2019年12月28日

ひるねもいいけど 二度寝こそ 冬やすみのだいごみ

いつものように朝5時半ごろ ココがわたしをおこしにくる。
ごはんがほしい、というよりも、外からかえってきたあいさつで、
「おかえりー」とはげしくナデナデすればじきにおちつく。
問題なのは、そのあとのすごし方だ。
いつもなら、もういちどねたいのは やまやまながら、
ねるには危険な時間になっている。
しかたなく、ふとんにはいるものの、
目はつむらないで 頭がおきるのをまつ。
でも、いまは二度寝ができる冬やすみだ。
ためらいなくふとんにもぐりこみ、しばらくの惰眠をたのしむ。

「デイリーポータルZ」の林雄司さんによると、
記事のかき方ワークショップをするとき、
カードのなかに「二度寝」をいれたら、
参加者のうち、2〜3人、おおいときは1/4が
二度寝をえらぶのだという。
http://yaginome.jp/?p=1623
これはもう世間の総意なのではないか。二度寝は最高。
最高の二度寝を提供するニドネーランドを作ったら大流行するかもしれない。ふかふかの布団とひんやりした部屋。炭水化物の多い朝食(二度寝するための朝ごはんだ)。
ニドネーマウスというキャラクターも作りたい。
週刊二度寝という分冊百科もいい。創刊号はバインダー付きだ。

と、林さんの提案、というか妄想がふかまる。
だれもが二度寝にあこがれている。
その二度寝を、しばらくたのしめるこの冬やすみ。
二度寝のために冬やすみはあるのではないか。

posted by カルピス at 08:59 | Comment(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月05日

林雄司さんの大発見「五七五は逆から読んでも五七五」

林雄司さんの記事、「リズムだけ俳句」をよむ。
http://yaginome.jp/?p=2383
トラックの車体にかかれたコピーが、
左から右にかかれていて、そのままよむと、
なんのことだかわからない。

「いま住(じゅ)の木 なかたゆ心 しよでん住(じゅ)」。
もちろん もとは「住んでよし 心ゆたかな 木の住まい」だ。

意味はわからないのに、ちゃんと五七五のリズムが
まもられていることに林さんは気づいた。
もともとが五七五なのだから、さかさによんでも五七五なのは
かんがえてみるとあたりまえだけど、
意味はないのに、リズムのよさがたもたれている。
「俳句は逆から読んでもいいのだ」が
林さんの第一発見。

さらに林さんは、いくつか俳句をいじってみて、
「完全に意味のない五七五のほうがグッとくる」という
さらなる発見へとつなげている。
五七五のリズムは最強だ。

意味はわからない、リズムだけでもおもしろい、といえば、
「アジアの純真」がそうだし
(北京 ベルリン ダブリン リベリア 束になって 輪になって・・・)、
桜高軽音部がうたう「Don't say "lazy"」も、
きいていて、なんのことだかわからない。
Please don't say"You are lazy"
だって本当はcrazy
白鳥たちはそう
見えないとこでバタ足するんです
本能に従順 忠実 翻弄も重々承知
前途洋々だし…
だからたまに休憩しちゃうんです

リズムだけでひっぱっている。
そんなことをいえば、ラップもリズム優位でつくられる。
いまや われわれのまわりには、意味のないフレーズがあふれている。
五七五による俳句のリズムになじんだ日本人は、
さらにその感覚を発展させ、
まったく意味をもたないことばのつらなりまで
たのしめるようになった。
意味がわからないほうがいい、なんて、
いったいだれが予想しただろうか。

posted by カルピス at 09:52 | Comment(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月02日

「自由研究みたいな仕事」のデイリーポータルZ

デイリーポータルZの林雄司さんが、
大腸検査をうけたときの体験をブログにかいている。
http://yaginome.jp/?p=2337
と、いうと、おしりの穴に指をつっこまれ・・・
みたいなはなしがおおいけど(あれは直腸癌検診か)、
林さんのは麻酔をつかっての大腸検診だ。
検査をしてるひとたちが、子どものころの自由研究について
はなしてるのがきこえてきたので、
林さんも参加しようとくちをはさむと、
「わ、起きてた」とおどろかれたという。

このとき林さんがもちだしたはなしは、
僕、自由研究みたいな仕事しているんですけど、読書感想文を作る企画は人気ですよ。

いかにも麻酔で意識がもうろうとしているひとの発言らしい。
僕の仕事はうわ言みたいなんだなと検査後のベッドで思った。

と林さんはまとめている。
「自由研究みたいな仕事」って、もちろんデイリーポータルZのことだ。
そして、「読書感想文を作る企画」は感想文ジェネレーターだろう。
https://dailyportalz.jp/kiji/kansoubun-generator
「自由研究みたいな仕事」
「読書感想文を作る企画は人気ですよ」
いきなりそんなことをいわれたら、
しかも麻酔でねむっているとおもっているひとがいいだしたら、
だれだっておどろくにちがいない。
たしかに、麻酔がきいているうわごとみたいだ。
「うわ言みたいな仕事」を おとなになってもできるのはすばらしい。

デイリーポータルZの記事は、すべろうとしているわけではないのに、
予想したようにいかず、むりやりまとめた記事がめずらしくない。
そんなところが、いかにも「自由研究みたいな仕事」といえる。
「デイリーポータルZとは、どんなサイトですか?」という質問への
これい以上ないほどわかりやすく、本質もおさえた説明だ。
そして、デイリーポータルZでありつづけるために、
「うわ言みたいな」フワフワしたスタンスをくずさない。
まじめとふまじめのバランスがみごとで、
あたらしい気づきにあふれている。
これほど手がこんで、おもしろいサイトが、
ちゃんと採算をとりながらつづけているのも評価できる。
たべていけるしくみがととのっていなければ、
いかにたのしいサイトでも、みじかいピークでおわってしまう。
デイリーポータルZに林さんがいてくれる意味はおおきい。

posted by カルピス at 21:26 | Comment(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月14日

林雄司さんがかたる「南極探検につれていけるかどうか」の視点

デイリーポータルZの林雄司さんは、
仕事ができる人に会うと「この人は南極探検に行っても
生きて帰ってこれそうだな」と考える癖がある。
そうだ。
http://yaginome.jp/?p=2300
逆の場合、「この人、全滅させるな」とか「この人はチームに入れないでおこう…」とこっそり思っている。

がおもしろい。
林さんはウェブマスターをつとめているので、
複数の人間によるチームをつねに想定するのだろう。
林さんでなくても、たいていの仕事はチームでやるし、
だれかとかかわらずにすすめられる仕事はすくないだろうから、
おおくのひとにとって、南極探検につれていけるかどうかは、
たいせつな視点かもしれない。
林さんはリーダーシップについてふれているのではない。
チームの一員として、適切なふるまいができるかどうか、をみている。
リーダーシップを発揮するタイプではないけど、
自分のもち味をいかしてチームに貢献できるひと。

客観的にみて、わたしは逆境によわく、
ちょっとしんどい場面になると弱音をはいてしまう。
チームにこんなやつがいると、みんなのやる気に影響をあたえるので、
わたしを南極探検隊につれていかないほうがいいとおもう。
南極ではかんたんにボロをだすにちがいないけど、
日常の仕事ではそのボロをかくせているだろうか。
南極ではだめだけど、ハードでない場面なら大丈夫、
というのはありだろうか。

サッカーの試合をみていると、とくにゴールがきまった場面では、
おおくの味方があつまって、めちゃくちゃに祝福する。
ひごろ、いやななつだとおもってるひとだっているだろうに、
なにもかもわすれ、笑顔で得点をたたえる。
ゴールには、それだけひとを浄化させる
絶大なエネルギーがあるのだろうけど、
もともともっていた人間性というのもおおきいにちがいない。
ここでもわたしは、よいメンバーになれそうにない。
きらいなやつがあげたゴールには、
ひきつった笑顔しかできないとおもう。
つまり、僕は会社員を始めてからずっと南極に行くメンバーを探しているのだ。
60ぐらいで南極に行くのかもしれない。

さむさがにがてはわたしは、そもそも南極にむいていない。
よいチームメイトとしての資質もない。
そんなわたしが、どんな形でなら、
南極探検にかかわれるかがわかれば、
このさきの仕事や生き方にいかせそうだ。
得意をいかすのはむりなので、不得意で勝負できないものか。

posted by カルピス at 20:18 | Comment(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月04日

林雄司さんの「ゴールパフォーマンスだけやってみたい」に共感する

デイリーポータルZに、林雄司さんの
「ゴールパフォーマンスだけやってみたい」がのった。
https://dailyportalz.jp/kiji/goal-performance
サッカーの試合で、ゴールがきまったときに、
きめた選手と、まわりの選手がおおさわぎしてよろこぶアレだ。
わたしも、このゴールパフォーマンスをやってみたかった。
林さんがわたしの分まで パフォーマンスをきめてくれるだろうか。

ボールがただゴールラインをわっただけなのに、
あの爆発的なよろこびは いったいなぜおこるのか。
なにかとてつもない物質が、しかも大量に分泌されるにちがいない。
正座のスタイルで、芝生にひざからすべりこんだり、
野球のすべりこみみたいに、手からとびこんだり
(まるでスケートみたいにピッチの芝生はよくすべる)。
あらかじめうちあわせしてあった ゆりかごダンスやら
弓をいるポーズのパフォーマンスもあるけど、
エネルギーの爆発がつよく印象にのこるのは、
とうぜんながら、きびいしい場面で、
奇跡のようなゴールがきまったときがおおい。
きめた選手も、まわりの選手も、われをわすれて
ここぞとばかりに おたけびをあげる。
おなじような興奮がサポーターにもおよぶのだから、
プレーしていた当事者だけに よろこび物質が発生するのではない。
サッカーのもつ強力な感染力は はかりしれない。

林雄司さんは、その再現をめざした。
ポルトガルをおもわせるユニフォームをきて、
髪にほそいゴムバンドをまき、
汗のかわりにきりふきで水滴をつくり、
芝生のうえをはしりまわる。
ひとりでこれをやっても、あまりもりあがらないので、
フォトショップでチームメイトをふやした。
みんながよろこび、おどりだしても、
どことなく ウソくさい。
なんだこれは。なにかの儀式か。なぜこんなに躍動感がないのか。嬉しさも伝わってこない。原因は主にゴールしてないからだと思うが、疲れのせいもあるだろう。撮影も後半にきて運動量が減っているようだ。

「原因は主にゴールしてないからだと思う」がおかしい。
あのよろこびようは、やはりゴールならではだろう。
でも、ゴールしたらなぜあんなによろこべるのかは
本気でサッカーをしたことのないわたしには 不思議だ。
なぜそんなにゴールがうれしいのか、
そして、なぜサッカーの勝利は格別なのかは、
だれにも説明できないのではないか。

posted by カルピス at 20:20 | Comment(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする