2020年05月18日

ついに「ののちゃん」が時事問題にふみこんだのか

なんにちかまえ、朝日新聞の川柳欄に、
ののちゃんの住んでる所行きたいな…

という句がのっていた。
いしいひさいちさんがかいている「ののちゃん」は、
時事問題をあつかわない。
現実の社会で、どれだけコロナがさわがれていても、
ののちゃんたちは いつもの日常を生きている。
東日本大地震のときも、ちょくせつ地震や
放射能による混乱は話題にならなかった。
しばらくたってから、震災と関係がありそうだと、
ふかよみしてようやくわかるはなしがのったけど、
ストレートに時事問題をださないのが
いしいひさいちさんの流儀だ。

新聞やテレビが、新型コロナのことばかりをいうなかで、
「ののちゃん」がすんでいる町は、
これまでとおなじ日常生活がつづいている。
ひとごみのなかをかいものにでかけるし、
もちろんマスクなんかしてない。
テレビや新聞にあふれている「コロナ」にはうんざりで、
わたしだって、「ののちゃんの住んでる所行きたい」とおもう。

そんな「ののちゃん」なのに、きょうのはなしには、
「時節柄」ということばがでていた。
ののちゃんが「なんか冷たいものないー?」
とおばあさんにたずねると、
おばあさんが「保冷剤。」とこたえている。
時節柄 冷蔵庫の掃除中や。

時節柄って、なんのことだ。
コロナで家にいる時間がながくなり、
断捨離をするひとがおおいというから、
おばあさんも、家のかたづけをしているのかとおもった。
ふつうにかんがえると、そうなる。
でも、ののちゃんのおばあさんは、
コロナだろうが、コロナでなかろうが、
いつも家にいるひとだから、
コロナと関係してのそうじではない可能性がある。
おばあさんのいう「時節柄」とは、
なにをさしているのだろう。
ついに「ののちゃん」が時事問題にふみこんだ、と
「時節柄」発言を重大にとらえたけど、
いしいひさいちさんの真意はべつなところにあるかもしれない。

おばあさんに保冷剤をだされたののちゃんは、
そのあとかいものからかえってきたお母さんにも
「なんか冷たいもの 買ってない?」
とふたたびたずねている。
お母さんのこたえも おばあさんとおなじ「保冷剤。」
あ母さんは、豆腐とバターをかってきたので、
保冷剤をもってかいものにいったのだろうか。
でも、ふつう保冷剤をもってかいものにいったりしない。

かいものからかえったお母さんは、
なんだかさえない表情で「ただいま。」
といっている。
そして、つまらなそうな顔のまま
ののちゃんに保冷剤をさしだしている。
このはなしのわからなさは、
お母さんのさえない表情が鍵をにぎっているのではないか。
なぜお母さんは保冷剤をもってかいものにいったのだろう。

お母さんは、バターや豆腐をかいたかったけど、
おばあさんが冷蔵庫のそうじをしているので、
わざわざ保冷剤をもってかいものにでなければならなかった。
よけいな荷物をもってのかいものだったので、
お母さんはうかない顔つきでかえってきた。
でも、それではやっぱりおかしい。
あのお母さんが、めんどくささを我慢して、
保冷剤もちでかいものにいくわけがない。
はじめから保冷剤などもたずにでかけるか、
保冷剤がいらないかいものをするはずだ。

ののちゃんはお母さんに
「なんか冷たいもの 買ってない?」
とたずねている。
「買ってない?」にたいしてのこたえが
「保冷剤」なのだから、
お母さんは保冷剤をかったのだ。
なぜ保冷剤なんかをかったのか。
それは、豆腐とバターをいい状態にたもつため、
ととらえるのがふつうだけど、
でも、保冷剤は、お店でかっても、
すでにつめたいわけではない。
すでにつめたい保冷剤は、スーパーでは手にはいらない。
はいるとしたら、ケーキなどのおかしをかったときだ。

ここで、わたしが到達した最終的な解釈は、
お母さんは、みんなにだまってケーキをかい、
それに保冷剤がついていた。
うれしそうな顔で家にかえったら、
みんなにケーキのことがばれてしまうので、
あえてしけた表情をつくり、「ただいま」と
ののちゃんのまえにあらわれた。
お母さんはじっと保冷剤をみつめながら
ののちゃんに保冷剤をさしだしている。
なぜ自分が保冷剤をもっているかを
ののちゃんにさとられるわけにはいかない。
しらをきるために、お母さんはポーカーフェイスでおしとおした。
まだちょっとむりがある。

・時節柄の冷蔵庫掃除
・保冷剤
・お母さんのさえない表情

わからない。
きょうの「ののちゃん」は難解だ。

posted by カルピス at 21:38 | Comment(0) | いしいひさいち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月22日

6月21日は「本能寺の変」の日。でも、やっぱり「ののちゃん」がわからない

きのうの「ののちゃん」(いしいひさいち・朝日新聞に連載)は、
キクチヒサヒコくんによる学級新聞だった。
タイトルは「本能寺の変」。
ものすごくちいさな字が、ぎっしりかきこまれていて、
老眼鏡とルーペにたよらなければ、わたしにはみえない。
そして、よんでみても、わたしには なんのことかわからなかった。
ヤボを承知で、全文をかきだしてみる。
・1コマ目
 見よ弥平次、叡山が焼けおちる。
 これで信長様は天下人じゃ。

 どういうことでしょう 光秀さま。

・2コマ目
 日本最大の圧力団体は『惣村並評 納税一本化一揆』、
 略して惣評だ。
 その惣評が寺社公家などの旧権威による
 重複徴税の解消を要望し、
 信長様が叡山焼き討ちの行動で 満額回答したのだ。

・3コマ目
 惣評の全面支援を受け 天下統一が成った時、
 信長様の目には さしずめわしは漢の功臣 蕭何(ショウカ)
 羽柴秀吉は韓信(カンシン)に見え、必ずや粛清される。

・4コマ目
 よいかっ たとえ10年待とうとも
 信長様がスキを見せたその時は、
 先手を打ってお命をいただく!

 心得ましたッ

なんどかよむうちに、ぜんたいの意味はなんとなくわかったけど、
それをなぜキクチヒサヒコくんが学級新聞にのせたのだろう。
ネットをみると、6月21日は、本能寺の変があった日らしく、
いしいさんは、2016年の6月21日にも
キクチヒサヒコくんによる学級新聞として、
「本能寺の変のなぞ」をとりあげている。
このときも、わたしはなぜいしいさんが
こんなはなしをいれたのか理解できず、
見当ちがいなことをかいている。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/439429578.html
きのうの「ののちゃん」も、歴史にくらいわたしには、
なぞだらけのはなしだ。
でも、これだけおなじ日に「本能寺の変」がとりあげられるのは、
それなりのわけがありそうで、
らいねんの6月21日がたのしみになってきた。
タグ:本能寺の変

posted by カルピス at 09:56 | Comment(0) | いしいひさいち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月06日

夏休みの楽しみは、「夏休み待ち」にあると、ののちゃんにおしえられる

朝日新聞に連載中の「ののちゃん」(いしいひさいち)が、
イベントをまつ時間のすごし方についておしえてくれる。
きょうのはなしは、いろいろ応用がききそうだ。

ののちゃんが
「ナツヤッスミッ ナツヤッスミッ」とうかれている。
松子さんが、
「なにをうかれてるねん。夏休みまで2週間もある」
とたしなめると、
ののちゃんは「そこなのよ」と、
なぜうかれているかの説明をする。
「『夏休み』の楽しみは『夏休み待ち』」だという。
「あと2週間もある。ナツヤスミッ マチッ」と
ののちゃんは夏休みまでのまち時間がたのしそうだ。
あと2週間もあって残念、ではなく、
2週間もたのしめるからラッキー、というとらえ方を、
これまでわたしはしらなかった。

秋が季節のなかでいちばんすきで、
秋をまちのぞむわたしは、
そのまえにたちはだかる夏をにが手としている。
ののちゃんにならえば、
あと3ヶ月も秋まちの期間がある。
夏のあつさにくるしむいまこそ、
いちねんでいちばんいい時期なのだと
最悪から最高へと評価がいれかわる。

ただ、ののちゃんは、3ヶ月まえから
「夏休み待ち」にうかれていたのではない。
夏やすみがあと2週間後にせまったいまだから、
こころから夏やすみまでの時間をたのしめる。
どれくらいまえから「◯◯待ち」がスタートするのかは、
そのイベントがどれだけかがやいているかによる。
たとえば家族で外食にでかけるからといって、
2週間もまえからうかれるのは無理があるだろう。
ののちゃんにとっての夏やすみは、
2週間まえからうかれはじめるのがちょうどいい スペシャルな時期だ。

むかしから、たとえば旅行のたのしさは、
旅行自体よりも計画するとき、
みたいなことがいわれていた。
ただそれは、旅行の計画をたてたり、
ホテルの予約をいれたりするたのしさのことで、
旅行に関するじっさいの準備ともいえる。
ののちゃんは、そうではない。
なにもないのに、夏やすみがもうすぐはじまる事実が、
ただそれだけで ののちゃんをうかれさせる。
夏やすみ自体がすばらしいイベントなのはもちろんだけど、
そのまえの期間だって、無為にすごすのはもったいない。
ののちゃんのように、2週間まえからうかれれば、
すでに夏やすみを満喫しているようなものだ。
「夏休み待ち」にうかれても、
じっさいの夏やすみがぼやけるわけではないし、
余分な費用がかかるわけでもない。
適切な時期で「待ち」のたのしみをスタートさせるのは、
人生をじゅうじつさせるうえで、大切なテクニックかもしれない。

posted by カルピス at 22:08 | Comment(0) | いしいひさいち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月07日

ひさしぶりに朝はしってみた

きのうは朝6時からジョギングに。
数年ぶりに朝はしった。
天気予報で、午後から雨、とあったためで、
とはいえほかにもいくつか条件がかさなって、
なんとなく朝はしる気になった。

いまは、朝はしりやすい時期だ。
さむくなく、あつくなく、
5時にはもうあかるくなっている。
朝のしずけさのなかはしっていると、
こころがととのえられていくようだ。
もっとも、朝はエネルギーがきれているせいか、
いつもとおなじ距離をはしったのに、タイムはわるかった。
さいごのほうは足がまえにでず、かなりバテていた。

朝はしると、そのあとのいちにちがすごくながい。
日課であるトレーニングをすでにおえているので、
夕方をまるごとつかえるし、気もちが楽だ。
なんとなく気もちがまえむきで、
仕事にでかけるまえにブログをアップする。
いいことばかりなので、これからも朝のランニングをつづけたいけど、
まだたったいちどはしっただけなので、えらそうなことはかけない。

「ののちゃん」(朝日新聞)をよんでいたら、
上にかいてある数字が7391とあるのに気づく。
なんのことかとおもったけど、
もちろんこれは連載回数をあらわしている。

もう20年もつづいているんだ。
10年をめざしてブログをかいてるわたしなんて、
ぜんぜんあしもとにもおよばない。
朝のジョギングいちにちのわたしはなにもいえない。
ウィキペディアをみると
(とてもわかりやすく整理されている)、
「となりのやまだ君」として1991.10.10にスタートし、
1997年4月1日から「ののちゃん」と題名をかえている。
連続連載回数をのばすためには、タイトルをかえなければ
なんのさしさわりもなかっただろうに、
あえて、みれんなく、「ののちゃん」とかえたところに
いしいひさいちさんの欲のなさをかんじる。
とちゅう3ヶ月の休載があるものの、
もし「となりのやまだ君」時代とあわせるなら、
連載回数は9000回をこえ、もうすぐ1万回をむかえるところだ。
1万回といえば30年で、30年の連載なんてすごい。

あたりまえだけど、いま7391回の「ののちゃん」も、
連載回数1からスタートしている。
わたしの朝ランだって、これから数字をのばしていけばいい。

posted by カルピス at 07:57 | Comment(0) | いしいひさいち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月26日

ののちゃんの「本能寺の変のなぞ」がわからない

6月21日の「ののちゃん」では、
ののちゃんの同級生であるキクチくんが
学級新聞に「本能寺の変のなぞ」を発表している。
これがまた ものすごく文字がおおく、
マンガなのか挿絵つきのコラムなのか
わからないほどだ。
とうぜん文字もちいさく、
わたしは老眼鏡をかけたうえに
虫めがねまでひっぱりだした。
4コママンガでありながら、
絵より文字のスペースが圧倒している。

本能寺の変で信長をたおした明智光秀は、
信長をたいした人物としてとらえていなかったらしい。
『当時の光秀にしてみりゃ暫定天下人三好長慶の後ガマを
ついやっちまった程度』説を根拠に、
「加害者の動機を特定したいなら
まず被害者の身元をよく調べてみろよ」が
この日の「ののちゃん」の骨子だ。

せんじつはアナグラムで
イチロー選手の新記録をたたえたように、
このセリフのどこかに、いしいひさいちさんは
メッセージをかくしているとみたほうがいい。
犯人が 証拠をあまりにものこしすぎると、
探偵はたいてい苦労する。
それとおなじで、これだけ文字がおおいと
どこに本音がかくれているのかわからない。

もしかすると放送ちゅうの『真田丸』と
なにか関係があるかもしれないけど、
歴史にくらいわたしには なんともいいようがない。
イギリスのEU離脱を 批判しているようにもとれるし、
舛添前都知事を皮肉ってる気もする。
アベノミクスの失敗とみたほうがいいのか、
あるいは めちゃくちゃな参院選のゆくえを
暗示しているのかもしれない。
4コママンガとしては、ありえないほどこまかい文字と、
さほど重要でさなそうな ながったらしい演説で
読者のよむ気をうばっておいて、
3年3組のキクチヒサヒコくんはなにをいいたかったのか。

posted by カルピス at 21:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | いしいひさいち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする