2015年09月09日

ういている(ようにみえる)林雄司さんのホバーボードにおどろく

しょっちゅう「デイリーポータルZ」の記事をとりあげ、
そしてそのたいていが林雄司さんの記事についてなので、
このごろは気がひけるようになった。
でも、こころをうごかされたできごとをかく、という意味において、
きょうはやはりこの記事をとりあげないわけにいかない。

記事は、林さんがホバーボードづくりに成功したとつたえている。
http://portal.nifty.com/kiji/150908194501_1.htm
ホバーボードとは、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』で
マーティくんがのっていた空とぶスケボーのことをいう。
ローラーでころがるスケボーではなく、
まるでサーフィンしているみたいに
空中にうかび、すすんでいく。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』の
未来の地球は2015年という設定なので、
25年かけて現実が映画においついたことになる。
林さんはたった1時間、しかも1300円という
しんじられない費用で「浮遊感を実現」した。

浮遊のメカニズムについて、くわしい説明もある。
うかんでみたい方は、ぜひ記事を参考にチャレンジしてほしい。
ほかのライターのこころみに刺激をうけ、
しかしまったく発想をかえながら
「浮遊感」に成功した林さんをたたえたい。
たくみにホバーボードをあやつり、
いろんなポーズをきめる林さんがかっこいい。

それにしても、ホバーボードによる「浮遊感」の
撮影現場がみたかった。
「ういているようにみえる」だけなのだから、
じっさいの光景としては
ものすごく「?」だったのではないか。
とおりがかりのひとから
「なにをしてるんですか?」とたずねられたときの
「こんなに簡単だけど難しい質問はない」
がすごくおかしい。
ホバーボードづくりのたいへんさを
このコメントがすべてあらわしている。
林さんの頭のなかは、どこまでも自由だ。

posted by カルピス at 11:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月30日

『デイリーポータルZ』の「ハトマスクの故郷に行った」がすばらしい

『デイリーポータルZ』にのった、林雄司さんの記事
「ハトマスクの故郷に行った」がすばらしい。
http://portal.nifty.com/kiji/150825194382_1.htm
「ハトマスク」とは、林さんがなにかというとかぶっている
ハトの顔のマスクだ(そのままだけど)。
このマスクは、シアトルのアーチーマクフィーという
雑貨屋さんがつくっているもので、
「ハトマスクの故郷」であるそのお店を、林さんがたずねた。

林さんがこのお店にはいると、
林さんの似顔絵がかかれたウェルカムボードが
いきなりおいてあった。
林さんがかいた「ハトになりました」
「ハトナイト」(たくさんのひとがハトマスクをかぶるイベント)
の記事をよんだアーチーマクフィーのデイビッドさんが
大歓迎してくれたのだ。

アーチーマクフィーは、雑貨屋さんというしかないけど、
ハトマスクだけでなく、
なんのためにつくったのかわからないような
へんなおもちゃばかりをあつかっている。
たとえば
・ヨーデルピクルス(ピクルスの形をしたおもちゃのボタンをおすと、
 ヨーデルがながれる)
・ハンドパンツ(どうみてもパンツにしかみえない手袋)
・フィンガーモンスター(指人形にモンスターがついている)
など、
実用性はまったくないけど、
おかしくてへんな雑貨ばかりだ。
そのすべてがオリジナルというのがすごい。

デイビッドさんがお店を案内してくれる。
林さんとデイビッドさんは、
みるからに意気投合というかんじで
とてもたのしそうだ。
海をへだて、形はちがえども、
まったくおなじ精神で活動しているふたりが
「故郷」にかえるように ようやくであったのだ。

ハトマスク以外の活動もしってもらおうと、
iPadで林さんの作品をみせると、
デイビッドさんからは ”very similar” という感想をもらった。
「そう!僕もそう思っていたんだ。それが通じて本当に嬉しいよ。僕はアーチーマクフィーを尊敬しているし、遠くはなれた場所で同じ思いをもった人に出会えて嬉しい」
と言いたかったがどう言っていいのかよく分からなかったので、 I think so too. と力強く言っておいた。

わたしはふかく感動した。
林さんとデイビッドさんの表情をみると、
民族のちがいやことばの壁など すこしもかんじさせず、
同士にであえたよろこびに みたされている。
それぞれがかってに すきなことをすきなようにつづけてきたら、
おたがいが非常によくにた地点にたどりついていた。
ローカルなものがグローバルにつながる、
なんてこととはすこしちがう
世界性というか 国境のなさが、ものすごくうれしい。
インターネットでおかしなことをしていたら、おかしなものを売っているシアトルの店に出会って、実際に行ってみたら愉快な人たちに歓迎された。
変なものを作って笑っていたいという思いだけで世界が広がったのだ。
帰国して1週間以上経つが、まだ嬉しさがこみ上げてくる。

清志郎が「わかってもらえるさ」でうたっている。
気の合う友だちって たくさんいるのさ 今は気付かないだけ
街ですれ違っただけでわかるようになるよ

世界には、わたしの仲間がきっといる。
林さんとデイビッドさんがシアトルでであえたように。

posted by カルピス at 13:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月12日

「かわす英会話」(デイリーポータルZ)によってすくわれるかもしれない 日本人の英会話

「デイリーポータルZ」に、
林さんの「かわす英会話」がアップされた。
http://portal.nifty.com/kiji/150811194286_1.htm
英会話をやりとりするのではない。
英会話から、どうやって身を「かわす」かに 知恵をしぼる記事だ。
いいことばだなー、「かわす英会話」。
林さんのほんとうのレベルはわからないけど、
わたしには「かわす英会話」しかないような気がする。
基本的に、ずっとかわすことでやりすごしてきたのが
わたしの英会話だ。

まえに家族旅行でバリ島へいったとき、
せっかくだからと、障害者施設をたずねたことがある。
あらかじめたずねる時間をしらせておいたので、
わたしたち(わたしと配偶者とむすこの3人)が
タクシーでのりつけたときには、むこう側のスタッフ5名が
わたしたちの訪問をまちうけていた。
しきりに「英語があまりはなせないので」
とむこうのスタッフが恐縮される。
自分たちがうまくないので、
わたしのはなす英語がききとれないのかと、
かんちがいされているようだ。

はじめに施設内をすこし見学させてもらい、
そのあと質問というか、日本の障害者施設の情報をやりとりする。
もっとも、そんなことがわたしにできるわけがないので、
わかったふりがほとんどだ。
そんななか、ある質問をされたとき、
ほかのひとたちもきゅうに身をのりだしてきて、
「そうだ、そうだ、そこらへんが日本はどうなってるんだ?」と
全員の注目がわたしにあつまったときがある。
しかしわたしはなんのことかわからない。
状況をみわたして、あたりさわりのないこたえをさぐる。
さいわいそれがポイントをかすめていたようで、
わたしのはなったひとことで、
その場の雰囲気がいっきょにほぐれた。
いまでもあのときの 息づまる会議室をおもいだすと
ドキドキしてくる。
あれはいったいなんの質問だったのだろう。

林さんは、先生役の富岡さんといっしょに
「かわすだけの英会話」をあみだしていく。
質問されたら
・とりあえず「いい質問だ」と時間をかせぐ
・かんがえるふりをする
・人にふる
・人の答えにのる
などの「かわし技」が
「かわすだけの英会話」をささえている。

「あなたはバナナがすきですか?」の質問にも、
「んー、それはいい質問だけど、ちょっとむつかしい」
とやるからすごくおかしい。
でも、英語でいわれれば それほど違和感がない。

動画として「かわすだけの英会話」01と02がのせられており、
01はさきほどかいたように、
「あなたはバナナがすきですか?」についての質問だけど、
02のレベルになると、わたしはまったく歯がたたなかった。
ききとれるのはバナナだけ。
これではかわすしかないし、かわす以前のレベルかもしれない。

こんな英会話力で、よく施設見学などにでかけたものだ。
でも、もう大丈夫。
これからは「かわす英会話」で、それらしくふるまえばいい。
よくかんがえてみたら、日本語の会話でも
意味不明なあいずちをうつことがわたしはおおい。
へんに沈黙をつくるより、
なんとかその場をやりすごそうというサービス精神からだ。
それもまた、ひとつのりっぱな方針だとおもう。
これまで あらゆる英会話の本が
うまくはなそうとして失敗してきた。
「かわす英会話」によって、日本人の英会話コンプレックスが
たとえ部分的にでも、すくわれることをのぞみたい。

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2015年06月11日

『会社でビリのサラリーマンが1年でエリートになれるかもしれない話』(林雄司)

『会社でビリのサラリーマンが1年でエリートになれるかもしれない話』
(林雄司・扶桑社文庫)

お気楽なタイトルだけど、ほんとはとてもしっかりした内容だ。
「デイリーポータルZ」がどのようにはじまり、
つづけるためにどんなことをこころがけているか。
帯には
「ビジネス書としても少し役に立ちますが
どちらかというと脱力系のお笑い本です」
とあるけど、反対だとおもう。
脱力系にみえて、本質はりっぱなビジネス書だ。
4章にわたる77のメソッドで
林さんのこころがけるポイントがしめしてある。

・努力を禁止する
・アイデアは降りてこないことを自覚する
・興奮を大事にする
・PVは無視してもいい

アイデアあつめやネット上での処世術など、
ブログにも共通する点がおおく、仕事のすすめ方において参考になる。
わたしはこの本をよみおえてすごくすっきりしたし、気がらくになった。
「デイリーポータルZ」と「シゴタノ!」は、
そんなにとおくはなれていないのかもしれない。

ほかにも
・ツイッターに不満を書かない
・書きたいことを書くと外しても恥ずかしくない
・サビはいちばん前に持ってくる
・面白さのキーワードは「近さ」
・知識でおびきよせてエピソードで引きずり込む
・続けるためにやめない

など、ブログをかいているひとは
ピクッとくるのではないか。
林さんは、SEO対策なんてまったくかんがえてない。
ライターがおもしろいとおもってかいた記事を、アップしようとするだけだ。

この本をひらくと[巻頭付録]として
「ビジネスに役立つ!厳選記事集」がのっている。
パワーポイントでつくるプレゼンを、
仕事ではなく、どうでもいいことにつかった例だ。
たとえば
「ある日の昼食にサバを食べたこと」という どうでもいいはなしが、
パワポで「決定までの意思決定プロセス」の図として説明されると
ものすごくもっともらしい。
サバをたべながらも、やっぱり肉にすればよかったなー、と後悔したら、
つぎの昼食ではなにをたべるかが「昼食における循環モデル」の図となる。
失敗しないで注文するためには「昼食時における5つのS」があれば安心だ。
たかだか昼食にサバをたべただけのことなのに、
こんなにそれらしい資料としてしめされると、
もしかしてわたしが仕事でつかう資料も、
ほんとうはこれくらい中身のないものでは、とおもえてくる。
これは仕事なんだと、もっともらしい顔をしているだけで、
仕事も昼食のサバも、実はにたようなものなのだ。
こうした本気であそぶかるさが、
「デイリーポータルZ」の魅力になっている。

さきほどあげたメソッドの
「続けるためにやめない」
では、東日本大震災のあとでも
サイトの更新をやめなかったはなしがでてくる。
「デイリーポータルZ」に状況を変える力はありませんが、いま暗い気持ちでいる人が私たちのサイトを見て、一瞬でも気が楽になることを願っていつも通りに更新することにしました。

自分たちのめざすものをよくわきまえ、
軟派なようでいて、筋がとおっている。
本気でおもしろいとおもえることしかしない。
「デイリーポータルZ」の精神は、
この本でしめされているような きわめて具体的な方針のもとにささえられている。
エリートになれるかもしれないビジネス書として、
また、ブログをかくうえでも、おすすめの1冊だ。

posted by カルピス at 16:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月10日

『やぎの目絵日記』(林雄司)林さんのわからない世界が なんとなくわかってくる4コマまんが

『やぎの目絵日記』(林雄司・アスペクト)

わたしにとっての林雄司さんは、「デイリーポータルZ」の中心人物であり、
いろんな記事に顔をだして、
どうでもいいようなことに全力で、たのしそうにとりくむひとだ。
たとえばからいカレーをたべる企画では、
担当のライターとならんでお店のカウンターにすわり、
はな水をたらしながら一生懸命カレーにいどんでいた。
とくに林さんがいなくてもよさそうなのに、
好奇心をおさえられず、林さんはつい参加してしまうみたいだ。
なんでこのひとは、どうでもよさそうなことがこんなにすきなのだろう。

この『やぎの目絵日記』は、「携帯4コマ.com」というサイトに連載されたマンガだという。
はじめはよくわからなさにとまどい、
「なんだかなー」と気のりうすでよんでいたけど、
だんだんこのマンガのふわふわした世界になじんできた。
日ごろの自分の行動と思考回路が、
あまりにも目的意識にとらわれすぎていたことを反省する。
意味のないことにこそ、じっくり目をこらしたほうがいい。
そしてそれをサッと絵にしたのが『やぎの目絵日記』だ。

おもいがけない発想を、ボーっとしたかんじの絵でかいてあり、
意味のよくわからないところがおかしい。
それぞれ、なんということのないはなしではある。
しかし、ふつうひとは、あまりこういう発想をしない。
かんたんにかけそうで、でもなかなかかけないマンガ。
きわめて林雄司的な世界観があらわれている作品なのだ。

絵はそこそこかわいいし、アイデアもいっけんよくありそうで、
ものすごく奇抜なわけではない。
でも、ひとつのまとまりとして1話ずつをみると、すごくへんだ。
よく、アイデアは既存のもののくみあわせ、という。
それにしても、たとえば
・うちのこたつは犬だ。
・しかも会話に加わる
・ときどきこたつをはずしていることもある
・さらに ごくまれに 犬でないこともある
 (犬のきぐるみのマスクをはずして一服する父)
なんてはなしを、林さんのほかにだれがおもいつくだろう。

1話ごとに「はみだしやぎとぴあ」という
作者のコメントがついていて、これがまたおかしい。
絵の補足をしたり、余韻をふかめたり。
マンガなのだから、絵だけですべてをよみとれたらいいのだけど、
林さん的な世界に不案内な読者は、
コメントがないと、なんのことだかわからずに とまどってしまう。
たとえば「カメラがとらえた決定的瞬間!!」というはなしでは
お父さんがおかずにしょうゆとソースをまちがえてかけた瞬間がかかれている。
そのコメントには
「お父さんはこういうとき『胃に入ればいっしょだ』的なことを必ず言う」とある。
たしかにわたしの父親もそんなことをいったような気がするし、
わたしもまたいってしまいそうだ。
しかしそれを「必ず言う」といいきるほど、
林さんの「どうでもいい」ことへの観察眼はするどい。

「逆境に追い込まれたとき、『いま、おもしれ〜、おれ』と思うと少し気が楽に。」
なんてのもある。
「なまずの課長代理は 子供のころは素でなまずだった」
というはなしがもとで、
逆境もなにも、ありえない状況をかってに想像しただけなのに、
それを「逆境に追い込まれたとき」なんて
平気でコメントできるのがおかしい。
こうやって、コメントが作品と現実の世界との 橋わたしをしてくれるので、
読者はわからないなりに おもしろがれる。

わたしがすきなのは、フラワーロックという作品だ。

・(車にひかれて)うっかり死んでしまった
・生まれかわったのは フラワーロックだった
・(とおりかかったむかしの恋人に気づいて)「あっ! 京子さん」
・京子さんにむかってカシャカシャカシャとはげしくうごくフラワーロック
 (よく動くフラワーロックは昔の恋人かもしれません)

コメントは、
「フラワーロックのようにどうして流行ったのかわからないものにこそ真実がある」
となっている。
よくわかるようでいて、やっぱりわからない。けど おかしい。
よくうごくフラワーロックにこれからは注意しようとおもう。
でも、そもそもフラワーロックとはなにかが わたしはわからなかった。
林さんは、なんでこんなに いろんなどうでもいいことを よくしっているのか。
あまりにも雑多な情報が頭にたまってしまうため、
そのオリをこじらせないように(意味不明)
こうした「わからない」作品で発散したくなるのかもしれない。

posted by カルピス at 13:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする