2017年10月12日

質問されるのが苦手

林雄司さんのブログに、質問形式の人が苦手とあった。
http://yaginome.jp/?p=1725
僕 「そのTシャツいいじゃん。どこで買ったの?」
質問形式の人 「どこだと思う?」
僕 「?」

わたしもまた、質問形式、というよりも、質問じたいが苦手だ。
「あなたの夢は?」
「すきなたべものは?」
あらかじめ、質問を想定し、
こたえ方をかんがえておかないと、とっさにはなせない。
自分では、ひとにいろいろ質問するくせに、
自分にたずねられると、とたんにくるしくなる。
就活に、いちばんよわいタイプだ。
「質問はうけつけません」と、いちどいってみたい。

「はい」か「いいえ」でこたえられる質問は、
会話がひろがらないので あまりよくないらしい。
わたしと配偶者の会話はまさしくそれで、
わたしがなにかをたずねても、
みじかいこたえだけがかえってきて、それでおわり。
ほかのひとなら、気をきかせて
ふくらませてくれそうな場面でも、配偶者はそれほどあまくない。
配偶者をあいてに、じょうずな質問ができるようになれば、
ほかの場面でも役にたちそうだ。
家庭の円満にもいいだろうし。

でも、さほど関心のないあいてに
(といってしまうと、さしさわりがあるけど)、
いまやそれほどききだしたいこたえはなく、
沈黙をやぶるだけの質問でしかないので、
けっきょくは「はい」か「いいえ」
(じっさいには、もっと乱暴)の返事だけがかえってくる。
ますます気もちがなえて、いい質問をおもいつけない悪循環だ。
ほかにきらいなのは、行列にならぶことと おもい荷物をもつこと。
「きらいなことは?」という質問だけにはすぐにこたえられる。

林さんの記事は、質問形式をさらに進化させた
「なんで私が怒ってるかわかる?」
がでてくる。
こんなおそろしい質問をくちにされたら、
どうこたえたところで はじめから勝負はついている。
こんな質問は、女性しかできない。
男がやれば ものすごく反感をかいそうだけど、
女性がくちにしたら、ただひたすらおそろしい。
「はい」か「いいえ」ではこたえられないという意味からは、
いい質問なのだろうけど、いったものがちなので ずるい。
はるかむかしに、わたしもいわれたことがあるような気がする。
どうこたえてきりぬけたのか、
あるいはさらに地雷をふんだのか、おぼえていない。

posted by カルピス at 21:52 | Comment(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月10日

林雄司さんの「いま口内炎できてない!最高!」がおもしろい

林雄司さんの「いま口内炎できてない!」がおもしろかった。
http://yaginome.jp/?p=1645 
口内炎ができてないときに「口内炎できてない!最高!」と思わないのは損

という論理から、口内炎以外の
「できてない!」にも ふだんから気づきたいという。
たとえば、

・痔
・親が病気
・期限をとっくに過ぎてるレンタルDVDがある
・借金がある
・確定申告しなければならない

を林さんは例にあげている。
そして、
「いま痔じゃないし、確定申告の季節じゃない、最高!」と考えるのだ。

たしかに、そうとらえると、
「生きてるだけでまるもうけ」を実感できる。
「〜であるしあわせ」はよくかたられるけど、
「〜でないしあわせ」は、とかくわすれがちだ。
ほぼ日が提唱する「なんでもない日、おめでとう」も、
かんがえ方としてはおなじだろう。
しあわせはスペシャルなイベントだけではない。
平凡な日常こそがしあわせなのだ。
自分と家族が健康にくらしている「いま」が
どれだけ貴重な時間であるか、
なにかあったとき おもいしらされる。
ただ、それらをしんみりかきつらねても
ただしすぎて おもしろくない。
口内炎まではなしをおろし、
「最高!」とおまつりにするかるさが 林さんのうまさだ。

ぱっとおもいついた わたしの「最高!」は、

・片頭痛をもってない
・腰やひざのいたみになやまされていない。
・痛風じゃない
・交通事故をおこしてない
・車のなかにだれかをおきわすれてない

などで、歳のせいか、健康についての項目がおおくなる。
おわりのふたつは、仕事をしてるとき、
こんなミスをした「エヘヘ」ではすまされないだろうから、
想像しただけで ものすごくおっかない。
ただ、これらはじっさいになやまされた体験とはちがう。
もっと身ぢかで切実なのは、仕事じょうのノルマや、
すすめなければならない企画などの
プレッシャーではないだろうか。
さいわい いまのわたしはどちらも免除されており、
健康面でも、仕事についても、
おおむね「最高!」な生活をおくっているのではないか。
もっといまのしあわせをかみしめておかないと。

口内炎よりずっとおおきなはなしとして
核兵器の利用がある。
北朝鮮の金正恩氏、アメリカのトランプ大統領と、
これまでにないタイプがふたりそろい、
世界はいま ものすごくあぶなっかしい。
まだいまは戦争になってないから最高!、とはとてもおもえない。

posted by カルピス at 18:38 | Comment(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月07日

林雄司さんの「伏線は回収されない」が かっこいい

林雄司さんがブログに
「伏線は回収されない」という題で、
世の不条理をときあかしている。
http://yaginome.jp/?p=1444
タイトルがものすごくきまっているし、
紹介してある事例もわたしごのみだ。
宮城さんの髪型がちょんまげなのも北村さんがいつもサンダルを履いているのも回収されない。
そういうものだと思うしかない。
むかし見た山手線の車内モニターのクイズ「ペットボトル入りの牛乳はなぜないのでしょう」の答えが「そういうものだから」だった。

しかし、よくかんがえてみると、
これらのはなしを「伏線は回収されない」と
まとめてしまっていいものかどうか。

「そういうものだから」は
とっておきのきりふだ的セリフであり、
「そういうものだから」といわれたらそれでおわりだ。
かえしようがない。
「伏線は回収されない」と林さんが名づけた状況を
すこし冷静になって整理してみれば、
「なぜなら 伏線ではないから」となる。
ちょんまげだったりサンダルをはくのは
べつに伏線とよべるほどのしかけではない。
ただそうだったのであり、まさしく「そういうものだから」だ。
ただ、それを承知のうえ むりやり
「伏線は回収されない」と すてきなタイトルにしたてた
林さんの目のつけどころはさすがだとおもう。

林さんはそのつぎの記事で「理屈」についてふれている。
http://yaginome.jp/?p=1447
寒いからおでんにした、という話は理屈が通っているが、ホットヨガに行くとか南国に引っ越すという選択肢を選ばなかったのはなぜかが分からない。
実はたいていはなんとなくなんだけど、説明しやすいように理屈を作っているのかもしれない。理由を聞かれたら堂々と「なんとなくです!」と言っていこう。

これもまた「伏線」とおなじで
おでんと南国へのひっこしを同等の選択肢としてあつかうほうが
そもそも無理だ。
でもおもしろい。
林さんの功績は、「理屈」をときあかしたことではなく、
「なんとなく」の発見にある。

posted by カルピス at 21:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月13日

「とりかえしのつかないこと」とは なにか

林雄司さんのブログで
「取り返しのつかないことへの衝動」をよんだ。
http://yaginome.jp/?p=1399
試着室で全裸になったとき、このまま飛び出したら終わりだなと思う不思議な感じ
20年以上まえに、名前はわすれたけど、わかい歌手が
「とりかえしのつかないことをしようよ」とうたっていて、
奇をてらった歌詞に反発をおぼえた。
自分をおとしめているようで、じつは自己憐憫のにおいがする。
なにが「とりかえしのつかない」だ。
「とりかえしのつかないこと」なんて
あるわけないだろう。

でも、その反発は おそらくわかさへのシットで、
「とりかえしのつかないこと」はたしかにある。
そして、それが衝動とセットでやってくるからこまる。
わたしの場合は、自動車を運転していて、
たかいところをはしっているときなど、
ちょっとハンドルをきればおわりだな、
という衝動があたまをかすめる。
あらがいがたいつよさの衝動ではないものの、
どうしようかなーと、しばらく検討してしまうくらいの魅力がある。

ハンドル操作はいのちにかかわる衝動だけど、
「とりかえしのつかないこと」のおおくは、
社会的な地位にとどめをさしてしまう行為ではないか。
こんなことをしたら、もういまの職場におれない、
みたいな衝動を林さんがブログにかいている。
でもまあこれは、本人にとって
「とりかえしのつかないこと」で あるにせよ、
まわりからすれば どうでもいい衝動だ。
そのうち時間が解決して 世間はわすれくれてくれる。
ほんとうに「とりかえしのつかないこと」とはなんだろう。

極端なことをいえば、たとえ人類がほろびたとしても、
地球が爆発するまで世界はつづくだろうし、
地球がなくなっても、宇宙からみたら
たいしたできごとではない。
そこまではなしをひろげると、わけがわからなくなるので、
ここでいう「とりかえしのつかないこと」は、
人類にかかわる範囲としたい。

トランプ氏を次期大統領にえらんだアメリカ人は、
「とりかえしのつかないこと」をしたと、
後悔しているのではないか。
アメリカだけでなく、地球環境からみたときにも、
かなりのリスクをせおったのかもしれない。
いまさらとりかえしはつかないけど。

posted by カルピス at 10:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月18日

林雄司さんの「事実なんて書くな」

自由ポータルZへのコメントで、
林雄司さんがウェブ記事をかくコツについてのべている。
http://portal.nifty.com/cs/fpz/detail/161111198040/1.htm
先日、大学生にウェブ記事の書きかたを教える機会がありました。事実なんて書くな、タイトルは情報でも自分の話を無理やり入れろ、工作が失敗したら落胆を描いてエッセイにしろ、などのテクニックを伝授してきました。
あとから聞いたのですが、その前の講師と言ったことが真逆だったらしいです。

「事実なんて書くな」がおもしろい。
わたしが文章をかくときに気をつけるのは、
わかりやすさはもちろんとして、
「事実をかく」
「ウソはかかない」
がある。
おなじみたいだけど、わたしのなかではビミョーにべつのことだ。
「事実をかく」は、やってないことをかかない。
「ウソはかかない」は、おもってもないことを
もっともらしくかかない、という意味をこめている。
ウケをねらったおおげさな表現は なんとしてもさけたい。

林さんがいう「事実なんて書くな」は、
よむひとをひきつけるためなら なんでもとりいれろ、
という意味ではないか。
事実を淡々とのべていては、
たとえ正確な事実であっても よむひとを退屈させる。
どうやってよむひとを こちらの土俵にひきずりこむかについて、
過激な表現であらわしたのだとおもう。
講義でこんなに刺激的ないい方をされたら、
きいている学生たちはきき耳をたてるにちがいない。

サッカーずきなわたしは、代表戦があると
いろんな記事をネットでさがしてよむ。
活字でも信頼できる記事ならよみたいので、
以前は『サッカー批評』をかっていた
(いまは製作会社がかわり、つまらなくなったので かうのをやめた)。
スポーツ誌では「Number」がよくサッカーの特集をくむけれど、
いくらサッカーについての記事がおおいとはいえ、
この雑誌に独特の文体が気になるのでかわない。
なんとなくもったいぶっているというか、
ちいさなことをつつきまわすセコさが鼻につく。
「Number」がすきになれないのは、
林さんのいう「事実なんて書くな」と関係しているのではないか。
よむひとをおもしろがらせるサービス精神が、
「Number」の記事にはかけている。
うえから目線のかき方がどことなくエリートくさく、
よんでもらう文章になっていない。

posted by カルピス at 21:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする