、常識的な範囲でひらがなをおおくしたらいい。

まえに、「フルマラソンを完走したらどれだけえばれるか?」
という記事をかいたことがある。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/240994889.html
いまは、たとえブログを2000回更新したからといって、
すこしも得意がろうとおもわない。
2000回がどうしたというのだ。
この達観こそが ひとつの成果である(とえばったりして)。

キリストがうまれてから2000年たったのが西暦2000年なのだから、
わたしの記事が2000にたっするまでに、
世界史にかかれるできごとを
いちにちごとにきざんできたともいえる。
1000回ぐらいでは、西暦との関係をぜんぜんかんがえなかったけど、
2000回にちかづくにつれ、
歴史的なできごとや、個人のおもいでが
数字にからんで チラチラするようになった。
「1986」は、わたしが仕事をやめて旅行にでた年だ。
「2000」はミレニアム問題がささやかれて、
水や食糧の備蓄にはげんだりした。
そして、もうすぐ「2017」のことしをこえ、未来へと舞台をうつす。
まことにめでたい。

posted by カルピス at 09:23 | Comment(2) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする