2019年07月01日

「とんだ地雷みたいな店員」がおかしくもうつくしい 林雄司さんのブログ

林雄司さんのブログ「Webやぎの目」に、
ファミレスでの体験がかいてあった。
http://yaginome.jp/?p=2278
となりの席の親子づれが注文した肉に、
味がついてなかったそうで、
店員はたしかめたあとあやまって、
あたらしいものと交換した。
さらに、中学生くらいの子が注文した
「エビのジェノベーゼ」にエビがはいっておらず、
父親がやんわりと店員につたえている。

林さんは、アンラッキーな親子だとおもいつつ、
子どもがずっと「うける〜」とわらっていたことに気づいた。
不運が訪れても笑っていられるその姿勢で彼は一生楽しく過ごせるだろう。
そしてあのファミレスは厨房にとんだ地雷みたいな店員がいる。

冷静な観察とともに、とてもうつくしい文章だ。
「点」をひとつもうってないのに、
わりとながい一文を、すらすらと自然によめる。
中学生くらいの年齢で、自分の不運をわらえるのは、
たしかに うまれもった才能なのだろう。
きっと彼は、林さんの予想どおり、
たのしい人生をおくるにちがいない。
そして、「とんだ地雷みたいな店員がいる」も、
くりかえしよんでいると、だんだん味がでてくる。
ふざけた文章みたいだけど、
1組の客にたいし、ありえないミスを2つもかさねるのは、
「とんだ地雷みたいな店員」とよぶのがいちばんにつかわしい。
どんなにヘラヘラした人物なのだろう。
あるいは、まじめにやりながら、これだけずれているとしたら、
それはそれで よけいにすくわれない気がする。
こわいものみたさで、どんなひとなのか興味がわいてくる。

林さんの感想は、
「おれのは味がついててよかった」。
味のついてない肉や、
エビのはいってない「エビのジェノベーゼ」みたいな
ありえない不運が、人生にはいくらでもおこりえるのを
林さんはよくこころえている。
お店にむけたいかりではなく、
自分が災難をまぬがれて幸運だった、というのだから、
林さんも、となりの席にいた中学生みたいに、
「一生楽しく過ごせる」ひとなのだろう。

posted by カルピス at 22:06 | Comment(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月10日

たのしんでいるうちに、「すごく広いところに出てしまった」林雄二さん

デイリーポータルZの林雄司さんがパリへでかけ、
「顔が大きくなる箱」を展示している。
https://dailyportalz.jp/kiji/reeaction_to_bigfacebox
この箱をかぶると、そのなかの顔がおおきくみえておもしろい。
おもしろいけど、ただそれだけともいえるのに、
どこで展示しても、ものすごくうけるらしい。
ぬけぬけと言うと、めちゃくちゃ受けた。トレビアンとなんども言われた。

この記事では、これまでおとずれた国の
それぞれの反応がまとめられている。
わたしは、おおきな顔をみただけで、
あんなに無邪気な笑顔をみせられるだろうかと、
うややましくなるほどみんなわらっている。

いいなー、とおもったのは、
「ハーイとかいう人生」という、
林さんによるまとめのようなもの。
サンフランシスコ郊外でのメイカーフェアのとき、bigfaceboxの展示も2回めだったので、ほかの出店者に bigface! と声をかけられて笑いながら Hi とか答えていた。
あ、おれいま西海岸でハーイとか言ってる!
そして「楽しい人生だな」と思っていることに気づいた。なんだこの素直さは。
あまのじゃくな性格が災いしてインターネットでちまちまおかしなものを作っていたのだが、それを進めていったらものすごく広いところに出てしまった。
これからもきっとハーイとか言っていくと思う。

「それを進めていったらものすごく広いところに出てしまった」
がすばらしい。
たのしくやっていて、気づいたら
とんでもないたかみにたっしていた林雄二さん。
林さんは、いまサイコーの人生をおくっている。

posted by カルピス at 21:41 | Comment(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月12日

質問されるのが苦手

林雄司さんのブログに、質問形式の人が苦手とあった。
http://yaginome.jp/?p=1725
僕 「そのTシャツいいじゃん。どこで買ったの?」
質問形式の人 「どこだと思う?」
僕 「?」

わたしもまた、質問形式、というよりも、質問じたいが苦手だ。
「あなたの夢は?」
「すきなたべものは?」
あらかじめ、質問を想定し、
こたえ方をかんがえておかないと、とっさにはなせない。
自分では、ひとにいろいろ質問するくせに、
自分にたずねられると、とたんにくるしくなる。
就活に、いちばんよわいタイプだ。
「質問はうけつけません」と、いちどいってみたい。

「はい」か「いいえ」でこたえられる質問は、
会話がひろがらないので あまりよくないらしい。
わたしと配偶者の会話はまさしくそれで、
わたしがなにかをたずねても、
みじかいこたえだけがかえってきて、それでおわり。
ほかのひとなら、気をきかせて
ふくらませてくれそうな場面でも、配偶者はそれほどあまくない。
配偶者をあいてに、じょうずな質問ができるようになれば、
ほかの場面でも役にたちそうだ。
家庭の円満にもいいだろうし。

でも、さほど関心のないあいてに
(といってしまうと、さしさわりがあるけど)、
いまやそれほどききだしたいこたえはなく、
沈黙をやぶるだけの質問でしかないので、
けっきょくは「はい」か「いいえ」
(じっさいには、もっと乱暴)の返事だけがかえってくる。
ますます気もちがなえて、いい質問をおもいつけない悪循環だ。
ほかにきらいなのは、行列にならぶことと おもい荷物をもつこと。
「きらいなことは?」という質問だけにはすぐにこたえられる。

林さんの記事は、質問形式をさらに進化させた
「なんで私が怒ってるかわかる?」
がでてくる。
こんなおそろしい質問をくちにされたら、
どうこたえたところで はじめから勝負はついている。
こんな質問は、女性しかできない。
男がやれば ものすごく反感をかいそうだけど、
女性がくちにしたら、ただひたすらおそろしい。
「はい」か「いいえ」ではこたえられないという意味からは、
いい質問なのだろうけど、いったものがちなので ずるい。
はるかむかしに、わたしもいわれたことがあるような気がする。
どうこたえてきりぬけたのか、
あるいはさらに地雷をふんだのか、おぼえていない。

posted by カルピス at 21:52 | Comment(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月10日

林雄司さんの「いま口内炎できてない!最高!」がおもしろい

林雄司さんの「いま口内炎できてない!」がおもしろかった。
http://yaginome.jp/?p=1645 
口内炎ができてないときに「口内炎できてない!最高!」と思わないのは損

という論理から、口内炎以外の
「できてない!」にも ふだんから気づきたいという。
たとえば、

・痔
・親が病気
・期限をとっくに過ぎてるレンタルDVDがある
・借金がある
・確定申告しなければならない

を林さんは例にあげている。
そして、
「いま痔じゃないし、確定申告の季節じゃない、最高!」と考えるのだ。

たしかに、そうとらえると、
「生きてるだけでまるもうけ」を実感できる。
「〜であるしあわせ」はよくかたられるけど、
「〜でないしあわせ」は、とかくわすれがちだ。
ほぼ日が提唱する「なんでもない日、おめでとう」も、
かんがえ方としてはおなじだろう。
しあわせはスペシャルなイベントだけではない。
平凡な日常こそがしあわせなのだ。
自分と家族が健康にくらしている「いま」が
どれだけ貴重な時間であるか、
なにかあったとき おもいしらされる。
ただ、それらをしんみりかきつらねても
ただしすぎて おもしろくない。
口内炎まではなしをおろし、
「最高!」とおまつりにするかるさが 林さんのうまさだ。

ぱっとおもいついた わたしの「最高!」は、

・片頭痛をもってない
・腰やひざのいたみになやまされていない。
・痛風じゃない
・交通事故をおこしてない
・車のなかにだれかをおきわすれてない

などで、歳のせいか、健康についての項目がおおくなる。
おわりのふたつは、仕事をしてるとき、
こんなミスをした「エヘヘ」ではすまされないだろうから、
想像しただけで ものすごくおっかない。
ただ、これらはじっさいになやまされた体験とはちがう。
もっと身ぢかで切実なのは、仕事じょうのノルマや、
すすめなければならない企画などの
プレッシャーではないだろうか。
さいわい いまのわたしはどちらも免除されており、
健康面でも、仕事についても、
おおむね「最高!」な生活をおくっているのではないか。
もっといまのしあわせをかみしめておかないと。

口内炎よりずっとおおきなはなしとして
核兵器の利用がある。
北朝鮮の金正恩氏、アメリカのトランプ大統領と、
これまでにないタイプがふたりそろい、
世界はいま ものすごくあぶなっかしい。
まだいまは戦争になってないから最高!、とはとてもおもえない。

posted by カルピス at 18:38 | Comment(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月07日

林雄司さんの「伏線は回収されない」が かっこいい

林雄司さんがブログに
「伏線は回収されない」という題で、
世の不条理をときあかしている。
http://yaginome.jp/?p=1444
タイトルがものすごくきまっているし、
紹介してある事例もわたしごのみだ。
宮城さんの髪型がちょんまげなのも北村さんがいつもサンダルを履いているのも回収されない。
そういうものだと思うしかない。
むかし見た山手線の車内モニターのクイズ「ペットボトル入りの牛乳はなぜないのでしょう」の答えが「そういうものだから」だった。

しかし、よくかんがえてみると、
これらのはなしを「伏線は回収されない」と
まとめてしまっていいものかどうか。

「そういうものだから」は
とっておきのきりふだ的セリフであり、
「そういうものだから」といわれたらそれでおわりだ。
かえしようがない。
「伏線は回収されない」と林さんが名づけた状況を
すこし冷静になって整理してみれば、
「なぜなら 伏線ではないから」となる。
ちょんまげだったりサンダルをはくのは
べつに伏線とよべるほどのしかけではない。
ただそうだったのであり、まさしく「そういうものだから」だ。
ただ、それを承知のうえ むりやり
「伏線は回収されない」と すてきなタイトルにしたてた
林さんの目のつけどころはさすがだとおもう。

林さんはそのつぎの記事で「理屈」についてふれている。
http://yaginome.jp/?p=1447
寒いからおでんにした、という話は理屈が通っているが、ホットヨガに行くとか南国に引っ越すという選択肢を選ばなかったのはなぜかが分からない。
実はたいていはなんとなくなんだけど、説明しやすいように理屈を作っているのかもしれない。理由を聞かれたら堂々と「なんとなくです!」と言っていこう。

これもまた「伏線」とおなじで
おでんと南国へのひっこしを同等の選択肢としてあつかうほうが
そもそも無理だ。
でもおもしろい。
林さんの功績は、「理屈」をときあかしたことではなく、
「なんとなく」の発見にある。

posted by カルピス at 21:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする