2022年10月05日

島根にある自動販売機だけの休憩所

ある番組で、島根県の国道9号線ぞいにあるという、
ちいさな休憩所をとりあげていた。
清流でしられる高津川が目のまえをながれている。
うどん・ラーメンなどの自販機がおいてあるだけなのに、
なぜかたくさんのひとがおとずれるのだという。

島根にすんでいると、うどんの自販機なんて
べつにめずらしくないとおもっていたけど、
ほかの地方ではあまりみかけない機械らしい。
この休憩所には、50年以上まえから、おなじような機械が、
おなじようなうどんとラーメンをだしつづけているそうだ。
ありそうでない うどんをたべに、とおくからおとずれるひと、
「むかしとおなじ」がなつかしくて、
ちょくちょくたべにくる地元のひと。
なぜこの休憩所にくるのかを、番組スタッフがたずねると、
こたえるひと みんながそれぞれにものがたりをもっていた。

男2人ずれできていたひとは、ふたりともUターンのひとだ。
ひとりは3年まえ、もうひとりは1ヶ月まえにもどったばかりだという。
もどった理由をたずねられると親の介護だという。
孤独死はさせられない、感謝の気もちがあるから、という。
そんなプラーベートなことをいきなりきくな、
みたいな質問をスタッフがしても、
みんなストレートにこたえている。
さすがに島根だ。
みかけは派手なカップルは、男性が青汁をつくる会社、
女性は保育園の調理をしているという。
ふたりとも、しっかり自分たちのこれからをかんがえていた。
べつのわかい男性にマイクをむけると、
東京から(取材に)きたんですか?
もうコロナにかかりました?と
逆取材してくるのがおかしかった。
まだかかってない、とスタッフがこたえると、
あれだけ感染がひろまっている東京でも、
かからないひとっているんだと、すごく感心していた。
地元のおじさんは、わかいころをおもいだしてこたえていた。
このへんには、ディスコなんてないから、なにもすることがなく、
しかたなく仲間と海辺をドライブし、さいごにこの休憩所で
うどんをたべるのが「しめ」だったそうだ。さすがに島根だ。
こんな地味な休憩所がいまでも愛され、
それぞれのひとがひそかに愛情をそそいでいる。
島根らしさのにじむ、いい番組だった。

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2021年03月12日

KFCでのんだ紅茶がすごくおいしかった

仕事がらみでケンタッキー・フライドチキンへ。
わたしはあまりおなかがすいていなかったので、
フライドチキン1つと紅茶をえらんだ。
チキンが250円で、紅茶が220円。
紅茶はホットをえらぶと、お湯のはいったカップをわたされる。
あとは自分でティーバッグをいれる、というやり方だ。
沸騰していないお湯で紅茶をいれるなんて、
おいしくないにきまってる、とがっかりしていたら、
のんでみると、ハッとするほどおいしかった。
アッサム茶、とティーバッグの袋にかいてある。
沸騰していないお湯でも おいしくはいる紅茶があるのだろうか。
もともとのつかってある葉っぱが上質なのだろうか。
ネットをみると、リプトンのアッサム茶、とある。

ひごろから、コーヒーは100円でのめるのに、
なんで紅茶になると値段が倍になるのかと不満だったけど、
いい紅茶はそれだけお金がかかっているのかもしれない。
もっとも、たかくても ひどくまずい紅茶をだす店
(コメダとか)もあるので油断はできない。
ファーストフードやチェーン店の紅茶は、
本業のかたすみにおいやられ、
手をぬきほうだいのブラック地帯だ。
なんどかの後悔にきたえられ、紅茶を注文するときは
はじめから味に期待しないことにしている。
期待していなかっただけに、KFCの紅茶はおいしかった。

すこしたかいティーバッグのアッサム茶をためそうと、
スーパーで10袋いり400円と、
20袋いり400円(トワイニング)をかってみる。
どちらも、それなりにおいしいけど、
いつものんでいる25袋いり200円の日東紅茶と
あきらかにちがう、とうほどの差はない。
よくばっておおきなマグカップにいれるのではなく、
すこしこぶりのカップをつかったほうが、
紅茶の味がしっかりかんじられる。
そうしていれた場合、値段の差はかんじない。
ちなみに、アッサム茶はミルクティーむけ、といわれているけど、
牛乳をいれると、どれもおなじような味におもえてくる。
けっきょく、わたしの舌は、紅茶のおいしさをみわけるほど
デリケートにできていないようで、
でれをのんでも、それなりにおいしい。

でも、ケンタッキーでのんだ紅茶はあきらかにべつものだった。
なんであれだけおいしかったのか、不思議だ。

posted by カルピス at 18:35 | Comment(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月14日

海の底によこたわるクジラをみつけたとき、ホッキョクグマは幸福をかんじたか

業務用スーパーでブリのカマをかった。
家の魚やきグリルに なんとかはいるおおきさ(あつさ)のカマが、
2ついりで税込600円。
みかけはふとい骨だけど、骨のかげというか 内側には、
身がぎっしりつまっていて、肉のたべ放題となる。
もうたべつくした、とおもっていても、まだ身がかくれており、
それをはがしていくと、肉食ならではのだいごみをかんじる。
ブリのカマをほじくりながら、まえにみた番組をおもいだした。

それは北極海の自然を紹介する番組で、
ホッキョクグマの親子をとりあげていた。
お母さんが海底にしずんでいるクジラの死体をみつけ、
もぐってはおおきな肉のかたまりをかじりとって、
氷のうえでまつ子どもたちにあたえていた。
なにしろつめたい北極海だから、
クジラの肉は冷蔵庫にいれてあるようなもので、
とうぶんくさることなく保存される。
ホッキョクグマがいくらたくさんたべるといっても、
あいてはクジラなのだから、宝の山をみつけたようなものだ。
とかいていて、ホッキョクグマに
「宝の山」という概念があるのかどうかにまよった。
海底にしずんでいるクジラをみつけたとき、
お母さんクマはなにをおもっただろう。
人間だったら あまりの幸運におどりだすところだけど、
ホッキョクグマはどういう反応をみせたのか気になるところだ。

梅棹忠夫さんの『サバンナの記録』をよんでいたら、
カバ2頭を手にいれたティンディガのひとたちがでてきた。
 ティンディガたちが、伝えきいてやってきた。カバのころがっているところまで、全家族をひきつれて移住してくるのだ。どうせ、家らしい家もないのである。おんなじことだ。
 かれらは、カバのそばに腰をすえた。それから、食いにかかった。五家族ばかりが、集まってきていた。かれらは、休みなしに食った。それから、眠った。目がさめると、また食った。そして、また眠り、また食った。三日目に、とうとう二頭のカバは、大きな骨だけをのこして、何もなくなってしまった。ティンディガたちは、その骨をわって、中のズイまでたべてしまったのである。

梅棹さんは、「幸福」とはなにかをかんがえる。
フィールドワークの基地に、どっさりもってきた
乾物をつかい、梅棹さんは「水たき」をつくる。
そのときは、ほんとうに「幸福だ」とおもい、
おいしくたべた水たきだけど、
日本にかえり、ほんものの水たきをたべたとき、
あまりのおいしさに、梅棹さんはおどろいている。
アフリカでかんじた感動はいったいなんだったのか。
あれが「幸福」だったのなら、「幸福」とはなんなのか。
ティンディガのひとたちが、腹いっぱいカバをたべたとき、
「幸福だ」とおもっただろう。
梅棹さんがかんじた「幸福」のなかには、
目のまえにある水たきのおいしさだけでなく、
あすも、あさっても、たべものがあるという安心感がふくまれる。
ティンディガのひとたちには、あすの食事は保証されていない。
腹いっぱいたべられるときもあるけど、
何日も獲物が手にはいらず、死んでしまうリスクもある生活だ。

海の底にクジラの死体をみつけたとき、
ホッキョクグマは「幸福」だとおもったのだろうか。
ブリのカマをほじくるわたしはどうだったか。
お腹がみたされることと「幸福」とは、
ふかいつながりがありそうだけど、
ホッキョクグマとひととは、どこまでおなじなのだろう。

posted by カルピス at 17:46 | Comment(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月15日

カツライスが松江のソウルフードらしい

すこしまえの土曜日、カツライスをたべに
ふるくからやってるお店にでかけた。
トンカツをつかった料理といえば、
カツ丼やカツカレーが一般的だけど、
松江ではカレーのかわりにデミグラスソースをかけた
「カツライス」がむかしからたべられていたという。
いわゆる郷土料理のひとつらしい。
ネットをみると、カツライスは島根県東部のソウルフード、
という説も紹介してある。
松江カツライス研究会なんていうのもつくられていた。
https://www.fnn.jp/articles/-/36425
わたしは松江うまれの松江そだちなのに、
これまでカツライスをたべたことがないような気がする。

配偶者をさそい、ひさしぶりの外食となった。
新型コロナウイルスの影響で、営業時間はみじかくなっていたけど、
お客さんがよくはいっていて、わたしたちがお店についたとき、
あいているテーブルはひとつだけだった。
そのあとも、たべおえたお客さんがでていくとすぐに、
あたらしくお客さんがはいってくる。
お客さんは、マスクをつけてお店にはいってくるけど、
たべるときはもちろんマスクをはずすし、
テーブルについたてなどなく、いつもとおなじかまえだ。
お客さんがかえり、テーブルをかたづけるとき、
スタッフのかたが、メニューをひらいて消毒していた。
コロナの影響をかんじたのは、それくらいで、
リラックスして外食をたのしめた。
わたしはまよわずカツライスを、配偶者はオムライスを注文した。
どちらかというと、オムライスがよくしられたお店なのだ。

もってこられたカツライスはサラダつきで850円。
トンカツにデミグラスソースがかけてあるだけなので、
みためはとてもシンプルだ。
ネットでは、「たっぷりのデミグラスソース」とあるけど、
わたしには、そんなにたっぷりとはおもえない。
ハヤシライスじゃないのだから、
ソースとしてはこれがあたりまえの量なのだろう。
ふつうにたべていくと、どうしてもごはんがあまってしまう。
みかねた配偶者が、自分のオムライスについていたソースを、
わたしのごはんにかけてくれた。
おいしいけど、これがソウルフードといわれると、しっくりこない。
カツ丼のもつ迫力、ゴージャスさのほうが
貧乏性のわたしにはあっている。
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ちなみに、配偶者が注文したオムライスは、
しっかりたまごがやかれていて、いまはやりの
半熟たまごによるオムライスではない。
むかしながらのすがたをたもっていて好感がもてた。

posted by カルピス at 20:18 | Comment(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月11日

うごけなくなるまでたべる 朝倉かすみさんの食習慣がすごい

朝日新聞土曜日版beに、「作家の口福」というコラムがあり、
先週から朝倉かすみさんがうけもっている。
わたしがぜんぜんしらなかった小説家だけど、
ずいぶんかわったひととなりがすごくおかしい。
前回は、還暦をむかえるにあたり、快適にくらせるよう、
習慣をみなおす、というはなしだった。
・オンラインゲームをやめ、
・自宅での飲酒をやめ、
・たばこまでやめたのだという。
オンラインゲームには、そうとうなお金と時間をつぎこんだというし、
酒もすごい。
好きでも強くもないお酒をただ酔っ払うために毎日一生懸命飲み、しばしば嘔吐していた。いつも頭の中がボンヤリしていて、だのに飲み始めると一瞬クリアになるあたりが一番怖かった。やめられて本当によかった。

ほんとうに、やめてよかった酒だ。

これまでの習慣を3つやめたのだから、
くつろぎかたがわからなくなり、
このごろは、あまいものをたべるようになったという。
具体的にはあんバターサンドに夢中になった。それぞれお豆腐四分の一丁程度の量のあんことバターをパンケーキに挟み、1日に一度といわず食べていた。

ものすごい量のあんことバターだ。
それでふとらないわけがなく、じっさい7キロも体重がふえてしまい、
「食習慣の見直しを迫られている」、
というのが前回のはなしだった。

今週は、4つめの習慣のみなおしとして、
食習慣を改善したようすが紹介されている。
朝倉さんは、ルールを3つきめている。

1 「満腹かな?」と一瞬でも感じたら箸を置く
2 食べてすぐ横にならない
3 オヤツ(甘いもの)は親指と人差し指で作ったマルの大きさまで

朝倉さんには、このうちの「1」がいちばんむつかしいらしい。
なぜなら、わたしは一般的に「満腹」と呼ばれる状態が、どの程度のお腹いっぱいさ加減なのか分からないのだ。
 わたしの「満腹」の測り方は体が動くかどうかなのだった。「もう動けなくなるまで食べること」=「夕食」の血糖値上がり放題、肥満一直線の方程式がいつしか出来上がっていた。

完全にうごけなくなる、すこし手前でたべるのをやめても、
ベッドでやすんでるうちにお腹にすきまができる。
そうすると、「今夜のオヤツ」としてかっていたあまいもの、
それに例の「あんバターサンド」をたべてしまい、
けっきょく「正真正銘『動けなく』」してしまう。
毎晩「もう動けなくなるまで食べ」たら、
さすがにからだにわるそうだ。
次回がすごくたのしみとなる。

朝倉さんがどんなひとなのか気になり、
「Web本の雑誌」の「作家の読書道」をみると、
ここでもそうとうな かわりっぷりがはなされている。
http://www.webdoku.jp/rensai/sakka/michi096_asakura/index.html
朝倉さんの作品をよんでみたくなった。

posted by カルピス at 15:35 | Comment(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする