2018年12月03日

謙遜しない

デイリーポータルZに「自由ポータルZ」という企画があり
「デイリーポータルZみたいな余計なことがしてみたい」
というひとは自由に投稿できる。
そして、一定の水準にたっしている記事は、
毎週金曜日にデイリーポータルZでとりあげられるし、
編集部のだれかがコメントまでしてくれる。
先週の「自由ポータルZ」では、
記事のタイトルを、「適当取材」と名づけた投稿者にたいし、
編集部の古賀さんが、
せっかく上手に書けているのでタイトルの「【適当取材】」は不要かなと思いました。

としたうえで、
「謙遜しない」というアドバイスをよせている。
「つまらないものですが」って言われて謙遜だと思うのは相手との人間関係があるからで、知らない人がネットに「つまらない記事です」って書いてたら、本当につまらないんだなと思ってしまうのだと思います。遠慮しないで、「面白いから見て」という気持ちで書きましょう!

ディスられを予防するために「適当な取材だから穴があるかもだけど勘弁してね」みたいな気持ちで入れたんじゃないかと思うんですよね。でもディスる人はほんと数%で、読んでるほとんどの人は「適当」と書いてあると、「ああ適当な記事なんだな」とそのまんま受け取るので結果遠慮してると損をするという。

ネットというと、えたいのしれない
魑魅魍魎の世界かとおもっていたけど、
ディするひとはほんのすこし、とか、
「適当」とかいてあると、そのとおりにうけとめられるとか、
あんがいみたとおり、かいたとおりによまれる場所のようだ。
ほとんどの読者の意識は常識的で、
かいてあるとおりに記事をよみ、
よんだそのままをうけとめる。
ある意味では、健全ともいえるのではないか。

わたしは、これまでかいてきた記事に、
「つまらない記事ですが」と
予防線ははっていないつもりだけど、
「テキトー」ということばがすきで よくつかっている。
謙遜というよりは、ほんとうにテキトーだから
そうかいたわけだけど、
でも、そのまま「テキトー」だとうけとめられるのは
すこしつらいという 矛盾した心境でもある。
専属ライターがかいた
デイリーポータルZの記事をみればわかるように、
ちからずくで無理をとおす内容がすくなくない。
それでも「つまらないものですが」とは
絶対にかいてないのを みならうべきだろう。
とはいえ、わたしは「面白いから見て」という気もちはもってない。
この記事を おもしろいとおもうひとはわずかだろうけど、
よかったらみてね、というぐらいか。
おおくのひとにはうけいれられないのを承知しつつ、
わずかなひとでもわかってもらえたらうれしい。

posted by カルピス at 21:54 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月08日

ブログをはじめて7年

ブログを10年つづけようとめざしているので、
あとまだ3年もあるのか、という気もちと、
ゴールがリアルにちかづいてきた、という気もちと。
10年つづけたからといって、なにがどうなるわけでもなく、
ただの目標であり、自己満足だ。
さすがに7年つづけると、パソコンにむかえば
なんとなく記事ができあがり、それなりの満足感を
まいにち味わっている。

もしブログをかかなくていい、といわれても、
いまはかきたいからかいているのであり、
いちにちのなかで、ひとつのたのしみともなっている。
日記であり、アブクのような記録と
はやい段階でひらきなおった。
その日のできがすこしぐらいわるくても
がっかりしたりしない。
アクセス数がすくなくても、訪問者数のびなくても、
かんじたことを自由にかける場があるのは ありがたい。

7年つづいたのは、かなりラッキーだったといえるだろう。
おおきな病気やケガをせず、
精神的にもわりあい安定した状態をたもてた。
ブログが生活のハリとなって、
気もちがゆるむのをふせいでくれたのかもしれない。
パソコンがこわれたり、ネット関係のアクシデントもなく、
外国へ旅行にいっても なんとなくかきつづけられたのは、
運がよかったとしかいえない。

かきためておいた記事などないので、
まいにちかきこまないと、とたんにとぎれてしまう。
のみ会があったり、イレギュラーの用事がはいると、
頭にまずうかぶのはブログのことだ。
といっても、ネタがなければ、
のらりくらりと どうでもいいことを話題にとりあげるし、
ネットでみかけたおもしろ記事の紹介もおおい。
こんな記事をかいてなにになるんだ、と
深刻にかんがないのがよかったのかもしれない。
とりあえず その日いちにちを なんとかやりくりする。
そんなのがほそぼそとつづいて、2500回あまりになった。

ブログをはじめてよかったとおもう。
おおくの場合、かいていてたのしいし、
つづければそれだけ なにがしかが蓄積される。
もしブログをかいてなかったら、
メリハリがなく、充実感のない日常に なっていたような気がする。

posted by カルピス at 22:03 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月06日

健康のためには ブログをつづけたらいいのかも

ブログをつづけるのは、なかなかたのしいとりくみではあるものの、
そういつもスラスラかけるとはかぎらない。
ネタがあるかどうかは重要だけど、
それにくわえ、いいコンディションで生活しているかどうかが
あんがい大切になる。
ふつかよいや、便秘はよくないし、
お腹がいっぱいでも頭がはたらかない。
イライラしていたら、記事をかきにくいし、
不機嫌なこころもちでは、すなおな文章とならない。
お腹がいたかったり、カゼをひいていたりはもちろんまずいし、
自分だけでなく、家族の健康だって
生活のリズムにおおきな影響をあたえる。
そうしたコンディションにくわえ、
精神的におおきな波にさらされたりすると、
おちついて文章にむきあえない。
きっと夫婦げんかなんかしたら、
逆上してしまい、ブログどころでは ないだろう。
健康に不安をかかえていても、心配で記事に集中できない。

こうしてみると、記事を無事にアップできるのは、
いくつものハードルをくぐりぬけたすえ、
ようやくつくりだした貴重なコンディションを
毎日ブログにむすびつけた結果なのがわかる。
逆説的にいえば、健康でいようとするなら、
ブログをつづければいいのかもしれない。
ブログを生活習慣にとりこめば、
必然的に よいコンディションをたもちやすくなる。
はげしすぎる喜怒哀楽をとおざけ、
できるだけたいらな心境をこころがけるのが、
ブログをつづけるひとつのコツだ。
色即是空、色即是空。

書評家の目黒考二さんが、
「旅行と家族は読書の敵」となにかにかいていた。
あんがい旅行ではなく酒だったかもしれない。
とにかく、目黒さんには、
本をよむのに障害となる懸案がいくつもあり、
だから目黒さんは社員旅行にでかけるのも
めんどくさがっている。

わたしは、10日まえに 子ネコ(ココ)を家族としてむかいいれた。
子ネコといっしょにくらしていると、
ものすごく時間をとられるのがわかった。
顔をあわせれば、ちょっかいをかけてくるので、
ネコじゃらしやなにかで いっしょにあそぶ。
かわいいし、たのしいしで、ついながらくいっしょにすごし、
自分の部屋にもどったら、もう10時をすぎていた、
なんてことがつづいている。
ほんの10日いっしょにいただけとはいえ、
いまココになにかあれば、わたしのこころはかきみだされる。
とてもブログどころではない。
子ネコとブログは、相性がよくない、というのがわたしの発見だ。

posted by カルピス at 22:16 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月16日

しんざきさんの「『俺の文章大好き』以上にブログをつづける理由が存在しない、という話」にドキッとする

倉下忠憲さんのかかれた
「自分で楽しむブログと届けようとする姿勢」
https://rashita.net/blog/?p=23732
をよむ。
倉下さんは、しんざきさんの
「『俺の文章大好き』以上にブログをつづける理由が存在しない、という話」
http://mubou.seesaa.net/article/456184451.html
をとりあげている。
だれかに「届けようとする」姿勢があるかないか。
私はこの記事を100万人に読んでもらえることをイメージして書いているわけではありません。かといって、誰にも読まれえないとも思っていません。やはり「届けよう」と思って書いています。

しんざきさんの記事をいくつか 興味ぶかくよんだ。
わたしごのみのブログだ。
こまかな分析をくりひろげる もっともらしいブログよりも、
モチベーションの基底にあるのは圧倒的に「自分の文章大好き」という自己満足です。
つまり、私のブログには、一人圧倒的な良読者が固定でついている、ということになります。私です。

とまでいいきってしまういきおいが気もちいい。

わたしはなんでブログをかいているのか。
倉下さんのように、だれかにとどけようとする気もちよりも、
しんざきさんのいわれる、「俺の文章大好き」にちかい気がする。
ただ、いつも「俺の文章大好き」な記事がかけるわけではなく、
とにかく中断しないことだけを目的に、
つなわたりみたいに細々とつづけているブログ。
そんなブログをかく意味などあるのか。
『鳩の撃退法』のなかで、小説家、津田伸一が
都合のわるいことをきかれたときに、よくいうセリフ、
「その質問はうけつけない」
がわたしはすきだ。
ふかくかんがえるのが苦手なのだろう。

posted by カルピス at 22:35 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月16日

バスの運転手さんがつぶやく ひとりごとみたいなブログ

市内をはしるバスの、いちばんまえの席にすわったら、
運転手さんが 安全確認やら状況の説明をブツブツつぶやいている。
「信号まちで停車しています」
「バスからおりてすぐは、
 うしろからくる車にお気をつけください」
「ゆっくりでいいですので、バスがとまってから
 席をはなれてください」
など。
はじめはマイクでお客さんに説明しているのに、
マイクのスイッチがいれられてないのだとおもった。
でも、運転手さんのコメントをきいているうちに、
ひとりであれやこれやとつぶやきながら、
自分で運転のリズムをつくっているのだとわかってきた。
左折するときなど、
「横断者を確認しながら左折します」
「おいこしてくる車はいません」
と、指さし確認をしながら、
ものすごくこまかに安全な運転をこころがけているし、
お客さんがおりるときには、
じっさいにそのひとにはなしかけて、
お礼や注意をつたえている。
ウィンカーをつけずにまえをゆく車がまがったら、
「ウィンカーをだしてまがってほしかったです。あぶないです」
なんて感想や苦情をくちにする。
終点の車庫にはいろうと右折のウィンカーをだしても、
対向車がなかなかいれてくれないときは、
「みんないじわるですね」。
まえの車がとまり、パッシングで合図してくれたら、
「あ、ありがとうございます。感謝感激雨あられ」
なんていっていた。
ただこまかく安全確認をするだけでなく、
すごく人間味をかんじるつぶやきだ。
こんなふうにおしゃべりしながら運転していたら、
客観的かつ丁寧にはしれるだろう。
お客さんへの対応も マニュアルどおりの安全確認にくわえ、
必要なアドバイスを、ひとりひとりにはなしかけている。
ひとりでブツブツつぶやくのは、気もちわるい、
あるいは不気味、というひとも なかにはいるかもしれないけど、
これぐらいの自由は 運転手さんにみとめられてもいいとおもう。

おなじ日に バス停でバスをまっていたら、
60代とおもえる男性がわたしにはなしかけてきた。
「おさないころ火事にあいましてね」
なんのはなしかと耳をかたむけると、
そのままずっと自分のおいたちをはなしつづけられた。
しっかりした口調だし、身なりもととのったひとなので、
なにかわたしに関係のあるはなしかとおもっていたけど、
どうもそうではなく、
自分の身の上ばなしをこまかくかたっておられるようだ。
わたしにつれがいること、雨がふっていることなど、
状況をしっかり把握されており、
それらに配慮しながらも、ずっとはなしがつづく。
この方の場合は、バスの運転手さんとちがい、
ひとりごとではなく、わたしへのかたりかけなのだけど、
印象としては、いろいろはなすことで、
自分の気もちをおちつかせている。
極端にいいきってしまえば、ひとりごとといっしょだ。
いま、こんなふうなつぶやきが はやっているのだろうか。

かわったひとがいるものだとおもったけど、
このブログをにしたって、かんがえてみると、
わたしのひとりごとみたいなものだ。
だれかを説得したいわけではなく、
習慣だから、たのしいから、にすぎない。
ひとりでいつまでもブツブツつぶやくのは気もちわるい、
なんていわずに つきあってもらえたらうれしい。

posted by カルピス at 21:43 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする