「いずれにいたしましても」をとりあげていた。
答える側には使い勝手がよいかもしれませんが、聞く方は耳障り
(『公務員の議会答弁術』の著者、森下寿さん)
なことばだという。
最後に結論を言うときの枕ことばですが、確信をぼかす、かわす言葉としての印象も強いです。(中略)富山県議会では約10年前に答弁の際に「いずれにいたしましても」の言い回しを自粛するよう県執行部に求め、要請の前後で使用頻度を10分の1に減らす効果を上げています。
いわれるまで、問題のあることばだとおもわなかった。
議会をきく機会がほとんどなく、気にさわるほど
わたしの耳にはいっていなかったのかもしれない。
「ことば/サプリ」が
「いずれにいたしましても」をとりあげたのは、
このみの問題ではなく、実害というか、
つかわないほうがこのましいからだ。
自粛をもとめるほど腹にすえかねたのだから、
いったいどれだけ多用するひとがいたのだろう。
もちろん富山県議会だけでなく、
国会でもよくつかわれることばだという。
首相別の発言回数でいうと、1位は安倍首相
(在職日数でわった使用頻度では6位)だと紹介されている。
ちなみに、小泉元首相はゼロというから、
つかう、つかわないが、ひとにより はっきりわかれたことばだ。
ことばに すき・きらいをいいだすと、きりがない。
きりがないとわかっていても、この話題がわたしはすきだ。
わたしは「ほっこり」と「つむぐ」がきらいで、
ずるいことばというイメージがある。
どちらのことばも、くちにしたものがちで、
「ほっこり」「つむぐ」といいさえすれば、
こころやさしい善良な人間とみられることを、
おてがるにもとめているような気がする。
「なんか」といわれるのもいやだ。
ラジオをきいていると、わかい女性におおいけど、
「なんか」を連発するひとがいて、
おしゃべりのなかで、あまりにも「なんか」がでてくると
イライラしてしまう。
わたしがすきなデイリーポータルZ(の編集部)は、
すきなようにかいてるようでいて、
気になることばはつかってない。
ことばではでにあそびながら、方向性ははずしていない。
「今日のダーリン」をかく糸井重里さんも、
ことばづかいがうまく、いつも感心している。
自由自在にことばをあやつる達人だ。
うますぎて、一般人には参考にならないけど。