2019年01月07日

「トーキングウィズ松尾堂」での高野秀行さん

NHK-FMの「トーキングウィズ松尾堂」に
わたしがすきな辺境作家、高野秀行さんがでていた。
はじめは、生活史研究の阿古真理さんのはなしが耳にはいる。
『料理は女の義務ですか?』『”和食”って何?』
という本をかいた話題にひかれた。
タイトルはそれぞれ挑発的に問題提起をしているけど、
内容はタイトルからイメージするよりも、
さらにひろくふかくほりさげてあるようだ。
おもしろそうだから、ぜひよもう、
とおもっていると、店主の松尾さんが
もうひとりのゲストにやたらとはなしをふる。
うけこたえをしてるのが、高野秀行さんだった。

はじめてきく高野さんの声は、いわゆるしぶい声で、
はなしもよくまとまっていてわかりやすい。
わたしは高野さんの本をほとんどよんでおり、
番組ではなされた内容はすでにしっていた。
その意味では、新鮮味はないけど、
意外性にみちたはなしは、
じゅうぶん視聴者をひきつける内容だ。
辺境でたべた印象的なたべもの、とか
これはうまかった、という料理とかをたずねられると、
ついおおげさにかたりそうだけど、
高野さんほどの辺境作家となると、
反対に、はでな表現をおさえがちとなり好感がもてた。

番組のなかで、パクチーが日本で融合し、発展した、
というはなしがでた。
わたしはまえにタイのひとが日本人のパクチーずきについて、
タイでは、パクチーはパセリのような料理の飾りで、苦手な人も多い。(中略)パクチーが好きでも、パクチーの大盛りは頼まないと思う。
 タイ人は日本人ほどパクチーを食べないと思う。

という新聞への投稿をよみ、
ずいぶんひねくれたひとだとうけとめていた。
いちぶの日本人をみて、日本人全体とかんちがいしているのでは。
でも、このひとはただしい観察をしていたようだ。
日本人は、パクチーのおいしさに気づくと、
いっきに「パクチーサラダ」「パクチー鍋」まで開発していく。
タイにはもともとない料理まで、日本が発展させたのであり、
タイのひとがおどろいて当然の現象だと納得する。

高野さんはおすすめの本として、
『行商人に憧れて、ロバとモロッコを1000km歩いた男の冒険』
(春間豪太郎)を紹介された。
春間さんは、ロバをえらぶとき、
いちばん性格がわるそうなロバをえらんだのだそうだ。
性格がわるいロバは、
おそらくいちばんはやくころされるだろうから。
すごくおもしろそうな本なので、
さっそくアマゾンで注文する。
高野さんのおすみつきなので、信頼していいだろう。
阿古真理さんの著作もぜひよんでみたい。
新年そうそう、あたらしい本とのであいにめぐまれた。
タグ:高野秀行

posted by カルピス at 21:40 | Comment(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月29日

ホットコーヒーにつけるフタの穴からコーヒーがのめるか

コンビニでかうホットコーヒーは、
フタをつけたほうがもちはこびしやすい。
でも、そのフタに穴があるのはなんでだ。
一般的にはまずつかわないけど、
なにかの非常手段として、そこからコーヒーをのむこともできる、
くらいの、ほとんど意味のない穴だとおもっていた。
あんなところからコーヒーをすすったとしても、
おいしくないにきまっている。

なにかの映画で(たぶん『セブン』)、ブラッド=ピッドが
あの穴からコーヒーをのんでいた。
その場面をみて、あの穴を、
本気でつかうひとがいるのを はじめてしる。
とはいえ、さすがのブラピがやっても、
快適にはみえないコーヒーの のみ方だった。

デイリーポータルZに、
「あのフタ付きのカップからコーヒーをのむ特訓」がのった。
http://portal.nifty.com/kiji/180828203794_1.htm
フタつきのままのむと、スマートにみえるので、
ぜひやってみたいというライターのトルーさんが、
いくつもの方法をためしている。
舌をまいたり、氷を口にふくんだり、
8つの方法が採用されていた。
でも、どれもおいしくのんでいるようにはみえない。
なんにんかの挑戦者は、このような訓練をへて、
フタの穴からのめるようになるかもしれないけど、
かなり上級者むけの 特殊なのみ方なのではないか。
アメリカでは、移動ちゅうにコーヒーをのむのが一般的で、
そのためにはフタの穴が必要なのかもしれない。
できれば、コーヒーくらいゆっくりのみたい。
フタについた穴なんかからすすりたくない。

アイスコーヒーは、もちろん穴からストローをさしてのむ。
ホットコーヒーとちがい、この場合は、フタについた穴が便利だ。
このストローが、このごろやりだまにあがっている。
いちどつかっただけですててしまうプラスチック製品の利用を
みなおそうといううごきらしい。
やらないよりはマシかもしれないけど、
ほかに大量のプラスチックをすてておきながら、
ストローをやめてもたいして効果があるようにはおもえない。
プラスチックのストローのかわりに、
紙でつくったストローをつかうという。

ストローは、直訳すれば麦のワラだ。
わたしが尊敬する福岡正信さんの自然農法は、
『わら一本の革命』としてひろくしられるている。
田んぼに肥料をいれず、そのかわりに
稲の収穫でうまれたわらを ぜんぶ田んぼにかえす。
肥料や農薬にたよらなくても、土をたがやさず、雑草をとらなくても
稲はじゅうぶんにそだつというのが福岡さんの自然農法だ。
なぜなら自然にはえている草や木は、
肥料をあたえなくてもそだっているから。
ファーストフード店のストローから革命がおこれば、
ほんとうの「わら一本の革命」になる。

posted by カルピス at 22:11 | Comment(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月23日

デイリーポータルZ「『うまかっちゃん』5種食べ比べ」(木村岳人)の食欲におどろく

デイリーポータルZに、木村岳人さんの
「九州の味『うまかっちゃん』5種食べ比べ」がのった。
http://portal.nifty.com/kiji/180723203475_1.htm
タイトルにあるとおり、袋ラーメンの「うまかっちゃん」を
たべくらべる企画だ。
木村さんは、ことしの5月、
キャンプしながら九州北部をまわったとき、
この「うまかっちゃん」にお世話になったという。
こんかい、たべくらべるにあたり、
九州旅行とおなじ環境となるよう、
わざわざキャンプ場にスーパーカブとテントをもちこみ、
ガスバーナーとコッヘルで「うまかっちゃん」をつくっている。
たべくらべの結果は、ぜひ記事をごらんいただきたい。
わたしが感心したのは、3種類をまずたべ、
おなかいっぱいになったから、といって
キンドルをよみながら時間をすこしあけたのち、
また2種類の「うまかっちゃん」をたべている木村さんの胃袋だ。
何時間あけたかはかかれていないけど、
たとえひるごはんと夕ごはんで たべたとしても、
いちにちに袋ラーメン5つはすごい。
わたしもわかいころはずいぶん袋ラーメンのお世話になったけど、
いちにちに5つをたべるほどの食欲はなかった。

たべくらべの結果は、というと、
それぞれに特徴があって甲乙が付け難いが、強いて言えば私が一番好きなのはからし高菜だろうか。いや、にんにくがガツンと効いた火の国流も良かったし、とんこつ特有の香りを一番堪能できるオリジナルも……うーん、ナヤマシイ!

わりとありきたりで、とくにつよい主張はなく、
どれもそれぞれにうまかった、という感想におちついている。
けっきょく、たべくらべというよりも、
なつかしの「うまかっちゃん」を、ひさしぶりに
堪能するために企画したようにみえる。
「うまかっちゃん」がどうのというよりも、
木村さんの健康な胃袋が印象にのこる記事だ。

旅行をするならその土地のたべものをたべたいもので、
木村さんもひるはちゃんぽんやトリ弁当、
さらにはかき氷の「白くま」をひいきにしていた。
「うまかっちゃん」をたべたのは、
だから夕ごはんが中心となる。
旅行ちゅうの夕ごはんが、袋ラーメンを中心にというと、
まずしい食生活をイメージしてしまうけど、
それを3週間つづければ、木村さんの記事のように、
りっぱな食ルポとなる。

わたしが旅行するときも、いきさきがどこであれ、
屋台や安食堂が中心で、基本的におなじものばかりをたべている。
これは、その国のことばができないため、
いちどおぼえた料理名をくりかえしたり、
テーブルにならんだおいしそうなおかずを
指さしでお皿にいれてもらったりする結果、
いつもおなじものばかりの食事になるからだ。
木村さんの記事をよむと、それでも食ルポをかけるのがわかる。
いろんなものを、はばひろくたのしむのもいいけど、
おなじものをたべつづける一点集中型は、
それはそれでひとつのスタイルとなる。
けっきょくは どうとりあげるかが問題であり、
自分がこころをうごかされた たべものがあれば、
木村さんみたいな ちからづくの記事が成立する。
地味だけど、一点集中のため、
ほかの記事にはない迫力が魅力だ。

posted by カルピス at 22:22 | Comment(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月14日

日本は食事がやすくておいしい国、というのはほんとうか

しりあいとの雑談で、
世界のなかで日本は、やすくておいしい食事ができる国らしい、
というはなしになった。
朝日新聞に、そんな内容の記事がのっていたのだそうだ。
きいていると、わたしもその記事をよんだような気がする。
ただ、はなしの大筋はあっているものの、
ところどころ会話がかみあわない。
しりあいがわたしにはなす内容は、
わたしがよんだ記事よりも、具体的な説明がおおい。
わたしのよみかたがあさかったのかと、すこしひっかかった。

家にもどって最近の新聞をひっぱりだし、たしかめてみる。
わたしたちがはなしていたのは、
べつのひとがかいた ふたつのコラムだった。
わたしがよんでいたのは、後藤正文さんによる連載のコラムで、
しりあいがはなしていた記事は、小熊英二さんの論壇時評だ。
どちらの記事にも、日本は
やすくておいしい外食ができるとかいてある。
後藤さんは、欧米の国とくらべ、
小熊さんは欧米の大都市、さらに香港やバンコクでさえ、
ランチが千円するのがあたりまえになっている、と紹介している。
ふたりの著述家が、ほぼおなじ時期に話題としてとりあげるほど、
日本の食事はやすくておいしいというのが、
いまや世界の常識になっているらしい。
香港やバンコクでもランチ千円が当然になりつつある。だが東京では、その3分の1で牛丼が食べられる。それでも味はおいしく、店はきれいでサービスはよい。(小熊英二・「安くておいしい国」の限界)

小熊氏の論旨は、
私は、もう「安くておいしい日本」はやめるべきだと思う。

にあるけれど、ここでは食事の値段だけにはなしをしぼる。

日本の食事がやすいといわれて、わたしは意外な気がした。
全国展開のチェーン店はともかくとして、
外食がやすくすむのは大都市にかぎったはなしではないか。
わたしがすんでいる町では、
ランチに千円ちかくかかるのがふつうだ。
需要がすくないので、価格競争がおきないのだろう。
そして、わたしがバンコクで食事をすると、
安食堂にしかはいらないので、500円もかからない。

でも、おそらくわたしの感覚がずれているのだろう。
こじゃれた「ランチ」を香港やバンコクでたべれば、
1000円ぐらいするのは よくわかる。
そういうお店が、旅行者だけでなく、
一般市民にも人気があるのだろう。
アジアの国々から日本にきた旅行者が、
値段を気にしながら食事やかいものをするのではなく、
あたりまえのようにお店にはいり、
ためらいなくお金をつかうのをみると、
世界はずいぶん均一になったものだとおもう。
アジアを旅行している日本人が、円のちからをたよりに、
やすいやすいといい気になっていた時代より、よほど健全な姿だ。

わたしがフィリピンではいった、
10代のわかものがよくいく喫茶店では、
コーヒー一杯をのんでも、日本よりすこしやすい程度の値段、
つまりかなりたかい価格設定だった。
ケンタッキーフライドチキンだって、それなりの値段がする。
そうしたお店に ふつうの感覚ではいれる市民層が
いまやぶあつく存在するようだ。
もちろんそんなお店にはいれない
まずしいひとたちもいるのだろうけど、
わたしがおもっている以上に
世界の同質化がすすんでいるのではないか。
日本が値段をあげないで我慢しているうちに、
アジアの国々がおいついてきたのかもしれない。
旅行していいると、日本よりすこしやすいくらいの物価の国が
気らくにすごせてちょうどいい。

posted by カルピス at 22:41 | Comment(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月13日

23歳のオイに、ワインのたのしみ方をおそわる

東京でくらす23歳のオイがあそびにきた。
就職がきまり、さいごの春やすみをたのしんでいる最中で、
あいさつをかねて、わざわざ島根まできてくれた。
4月から海運業の会社につとめるそうで、
何年かさきには外国にある支社ではたらきたいという。

わたしはまえからおおきな客船やタンカーなどに、
どんなシステムで燃料や水をつみこむのか、
計算や発注のだんどりがどうなっているのか、気になっていた。
豪華客船に、いったいどれだけの水や食糧を準備したらいいのか。
おびただしい量の日用品を、どこに発注し、
どうやってつみこみ作業をすすめるか、などが、
なぜかとても気になる。
オイにそんなはなしをすると、
まさにその仕事をぼくがするんです、といっていた。
彼が仕事になれ、海運事業の全体を把握したら、
わたしにわかりやすく説明してくれるだろう。

オイは、つい最近まで、東京駅にある
高級フランス料理店でアルバイトをしていた。
ソムリエがいて、いちばんやすいワインでも、8000円という店だ。
自然とオイもワインに興味をもつようになり、
わたしにカベルネ・ソーヴィニヨンと
ピノ・ノワールのちがいをおしえてくれた。
わたしは、おいしいか、おいしくないかで
ワインを評価することしかできないワインオンチなので、
オイがいう品種による特徴のはなしがおもしろかった。

夕ごはんをたべにいったあとでイオンへより、
わたしがいつものんでいる680円の安ワインを
オイにのんでもらって感想をきいた。
彼は、カベルネ・ソーヴィニヨンがいちばんすきだといい、
ピノ・ノワールもかるくておいしいとおしえてくれる。
せっかくの機会なので、両方をかって、のみくらべてみた。
わたしには、品種がちがうことはわかっても、
その特徴をうまくひきだしたできかどうかまではわからない。
ピノ・ノワールはかるいワインといわれているけど、
わたしには野性味のつよい、クセのある味におもえる。
個性的で、おいしいピノ・ノワールは、
カベルネよりもワインらしくておいしい。
けっきょくわたしの頭のなかは、
なにがなんだかわからなくなってきた。
おしいいワインはおいしいし、
おいしくないワインはおいしくない。

オイによると、ワインをたのしむコツとして、
品種のちがいによるワインの特徴をおぼえるといいそうだ。
1000円以下のやすいワインでいいから、
たくさんのワインをのみ、品種による特徴がわかるようになれば、
そのつぎのステップとして、地域や国によるちがいをたのしんでいく。
23歳のオイに、ワインとのつきあい方をおそわるとはおもわなかった。

島根にはわりとおおきなワイナリーがあるけれど、
ぜんぜんおいしいとおもわないので、
わたしはことあるごとにわるぐちをいっていた。
でもオイは、「まずいワインなんてのんだことがない」といい、
どんなワインにも、それなりのよさをみいだしてたのしんでいる。
わたしより、ずっとおとなの態度だ。

わたしが仕事にでかけているあいだに
オイはワイナリーへでかけ、
メルローをおみやげにのこしてくれていた。
ワイナリーのなかでもたかいワインだ。
さっそくのんでみると、不覚にもおいしい。
地元にすみながら、さんざんワイナリーのわるぐちをいうわたしに、
ちゃんとしっかりしたワインもつくっていると、
実物をもってオイはわたしにおしえてくれた。
なかなかよくできた23歳だ。

posted by カルピス at 22:31 | Comment(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする