2017年05月16日

とにかく空白の日がない(だけの)ブログ

倉下忠憲さんがブログにかかれていた
「目標が機能不全を起こす」にはげしく共感する。
あまりにもカッチリした目標をたてると、
すこしずれただけで 目標をなげだしたくなる、というはなしだ。
(「4/5の悪評な目標」http://rashita.net/blog/?p=22048
ラフな記事を一切認めない目標を立ててしまうと、忙しくなったらまず間違いなく何も書けなくなってしまう。そして、その時点で目標が機能不全を起こすのだ。

そういってもらうと、わたしはすごく気が楽になる。
こんな記事をかいてなんになる、
とおもう日が わたしはよくあるけど、
そのたびになげだしていたら、とても毎日の更新なんてできない。
はじめは3割くらい まともな記事があれば
りっぱな打率だと いいわけし、
そのあとはイチロー選手でさえ1割代のこともある、と
自分をなぐさめるようになった。
ブログでいうと、糸井重里さんがほぼ日にかいている
「今日のダーリン」だって、ときにははずれの記事がある。
そんな日は、がっかりするよりも、
糸井さんでさえ こうなのだと、うれしくなったりする。
毎日更新というおおきな目標のまえでは、
「できればすぐれた記事を」の優先順位は、すこしさがる。
内容だけでなく、つづけた事実が大切なのだと
うんとひらきなおる日もある。

わたしが中学生のとき、家でとりくむ勉強について
夏やすみまえに計画をたてさせられた。
計画をたてる段階では、毎日1時間の勉強なんて
かんたんに実行できそうな気がするのに、
いざ夏やすみがはじまると、ぜんぜんうまくいかないのは
おおくのひとが体験ずみだろう。

わたしの担任は、家での勉強につかう1冊のノートを用意して、
すべての教科をそのノートにかくやり方をおしえてくれた。
とにかく空白のページをつくらない、
というのが、このとりくみのキモだ。
勉強をしなかった日を 白紙としてのこすと、
がっかりきて そのさきをつづける気をうしなってしまう。
なにもやる気がおきないときは、
ただ教科書を丸うつしするだけでいいから、
白いページを文字でうめ、実績につなげていく。
ためしにわたしもそうやってノートをつかってみた。
しばらくつづけると、文字でうまったページがふえ、
いかにも勤勉に自習したような気がしてくる。
時間がないときや、めんどくさいときは、教科書をそのままうつし、
とにかく毎日なにかを「やった」実績とする。
夏やすみがおわるころには、
文字がびっしりならんだノートができあがり、
かなりの達成感をあじわえた。
内容はともかくとして、毎日つづけられたのは自信にもなった。

中学生の自習用ノートみたいなブログかもしれないけど、
10年の目標まで、なげださずに このままつづけたい。

posted by カルピス at 21:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月29日

まだつかってないけど、Scrapboxにかんじる可能性

先週は、ブログにいつもの倍のアクセス数があった。
いぜんかいた記事へのアクセスが集中したためで、
3日するといつもの数におちついいている。
ながくブログをつづけていると、ときどきこんなうごきがある。
ほんの瞬間的な変化だとわかっているので、
アクセス数にのぼせたりはしない。
すぐにまた、あいかわらず地味なブログにあともどりだ。

まえにかいた記事には、かいたことさえおぼえていないものもある。
管理者であるわたしでさえそうなのだから、
ブログにおとずれてくれたひとにすると、
さいきんかかれた記事だけがすべてだろう。
カテゴリーわけが徹底してないので、
たとえば「日記」としてくくられた記事は
ふるくなるほど うもれたままになる。

このごろScrapboxについての記事をよく目にする。
まだつかってないのでよくわからないけど、
ブログの記事をうもれさせないための工夫が
なにかできるような気がする。
そうおもったのは、倉下忠憲さんの記事をよんでからだ。
もし、R-styleをScrapboxで書いていたら、4700もの記事がリンクやタグによってつながり、読者をコンテンツの迷宮へと誘ってくれるに違 いない。一度入り込んだらなかなか抜け出ることがかなわない、千夜千冊のようなウェブサイトになっていたはずである。少なくとも、それくらいのボリューム だけはこのブログにはあるのだ。そして、それぞれの記事は独立しているというよりもむしろ文脈を共有している。リンクが発生する余地は多分にある。
http://rashita.net/blog/?p=19974

エバーノートは便利だけど、ただのおき場所になりがちで、
ノート同士をむすびつける機能はあまり期待できない。
Scrapboxがリンクをはりめぐらしてくれたら、
自分でかいたブログに もっと陽の目をあてられるし、
ほかのひとのScrapboxをよんだときも、
こまかな関連づけがなされて おもしろそうだ。
倉下さんがR-styleにかいた記事は、4700にものぼるので、
いまからScrapboxにいかすのはたいへんかもしれないけど、
わたしの場合はまだ2000ほどなのだから、
なんとかなるような気がする。
とにかく、まだつかってもいないのだから、なにもわからない。
漠然とだけど、はじめてエバーノートをしったときのような可能性を、
Scrapboxにかんじている。

posted by カルピス at 16:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月24日

祝 ブログ2000記事

ブログ更新1000回目をおいわいしたのが
ついこのまえみたいなのに、もう2000回目がきた。
まことにめでたい。
めでたいけど、なにがかわるわけでもない。
10年連続更新をめざしてかくようになり、
おりかえし点はすぎたものの、
10年目はゴールでないと、なんとなくわかってきた。
テープをくぐったあとも、しこしこかきつづける気がする。
ブログをかきかじめたころは、
死期をさとりつつあるときに ブログをよみかえして、
「そういえば、そんなこともあった」と
なつかしむのだろうとおもっていた。
でも、そのころには きっとすべてをわすれてしまい、
「つまらんことをかくやつがいる」などと、
ポツリとつぶやきそうだ。

2000回目にきたとはいえ、
PVと訪問者数はみごとにかわらない。
自業自得とはこのブログのことで、
記事のタイトルはテキトーだし、SNSにもながしてない。
そもそもブログ名からしてめちゃくちゃなので、
SEO対策からみると 自分からずっこけている自爆ブログだ。
わるいことばかりではないと、つよがりもする。
よまれる数がすくないので、いやなコメントだってこないし、
だれにも遠慮せずにかける。
これもまあひとつのスタイルだと 達観の域にたっした。

これだけよまれないと、
反対に、わたしのブログとは逆のやり方をすれば、
すくなくともこれほどひどいPVにはならないので、
反面教師として参考になるはずだ。
ブログ名と記事のタイトルにキーワードをちりばめ、
内容も、いまふうな話題をとりあげたらいい。
まちがっても、個人的な日記のようなことをかかない。
とつぜん自分の家のネコをとりあげても、
よむひとにとっては「しらんがな」でしかないので要注意だ。
漢字がすくないかき方がよくすすめられているけど、
あまりすくないと かえってよみにくかもしれない。
これはまあ、主義主張からの表記法なので、
こだわりのないひとは、常識的な範囲でひらがなをおおくしたらいい。

まえに、「フルマラソンを完走したらどれだけえばれるか?」
という記事をかいたことがある。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/240994889.html
いまは、たとえブログを2000回更新したからといって、
すこしも得意がろうとおもわない。
2000回がどうしたというのだ。
この達観こそが ひとつの成果である(とえばったりして)。

キリストがうまれてから2000年たったのが西暦2000年なのだから、
わたしの記事が2000にたっするまでに、
世界史にかかれるできごとを
いちにちごとにきざんできたともいえる。
1000回ぐらいでは、西暦との関係をぜんぜんかんがえなかったけど、
2000回にちかづくにつれ、
歴史的なできごとや、個人のおもいでが
数字にからんで チラチラするようになった。
「1986」は、わたしが仕事をやめて旅行にでた年だ。
「2000」はミレニアム問題がささやかれて、
水や食糧の備蓄にはげんだりした。
そして、もうすぐ「2017」のことしをこえ、未来へと舞台をうつす。
まことにめでたい。

posted by カルピス at 09:23 | Comment(2) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月01日

KDPにくじけて ブログのカテゴリーをみなおす

ブログにかいた記事がふえると、むかしかいた記事は
どうしてどこかわからない空間に うもれてしまいがちだ。
せっかくかいたのだから、できるだけ陽の目にだしてあげたい。
いちばんいいのは、たとえば
村上春樹さんについてかいた記事をあつめ、
KDPで本にすることだろう。
この冬やすみは、その作業にあてるつもりでいた。
でも、いざ村上さん関連の記事をよみなおしてみると、
やたらと引用がおおく、オリジナリティがとぼしい。
こんな文章をわざわざまとめてもしかたないような気がしてきた。

かわりに、記事のカテゴリーをこまかくしてみる。
これまでは20ほどのカテゴリーだったものを、
もういちどみなおして、必要なものには固有名詞をあたえる。
これまでは「本」のなかに村上さんをいれていたけど、
これからは独立させて「村上春樹」とした。
ほかにも梅棹忠夫・酒井順子・椎名誠などを
独立したカテゴリーとする。
やりだすとあんがいたのしくて、
きのう・きょうとでぜんぶをふりわける。
かんがえてみれば、「日記」なんてカテゴリーは
よむ側にたってみると、なんのことかわからない。
こまかくカテゴリーをわけたら、
このひとは、野宿とシーナマコトに興味があるんだと、
いっぺんでわかってもらえる。
わたしという人間を表現するうえで
こまかなカテゴリーはすごく有効なのではないか。
わたしは、ジャンルにあらわれたとおりの人間なのだ。

家族のことも、ただ「家族」とするより
「むすこ」と「配偶者」にわける。
配偶者についての記事は、
配偶者がよむとさしさわりがありそうだけど、
ただしいカテゴリーの原則にそって あえてべつにする。

カテゴリーには限界がある。
サッカーについてかかれた本は、
「サッカー」と「本」のうち、どちらにいれたらいいだろう。
分類ですべての問題は解決できないので、
こまかくわけていくしかない。
「スポーツ」なんてカテゴリーは不親切なので、
ジョギングや水泳にわけたほうがいいかもしれない。
鷹の爪も、吉田くんと総統は
べつのカテゴリーのほうがわかりやすい。
なんてやっていると、めちゃくちゃこまかくなりすぎて、
それはそれでわけがわからなくなってくる。
まあ、だれがこまるわけでもないので
そこらへんはテキトーにやるつもりだ。

ジャンルわけしていると、角田光代さんについて
まえはよくかいていたのをおもいだした。
このごろはさっぱりよまなくなっている。
わたしのなかでの はやり・すたりによって、
2017年はどんなラインナップのブログになるだろうか。
意識して こまかくカテゴリーをわけていきたい。

posted by カルピス at 11:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月22日

業務日誌のようなブログがすき

わたしがすきなブログに、
日記というか 業務日誌みたいに、

・朝おきたときの体調
・自家用車による通勤のようす(まわりの景色・渋滞など)
・昼ごはんにコンビニでなにをかったか
・夕方のジョギングの距離とタイム
・夕ごはんのメニューと酒の量

など、日々のようすをこまかく記録しているブログがある。
ときどき個人的な意見がはいるものの、
基本的には「なにをしたか」の記述が延々とつづく。
仕事がきらいなのもわたしとにていて、
あとなんにちでやすみだ、なんて週末にちかづくとかいてあるし、
月曜日はたいていげんなりした気分の告白からはじまっている。
読書量や音楽についての知識、そもそも一般常識も
ふかくわきまえたひとだからこそ、
ただの日記なのにじゅうぶんおもしろいのかもしれない。

わたしはひとがなにをかんがえているかより、
なにをしたか、なにをたべたかに興味をそそられるようだ。
ひとの日記なんて、どうでもよさそうなのに、
どこへいってなにをかい、なにをたべたかを
ずっとつきあってよんでいる。
すこしまえの『本の雑誌』で、日記の特集があったけど、
たしかに日記はよみものとして魅力がある。

この方は、こまめに記録をとるぐらいだから、
自動車の燃費にもけっこうやかましく、
渋滞で燃費がのびないときなど、さも残念そうにかいている。
かとおもうと、まいにちコンビニで
お昼ごはんのおにぎりや缶コーヒーをかっているので、
燃費をうるさくいうのは、
けしてわずかなお金をけちってのことではない。
本来あるべき数字(燃費やランニングのスピード)からとおざかると
おもしろくないひとのようだ。
原理・原則に忠実でありたいひとなのだろう。

わたしもときどきコンビニでコーヒーをかっていたけど、
わたしの場合はただのケチンボだから、
このごろは身の程にあった場所で かいものをするようになった。
たとえばフタをしめるボトルタイプのコーヒーが、
コンビニでは130円くらいするのに、スーパーでは100円をきっている。
おなじものなのに、これだけ値段がちがと わたしには抵抗がつよい。

缶コーヒーはめちゃくちゃ種類がおおく、
かうお店によっても値段がずいぶんちがう。
自動販売機・コンビニ・スーパー・業務用スーパーなど、
とてもおなじ商品とはおもえないほど値段に差がある。
すこしぐらいたかくても、ほしいときにさっとかえるから
コンビニはありがたいのであり、
単純に値段だけでくらべてはお店の「価値」をあやまってしまう。
わたしがコンビニでの缶コーヒーをとりあげたのは、
ただたんに、自動車の燃費にうるさいひとが、
コンビニでのかいものには抵抗がないのを
おもしろいとおもうからだ。

業務日誌なのだから、ネタにこまったりしない。
おなじような日がつづいても、
おなじような日がつづいたとかけばいい。
おなじような日がつづいたという事実が大切だから。
わたしが無理やりネタをいじくりまわす日でも、
このひとは いつものように 業務日誌的な内容を記録する。
そのいさぎよさが うらやましいのかもしれない。

posted by カルピス at 22:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする