2017年02月07日

林雄司さんの「伏線は回収されない」が かっこいい

林雄司さんがブログに
「伏線は回収されない」という題で、
世の不条理をときあかしている。
http://yaginome.jp/?p=1444
タイトルがものすごくきまっているし、
紹介してある事例もわたしごのみだ。
宮城さんの髪型がちょんまげなのも北村さんがいつもサンダルを履いているのも回収されない。
そういうものだと思うしかない。
むかし見た山手線の車内モニターのクイズ「ペットボトル入りの牛乳はなぜないのでしょう」の答えが「そういうものだから」だった。

しかし、よくかんがえてみると、
これらのはなしを「伏線は回収されない」と
まとめてしまっていいものかどうか。

「そういうものだから」は
とっておきのきりふだ的セリフであり、
「そういうものだから」といわれたらそれでおわりだ。
かえしようがない。
「伏線は回収されない」と林さんが名づけた状況を
すこし冷静になって整理してみれば、
「なぜなら 伏線ではないから」となる。
ちょんまげだったりサンダルをはくのは
べつに伏線とよべるほどのしかけではない。
ただそうだったのであり、まさしく「そういうものだから」だ。
ただ、それを承知のうえ むりやり
「伏線は回収されない」と すてきなタイトルにしたてた
林さんの目のつけどころはさすがだとおもう。

林さんはそのつぎの記事で「理屈」についてふれている。
http://yaginome.jp/?p=1447
寒いからおでんにした、という話は理屈が通っているが、ホットヨガに行くとか南国に引っ越すという選択肢を選ばなかったのはなぜかが分からない。
実はたいていはなんとなくなんだけど、説明しやすいように理屈を作っているのかもしれない。理由を聞かれたら堂々と「なんとなくです!」と言っていこう。

これもまた「伏線」とおなじで
おでんと南国へのひっこしを同等の選択肢としてあつかうほうが
そもそも無理だ。
でもおもしろい。
林さんの功績は、「理屈」をときあかしたことではなく、
「なんとなく」の発見にある。

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2017年01月13日

「とりかえしのつかないこと」とは なにか

林雄司さんのブログで
「取り返しのつかないことへの衝動」をよんだ。
http://yaginome.jp/?p=1399
試着室で全裸になったとき、このまま飛び出したら終わりだなと思う不思議な感じ
20年以上まえに、名前はわすれたけど、わかい歌手が
「とりかえしのつかないことをしようよ」とうたっていて、
奇をてらった歌詞に反発をおぼえた。
自分をおとしめているようで、じつは自己憐憫のにおいがする。
なにが「とりかえしのつかない」だ。
「とりかえしのつかないこと」なんて
あるわけないだろう。

でも、その反発は おそらくわかさへのシットで、
「とりかえしのつかないこと」はたしかにある。
そして、それが衝動とセットでやってくるからこまる。
わたしの場合は、自動車を運転していて、
たかいところをはしっているときなど、
ちょっとハンドルをきればおわりだな、
という衝動があたまをかすめる。
あらがいがたいつよさの衝動ではないものの、
どうしようかなーと、しばらく検討してしまうくらいの魅力がある。

ハンドル操作はいのちにかかわる衝動だけど、
「とりかえしのつかないこと」のおおくは、
社会的な地位にとどめをさしてしまう行為ではないか。
こんなことをしたら、もういまの職場におれない、
みたいな衝動を林さんがブログにかいている。
でもまあこれは、本人にとって
「とりかえしのつかないこと」で あるにせよ、
まわりからすれば どうでもいい衝動だ。
そのうち時間が解決して 世間はわすれくれてくれる。
ほんとうに「とりかえしのつかないこと」とはなんだろう。

極端なことをいえば、たとえ人類がほろびたとしても、
地球が爆発するまで世界はつづくだろうし、
地球がなくなっても、宇宙からみたら
たいしたできごとではない。
そこまではなしをひろげると、わけがわからなくなるので、
ここでいう「とりかえしのつかないこと」は、
人類にかかわる範囲としたい。

トランプ氏を次期大統領にえらんだアメリカ人は、
「とりかえしのつかないこと」をしたと、
後悔しているのではないか。
アメリカだけでなく、地球環境からみたときにも、
かなりのリスクをせおったのかもしれない。
いまさらとりかえしはつかないけど。

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2016年11月18日

林雄司さんの「事実なんて書くな」

自由ポータルZへのコメントで、
林雄司さんがウェブ記事をかくコツについてのべている。
http://portal.nifty.com/cs/fpz/detail/161111198040/1.htm
先日、大学生にウェブ記事の書きかたを教える機会がありました。事実なんて書くな、タイトルは情報でも自分の話を無理やり入れろ、工作が失敗したら落胆を描いてエッセイにしろ、などのテクニックを伝授してきました。
あとから聞いたのですが、その前の講師と言ったことが真逆だったらしいです。

「事実なんて書くな」がおもしろい。
わたしが文章をかくときに気をつけるのは、
わかりやすさはもちろんとして、
「事実をかく」
「ウソはかかない」
がある。
おなじみたいだけど、わたしのなかではビミョーにべつのことだ。
「事実をかく」は、やってないことをかかない。
「ウソはかかない」は、おもってもないことを
もっともらしくかかない、という意味をこめている。
ウケをねらったおおげさな表現は なんとしてもさけたい。

林さんがいう「事実なんて書くな」は、
よむひとをひきつけるためなら なんでもとりいれろ、
という意味ではないか。
事実を淡々とのべていては、
たとえ正確な事実であっても よむひとを退屈させる。
どうやってよむひとを こちらの土俵にひきずりこむかについて、
過激な表現であらわしたのだとおもう。
講義でこんなに刺激的ないい方をされたら、
きいている学生たちはきき耳をたてるにちがいない。

サッカーずきなわたしは、代表戦があると
いろんな記事をネットでさがしてよむ。
活字でも信頼できる記事ならよみたいので、
以前は『サッカー批評』をかっていた
(いまは製作会社がかわり、つまらなくなったので かうのをやめた)。
スポーツ誌では「Number」がよくサッカーの特集をくむけれど、
いくらサッカーについての記事がおおいとはいえ、
この雑誌に独特の文体が気になるのでかわない。
なんとなくもったいぶっているというか、
ちいさなことをつつきまわすセコさが鼻につく。
「Number」がすきになれないのは、
林さんのいう「事実なんて書くな」と関係しているのではないか。
よむひとをおもしろがらせるサービス精神が、
「Number」の記事にはかけている。
うえから目線のかき方がどことなくエリートくさく、
よんでもらう文章になっていない。

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2016年10月19日

林雄司さんの「新発見」、「ネットは続けようと思ったらずっと続けられる」

林雄司さんがブログ「やぎの目」のなかで
「ネットは続けようと思ったらずっと続けられる」という
「発見」をかたっている。
http://yaginome.jp/?p=1244
雑誌やテレビでときどきみかける
「消えた芸能人」ネタでわかるように、
芸能界でいきるひとはたいへんだ。
テレビの世界では 仕事がなくなると
「本人のやる気と関係なく、活動できなくなってしまう」のだから。
その点ネットは、自分がやめなければずっとつづけられる。
だれもやめなさいというひとはいないし、
つづけるのにお金はかからない。
やる気さえあれば、いつまでもつづけられるのは、
たしかに林さんがいうとおり
たいへんありがたいはなしではないか。

サッカーの世界も、芸能界とおなじようにきびしい。
いまヨーロッパのサッカークラブに所属する
日本人選手はたくさんいるものの、
レギュラーあらそいにかちのこり、
スタメンとして試合にでられる選手はそうおおくない。
イングランドのレスターに所属し、
昨シーズンはプレミアムリーグの優勝に貢献した岡崎選手でさえ、
このところ出場する機会をうしなっている。
じゅうぶんな実績があり、本人はやる気にみちていても、
監督がかわったり、あたらしい選手がくわわったり、
あるいはケガや体調をくずしたりすれば、
とたんに選手としての立場があやうくなるきびしい世界だ。
有力なリーグでいきのこれなければ、
したのリーグにおちるか、べつの国にうつるなどして、
じぶんの能力がいかせる現場をさがさなければならない。

ひるがえって、ブログをかんがえると、
林さんがいうように、
「続けようと思ったらずっと続けられる」。
それがどれだけありがたい環境かを
わたしは気づかずにいた。
本格的にネットやブログを利用できるようになって、
たかだかまだ20年の歴史しかない。
こんなおもしろい道具を
ただみたいにやすい値段でつかえるなんて
かんがえてみたらすごい。
林さんは、つづけるだけでなく、おもしろくなるように
いろいろあたらしいこころみをためしている。
わたしもただブログをつづけるだけでなく、
もっとあそばなければ。

posted by カルピス at 21:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月05日

「人口15万人ぐらいの町がちょうどいいなと思う」(林雄司)に共感する

デイリーポータルZのwebマスターである林雄司さんが、
個人ブログ「web やぎの目」で
「人口15万人ぐらいの町がちょうどいいなと思う」
とかいている。取材でいった石巻・宇部・鳥取が、
どこも15万から20万人くらいなのだという。
http://yaginome.jp/?p=1157

わたしがすむ松江市も、人口20万ほどで、
たしかに「ちょうどいい」を実感できる。
ちょっと車をはしらせれば すぐ海にでるし、
反対方向にはもちろん山がある。
おまけに県庁所在地なので、
県立図書館とか県立プールなど、
県立の施設が松江市にあつまっていて、たいへんたすかる。
よこにながい島根県の、松江市はかなり西側にあり、
そんなところに県庁所在地があるのは、
県のまんなかや、東にすむひとにしたら
うけいれがたい不平等だろう。
その点、アメリカは、州の中央に州都があるそうで、
そんなところだけは気がくばわれている。

わたしが「人口15万人ぐらいの町がちょうどいい」を実感するのは、
県立プールでおよぐときだ。
50メートルプールをひとりで占領できたり、
夕方の利用者がおおそうな時間にいっても、
25メートルプールのコースをひとりじめできる。
ほかの例では、免許の更新や、パスポートをとるのもすぐだし、
市役所や職安で ながくまたされたりしないし、
保育園の待機児童はすくないし(とおもう)、
自転車にのれば、たいていのところへすぐいける距離だし、
おまけにきれいな女性がおおい。

ネットで市町村の人口をしらべてみると、
東京都の立川市が17万人、
小平市が19万人、三鷹市が18万7000人と、
松江市よりすくないことになっており、にわかにはしんじがたい。
わたしの姉が立川市にすむので、
なんどもいったことがあるけど、
あの町よりも松江市の人口がおおいわけがない。
おおいわけがないのに、統計上そうなっているのは、
もちろん それだけ人口密度がひくいからにすぎない。
立川市がkm2あたり7200人、松江市が360人と、
立川市の1/20しかひとがいないから、
プールのコースをひとりじめできたりするのだ。

肝心なのは、林さんがかいている
それより小さいとなにもない感じになるし、もっと人口が多いと駅前にルミネと成城石井とユニクロが現れて興ざめである。
という点にある。
ちいさければいいというものではないし
(図書館のない町になんかすみたくない)、
ルミネばかりがめだつ駅前もいやだ。
ちょうどいい規模の町にうまれてよかった。

posted by カルピス at 21:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする