2018年06月06日

健康のためには ブログをつづけたらいいのかも

ブログをつづけるのは、なかなかたのしいとりくみではあるものの、
そういつもスラスラかけるとはかぎらない。
ネタがあるかどうかは重要だけど、
それにくわえ、いいコンディションで生活しているかどうかが
あんがい大切になる。
ふつかよいや、便秘はよくないし、
お腹がいっぱいでも頭がはたらかない。
イライラしていたら、記事をかきにくいし、
不機嫌なこころもちでは、すなおな文章とならない。
お腹がいたかったり、カゼをひいていたりはもちろんまずいし、
自分だけでなく、家族の健康だって
生活のリズムにおおきな影響をあたえる。
そうしたコンディションにくわえ、
精神的におおきな波にさらされたりすると、
おちついて文章にむきあえない。
きっと夫婦げんかなんかしたら、
逆上してしまい、ブログどころでは ないだろう。
健康に不安をかかえていても、心配で記事に集中できない。

こうしてみると、記事を無事にアップできるのは、
いくつものハードルをくぐりぬけたすえ、
ようやくつくりだした貴重なコンディションを
毎日ブログにむすびつけた結果なのがわかる。
逆説的にいえば、健康でいようとするなら、
ブログをつづければいいのかもしれない。
ブログを生活習慣にとりこめば、
必然的に よいコンディションをたもちやすくなる。
はげしすぎる喜怒哀楽をとおざけ、
できるだけたいらな心境をこころがけるのが、
ブログをつづけるひとつのコツだ。
色即是空、色即是空。

書評家の目黒考二さんが、
「旅行と家族は読書の敵」となにかにかいていた。
あんがい旅行ではなく酒だったかもしれない。
とにかく、目黒さんには、
本をよむのに障害となる懸案がいくつもあり、
だから目黒さんは社員旅行にでかけるのも
めんどくさがっている。

わたしは、10日まえに 子ネコ(ココ)を家族としてむかいいれた。
子ネコといっしょにくらしていると、
ものすごく時間をとられるのがわかった。
顔をあわせれば、ちょっかいをかけてくるので、
ネコじゃらしやなにかで いっしょにあそぶ。
かわいいし、たのしいしで、ついながらくいっしょにすごし、
自分の部屋にもどったら、もう10時をすぎていた、
なんてことがつづいている。
ほんの10日いっしょにいただけとはいえ、
いまココになにかあれば、わたしのこころはかきみだされる。
とてもブログどころではない。
子ネコとブログは、相性がよくない、というのがわたしの発見だ。

posted by カルピス at 22:16 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月16日

しんざきさんの「『俺の文章大好き』以上にブログをつづける理由が存在しない、という話」にドキッとする

倉下忠憲さんのかかれた
「自分で楽しむブログと届けようとする姿勢」
https://rashita.net/blog/?p=23732
をよむ。
倉下さんは、しんざきさんの
「『俺の文章大好き』以上にブログをつづける理由が存在しない、という話」
http://mubou.seesaa.net/article/456184451.html
をとりあげている。
だれかに「届けようとする」姿勢があるかないか。
私はこの記事を100万人に読んでもらえることをイメージして書いているわけではありません。かといって、誰にも読まれえないとも思っていません。やはり「届けよう」と思って書いています。

しんざきさんの記事をいくつか 興味ぶかくよんだ。
わたしごのみのブログだ。
こまかな分析をくりひろげる もっともらしいブログよりも、
モチベーションの基底にあるのは圧倒的に「自分の文章大好き」という自己満足です。
つまり、私のブログには、一人圧倒的な良読者が固定でついている、ということになります。私です。

とまでいいきってしまういきおいが気もちいい。

わたしはなんでブログをかいているのか。
倉下さんのように、だれかにとどけようとする気もちよりも、
しんざきさんのいわれる、「俺の文章大好き」にちかい気がする。
ただ、いつも「俺の文章大好き」な記事がかけるわけではなく、
とにかく中断しないことだけを目的に、
つなわたりみたいに細々とつづけているブログ。
そんなブログをかく意味などあるのか。
『鳩の撃退法』のなかで、小説家、津田伸一が
都合のわるいことをきかれたときに、よくいうセリフ、
「その質問はうけつけない」
がわたしはすきだ。
ふかくかんがえるのが苦手なのだろう。

posted by カルピス at 22:35 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月16日

バスの運転手さんがつぶやく ひとりごとみたいなブログ

市内をはしるバスの、いちばんまえの席にすわったら、
運転手さんが 安全確認やら状況の説明をブツブツつぶやいている。
「信号まちで停車しています」
「バスからおりてすぐは、
 うしろからくる車にお気をつけください」
「ゆっくりでいいですので、バスがとまってから
 席をはなれてください」
など。
はじめはマイクでお客さんに説明しているのに、
マイクのスイッチがいれられてないのだとおもった。
でも、運転手さんのコメントをきいているうちに、
ひとりであれやこれやとつぶやきながら、
自分で運転のリズムをつくっているのだとわかってきた。
左折するときなど、
「横断者を確認しながら左折します」
「おいこしてくる車はいません」
と、指さし確認をしながら、
ものすごくこまかに安全な運転をこころがけているし、
お客さんがおりるときには、
じっさいにそのひとにはなしかけて、
お礼や注意をつたえている。
ウィンカーをつけずにまえをゆく車がまがったら、
「ウィンカーをだしてまがってほしかったです。あぶないです」
なんて感想や苦情をくちにする。
終点の車庫にはいろうと右折のウィンカーをだしても、
対向車がなかなかいれてくれないときは、
「みんないじわるですね」。
まえの車がとまり、パッシングで合図してくれたら、
「あ、ありがとうございます。感謝感激雨あられ」
なんていっていた。
ただこまかく安全確認をするだけでなく、
すごく人間味をかんじるつぶやきだ。
こんなふうにおしゃべりしながら運転していたら、
客観的かつ丁寧にはしれるだろう。
お客さんへの対応も マニュアルどおりの安全確認にくわえ、
必要なアドバイスを、ひとりひとりにはなしかけている。
ひとりでブツブツつぶやくのは、気もちわるい、
あるいは不気味、というひとも なかにはいるかもしれないけど、
これぐらいの自由は 運転手さんにみとめられてもいいとおもう。

おなじ日に バス停でバスをまっていたら、
60代とおもえる男性がわたしにはなしかけてきた。
「おさないころ火事にあいましてね」
なんのはなしかと耳をかたむけると、
そのままずっと自分のおいたちをはなしつづけられた。
しっかりした口調だし、身なりもととのったひとなので、
なにかわたしに関係のあるはなしかとおもっていたけど、
どうもそうではなく、
自分の身の上ばなしをこまかくかたっておられるようだ。
わたしにつれがいること、雨がふっていることなど、
状況をしっかり把握されており、
それらに配慮しながらも、ずっとはなしがつづく。
この方の場合は、バスの運転手さんとちがい、
ひとりごとではなく、わたしへのかたりかけなのだけど、
印象としては、いろいろはなすことで、
自分の気もちをおちつかせている。
極端にいいきってしまえば、ひとりごとといっしょだ。
いま、こんなふうなつぶやきが はやっているのだろうか。

かわったひとがいるものだとおもったけど、
このブログをにしたって、かんがえてみると、
わたしのひとりごとみたいなものだ。
だれかを説得したいわけではなく、
習慣だから、たのしいから、にすぎない。
ひとりでいつまでもブツブツつぶやくのは気もちわるい、
なんていわずに つきあってもらえたらうれしい。

posted by カルピス at 21:43 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月22日

ブログ更新は、つなわたりな日々でも あんがい大丈夫

このまえたまたまブログを午後はやくにアップしたら、
そのあとの時間をとてもリラックスしてすごせた。
夜をまるまるあそびにつかってもよくなった 中学生の気分だ。
ブログをアップするのが、そんなにもプレッシャーだったとは。
でも、仕事からかえり、夕ごはんをすませたあと、
ブログにむかう時間がすきなのもたしかだ。
すきだけど、たいへんでもある、なんて
なんだか かっこよさそう。

ブログをなんとか毎日かいているけど、
ストックなんてぜんぜんたくわえておらず、
つなわたりの日々というか、
余裕のない更新が日常となっている。
よくつづいているともいえるし、
かってにはじめて かってにくるしんでるだけでもある。
とくにテーマをきめたブログではなく、
本やらサッカーやら、なんでもありの 日記みたいなものなので、
いろいろなところからネタをひろえる。
さらに、どうでもいいことをテキトーに、が基本方針で、
したがってよんでくれるひとは 残念なほどすくなく、
あまり気をつかわずにかけるのもおおきい。
わたしのブログをひとことであらわすなら、
「のらりくらり」がいちばんピッタリくる。

糸井重里さんが「今日のダーリン」で、
「書くのが嫌い」だし、「不得意でもある」、とかいていた。
あれほどよませる文章をさらっとかきながら、
嫌いだし苦手とは、しんじがたいけど、
本人がかんじていることなので、そうですかというしかない。
糸井さんにそんなことをいわれると、
のらりくらりつづけているわたしのブログなんて、
ひとりよがりでスカスカの作文におもえてくる。
まあ、ひととくらべるのがそもそもまちがっている。
28連勝中の藤井四段の わかさとつよさを
わたしがうらやんでもしょうがない。

大橋悦夫さんが「シゴタノ!」に
Evernoteを特定のキーワードで検索すると高い確率でブログに書きたいと思えるトピックがヒットする。

http://cyblog.jp/modules/weblogs/28234
と、ネタさがしにつかえそうな、ひとつの方法を紹介されている。
たとえば、「旅行」をわたしのエバーノートで検索すると、
「旅行」と関係ないノートまで ぞろぞろとひっかかり、
おぼえのない文面をよみかえすだけでもおもしろい。
いよいよネタにこまったときは、エバーノートをあてにしよう。

このごろ睡眠がひとつのキーワードとなっている。
睡眠不足がどれだけリスクをまねくかについて
いろんなことがわかってきている。
ガンや認知症にもかかわっているそうで、
睡眠時間をけずってまでブログを更新するのは、
それなりのリスクを覚悟したほうがいい。
どうでもいいことをテキトーに、なんて
かっこつけている場合じゃないかもしれない。

posted by カルピス at 21:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月16日

とにかく空白の日がない(だけの)ブログ

倉下忠憲さんがブログにかかれていた
「目標が機能不全を起こす」にはげしく共感する。
あまりにもカッチリした目標をたてると、
すこしずれただけで 目標をなげだしたくなる、というはなしだ。
(「4/5の悪評な目標」http://rashita.net/blog/?p=22048
ラフな記事を一切認めない目標を立ててしまうと、忙しくなったらまず間違いなく何も書けなくなってしまう。そして、その時点で目標が機能不全を起こすのだ。

そういってもらうと、わたしはすごく気が楽になる。
こんな記事をかいてなんになる、
とおもう日が わたしはよくあるけど、
そのたびになげだしていたら、とても毎日の更新なんてできない。
はじめは3割くらい まともな記事があれば
りっぱな打率だと いいわけし、
そのあとはイチロー選手でさえ1割代のこともある、と
自分をなぐさめるようになった。
ブログでいうと、糸井重里さんがほぼ日にかいている
「今日のダーリン」だって、ときにははずれの記事がある。
そんな日は、がっかりするよりも、
糸井さんでさえ こうなのだと、うれしくなったりする。
毎日更新というおおきな目標のまえでは、
「できればすぐれた記事を」の優先順位は、すこしさがる。
内容だけでなく、つづけた事実が大切なのだと
うんとひらきなおる日もある。

わたしが中学生のとき、家でとりくむ勉強について
夏やすみまえに計画をたてさせられた。
計画をたてる段階では、毎日1時間の勉強なんて
かんたんに実行できそうな気がするのに、
いざ夏やすみがはじまると、ぜんぜんうまくいかないのは
おおくのひとが体験ずみだろう。

わたしの担任は、家での勉強につかう1冊のノートを用意して、
すべての教科をそのノートにかくやり方をおしえてくれた。
とにかく空白のページをつくらない、
というのが、このとりくみのキモだ。
勉強をしなかった日を 白紙としてのこすと、
がっかりきて そのさきをつづける気をうしなってしまう。
なにもやる気がおきないときは、
ただ教科書を丸うつしするだけでいいから、
白いページを文字でうめ、実績につなげていく。
ためしにわたしもそうやってノートをつかってみた。
しばらくつづけると、文字でうまったページがふえ、
いかにも勤勉に自習したような気がしてくる。
時間がないときや、めんどくさいときは、教科書をそのままうつし、
とにかく毎日なにかを「やった」実績とする。
夏やすみがおわるころには、
文字がびっしりならんだノートができあがり、
かなりの達成感をあじわえた。
内容はともかくとして、毎日つづけられたのは自信にもなった。

中学生の自習用ノートみたいなブログかもしれないけど、
10年の目標まで、なげださずに このままつづけたい。

posted by カルピス at 21:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする